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2009年の汽車旅1-3 [汽車旅2009]
◆下記の記事をまだ御覧になっていない方はURLにクリックして下さい。
・2009年の汽車旅1-1
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2009-05-13
・2009年の汽車旅1-2
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2009-05-22
◆転換クロスシートで悠遊快適
終点豊岡で第3セクター、北近畿タンゴ鉄道宮津線へ。乗り換えの窓口で、KTRローカル1日フリーきっぷ(大人1200円)を購入すると、1番のりばに普通列車〈タンゴ悠遊4号〉西舞鶴行き(KTR708:ワンマン。天橋立から女性車掌乗務)が入線。2両編成で入ってきたが、西舞鶴寄り1両のみが折り返し、行き止まり側の1両は切り離しとなる。由良川をイメージしたかのような水色のボディー、てぃだの赤、草木の緑を巻いた帯である。水色のボディーは、国鉄通勤形電車の201系や103系のスカイブルーよりも、澄んでいるように見える。
車内は転換クロスシートがずらりと並んでおり、簡易的な足のせ、通路側のひじかけには小型のテーブルが備えられている。シートカバーはビニール製で、ビックサイズだ。転換クロスシートの豪華版という印象を持つ。それだけ多くの人々に乗ってもらい、車窓を満喫してほしいのだろう。また、進行方向右側の最前列は、立客に“横取り”されない限り、展望席である。
12時47分に発車。すぐに山陰本線と別れ、右へ曲がる。カーブと勾配が多く、速くはないが、遅くもない。いたって安定したスピードで進んでゆく。
やがて、青い久美浜湾が見えると、列車は下り坂を悠々と駆け抜ける。ディーゼルエンジンの力強い力走の声は聞こえず、13時02分、久美浜に到着。乗降が多かった。
13時09分、丹後神野(Tango-Kan-no)に到着。下車客は多く、前方の信号が赤のままなので、列車を降りると、特急〈タンゴディスカバリー63号〉豊岡行きと行き違う。特急〈タンゴディスカバリー〉に使用するKTR8000形は自社線内、特急区間、快速区間、鈍行区間に分けている運用が多く、特急運用をなくしたほうがいいのではないだろうか。本数の少ないローカル線なのだから、集客力をアップするには、“区間特急”をやめて、快速か鈍行でいいだろう。なぜ、KTR8000形は“区間特急”が多いのかがよくわからない。
木津温泉で前面展望席が空いたため、移動。ところが、この席は今や死語になっても不思議ではないシルバーシートだった。坐ったあとに気づいたが、この先は満員御礼の可能性は高くないと思い、そういう展開になるまではくつろぐとしよう。
◆車窓が観光地
13時56分、天橋立に到着し、なんと、大量乗車。一気に目が覚めたが、団体のツアー客なのだ。ここでバスガイドのような衣装をした女性車掌が乗り込んでゆく。
天橋立は世界遺産の仲間入りをしたい野望がある。観光地としては全国的に有名であるが、世界遺産に認定されることにより、もっと増えて、観光地としての知名度をグーンとあげることになる。北近畿タンゴ鉄道自体、万年赤字に悩まされており、利用客を増やしたいところ。
北近畿タンゴ鉄道は昭和63年(1988年)7月16日(土曜日)、宮福鉄道として、福知山-宮津間が開幕。これは国鉄が凍結した建設線を引き継いだもので、「新規開業路線」と言っても差しさわりがない。
宮福線ができたことにより、宮津や天橋立がグーンと近くなり、JR西日本は臨時特急〈エーデル丹後〉の運転を開始して、バックアップをはかった。ちなみに臨時特急〈エーデル丹後〉は新大阪-福知山間、エル特急〈北近畿〉と相棒を組んだ。臨時特急〈エーデル丹後〉は急行形気動車ではあるが、120㎞/h運転に対応。自力走行時は“いつも通り”の95㎞/hであった。これはエル特急〈雷鳥〉と臨時特急〈ゆうトピア和倉〉以来となる、電車と気動車のドッキングだが、いずれも後者はうしろに連結されており、ディーゼルエンジンを切って、電車で言うところの「付随車」とした。しかし、2両編成が限界というのが難点だった。
宮福鉄道が開幕して、半月後の8月1日(月曜日)、社名を「丹後」と踊りの「タンゴ」を掛け合わせたような「北近畿タンゴ鉄道」に変更。平成2年(1990年)4月1日(日曜日)、国鉄時代、特定地方交通線に認定された宮津線を受け入れ、第3セクター鉄道では、異例の100キロ越えとなり、金色のハイデッカー特急形気動車、KTR001形による特急〈タンゴエクスプローラー〉が京都-久美浜間(西舞鶴経由)でデビュー。華々しく思えたが、平成11年(1999年)10月2日(土曜日)、舞鶴線の電化により、新大阪-宮津・豊岡間の運行に変更されている。
宮福線開幕とJR西日本宮津線を継承した当時、日本の鉄道はハイデッカーが流行しており、代表的なものとして、JR北海道のリゾート気動車(キハ183系5000番代を除く)、国鉄末期の昭和61年(1986年)に投入されたキロ182形500番代、平成2年(1990年)3月11日(土曜日)に誕生した特急〈スーパービュー踊り子〉の251系などがあげられる。そのほかのJRグループはジョイフルトレインとして、ハイデッカーに改造した車両が登場していたのである。ハイデッカーはバブル時代の象徴といえるのだろう。また、小田急電鉄は特急ロマンスカー、10000形を「Hise」と名づけ、展望席以外、ハイデッカー構造にしているが、窓が大きくないため、個人的には「ハイデッカー」と言うには、物足りない。寝台車だと、B寝台個室のデュエットやソロの上段は、ハイデッカーになるのではないだろうか。
平成8年(1996年)3月16日(土曜日)、宮福線全線、宮津線天橋立-宮津間の直流電化が完成したことにより、JR西日本は特急〈はしだて〉〈文殊〉、北近畿タンゴ鉄道は特急〈タンゴディスカバリー〉が誕生し、京都や新大阪からの特急を再整備して、充実させてゆく。
しかし、それでも赤字からの脱却がはかれず、近年は普通列車〈タンゴ悠遊〉やブログ駅長の誕生で、さらなる巻き返しをはかっている。天橋立が世界遺産に認定されれば、黒字に一歩近づくのではないかという野望もあるだろう。そして、松平健による『マツケンタンゴ』を歌い、エドはるみはタンゴを踊りながら、「グーッ!!」と絶賛するに違いない(あとで調べたら、松平健のある曲の歌詞に「♪マツケンタンゴ♪」があった)。あと、『おかあさんといっしょ』の歌のお兄さん、お姉さんが『たんご3兄弟』を作って、歌っていただければ、さらにイメージアップ!! 天橋立の世界遺産実現を盛り上げようではないか!!
さて、普通列車〈タンゴ悠遊4号〉西舞鶴行き(ワンマン)は満員御礼で、13時57分、天橋立を発車し、次の宮津までは宮津線の電化区間。全線電化の宮福線に合流し、14時02分、宮津1番のりばに到着。ここで16分停車し、普通列車網野行き(ワンマン)と行き違い、宮福線の列車からの乗り換え客を待つ。
14時18分に発車。景色のいいところは女性車掌がマイクを持って、案内するという。乗車券のみでツアー気分が味わえるのは至福のひとときといえるだろう。進行方向左側は栗田湾(Kundawan)オーシャンショー。
列車は栗田(Kunnda)に到着し、運賃収受は引き続き、運転士が行ない、女性車掌はガイドに徹する。
※次は丹後由良①
次は丹後由良だが、ここからが女性車掌、腕の見せどころ。栗田湾オーシャンショーの本領発揮で、絶景の場所で止まる。前方には信号機がなく、通常の列車なら、60㎞/hで駆け抜けてゆく。
※次は丹後由良②
止まったところは、進行方向左側に冠島(Kanmurijima.大きい島)、沓島(Kutsujima.小さい島)が見えるところで、晴天もあってか、ハッキリ見える。そして、ガイドが終わると、列車は再び動き出す。ちなみに冠島と沓島は無人島で、海鳥保護エリアのため、人類の立ち入りは原則禁止となっている。
※次は丹後神崎
丹後由良で普通列車〈タンゴ悠遊3号〉豊岡行き(ワンマン)と行き違い、発車すると、「宮津線最大の見せ場」と言っていい由良川橋梁を渡る。由良川はみずみずしく、清らかで、「清流」というにふさわしい。由良川橋梁はピーンとした直線で、ここは“止まって美しい由良川リバーショーの眺めを堪能”するものと思っていたが、徐行。由良川橋梁内には風速計があり、暴風が吹けば、転落事故が発生する可能性がある。止まってしまえば、なおさらのことで、コンクリートの鉄橋ならば、止まって由良川リバーショーの眺めを楽しむサービスができたのかもしれない。進行方向左側の由良川は栗田湾に合流するので、神秘的な車窓である。この色が目に止まり、宮津線鈍行気動車のボディーカラーに使用されたのだろう。
由良川橋梁を渡り終え、右へ曲がる。進行方向右側のうしろでは、由良川橋梁が見え、由良川リバーショーは続いているのであった。
※まもなく東雲
Soon Shinonome.
足元にご注意ください
右側のドアが開きます
「♪川ぁーはぁー、なぁーがれぇーて、どこどこぉー、ゆくぅーのぉー♪」
といった感じで列車は進み、東雲に到着。東京臨海高速鉄道臨海副都心線にも同じ駅名があるものの、宮津線が先輩だ。ここでは女性車掌が車内検札。そして、KTR8000形の快速〈タンゴ浪漫号〉天橋立行きと行き違う。一線スルー化されているせいか、速かったように思うが、宮津線の最高速度は85㎞/hに抑えられている。
14時49分に発車すると、絶景ポイントは終わりを告げ、進行方向右側の舞鶴線に合流し、15時00分、終点西舞鶴に到着。まずは宮津線全線完乗を達成した。
「ありがとうございましたぁー」
女性車掌は利用客1人、1人に乗車御礼の言葉をかけた。ちなみに西舞鶴は宮津線のりばと4番のりば、隣りは2・3番のりばとなっており、1番のりばはないものの、留置線が1本あり、特急〈まいづる〉編成が休んでいる。舞鶴線の終点、東舞鶴で3号は営業運転を終え、西舞鶴へ回送したのち、8号か10号のいずれかで京都へ戻るのだろう。また、宮津線は「x番のりば」と案内されておらず、サク越しの向かい側は4番のりばだから、「5番のりば」というふうに解釈できるだろう。
◆鈍行電車も走る宮福線
西舞鶴を下車すると、手狭な車両基地、西舞鶴運転区があり、先ほど乗った気動車は回送。入れ替わりに15時33分発の普通列車豊岡行き(KTR701:ワンマン、夢塗装車)が入線。宮津線沿線のイイところを集めた夢塗装車である。
往路では停止や徐行していた区間を一気に駆け抜け、16時05分、宮津2番のりばに到着。ここで宮福線に乗り換えるのだが、なんと、113系5300番代だった。特急〈はしだて〉〈文殊〉以外にも宮福線に電車が走っているのだ。
今回の旅は交通新聞社刊行、『JR時刻表2008年12月号』を持参しているが、370・371ページによると、宮福線に特急〈はしだて〉〈文殊〉以外で、電車が使われているのは下り3本、上り2本。普通電車で運行されているのは1往復のみで、残りは快速だ。私の推測だが、快速は183系700・800番代で運行されているのではないかと思う。ちなみに宮福線内の特急と快速は、大江と下り1本のみ大江高校前に停まる以外、すべて、通過する。
さて、宮福線の乗車する車両は、113系5300番代にぶったまげたが、普通電車福知山行き(クモハ113-5307:リニューアル車)は、車掌が乗務。運賃表に宮福線の駅は1つもないためである。
思わぬ展開だが、ボックスシートをラクラクGETし、16時13分に発車。宮津線と別れるが、宮福線は国鉄建設線を引き継いでいるせいか、路盤はしっかりしており、不快な揺れもない。
喜多(Kita)を発車すると、なんと車内検札。鈍行で1日3回も車内検札を受けるのは初めてだ。 宮福線は意外と地平が多い印象を受ける。盛土によって、できたところも多いが、踏切がないのは近代的な鉄道という証である。
大江山口内宮(Ohe-yamaguchi-naiku)で、ハイキングの団体(10人程度)が乗車。身障者によるハイキングだった。発車後、車掌はこの日、車両故障でダイヤが乱れていたことを詫びていたが、この電車は定刻通りの運行である。
二俣を発車すると、ちょっとだけ宮川リバーショー。大江高校前は高架駅で、大江はMF200形の普通列車宮津行き(ワンマン)と行き違う。ちなみに大江山口内宮-大江間は、最高速度130㎞/hである。
さて、宮福線電化後も鈍行と特急問わず、気動車が継続運行されているが、昨今ハヤリの「エコ」に反している。せっかく電化されているのだから、せめて鈍行は電車にすればいいのだが、宮福線で活躍する気動車はトイレがないため、宮津線に転用することができないのである。それに北近畿タンゴ鉄道が黒字に風向きが変わらない限り、当分のあいだ、叶わぬ願いになるのだろうか。
下天津はまるで、JR西日本三江線宇都井(Uzui)を彷彿させるような高い位置にあり、電車は山陰本線に合流して、荒河かしの木台(Aragakashinokidai)に到着。その先には福知山運転支区があり、MF100形が現れた。ホームの待合室は、傘が6つ、なぜか吊り下げの状態にある。忘れ物だと思うが、普通、こんな高いところに引っ掛けるものだろうか?
ここで特急〈はしだて5号〉天橋立行きと行き違い、少々遅れて発車。ここから先は単線並列の複線となり、山陰本線と並走。山陰本線を走るエル特急〈北近畿13号〉城崎温泉行きとすれ違い、17時00分、定刻より4分遅れて、終点福知山2番のりばに到着。宮福線全線完乗とともに、北近畿タンゴ鉄道完全制覇を達成した。
★備考
①今回の動画はこちらにクリック!!
②北近畿タンゴ鉄道ホームページはこちらにクリック!!
③オオゼキタク オフィシャル鉄道ブログ マジで終電5秒前「夏旅2008まとめ 2日目前編」はこちらにクリック!!
④参考文献として、鉄道ジャーナル社刊行、『鉄道ジャーナル2009年1月号』を使用。
⑤岸田法眼のRailway Blog.「2008年の汽車旅4-19」はこちらにクリック!!
※来訪御礼のみや記事に関係のないコメントをされる方は上にクリックして下さい(コメントは承認いたしません)。また、我がブログのコメント、トラックバック承認制になっておりますので、御了承願います。
★お知らせ
2009年5月16日(土曜日)、ホビージャパン刊行の『TRAIN MODELING MANUAL Vol.4』が発売され、私も執筆スタッフとして、参加しております。ぜひ、御購入ください(完売の際は御容赦ください)。
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岸田法眼のウソつき4択 powerd by けんてーごっこ
・2009年の汽車旅1-1
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2009-05-13
・2009年の汽車旅1-2
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2009-05-22
◆転換クロスシートで悠遊快適
終点豊岡で第3セクター、北近畿タンゴ鉄道宮津線へ。乗り換えの窓口で、KTRローカル1日フリーきっぷ(大人1200円)を購入すると、1番のりばに普通列車〈タンゴ悠遊4号〉西舞鶴行き(KTR708:ワンマン。天橋立から女性車掌乗務)が入線。2両編成で入ってきたが、西舞鶴寄り1両のみが折り返し、行き止まり側の1両は切り離しとなる。由良川をイメージしたかのような水色のボディー、てぃだの赤、草木の緑を巻いた帯である。水色のボディーは、国鉄通勤形電車の201系や103系のスカイブルーよりも、澄んでいるように見える。
車内は転換クロスシートがずらりと並んでおり、簡易的な足のせ、通路側のひじかけには小型のテーブルが備えられている。シートカバーはビニール製で、ビックサイズだ。転換クロスシートの豪華版という印象を持つ。それだけ多くの人々に乗ってもらい、車窓を満喫してほしいのだろう。また、進行方向右側の最前列は、立客に“横取り”されない限り、展望席である。
普通列車〈タンゴ悠遊4号〉西舞鶴行き(ワンマン)編成表 | ||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 |
豊岡→西舞鶴 | なし | KTR708 | ○ | なし |
12時47分に発車。すぐに山陰本線と別れ、右へ曲がる。カーブと勾配が多く、速くはないが、遅くもない。いたって安定したスピードで進んでゆく。
やがて、青い久美浜湾が見えると、列車は下り坂を悠々と駆け抜ける。ディーゼルエンジンの力強い力走の声は聞こえず、13時02分、久美浜に到着。乗降が多かった。
13時09分、丹後神野(Tango-Kan-no)に到着。下車客は多く、前方の信号が赤のままなので、列車を降りると、特急〈タンゴディスカバリー63号〉豊岡行きと行き違う。特急〈タンゴディスカバリー〉に使用するKTR8000形は自社線内、特急区間、快速区間、鈍行区間に分けている運用が多く、特急運用をなくしたほうがいいのではないだろうか。本数の少ないローカル線なのだから、集客力をアップするには、“区間特急”をやめて、快速か鈍行でいいだろう。なぜ、KTR8000形は“区間特急”が多いのかがよくわからない。
木津温泉で前面展望席が空いたため、移動。ところが、この席は今や死語になっても不思議ではないシルバーシートだった。坐ったあとに気づいたが、この先は満員御礼の可能性は高くないと思い、そういう展開になるまではくつろぐとしよう。
◆車窓が観光地
13時56分、天橋立に到着し、なんと、大量乗車。一気に目が覚めたが、団体のツアー客なのだ。ここでバスガイドのような衣装をした女性車掌が乗り込んでゆく。
天橋立は世界遺産の仲間入りをしたい野望がある。観光地としては全国的に有名であるが、世界遺産に認定されることにより、もっと増えて、観光地としての知名度をグーンとあげることになる。北近畿タンゴ鉄道自体、万年赤字に悩まされており、利用客を増やしたいところ。
北近畿タンゴ鉄道は昭和63年(1988年)7月16日(土曜日)、宮福鉄道として、福知山-宮津間が開幕。これは国鉄が凍結した建設線を引き継いだもので、「新規開業路線」と言っても差しさわりがない。
宮福線ができたことにより、宮津や天橋立がグーンと近くなり、JR西日本は臨時特急〈エーデル丹後〉の運転を開始して、バックアップをはかった。ちなみに臨時特急〈エーデル丹後〉は新大阪-福知山間、エル特急〈北近畿〉と相棒を組んだ。臨時特急〈エーデル丹後〉は急行形気動車ではあるが、120㎞/h運転に対応。自力走行時は“いつも通り”の95㎞/hであった。これはエル特急〈雷鳥〉と臨時特急〈ゆうトピア和倉〉以来となる、電車と気動車のドッキングだが、いずれも後者はうしろに連結されており、ディーゼルエンジンを切って、電車で言うところの「付随車」とした。しかし、2両編成が限界というのが難点だった。
宮福鉄道が開幕して、半月後の8月1日(月曜日)、社名を「丹後」と踊りの「タンゴ」を掛け合わせたような「北近畿タンゴ鉄道」に変更。平成2年(1990年)4月1日(日曜日)、国鉄時代、特定地方交通線に認定された宮津線を受け入れ、第3セクター鉄道では、異例の100キロ越えとなり、金色のハイデッカー特急形気動車、KTR001形による特急〈タンゴエクスプローラー〉が京都-久美浜間(西舞鶴経由)でデビュー。華々しく思えたが、平成11年(1999年)10月2日(土曜日)、舞鶴線の電化により、新大阪-宮津・豊岡間の運行に変更されている。
宮福線開幕とJR西日本宮津線を継承した当時、日本の鉄道はハイデッカーが流行しており、代表的なものとして、JR北海道のリゾート気動車(キハ183系5000番代を除く)、国鉄末期の昭和61年(1986年)に投入されたキロ182形500番代、平成2年(1990年)3月11日(土曜日)に誕生した特急〈スーパービュー踊り子〉の251系などがあげられる。そのほかのJRグループはジョイフルトレインとして、ハイデッカーに改造した車両が登場していたのである。ハイデッカーはバブル時代の象徴といえるのだろう。また、小田急電鉄は特急ロマンスカー、10000形を「Hise」と名づけ、展望席以外、ハイデッカー構造にしているが、窓が大きくないため、個人的には「ハイデッカー」と言うには、物足りない。寝台車だと、B寝台個室のデュエットやソロの上段は、ハイデッカーになるのではないだろうか。
平成8年(1996年)3月16日(土曜日)、宮福線全線、宮津線天橋立-宮津間の直流電化が完成したことにより、JR西日本は特急〈はしだて〉〈文殊〉、北近畿タンゴ鉄道は特急〈タンゴディスカバリー〉が誕生し、京都や新大阪からの特急を再整備して、充実させてゆく。
しかし、それでも赤字からの脱却がはかれず、近年は普通列車〈タンゴ悠遊〉やブログ駅長の誕生で、さらなる巻き返しをはかっている。天橋立が世界遺産に認定されれば、黒字に一歩近づくのではないかという野望もあるだろう。そして、松平健による『マツケンタンゴ』を歌い、エドはるみはタンゴを踊りながら、「グーッ!!」と絶賛するに違いない(あとで調べたら、松平健のある曲の歌詞に「♪マツケンタンゴ♪」があった)。あと、『おかあさんといっしょ』の歌のお兄さん、お姉さんが『たんご3兄弟』を作って、歌っていただければ、さらにイメージアップ!! 天橋立の世界遺産実現を盛り上げようではないか!!
さて、普通列車〈タンゴ悠遊4号〉西舞鶴行き(ワンマン)は満員御礼で、13時57分、天橋立を発車し、次の宮津までは宮津線の電化区間。全線電化の宮福線に合流し、14時02分、宮津1番のりばに到着。ここで16分停車し、普通列車網野行き(ワンマン)と行き違い、宮福線の列車からの乗り換え客を待つ。
14時18分に発車。景色のいいところは女性車掌がマイクを持って、案内するという。乗車券のみでツアー気分が味わえるのは至福のひとときといえるだろう。進行方向左側は栗田湾(Kundawan)オーシャンショー。
列車は栗田(Kunnda)に到着し、運賃収受は引き続き、運転士が行ない、女性車掌はガイドに徹する。
※次は丹後由良①
次は丹後由良だが、ここからが女性車掌、腕の見せどころ。栗田湾オーシャンショーの本領発揮で、絶景の場所で止まる。前方には信号機がなく、通常の列車なら、60㎞/hで駆け抜けてゆく。
※次は丹後由良②
止まったところは、進行方向左側に冠島(Kanmurijima.大きい島)、沓島(Kutsujima.小さい島)が見えるところで、晴天もあってか、ハッキリ見える。そして、ガイドが終わると、列車は再び動き出す。ちなみに冠島と沓島は無人島で、海鳥保護エリアのため、人類の立ち入りは原則禁止となっている。
※次は丹後神崎
丹後由良で普通列車〈タンゴ悠遊3号〉豊岡行き(ワンマン)と行き違い、発車すると、「宮津線最大の見せ場」と言っていい由良川橋梁を渡る。由良川はみずみずしく、清らかで、「清流」というにふさわしい。由良川橋梁はピーンとした直線で、ここは“止まって美しい由良川リバーショーの眺めを堪能”するものと思っていたが、徐行。由良川橋梁内には風速計があり、暴風が吹けば、転落事故が発生する可能性がある。止まってしまえば、なおさらのことで、コンクリートの鉄橋ならば、止まって由良川リバーショーの眺めを楽しむサービスができたのかもしれない。進行方向左側の由良川は栗田湾に合流するので、神秘的な車窓である。この色が目に止まり、宮津線鈍行気動車のボディーカラーに使用されたのだろう。
由良川橋梁を渡り終え、右へ曲がる。進行方向右側のうしろでは、由良川橋梁が見え、由良川リバーショーは続いているのであった。
※まもなく東雲
Soon Shinonome.
足元にご注意ください
右側のドアが開きます
「♪川ぁーはぁー、なぁーがれぇーて、どこどこぉー、ゆくぅーのぉー♪」
といった感じで列車は進み、東雲に到着。東京臨海高速鉄道臨海副都心線にも同じ駅名があるものの、宮津線が先輩だ。ここでは女性車掌が車内検札。そして、KTR8000形の快速〈タンゴ浪漫号〉天橋立行きと行き違う。一線スルー化されているせいか、速かったように思うが、宮津線の最高速度は85㎞/hに抑えられている。
14時49分に発車すると、絶景ポイントは終わりを告げ、進行方向右側の舞鶴線に合流し、15時00分、終点西舞鶴に到着。まずは宮津線全線完乗を達成した。
「ありがとうございましたぁー」
女性車掌は利用客1人、1人に乗車御礼の言葉をかけた。ちなみに西舞鶴は宮津線のりばと4番のりば、隣りは2・3番のりばとなっており、1番のりばはないものの、留置線が1本あり、特急〈まいづる〉編成が休んでいる。舞鶴線の終点、東舞鶴で3号は営業運転を終え、西舞鶴へ回送したのち、8号か10号のいずれかで京都へ戻るのだろう。また、宮津線は「x番のりば」と案内されておらず、サク越しの向かい側は4番のりばだから、「5番のりば」というふうに解釈できるだろう。
◆鈍行電車も走る宮福線
西舞鶴を下車すると、手狭な車両基地、西舞鶴運転区があり、先ほど乗った気動車は回送。入れ替わりに15時33分発の普通列車豊岡行き(KTR701:ワンマン、夢塗装車)が入線。宮津線沿線のイイところを集めた夢塗装車である。
普通列車豊岡行き(ワンマン)編成表 | ||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 |
西舞鶴→宮津 | なし | KTR701 | ○ | 夢塗装車 |
往路では停止や徐行していた区間を一気に駆け抜け、16時05分、宮津2番のりばに到着。ここで宮福線に乗り換えるのだが、なんと、113系5300番代だった。特急〈はしだて〉〈文殊〉以外にも宮福線に電車が走っているのだ。
今回の旅は交通新聞社刊行、『JR時刻表2008年12月号』を持参しているが、370・371ページによると、宮福線に特急〈はしだて〉〈文殊〉以外で、電車が使われているのは下り3本、上り2本。普通電車で運行されているのは1往復のみで、残りは快速だ。私の推測だが、快速は183系700・800番代で運行されているのではないかと思う。ちなみに宮福線内の特急と快速は、大江と下り1本のみ大江高校前に停まる以外、すべて、通過する。
さて、宮福線の乗車する車両は、113系5300番代にぶったまげたが、普通電車福知山行き(クモハ113-5307:リニューアル車)は、車掌が乗務。運賃表に宮福線の駅は1つもないためである。
思わぬ展開だが、ボックスシートをラクラクGETし、16時13分に発車。宮津線と別れるが、宮福線は国鉄建設線を引き継いでいるせいか、路盤はしっかりしており、不快な揺れもない。
普通電車福知山行き編成表 | |||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 | |
福知山 | なし | クモハ113- | 5307 | ○ | リニューアル車 |
宮津 | なし | クモハ112- | 5307 | ○ | リニューアル車 |
喜多(Kita)を発車すると、なんと車内検札。鈍行で1日3回も車内検札を受けるのは初めてだ。 宮福線は意外と地平が多い印象を受ける。盛土によって、できたところも多いが、踏切がないのは近代的な鉄道という証である。
大江山口内宮(Ohe-yamaguchi-naiku)で、ハイキングの団体(10人程度)が乗車。身障者によるハイキングだった。発車後、車掌はこの日、車両故障でダイヤが乱れていたことを詫びていたが、この電車は定刻通りの運行である。
二俣を発車すると、ちょっとだけ宮川リバーショー。大江高校前は高架駅で、大江はMF200形の普通列車宮津行き(ワンマン)と行き違う。ちなみに大江山口内宮-大江間は、最高速度130㎞/hである。
さて、宮福線電化後も鈍行と特急問わず、気動車が継続運行されているが、昨今ハヤリの「エコ」に反している。せっかく電化されているのだから、せめて鈍行は電車にすればいいのだが、宮福線で活躍する気動車はトイレがないため、宮津線に転用することができないのである。それに北近畿タンゴ鉄道が黒字に風向きが変わらない限り、当分のあいだ、叶わぬ願いになるのだろうか。
下天津はまるで、JR西日本三江線宇都井(Uzui)を彷彿させるような高い位置にあり、電車は山陰本線に合流して、荒河かしの木台(Aragakashinokidai)に到着。その先には福知山運転支区があり、MF100形が現れた。ホームの待合室は、傘が6つ、なぜか吊り下げの状態にある。忘れ物だと思うが、普通、こんな高いところに引っ掛けるものだろうか?
ここで特急〈はしだて5号〉天橋立行きと行き違い、少々遅れて発車。ここから先は単線並列の複線となり、山陰本線と並走。山陰本線を走るエル特急〈北近畿13号〉城崎温泉行きとすれ違い、17時00分、定刻より4分遅れて、終点福知山2番のりばに到着。宮福線全線完乗とともに、北近畿タンゴ鉄道完全制覇を達成した。
★備考
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④参考文献として、鉄道ジャーナル社刊行、『鉄道ジャーナル2009年1月号』を使用。
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