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JR西日本 [らりるレビュー]



「JR史上最悪の事故」
 

2005年4月25日(月曜日)9時18分、JR西日本福知山線塚口-尼崎間のカーブで、快速同志社前行きが脱線して、マンションに激突。発生時から懸念していたが、100人以上(107人)が犠牲となり、外国にまで伝わってしまった。多くの国は定刻通りに走る日本の姿勢に疑問を抱いている。  

その日の昼間、インターネットでその事故を知ったが、スピードの出し過ぎか置き石のどちらであると確信(その後、置き石された可能性は完全になくなった)。私は福知山線を何度か利用しており、事故の背景には尼崎で電車の接続があるから、運転士があせったのだろうと確信していたが、平成3年(1991年)5月14日(火曜日)に信楽高原鉄道の正面衝突事故はJR西日本もかかわっていたため、“またか…”という思いだった。日にちをハッキリ覚えているのは、その夜に第58代横綱千代の富士が引退を声明したからである。  

事故原因は伊丹で40メートルもオーバーランし、1分30秒の遅れを回復するため、108㎞/hでカーブを曲がりきろうとしたが、スピードの出し過ぎに気づいて、あわてて非常ブレーキをかけたことにより、内側の車輪が浮いてしまい、外側の車輪だけ走行して、マンションに激突したとされている(2005年5月2日時点)。運転士が道を把握していたら、カーブの手前の直線で減速をしているはずだ。  

運転士(23歳)が殉職したので、真相は闇となってしまったが、“スピード違反”の背景には定刻通りのダイヤを厳命。その上、オーバーランをしてしまったため、日勤教育が頭をかすめたからではないかと言われ、そのひどさをベテランの現役運転士が告発。更に過密ダイヤも原因の1つではないかと指摘されているが、東京もそのようなダイヤのはずである。  

東京の場合、乗降に手間取って、定刻通りに運行できないことが多く、遅れがひどい時は遅延証明書を発行するほど。JR西日本との決定的な違いは尼崎みたいに他線の接続をまったく考慮していないダイヤ構成だからだろう(私の推測)。都心はすぐさま電車がやって来るので、事故や故障でストップしない限り、終電以外、気にする必要はまったくないのだ。大阪もそのはず。  

ニュースでも報道されているとおり、JR西日本は同業他社を多く抱え、勝つために電車のスピードアップと増発が過密ダイヤになったと言われている。数年前、「速くて便利なJRをお選び下さい」と選挙活動をするかのような案内放送を耳にしたことがある。  

旅人の視点から言うと、複々線で電車の同時到着と発車(乗り換え時間をかからせたくないのだろう)は何度か見ているので、「過密ダイヤ」と言われてしまうのは仕方ないのかもしれない。また、改札係員や車掌のキビキビした態度は礼をして、「ありがとうございます」と言うので、“お客様への感謝の気持ち”が伝わってくる。東京の場合、JR東日本だと改札係員は淡々としており、車内精算で車掌が現れることがあるものの、車両を通り抜けるドアの開閉がザツで、西と東の“温度差”を感じる。  

現在、車内での携帯電話に関する放送は全国共通化(優先席付近では電源を切り、それ以外はマナーモードにして、通話はNO)されてしまったが、昔のJR西日本は具体的なことを言っていた。

「車内での携帯電話による会話やメール交換は、心臓ペースメーカーに影響を与えるほか、ほかのお客様の御迷惑となりますので、電源をお切り下さい」  

これほどキメ細かく説明する交通機関はないだろう。また、今となってはJR西日本の運転士が日勤教育の恐怖を裏付けることになるが、2003年12月、夜汽車が雪による遅れで、あらかじめ指定席券を買っていた電車に乗れなくなるアクシデントが発生した。  

途中駅のみどりの窓口で別の便に変更してもらったのだが、当事者でもないのに係員は「申し訳ありません」と謝っていた。しかも、遅れた夜汽車はJR西日本エリアではなく、JR東海エリアなのだ。少々の天候不順で遅れるのは仕方がないことで、接続する電車は待ってくれないだろう、となかば思っていた。  

JR西日本が優位に立てたのはスピードアップによる所要時間短縮もそうだろうが、接客態度のよさもあると私は見ている。ただ、運転に関してはジェットコースターのようなスリリングさを何度か体感しており、“定刻通りの運転”にはかなり敏感だったようだ。それが今回の事故を招いてしまったのかもしれない。  

事故後、連日のようにオーバーランや脱線事故など、鉄道トラブルが続発。全国の鉄道運転士は緊張の糸が途切れてしまった感じで、電車に乗っても、利用客の会話は「先頭車はあぶないですね」とかが多く、全国的に鉄道の安全性、信頼性が問われている(利用客の会話は先頭車が多かった)。  

特に事故直後、JR西日本の記者会見で、安全推進部長は「133㎞/h以上のスピードなければ脱線しない」という、寝ぼけたことを言ったから、国民に余計な不安を招いているのだ。しかも、「お客が誰も乗っていない場合」だと言うのだから、無責任に等しく、責任逃れとしか思えない。また、「お詫びしたいと思います」など、「思います」を使っているのも気に食わない。「思います」というのは言い切っていない表現で、「お詫びします」とハッキリ言わないところを見ると、トップに立つ人間どもの体質に問題があり、現場のことはなんにもわかっていない印象を受ける。  

後日、事故の快速同志社前行きに客として、乗り合わせていたJR西日本の運転士2人は無傷であるにもかかわらず、人命救助を放棄し、職場へ直行したことに関しては「お詫びいたします」と言い切っていたが、「お詫びしたいと思います」という言葉に批判の怒号を多く受けたのだろう。運転士2人の逃亡についても、“日勤教育を受けたくない”という思いがそうさせてしまったのだろうか? 近所や近隣の会社も業務を中断してまで、レスキュー隊に混じって救助活動を行なったのに、なにを考えているのだろう。  

それを象徴するかのように、JR西日本の社長(当時、在任中の男)は事故直後、「辞任することは考えていない」と強気に言っていたが、日がたつにつれて、事の重大さに弱々しくなっている。遺族の怒号を何十回、何百回も浴びせられ、2005年5月3日(火曜日・憲法記念日)、献花台に花をたむけた時に言った「申し訳ありません」の言葉は忘れられないが、日がたってからの献花に憤りを感じる人も多かったようだ。もし、事故直後にさっさと辞任していたら、「責任逃れ」という批判を浴びていただろう。社長業を続けている今も批判を浴びているのだが…  

国土交通省は旧型のATSを新型に変えない限り、運行再開は認めない方針を示した。これは当然のことで、JR東海とJR東日本の首都圏は設置を完了しているという。また、JR西日本は福知山線の運行ダイヤを見直す可能性があることを明らかにしているが、減らすことは可能なのだろうか?  

今回の事故で、負傷者や犠牲者に対する治療費ならびに補償金(定期券や乗車券の払い戻しも含まれるだろう)、廃車になった電車の代車製造費、線路等の復旧費用に加え、激突されたマンション住人の引っ越し費用及び新居(賃貸マンションの模様)の家賃(当面のあいだ)を負担するというが、2005年5月4日(水曜日・国民の休日)放送の『ズームイン!! SUPER』によると、話し合いはうまく進んでいない様子で、費用を出したがらないJR西日本社員の録音テープを流していた。  

私の想像だが、JR西日本が支払う補償金や復旧費用の総額は100億円以上になるだろうとにらんでいる。また、激突されたマンションの買い取りも求められており、電車につぶされたマイカーも当然、ガソリン代を含めて補償されるだろう。話がこじれて訴訟ザタにならないことを願う。  

こういう悲惨な事故は2度と起こって欲しくない。JR西日本に再発防止策を求めるなら、日勤教育の撤廃。ニュース番組ではあまりの過酷さに自殺した運転士がいたというスクープがある。それに人間は誰もが間違いを犯す。運転があまりにもひどい場合は免停か免許取り消しにすればよく、道路交通法を鉄道にも導入すべきだろう。再教育するにしろ、『電車でGO!』みたいな設備はあるはずで、そこで再教習に専念させたほうがよいのではないか。  

事故を起こして殉職した23歳の運転士は鉄道運転歴11か月で、今後はクルマと同じように1年以内の乗務員は若葉マークをつけるべきだろう。バス、ヒコーキ、船、タクシーといった交通機関もそのように改めたほうがいい。それを拒むのであれば、1~2年はベテラン乗務員を指導員として乗せ、安全性の確保に努めるべきだ。  

国土交通省は鉄道車両の強度の基準を見直すことも検討しているという。これは私の意見だが、脱線防止ガードを全線に敷設。運転席や客室にエアバックを装備することを検討して欲しい。  

2005年8月7日(日曜日)、私は福知山線の脱線事故現場に足を運んだ。  

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2005年6月19日(日曜日)に不通区間の運行が再開され、踏切付近の右側には渦中のマンション、エフュージョン尼崎があり、綺麗な建物だが、電車が突っ込んだ日から誰も住まなくなった。代わりに男性警備員が3人ほど、門番の如く、見張っている。ちなみにエフュージョン尼崎の向かい側、つまり私が歩いている道路の左側は尼崎市中央卸売市場北門である。  

道路を渡って、右折。そこは道路で、脱線した前から3両目の車両が突っ込んだ場所である。交通量は少なく、ドライバーや歩行者が巻き添えを喰うことはなかった。  

そこを少し歩くと、エフュージョン尼崎の献花台があり、白い花が沢山たむけられていることに気づいた。“物見遊山”でその地へ足を向けたわけではないから、そこへ行くのが礼儀というものだが、近辺に花屋は見当たらない。  

道ゆく人々の一部は事故現場に目を移す。クルマを運転している人も一瞬のワキミをしてしまうほどだ。もしかしたら、あの惨劇をまのあたりにしたのだろう。電車に乗っている人も気にしており、落ち着く日は訪れないのかもしれない。  

付近には小さな工業工場が6つあり、仕事を中断して救助作業にあたっていた。東京だったら、「なにサボッてんだ!!」と言われかねないが、こういうのは関西人のなせるワザなのかもしれない。  

何回か電車が事故現場を通過するが、ゆっくり走っている。宝塚方面はレールと車輪の摩擦音をきしませ、尼崎方面はゴォーっとかなり速度を落としている感じだ。  

カーブはゆるやかなように思えるが、営団地下鉄(2004年4月1日から「東京メトロ」に改称)日比谷線の脱線事故でクローズアップされた脱線防止ガードはつけていない。こういう惨劇を2度と起こさないためにはスピードを落とすだけでは物足りない。常に“万全・磐石の態勢”でなければ困る。  

9時18分、あの事故が起こった時刻、快速がゆっくり通過すると、人々は現場にクギづけで、特に落ち着きがない様子。車掌は惨劇を思い出したくないせいか、目をそむけ、私エフュージョン尼崎に向けて、手を合わせた。  

その直後、対向のエル特急〈北近畿3号〉城崎温泉行きが通過。私のうしろにある踏切で、運転士の判断及び歩行者が非常ボタンを押さなければ、もっと大惨事になっていた。  

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その踏切に戻ると。さっきは何気なく渡ったが、サクが朱色になっていることや小さなお地蔵さんがあることに気づく。そして、風雨に耐えられるよう、ビニールでガードした短歌と折り鶴が数え切れないというか、数えること自体が失礼なほどある。  

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遺族や負傷者の方が無念を短歌に託したと思うが、“風化させたくない”という切実な思いが強いのだろう。あの事故は外国にも伝わり、日本の定時運行のあり方に疑問を持つ国も多かったようだ。その国は「定時運行より安全優先」と言いたいのか、「定時運行を宿命付けられているようでは息がつまる」と言いたいのだろう。  

最近では営団地下鉄が東京メトロに名称が変わると、混雑による少々の遅れでも「深くお詫びいたします」と車掌が放送することが多く、大げさだと思う。他社線の相互直通運転が多いこともあるのだろうが、そういう放送は故障か事故だけにしてもらいたいものだ。  

さて、話を元に戻し、エフュージョン尼崎に立っている男性警備員に「私は旅の者ですが…」とおそるおそる花屋の所在をきくが、やっぱりなかった。しかし、意外な言葉が耳に入った。

「なくても入れますよ」  

と言うので、入り、駐車場付近にある献花台へ向かった。  

警備員計5人、JR西日本社員1人(すべて男性)がかなり深々と一礼したのは本当に恐縮したが、献花台で私はお線香とお焼香をして、志なかばで亡くなられた、運転士を含む、107人の御冥福をお祈りした。  

隣りの塚口駅まで歩き、各駅停車高槻行きに乗り、先頭車の最前部に陣取る。  加速して、名神高速をくぐった時にブレーキをかけ、あの現場を無事に通過するのを見届けた。そして、尼崎へは神戸方面からの各駅停車に合流し、ほぼ同時に到着した。これは乗り換え時間や所要時間を増大させないJR西日本の“お家芸”である(何度も乗っているから、わかる)。  

さて、JR西日本は2006年2月1日(水曜日)から社長と会長をチェンジ。また、3月18日(土曜日)から新快速や特急などは停車時間や所要時間を見直し、“ゆとりのあるダイヤ”が完了した(2005年秋に一部の路線でダイヤを見直した)。けっして、スピード重視から方向転換をしたということではないが、定時運行の宿命を変えずに乗務員の負担を少し軽減したということだ。  

不慮の事故でお亡くなりになられた方々には御冥福をお祈りいたします。また、負傷者の方にはお見舞い申し上げ、1日も早い回復を願っております。


★備考

①激突されたマンション、エフュージョン尼崎の住民との補償交渉が終了した。  

2006年12月22日(金曜日)のJR西日本ホームページによると、マンションの住民に対しては、事故直後より仮住まいを提供し、心のケアを含めた対応をして、2005年6月に、マンション全体を買い取る形で補償することを提案。住民たちと話し合いを進めていたという。  

なお、事故現場及び、エフュージョン尼崎の今後は遺族や被害者の御意見、御要望を聞きながら、慎重に検討するという。しかし、2009年に入ると、遺族や事故の電車に乗務していた車掌はJR西日本首脳陣へ訴訟を起こしており、恐れていた展開が現実のものになってしまった。

②福知山線の尼崎-篠山口間は今でも「JR宝塚線」と案内している。近隣に阪急電鉄宝塚線があり、なおかつ、あの事故で福知山線は全国区になってしまったため、「JR宝塚線」と名乗り続けるのは見苦しい。これは現実逃避をしているも同然の行為で、今すぐやめるべきだ。

③2005年8月7日(日曜日)に現地へ足を運んだ模様はRailway Blogではなく、別の原稿から転用した。

④今回の記事は2005年5月、2006年2月に執筆した。

⑤岸田法眼のRailway Blog.「2005年の汽車旅4-3」は
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⑥岸田法眼のRailway Blog.「2008年の汽車旅3-5(まだまだ221系丹波路快速)」は
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サットン

最近の相次ぐ不祥事においても組織の首脳陣の他人事のようなお詫び会見には呆れますね。判で押したように「あってはならいことで・・・・」、「誠に遺憾…」等々。今では市民権を得たようですが「不具合」というのも無責任な用語だと思います。要は故障ではないのかって。
事故と補償交渉は一体ですが、誠心誠意の裏でどのような交渉が行われているか。山崎豊子著「沈まぬ太陽」で御巣鷹山事故の際JALがどのような交渉を行ったか詳述されています。長編ですがお薦めです。新潮文庫刊です。
by サットン (2009-04-24 09:52) 

岸田法眼

サットンさん、どうもありがとうございます。

「遺憾」というのは意味をはき違えて使う人が多いようです。私はそういう言葉は使わないよう、日頃から気をつけております。普通に「残念」と言えば問題はないのですが。

御指摘の「不具合」と「故障」ですが、駅や車内では異なる場合があり、非常時におけるマニュアルフレーズがないのかもしれませんね。

『沈まぬ太陽』はハードカバーの上下刊という記憶がありますが、文庫になったのですね。時間のあるときに文庫本コーナーへ行ってみます。ただ、読書は電車の中しか今は時間が取れないです。
by 岸田法眼 (2009-04-24 23:01) 

UZ

お疲れ様です。すっかりご無沙汰しております。

さて、事故の原因の一つとして余裕を持ったダイヤ設定ではなかった事もあります。中山寺駅に快速を停車させた際に、本来ならば所要時間が伸びるはずですが、伸ばす事なくそのままにしていました。速度向上による所要時間の短縮の中で、性能の異なる車両の統一がされる事や安全装置の整備がおなざりにされた事、そして現場の軽視(当時の井手ー南谷ー”茶坊主”垣内ライン)などが複合されて発生したのではないでしょうか。

事故を起こした運転手も経験が浅かったとのことです。これは採用を抑制していたために技術の継承がスムーズにされず(経験がモノを言う部分が大きいそうです)、彼のような運転手が問答無用で日勤教育で締め上げらました。

JR西日本は運転手の責任に追わせようとしているようですが、どうかそのようなことをしないで全社的な問題として捉えてほしいものです。
by UZ (2009-04-25 07:55) 

岸田法眼

UZさん、どうもありがとうございます。

福知山線は快速運用が事故前は117系も入っておりましたが、最高速度が115㎞/hで、221系や207系シリーズに比べ、劣りますから、それで所要時間を同じにさせたというのはムリがあったでしょうね。

もちろん、安全に関してはJR他社がすでに完了していたというのですから、スピード精神にかまけていたのは間違いないですが、20年前の雑誌で、221系は当初からATS-P型が設置されていたにもかかわらず、線路のほうはまったく進んでいなかったことになります。

運転士は当時、23歳で昔の国鉄では考えられない若さですが、遺族の強い要望により、本日は慰霊の日はその運転士が追悼対象から外れています。

おっしゃるようにこれは事故を起こした運転士に押しつけようという風潮がまだ残っており、その後は大阪駅改良工事の順調さに加え、新製車両の投入(それ以前にローカル線の路盤強化が最重要で、脱線事故が起こりそうな区間はあります)、終電繰り下げ、迷走の状態が続いておりますが、訴訟を起こされてしまったようでは、JR西日本は誠心誠意かつ、東京を見習う姿勢を出し、東京に合わせて欲しいものですね。今でも福知山線を「JR宝塚線」というのは、事故と完全に向き合っていない証です。国交省も取り上げるなどの姿勢をとってほしかったですね。
by 岸田法眼 (2009-04-25 13:59) 

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