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交通博物館フォーエヴァー [汽車旅2006番外編]

2006年5月13日(土曜日)正午過ぎ、涙雨が降りしきる中、多くのレールファン、カップル、家族連れなどが神田、秋葉原、御茶ノ水、新御茶ノ水、小川町(Ogawamachi)、淡路町(Awajicho)が最寄り駅の交通博物館http://www.kouhaku.or.jpに集結していた。

入場券うりばは国鉄の券売機を彷彿させるが、臨時コーナーで現金310円を支払う。

大混雑の館内は迷子の御案内が多く、朝ラッシュさながらの混雑ぶりだ。

ガラスばりの模型運転運転場は国鉄とJRの車両があちこちに散らばり、まさにオールスター大集合。背景には高層ビル、山、城、観覧車があるものの、海があれば完ペキだったかも…

照明を朝焼けに設定して、信号機も点灯し、いよいよスタート!!

まず先陣を切ったのは中央本線201系。オレンジのボディーは201系のイメージカラー。そして、ささやかな設置されている液晶テレビでは前面展望を生中継している。

このあと、山手線E231系500番台、埼京線205系、常磐線E531系が次々に目覚める。

特急<スーパービュー踊り子>の251系はリニューアル塗装で登場し、埼京線と相互直通運転をしている東京臨海高速鉄道臨海副都心線70-000系も登場。更にE257系の特急<あずさ>、京浜東北線209系、JR貨物M250系(貨物電車で、『スーパーレールカーゴ』と呼ばれる)、特急<スーパーひたち>の651系も駆け抜ける。

夕焼けとなり、JR西日本・JR東海が共同開発した285系7両の臨時寝台特急<サンライズゆめ>(とみなさざるえない)、寝台特急<カシオペア>のE26系という“JR世代の夜汽車”が夢の共演。

すっかり暗くなり、ドラマは翌日へ(2006年5月14日のことではありませんよ)。

北越急行681系2000番台の特急<はくたか>、新幹線は<はやて・こまち>(ちなみに前者はE2系1000番台)、(ちなみに前者はE4系、後者はE3系1000番台)、JR西日本の“怪物”500系<のぞみ>も舞った。

動かなかったものの、他に0系(今ではJR西日本の<こだま>専用となり、オリジナルカラーが“ハイ、消えた”)、24系25形、キハ110系、165系(2003年にフォーエヴァー)などもあり、約25分で“夢のオールスター大集合共演”は好評のうちに幕を閉じた。

大盛況の館内では運転コーナーが最大2時間待ち。家族写真以外は撮影許可がない限り、そのような行為は禁止なのだが、そうとも知らずに没頭する人も多いものの、とがめられることはない。ちなみに名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)は撮影禁止なのだという(許可されたら、腕章をつけることが義務づけられているようだ)。

1階の休憩コーナーでは万世橋の“ちょっとだけよ”公開があり、昭和とローカル線を合わせたような雰囲気のする階段を撮る人も多かった。

交通博物館は初代鉄道博物館として、大正10年(1921年)、東京の高架下にオープン。昭和11年(1936年)、万世橋に移転して、併設されていたが、秋葉原の開業や戦争激化のため、駅としての役目を終えざるえなかった。ちなみに平成7年(1995年)秋、『風の刑事東京発!』で、主演の柴田恭兵が万世橋のホームに立っている。

その後、昭和21年(1946年)に交通文化博物館、昭和23年(1948年)に交通博物館と2度も改名して、現在に至る。

さて、エスカレーターやエレベーターがないため、やむなく階段へ。2階は連絡船、バス、自動車のコーナーで、三輪駆動車の展示に「懐かしいー」と言いそうになった。幼少の頃、“ヘンなクルマだな”と強烈なインパクトが忘れられず、鮮明に思い出した。

3階は土休公開の映画ホールと航空機が中心。4階は<こだま>食堂で、在来線電車特急時代の食堂車を4階に設置。カレー中心で、お値段はいささか高め。そして、休日のみ開館の図書室を過ぎると、屋上。万世橋を通過する中央本線201系を見下ろす。

別館は幼児向けの遊び場で、のりものおもちゃが中心。また、休憩コーナーではサンドイッチを600円で販売していた。

階段を下りると、『開拓使』という名の客車、『弁慶号』『善光号』という名のSLを展示していた。

交通博物館という名の通り、鉄道を中心に様々なのりものを展示し、紹介していたが、2006年5月14日(日曜日)で、上野セントラル(松竹系の映画館)と共に幕を閉じる。

そして、2007年10月14日(日曜日・鉄道の日)、埼玉新都市交通伊奈線“ニューシャトル”大成駅(Ohnari Sta)最寄りの2代目鉄道博物館http://www.railway-museum.jp/として、新たなスタートを切る。交通博物館の展示物は新たな地でも健在であろう。

さて、“家族写真以外は撮影に許可がいる”ことから、掲載する画像は“無許可でも撮れる”0系で御勘弁を(2006年5月12日撮影)。

◆追記

2006年5月14日(日曜日)、中には入らなかったものの、交通博物館へ寄った。前日よりお客は多く、休業のガソリンスタンドはベビーカーおきばになるなど、相当にぎわった模様。

ニュースで見たが、19時過ぎまでかなり人が集中していたようだ。

2006年5月16日(火曜日)の夜、閉館後、初めて交通博物館に寄ったが、0系とSLは鉄柵に囲われていた。2代目鉄道博物館に移籍して、“まだまだ”展示物のエースで輝くと信じたい。


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ひでくん

行かれたのですね。
閉館の模様をTVのニュースで見て、
惜しいと感じてしまったオイラ。
そう思ったら、もう始まり?ですかね?
さて、何にでしょうか!?
続きはこちらで。
http://blog.so-net.ne.jp/hideki_shino/2006-05-18
でも、悪くないなぁ、と思えるお年頃かな。
by ひでくん (2006-05-18 23:44) 

岸田法眼

どうもありがとうございます。
万世橋の見学はすでに“満席”になったため、できなかったのは残念ですが、交通博物館周辺の普段は中央線の轟音以外、静かなところなんですよ。

このあと、そちらへまいりまーす。
by 岸田法眼 (2006-05-19 19:03) 

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