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2005年の汽車旅4-1 [汽車旅2005]

2005年8月5日(金曜日)、品川から臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行き(5号車指定席モハ189-38)へ。この電車の喫煙車に乗るのは初めてだ(空気が全然違う)。

なぜか寝台急行〈銀河〉大阪行きが遅れていたが、こちらは定刻通りの発車。

ところが、翌日(2005年8月6日)の小田原でアクシデントが発生!!

それは他線のダイヤ乱れにより、乗り遅れ客がいたため、211系(113系転用車つき)の普通電車小田原行き終電で追跡し、1時25分まで停車となったのだ。んまぁー、静岡県内の駅で停車時間をたっぷりとっているので、あわてる必要はない。

熱海では伊豆急行電鉄200系(元113系)が寝泊まり。東京急行電鉄8000系の移籍により、短命となるが、個人的にはJR東海の117系シリーズに白羽の矢をたてて欲しかった(ちなみにJR西日本の117系シリーズは福知山線の運用がなくなったという)。

余談だが、私の隣席は静岡県内の駅まで、誰も坐らなかった(気がついたら、オバサンが乗ってきた)。また、JR東海のイキなはからいか、一部区間は消灯していた。



終点大垣で普通電車(高槻-明石間は快速)姫路行き(1号車クハ222-2033:弱冷車)に乗り換え。JR東海で“アーバンネットワークの天敵”に乗るのは初めてだ。会社が違うせいか、補助椅子は使えない。

運転士は3人乗務し、立ちんぼの2人も指差し確認をおこたらず、バラエティー番組で流したら、笑いをとるだろう(左から右へ流れるようにやっていたから)。

関ケ原-柏原間はカーブが多いものの、護輪軌乗を敷いているので、安心して電車に乗れる。

いつのまにか町から市に格上げし、半自動ドア扱いの米原で、新快速姫路方面播州赤穂行き(11号車サハ223-2011)に乗り換え。

2005年4月25日(月曜日)に発生した福知山線塚口-尼崎間の脱線衝突事故後、初めてJR西日本を利用するが、気のせいか、車掌(乗務していた車掌は20代前半)の客室出入り時に行なう一礼はいつもより、深々と頭を下げていた。

旅人として、JR西日本は欠かせない存在。信頼していることに変わりはないが、個人的に身が引き締まる思いがする。

“アーバンネットワークの天敵”には網棚(パイプだけど…)の上には広告があり、仲間由紀恵と竹内結子は健在也。ちなみに竹内結子は『あぶない刑事フォーエヴァーTVスペシャル'98』に出演していた(私は「この役者はイケる」と思ったら、大当たり。これは高島礼子、渡部篤郎以来、3人目)。

三ノ宮到着目前で遠目から新神戸駅を見つけた。意外と近そうな感じを受けるが、これならば“駅名を「新三ノ宮」にしてもよかったのでは?”と思った。定着している以上、改称はムリだろうが…

そのまま姫路へ向かいたいところたが、加古川で普通電車姫路行き(5号車モハ221-4)に乗り換え。“アーバンネットワークのエース”でなければ乗り換えない。

ひめじ別所という聞き慣れない駅名は貨物基地のそばに設けた新駅。スルスルーッと“怪物”500系の〈のぞみ1号〉博多行きが抜き去る。ちなみに〈のぞみ1号〉博多行きは前夜、東京に回送され、寝泊まりしたあとに運行している。



終点姫路に到着すると、先ほどまで乗っていた新快速播州赤穂行きが待っていた。但し、ここで下車。

余談だが、この汽車旅の翌日は西明石駅付近の川崎重工明石工場内の工事現場で発見された不発弾処理を行なうため、須磨-西明石間が9時30分から12時30分までの予定で、運転をとりやめ、振替輸送を実施する(青春18きっぷで振替輸送ができないのは疑問)。また、例の事故のお詫びも2005年8月1日(月曜日)に更新した。

“「江戸城」という名の姫路城”近辺を歩き、姫路駅前のローソンはファミリーマートに衣替えしていた。



姫新線の各駅停車佐用行きワンマン列車(キハ47 1053:体質改善車)に乗り、逆向きに坐っていた70歳前後の男性は播磨新宮からの車窓をオススメされる(私をカメラマンとカン違いされた)。

車中で70歳前後の男性は政治(小泉批判がメイン)とヒマラヤの話についていくのが大変だったが、千本で下車した。

終点佐用に到着。2003年8月に智頭急行を利用した時はFOMA圏外だった。


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