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紀勢本線一部区間の長期不通 [鉄道評論]
2011年9月2日(金曜日)から3日(土曜日)にかけて、関西、中国、四国の各地方に大雨をもたらした台風12号の影響により、紀勢本線は熊野市―白浜間で不通及びバス代行輸送となっている。全面復旧には半年以上かかるらしい。
紀勢本線は亀山―和歌山市間を結ぶ路線で、新宮を境にJR東海、JR西日本の管轄に分かれている。国鉄時代は名古屋―天王寺間に特急〈くろしお〉が走り、ボンネット気動車キハ81最後の列車だった。昭和53年(1978年)10月2日(月曜日)、新宮―和歌山間の電化開業により、名古屋―紀伊勝浦間は特急〈南紀〉、新宮―天王寺間はエル特急〈くろしお〉に分割した。くしくも特急〈南紀〉は、キハ80系最後の定期列車となり、紀勢本線は“名車の花道”的な路線となっている。
現在、紀勢本線を走る特急は〈くろしお〉〈スーパーくろしお〉〈オーシャンアロー〉〈(ワイドビュー)南紀〉で、すべて東海道・山陽新幹線に接続している。昔のエル特急〈くろしお〉は天王寺発着だったため、東海道・山陽新幹線に接続することはできなかったが、分割民営化後の平成元年(1989年)7月22日(土曜日)、大阪方面へ直通できるアプローチ線が完成し、梅田貨物線(実際の路線名は東海道本線の支線)経由で新大阪へ足を伸ばすことが可能になった。これにより、東海道・山陽新幹線から乗り換える場合、特急料金は乗継割引が適用され、利便性が大幅に向上。また、JR西日本エリアの列車番号は、和歌山から新宮方面は奇数、その逆は偶数に改め、市販の時刻表は「上り」「下り」の順に掲載する異例の展開となっている。
なお、特急〈くろしお〉〈スーパーくろしお〉〈オーシャンアロー〉の定期便は京都・新大阪発着に統一。また、アプローチ線を経由する関空・紀州路快速の影響もあり、天王寺阪和線ホームの日中は閑散となってしまい、国鉄時代の“にぎわい”が影を潜めた。
さて、今回の台風12号で、紀勢本線は土砂流入や変電所の冠水もあり、復旧作業が思うとおりに進まないほか、河川増水により流出した橋脚や橋桁の工事は水量が少ない冬季が最適だという。町の様子を見ていると、まるで東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の津波を連想させるほどで、絶句する人も少なくないだろう。
JR西日本は9月17日(土曜日)に串本―白浜間、9月26日(月曜日)に紀伊勝浦―串本間をそれぞれ運転再開する予定で、管轄する残り区間(新宮―紀伊勝浦間)及び、JR東海エリアは越年が確実である。
私は紀勢本線に何度か乗ったが、“もう1度乗りたい”と思っていた。それは御坊―新宮間は車窓の記憶がないからである。紀勢本線は平成11年(1999年)1月5日(火曜日)に全線完乗しているが、JR西日本エリアは「太公望列車」や「釣り列車」と親しまれた新大阪発新宮行きの快速に乗っていたからである(通算2回乗車)。快速新宮行きは165系の運行で、青春18きっぷシーズンでも、新大阪―天王寺間及び和歌山以南はラクに坐れた(阪和線は帰宅客が多く、乗車率が高い状況だった)。
朝5時をちょっと過ぎた頃、終点新宮に到着すると、ホームにあるうどん屋は、すでに営業を開始していた。私が乗ったときは夜が明けていなかったが、アツアツのうどんで腹ごしらえをすると、日の出とJR東海の普通列車を待つ人々が多かった。また、うどん屋のおかみさんは食べ終えた利用客に「おおきに!!」と謝意の言葉をかけていたことが耳に残る。
JR東海の普通列車に乗ると、夜明けの海沿いを走る車窓が印象に残り、途中の熊野市では特急〈(ワイドビュー)南紀2号〉名古屋行きの待ち合わせをするため、しばらく停まっていた。
紀勢本線の夜行快速は2000年夏頃に姿を消し、青春18きっぷ、または特急〈スーパーくろしお〉〈オーシャンアロー〉のパノラマグリーン車に乗りたいと数年前から考えていたが、スケジュールの都合等により、“21世紀の紀伊半島1周”は今も実現していない。ちなみに後日、紀州鉄道及び有田鉄道に乗るため、和歌山―御坊間を利用しており、あいにくの雨だったが車窓を眺めることができた。
1日も早い町と鉄道の復旧を願うと共に、被害にあわれた方に心からお見舞いを申し上げ、犠牲者の御冥福をお祈りいたします。
★備考
①毎日新聞「JR紀勢線:全線復旧まで最短でも半年 台風12号の被害」
②JR西日本プレスリリース「2011年9月定例社長会見」
※2012年6月にリンク切れをしている可能性があります(JR西日本のプレスリリースは発表から9か月間掲示しているため)。
③JR東海プレスリリース「紀勢本線の運行計画(9月8日以降)について」
※PDFファイルです。
④今回でRailway Blogは1500回を迎えることができました。今回は残念ながら楽しい記事ではありませんが、今後ともよろしくお願い申し上げます。
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