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2008年の汽車旅4-8(JR九州完全制覇達成!!) [汽車旅2008]
◆JR九州完全制覇達成!!
豪雨の都城を下車し、徒歩3分のところにある都城北原郵便局で、この日最後の旅行貯金。その後、急速に小康(Shokoh)状態となり、都城5番のりばへ。吉都線の各駅停車吉松行きワンマン列車(キハ47 9084)に乗り込む。2両編成だが、うしろの車両の車内にある車番はハイフンがついているものの、車体はついていない。時より見かける珍現象だ。
小康状態の雨はやみ、16時10分に発車。日豊本線と別れ、力強く進んでいく。
日向庄内で大量乗車。無人駅で十数人が長蛇の列になっていたが、また雨が降り注いでゆく。自然の豊かなところにとっては恵みの雨だが、限度を超えると災害になってしまう。
庄内川を渡り、谷頭(Tanigashira)はなんと架線を発見!! 全便気動車なのに不思議だが、電化計画はあったのだろう。今まで、そういう話を聞いたことがなく、不思議な光景だ。
架線は谷頭発車後に途切れると、スピードに勢いはなくなったが、畑が多くなる。
東国原知事就任で宮崎県はクローズアップされているが、農作物が多いことは車窓でも感じる。日本の食料自給率が40パーセントで、60パーセントは輸入に頼っているが、これによって農業人口の減少かつ高齢化が課題になっている。過疎地の活性化として新田開発を“急務”とさせ、農業人口を増やすべきではないだろうか。実際、農業に関心を持つ人も多いという。
あとは法を見直し、食糧危機を脱するようにしなければならないだろう。輸出している国の食糧生産量は無限大というわけではないのだから。
雨は再びやみ、天気も晴れに回復し、高崎新田(Takasaki-Shinden)へ。駅舎は立派なコンクリート製だが、意外にも無人駅。大半の高校生は下車し、家路へ直行。近辺はマンションがあり、住宅地のようである。
高崎新田を発車すると、軽やかに走るものの、ちょっと苦しそうな走りだ。勾配へ登り、高原へ向かう雰囲気がある。「タカハラ」じゃないよ、「コーゲン」だよ。と言うのも吉都線には高原(Takaharu)という駅があるからだ。ちなみに吉都線全線と肥薩線吉松-八代間は「えびの高原線」という路線愛称がつけられてはいるものの、浸透していないように思う。吉都線のダイヤはすべて各駅停車の運行で、吉松から肥薩線に入り、隼人まで向かう便はあるが、八代へ向かうことはない。
16時47分、その高原(Takaharu)に到着し、4分停車。神武の里で各駅停車都城行きワンマン列車と行き違う。ホームの吉松寄りは雑草が多く、昔は3両以上の列車が走るのは当たり前の光景だったのだろう。
16時51分に発車し、JR東日本成田線にも存在する小林で、大量乗車が発生。久々の有人駅で、改札付近には花壇があり、曇り空に白いお花が大きな存在感を示している。
発車すると、宅地が多く、小林で多く乗ってくることがうかがえるが、雨が降った痕跡(Konseki)がないものの、雲ゆきが少々あやしくなるのが気になる。また、先ほどまで順調なペースで走っていたが、急にスローペースとなる。勾配とカーブが多くなり、ここから先は難所をゆくらしい。
次の西小林まで宅地が続くものと思っていたが、意外と早く森へ突入。えびの飯野になると、雲ゆきがなおさらあやしくなり、発車すると左右の車窓に山が見え、晴れていたら、ものすごーく見晴らしはいいのだろうが、えびの上江(Uwae)でまた雨が降ってしまう。
えびの上江でサラリーマンが2人乗ってくるが、扇風機に国鉄のロゴマークがあることに気づく。シートモケットは国鉄色から脱しても、扇風機は変わらなかった。また、国鉄時代の主力車種と言えた103系や113系が都市部を中心にJR産の車両に変わったが、気動車は若干の廃車はあるものの、鈍行の主力は今も昔もキハ40系シリーズ、キハ47系シリーズ、キハ48系シリーズで、活躍はまだまだ続きそうだ。
スピードは元に戻り、17時28分、えびのに到着。行き違いのため、7分停車するが、雨は激しくなってゆく。ホームに上屋がないため、高校生は駅舎に避難。どうやら各駅停車都城行きワンマン列車に乗るようだ。
いよいよ、各駅停車都城行きワンマン列車がやって来る。駅舎とホームのあいだに遮断機のない踏切があり、警報音が作動するのだが、男子高校生らはあわてて渡り出した。各駅停車都城行きワンマン列車の運転士はタイフォンを2度鳴らす。男子高校生らはまるでスリルを楽しんでいるかのようだが、これで事故が起こったら大迷惑だ。特に無人駅の多いローカル線だと、首都圏のように遅延情報は流れるわけではなく、列車を待っている利用客は待ちぼうけを喰うことになる。
ふざけた男子高校生に撮影の邪魔をされ、殴り倒したくなってくるほどだが、17時35分に発車。あんだけ、ザァーザァー降っていたのに、またも小康状態となり、京町温泉に到着。大量下車が発生し、利用客は私を含め、たった4人に激減!!
鶴丸から鹿児島県に入り、雨もやんでラストスパートは軽やかに駆け抜ける。次は終点吉松だ。
「あと1球、あと1球ぅー!!」
野球場なら9回表2死の場面で、盛り上がって手拍子が起こるだろう。私はそういう心境で終点吉松到着が待ち遠しい。
肥薩線に合流すると17時49分、終点吉松2番のりばに到着。吉都線全線完乗と共にJR九州完全制覇を達成した。JRの完全制覇はこれで4社目になり、残るはJR東日本とJR西日本だけとなった。
初めて九州の地に足を踏んだのは平成10年(1998年)8月15日(土曜日)で、JR九州完全制覇まで10年かかった。個人的に平成10年(1998年)は4月5日(日曜日)に四国、12月28日(月曜日)に北海道の地へ足を踏み入れており、すでにJR四国とJR北海道の完全制覇を達成しているので、時間がかかったことになる。
実は2007年夏にJR九州完全制覇の青写真を描いていたが、島原鉄道の“お家騒動”により、そちらを優先させなければならず、日程や費用の面で実現できず、1年遅れの達成となった。
しかし、喜ぶのはまだ早く、九州新幹線が全通するとリセットになるし、九州新幹線長崎ルートが具体化すると、“課題かつ目標”が増えることにもなる。JR北海道も北海道新幹線の工事が本格化しているし、JR東海も2025年の予定で、リニアモーターカーによる中央新幹線が現実になる青写真を描いている。
私は日本の鉄道完全制覇を目指しており、2004年8月22日(日曜日)にはすべての都道府県に足を踏み入れ、“日本完全制覇”を達成している。日本人でもなかなかできることではないことをやったわけだが、いずれも国から表彰されるわけではない。
これからも日本の鉄道、社会を現地で見て、趣味で楽しむのはもちろんのこと、新しい日本の世の中が生まれることを考えていきたい。2年続けて内閣総理大臣がみずから立場を放り投げたあと、総裁選でムダな全国行脚を繰り広げている自民党は庶民の暮らしぶりはどうなのかわかるまい。
世の中には『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』のように、お忍びで庶民の町を歩き、暮らしぶりを知る人間がいつの世にも必要なのだ。政治家はそういうことをわかっているのだろうか? それがわからない限り、私の旅は日本の鉄道完全制覇を達成したあとでも続くだろう。
◆マナーの悪い若者をどげんとせんといかん!!
吉松で下車。ここを訪れるのは2000年8月16日(水曜日)以来、8年ぶりとなるが、まずは駅舎内にある座敷の待合室でひと休み。外へ出ると、駅前に鉄道の資料館、観光SL会館が存在するものの、営業時間は終了したらしい。また、駅前に展示されている蒸気機関車、C55形52号機は上屋がつけられ、静態保存体制を強化し、公園を整備し、雰囲気が変わった。
C55形52号機は昭和12年3月14日(日曜日)、汽車株式会社という車両メーカーで産声をあげ、11日後の3月25日(木曜日)、小郡機関区に配置され、昭和13年(1938年)2月18日(金曜日)に糸崎機関区へ異動。昭和14年(1939年)4月8日(土曜日)には九州の鳥栖機関区へ。わずか5か月後の9月26日(火曜日)には大分機関区へ異動することになるが、九州の水にあう蒸気機関車となってゆく。
昭和39年(1964年)10月14日(水曜日)、宮崎機関区へ異動したあとは4年以内で転勤することになり、昭和43年(1968年)10月14日(月曜日)に若松機関区、昭和47年(1972年)3月24日(金曜日)に吉松機関区、昭和49年(1974年)4月26日(金曜日)に鹿児島機関区へと渡った。 昭和50年(1975年)1月14日(火曜日)、吉松機関区へ戻った時点で、38年に渡る役目を終え、静態保存されている。
駅前の整備によって、C55形52号機の運転席に入れるようになり、さっそく入ると、石炭が積まれている。もう動くことはないが、当時を再現しようという意気込みである。
運転席はいろいろと機器類が多く、どうやって動かせばいいのか説明を受けないとまったくわからない。そして、運転席から身を乗り出すと、ずいぶん高い位置にあることがわかる。まるでダンプカーに乗っているかのようだ。
C55形52号機を下りるが、周辺にコンビニや弁当屋がなく、食事の面で不自由だ。歩けばどこかへ当たるのだろうが、次の列車の発車時間を考えると、遠くへは行けない。とりあえず、吉松駅の自販機でコーラを買って、空腹を抑えることにしよう。
1番のりばには肥薩線の各駅停車隼人行きワンマン列車、3番のりばに各駅停車人吉行きワンマン列車が相次いで入線。ホームはすべて埋まり、私は2番のりばへ戻り、吉都線の各駅停車都城行きワンマン列車(キハ47-8125)へ。この日は宮崎泊まりのため、ダイヤの都合上、肥薩線で遊ぶわけにはいかないのである。
18時12分に発車し、改めて車窓を見ると、“田舎ののどかさはいいなぁー”と思うものの、“そこへ住むからには農業をやんなきゃ暮らしていけないのかな?”とも思う。
19時43分、終点都城5番のりばに到着し、2度目の下車。ここで晩メシにしようというわけだが、宮崎名物の1つ、地鶏を食べたいと思いながら、店を探すものの、周辺は居酒屋が多く、そこへ入らなきゃ食べられない。居酒屋は“2人以上、1時間以上、ワリカン”というのが暗黙の了解みたいなもので、個人的には行く気になれない。チェーン店でもいいから、純粋に食事ができるところを探したら、あった。そこは都城駅の近くにあるところで、『食事の店 紀ノ川』というラーメン屋である。
店に入ると、2008年に営業開始から33年という年季の入ったところで、60代の夫婦が切り盛りしている。
1日1回は米を食わないと気が済まない私はやきめしを注文。もちろん、おいしい。居酒屋ばかりの都城駅近辺で、こういった“庶民の味”の外食屋さんは少ないのではないだろうか。
「おおきに」
とおかみさんが言っていたので、店の名前からして、この夫婦は紀州の方だと思うが、末永く営業していただきたいものである。
さて、都城駅へ戻り、日豊本線に乗るが、改札口と地下通路の入口にはLCDがあり、発車時刻を案内している。こういうところでLCDにお目にかかれるとは思っていなかったが、1番のりばから各駅停車宮崎行きワンマン列車(クモハ817-2)へ。定刻より2分遅れの到着となり、20時28分に発車する。
「ちょっと」
三股で若者2人の男は先頭車1番うしろのドアではなく、前から乗り、運転士が声を掛けるが、無視。そして、足が不自由な60代の男性が乗るものの、足を引きずっており、歩ける状況ではなく、運転士は助け舟。その男性は山之口で下車したが、運転士の助け舟により、遅れが発生する。しかし、乗車した電車にはベテランの乗務員が1人乗っており、なぜ、最後部の乗務員室にい続けたのが気になる。こういうのは運転をしない乗務員の役目だろう。
この日は高校生といった若者のマナーの悪さが目につくが、上りの吉都線も駅舎に入らず、下りの線路沿いに歩いて、列車に乗る高校生がいたし、8月31日(日曜日)はJR西日本山陽本線の安芸中野駅構内で、線路を横断する男子高校生がいた。電車の中で見たのだから、車掌も気づいているはずなのに、鉄道営業法違反で拘束して警察に引き渡すこともしなかった。
青井岳で713系の各駅停車西都城行きと行き違うが、4両編成のため、車掌が乗務している。
車内は意外と閑散としており、都城では座席奪取に躍起で、停車中の817系を撮影することはできなかった。817系は一部に補助席を設けているが、ほかは転換クロスシート。しかも、JR西日本221系やJR東海313系5000番台などに比べると、座席定員が少ないのだ。それだけ、“ゆとりのある空間をくつろいでもらいたい”ということになるのだろうか?
清武で817系の各駅停車鹿児島中央行きワンマン列車と行き違うが、こちらは高校生が多い。夜遅い時間まで高校生は学習塾に通っているのか、部活なのかはわからないが、帰宅するには遅い時間ではないだろうか(それは日本全国、どこも同じかもしれない)。
遅れは回復し、南宮崎1番のりばに到着。ホームの行先案内板では「普通(ワンマン) 21:19 延岡」と表示。この電車の方向LEDは「宮崎」を表示しているが、この電車は鹿児島中央を18時40分に発車。「各駅停車」と言いながら、竜ヶ水を通過しているが、列車番号は6960Mである。そして、宮崎で列車番号は760Mに変わり、延岡まで運行するのである。
21時22分、宮崎2番のりばに到着。ここで46分停車し、方向LEDも「延岡」に変わった。鈍行では驚異的に長い46分停車のあいだ、快速〈ホームライナー4号〉延岡行きを先に通す。
快速〈ホームライナー〉は乗車整理券300円が必要だが、宮崎空港-宮崎間のみ、乗車整理券がなくても乗れる。また、宮崎空港、南宮崎からでも乗車整理券を買うことができるものの、首都圏とは違い、駅の窓口で購入することになる。
宮崎で下車し、東国原知事のパネルがお出迎え。そして、国道10号線を歩き、宿へ向かうが、ずいぶん遠い。首都圏みたいに電柱やビルに所在地のプレートがなく、コンビニで売ってある地図で確認するほどだったが、気になるのはタクシーが国道10号線に多くのタクシーが止まっていること。どうやら客待ちのようだが、“駐車ではなく、停車”と主張したいのだろう(道路は駐車禁止)。この姿勢はいかがなものか。堂々と宮崎駅で客待ちをすればいい。そのせいか、パトカーはタクシーを追っ払っていた。こういうのは会社の信用問題にもかかわる。
所在地プレートがないことや交差点の名前のカンバンも少ないため、不便きわまりないが、22時過ぎ、道に迷うことなく、宿に到着した。
★備考
①今回の動画はこちらにクリック!!
②岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅6-3(JR四国完全制覇達成!!)」はこちらにクリック!!
③岸田法眼のRailway Blog.「2005年の汽車旅5-5(北海道の鉄道完全制覇)」はこちらにクリック!!
※来訪御礼のみや記事に関係のないコメントをされる方は上にクリックして下さい(コメントは承認いたしません)。また、我がブログのコメント、トラックバック承認制になっておりますので、御了承願います。
★お知らせ
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③『Unow?「モハよう著者からの20の質問」』の質問28はこちらにクリック!!
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豪雨の都城を下車し、徒歩3分のところにある都城北原郵便局で、この日最後の旅行貯金。その後、急速に小康(Shokoh)状態となり、都城5番のりばへ。吉都線の各駅停車吉松行きワンマン列車(キハ47 9084)に乗り込む。2両編成だが、うしろの車両の車内にある車番はハイフンがついているものの、車体はついていない。時より見かける珍現象だ。
小康状態の雨はやみ、16時10分に発車。日豊本線と別れ、力強く進んでいく。
各駅停車吉松行きワンマン列車編成表 | |||||
各駅停車都城行きワンマン列車編成表 | |||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 | |
吉松 | なし | キハ47 | 9084 | ○ | 吉松行きで乗車 |
都城 | なし | キハ47- | 8125 | ○ | 都城行きで乗車 |
日向庄内で大量乗車。無人駅で十数人が長蛇の列になっていたが、また雨が降り注いでゆく。自然の豊かなところにとっては恵みの雨だが、限度を超えると災害になってしまう。
庄内川を渡り、谷頭(Tanigashira)はなんと架線を発見!! 全便気動車なのに不思議だが、電化計画はあったのだろう。今まで、そういう話を聞いたことがなく、不思議な光景だ。
架線は谷頭発車後に途切れると、スピードに勢いはなくなったが、畑が多くなる。
東国原知事就任で宮崎県はクローズアップされているが、農作物が多いことは車窓でも感じる。日本の食料自給率が40パーセントで、60パーセントは輸入に頼っているが、これによって農業人口の減少かつ高齢化が課題になっている。過疎地の活性化として新田開発を“急務”とさせ、農業人口を増やすべきではないだろうか。実際、農業に関心を持つ人も多いという。
あとは法を見直し、食糧危機を脱するようにしなければならないだろう。輸出している国の食糧生産量は無限大というわけではないのだから。
雨は再びやみ、天気も晴れに回復し、高崎新田(Takasaki-Shinden)へ。駅舎は立派なコンクリート製だが、意外にも無人駅。大半の高校生は下車し、家路へ直行。近辺はマンションがあり、住宅地のようである。
高崎新田を発車すると、軽やかに走るものの、ちょっと苦しそうな走りだ。勾配へ登り、高原へ向かう雰囲気がある。「タカハラ」じゃないよ、「コーゲン」だよ。と言うのも吉都線には高原(Takaharu)という駅があるからだ。ちなみに吉都線全線と肥薩線吉松-八代間は「えびの高原線」という路線愛称がつけられてはいるものの、浸透していないように思う。吉都線のダイヤはすべて各駅停車の運行で、吉松から肥薩線に入り、隼人まで向かう便はあるが、八代へ向かうことはない。
16時47分、その高原(Takaharu)に到着し、4分停車。神武の里で各駅停車都城行きワンマン列車と行き違う。ホームの吉松寄りは雑草が多く、昔は3両以上の列車が走るのは当たり前の光景だったのだろう。
16時51分に発車し、JR東日本成田線にも存在する小林で、大量乗車が発生。久々の有人駅で、改札付近には花壇があり、曇り空に白いお花が大きな存在感を示している。
発車すると、宅地が多く、小林で多く乗ってくることがうかがえるが、雨が降った痕跡(Konseki)がないものの、雲ゆきが少々あやしくなるのが気になる。また、先ほどまで順調なペースで走っていたが、急にスローペースとなる。勾配とカーブが多くなり、ここから先は難所をゆくらしい。
次の西小林まで宅地が続くものと思っていたが、意外と早く森へ突入。えびの飯野になると、雲ゆきがなおさらあやしくなり、発車すると左右の車窓に山が見え、晴れていたら、ものすごーく見晴らしはいいのだろうが、えびの上江(Uwae)でまた雨が降ってしまう。
えびの上江でサラリーマンが2人乗ってくるが、扇風機に国鉄のロゴマークがあることに気づく。シートモケットは国鉄色から脱しても、扇風機は変わらなかった。また、国鉄時代の主力車種と言えた103系や113系が都市部を中心にJR産の車両に変わったが、気動車は若干の廃車はあるものの、鈍行の主力は今も昔もキハ40系シリーズ、キハ47系シリーズ、キハ48系シリーズで、活躍はまだまだ続きそうだ。
スピードは元に戻り、17時28分、えびのに到着。行き違いのため、7分停車するが、雨は激しくなってゆく。ホームに上屋がないため、高校生は駅舎に避難。どうやら各駅停車都城行きワンマン列車に乗るようだ。
いよいよ、各駅停車都城行きワンマン列車がやって来る。駅舎とホームのあいだに遮断機のない踏切があり、警報音が作動するのだが、男子高校生らはあわてて渡り出した。各駅停車都城行きワンマン列車の運転士はタイフォンを2度鳴らす。男子高校生らはまるでスリルを楽しんでいるかのようだが、これで事故が起こったら大迷惑だ。特に無人駅の多いローカル線だと、首都圏のように遅延情報は流れるわけではなく、列車を待っている利用客は待ちぼうけを喰うことになる。
ふざけた男子高校生に撮影の邪魔をされ、殴り倒したくなってくるほどだが、17時35分に発車。あんだけ、ザァーザァー降っていたのに、またも小康状態となり、京町温泉に到着。大量下車が発生し、利用客は私を含め、たった4人に激減!!
鶴丸から鹿児島県に入り、雨もやんでラストスパートは軽やかに駆け抜ける。次は終点吉松だ。
「あと1球、あと1球ぅー!!」
野球場なら9回表2死の場面で、盛り上がって手拍子が起こるだろう。私はそういう心境で終点吉松到着が待ち遠しい。
肥薩線に合流すると17時49分、終点吉松2番のりばに到着。吉都線全線完乗と共にJR九州完全制覇を達成した。JRの完全制覇はこれで4社目になり、残るはJR東日本とJR西日本だけとなった。
JR旅客鉄道完全制覇日一覧表 | |||
JR会社名 | 完全制覇達成日 | 達成路線名と駅名 | 達成時の年齢 |
JR東海 | 2001年10月6日(土曜日) | 名松線伊勢奥津 | 25歳1か月 |
JR四国 | 2003年8月14日(木曜日) | 高徳線志度 | 26歳11か月 |
JR北海道 | 2005年8月16日(火曜日) | 石勝線夕張 | 28歳11か月 |
JR九州 | 2008年9月1日(月曜日) | 吉都線吉松 | 32歳 |
JR東日本とJR西日本は完全制覇を達成していない |
初めて九州の地に足を踏んだのは平成10年(1998年)8月15日(土曜日)で、JR九州完全制覇まで10年かかった。個人的に平成10年(1998年)は4月5日(日曜日)に四国、12月28日(月曜日)に北海道の地へ足を踏み入れており、すでにJR四国とJR北海道の完全制覇を達成しているので、時間がかかったことになる。
実は2007年夏にJR九州完全制覇の青写真を描いていたが、島原鉄道の“お家騒動”により、そちらを優先させなければならず、日程や費用の面で実現できず、1年遅れの達成となった。
しかし、喜ぶのはまだ早く、九州新幹線が全通するとリセットになるし、九州新幹線長崎ルートが具体化すると、“課題かつ目標”が増えることにもなる。JR北海道も北海道新幹線の工事が本格化しているし、JR東海も2025年の予定で、リニアモーターカーによる中央新幹線が現実になる青写真を描いている。
私は日本の鉄道完全制覇を目指しており、2004年8月22日(日曜日)にはすべての都道府県に足を踏み入れ、“日本完全制覇”を達成している。日本人でもなかなかできることではないことをやったわけだが、いずれも国から表彰されるわけではない。
これからも日本の鉄道、社会を現地で見て、趣味で楽しむのはもちろんのこと、新しい日本の世の中が生まれることを考えていきたい。2年続けて内閣総理大臣がみずから立場を放り投げたあと、総裁選でムダな全国行脚を繰り広げている自民党は庶民の暮らしぶりはどうなのかわかるまい。
世の中には『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』のように、お忍びで庶民の町を歩き、暮らしぶりを知る人間がいつの世にも必要なのだ。政治家はそういうことをわかっているのだろうか? それがわからない限り、私の旅は日本の鉄道完全制覇を達成したあとでも続くだろう。
◆マナーの悪い若者をどげんとせんといかん!!
吉松で下車。ここを訪れるのは2000年8月16日(水曜日)以来、8年ぶりとなるが、まずは駅舎内にある座敷の待合室でひと休み。外へ出ると、駅前に鉄道の資料館、観光SL会館が存在するものの、営業時間は終了したらしい。また、駅前に展示されている蒸気機関車、C55形52号機は上屋がつけられ、静態保存体制を強化し、公園を整備し、雰囲気が変わった。
C55形52号機は昭和12年3月14日(日曜日)、汽車株式会社という車両メーカーで産声をあげ、11日後の3月25日(木曜日)、小郡機関区に配置され、昭和13年(1938年)2月18日(金曜日)に糸崎機関区へ異動。昭和14年(1939年)4月8日(土曜日)には九州の鳥栖機関区へ。わずか5か月後の9月26日(火曜日)には大分機関区へ異動することになるが、九州の水にあう蒸気機関車となってゆく。
昭和39年(1964年)10月14日(水曜日)、宮崎機関区へ異動したあとは4年以内で転勤することになり、昭和43年(1968年)10月14日(月曜日)に若松機関区、昭和47年(1972年)3月24日(金曜日)に吉松機関区、昭和49年(1974年)4月26日(金曜日)に鹿児島機関区へと渡った。 昭和50年(1975年)1月14日(火曜日)、吉松機関区へ戻った時点で、38年に渡る役目を終え、静態保存されている。
駅前の整備によって、C55形52号機の運転席に入れるようになり、さっそく入ると、石炭が積まれている。もう動くことはないが、当時を再現しようという意気込みである。
運転席はいろいろと機器類が多く、どうやって動かせばいいのか説明を受けないとまったくわからない。そして、運転席から身を乗り出すと、ずいぶん高い位置にあることがわかる。まるでダンプカーに乗っているかのようだ。
C55形52号機を下りるが、周辺にコンビニや弁当屋がなく、食事の面で不自由だ。歩けばどこかへ当たるのだろうが、次の列車の発車時間を考えると、遠くへは行けない。とりあえず、吉松駅の自販機でコーラを買って、空腹を抑えることにしよう。
1番のりばには肥薩線の各駅停車隼人行きワンマン列車、3番のりばに各駅停車人吉行きワンマン列車が相次いで入線。ホームはすべて埋まり、私は2番のりばへ戻り、吉都線の各駅停車都城行きワンマン列車(キハ47-8125)へ。この日は宮崎泊まりのため、ダイヤの都合上、肥薩線で遊ぶわけにはいかないのである。
18時12分に発車し、改めて車窓を見ると、“田舎ののどかさはいいなぁー”と思うものの、“そこへ住むからには農業をやんなきゃ暮らしていけないのかな?”とも思う。
19時43分、終点都城5番のりばに到着し、2度目の下車。ここで晩メシにしようというわけだが、宮崎名物の1つ、地鶏を食べたいと思いながら、店を探すものの、周辺は居酒屋が多く、そこへ入らなきゃ食べられない。居酒屋は“2人以上、1時間以上、ワリカン”というのが暗黙の了解みたいなもので、個人的には行く気になれない。チェーン店でもいいから、純粋に食事ができるところを探したら、あった。そこは都城駅の近くにあるところで、『食事の店 紀ノ川』というラーメン屋である。
店に入ると、2008年に営業開始から33年という年季の入ったところで、60代の夫婦が切り盛りしている。
1日1回は米を食わないと気が済まない私はやきめしを注文。もちろん、おいしい。居酒屋ばかりの都城駅近辺で、こういった“庶民の味”の外食屋さんは少ないのではないだろうか。
「おおきに」
とおかみさんが言っていたので、店の名前からして、この夫婦は紀州の方だと思うが、末永く営業していただきたいものである。
さて、都城駅へ戻り、日豊本線に乗るが、改札口と地下通路の入口にはLCDがあり、発車時刻を案内している。こういうところでLCDにお目にかかれるとは思っていなかったが、1番のりばから各駅停車宮崎行きワンマン列車(クモハ817-2)へ。定刻より2分遅れの到着となり、20時28分に発車する。
「ちょっと」
三股で若者2人の男は先頭車1番うしろのドアではなく、前から乗り、運転士が声を掛けるが、無視。そして、足が不自由な60代の男性が乗るものの、足を引きずっており、歩ける状況ではなく、運転士は助け舟。その男性は山之口で下車したが、運転士の助け舟により、遅れが発生する。しかし、乗車した電車にはベテランの乗務員が1人乗っており、なぜ、最後部の乗務員室にい続けたのが気になる。こういうのは運転をしない乗務員の役目だろう。
各駅停車宮崎行きワンマン列車編成表 | |||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 | |
宮崎 | なし | クモハ817- | 2 | ○ | なし |
都城 | なし | ク ハ816- | 2 | ○ | なし |
宮崎から各駅停車延岡行きワンマン列車へ |
この日は高校生といった若者のマナーの悪さが目につくが、上りの吉都線も駅舎に入らず、下りの線路沿いに歩いて、列車に乗る高校生がいたし、8月31日(日曜日)はJR西日本山陽本線の安芸中野駅構内で、線路を横断する男子高校生がいた。電車の中で見たのだから、車掌も気づいているはずなのに、鉄道営業法違反で拘束して警察に引き渡すこともしなかった。
青井岳で713系の各駅停車西都城行きと行き違うが、4両編成のため、車掌が乗務している。
車内は意外と閑散としており、都城では座席奪取に躍起で、停車中の817系を撮影することはできなかった。817系は一部に補助席を設けているが、ほかは転換クロスシート。しかも、JR西日本221系やJR東海313系5000番台などに比べると、座席定員が少ないのだ。それだけ、“ゆとりのある空間をくつろいでもらいたい”ということになるのだろうか?
清武で817系の各駅停車鹿児島中央行きワンマン列車と行き違うが、こちらは高校生が多い。夜遅い時間まで高校生は学習塾に通っているのか、部活なのかはわからないが、帰宅するには遅い時間ではないだろうか(それは日本全国、どこも同じかもしれない)。
遅れは回復し、南宮崎1番のりばに到着。ホームの行先案内板では「普通(ワンマン) 21:19 延岡」と表示。この電車の方向LEDは「宮崎」を表示しているが、この電車は鹿児島中央を18時40分に発車。「各駅停車」と言いながら、竜ヶ水を通過しているが、列車番号は6960Mである。そして、宮崎で列車番号は760Mに変わり、延岡まで運行するのである。
21時22分、宮崎2番のりばに到着。ここで46分停車し、方向LEDも「延岡」に変わった。鈍行では驚異的に長い46分停車のあいだ、快速〈ホームライナー4号〉延岡行きを先に通す。
快速〈ホームライナー〉は乗車整理券300円が必要だが、宮崎空港-宮崎間のみ、乗車整理券がなくても乗れる。また、宮崎空港、南宮崎からでも乗車整理券を買うことができるものの、首都圏とは違い、駅の窓口で購入することになる。
宮崎で下車し、東国原知事のパネルがお出迎え。そして、国道10号線を歩き、宿へ向かうが、ずいぶん遠い。首都圏みたいに電柱やビルに所在地のプレートがなく、コンビニで売ってある地図で確認するほどだったが、気になるのはタクシーが国道10号線に多くのタクシーが止まっていること。どうやら客待ちのようだが、“駐車ではなく、停車”と主張したいのだろう(道路は駐車禁止)。この姿勢はいかがなものか。堂々と宮崎駅で客待ちをすればいい。そのせいか、パトカーはタクシーを追っ払っていた。こういうのは会社の信用問題にもかかわる。
所在地プレートがないことや交差点の名前のカンバンも少ないため、不便きわまりないが、22時過ぎ、道に迷うことなく、宿に到着した。
★備考
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②岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅6-3(JR四国完全制覇達成!!)」はこちらにクリック!!
③岸田法眼のRailway Blog.「2005年の汽車旅5-5(北海道の鉄道完全制覇)」はこちらにクリック!!
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JR九州完全制覇達成おめでとうございます!
東と西はそれなりに広く、時間はかかると思いますが
ぜひJR線完全制覇がんばって下さい!
僕はまだ学生で一人旅をするような年ではありませんが
できるようになったらぜひ、JR完全制覇に挑戦してみたいと思います。
by makoto (2008-09-22 17:20)
makotoクン、どうもありがとうございます。
JR線完全制覇までには時間はまだかかります。日本の鉄道完全制覇まではもっと時間がかかります。年齢的にも独身でいることがキツイ年齢になっており、これからは“戦いかつ闘い”の日々になりますが、頑張りますよ。人間は常に目標がないと生きていけませんからね。また、人生に輝きも出てくるでしょう。
makotoクンはあと5年以内で成人になるのかな? くれぐれも未成年のうちは、保護者同伴ではない泊まりがけの旅行はせず、まずは日帰りで足慣らしをして下さいね。
by 岸田法眼 (2008-09-22 20:11)
JR九州全線完乗おめでとうございます。
私は知人に「早く日本の鉄道を完乗しなさい」とハッパをかけられていますが、中々進みません(^^;
マイペースなのが性にあってるんだと言い聞かして、ゆっくりと乗り潰しています。義務感を背負いながらするよりも、趣味なのだから楽しくしていきたいなと。
お互いまだまだ先に楽しみが残っているということで、がんばりましょう。
by 浩然斎 (2008-09-23 00:16)
初めてコメントいたします、まるたろうと申します。
自分のブログにniceをいただきました。ありがとうございます。
ところでJR九州完乗、おめでとうございます。
まだJRは西日本と東日本が残っているそうですが、これからも達成に向けて頑張って下さい。
自分も11月まで発売している、九州特急フリーきっぷでJR九州の路線を少しでも乗りつぶしできたらなあと思ってるんですが。
by まるたろう (2008-09-23 00:54)
九州完全制覇おめでとうございます。
私も20数年前高校の卒業旅行で南九州の鉄道乗り歩きを試したことがあり、とても懐かしく拝見しました。
宮崎から吉都線・肥薩線経由で鹿児島へ・・・
途中、時間調整で下車した小林駅前の食堂で勧められて飲んだ砂糖の足らない(甘みの全然無い)苺ジュースの味が今も忘れられません。
by sirokuma (2008-09-23 01:31)
お疲れ様です。そしておめでとうございます。
九州新幹線開業まであと4年程ですが,車両だけでなくサービス面でも大きく変わろうとしています。博多駅ビルやICカードシステムの導入等、私も大いに注目しています。
拝見していましても駅周辺の衰退化はひどいですね。このようなエリアが活性化しないと本当に今後の日本の明日はないのです。それには鉄道を活用した施策を講ずる必要があるのですが。第1にエコな移動機関ですし、それに駅周辺に行政機関や総合病院を誘致すれば、土地の値段も下がっていますのでチャンスだと思います。
今後が気がかりです。
by UZ (2008-09-23 01:40)
浩然斎さん、どうもありがとうございます。
日本鉄道完全制覇は何人か達成している記録ですが、オリンピックのような公式行事というものではないため、数がわからないのが現状ですね。
JR九州は『トレインピック』というのをやっておりますが、かつて、JR東日本は『TRAING』をやっておりましたので、再び、『チャレンジ20000キロ』をやり、今度はスポーツ化したほうがいいのでしょうね。
まだまだ乗っていない鉄道、ナマでお目にかかっていない鉄道も多いので、今後も全国へ足を向けたいと思っております。
by 岸田法眼 (2008-09-23 07:45)
まるたろうさん、どうもありがとうございます。
九州特急フリーきっぷはかつてのグリーン豪遊券を思い出しますが、8月30・31日(土・日曜日)は夏休み最後ということで、2日間限定、1万円のトクトクきっぷがありましたので、旅立ちが1日早かったら、そっちの利用を考えていたかもしれませんね。
この種のきっぷが“特急の走っていない路線に乗るのは大損だ”という意識が働いてしまいますが、いつかは“特急でくつろぐ旅”がしたいですね。
またのお越しをお待ちしております。
by 岸田法眼 (2008-09-23 07:52)
sirokumaさん、どうもありがとうございます。
九州すべての鉄道に乗っているわけではありませんが、今後も九州へ足を向けたいですね。西鉄は天神大牟田線は一部区間で乗っておりませんから。
九州は初めて渡ったときが忘れられないですね。門司やほかの駅のホームの青白い照明は鮮烈によみがえります。
by 岸田法眼 (2008-09-23 07:56)
UZさん、どうもありがとうございます。
JR九州は栄えている福岡都市圏は充実しておりますが、宮崎県は列車の本数が少ないですし、宮崎市内はバスが充実している印象を受けますね。
今後は過疎地の新田開発を進め、UZさんのおっしゃる町の充実もそうですが、食料自給率の改善が急務ですね。
今や「Iターン」という言葉は聞かなくなりましたね。“都市の充実、過疎地の低迷”に歯止めをかけないといけませんね。
by 岸田法眼 (2008-09-23 08:01)
JR九州全線完全制覇っおめでとうございますっ♪
今後は一緒に制覇の旅に出てくるヒトを見つけて?
さらにさらにいっぱい乗り潰してくださいねーっ^^b
by haru (2008-09-23 14:07)
haruさん、どうもありがとうございます。
そうですね、まだまだいっぱい乗っていないところはありますが、公私共々、頑張らなくてはいけませんね。
またのお越しをお待ちしております。
by 岸田法眼 (2008-09-23 16:16)
岸田法眼さんこんばんは。
JR九州全線制覇達成おめでとう御座います。
昔、こちら側にいた(JR九州側)時全線制覇をしようと思った事がありますが出来ませんでした。 ので岸田法眼様の達成には取り分け関心致しますと共に、僕としても嬉しさを感じております。
話は変わりますがJNRの扇風機物凄く久しぶりに見た感じがします。
by ネオ・アッキー (2008-09-23 18:11)
ネオ・アッキーさん、こんばんは。どうもありがとうございます。
九州は四国や北海道より多く行っているにもかかわらず、JRの完全制覇は遅かったですね。四国はあと2線で、北海道はすべて乗っておりますので、あとは観光で行く用がない限り、行かないかもしれません。
国鉄印の扇風機ですが、JR東日本やJR西日本では見たことがないですね。もっとも、都市では見かけることが珍しいぐらいですが…
by 岸田法眼 (2008-09-23 18:32)
JR九州完乗おめでとうございます!
ローカル線が多いのでたいへんだったでしょうね。
当方は最近足踏み状態ですが、JR化後どんどん廃線が進むので相対的に踏破率が上昇するという皮肉な状態です。
by サットン (2008-09-24 10:09)
サットンさん、どうもありがとうございます。
そうですね、佐賀県や宮崎県のローカル線に行く機会がなかなかありませんでしたので、そこが1番大変だったように思います。
おっしゃる通り、赤字ローカル線は1983年から1990年まで次々と切り捨てられましたから、達成しやすいのは確かでしょう。
九州はまだすべての鉄道に乗っているわけではございませんので、これからも行きたいですね。
by 岸田法眼 (2008-09-24 19:35)
JRQ完全制覇ですか。おめでとうございます。
九州は列車本数が少ないので大変なご苦労をされたのでしょうね。
私も来週はこのあたりに出没する予定です。
完全制覇とまでは行きませんが、たくさんの列車に乗る予定を組んでいます。
by schnitzer (2008-10-03 23:59)
schnitzerさん、どうもありがとうございます。
ローカル線は本数が少なく、また宮崎は7年ぶりなので、予定が組みづらかったですね。
来週は3連休ですので、楽しい思い出になることでしょう。私はこのシリーズ記事を書き上げることを心掛けます。
by 岸田法眼 (2008-10-04 00:35)