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阪急電鉄6300系総集編 [汽車旅2008番外編]
今回は阪急電鉄のエース、6300系の乗車記録をお伝えすることにしましょう。
6300系は昭和50年(1975年)に入団した阪急電鉄のエースですが、リニューアルの予定はないようで、現在もオリジナルを堅持しております。しかし、停車駅の増加や9300系の増備にともない、一部は休車されている車両もあります廃車されてしまいました。また、一部は4両編成に短縮されていますが、リフレッシュ工事を受け、嵐山線で活躍しています。
最近は7300系にリニューアル車が登場し、ずいぶんと顔つきが変わっております。まだまだ走る表れですが、6300系の勇姿に目を焼きつく者として、この記事をお届けします。
なお、6300系の動向に関する阪急電鉄の公式発表は掲載日時点、ありませんので、コメントやトラックバックの際は充分、御注意下さい(「誤報は流さないで下さい」ということです)。
※オレンジは2009年10月23日(金曜日)に加筆。また、情勢が変化したため、一部の文字に抹消線をひいております。
①2004年3月21日(日曜日)
阪急電鉄嵐山線の各駅停車桂行き(2303)、京都本線の特急梅田行き(1号車6351:ケータイ電源OFF車&1976年ブルーリボン賞受賞のプレートつき)に乗り継ぐ。
そういえば、京都本線は特急のロングシート車解消のため、9300系を投入したはずだが、すれ違った特急河原町行きは2本続けてロングシート車は疑問。
②2007年9月7日(金曜日)
京都本線は3300系の快速急行と各駅停車の河原町行きが発車。隣りの宝塚本線では3号線に6000系の特急〈日生エクスプレス〉日生中央行きが発車。宝塚本線で運行される唯一の特急である。
再び京都本線に目を向けると、7300系の準急河原町行きが発車し、そのあと、お目当ての通勤特急河原町行き(8号車6454:携帯電話電源オフ車両)が到着た。10分以上も待ったので、先ほど乗った神戸本線の特急は“終点梅田まで乗ってもよかったな”と損した思いだ。
阪急は6300系・6330系に限り、車体側面及び車内に号車シールがあり、特急車のプライドと風格を感じさせ、18時43分に発車する。当然、坐れない。
減速して淡路を通過。6300系は大阪市営地下鉄10系をさながらの電気笛を鳴らす。この音色、俺は好きなんだなぁー。思えば、初めて10系を見た時、電気笛のタイフォンが衝撃的だったが、なんでリニューアル時に変えちまったんだろうね?(ちなみに10系は増備末期から空気笛に変わっていた)
7300系の準急河原町行きを抜き、俊足が戻る。乗車している車両は昭和52年(1977年)に産声をあげて、30年たつが古さは感じない。というか、9000系・9300系は大仏みたいなフェイスであるため、6300系の落ち着き感、重厚感が際立っているのである。
6300系は昭和50年(1975年)に入団。2800系の後継車とした特急車両で、2ドア転換クロスシートを踏襲。阪急の車両では初めて、車体上部に白を採用。先頭車の貫通扉の周り及び、急行灯とテールランプをシルバーで囲むなど、特急車のグレードを高めた。
2800系は特急運用から離脱し、ロングシート3ドア化して、活躍を続けたものの、先輩の2300系よりハードな運行をしていたため、老朽化が進み、8300系に置き換えられている。
昭和51年(1976年)、6300系は鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞し、阪急のエースに君臨。昭和59年(1984年)には輸送力増強のため、6330系が登場。足まわりは7300系と共通である。
入団以来、まさか32年も走り続けるとは思っていなかったが、特急の停車駅が激増し、2003年にセミクロスシート(転換クロスシート&ロングシート)3ドアの9300系が入団しているものの、6300系を置き換えるほどの勢力ではなく、また、経営事情もあり、まだまだ走り続けるだろう。
阪急はマルーンの車体と木目調の車内にこだわりを持っており、携帯電話電源オフ車両を設けるなど、独自色の強い鉄道だ。それゆえ、阪急ファンが多いのもうなずける。
ただ、これを「伝統」と化したため、思い切った刷新ができないように思える。例えば、塗装を省いたステンレス車体が登場したとしても、レールファンは東武鉄道の通勤形電車と同じように映るだろうし、現代の鉄道では白を基調とした化粧板を基本としているが、阪急にそれを採用したら、違和感を持つ利用客も多いかもしれない。コストの削減がどこの鉄道でも共通のキーワードであるだけに、“伝統からの脱却と新たな挑戦をしてもいいのではないか”と考えることがある(結論が出ないため、提言できない)。
しかし、阪急のように独自色にこだわらないと困るケースもある。
例をあげると、JR東日本E231系シリーズやE233系シリーズをベースにした私鉄や地下鉄の車両が誕生したことである。特に相模鉄道10000系や東京都交通局10-300形のようにドア及び、ドア上の情報案内装置などを見ると、“JR東日本の車両に乗っているのではないか?!”と錯覚するほどの車両もある(ドアチャイムもJR東日本と同じ)。共通化するにせよ、オリジナリティーがないのは“芸がない”ことと同じなのである(JR九州はオリジナリティーのがある車両が多い)。
さて、新快速ほど混んでおらず、高槻市で若干減るものの、それでも坐れず、発車すると東海道本線に接近。タイミングがいいのか悪いのか、221系の普通電車米原行きとデッドヒートを繰り広げ、互角。心情的に“世界遺産候補”の221系に抜き去ってもらいたいところだけど、特急の面目躍如。先ほどの神戸本線7000系の特急梅田行きは各駅停車JR東西線経由松井山手行きについていけなかったから、意地を見せたことになる。
長岡天神で降りるお客が多く、補助いすに坐る。
補助いすは1人がけとなっているものの、JR西日本223系1000・2000・5000番台、JR九州817系シリーズのように離席すると、自動的に収納しない構造である。
桂で補助椅子から展望席へ。展望席は2人がけロングシートで6300系・6330系で唯一、惜しい点だが、最前席にはひじかけがついており、ふっくらとした座席は“ゆったり感”を強調。坐り心地もよく、さすがは特急車だ。
西京極を通過すると、地下へもぐり、西院へ。ここから先は各駅に停まり、19時24分、終点河原町3号線に到着したが、この駅は撮影しづらく、到着時しか撮れない印象を持つ。ただ、フラッシュを使うことは運転の妨げになるため、7・8両編成の場合、10両編成対応の1号線梅田寄り以外、撮れる場所がない(10両編成時はムリ)。
折り返し、通勤特急梅田行きとなり、再び乗車。さいわい、8号車は乗る人が少なく、ほかは補助いすを必要とするほどの入りである。
8号車は携帯電話電源オフ車両なのに、テレホンカード式公衆電話がある。京阪電気鉄道8000系“エレガン都エクスプレス”のような個室ではないため、通話するとうるさくて不快感を持つお客も少なくないだろう。車掌も携帯電話電源オフ車両を案内しても、テレホンカード式公衆電話についてはまったく案内していない。“通話したけりゃテレカを使え”ということなのだろうが、矛盾しているように思う。これだとテレホンカード式公衆電話を撤去するか、携帯電話電源オフ車両を7号車に変更する必要があるだろう。
6300系の転換クロスシートはバケットタイプではないため、相席になると、座面が下がる感じで、JRの近郊形電車のようなワイドボディーでないこともあり、若干、キュークツさを感じる。窓側にひじかけがあるせいだろうか(9300系の転換クロスシートは窓側にひじかけがない)。
通勤特急の走りは見事。近年の特急は途中駅の停車駅を増やしているせいか、貫禄が失われ、品格が問われても不思議ではないが、停車駅の少ない通勤特急は最高。もう1度、昼間の特急で速達の爽快感を味わいたいものである。
相川を発車すると、スピードが落ち、熱を冷ますかのような走りで十三に到着。一気にガラガラとなり、20時15分、終点梅田1号線に到着。外幌を見ると、新幹線なみの高さをほこり、マルーンだと女性のブーツにありがちな色であろう。6300系をクライマックスに選んでよかった。
③2008年4月6日(日曜日)
桂で京都本線へ。2号線に3300系の準急河原町行きが到着。ここで特急河原町行きの待ち合わせをするが、駅員は首都圏では考えられないような案内をした。
「このあとにまいります特急は大変な混雑が予想されます。終点河原町へは4分か5分しか変わりません。お時間の許されるお客様はすいております、準急を御利用下さい」
東京では1分、スポーツでは1秒でも大きな開きがあるというのに、“たったの5分”という感覚には驚いた。それだけ生活にゆとりのある地方なのだろうかと感心する。首都圏は時間にゆとりのないところだと思う。
3号線に6300系の特急河原町行きが到着。駅員が予想していた通りの混雑で、嵐山以外でも盛況しているようだ。大半は駅員の案内に耳を傾けず、特急河原町行きに乗り込んだようで、発車するのに手間取ったようだ。ちなみにこの時期、京都本線のみだが、特急にヘッドマークをつけて運行していることが多い。
5号線に7300系の準急梅田行きが到着し、ほどなくして4号線に6300系の特急梅田行き(1号車6350:ブルーリボン賞のプレート)が『さくら』のヘッドマークをつけて登場!! 利用客が多くて坐れず、10時58分に発車する。阪急側も“いつもこのくらい乗ってくれれば”と思っていることだろう。
走行中は蛍光灯OFFで走行。2007年9月7日(金曜日)に今津線を利用した時に気づいたが、これは「エコ」が浸透している表れといえるのだけど、首都圏では蛍光灯OFFはめったになく、2003年に京王電鉄で東京電力がパンクする恐れがあることを公表していたため、期間限定で実施しただけにとどまっている。照明の技術が発達すれば、自動で照明のON・OFFができるようになるのではないだろうか。
東京の場合は地下鉄との相互直通運転が多いため、常時点灯しなければならないのだろうが、料金をとる優等列車では照明のOFFは厳しいかもしれない。
運転席のATS表示機は「F」をさし、東海道新幹線並走区間ではN700系の〈のぞみ12号〉東京行きとすれ違う。運転士はすれ違ったあと、チラッと振り向いたが、N700系をにらみつける感じの“鬼の形相”だ。多くの新幹線は“速い”だけになってしまったが、6300系は車両全体に華やかさがある。最新の9300系や9000系が登場しても、6300系は阪急のエースであることに変わりはない。しかし、停車駅の激増とロングシート運用などから、特急としての貫禄が失われつつある。
余談だが、JR東日本は2代目〈はやて〉用にE5系の投入を発表しており、ヒコーキのファーストクラスを鉄道にも取り入れ、1両26メートルの車体で、定員たった18人の“スーパーグリーン車”が話題になっている(JR九州は一部の787系に“デラックスグリーン車”を改造により、連結している)。果たして、新幹線に“ゆとり”の時代が戻るかどうか注目されるだろう。
南茨木で頭上に大阪高速鉄道大阪モノレール線の門真市行き(ワンマン)と交差。4両編成だが、“1両1色”の夢塗装車である。
正雀を通過すると、進行方向左側には大阪市営地下鉄所有の東吹田検車場がある。ここでは66系が休んでおり、マルーンの車体が特長の阪急車に比べると、ステンレス車体が強烈なインパクトを与える。まるで“異端児”のようだが、昔はアルミ車体の60系が休んでいた。
嵐山で乗車券を購入したが、当初は長岡天神で下車し、JR西日本東海道本線の長岡京まで歩き、そこから青春18きっぷ利用をするつもりでいた。しかし、途中で針路を変更することに決定するものの、どこへ行こうか考え込む。順当に梅田へ向かうか、あるいは遠回りをするか?
結論が出て、淡路2号線に到着。1号線には千里線3300系の各駅停車天下茶屋行きに接続するが、私はパス。もし私が関西在住だったら、スンナリ乗り換えていたことだろう。
④2009年3月22日(日曜日)
◆阪急6300系特急最後の乗車?
2009年3月22日(日曜日)、10時頃に阪急京都本線(通称、「京都線」)河原町へ。先日買った阪神のらくやんカードを財布から取り出そうとしたら、なぜか紛失していた。残高60円なので、気にすることもないか。
券売機で乗車券を購入し、自動改札機を通り、1号線へ。そこには特急梅田行き(8号車6454:携帯電話電源OFF車両)が発車を待っている。もし、9300系ならば淡路で千里線に乗り換えようかと考えていただろう。
6300系の転換クロスシートは、9300系に比べ、フニャフニャした坐り心地だが、10時10分に発車。地上にあがると、特急らしい走るものの、以前の大宮-十三間のノンストップから、こまめになってしまったため、鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞した6300系にとっては、屈辱かもしれない。ちなみに特急は2001年3月24日(土曜日)、停車駅の増加に伴い、大宮は通過とした。
日中の京都線は、“速いのは特急、遅いのは準急”とすみ分けているせいか、桂でけっこう乗ってくる。隣りにある桂車庫の留置線には、9300系第3編成(阪急の車両は基本的に「0」から始まるので、「2」は第3編成になる)には、『さくら』のヘッドマークがついている。以前は6300系が掲出して、特急の風格を漂わせていたが、9300系の増備により、情勢が変わったようである。
桂で5300系の準急梅田行きに接続をとり、発車すると、後方にある桂車庫に種別、方向幕とも白表示の6300系が2つもあった。おそらく、嵐山線に転用するリフレッシュ車なのだろう。残念ながら、今回は6300系リフレッシュ車と大阪市営地下鉄30000系の乗車はできず、青春18きっぷ夏シーズンに持ち越しとなった。しかし、秋になっても乗る機会はなく、2010年以降になりそう。
前日の天気予報では、雨という案内だったが、すっかりやんでおり、回復に向かっている。このまま晴れてほしいと願うものの、のちに大ピンチを迎えようとは想像する由もない。
進行方向左側には、東海道本線が現れ、特急〈スーパーくろしお6号〉京都行きとすれ違う。本来ならば、すでに終点京都へ到着しているのだが、遅れている。雨の影響なのだろうか。
そのあと、東海道本線をくぐり、東海道新幹線に合流するも、すれ違いや追い抜かれはなし。進行方向右側の遠くから見える東海道本線で、エル特急〈雷鳥13号〉金沢行きとすれ違う。683系4000番代の投入で、485系が関西から見納めになる日は近い。
東海道本線の関空特急〈はるか19号〉関西空港行きに抜かれてしまい、高槻市に到着。隣りのホームでは、7300系の準急河原町行きが3300系リフレッシュ車の特急河原町行きと待ち合わせをしていた。今も京都線特急のロングシート運用に歯止めがかからない状況だ。また、昔の7300系は急行、3300系は各駅停車の専用的な運用をしていたが、いつのまにか平等な立場になった。
※オリジナルの2300系(2008年9月6日、正雀工場の敷地外で撮影)
※方向幕、種別幕、急行灯などが装備された2300系(梅田で撮影)
茨木市では、2300系の準急梅田行きに接続。2300系は、原形のタイプが京都線で運行されておらず、方向幕と急行灯の取りつけ改造をしたものが使われている。3300系や5300系も、方向幕と急行灯の取りつけ改造を受けており、似たような顔つきになった。また、ワンハンドルマスコンではないせいか、車体上部はクリーム色に塗られておらず、“古きよき時代”を物語っているようだ。ちなみにワンハンドルマスコンの6000系、7000系、7300系はあとからクリーム色をつけたが、ムリヤリ感があって似合わない。貫通扉のまわりを銀色にしていないからである。
通過する正雀では、後方の正雀車庫に『さくら』のヘッドマークをつけた車両が留置していた(車両は2300系、3300系、5300系のいずれか1つで、遠い位置にあったため、形式名は確認できなかった)。嵐山線の直通電車に使われるのだろう。
上新庄を通過すると、いつもの減速で淡路へ。大阪市営地下鉄66系の各駅停車天下茶屋行きに接続し、同時発車。もうスピードはあがらない。ちなみに淡路は将来、おおさか東線の乗換駅になるが、それらしき工事はなかった。また、新大阪-放出(Hanaten)間の延伸は相当遅れる模様である。
◆もっと乗りたかった6300系特急
6300系は昭和50年(1975年)7月31日(木曜日)にデビューし、翌年に鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。それまでの特急車だった2800系は3ドア化及びロングシート化改造を受け、6300系は阪急のエースに君臨。昭和59年(1984年)1月には、界磁チョッパ制御を採用した6300系(「6330系」とも呼ばれる)が増備され、9編成が在籍することになる。
6300系は華と品格のある特急形電車で、特急料金不要で利用できるものでは、最高級といえるのではないだろうか。京阪8000系“エレガン都エクスプレス”のブ厚い転換クロスシートは、“坐り心地のよさ”を表しているし、テレビカー、2階建て車両の連結は“乗ってみたい車両”の選択肢を増やした。しかし、カーブが多いせいか、所要時間がかかる難点がある。また、関東地方だと、京浜急行電鉄2100形のノルウェー製の転換クロスシートをしているものの、6300系に比べると、重厚感がないように思う。2100形のフェイスは、2代目1000形に似ているからだろうか。
2003年10月14日(火曜日・鉄道の日)、9300系がデビュー。6300系の後継車となるものの、特急停車駅の増加により、乗降を円滑にするため、3ドアとなった。転換クロスシートは坐り心地を向上したものの、ロングシートが各車両に存在しているため、セミクロスシートとなってしまった。9300系は6300系のような“王者の風格”がなく、物足りない。しかし、6300系は30年を越える大ベテランとなり、オリジナルの状態を堅持し続けたため、陳腐化は否めず、2008年度からは9300系の増備が急速に進んでいる。これにより、6300系に廃車が発生し、一部は4両に短縮。前述した通り、リフレッシュ工事をして、嵐山線に転用されている。
さて、特急梅田行きは新快速が常に盛況していることを物語るかの如く、私の隣りは誰も坐らず、乗車している8号車は、転換クロスシートは1人坐っているところが多く、閑散している。
十三から宝塚線に入る。意外なことに宝塚線十三-梅田間は複々線なのである。
先に5000系の急行梅田行きに発車され、淀川を渡ったあとに追い抜き、10時52分、終点梅田に到着。降車専用のホームに降りたあと、ドアが閉まり、転換クロスシートは自動的に向きが変わる。そして、1号線で乗車を待ちわびている利用客を万全磐石の態勢で出迎えたのである。
11時00分、折り返しとなる特急河原町行きが発車。2009年度も9300系が増備されるため、京都線特急6300系は終焉を迎えそうである。
その予感は当たり、2010年1月8日(金曜日)に特急、通勤特急の運用から外れ、しばらく沈黙していた。その後、2月21日(日曜日)から1週間、“特急、通勤特急のサヨナラ運行”をして、2月28日(日曜日)に有終の美を飾った。
★備考
①阪急電鉄ホームページは、こちらへクリック!!
②フリー百科事典『Wikipedia「阪急6300系電車」』は、こちらへクリック!!
③乗車車両編成表は省略しております。
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6300系は昭和50年(1975年)に入団した阪急電鉄のエースですが、
最近は7300系にリニューアル車が登場し、ずいぶんと顔つきが変わっております。まだまだ走る表れですが、6300系の勇姿に目を焼きつく者として、この記事をお届けします。
なお、6300系の動向に関する阪急電鉄の公式発表は掲載日時点、ありませんので、コメントやトラックバックの際は充分、御注意下さい(「誤報は流さないで下さい」ということです)。
※オレンジは2009年10月23日(金曜日)に加筆。また、情勢が変化したため、一部の文字に抹消線をひいております。
①2004年3月21日(日曜日)
阪急電鉄嵐山線の各駅停車桂行き(2303)、京都本線の特急梅田行き(1号車6351:ケータイ電源OFF車&1976年ブルーリボン賞受賞のプレートつき)に乗り継ぐ。
そういえば、京都本線は特急のロングシート車解消のため、9300系を投入したはずだが、すれ違った特急河原町行きは2本続けてロングシート車は疑問。
②2007年9月7日(金曜日)
京都本線は3300系の快速急行と各駅停車の河原町行きが発車。隣りの宝塚本線では3号線に6000系の特急〈日生エクスプレス〉日生中央行きが発車。宝塚本線で運行される唯一の特急である。
再び京都本線に目を向けると、7300系の準急河原町行きが発車し、そのあと、お目当ての通勤特急河原町行き(8号車6454:携帯電話電源オフ車両)が到着た。10分以上も待ったので、先ほど乗った神戸本線の特急は“終点梅田まで乗ってもよかったな”と損した思いだ。
阪急は6300系・6330系に限り、車体側面及び車内に号車シールがあり、特急車のプライドと風格を感じさせ、18時43分に発車する。当然、坐れない。
減速して淡路を通過。6300系は大阪市営地下鉄10系をさながらの電気笛を鳴らす。この音色、俺は好きなんだなぁー。思えば、初めて10系を見た時、電気笛のタイフォンが衝撃的だったが、なんでリニューアル時に変えちまったんだろうね?(ちなみに10系は増備末期から空気笛に変わっていた)
7300系の準急河原町行きを抜き、俊足が戻る。乗車している車両は昭和52年(1977年)に産声をあげて、30年たつが古さは感じない。というか、9000系・9300系は大仏みたいなフェイスであるため、6300系の落ち着き感、重厚感が際立っているのである。
6300系は昭和50年(1975年)に入団。2800系の後継車とした特急車両で、2ドア転換クロスシートを踏襲。阪急の車両では初めて、車体上部に白を採用。先頭車の貫通扉の周り及び、急行灯とテールランプをシルバーで囲むなど、特急車のグレードを高めた。
2800系は特急運用から離脱し、ロングシート3ドア化して、活躍を続けたものの、先輩の2300系よりハードな運行をしていたため、老朽化が進み、8300系に置き換えられている。
昭和51年(1976年)、6300系は鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞し、阪急のエースに君臨。昭和59年(1984年)には輸送力増強のため、6330系が登場。足まわりは7300系と共通である。
入団以来、まさか32年も走り続けるとは思っていなかったが、特急の停車駅が激増し、2003年にセミクロスシート(転換クロスシート&ロングシート)3ドアの9300系が入団しているものの、6300系を置き換えるほどの勢力ではなく、また、経営事情もあり、まだまだ走り続けるだろう。
阪急はマルーンの車体と木目調の車内にこだわりを持っており、携帯電話電源オフ車両を設けるなど、独自色の強い鉄道だ。それゆえ、阪急ファンが多いのもうなずける。
ただ、これを「伝統」と化したため、思い切った刷新ができないように思える。例えば、塗装を省いたステンレス車体が登場したとしても、レールファンは東武鉄道の通勤形電車と同じように映るだろうし、現代の鉄道では白を基調とした化粧板を基本としているが、阪急にそれを採用したら、違和感を持つ利用客も多いかもしれない。コストの削減がどこの鉄道でも共通のキーワードであるだけに、“伝統からの脱却と新たな挑戦をしてもいいのではないか”と考えることがある(結論が出ないため、提言できない)。
しかし、阪急のように独自色にこだわらないと困るケースもある。
例をあげると、JR東日本E231系シリーズやE233系シリーズをベースにした私鉄や地下鉄の車両が誕生したことである。特に相模鉄道10000系や東京都交通局10-300形のようにドア及び、ドア上の情報案内装置などを見ると、“JR東日本の車両に乗っているのではないか?!”と錯覚するほどの車両もある(ドアチャイムもJR東日本と同じ)。共通化するにせよ、オリジナリティーがないのは“芸がない”ことと同じなのである(JR九州はオリジナリティーのがある車両が多い)。
さて、新快速ほど混んでおらず、高槻市で若干減るものの、それでも坐れず、発車すると東海道本線に接近。タイミングがいいのか悪いのか、221系の普通電車米原行きとデッドヒートを繰り広げ、互角。心情的に“世界遺産候補”の221系に抜き去ってもらいたいところだけど、特急の面目躍如。先ほどの神戸本線7000系の特急梅田行きは各駅停車JR東西線経由松井山手行きについていけなかったから、意地を見せたことになる。
長岡天神で降りるお客が多く、補助いすに坐る。
補助いすは1人がけとなっているものの、JR西日本223系1000・2000・5000番台、JR九州817系シリーズのように離席すると、自動的に収納しない構造である。
桂で補助椅子から展望席へ。展望席は2人がけロングシートで6300系・6330系で唯一、惜しい点だが、最前席にはひじかけがついており、ふっくらとした座席は“ゆったり感”を強調。坐り心地もよく、さすがは特急車だ。
西京極を通過すると、地下へもぐり、西院へ。ここから先は各駅に停まり、19時24分、終点河原町3号線に到着したが、この駅は撮影しづらく、到着時しか撮れない印象を持つ。ただ、フラッシュを使うことは運転の妨げになるため、7・8両編成の場合、10両編成対応の1号線梅田寄り以外、撮れる場所がない(10両編成時はムリ)。
折り返し、通勤特急梅田行きとなり、再び乗車。さいわい、8号車は乗る人が少なく、ほかは補助いすを必要とするほどの入りである。
8号車は携帯電話電源オフ車両なのに、テレホンカード式公衆電話がある。京阪電気鉄道8000系“エレガン都エクスプレス”のような個室ではないため、通話するとうるさくて不快感を持つお客も少なくないだろう。車掌も携帯電話電源オフ車両を案内しても、テレホンカード式公衆電話についてはまったく案内していない。“通話したけりゃテレカを使え”ということなのだろうが、矛盾しているように思う。これだとテレホンカード式公衆電話を撤去するか、携帯電話電源オフ車両を7号車に変更する必要があるだろう。
6300系の転換クロスシートはバケットタイプではないため、相席になると、座面が下がる感じで、JRの近郊形電車のようなワイドボディーでないこともあり、若干、キュークツさを感じる。窓側にひじかけがあるせいだろうか(9300系の転換クロスシートは窓側にひじかけがない)。
通勤特急の走りは見事。近年の特急は途中駅の停車駅を増やしているせいか、貫禄が失われ、品格が問われても不思議ではないが、停車駅の少ない通勤特急は最高。もう1度、昼間の特急で速達の爽快感を味わいたいものである。
相川を発車すると、スピードが落ち、熱を冷ますかのような走りで十三に到着。一気にガラガラとなり、20時15分、終点梅田1号線に到着。外幌を見ると、新幹線なみの高さをほこり、マルーンだと女性のブーツにありがちな色であろう。6300系をクライマックスに選んでよかった。
③2008年4月6日(日曜日)
桂で京都本線へ。2号線に3300系の準急河原町行きが到着。ここで特急河原町行きの待ち合わせをするが、駅員は首都圏では考えられないような案内をした。
「このあとにまいります特急は大変な混雑が予想されます。終点河原町へは4分か5分しか変わりません。お時間の許されるお客様はすいております、準急を御利用下さい」
東京では1分、スポーツでは1秒でも大きな開きがあるというのに、“たったの5分”という感覚には驚いた。それだけ生活にゆとりのある地方なのだろうかと感心する。首都圏は時間にゆとりのないところだと思う。
3号線に6300系の特急河原町行きが到着。駅員が予想していた通りの混雑で、嵐山以外でも盛況しているようだ。大半は駅員の案内に耳を傾けず、特急河原町行きに乗り込んだようで、発車するのに手間取ったようだ。ちなみにこの時期、京都本線のみだが、特急にヘッドマークをつけて運行していることが多い。
5号線に7300系の準急梅田行きが到着し、ほどなくして4号線に6300系の特急梅田行き(1号車6350:ブルーリボン賞のプレート)が『さくら』のヘッドマークをつけて登場!! 利用客が多くて坐れず、10時58分に発車する。阪急側も“いつもこのくらい乗ってくれれば”と思っていることだろう。
走行中は蛍光灯OFFで走行。2007年9月7日(金曜日)に今津線を利用した時に気づいたが、これは「エコ」が浸透している表れといえるのだけど、首都圏では蛍光灯OFFはめったになく、2003年に京王電鉄で東京電力がパンクする恐れがあることを公表していたため、期間限定で実施しただけにとどまっている。照明の技術が発達すれば、自動で照明のON・OFFができるようになるのではないだろうか。
東京の場合は地下鉄との相互直通運転が多いため、常時点灯しなければならないのだろうが、料金をとる優等列車では照明のOFFは厳しいかもしれない。
運転席のATS表示機は「F」をさし、東海道新幹線並走区間ではN700系の〈のぞみ12号〉東京行きとすれ違う。運転士はすれ違ったあと、チラッと振り向いたが、N700系をにらみつける感じの“鬼の形相”だ。多くの新幹線は“速い”だけになってしまったが、6300系は車両全体に華やかさがある。最新の9300系や9000系が登場しても、6300系は阪急のエースであることに変わりはない。しかし、停車駅の激増とロングシート運用などから、特急としての貫禄が失われつつある。
余談だが、JR東日本は2代目〈はやて〉用にE5系の投入を発表しており、ヒコーキのファーストクラスを鉄道にも取り入れ、1両26メートルの車体で、定員たった18人の“スーパーグリーン車”が話題になっている(JR九州は一部の787系に“デラックスグリーン車”を改造により、連結している)。果たして、新幹線に“ゆとり”の時代が戻るかどうか注目されるだろう。
南茨木で頭上に大阪高速鉄道大阪モノレール線の門真市行き(ワンマン)と交差。4両編成だが、“1両1色”の夢塗装車である。
正雀を通過すると、進行方向左側には大阪市営地下鉄所有の東吹田検車場がある。ここでは66系が休んでおり、マルーンの車体が特長の阪急車に比べると、ステンレス車体が強烈なインパクトを与える。まるで“異端児”のようだが、昔はアルミ車体の60系が休んでいた。
嵐山で乗車券を購入したが、当初は長岡天神で下車し、JR西日本東海道本線の長岡京まで歩き、そこから青春18きっぷ利用をするつもりでいた。しかし、途中で針路を変更することに決定するものの、どこへ行こうか考え込む。順当に梅田へ向かうか、あるいは遠回りをするか?
結論が出て、淡路2号線に到着。1号線には千里線3300系の各駅停車天下茶屋行きに接続するが、私はパス。もし私が関西在住だったら、スンナリ乗り換えていたことだろう。
④2009年3月22日(日曜日)
◆阪急6300系特急最後の乗車?
2009年3月22日(日曜日)、10時頃に阪急京都本線(通称、「京都線」)河原町へ。先日買った阪神のらくやんカードを財布から取り出そうとしたら、なぜか紛失していた。残高60円なので、気にすることもないか。
券売機で乗車券を購入し、自動改札機を通り、1号線へ。そこには特急梅田行き(8号車6454:携帯電話電源OFF車両)が発車を待っている。もし、9300系ならば淡路で千里線に乗り換えようかと考えていただろう。
6300系の転換クロスシートは、9300系に比べ、フニャフニャした坐り心地だが、10時10分に発車。地上にあがると、特急らしい走るものの、以前の大宮-十三間のノンストップから、こまめになってしまったため、鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞した6300系にとっては、屈辱かもしれない。ちなみに特急は2001年3月24日(土曜日)、停車駅の増加に伴い、大宮は通過とした。
日中の京都線は、“速いのは特急、遅いのは準急”とすみ分けているせいか、桂でけっこう乗ってくる。隣りにある桂車庫の留置線には、9300系第3編成(阪急の車両は基本的に「0」から始まるので、「2」は第3編成になる)には、『さくら』のヘッドマークがついている。以前は6300系が掲出して、特急の風格を漂わせていたが、9300系の増備により、情勢が変わったようである。
桂で5300系の準急梅田行きに接続をとり、発車すると、後方にある桂車庫に種別、方向幕とも白表示の6300系が2つもあった。おそらく、嵐山線に転用するリフレッシュ車なのだろう。残念ながら、今回は6300系リフレッシュ車と大阪市営地下鉄30000系の乗車はできず、青春18きっぷ夏シーズンに持ち越しとなった。しかし、秋になっても乗る機会はなく、2010年以降になりそう。
前日の天気予報では、雨という案内だったが、すっかりやんでおり、回復に向かっている。このまま晴れてほしいと願うものの、のちに大ピンチを迎えようとは想像する由もない。
進行方向左側には、東海道本線が現れ、特急〈スーパーくろしお6号〉京都行きとすれ違う。本来ならば、すでに終点京都へ到着しているのだが、遅れている。雨の影響なのだろうか。
そのあと、東海道本線をくぐり、東海道新幹線に合流するも、すれ違いや追い抜かれはなし。進行方向右側の遠くから見える東海道本線で、エル特急〈雷鳥13号〉金沢行きとすれ違う。683系4000番代の投入で、485系が関西から見納めになる日は近い。
東海道本線の関空特急〈はるか19号〉関西空港行きに抜かれてしまい、高槻市に到着。隣りのホームでは、7300系の準急河原町行きが3300系リフレッシュ車の特急河原町行きと待ち合わせをしていた。今も京都線特急のロングシート運用に歯止めがかからない状況だ。また、昔の7300系は急行、3300系は各駅停車の専用的な運用をしていたが、いつのまにか平等な立場になった。
※オリジナルの2300系(2008年9月6日、正雀工場の敷地外で撮影)
※方向幕、種別幕、急行灯などが装備された2300系(梅田で撮影)
茨木市では、2300系の準急梅田行きに接続。2300系は、原形のタイプが京都線で運行されておらず、方向幕と急行灯の取りつけ改造をしたものが使われている。3300系や5300系も、方向幕と急行灯の取りつけ改造を受けており、似たような顔つきになった。また、ワンハンドルマスコンではないせいか、車体上部はクリーム色に塗られておらず、“古きよき時代”を物語っているようだ。ちなみにワンハンドルマスコンの6000系、7000系、7300系はあとからクリーム色をつけたが、ムリヤリ感があって似合わない。貫通扉のまわりを銀色にしていないからである。
通過する正雀では、後方の正雀車庫に『さくら』のヘッドマークをつけた車両が留置していた(車両は2300系、3300系、5300系のいずれか1つで、遠い位置にあったため、形式名は確認できなかった)。嵐山線の直通電車に使われるのだろう。
上新庄を通過すると、いつもの減速で淡路へ。大阪市営地下鉄66系の各駅停車天下茶屋行きに接続し、同時発車。もうスピードはあがらない。ちなみに淡路は将来、おおさか東線の乗換駅になるが、それらしき工事はなかった。また、新大阪-放出(Hanaten)間の延伸は相当遅れる模様である。
◆もっと乗りたかった6300系特急
6300系は昭和50年(1975年)7月31日(木曜日)にデビューし、翌年に鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。それまでの特急車だった2800系は3ドア化及びロングシート化改造を受け、6300系は阪急のエースに君臨。昭和59年(1984年)1月には、界磁チョッパ制御を採用した6300系(「6330系」とも呼ばれる)が増備され、9編成が在籍することになる。
6300系は華と品格のある特急形電車で、特急料金不要で利用できるものでは、最高級といえるのではないだろうか。京阪8000系“エレガン都エクスプレス”のブ厚い転換クロスシートは、“坐り心地のよさ”を表しているし、テレビカー、2階建て車両の連結は“乗ってみたい車両”の選択肢を増やした。しかし、カーブが多いせいか、所要時間がかかる難点がある。また、関東地方だと、京浜急行電鉄2100形のノルウェー製の転換クロスシートをしているものの、6300系に比べると、重厚感がないように思う。2100形のフェイスは、2代目1000形に似ているからだろうか。
2003年10月14日(火曜日・鉄道の日)、9300系がデビュー。6300系の後継車となるものの、特急停車駅の増加により、乗降を円滑にするため、3ドアとなった。転換クロスシートは坐り心地を向上したものの、ロングシートが各車両に存在しているため、セミクロスシートとなってしまった。9300系は6300系のような“王者の風格”がなく、物足りない。しかし、6300系は30年を越える大ベテランとなり、オリジナルの状態を堅持し続けたため、陳腐化は否めず、2008年度からは9300系の増備が急速に進んでいる。これにより、6300系に廃車が発生し、一部は4両に短縮。前述した通り、リフレッシュ工事をして、嵐山線に転用されている。
さて、特急梅田行きは新快速が常に盛況していることを物語るかの如く、私の隣りは誰も坐らず、乗車している8号車は、転換クロスシートは1人坐っているところが多く、閑散している。
十三から宝塚線に入る。意外なことに宝塚線十三-梅田間は複々線なのである。
先に5000系の急行梅田行きに発車され、淀川を渡ったあとに追い抜き、10時52分、終点梅田に到着。降車専用のホームに降りたあと、ドアが閉まり、転換クロスシートは自動的に向きが変わる。そして、1号線で乗車を待ちわびている利用客を万全磐石の態勢で出迎えたのである。
11時00分、折り返しとなる特急河原町行きが発車。2009年度も9300系が増備されるため、京都線特急6300系は終焉を迎えそうである。
その予感は当たり、2010年1月8日(金曜日)に特急、通勤特急の運用から外れ、しばらく沈黙していた。その後、2月21日(日曜日)から1週間、“特急、通勤特急のサヨナラ運行”をして、2月28日(日曜日)に有終の美を飾った。
★備考
①阪急電鉄ホームページは、こちらへクリック!!
②フリー百科事典『Wikipedia「阪急6300系電車」』は、こちらへクリック!!
③乗車車両編成表は省略しております。
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