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大島康徳さん追悼 今、求められるリーダーは! [波瀾万丈伝]
元プロ野球選手で、日本ハムファイターズ(現・北海道日本ハムファイターズ)の監督やNHKの野球解説者を務めていた大島康徳さんが2021年6月30日(水曜日)、黄泉の国へ旅立った。私は1度、大島さんの講演に行ったことがある。その模様を綴り、哀悼の意を表したい。
■雪の杉並区
2008年2月3日(日曜日)17時30分過ぎ、荻窪へ。この地に訪れるのはずいぶん久々。まずは地図を見つけ、杉並公会堂へ向かう。途中、雪だるまという微笑ましい光景を見る。この日の関東地方は雪だった。
杉並公会堂へ。この日、『杉並区商店会連合会青年部創立35周年記念講演会 私の街・自慢「今、求められるリーダーは!」』という講演が行なわれる。これを知ったのはプロ野球解説者、大島康徳さんのブログ。大島さんは熱血で魂のこもった野球観、年齢のワリには若いなぁーという印象がある。
地下1階では、コンサートに向けてだろうか、演奏の練習をしているが、防音対策は万全磐石でなにも聞こえてこない。
地下2階の小ホールでは受付準備が行なわれていた。ガラス張りの空間を覗いてみると、そこは地上。雪が天からの授かりモノのような感じで舞い散ってゆく。
予定より2分早い17時58分、開場。携帯電話の電波は圏外となっており、電源を切る。一般受付に行くと、座席指定券をもらう。定員は194人、入場も無料で、前方から埋まってゆく。会場は50人前後しか来ておらず、杉並区の住民以外で入場したのは私だけのようだ。
■スーパーマーケットの時代は終わりだ?!
開場の準備が整い、18時30分にスタート。
「こんばんは」
と司会の男性が言うと、驚いたことに会場の人たちも「こんばんは」と返してきた。続いて、宣伝部長のあいさつ。
「足元の悪い中、深く、深く、感謝しております」
これもびっくりした。「深く」と言ったら、「お詫びします」という言葉が続くことしか頭に思い浮かばない。実際にその言葉を100回以上(?!)も聞いているだけに“こういう言葉の使い方があるんだ”と、なぜか感心する。
杉並区商店連合会の会長がステージに現れ、会釈するとみな、一礼。会長はこれからの経済は厳しくなることが予想し、新たな顧客の獲得が大切だと唱える。
「言っていただかなればわかりませんので、どんどん注文をつけていただければ」
と商店街の繁盛を願っている。
続いて、杉並区長が現れ、杉並区の経済は商店街が命綱と力説。中国製の冷凍餃子に農薬などが入っていた影響により、宇都宮餃子も売り上げが落ちているという(当時)。そして、“爆弾発言”が飛び出した!!
「スーパーの時代は終わりつつある」
杉並区長によると、スーパーマーケットは商品をただ置いているだけで、商店街は対面販売。商品知識が豊富なため、ちゃんと説明してくれるのだという。これからは商店街の時代と大いに胸を張っている。
18時47分、立川志隆さんの落語が始まる。
この方は杉並区各地で寄席を開催しているという。また、地元の小学校でPTA会長を務めている。意外なのは本業が落語ではなく、クラッシックギタリストらしい。
赤いジュータンに敷かれたパープルの座布団に乗り、“落語ができるギタリスト”の寄席が始まる。
PTA会長は4年目という“長期政権”で、実際にやってみると、“子供たちの安全を守るためにやっている”ことに気づいたという。また、ベルマークもこまめに集めているらしい。
落語のネタに盆踊りの露店に目玉焼きを出すことになった。しかし、目玉焼きが売れるのかどうか不安だったそうで、フタを開ければ1番売れたのはいそべ巻きだという。
■登壇
19時14分に落語が終了し、木の台と床に敷いていた赤いジュータン、座布団が撤去され、演説台が出てきた。そうなると、大島さんが登場!! 仕立てのいいスーツに銀のクツというイデタチである。
「私の時におはやしが出てくるのかと思いましたが」
とジョークで会場を笑わせる。
「今も昔も変わらないと思うんですね」
大島さんが言うにはプロ野球選手は個人事業主なのだという。選手は自分勝手でいいのだそうだ。また、右を向く人は大舞台では力を発揮できず、左を向く人はその逆だと言う。
今の若い選手(当時)というのは、言葉だけではついてこないが、映像を見せるとついてゆくのだという。言葉で周囲を引っ張るのは難しい時代になっているらしい。これは実績がないと言葉で引っ張ることができず、その言葉に説得力がないといけない。「不器用、コツコツ積み重ねた人のほうがリーダーシップは取れるのではないか」と大島さんは分析する。
また、指導者はガマンや忍耐が求められる。失敗を責めるのはカンタンだが、選手は意欲をなくしてしまうという。
■根性論
大島さんは1969年、ドラフト3位指名で中日ドラゴンズに入団。当時、中日の1軍は水原茂監督だったが、大島さんは2軍にいた。そして、たった1回だけ、水原監督から声を掛けてもらった。
「風邪ひくなよ」
何気ない、月並みの言葉だが、大島さんは雲の上からの人の言葉に勇気づけられたという。その体験からか、「的確なアドバイスができる人はリーダーと言える」と力説。そして、「個性とワガママは違う」ことも言った。
昔は根性論が根づいており、骨折してでも試合に出場。痛くても「行けるだろ」と言われていた。監督、コーチ、治療をする医師、みな同じことを言っていた。
大島さんはこれらの体験をもとに「地道に教えていかないと、次のリーダーになれない」と言った。ホップ、ステップ、ジャンプと順序よくやる必要があるということだ。また、監督は毎日、ストレスがたまるという。
■イチロー選手のすごさ
日本のプロ野球キャンプは7時に起床し、夜遅く(18時 or 19時)まで練習をする。それは不安で不安でしょうがないから、自分自身を追い込み、練習に打ち込むのだという。
大島さんは以前、宮古島でイチロー選手を取材したことがあり、メジャーリーガーは8時から筋トレ、7時30分に来てもすでに練習をしているという。ファンには見せない隠れた努力をしているというのだ。
また、ツーショットの際も鏡で帽子の微調整をするほど、気をつかう。これはメジャーリーガーの基本で、ちょっとでもズレると、だらしない姿をファンや関係者に見せることになる。大島さんはメジャーリーガーの姿勢に驚いたという。“俺だからいいんだよ”でも、甘えが許されない。イチロー選手は“人に見られる意識、魅せる意識”を持っていることを痛感したという。これがメジャーリーガーの宿命なのだ。
■人生を変えたプロ入り初ホームラン
大島さんはプロ入りして1・2年目は2軍でも打てなかったらしく、3年目で1軍にあがり、早いうちにホームランを放った。たった1本のホームランで人生が180度変わったという。
まず、外食屋に行くとメシはタダ。そして、いろんなところで遊びを覚え、1か月たつと打てなくなってしまった。中日在籍中は“隔年の大島”と言われ、毎年トレード要員にされていたようだ。
大島さんは波瀾万丈の人生を送っており、実兄は白血病のため、29歳の若さで他界。また、本人も交通事故にあい、失明の危機だった。この時、医者に「運がいい」と言われたという。
■監督とフロントの非情
1988年、トレードで日本ハムファイターズに移籍。1990年には当時、史上最年長記録となる39歳11か月で2000本安打を達成。1994年、44歳で現役引退後、プロ野球解説者を経て、2000年から2002年まで、監督として日本ハムに復帰した。
2000年は3位だったが、2001年ではキャンプで7人のケガ人が発生した影響もあり、最下位。2002年も5位に沈む。3年契約だったこともあり、円満に任期満了を迎えたように思われていたが、実際は「へなちょこ監督」と言われるほど、クビを切られるも同然の状態だったという。
監督は非情さが必要というが、トップとして判断するのはツライという。また、日本ハムの監督には人事権がないため、大島さんが1軍で起用したいと温めていた選手が戦力外通告などを受け、フロントともめたこともあるそうだ。
監督はトップで、なにもかも自分で決めなければならず、つらい。しかし、2番手以降はラクなのだという。第1回World Baseball Classic(通称、「WBC」)で打撃コーチを務めているので、そう感じたのだろう。ちなみにWBCの金メダルは貸金庫にあるそうだ。
「インターネット販売をしたら、大島だと思ってください」
と笑わせる。これはパチンコが趣味らしく、記録的大敗を喫したら、そうなるようだ。『開運なんでも鑑定団』で鑑定してもらえるかどうか……
ちなみに、普段は子供たちに野球を教えながら、パチンコをしている。本人もパチンコをするヒマがないほど、スケジュールが日々埋まることを望んでいる。
■地元の人々に愛された大島さん
大島さんは杉並区某所に住んでおり、14年目(当時)を迎える。最初、商店街を歩いても、声を掛けてもらえなかったが、犬を飼い、散歩をしたら、声を掛けてもらったという。犬は「祭」と命名した。ちなみに大島さんは不器用らしい。不器用はイコール職人で、リーダーはそういう人が1番向いているのではないかと思っているそうだ。
最後に2008年プロ野球の話となる。
「ジャアンツ、スゴイですね」
「不器用な大島、うらやましいな」
と巨人を絶賛。優勝して、クライマックスシリーズにも勝ち、そして、日本一になればいいのだが、どうなりますか?(2008年はメークレジェンドで連覇したが、日本シリーズで埼玉西武ライオンズに敗れ、2002年以来の日本一を逃す)
20時04分に講演が終了。このあとは質疑応答の予定だったというが、翌日に宮崎へ向かうため、立川さんのクラシックギターになった。
着物からラフな姿となり、ギターとフルートの演奏で、『杉並区商店会連合会青年部創立35周年記念講演会 私の街・自慢「今、求められるリーダーは!」』は幕を閉じた。
合掌
※当時の手記を加筆、修正したものです。大島康徳さん、全国の人々を大いに楽しませていただき、ありがとうございました。
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