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2004年の汽車旅5−4 [汽車旅2004]
2004年8月24日(火曜日)、美栄橋から那覇空港行き(1104:ワンマン)へ。
終点那覇空港で下車し、この日は14日前にオープンした『ゆいレール展示館』へ足を運ぶも、本社内にあるので、オドオドしながら入る。
やっとこさ到着し、入館者名簿に記入。ちなみに前日は10人ほど入った。交通博物館(2006年5月でフォーエヴァー)なみの知名度がないためであろう。
意外と本土の鉄道関連コーナーが多かったが、それなりに楽しめる。本土復帰の願いが込められ、その後、かなう原動力となる寝台特急〈なは〉が紹介された。当時は新大阪-西鹿児島間を走っていたが、今は京都-熊本間に縮小され、那覇は遠くなりにけり……(おまけに那覇へのフェリーにも接続していなかった。なお、西鹿児島は2004年3月13日に「鹿児島中央」に改称)
余談だが、2003年8月10日(日曜日)から1年間の利用客は1102萬3921人で、1日平均3萬120人だという(琉球新報ホームページhttp://ryukyushimpo.jp/による)。
那覇空港に戻り、3階の搭乗手続きを下見。琉球離島の便は欠航している。
ゆいレール首里行き(1210:ワンマン)へ。那覇空港は観光客中心だが、しだいに地元客が乗って、混雑が増してきた。
市立病院前で下車し、徒歩4分の首里末吉郵便局で旅行貯金。 首里行き(1107:ワンマン)に乗り、儀保で下車し、徒歩5分の首里平良郵便局で旅行貯金。
ゆいレール全駅乗降を果たし、首里行き(1209:ワンマン)へ。終点首里で下車する。
ゆいレールの駅名盤は色分けされており、那覇空港―小禄間は青色、奥武山公園―旭橋間は緑色、県庁前―牧志間はおうど色、安里―古島間は茶色、市立病院前―首里間は朱色である。
首里駅から徒歩3分の首里汀良郵便局(Shuri-Tera Postoffice)、徒歩8分の首里当蔵郵便局で旅行貯金を果たし、泡盛を試飲。眠気の脳が一気に“爆発”し、目が覚めた。
首里に戻り、那覇空港行き(1109:ワンマン)へ。首里から古島まで、遠くからの“東シナ海オーシャンショー”を楽しんだ。
牧志で下車し、おやつの時間帯にゴーヤーチャンプルーで遅い昼食。そのあと、成人式でよく荒れる舞台、国際通りを歩いた。
ゆいレール県庁前から那覇空港行き(1105:ワンマン)に乗り、壺川で下車し、那覇中央郵便局へ。
情けないことに軍資金不足のため、おカネを引き出すヘマをしでかし、首里行き(1207:ワンマン)に乗り、安里で下車。
歩いて農連市場、第一牧志公設市場へ寄り、宿に戻った。
次の日、帰京するが、羽田空港行きのヒコーキは運航するのか、搭乗手続きが無事にできるかどうかなど、まだまだ気が抜けない。
◆沖縄都市モノレールホームページ…http://yui-rail.co.jp
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