SSブログ
『波瀾万丈の車両』、2018年9月7日(金曜日)発売!!

拙著『波瀾万丈の車両』(アルファベータブックス刊)、発売中!! くわしくは、こちらへ

東武鉄道大追跡 カバー.jpg

拙著『東武鉄道大追跡』(アルファベータブックス刊)、2021年2月9日(火曜日)発売!! くわしくは、こちらへ

『大阪の地下鉄大研究』表紙

拙著『大阪の地下鉄大研究』(天夢人刊)、2023年10月3日(火曜日)発売!! くわしくは、こちらへ


●お問い合わせ、御依頼はこちらへ。
     

・Railway Blogのコメント、トラックバック承認制になっておりますので、御了承願います。

・Railway Blogに掲載されている本文、画像などの著作権は、各国の著作権法、各種条約及び、その他の法律で保護されています。これらのデータなどについて、私的使用、その他、法律で明示されている範囲を超えて、許可なく引用、複製、改編、転用、電磁的加工、送信、頒布、二次使用するなどの一切の行為は禁止しております。著作権法に関係なく、ルール、マナー、エチケットをすべて守っていただきますよう、お願いいたします(該当する行為があった場合、当方の顧問弁護士より、賠償金を請求させていただきます。必ずお支払いください)。また、新聞、雑誌など、各種メディア関係者で本文や画像の利用等を希望される場合は、お問い合わせフォームを御利用ください(原則として、本文や画像は有償とさせていただきます)。

2007年の汽車旅3-3 [汽車旅2007]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

JR西日本関西本線JR難波からなんばウォーク経由で徒歩6分、大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線[なんば駅(M20)]に乗り換え。ホームに着いた時、10系リニューアル車(第6編成)の千里中央行きが発車した。運が悪い時は天敵21系が続くのがパターンとなっており、その通りの展開となってしまう(JR難波より、天王寺で乗り換えたほうが早い)。

関西の旅になると車両にこだわることが多く、大阪市営地下鉄だと“新20系”は第3軌条各線に投入しているため、御堂筋線は10系、中央線は20系にこだわるが、谷町線は30系が専用で残っているものの、こだわっていない。昔、30系は第3軌条各線に投入されていたためであろう(意外にも谷町線で22系に乗ったことはない)。また、JR西日本だと223系1000・2000番台の快速や普通電車に乗ることをちゅうちょすることがある。新快速は迷わずに乗るが、個人的にアーバンネットワークのエースは221系で、魅力は223系シリーズよりも断然上だからである。

中津行きは21系で、次の千里中央行きは北大阪急行電鉄(次からは「北急」と略す)8000系“ポールスター号”だが、基本的に御堂筋線を1日2回以上、利用する時しか乗らないことにしているため、残念だけどパス。後続の新大阪行き(10号車1115:リニューアル車)に乗り、17時34分に発車する。

梅田(M16)で立客はいなくなり、中津を発車して地上にあがると、空はグレーになっていた。この日はあいにくの雨で、もうおてんとうさまは沈んだことであろう。ネオンが輝きを魅せている。

「この電車は次の新大阪までです」

「終点」という言葉を使わない“独特の手法”で新大阪(M13)に到着。今回は2001年10月以来となる新大阪以北の乗車をするため、一旦待つ。

いったい、何分待ったのかは忘れたが、ようやく10系の千里中央行き(10号車1104)が到着。なんと、関西のレールファンが撮影のターゲットにしている10系第4編成である。

10系第4編成の利用は2002年4月7日(日曜日)以来となるが、先頭10号車のフェイスは白と赤の部分がボロボロ。このままの状態で走らせる姿勢に怒りを感じる。常に綺麗な状態でお客様を迎えるべきではないのか(下の画像は2002年4月7日に利用した10系第4編成)。

 

「ハァーン」

ドアが閉まり、電気笛のタイフォンが鳴り響く。10系増備の末期やリニューアル車はタイフォンを空気笛に変えているため、しっくりこないが、電気笛の雄たけび高らかに18時03分に発車した。

御堂筋線の地上区間は高速道路のように思えるが、実は一般道路の新御堂筋を両サイドと並走しているものの、高架を一段高く登り、留置線に止まっている10系ラストナンバー車を見下ろしながら走る。新大阪から先になると、御堂筋線は1段高く走っているような感じである。

すぐ先にある東三国(M12)で10号車はたちまちガラガラとなり、座席をGET。増備の末期からシートモケットはオレンジっぽい感じだったが、平成の世になってから着席区分をつけた以外はオリジナルの金茶色を堅持しているようだ。

御存知のように10系第4編成はリニューアル車の対象から外れており、オリジナルのまま廃車になるとウワサされている。10系第4編成もリニューアルして、21系ラストナンバー車を2編成に分割。中間車だけとなった4両に先頭車を新製し、谷町線に22系として移籍。経年の高い30系2編成を置き換えたほうがよさそうにも思える。また、10系第4編成は廃車せずに予備車両として残し、万全磐石の運行態勢にすべきだが、かつて、新製から9年しかたっていない30系先頭車をこっぱみじんに斬り捨てた経歴があるため、残念な結果になることが予想される。せめて、浅香中央公園(我孫子検車場跡地)に上屋をつけて、“里帰り”させて欲しいなとも思う。

30系の場合、アルミとステンレスの2種類あったため、混結を嫌ったのであろう。もし、どちらかに統一していたら、9年廃車というのはなかったと思う。

さて、10系は第3軌条車両では初の冷房車で、その功績は国民栄誉賞に匹敵すると思うが、試作車は当初、非冷房車(1977年に1両だけ試験設置された)だったせいか、鉄道友の会ブルーリボン賞orローレル賞などといった受賞歴がないのは残念なところである。

画像を見ればおわかりだと思うが、第3軌条車両はトンネル断面が架線車両に比べてサイズがちょっと小さいため、車端部にある冷房装置は天井が低くなっている。そのためか10系オリジナル車の車端部には照明を1つ増やして暗さを感じさせないようにしているが、リニューアル車では情報案内装置設置のため、撤去。その代わり、明るい化粧板にChangeした。

私が思うにはオリジナルの化粧板は昭和50年代(1975年から1984年まで)の雰囲気が色濃く残る。この当時は暖色系が流行し、国鉄201系も取り入れたが、10系リニューアル車の化粧板は寒色系のような感じである。

江坂(M11)で乗務員が交代して、ここから先は北急南北線へ。北急は2001年10月以来の利用で、しかも乗った車両は10系第4編成であった。

発車時と到着時にタイフォンを鳴らさないのは意外だったが、終点千里中央(M08)まで2回鳴らした。ちなみに北急の自動放送(声は大阪市営地下鉄と同一人物)では「この電車は次の千里中央までです」と言うかと思ったが、「まもなく、終点千里中央」と案内していた。そして、地下へもぐると、『鉄道ダイヤ情報2007年3月号』で掲載していた東西線廃線跡を確認することができた。

平成初期、北急は箕面(Mino-o)まで延伸するウワサがあった。もし、実現していたら千里中央(M08)の次は北千里となり、阪急電鉄(次からは「阪急」と略す)千里線と競合するような展開になっていただろう。そして、箕面となると阪急箕面線・宝塚本線と競合することにもなり、梅田バトルが激化していたのかもしれない。しかし、北急は阪急グループの鉄道で、“共食い”になってしまうことや桃山台付近にある車両基地の容量不足(車両の増備が必要になる)、運賃が安いため(北急は全線乗っても120円で、区間利用は80・110円)、建設費用が捻出できなかったのだろう。北急の箕面延伸構想は消えた。

終点千里中央(M08)に到着。しばらく10系第4編成を眺めたあと、大阪高速鉄道大阪モノレール線(15)へ。こちらも2001年10月以来の利用だが、雨はやんでいた。

大阪モノレール線の千里中央(15)は雰囲気が変わり、10分100円インターネットでおなじみの『@station』の設置や有人改札は女性係員を配置したカウンター方式にリニューアルしていた。

この日、大阪モノレール線は車両故障があり、数分の遅れがあるという。私が乗る門真市行き(1131:ワンマン)は定刻通り、18時35分の発車だが、4両編成の車内は坐れない。また、1000系の30番台は転換クロスシート主体だが、ロングシートに改造。更に一部のドア上にはLCD(液晶モニター)2台による情報案内装置を装備(日本語、英語、韓国語の3か国語表示)。また、東武鉄道50050系と同様、停車中は5秒おきに「ポーン」と鳴り、ドアチャイムは阪急と同じタイプである。

大阪高速鉄道は平成2年(1990年)6月1日(金曜日)、千里中央-南茨木間が開業。このうち、千里中央-万博記念公園間は昭和45年(1970年)以来、20年ぶりに鉄道の運行が復活した。

以前、走っていたのは北急東西線であるが、万国博覧会期間中の限定運行で、なおかつ、阪急千里線と交差しても山田駅は作られなかった。

その後は中国自動車道の延伸に活用され、名神高速や近畿自動車道に直結して、日本の高速道路ネットワークは充実していったのである。ちなみに大阪モノレール線の下だが、外側は新御堂筋と同じ簡易高速道路的な役割を持つ一般道路の中央環状線、内側は中国自動車道となっている(大阪は“簡易高速道路の街”なのかもしれない)。

万博記念公園(17)で国際文化公園都市モノレール線彩都西行き(For Saito-West.2113:ワンマン)に乗り換え。国際文化公園都市モノレール線は平成10年(1998年)10月1日(木曜日)、万博記念公園-阪大病院前間が開業。モノレール初の分岐線ということで話題となったが、国際文化公園都市モノレール線は開業当初から「彩都線」と案内しているものの、車内や駅の放送で「彩都線」を耳にしたことがない。

さて、彩都西行き(ワンマン)は2・3番ホームからの発車となっており、2面3線の構造。乗り換えがしやすい構造になっている。

18時43分に発車し、車窓はすっかり暗くなり、進行方向右側はエキスポランド、進行方向左側は中国自動車道と中央環状線が光を彩る。

公園東口(51)はプロサッカーJリーグ、ガンバ大阪の本拠地である万博競技場の最寄り駅。試合のある日は臨時便も設定されるという。

発車すると、下にはヘンテコな一方通行で、JR西日本大阪環状線のような1周片道道路と並走し、別れると阪大病院前(52)へ。以前はここが終点で、阪大病院には郵便局があり、旅行貯金をしたことがある。

車内は大阪モノレール線とうって変わってガラガラだが、ここから先は2007年3月19日(月曜日)に延伸した区間をゆき、豊川(53)は下車客が多く、需要はあるようだ。

18時51分、終点彩都西(54)1番ホームに到着し、国際文化公園都市モノレール線全線完乗を達成した。

なお、行程の都合により、夜の全線完乗となったが、まだ全通していないことや、いずれ旅行貯金で訪れると見込んで妥協した。

1番ホームは降車専用で、全員の下車を確認すると、その先の留置線に入り、2番ホームからのモノレールが発車してから入線する仕組みになっている。また、新線区間はホームが4両編成分しかないため、停車中の撮影はしづらい。

このあとは万博記念公園行き(1105:ワンマン。夢塗装車)に乗る。1000系の開業初期車で、展望席以外はオールロングシート。阪急グリーンのシートモケットで、梅端本舗(Meitan Honpo)の夢塗装車だった。昼間は目立っても、夜はどうだろうか?

18時56分に発車し、万博記念公園では岡本太郎の名作、太陽の塔がライトアップされ、“春の嵐”と言いたげに花火を打ち上げていた。

終点万博記念公園(17)に到着し、大阪モノレール線の門真市行き(1121:夢塗装車)に乗り換え。今度はりそな銀行の夢塗装車だった。

JR西日本東海道本線茨木駅に近い宇野辺(18)で下車するが、モノレールを降りた時、ホームがモッコリしていることに気づいた。発車後にホームをくまなくみると、1100形と1600形の乗務員室寄りの乗車口は車椅子対応に改良されていた。あのモッコリはホームとモノレールの段差をなくして乗りやすくするための工夫だったのだ。車両の規格が統一されているからできるワザなのだろう。たいていの鉄道は渡り板を使って、段差をなくし、車椅子利用客を乗せている。

茨木駅に到着し、東海道本線へ。EF81 113(トワイライトカラー)で牽引する寝台特急〈日本海3号〉青森行きの通過を見届けたあと、快速(高槻から普通電車)米原行き(①茨木-高槻間は12号車クモハ223-2057②高槻-京都間は5号車クハ222-2057:弱冷車)へ。223系2000番台なのはシャクだが、仕方なく乗り、20時37分に発車。ちなみに高槻で新快速米原行きに乗り換えなかったのは12両すべての車番をチェックし切れなかったためである。221系とは違い、フォントが小さくてなおかつ、サハ223形2000番台が多いのだ。221系のほうがわかりやすくていい。また、221系の普通電車(明石-高槻・京都間は快速)米原行きはなぜか「京都方面米原」と表示している。

21時03分、京都2番のりばに到着し、遅い晩メシをとったあと、京都市交通局(京都市営地下鉄)烏丸線(Karasuma Line.K11)国際会館行きへ。21時43分に発車し、自動放送でも翌日の選挙投票案内を流していた。それも「ななじ(7時)」投票開始というJR西日本の区間快速JR難波行きと変わらぬ案内であった。

烏丸御池(Karasuma-Oike.K08)で東西線(T13)に乗り換えるが、六地蔵行き(ワンマン)は22時04分までなく、待ちくたびれる。地下鉄はほとんど地下を走っているため、昼に乗ろうが夜に乗ろうが、車窓はお決まりになっているので、気にならないものの、乗る時間が遅過ぎるのは己にムチを打って、より多くの路線を全線完乗しようという表れである?!

六地蔵行き(5604:ワンマン)が到着。リニアモーター駆動によるミニ地下鉄ではないが、少々小ぶり。これは車両規格を京阪電気鉄道京津線(Keishin Line)に合わせたものだが、ホームドアを採用しているため、安全性が大幅に向上(その分、撮影しづらい)。また、車両のドアチャイムはザツだが、ホームは琴の音色を採用したチャイムはいい。

御陵(Misasagi.T08)は下車客が多く、ここが京津線の始発駅。東西線の開業により、京津線の一部区間はフォーエヴァーとなっている。

山科(T07)で少し乗車率が回復したが、その後は減り、22時29分、終点六地蔵(T01)2番線に到着。この電車は折り返さず、留置(運転士は「留め置き」と案内)。行先案内では「留置」と「Breth」が交互に点灯していた。

これで東西線を全線完乗し、京都市営地下鉄完全制覇を果たしたかに思えるが、2008年1月の予定で、二条-天神川間が延伸されるため、暫定記録扱いである。

JR西日本奈良線22時39分発の各駅停車京都行き(クハ103-185:弱冷車。リニューアル車)に乗り換え。体質改善車ではない103系だが、JR西日本で103系に乗るのは珍しいことである。“アーバンネットワーク221系主義”の表れかもしれないが、この時間、奈良線は快速系の運行を終えている。

終点京都10番のりばに到着し、急ぎ5番のりばへまわり、普通電車(高槻-明石間は快速)姫路行き(1号車クハ221-69:弱冷車。大阪から女性運転士乗務)に乗り換え。221系なのはラッキーで、22時56分に発車する。

大阪到着前には保線作業員が白いライトを点灯させて、保線工事。大阪の改良工事が進んでいることを物語る光景だ。

大阪で一気に乗り込み、ラッシュのような雰囲気に。尼崎ではJR東西線から福知山線に直通する快速新三田行きに接続をとり、先に発車される。これは立花-甲子園口間の踏切で、クルマが立往生したためで、安全確認のため、2分遅れて尼崎を発車した。

 ★備考

①大阪市交通局ホームページはこちらにクリック!!

②住吉急行電鉄の日報「大阪市交10系VVVF車 整備中」はこちらにクリック!!

③住吉急行電鉄の日報「大阪市交通局10系」はこちらにクリック!!

④住吉急行電鉄の日報「浅香中央公園」はこちらにクリック!!

⑤住吉急行電鉄の日報「大阪市交10系第04編成」はこちらにクリック!!

⑥住吉急行電鉄の日報「大阪市交通局10系第25編成 近畿車輛へ」はこちらにクリック!!

⑦住吉急行電鉄の日報「3月8日御堂筋線」はこちらへクリック!!

⑧I TRENI~失われし鉄道車両を求めて~「大阪市交通局10系」はこちらにクリック!!

⑨西ノ宮車輌 仮製作所★管理人、大学受験のため更新停止!「生きてます。」はこちらにクリック!!

⑩フリー百科事典『Wikipedia「大阪市交通局10系電車」』はこちらにクリック!! 

⑪岸田法眼のRailway Blog.「2002年の汽車旅5(大阪市交通局10系スペシャル)」はこちらにクリック!!

⑫岸田法眼のRailway Blog.「2007年の汽車旅2-2」はこちらにクリック!!

⑬北大阪急行電鉄ホームページはこちらにクリック!!

⑭フリー百科事典『Wikipedia「北大阪急行電鉄」』はこちらにクリック!!

⑮大阪高速鉄道ホームページはこちらにクリック!!

⑯フリー百科事典『Wikipedia「大阪高速鉄道」』はこちらにクリック!!

⑰彩都開通2007.03.19大阪モノレール彩都線延伸 ひろがる まち・みらいホームページはこちらにクリック!!

⑱ホテル&トラベルジャーナル「大阪モノレール車内に液晶モニター設置」はこちらにクリック!!

⑲京都市交通局ホームページはこちらにクリック!!

⑳住吉急行電鉄の日報「21日 御堂筋線新大阪にて」はこちらにクリック!!(偶然にもこの記事と同じ日に掲載!!)

21.住吉急行電鉄の日報「御堂筋線です」はこちらにクリック!!

22:住吉急行電鉄の日報「御堂筋線10系第23編成VVVF車に乗りました」はこちらにクリック!!

にほんブログ村 鉄道ブログへ

※『Yahoo! セカンドライフ』のコラム一覧はこちらにクリック!!


nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 4

オーミヤ

奈良線の103系ももう走っておることが奇跡なのかもしれませんね・・・。JR東日本では仙石線を除いて全廃となってしまったようですがJR西日本では岡山、大阪といった主要エリアでも103系が運用されておるようですからある種での余裕を感じさせます。
by オーミヤ (2007-04-22 19:09) 

岸田法眼

JR西日本はアーバンネットワークでも103系は健在で、JR東日本のように一気に置き換えるという話はありません。あと10~15年はいけるのではないでしょうか。

近年は201系が移籍して、大阪環状線がおもな新天地ですが、中央線と錯覚しそうですよ。その中央線もE233系の勢力が徐々に増えつつありますが、まだ乗ったことはありません。
by 岸田法眼 (2007-04-22 22:04) 

住吉人

岸田法眼様、こんばんは。
多くのリンク先ご紹介いただき、ありがとうございます。

万が一ですが、10系の保存先は浅香中央公園よりは定石通りの緑木検車場がベターですね。
地元住民の意見として、浅香中央公園ですと車両が荒れる原因になります。
毎年恒例になっています秋の市電保存館公開時に、車両を一般公開するほうが、車両状態を維持できると思われます。

30系の9年での廃車されたのは、中央線の3043と3543のアルミ車で先頭車でした。
ステンレス車では3597だったかな、あと谷町線の3594と3595の先頭車が廃車になっています。
相方の3097・3094・3095は、先頭車から完全に中間車化されて編入しています。 外観からは元先頭車だった痕跡はありません。
by 住吉人 (2007-04-26 22:57) 

岸田法眼

住吉人さん、どうもありがとうございます。

30系の廃車の記述につきましてはただちに訂正いたします。

30系のステンレス車は緑木検車場で保存されておりますね。ほかに初代ニュートラムの車両も保存されており、東吹田検車場では60系も保存されているようですね。

それにしても30系の9年廃車は思ったより多いのですね。また、東京メトロ5000系にいささか似ているような気もしますが、たまたまでしょう。いずれにせよ、5000系は東京オリンピック、30系は万国博と世界的イベントのアクセス輸送に活躍した歴史ある車両であることに間違いないと思います。
by 岸田法眼 (2007-04-26 23:53) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

ブロガーの皆様、御登録をお待ちしております。