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2008年の汽車旅2-2 [汽車旅2008]

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米原7番のりばへまわり、北陸本線の普通電車敦賀行き(1号車クハ520-4)に乗り換え。521系は初乗車だが、たった2両での運行!! 車内は当然のことながら、混雑しており、もう1編成増結できなかったのだろうか。  

1・2号車、どちらもフェイスの下には連結器カバーが目立つ。冬季の凍結対策による故障阻止もあるだろうが、4両編成にする気がないというふうにも受け取れる。



立客が発生するほどの満員御礼で6時49分発に発車。坂田を発車すると、2号車はミュージックホーンとタイフォンが同時になり、“ダブルケーテキ”でなにごとかと思ったら、警報機、遮断機、共についていない踏切を通過。どうやら、そこを渡った人がいたのかもしれない。

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田村は上下線のホームが大きく空いているが、かつてはここでディーゼル機関車から交流の電気機関車にチェンジしていた。国鉄時代の北陸本線は坂田-田村間で直流と交流の切り替える地点があり、そのため、客車や貨物列車は米原-田村間はディーゼル機関車が牽引。田村で付け替えていたわけだ。当時、交直流対応の電気機関車は高価だったこともあるのだろうが、直流電化の東海道本線から分岐するため、配置できなかったのであろう。

かつて、ブルートレインは交流電化内で、交直流電気機関車から交流機関車に変える列車が多かったが、現在は寝台特急〈はやぶさ・富士〉だけとなった。
  
普通電車敦賀行き編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
敦賀2クモハ521-4なし
米原1ク ハ520-4なし

北陸本線は大半の区間が交流電化だったわけだが、これは直流電化よりもコストがかからないことが大きな理由で、JR北海道・JR九州(関門トンネルと姪浜-西唐津間を除く)はほぼ全域、JR東日本は東北本線黒磯以北、常磐線取手以北、羽越本線は村上以北が交流電化になっており、隣接する電化路線もそれに合わせた。しかし、北陸本線だけ、隣接電化路線はすべて直流となっており、2003年3月15日(土曜日)に小浜線が電化されたが、交流電化ではなかった(一時、敦賀はJRの1つの駅で直流と交流、2つの電化が存在する珍しい現象があったが、交直流電車が北陸本線から小浜線へ乗り入れることは可能だった)。つまり、北陸本線は“離れ孤島”と化してしまっているのだ。  

JR西日本になってからは地元自治体等の要請を受け入れ、平成3年(1991年)9月14日(土曜日)、坂田-長浜間を直流電化に変えて、新快速の乗り入れを開始。そして、2006年10月21日(土曜日)、湖西線永原-近江塩津間、北陸本線長浜-敦賀間の直流電化に変え、新快速の最北運転区間も延伸した(直流電化の切り替えは2006年9月24日に実施)。小浜線の125系も敦賀1・2番のりば以外にも足を運べるようになるなど、大きな出来事だった。

長浜は2番のりばに到着。大半のお客はどうやら終点敦賀まで乗るようだ。そして、1番のりばは利用客が多く、発車すると普通電車(野洲から新快速)姫路方面播州赤穂行きとすれ違う。223系2000番台4両編成だが、米原で仮に8両増結しても、“北陸本線編成”は途中の姫路か網干で切り離されることが多く、姫路行き以外は終点まで向かわないのかもしれない。

521系は2006年に入団。223系5000番台をベースにしているように思えるが、683系シリーズと321系で培われたノウハウを結集したものである。  

具体的にあげると、321系のレーザー溶接による構体を採用し、機器類は683系シリーズ、フェイスや車内設備は223系5000番台をベースにしているが、MAX120㎞/hである。

JR西日本初の交直流近郊形電車ではあるが、運用区間は米原・近江今津-福井間に限定されている。これはワンマンカー運転という前提で、運賃表を設けているが、福井以北の駅名が表示されていないことや、敦賀までの直流化の費用は滋賀県と福井県が負担しており、521系の製造費も含まれているためである。


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車内は転換クロスシート(一部は座席の向きを固定)を採用しているが、クモハ521形の優先座席はロングシートを採用している。321系と同じデザインになっているが、ドア寄りはカサが引っ掛けにくい構造になっている。

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面白いのはロングシートにも席番がふっており、AからDまで表示している。また、JR西日本産の近郊形電車では初めて、妻面に窓を設けたが、これはワンマンカー運行時、運転士が隣りの車両が見渡せるように配慮したためで、車内の通りぬけドアもガラス面を拡大している。

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ワンマンカー運転を前提としているため、整理券発行機が各車両の車端部に設けられており、その部分には補助シートがない。そして、半自動ドアボタン、SOSボタンが見やすく、照明のグローブは223系2000番台も増備途中から形状を変えており、521系にも踏襲されているが、材質をガラスに変更しており、火災対策基準法改正に適合している(2003年2月18日に韓国の地下鉄で火災事故が発生しており、これを機に火災対策基準法を見直した)。ちなみに321系の車内の半自動ドアボタンも521系と同じデザインとなっている。

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余談だが、JR西日本のワンマンカーの英訳は運賃を「Fare」、回数券を「Ticket」、整理券を「Numbered Ticket」、両替を「Change」と案内している。

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一部のドア上には情報案内装置を設けているが、号車表示はデジタルからLEDに変更されている。これは10両以上の運行がないということなのだろうか。ちなみに521系の種別幕には新快速が入っており、もしかすると「臨時新快速敦賀方面福井行き」が設定される可能性がある(臨時新快速は221系も運行しているため、130㎞/hは定期便に限定されているようだ) 。

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7時37分、終点敦賀4番のりばに到着。折り返し、普通電車米原行きになるが、せっかくの交直流電車がもったいない!!

その先の5番のりばへまわり、普通電車福井行き(クモハ457-16:近郊形改造車)に乗り換え。7時41分に発車すると、北陸トンネルの手前で電流は直流から交流に変わった。
 
普通電車福井行き編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
福井なしクモハ457-16近郊形改造車
 なしモ ハ456-16近郊形改造車
敦賀なしク ハ455-43近郊形改造車。弱冷車

福井までの道中は寝不足の穴埋め(近江塩津から先は睡眠モードだった)に徹した。臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行きの睡眠時間が4時間少々なのはコタえる。

8時33分、終点福井4番のりばに到着。折り返し、普通電車敦賀行きになるが、待っている人々は多く、接続する普通電車金沢行きは隣りの3番のりばで、乗り換えが同一ホームでないという面倒があるけど、6両編成のため、坐れる確率は高いだろう。


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越美北線へ直通する列車はすべて2番のりばからの発車で、そこだけ架線はない。高架化された福井は2面5線となっており、下り1面は1~3番のりばで、どうやら1番のりばは優等列車、3番のりばは鈍行の発着が主体になっているようだ。また、2番のりばの長さは4両分である。

一方、上り1面は4・5番のりばで鈍行はどちらも発車するようだ。

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2番のりばは鋼製車体が特長のキハ120系200番台の回送が止まっており、九頭竜湖(Kuzuryuko)寄りに『明日へ走れ! 越美北線』のヘッドマークが掲げられている。

越美北線は2004年7月18日(日曜日)、集中豪雨により、橋りょうが流出。全線不通となり、7月20日(火曜日)に越前大野-九頭竜湖間で運行再開。その2か月後の9月11日(土曜日)に越前花堂(Echizen-Hanandoh)-一乗谷(Ichijoudani)間及び、美山-越前大野間の運行が再開。不通区間は一乗谷-美山間だけになった。長期不通期間中は越前東郷-美山間で運行された。越前東郷発着になったのは手前の一条谷はバスが入れないからである。

集中豪雨から3年たった2007年6月30日(土曜日)、一乗谷-美山間が復旧し、ようやく全線で運転を再開したのである。  

さて、1番のりばに面白いものを見つけた。

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それはホームの地面にある停止位置で、黄色い線の外側は車掌わかるような位置に貼りつけており、外側の舗装部分はチョークで列車名の略称が書かれている。ちなみに乗車口はホームの上にあり、LEDによる表示やボードなど様々。

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回送が発車したあと、留置線から待機していた普通列車九頭竜湖行きワンマンカー(キハ120 203:セミクロスシート)が入線。キハ120系200番台2両だが、うしろの車両は途中の越中大野止まりである。また、車両にはトイレをつけたが、デザインの自由度がきく鋼製車体にもかかわらず、窓がふさがれた姿が痛々しい。更に車両はセミクロスシートであるが、ボックスシートはわずか4つしかないことに驚いた。

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改造により取りつけたトイレは洋式で、フタをあけると大量の泡!! これでトイレを綺麗に保っているようだ。また、客室の面影は残っており、天井には冷房ダクトがあり、吹き出し口が閉ざされている。

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9時06分に発車。あわてず騒がずの速度で、高規格の北陸本線をゆっくり進み、越前花堂はなんと、北陸本線から離れていた。越美北線に入ったという証であるが、まるで隅に追いやられたような感じだ。

 
普通列車九頭竜湖行きワンマンカー編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
九頭竜湖なしキハ120 203セミクロスシート
福井なしキハ120 205セミクロスシート。越前大野止まり
 
発車すると、ものものしい解体工事で、粗大ゴミの嵐だが、そこを抜けると、田園だ。1か月たてば田植えの季節になっているだろう。

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田園から町へ変わり、越前東郷へ。以前は行き違いのできる駅だったが、レールは撤去していないものの、ホームはサクで通せんぼ。レール自体もさびついており、使えないだろう。また、駅舎には「乗って残そう! 越美北線」のノボリが見られた。  

一乗谷が近づくと、山間部の入口に突入したようだ。発車すると、一乗谷川を渡る。カーブも多くなり、けわしい道のりとなっていく。  

越前高田を過ぎると、運転士は盛んにタイフォンを鳴らす。踏切を通るのだが、遮断棒、警報機のないタイプが多過ぎるのだ。

 

市波を発車し、県道38号線に合流すると、スピードが急速に衰え、止まりそうになるが、息を吹き返し、水面が綺麗な足羽川(Asuwa Liver)を渡り、今度は国道158号線へ。

越前薬師-越前大宮間にアイアイドームというのを発見!! 童謡に『アイアイ』というのがあるけど、曲名の由来は猿の名前が「アイアイ」なのだろうか?  

意外と道のりは思ったほど険しくなく、計石(Hakari-Ishi)-牛ヶ原(Ushigahara)間は坂戸トンネルを通るものの、ケータイの電波はバリサン!!


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山場を越えたかのように普通列車九頭竜湖行きワンマンカーは颯爽(Sassoh)と走る。再び田園となり、遠方の山の頂上は雪化粧をしている(北大野-越前大野間で撮影)。  

10時02分、越前大野2番のりばに到着。ここで13分停車し、うしろ1両は折り返し、普通列車福井行きワンマンカーとなる。ホームは待ち人が多かった。

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ホームの九頭竜湖寄りに安全の鐘がある。これは越前大野鉄道部が設置したものである。この鐘には次のことが述べられている。

「安全の鐘  

私ども越前大野鉄道部は安全第一を使命に鉄道事業を生業としています。  

安全の鐘は九頭竜湖線の安全運行をはじめ、通勤・通学などでご利用の皆様、そして遠来の多くのお客様の無事を念じて造ったものです。  

皆様の今日一日の安全を心よりお祈りしています。」

 

九頭竜湖線についてはのちほど述べるが、安全の鐘を鳴らす。その音色は除夜の鐘を彷彿させるもので、身が引き締まる想いだ。JR西日本は2005年4月25日(月曜日)に福知山線脱線事故を起こし、乗客106人の死者を出す大惨事を発生させているだけに世間に対する目は厳しくなっていることは間違いないだろう。どこでもそうだが、対策というのは事故が発生してから行なわれることが多い。  

さて、JR西日本の車内ではよく見かける広告があり、越前大野にはでっかーいポスターが掲示されていた。

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それは高校生なのかどうかはわからないが、背番号1の男は「エースの座は譲らない」と意気込んでいるものの、そのあと、「でも、優先座席は譲ってください」と言われると、なぜか動揺が表情に表れている。と私は解釈するのだが、優先座席や優先席ではいかにも健常者が平然とした表情で坐っている姿が目立つ。

私はよっぽど疲れていない限りはそこへ坐ることはないのだが、「携帯電話の電話を切って下さい」という放送があっても、しない人が多い。もっとも、そんな中途半端な案内をしていること自体に問題があり、携帯電話の電波をシャットアウトする車両を開発することが急務ではないだろうか。また、未成年は自分のおカネで払えない者が多いというのに、携帯電話を持つということにも問題がある(持たせる親御さんもいけない)。世の中が便利になるということは、マナーやモラルの低下につながるのだ。携帯電話のあり方というものを見つめ直す時期に来ているはずだ。それにもかかわらず、携帯電話企業は利益をあげることしか考えていないような印象を受ける。

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改札寄りにある留置線では保線作業員では、多くの枕木に白いペンキでピッとラインを引いていた。これは枕木交換のサインなのだろうか?

車内に戻り、切り離された折り返しの普通列車福井行きワンマンカーは10時14分に発車。安全確認がとれたかのように普通列車九頭竜湖行きワンマンカーも10時15分に発車する。

福井県大野市は“小京都”という地もあってか、軽快に走る。車窓はのんびりとした田舎である。

下唯野から道が険しくなることを予告するような感じとなり、柿ヶ島を発車すると、その通りに。柿ヶ島トンネルに入ると、ケータイの電波は圏外になってゆく。

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勝原(Kadohara)を発車すると、白谷トンネル(805メートル)、シェルター、荒島トンネル(5251メートル)と難関をゆく。もし、この区間のトンネルで立ち往生するような事態が発生したら、救出にかなりの時間を要するような気がするが、無事に抜けて越前下山に到着。正規の駅名盤から少し離れたところにサブ駅名なのか、それとも越前下山を改称する要望でもあるのか、「九頭竜温泉」もある。

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ラストコースは下山トンネルを通り、残雪景色を走り、10時46分、終点九頭竜湖に到着。越美北線全線完乗を達成したが、レールはその先で途切れている。  

越美北線は本来、ここから北濃へ延伸し、越美南線に直結。おそらく、路線名も「越美本線」に改称していたと思うが、全通の青写真を描いていた。しかし、過疎地帯でなおかつ、越美南線は昭和61年(1986年)12月11日(木曜日)、第3セクター、長良川鉄道に転換されたため、全通の夢は断たれた。鉄道全通の夢は断たれても、美濃白鳥から九頭竜湖まで国鉄バス(のちのジェイアール東海バス)の路線が通っていたものの、2002年9月30日(月曜日)でなくなってしまい、交通機関の乗り継ぎによる“越美本線ルート”も閉ざされてしまった。ちなみに長良川鉄道の路線名は「越美南線」である。

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JR西日本は北濃まで全通する野望がなかったようで、平成7年(1995年)9月12日(火曜日)、福井-九頭竜湖間に「九頭竜湖線」の路線愛称をつけている。  

余談だが、2005年4月30日(土曜日)、NHKの企画で俳優の関口知宏が越美北線全線完乗にチャレンジしたものの、途中で代行バスをはさみながら、終点九頭竜湖に到達。多くの出迎え者がいたが、私は有名人でも著名人でもないので、静かな全線完乗達成であった。これがこの駅の本来の姿だと思うが、基本的に代行バスは鉄道ではないため、私は乗車とみなさないことにしている(NHKの場合、復旧したわけではないので、認定は致し方ないだろう)。国土交通省から公式ルールは発表されていないが、やはり、鉄道に乗ってこその全線完乗ではないだろうか。

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九頭竜湖は簡易委託駅で、営業時間中は希望者に到着証明書が配布される。また、下車してすぐのところに道の駅「九頭竜」があるものの、ゆっくり食事ができるほどの折り返し時間はなく、10時58分発の普通列車福井行きワンマンカーに乗る。越美北線は福井-九頭竜湖間4往復、福井-越前大野間5往復、越前大野-九頭竜湖間1往復しかないのだ。

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普通列車福井行きワンマンカーは全区間1両で、途中の越前大野で検測用車両、キヤ141系と行き違い、越前花堂でエル特急〈雷鳥13号〉金沢行きを先に通し、12時22分、終点福井2番のりばに到着した。

普通列車九頭竜湖行きワンマンカー編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
九頭竜湖→福井なしキハ120 203セミクロスシート

福井中央郵便局



下車して、福井中央郵便局で事前交渉により、旅行貯金。この日は土曜日だからで、ATMで入金したあと、郵便窓口で局名印を押してもらった。

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昼食購入後は福井鉄道福武線(軌道線)福井駅前へ。今回は乗らないものの、元名古屋鉄道の車両が入線したことを見届け、福井に戻った。

★備考

①今回の動画はこちらにクリック!!

②フリー百科事典『Wikipedia「JR西日本521系電車」』は
こちらにクリック!!

③フリー百科事典『Wikipedia「越美北線」』は
こちらにクリック!!

④フリー百科事典『Wikipedia「美濃白鳥駅」』は
こちらにクリック!!

⑤参考文献として、鉄道ジャーナル社刊行、『鉄道ジャーナル2007年2・11月号』を使用。

⑥狩人を綴る~旅情日記~「越美北線」は
こちらにクリック!!

⑦ホテル&トラベルジャーナル「雪を蹴り、再び敦賀へ」はこちらにクリック!!

⑧岸田法眼のRailway Blog.「2005年の汽車旅1-中編-」は
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yokohamachuo

私が初めて越美北線を利用した時(00年)は、美濃白鳥~九頭竜湖間の連絡バスが運行されていましたが、バスはマイクロで、しかも季節運行でした。
利用客も殆どいなかったので、バスに乗りながら「これはそろそろ廃止されるかも知れないな・・・」と思った記憶があります。
越美北線も営業成績は芳しくないようですが、何とか頑張って欲しいものです。

by yokohamachuo (2008-04-13 11:56) 

岸田法眼

yokohamachuoさん、どうもありがとうございます。

バスは2000年の時点にマイクロバスに変わっていたのですか。しかも、季節運行なのですね。

十数年前、『旅と鉄道』でそのルートの記事を見ました。当時は普通の路線バスだったのですが、マイクロバスに変えてまで存続の希望を捨てていなかったことにもなりますね。
by 岸田法眼 (2008-04-13 12:55) 

しおつ

ずいぶん前に美濃白鳥に遺跡撮影の仕事で行った折、
帰路だったか九頭竜湖駅に立ち寄りました。
列車は撮影できませんでしたが、近くに保存されていたSLを撮影しました。
福井の軌道線にも、だいぶ前に撮影に行きました。
当時はまだ旧型車が活躍していました。
by しおつ (2008-04-13 22:01) 

UZ

お疲れ様です。

これは青春18きっぷの時期でしたから相当混んでいたものと推測されます。521系は5編成しかないので難しいでしょうが、増結も弾力的にすべきでしょうね。滋賀県と福井県が直流電化の際に資金を出している(本来はJR西日本自身で負担すべきですが、どうもやる気がないようですね)ので運用が難しいかもしれませんが。

越美北線は15年前に一乗谷まで利用した事があります。風光明媚な路線だった印象がありますね。


by UZ (2008-04-13 22:43) 

岸田法眼

しおつさん、どうもありがとうございます。

現在も九頭竜湖駅近くにSLが保存されております。それに気づいたのは復路の列車でした。なんせ、往路は進行方向右側のボックスシートに坐っており、SLは進行方向左側にあったことと、終点九頭竜湖が近づいていたので、降りる準備をしていたため、気づきませんでした。
by 岸田法眼 (2008-04-13 22:51) 

岸田法眼

UZさん、どうもありがとうございます。

521系の増備がないのは残念なところですが、125系の北陸本線運用も2両なので、3両にしない理由がよくわかりません。

越美北線は足羽川が綺麗なのが印象に残りますが、おだやかな流れをしているだけに集中豪雨の猛威を起こした川であることが信じられないですね。
by 岸田法眼 (2008-04-13 22:58) 

Sanohpy

久しぶりの書き込みで申し訳ありません。
帰宅がほとんど日付が変わってからになるんで...

北陸線敦賀直流電化で、新快速敦賀行きとか
新快速近江塩津行きとか今では当たり前になりましたよね。
521系に関しては、やはり増結すべきの声が出てます。

瀬戸大橋線を走る快速マリンライナーも5両から6両にしたとか。
あのドル箱列車を5両??と私は不思議に思ってましたね。
213系時代でもあっぷあっぷしていたのに...。

金沢や富山では475系5連or6連見るんですけどね。
by Sanohpy (2008-04-14 02:21) 

岸田法眼

Sanohpyさん、どうもありがとうございます。そして、御無沙汰しております。

521系は最初から2両編成に疑問を持っておりますが、そういう声が出るのは当然でしょうね。

2代目車両の〈マリンライナー〉は5両編成になっておりましたが、指定席とグリーン車が2階建て車両にひとまとめしたため、自由席車は据え置きにしたと私は見ています。しかし、213系より定員が少なかったのかどうかはわかりませんけど、 案の定、6両編成化しましたね。網干総合車両所の223系2000番台中間車を転用しました。

北陸本線は3両編成が基本ですが、ラッシュ時などは増結で対応しておりますね。
by 岸田法眼 (2008-04-14 02:30) 

サットン

「ホテル&トラベルジャーナル」をご利用いただきありがとうございます!

521系はもう何度もお世話になっておりますが、どうも寒冷地には向かないのではと思えてなりません。積雪時には乗客の靴に付着した雪で通路がびしょ濡れになり非常に怖いです。
皆さんご指摘のキャパシティーの問題も同感です。2連では沿線でちょっとしたイベントでもあれば、もうお手上げですから。
by サットン (2008-04-16 18:06) 

岸田法眼

サットンさん、1日2本目のコメント、ありがとうございます。

521系の2両は不快に思うコメントが多く、JR西日本も早急に対応してもらわないと困るところです。キク像コーナーでも寄せられているのかどうかわかりませんが、北陸本線直流電化拡大では車内の質は向上しても、輸送サービスの質は低下しているような印象を受けます。

新快速の4両は短か過ぎますね。8両編成での直通を願いたいところです。
by 岸田法眼 (2008-04-16 21:38) 

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