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2007年の汽車旅3-4 [汽車旅2007]

2007年4月8日(日曜日)0時02分、快速(明石から普通電車)姫路行きは三ノ宮に到着。下車して、一夜を明かす。

夜が明け、8時35分発の新快速米原方面長浜行き(①三ノ宮-芦屋間は6号車モハ223-2006:弱冷車②芦屋-尼崎間は2号車モハ223-2164)へ。日曜日だが、平日のラッシュと遜色がないほどの利用率である。

芦屋で207系シリーズの各駅停車JR東西線経由松井山手行きに接続。そのあと、立花を通過して、ペースダウンしてからは空席が目立つ321系の各駅停車高槻行きに追いつき、同時到着するものの、接続するのは次の大阪。尼崎は新快速と各駅停車の停まるホームが違うからで、目の前に停まっているJR東西線の快速木津行きに乗り換えるのは相当なダッシュをしない限り、無理である。新快速の尼崎停車はJR東西線に乗り換えるお客への便宜的な停車だが、のちにエル特急〈北近畿〉も停まるようになった。ちなみに尼崎のホームにある時刻表だが、8時台のみ2段表示で、2005年4月25日(月曜日)に発生した福知山線脱線事故で指摘された過密ダイヤを物語る。また、休日ダイヤの8時台は2段目が空欄となっており、慣れていないと“8時台の休日ダイヤは電車が走っていない?!”とカン違いしそうである。

5・6番のりばにまわり、6番のりばでは321系の各駅停車京都行きが到着(福知山線からやって来た電車)。ほどなくして、5番のりばに芦屋で見た各駅停車松井山手行き(サハ207-1008:女性車掌乗務)が到着。各駅停車京都行きに乗り換えるお客が圧倒的に多く、先に発車。そのあと、ワンテンポ遅れて8時59分、 各駅停車松井山手行きも発車。神崎川を渡ると、地下に入り、加島に到着した。

JR東西線は平成10年(1998年)4月4日(土曜日)以来、9年ぶり2回目の利用。構想当初は“片福連絡線”と言われていたが、JR東西線という路線名になった。JR西日本は「JR」をつけるのがお好きなようである。

海老江は阪神電気鉄道本線[野田駅]と大阪市交通局(大阪市営地下鉄)千日前線[野田阪神駅]乗り換え駅だが、なぜか駅名は歩調を合わせておらず、北新地は大阪駅と徒歩で直結しているものの、普通に東海道本線を利用して尼崎へ行けばいいため、遠回りになるなど、今回の利用も空席が主体である。

大阪天満宮に到着し、下車するものの、大阪市営地下鉄谷町線・堺筋線乗り換え駅なのに、なぜか駅名を南森町に合わせていない。ホームの駅名板には地下鉄乗り換え駅をアピールしているため、地元の利用客は混乱することもなく、JR東西線から大阪市営地下鉄に乗り換えるお客も多かった。

大阪天満宮で下車したのは桜の名所、造幣局へ向かうため。たまには“日本の鉄道完全制覇”という野望でもあり、みずから束縛している呪文(?!)から開放したい。普段、車窓以外は風景画像を載せない主義だが、今回は特別にワンショットを公開しまひょ。

デジカメやケータイのカメラで撮影する人が多く、花びらはマクロ撮影が使える数少ない場でもある。

造幣局の桜を満喫し、鉄道は使わず京橋へ向かう。途中、JR東西線大阪城北詰駅があり、その近くには雑草の広大とは言えないが、空き地がある。近くにはJR東西線の電車が地下へもぐろうとしている。

この場所は私の推測だが、片町線片町駅跡地であろう。残念ながら片町線は京橋-片町間を利用することがないまま、JR東西線が開業し、1区間だけフォーエヴァーとなった。ちなみに大阪城北詰駅は片町駅を移転したようなものである。

「間違えていたらごめんなさい」ということで、廃線跡と仮定しての記述になるが、京橋-片町間がなくなったあと、一部の土地は仮設駐車場となっていたものの、2007年3月31日(土曜日)でフォーエヴァー。その先には西日本旅客鉄道京橋電車区(京橋車掌区)がある。

京橋駅に到着し、大阪環状線へ。103系体質改善車の各駅停車大阪・西九条方面行きが到着するものの、乗らない。次の電車は各駅停車(大阪から大和路快速)奈良方面加茂行きだからであるが、大阪環状線のオレンジ電車は201系体質改善車に統一するものかと思いきや、103系も続投。JR西日本の103系は高運転台タイプが意外と少なく、低い運転台タイプは古くささを感じる。

反対側のホームには201系体質改善車の各駅停車鶴橋・天王寺方面行きが到着。こちらも撮影し、オレンジ201系の本家、JR東日本と“共演”させてみよう(画像上段はJR東日本、画像下段はJR西日本)。


11時55分発の各駅停車(大阪から大和路快速)奈良方面加茂行き(1号車クハ221-62:弱冷車)に乗り、大阪1番のりばに着いた。種別幕は普通から大和路快速に変えて、快走する。

★備考

住吉急行電鉄の日報「造幣局の通り抜け」はこちらにクリック!!

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★お知らせ

①『Yahoo! セカンドライフ』のコラム一覧はこちらにクリック!!

②2007年4月25日(水曜日)で観客動員数10萬5000人を突破いたしました。ありがとうございます。なお、次回の記事は週末に掲載する予定です。いましばらくお待ち下さい。


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コメント 8

葉詩美

大阪天満宮駅は私も用事で1度だけ降りました。最終的にさ迷って無事用事を済ませて駅へ向かいましたが暑かったです^^;地下鉄とも直結してるため駅は相当広かったですね。写真から見て桜相当綺麗だと見受けられます。
by 葉詩美 (2007-04-23 06:47) 

岸田法眼

そうですね、大阪天満宮&南森町は広いですね。

JR東西線ですが、京橋へ向かうのであれば大阪で大阪環状線に乗り換えたほうが早いんですよね。利用客が多くないのもわかるような気がします。

造幣局の桜は種類が豊富で、お気に入りのワンショットを選んで掲載しました。
by 岸田法眼 (2007-04-24 00:14) 

オーミヤ

221系の後継の223系が出て更に(後継ではないが)321系が出まして221系も何だかかすんできたような気がしますが「デラックス通勤型車両」として登場した時のことは忘れられないでしょうね。そのクオリティは223系に引き継がれましたから223系でも221系の息を感じることができます。新快速運用からは抜けましたが今活躍しておることが嬉しいものです。
by オーミヤ (2007-04-26 18:32) 

岸田法眼

オーミヤさん、どうもありがとうございます。

221系はまだまだかすんでなんかいませんよ。でも、東海道本線・山陽本線で走る機会はめっきり減ったのは事実で、山陰本線にコンバートするウワサがあります。

221系は衝撃的な車両ですが、223系シリーズはいまひとつふたつの印象があります。

221系は神戸ルミナリエでは臨時新快速で運用しているものの、“2006年で新快速運用は最後?!”と言われております。

221系はまだまだアーバンネットワークの大エースとして、活躍し続けます!!
by 岸田法眼 (2007-04-26 22:09) 

サットン

103系高運転台車について。首都圏ではATC導入に際して車上装置を搭載した高運転台車が必然的に導入されましたがATCが導入されなかった関西では高運転台車は必要ありませんでした。わずかに見られる高運転台車は片町線新性能化時に投入された最終増備車です。もちろんATCは装備していません。
以上、老婆心ながら。
by サットン (2007-05-12 20:52) 

岸田法眼

サットンさん、5月12日(土曜日)は3回もコメントをいただき、ありがとうございます。

103系の高運転台車は絵になる光景で、確かにATCの導入により、乗務員室寄りの戸袋窓が省略されていますし、運転台の速度計も違いますね。

関西の103系の高運転台車は福知山線に投入されていた印象がありますが、低い運転台の車両も運用されていたみたいですね。

高運転台車の103系はJR東日本からは消えてしまい、それより古いJR西日本が残っているというのは会社方針の違いを感じますが、分割民営化当初はそういう展開になるとは考えてもいなかっただけに戸惑いがあります。201系もそうなっていますね。悲しいことではありますが…
by 岸田法眼 (2007-05-13 01:36) 

サットン

たびたびお邪魔します。
再び103系高運転台車のことですが、関西の高運転台車は首都圏のものよりも製造年度は後になります。片町線と福知山線(前稿では忘れてました)に投入された時期はATC車登場の後だったので、高運転台はそのままにATCだけ抜いて投入したようです。
ちなみに首都圏のATC化と京阪神緩行の冷房化は同時に進められ明石電車区に新造中間車5連を投入、首都圏に投入されたATC車により捻出されたオリジナルタイプのTcのうち冷房車のみを関西に配転、新造5連に連結して7連を組成するという離れ業をやってました。時々スカイブルーの塗料の下からウグイスが顔を出してました。今から30年以上前の話です。
by サットン (2007-05-13 13:33) 

岸田法眼

サットンさん、何度もありがとうございます。

関西にある103系の高運転台車両は乗務員室寄りも戸袋窓はついていましたからね。

首都圏では保安装置が向上して、関西が進まなかったのは国鉄もJRも変わりないのですね。そういった歴史が福知山線の事故につながってしまったのかまと考えます。

JR西日本の103系はあと15年ぐらいは活躍するのではないでしょうか。阪和線が王国のようになっていますからね(沿線では不満が多いようではありますが…)。
by 岸田法眼 (2007-05-13 23:27) 

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