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2002年の汽車旅3(加越能鉄道フォーエヴァー) [汽車旅2002]

2002年3月8日(金曜日)19時過ぎ、JR東日本品川へ。臨時ホーム7番線で、東海道本線の臨時普通電車(小田原から臨時快速)大垣行き(1号車クハ167-18:リニューアル車)を待っていると、伊豆急行のリゾート21EXが到着した。臨時特急<踊り子観桜>に使われるらしい。リゾート21シリーズの一部は普通電車から特急まで幅広くこなす。

当時、私の体調はここ数日おかしく、スケジュールの都合で、この日でないとダメだったため、強行の旅立ちである。

2002年3月9日(土曜日)、JR東海に入った臨時快速は5時55分、終点大垣に到着し、普通電車(高槻-明石間は快速)姫路行き(クハ111-5256:リニューアル車)に乗り換え、JR西日本米原へ。いつもなら、ここで新快速姫路行きに乗り換えているが、この日は北へ針路を変える。新快速姫路行きを見送るのは奇妙な光景に思えた。

北陸本線の普通電車金沢行き(クモハ475-41:近郊形改造車)に乗り換えるが、車両は30年以上も活躍する急行形電車を近郊形改造した車両だったが、先頭車に掲げていた『TOWNトレイン』のヘッドマークが外れていた。英単語と車両がマッチしなくなったのだろう。

JR西日本は古い国鉄産車両を大切にしているように思える部分もあるが、おカネがないという悲しい現実もあるようだ。アーバンネットワークは“ホットな車両”で、私鉄にお客が流れないようにしているが、競合しないところはクールな車両で、ひたすら走り続ける。しかし、特急は新型車両(683系やキハ187系)を投入して、サービスの改善をはかっている。例えば、エル特急<しらさぎ><加越>は2003年秋までに683系2000番台にチェンジしている(その後、エル特急<加越>はフォーエヴァー)。

普通電車金沢行きは発車するも、体調の悪さは相変わらずで、福井県に入ったあたりから、終点金沢到着時まで寝ていた。あわてて、普通電車富山行きに乗り換えようと、コンコースへ直行するも、なんと米原から乗っている普通電車はそのまま富山へ向かうのである。だったら、米原発富山行きの普通電車として、運行して欲しいもの。わかりづらい。

普通電車富山行き(クモハ475-41:近郊形改造車)でも、高岡到着寸前まで寝ていた。体はフラフラで苦痛。強行で旅立つことを決めたのは2002年3月31日(日曜日)で加越能鉄道がフォーエヴァーになるからである。この日しかスケジュールが取れなかったのだ。

高岡軌道線高岡駅前電停へ向かい、越ノ潟行きワンマンカー(7061)に乗り、発車。利用客が少なけりゃ、並走するクルマも少ないなど、街はさびしく、そこに路面電車が走るのは異様な光景に思える。

途中の六渡寺(Rokudohji)で、新湊港線(Shin-Minatokoh Line)に入り、気づいたら、道路を離れ、終点越ノ潟に到着しようとしていた。

終点越ノ潟に到着。高岡軌道線、新湊港線は“万葉線”という、路線愛称があり、全線完乗を達成!! 乗ったというよりも、“運ばれた”という感じだった。何度も書くが、体の具合がよくないんだもーん。

なお、2002年4月1日(月曜日)から第3セクター、万葉線株式会社に転換した。車両は継承されたが、2003年に『アイトラム』が入団し、万葉線株式会社のエースとなっている(旧型車両が多いが)。

高岡駅前行きワンマンカーで折り返すが、全区間の半分以上は寝ていた。体が朦朧(Mohroh)となり、横になりたくなるが、コラえざるえない。

JR西日本氷見線、城端線に乗っている余裕はなく、またの機会となるが、北陸地方は未乗車の鉄道が多く、完全制覇まで時間がかかりそうである。1~2泊は必要と考えなくてはならないだろう。

ここからは帰路へ。北陸本線の特急<はくたか11号>越後湯沢行きに乗りたい心境だが、おカネはなく、体調は悪化しているため、撮影しようという気が起こらない。ちなみにこの便は残り数日で御役御免のJR西日本485系だった。JR西日本485系の特急<はくたか>は1枚も撮ることなくTHE END。

普通電車富山行き(クモハ413-8)に乗り、終点で“リストラ電車”こと、419系の普通電車直江津行き(クモハ419-5)に乗り換える。

419系は腐らず頑張っているが、“『TOWNトレイン』廃業”で、フェイスに違和感を持つ(画像は終点直江津で撮影)。

終点直江津で普通電車越後湯沢行きワンマンカー(HK100-7:JR線内通過)に乗り換える。

犀潟(Saigata)から第3セクター、北越急行ほくほく線に入り、六日町からJR東日本上越線にワープし、終点越後湯沢に到着。

下車して、晩メシを購入したあと、普通電車水上行き終電(クハ115-1015:通常は越後中里止まり)へ。延長運転のおかげで、普通電車高崎行き(モハ114-1091)、高崎線の普通電車上野行き(クハE230-8004:セミクロスシート)に乗り継ぐことができたが、車中ではうなりたくなるぐらい、しんどく、帰宅して体温計をはかったら、なんと38度いう高熱だった(奇跡的に月曜日の朝まで全快した。ちなみに画像は越後中里で撮影)。

★備考

①加越能鉄道について、くわしくお知りになりたい方はこちらにクリックして下さい。

②第3セクター、万葉線株式会社に乗車したルポ、「2006年の汽車旅8-中編-」も合わせて御覧下さい。 

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オーミヤ

583系改造の419系ですか・・・。平面のほうは食パンとも呼ばれており元々特急車両だったのに突如として普通列車に格下げされてしまうのもなんかよい感じがしませんね。
by オーミヤ (2007-02-23 16:39) 

岸田法眼

583系があり余ってしまったため、国鉄の財政難をしのぐべく、誕生したのが近郊形改造車なワケです。

今は北陸本線が最後の活躍舞台ですが、網棚に吊り革がぶら下がっているなど、苦心のレイアウトですよ。なんせ、天井が高いですからねぇー。
by 岸田法眼 (2007-02-23 21:16) 

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