拙著『波瀾万丈の車両』(アルファベータブックス刊)、発売中!! くわしくは、こちらへ。
拙著『東武鉄道大追跡』(アルファベータブックス刊)、2021年2月9日(火曜日)発売!! くわしくは、こちらへ。
●お問い合わせ、御依頼はこちらへ。
・Railway Blogのコメント、トラックバック承認制になっておりますので、御了承願います。
・Railway Blogに掲載されている本文、画像などの著作権は、各国の著作権法、各種条約及び、その他の法律で保護されています。これらのデータなどについて、私的使用、その他、法律で明示されている範囲を超えて、許可なく引用、複製、改編、転用、電磁的加工、送信、頒布、二次使用するなどの一切の行為は禁止しております。著作権法に関係なく、ルール、マナー、エチケットをすべて守っていただきますよう、お願いいたします(該当する行為があった場合、当方の顧問弁護士より、賠償金を請求させていただきます。必ずお支払いください)。また、新聞、雑誌など、各種メディア関係者で本文や画像の利用等を希望される場合は、お問い合わせフォームを御利用ください(原則として、本文や画像は有償とさせていただきます)。
さすらいの諸国漫遊記55 [汽車旅2004]
2004年4月9日(金曜日)、この日は腰痛で立つのがつらいほどだったが、なんとか体調を整え、新宿から新潟行きの夜汽車で旅立つ。
関東地方は桜吹雪が綺麗に舞い散っており、花見のシーズンは終わったようだ。私は花見をする習慣がなく、4月という季節自体、好きじゃない。というより、「4」という数字自体、好きじゃない。
街はスーツ姿がぎこちない“「フレッシュマン」という名の新社会人”がういういしく映る。近年は若者の大バカぶりが目立っているが、1人前でもないのに、高そうで仕立てのいいスーツを着た若者を見ると、“まともな大人になれまい”と思う。
新潟行きの夜汽車は1両まるごとレディースシートという女性専用車があり、新宿を通る埼京線や京王線も平日深夜限定ながら設けている。昔は「男女平等」を女性が訴えたというのに、今や女性が優遇されているような時代となってしまい、男女平等の実現は永久になさそうだ。

2004年4月10日(土曜日)となり、新潟へ。豪雪というイメージが強いが、平地はすでに雪のカケラもない。その代わり、桜は満開。色もあざやかで、綺麗だ。特に寄り道した弥彦はなかなか。ピンクの花びらがフワフワしているようだった。
東三条へ寄り道すると、バスが到着。どうやら、東急バスのおフルのようだ。地方はカネがなく、中古車でまかなっているのが現状のようだ。首都圏ではノンステップバスやワンステップバスが主流となりつつあるが、中古車でまかなっているところは当然のことながら、導入も遅くなる。
今回の目的地は会津。私は朝に自信がないため、新潟行きの夜汽車で旅立ったワケだが、終点到着が4時台なため、眠く、会津若松へ向かう快速の中で“補充睡眠”をして、喜多方で下車した。

喜多方駅前に観光馬車がジョッキー、いやいや、お客様を待っていた。蔵をデザインした馬車は2階建てで、定員を多くしている。「2階建て」と言っても、馬車の長さは小ぶりである。大きいとお馬さんは2頭必要だ。ちなみに大人1,300円、子供800円(3歳から小学生まで)である。
観光馬車のりば付近には平和食堂というラーメン屋があり、多くの有名人が来店。サイン色紙と写真が飾られているが、年月のたっているものは色あせているのが残念なところ。そこへ入って、喜多方ラーメンといきたいところだが、10時台では昼メシの時間帯ではない。
案内板に沿って、適当に蔵探しをする。『開運なんでも鑑定団』のようなお宝を探すつもりはないが、青々と澄み切った空と頂上が今も雪の山。周囲は一戸建てで、いたってのどかなところである。

市役所付近でようやく、博物館と化した蔵を見つけたが、想像以上に少ない。もっと奥に進めばあるのかもしれないが、時間の都合もあり、次回へ持ち越す。その「次回」はいつなのかは、まったくの未定だが……

喜多方駅に戻ると、トイレ入口にツバメの巣が作ってあり、いつのまにかヒナが生まれた。ちなみに喜多方駅は縁起物をこわすワケにはいかないため、利用客の衣服が汚れないよう、フン落下防止対策をほどこし、巣立つまでは温かく見守る方針という。
駅の地図を見たら、蔵は数か所に分散していることが判明。最初からMAPを見ればよかったと思うものの、またの機会に行ってみよう。できれば、旅行貯金のできる平日に。
余談だが、喜多方はもともと「北方」と名乗っていたが、明治8年(1875年)に5つの村を合併して町制を施行したさい、“喜び多い町”という意味で、現在の地名に改称した。
改札付近で喜多方ラーメンの無料試食をして、会津若松へ。以前、ここで喜多方ラーメンを食べたので、今度もそうするつもりだったが、なんと郷土料理屋に化けていた。

仕方なく、会津若松駅から少し離れたところにある担々麺屋七福神中央店に入り、昼食。驚いたことにこのラーメン屋はドンブリではなく、土鍋を使っていた。土鍋は保温にすぐれているからであろう。ちなみに麺は喜多方ラーメンだった。よって、ここのラーメン屋は“かくれ喜多方ラーメン”と称しておこう。
会津若松を少し散策したあと、晩メシ補給で宇都宮に立ち寄り、帰京。2004年春の旅はこれにて終了した。
★備考
①今回の記事は2004年7月に執筆したものです。
②岸田法眼のRailway Blog.「2004年の汽車旅3」
★お知らせ
①来訪御礼のみや記事に関係のないコメントをされる方は、こちらへクリックしてください(Railway Blogは記事のコメント以外、受け付けておりません)。また、Railway Blogのコメント、トラックバック承認制になっておりますので、御了承願います。
※本文、画像の無断引用、転用は厳禁とさせていただいております(無断引用によるコメントは、一切承認しません)。
②メディア執筆記録2009は、こちらを御覧ください。
(2009年発売の商品カタログです)
③執筆実績一覧は、こちらを御覧ください。
④執筆依頼、御質問やお問い合わせ等は、こちらへお願いいたします。また、御質問やお問い合わせ等をRailway Blogでコメントされても、承認しない場合がありますので、あらかじめ、御承知おきください。

⑤私の執筆記事が掲載されている三栄書房刊行、『鉄道のテクノロジーVol.7』が好評発売中です。くわしくは、こちらへどうぞ(御意見などもこちらへ)。
⑥2011年3月の予定で、芸文社より私の著書が発売されます。首を長ーくしてお待ちいただければ、さいわいです。



岸田法眼のウソつき4択 powerd by けんてーごっこ
関東地方は桜吹雪が綺麗に舞い散っており、花見のシーズンは終わったようだ。私は花見をする習慣がなく、4月という季節自体、好きじゃない。というより、「4」という数字自体、好きじゃない。
街はスーツ姿がぎこちない“「フレッシュマン」という名の新社会人”がういういしく映る。近年は若者の大バカぶりが目立っているが、1人前でもないのに、高そうで仕立てのいいスーツを着た若者を見ると、“まともな大人になれまい”と思う。
新潟行きの夜汽車は1両まるごとレディースシートという女性専用車があり、新宿を通る埼京線や京王線も平日深夜限定ながら設けている。昔は「男女平等」を女性が訴えたというのに、今や女性が優遇されているような時代となってしまい、男女平等の実現は永久になさそうだ。
2004年4月10日(土曜日)となり、新潟へ。豪雪というイメージが強いが、平地はすでに雪のカケラもない。その代わり、桜は満開。色もあざやかで、綺麗だ。特に寄り道した弥彦はなかなか。ピンクの花びらがフワフワしているようだった。
東三条へ寄り道すると、バスが到着。どうやら、東急バスのおフルのようだ。地方はカネがなく、中古車でまかなっているのが現状のようだ。首都圏ではノンステップバスやワンステップバスが主流となりつつあるが、中古車でまかなっているところは当然のことながら、導入も遅くなる。
今回の目的地は会津。私は朝に自信がないため、新潟行きの夜汽車で旅立ったワケだが、終点到着が4時台なため、眠く、会津若松へ向かう快速の中で“補充睡眠”をして、喜多方で下車した。
喜多方駅前に観光馬車がジョッキー、いやいや、お客様を待っていた。蔵をデザインした馬車は2階建てで、定員を多くしている。「2階建て」と言っても、馬車の長さは小ぶりである。大きいとお馬さんは2頭必要だ。ちなみに大人1,300円、子供800円(3歳から小学生まで)である。
観光馬車のりば付近には平和食堂というラーメン屋があり、多くの有名人が来店。サイン色紙と写真が飾られているが、年月のたっているものは色あせているのが残念なところ。そこへ入って、喜多方ラーメンといきたいところだが、10時台では昼メシの時間帯ではない。
案内板に沿って、適当に蔵探しをする。『開運なんでも鑑定団』のようなお宝を探すつもりはないが、青々と澄み切った空と頂上が今も雪の山。周囲は一戸建てで、いたってのどかなところである。
市役所付近でようやく、博物館と化した蔵を見つけたが、想像以上に少ない。もっと奥に進めばあるのかもしれないが、時間の都合もあり、次回へ持ち越す。その「次回」はいつなのかは、まったくの未定だが……
喜多方駅に戻ると、トイレ入口にツバメの巣が作ってあり、いつのまにかヒナが生まれた。ちなみに喜多方駅は縁起物をこわすワケにはいかないため、利用客の衣服が汚れないよう、フン落下防止対策をほどこし、巣立つまでは温かく見守る方針という。
駅の地図を見たら、蔵は数か所に分散していることが判明。最初からMAPを見ればよかったと思うものの、またの機会に行ってみよう。できれば、旅行貯金のできる平日に。
余談だが、喜多方はもともと「北方」と名乗っていたが、明治8年(1875年)に5つの村を合併して町制を施行したさい、“喜び多い町”という意味で、現在の地名に改称した。
改札付近で喜多方ラーメンの無料試食をして、会津若松へ。以前、ここで喜多方ラーメンを食べたので、今度もそうするつもりだったが、なんと郷土料理屋に化けていた。
仕方なく、会津若松駅から少し離れたところにある担々麺屋七福神中央店に入り、昼食。驚いたことにこのラーメン屋はドンブリではなく、土鍋を使っていた。土鍋は保温にすぐれているからであろう。ちなみに麺は喜多方ラーメンだった。よって、ここのラーメン屋は“かくれ喜多方ラーメン”と称しておこう。
会津若松を少し散策したあと、晩メシ補給で宇都宮に立ち寄り、帰京。2004年春の旅はこれにて終了した。
★備考
①今回の記事は2004年7月に執筆したものです。
②岸田法眼のRailway Blog.「2004年の汽車旅3」
★お知らせ
①来訪御礼のみや記事に関係のないコメントをされる方は、こちらへクリックしてください(Railway Blogは記事のコメント以外、受け付けておりません)。また、Railway Blogのコメント、トラックバック承認制になっておりますので、御了承願います。
※本文、画像の無断引用、転用は厳禁とさせていただいております(無断引用によるコメントは、一切承認しません)。
②メディア執筆記録2009は、こちらを御覧ください。
(2009年発売の商品カタログです)
③執筆実績一覧は、こちらを御覧ください。
④執筆依頼、御質問やお問い合わせ等は、こちらへお願いいたします。また、御質問やお問い合わせ等をRailway Blogでコメントされても、承認しない場合がありますので、あらかじめ、御承知おきください。

⑤私の執筆記事が掲載されている三栄書房刊行、『鉄道のテクノロジーVol.7』が好評発売中です。くわしくは、こちらへどうぞ(御意見などもこちらへ)。
⑥2011年3月の予定で、芸文社より私の著書が発売されます。首を長ーくしてお待ちいただければ、さいわいです。



岸田法眼のウソつき4択 powerd by けんてーごっこ
ツバメが益鳥(“駅長”にも通じる?)だからでしょうか、いずれにしろ、温かく見守りたいものです。
by 下総弾正くま (2010-05-04 18:50)
ご無沙汰してしまいました。
喜多方が、北方だったとは全く知りませんでした。
喜多方には50系客車を撮りに15年位前に行きました。
3月にバイクで行き、あまりの寒さに後悔した記憶があります。
一応、宿の人にバイクで走れるか聞いてから行ったのですが、
寒さはちょっと甘く見てました。
by しおつ (2010-05-04 22:20)
下総弾正くまさん、どうもありがとうございます。
ツバメといえば、昔、プロ野球に「国鉄スワローズ」という球団がありました。国鉄が分割民営化されても、ツバメとの縁は深いのでしょう。
あれから6年たっておりますので、ツバメは巣立ったものと確信しておりますが、先日行った際、確認するのを忘れてしまいました。
by 岸田法眼 (2010-05-04 22:47)
しおつさん、どうもありがとうございます。こちらこそ、大変御無沙汰しております。
喜多方は蔵やラーメンで有名ですが、磐越西線に50系が走っていた時代があったのですね。会津地方は4・5・10月しか行っていませんが、東北地方は10月でも寒いです。
by 岸田法眼 (2010-05-04 22:48)