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京葉線205系フェイスチェンジ車フォーエヴァー [汽車旅2011番外編]

◆E331系を初めて見る

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2011年6月11日(土曜日)15時38分、JR東日本京葉線海浜幕張3番線に各駅停車東京行き(8号車モハ204-317)が入線した。車両は急速に数を減らした205系フェイスチェンジ車である。この地に配属され、わずか22年でこうなってしまうとは想像もしていなかった。軽量ステンレス車体を見ると、腐食は見られないが、湾岸沿いを走る京葉線は、潮風や強風との闘いが壮絶なのだろう。


各駅停車東京行き編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
東京1クハ204-117なし
 2モハ204-319なし
 3モハ205-319なし
 4サハ205-195弱冷房車
 5モハ204-318なし
 6モハ205-318なし
 7サハ205-194なし
 8モハ204-317なし
 9モハ205-317なし
海浜幕張10クハ205-117なし

201系の乗車を終え、快速蘇我行きに乗って帰宅するつもりでいたが、まさかの展開に予定を変更する。これは京葉線地下区間の大半が単線シールドトンネルのため、すれ違ったことに気づかなかったからである。

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1年ぶりに205系フェイスチェンジ車へ。シートモケットは優先席を除き、ブラウン系からベイエリアを意識したかのような色調に変わっている。ロングシートはバケットタイプではないが、着席区分をさりげなく表示しており、坐り心地はいい。着席区分が明確なバケットタイプを採用したものの、椅子のような坐り心地の209系が決して好評ではなかったことが、なんとなくわかる。

JR東日本所属の201系は、シートモケットを味気ない水色に変えてしまい、がっかりしたが、205系フェイスチェンジ車ならば、納得がいく色合いだ。ただ、後継車となるE233系5000番代のシートモケットは、209系と同じ色調だ。E233系は中央線用の暖色系シートモケットがいいだけに、なぜE233系1000番代以降は、ブルー系を選んだのだろうか?(E233系3000番代グリーン車のシートモケットは、赤と青の2種類)

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さて、4番線にE233系5000番代の快速東京行きが到着。若干、各駅停車東京行きに乗り換える乗客がいたものの、多くは乗り続ける。車内は消灯されており、暗くて読書するには苦労しそうだ。また、曇天の空模様なのでLCDの明るさが目立つ。一方、各駅停車東京行きは車内灯をつけている。これは乗務員の判断によるもので、各駅停車東京行きの車掌は女性である。これは女性ならではの優しさなのだろうか。205系フェイスチェンジ車に、女性の乗務員は良く似合っている。

15時50分に発車。側扉の開閉音(チャイムではない)と発車時の音は201系と同一。そこから先は微妙に異なる。201系はカン高い感じだが、205系はトーンを少し抑えている。

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高架を走り、京葉車両センターを眺める。遠くにはE331系の姿が見える。これは地平の下り線では確認することができず、高架ならではの発見だ。

実物のE331系を見るのは初めてだが、京葉車両センターで休んでいる日のほうが圧倒的に多い模様だ。E331系は14両連接車体という意欲的な車両で、E993系『ACトレイン』を営業用に発展させた感じを受けていた。将来は京葉線の主力車両として活躍するものと思われていたが、E233系5000番代が登場した以上、量産車は出ない可能性が高いだろう。できることなら、短命廃車にせず、京葉線内の団体輸送やイベント電車として、走らせるわけにはいかないだろうか。


◆増備終盤に登場したフェイスチェンジ車

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205系は昭和60年(1985年)1月31日(木曜日)に落成し、国鉄初の軽量ステンレス車体、界磁添加励磁制御、ボルスタレス台車、在来線車両初の全電気指令式空気ブレーキシステムで登場した。205系はコスト高により採算があわず、増備を打ち切った201系の後継車として注目を集め、平成6年(1994年)まで1729両を新製した。これは201系(1018両)の約1.7倍である。

205系は山手線を皮切りに、東海道・山陽本線、阪和線、横浜線、埼京線など、順次投入路線を拡大していった。特にJR東日本は、分割民営化初期のイメージリーダーカーのような役目を担っていた。そして、京葉線にも投入されるわけだが、その前に同線の生い立ちを振り返ってみたい。

京葉線は、神奈川県川崎市塩浜から東京港、千葉臨海部の埋立地を経由し、千葉県木更津市へ向かう貨物線という青写真を描いていた。武蔵野線をつなげることによって、首都圏の貨物輸送円滑化を図り、東京都と千葉臨海工業地帯を結ぶバイパスルートというものだ。

昭和50年(1975年)5月10日(土曜日)、千葉貨物ターミナル(2000年3月31日で終了)―蘇我間が開業。ここから西へ延びることになるが、貨物の需要が低下し、沿線の埋立地は工業中心から、商業、住宅地、公園緑地といった“街”を中心としたものに方針転換をした。また、国鉄は総武本線東京・御茶ノ水―千葉間の輸送力に限界が近づいていたことを重く見て、京葉線を新たなバイパスルートに活用することを決断。昭和53年(1978年)9月、京葉線の旅客線変更及び、西船橋―蘇我間の認可を受けた。昭和58年(1983年)7月には品川埠頭―西船橋間の旅客線化が認可されているが、一部区間は東京臨海高速鉄道臨海副都心線に転用されている。

昭和61年(1986年)3月3日(月曜日)、京葉線西船橋―千葉貨物ターミナル間の延伸及び、西船橋―千葉港(現・千葉みなと)間の旅客輸送をスタートさせた。初代の旅客車両はスカイブルーの103系が務めた。

昭和63年(1988年)12月1日(木曜日)、新木場―南船橋間、市川塩浜―西船橋間が開業、千葉港―蘇我間は旅客化された。これにより、新木場―蘇我間は本線、市川塩浜・南船橋―西船橋間は支線という位置づけとなった。また、旅客輸送では武蔵野線との直通運転を開始している。それと同時に、JRグループでは初めてとなるATS-P型を京葉線に導入した。

新木場は同年6月8日(水曜日)、帝都高速度交通営団(以下、「営団地下鉄」。現・東京地下鉄)有楽町線が延伸開業(新富町―新木場間)しており、都心への新しいルートも誕生した。また、舞浜は東京ディズニーランド最寄り駅(当時、東京ディズニーシーはなかった)となり、営団地下鉄東西線浦安に比べ、利便性が格段に向上。併せて、167系の車内外をリニューアルした臨時快速〈メルヘン〉を大宮・立川―舞浜間で運行を開始するなど、“夢、希望、未来”が一体化した京葉線の延伸開業だった。

平成元年(1989年)11月、京葉線に205系が投入された。205系は201系よりもコストは優れていたものの、愛嬌のない素っ気ない顔立ちが難点だった。JR東日本は京葉線全通を控えていることもあり、フェイスチェンジのほか、側窓のバランサー方式の変更、モーターの点検蓋を省略、ATC非搭載もあって、乗務員室と客室の仕切り窓を若干拡大するなどの変更点を持つ。ちなみに京葉線用205系フェイスチェンジ車は、平成2年(1990年)2月まで12編成120両が一気に投入されたため、1度も増備されることはなかった。

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平成2年(1990年)3月10日(土曜日)、京葉線は東京―新木場間の延伸開業により、全通した。また、全通のシンボルである205系フェイスチェンジ車も併せてデビューした。そして、濃厚なピンクの帯を採用し、京葉線のラインカラーとなる。ただし、京葉線の初代車両、103系はスカイブルーを貫き、2011年6月20日(月曜日)に201系が退役するまで、25年間にわたり、“昭和の京葉線”であることを強調した。もし、鋼製車体濃厚ピンク1色(赤14号)の103系や201系が存在していたら、どういうふうに映っていただろうか。

平成3年(1991年)3月16日(土曜日)のダイヤ改正で、エル特急(現・特急)〈さざなみ〉〈わかしお〉が京葉線経由に変更。これは3日後にデビューした特急〈成田エクスプレス〉の運転によるもので、バイパスとしての効果を発揮した。ただし、現在も東京ディズニーリゾート最寄り駅の舞浜を通過しているのが難点だ。ダイヤ上、停めるのが難しいのだろうか。また、同年12月1日(日曜日)には武蔵野線用205系フェイスチェンジ車がデビューし、編成単位の増備が終了した。ちなみに、最終増備車は横浜線増結用の6ドア車、サハ204形100番代だった(1994年11月に投入)。

205系フェイスチェンジ車は“京葉線の顔”に君臨したが、E233系5000番代の登場により、2010年度から廃車が発生している。まさか205系の中では、車齢が比較的若い京葉線用が先に廃車が発生し、進行するとは想像もつかなかっただろう。先述しているが、軽量ステンレス車体でも塩害には勝てないのだろうか? 海浜幕張で見る限り、軽量ステンレス車体が傷んでいるようには見えないのだが。

なお、相模線用205系500番代及び先頭車化改造車、JR西日本阪和線用205系1000番代は顔つきが異なるが、ここでいう「フェイスチェンジ車」は基本番代のみとさせていただく。


◆上り線の日中は快速待ち合わせなし



次は新浦安

各駅停車東京行きは快走を続ける。進行方向左側は東京湾が見えるものの、ロングシートに坐ったままだと見づらい。特急〈さざなみ〉〈わかしお〉に乗るならば、進行方向左側の座席の窓側に坐って楽しみたいところだ。

新浦安は4番線ではなく、3番線に到着。日中の下り線はここで各駅停車と快速が顔を合わせるが、上り線はそれがない(ただし、特急の通過待ちを行なう場合がある)。このため、日中の各駅停車は、所要時間に大きなバラつきが生じている。

舞浜で東京ディズニーリゾートからの帰宅客だろうか、多く乗って車内は満員御礼となる。

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次は新木場

葛西臨海公園を発車すると、荒川を渡る。京葉線で1番お気に入りの車窓だ。初めて京葉線を利用したとき、この区間の車窓に衝撃を受けた。遠くの東京湾を眺め、果てしない大海原を見ると心がやすらぐし、“このまま航海をすると、どこへ行くのだろう?”という好奇心が生まれてくる。「まさか」と言っては失礼だが、東京23区内で、素敵な車窓にめぐり合うことができるとは。

荒川を渡り終えると、進行方向左側に東京地下鉄新木場車両基地があり、千代田線6000系を発見。リニューアル工事を受けるのか、あるいは16000系フェイスチェンジ車(運転台を広く取る地下鉄電車ならではのスタイルに戻っている。また、前頭部の方向LEDを大型化し、種別と行先を別々から一体表示に変えている)投入に伴う廃車のいずれかであろう。


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コンデジで撮影



デジイチで撮影

潮見を発車すると、地下へもぐり、16時26分、終点東京地下京葉線3番線に到着した。この電車は折り返し、快速蘇我行きとなり、16時32分に発車。地下に響き渡る轟音を耳に焼きつけた。ちなみに京葉線千葉みなと―蘇我間は、「電車特定区間」に認定されていない。これは、“千葉みなとは「千葉」に等しい”ことや、外房線千葉―蘇我間は電車特定区間ではないことが考えられる。



★備考

①eyeVio「中央線201系フォーエヴァー THE MOVIE」 



②鉄道ニュース「E233系5000番台が営業運転を開始」 

③参考資料として、イカロス出版刊行、『国鉄型車両の系譜シリーズ10 形式205系』を使用。

④参考資料として、鉄道ジャーナル社刊行、『鉄道ジャーナル』1985年12月号、1990年3・5月号、1992年2月号をそれぞれ使用。

⑤参考資料として、鉄道ジャーナル社刊行、『年鑑日本の鉄道』1989年版を使用。

⑥参考資料として、鉄道ジャーナル社刊行、『日本の鉄道全路線3 JR東京圏』を使用。

⑦You Tube
「Every Little Thing - Face the change」 

⑧岸田法眼のRailway Blog.
「JR東日本201系フォーエヴァー」 

⑨岸田法眼のRailway Voice.
「京葉線205系フェイスチェンジ車フォーエヴァー Voice Version.」
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