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2002年の汽車旅1-2 [汽車旅2002]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

新所原郵便局で旅行貯金したあと、JR東海の東海道本線の新快速米原行き(モハ313-10)へ。4両編成の車内は大入りで坐れそうもない。普通電車じゃないから、なおさらだ。

予想通り、豊橋で降りる人は少なく、乗る人が多かった。6両編成なら、全員着席できただろう。昭和61年(1986年)11月1日(土曜日)、国鉄最後のダイヤ改正で6両編成から4両編成に減車されたが、増発だけでカバーするにはムリがあろう(長年の不満は2006年10月1日、6両編成となった313系5000番台の投入で、ほぼ解消された)。

東海地方の雪はすっかりとけていた。前日(2002年1月3日)は激務だったのか、乗車している車両のガラスは汚れている部分があった。特にステンレス車体は。

蒲郡で下車し、郵便局を探そう。快速系電車が停まる駅なのだから、近くに郵便局があるはず。

ところが、下車したところは名古屋鉄道蒲郡線側の出口。地図はどっこにもない!! やむなく、地下道を通って、北口へまわると、地図はあった、あった。

近くにあることがわかったものの、今度は探すのに難航してしまい、時間をくったが、蒲郡駅前郵便局で旅行貯金をすることができた。

旅行貯金難航のおかげで、快速米原行きには乗れず、新快速米原行きに。ところが、米原行きの新快速は2本続くことが判明。あきらめていた名古屋のきしめんが食える。15分以内にズズズとづづれるもーん。

新快速米原行き(モハ313-14)は黄昏になりつつある東海道本線をブッ飛ばす。坐れないので、ドア付近にあるクッションパネルにもたれるが、当て心地はJR西日本221系・223系シリーズよりイイ。位置が腰の部分に直接当たるからだ。

安城を発車すると、前日の大雪は完全にとけ切っておらず、残雪。学校のグラウンドは除雪作業をしていないから、銀世界。

愛知県名古屋の雪景色は見ていて新鮮。まさか、今回の旅で白銀の世界を体験するとは思っても見なかった。

金山では、お客のけっこうな入れ替えがあり、新快速米原行きは名古屋6番線に到着し、降りる。もちろん、きっしめーん!! それ以外になにがあるの?

「ミソカツ、きしめんパイ」

と返す人もいるんだろうねぇー。

金山寄りの『名代きしめん』へ。正月ということもあってか、もち入りきしめんを注文。もちは電子レンジで2~3分温めたものだが、うまい。新春の時期は“お雑煮”の代わりにもなるだろう。

食後、新快速米原行き(クハ310-15)へ。311系なのは意外である。

けっこう混んでいて、尾張一宮まで身動きがとれない状況。

その尾張一宮に到着すると、向かいのホームにキハ85系が停まっていた。なんと、エル特急<(ワイドビュー)ひだ15号>高山行きは、鷹山本線で倒木があった影響で、ストップされているのだ。更に大垣では通過するはずのエル特急<(ワイドビュー)しなの18号>大阪行きが隣りのホームで足止め。この先、なんかイヤな予感。

それがドンピシャに当たり、関ケ原で付近で足止めをくらい、定刻より、9分遅れで到着。“関ケ原の戦い”はまだ続いている。ここでは除雪車がお出迎え。

関ケ原を慎重に発車し、スピード控えめみたいな感じで走る。

醒ヶ井(Samegai)を発車して、ラストスパート!! 雪道を蹴散らしながら、ブーンブン。9分遅れはすぐには回復しないが、かつては新快速として、名をはせていた311系の意地を見せないと。

結局、遅れは回復することなく、18時16分、終点米原2番のりばに到着した。

向かいの3番のりばにはJR西日本の新快速姫路方面播州赤穂行きが4両で止まっている。4両編成で京都・大阪へ向かうはずがなく、ほどなくして、長浜からの新快速が8両で到着し、ここでドッキングする。

8両編成は長浜発車時、1~8号車、姫路方面播州赤穂行きと表示されていたが、米原から5~12号車、姫路止まりに変わる。起点の長浜から、5~12号車、姫路止まりにすればいいのに。

2番のりばでは先ほど乗った311系の新快速が大垣方にある留置線へ引き上げたあと、遅れていたエル特急<(ワイドビュー)しなの18号>大阪行きが到着。先に発車させたいところだが、ここから先はJR西日本。アーバンネットワーク、力の象徴(アメリカだと、「国防総省」に相当する)、新快速姫路方面播州赤穂行き(1号車クハ222-2003:弱冷車)を定刻通りに発車させ、エル特急<(ワイドビュー)しなの18号>大阪行きはあとから発車することになった。

新快速の主力、223系2000番台は平成11年(1999年)の入団時、カーテンはついていなかったが、2001年夏の猛暑で、苦情が殺到したため、急きょ取りつけた。

能登川を発車すると、いつのまにか雪が消えたものの、一部のドア上にある情報案内装置の誤表記が気になる。

「この電車は、新快速、1号車から4号車は播州赤穂行き、5号車から12号車までは播州赤穂行き お乗り間違いのないよう、ご注意ください。」

なんとかならないか!!(その後、修正)

草津を発車すると、複々線の内側に入る。普段もこの便は京都まで内側走行なのかは知らないが、石山に到着すると、エル特急<(ワイドビュー)しなの18号>大阪行きに抜かれた。新快速がエル特急に抜かれるのは妙な感じを受ける。

ところが、京都を目前に新快速姫路方面播州赤穂行きはエル特急<(ワイドビュー)しなの18号>大阪行きを抜き去ったのである。リベンジは予想もしていなかった。よって、新快速姫路方面播州赤穂行きが京都へ先着したことになる。

京都を発車するのは19時17分だが、信号が青にならない!! 今度はエル特急<(ワイドビュー)しなの18号>大阪行きが先に発車。特急料金全額払い戻しを避けたいらしい。

定刻より2分遅れて、19時19分に発車。さぁー、遅れを取り戻したいところだが、進行方向左側から東海道新幹線300系の<ひかり>新大阪行きがあれよあれよのうちに新快速姫路方面播州赤穂行きを抜いていた。この日の東海道新幹線は正常ダイヤでもなかった模様(なので、<ひかり>何号なのかはわからない)。

進行方向右側から、関空特急<はるか55号>関西空港行きをバッサリ抜いて、回復運転に努める。

京都から複々線の外側に入り、猛追する新快速姫路方面播州赤穂行きだが、飛ばし過ぎてまさかの失速。進行方向右側からやって来た阪急電鉄京都本線の快速急行梅田行きに抜かれそうになる不覚をとった。

山崎-高槻間は本来の力が出せずじまいになるのかと思ったら、最後は意地を見せた。ダイヤが遅れていなければ、221系の快速(明石から普通電車。どこ行きなのかは失念)を止まらせることはなかった。

19時32分に高槻を発車し、かつてない激走ぶり。新大阪には19時42分に到着し19時43分に発車。大阪3番のりばに着いたのは19時47分で、19時48分にあわただしく発車したものの、遅れを回復することはできなかった(当時、余裕時分なしのダイヤ構成だったと思われる)。ちなみに向かいの4番のりばにはエル特急<(ワイドビュー)しなの18号>の回送が止まっていた。

大阪で下車。食後、大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線梅田へゆき、天王寺行き(1805:リニューアル車)に乗る。

大阪きっての過密通勤路線だが、カーブの多さは改めて、驚く。ちなみにどちらとも、梅田-なんば間はいつもにぎわっている。

なんばを過ぎ、大国町は四つ橋線住之江公園行きと同時に到着。同一ホームで乗り換えられる地下鉄の駅は帝都高速度交通営団(2004年4月1日から「東京地下鉄」に改称)の赤坂見附、中野坂上ぐらいだろう。

終点天王寺で谷町線大日行き(For Dainichi.2933)に乗り換え。

20系のロングシートはオリジナルの金茶色を保っていたので、オールドファンにとっては嬉しかろう(シートモケットは2005年にChangeした可能性が高い)。但し、車体側面の帯がオリジナルではない。

なお、谷町線20系は2005年に中央線へ移籍。代わりに24系7編成と大阪港トランスポートシステムのOTS系全車が転入し、いずれも22系に編入された。また、大阪港トランスポートシステムは2005年7月1日(金曜日)から大阪市交通局に路線を譲渡している。

谷町九丁目で千日前線南巽行き(For South Tatsumi.25605)に乗り換え。ホームは8両編成に対応しているが、実際は4両編成で運行。ワンマン運転の対象にされかねない路線だ。また、増結用ホームにはサクを立てて、立ち入り禁止となっている。もったいないような気もするが、これ以上の輸送力は見込めないということでもある。

電車は終点南巽に到着し、千日前線全線完乗を達成した。地下鉄は地上を走る路線が限られているので、車窓にこだわる方にとっては、夜でも妥協できる。

折り返し、野田阪神行き(25105)に乗り、鶴橋でJR西日本大阪環状線の各駅停車ユニバーサルシティ方面桜島行き(サハ102-3:リニューアル車)に乗り換える。

大阪に到着すると、東海道本線221系の快速(京都から普通電車)米原行き(①大阪-新大阪間は5号車モハ221-59②新大阪-京都間は6号車クモハ221-59)が到着していた。大急ぎで乗り換える(画像は茨木停車中に撮影)。

京都に到着。下りホームにまわり、臨時快速<ムーンライト山陽・ムーンライト高知・ムーンライト松山>下関・高知・松山行き(1号車指定席オハフ15 202:臨時快速<ムーンライト山陽>下関行きに乗車。一部サロン室)へ。

臨時快速<ムーンライト山陽>はシュプール用の客車を使っており、明るい塗装が目立つが、ほかは寝台車のないブルーの車体で、見た目の落差が激しかった。

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コメント 2

住吉人

岸田法眼様、こんばんは。

223系2000番台のカーテン無しには参りました。
日差しが暑いのもありますが、ガラスに細工しても太陽光は眩しいのは「まぶしい」為、苦情が殺到したのです。
車内で「これ(この車両は)カーテン無いやんか!」と言うような言葉やしぐさがよく見ました。

大阪港トランスポートシステムは、第三種鉄道事業としては存続しています。 大阪市交通局が第二種鉄道事業として運営しています。
上下分離の方法ですね。
この方法は、JR東西線がそうですね。 JR西日本が第二種、関西高速鉄道が第三種。

谷町線の20系アルミ車は、中央線へ移動して車種統一された感じがします。 
谷町線での通勤時代は、GTO装置などのメーカーにより3種類の音が聞けました。31~33、34~36、37~39で若干の異音でした。
by 住吉人 (2007-02-03 21:34) 

岸田法眼

住吉人さん、こんばんは。いつもありがとうございます。

223系2000番台のガラスは当初、「日差しカット58%のガラスを使用しております」と貼っていましたが、カーテンの取りつけで見られなくなりましたね。また、2003年からはグリーンガラスを採用しており、明らかに増備車両だということがわかります。

大阪港トランスポートシステムの鉄道事業存続は知っていますが、利用客には鉄道事業を説明しても、おそらく理解しづらいでしょうから、そのように述べています。大阪市交通局の運賃となったため、行きやすくなっていると思いますが、人が少ないのは意外です。

余談ですが、大阪港トランスポートシステムについてはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%B8%AF%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0にクリックしていただければ、さいわいです。

谷町線時代の20系の音を編成で見破れるとは、ツウですね。当時のVVVFインバータは出だしの音に特長があり、まさか技術開発の進歩により、普及するとは思ってもみませんでしたが、東急2000系は大げさに聞こえます。
by 岸田法眼 (2007-02-03 22:58) 

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