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御堂筋線10系総集編2007 [汽車旅2007番外編]

今回のRailway Blogは2007年に乗った御堂筋線10系を振り返ります。

なお、本文の一部は加筆・修正しております。また、乗車車両編成表はカットしておりますので、あらかじめ御了承ください。

◆2007年3月2日(金曜日)

大阪で下車し、ヤボ用をすませたあと、御堂筋線[梅田駅(M16)]に乗り換えるが、券売機で1日乗車券を購入しようと千円札を入れたら、「ノーマイカーフリーチケット」に目がいく。1日乗車券よりも250円安いのだが、買って本当に使えるのかどうか悩んでしまう。間違ってしまったら、大損になるからだが、さいわい、最新式の券売機ではノーマイカーフリーチケットがこの日は使えるということで、買う。



毎月20日(休日だと21or22日)の大阪市はノーマイカーデー(愛車の定休日)となっており、大阪市交通局は管轄する乗りものすべてに乗れるノーマイカーフリーチケットを販売しているが、毎月だけでは限界があるようで、毎週金曜日も利用できるようになっているとはまったく知らなかった。ちなみにノーマイカーフリーチケットは子供用がない。当たり前だが、子供がマイカーを持っているワケがないからだ。もし、設定していたら、券売機で迷うことはなかったかもしれない(1日乗車券を販売しなくていいため)。

時刻は9時30分になり、券売機で迷ったのが功を奏したのか、御堂筋線はなんと、あびこ行き(1号車1822)に乗る。



余談だが、2002年4月7日(日曜日)に10系第22編成に乗った時は夢塗装車だった。





国鉄が分割民営化された直後の昭和62年(1987年)4月18日(土曜日)、御堂筋線はあびこ―なかもず間が延伸され、全通した。ちなみに御堂筋線があびこに到達したのは昭和35年(1960年)7月1日(金曜日)で、27年間起終点だったことになる。

全通後も、あびこ行き及び始発が残っていると知ったのは2000年8月であるが、子供の頃、本で見た「あびこ」の方向幕が強烈なインパクトだったことを思い出す。ひらがなだけの行先なんて、今まで見たことがなかったからであろう。なかもずもひらがなになるとは思っていなかったが、「あびこ」ほどの強烈さはない。

あびこ行きを撮影するのにちょっとあせったが、意外と停車時間を長くとっており、普段は1枚しか撮らないものを4枚撮っていた。

停車時間を長くとってあることが意外なのは、普段、東京地下鉄(通称、「東京メトロ」)を利用しているからで、朝のラッシュ時は後続の電車が接近しているため、長く停まっているわけにはいかないのである。御堂筋線も同じことではあるが、停車時間にゆとりをとっているのも、事故や乗り過ごし、駆け込み乗車を防止していると思う。

初めて本町(M18)で下車。船場郵便局で旅行貯金した。





本町(C16)で御堂筋線(M18)のなかもず行き(1号車1826)、なんば(M20)で千日前線(S16)の南巽行き(1号車25605)に乗り換え。御堂筋線は21系の天王寺行きをパスして、10系を選び、千日前線は2002年1月以来、5年ぶりの利用。

なんば(S16)で千日前線から御堂筋線(M20)の新大阪行き(10号車1111:リニューアル車)に乗り換え、一気に終点へ。

「新幹線、JR線は乗り換えです」

新大阪に着く時、同じJR線なのに使い分けているのが不思議だが、新幹線は別格なのだろう。ちなみに東京メトロは新幹線の接続駅である東京と上野について、「JR線はお乗り換えください」と案内している。

最近では聞かなくなったが、大阪市営地下鉄は「他のお客様の迷惑にならないよう、お互いに注意しましょう」というのがあった。私は知らない人同士で注意しあうとはとても思えなかった。人に迷惑をかけるために電車を利用することはとうていないと思うからだが、不思議な注意事項の放送であった。

さて、新大阪は江坂寄りで撮影。なかもず寄りに比べ、ゆとりを持って撮影することができる。これは住吉人さんのアドバイスにもとづいたものである。



スペースがあって撮りやすいものの、両サイドにある新御堂筋という一般道路はクルマがひっきりなしに通るため、ホームが揺れる。足元に充分注意しながら、撮影することをオススメする。

この日はお天気がいいせいか、デジカメ史上、会心の撮影をすることができた。コンパクトサイズではあるが、このくらいの速度ならブレずにすみそうである。



 

◆2007年4月7日(土曜日)


JR西日本関西本線JR難波からなんばウォーク経由で徒歩6分、大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線[なんば駅(M20)]に乗り換え。ホームに着いた時、10系リニューアル車(第6編成)の千里中央行きが発車した。運が悪い時は天敵21系が続くのがパターンとなっており、その通りの展開となってしまう(JR難波より、天王寺で乗り換えたほうが早い)。

関西の旅になると車両にこだわることが多く、大阪市営地下鉄だと“新20系”は第3軌条各線に投入しているため、御堂筋線は10系、中央線は2代目20系にこだわるが、谷町線は30系が専用で残っているものの、こだわっていない。昔、30系は第3軌条各線に投入されていたためであろう(意外にも谷町線で22系に乗ったことはない)。また、JR西日本だと223系1000・2000番代の快速や普通電車に乗ることをちゅうちょすることがある。新快速は迷わずに乗るが、個人的にアーバンネットワークのエースは221系で、魅力は223系シリーズよりも断然上だからである。

中津行きは21系で、次の千里中央行きは北大阪急行電鉄(次からは「北急」と略す)8000系“ポールスター号”だが、基本的に御堂筋線を1日2回以上、利用する時しか乗らないことにしているため、残念だけどパス。後続の新大阪行き(10号車1115:リニューアル車)に乗り、17時34分に発車する。

梅田(M16)で立客はいなくなり、中津を発車して地上にあがると、空はグレーになっていた。この日はあいにくの雨で、もうおてんとうさまは沈んだことであろう。ネオンが輝きを魅せている。

「この電車は次の新大阪までです」

区間運行の場合、「終点」という言葉を使わない“独特の手法”で新大阪(M13)に到着。今回は2001年10月以来となる新大阪以北の乗車をするため、一旦待つ。

いったい、何分待ったのかは忘れたが、ようやく10系の千里中央行き(10号車1104)が到着。なんと、関西のレールファンが撮影のターゲットにしている10系第4編成である。

10系第4編成の利用は2002年4月7日(日曜日)以来となるが、先頭10号車のフェイスは白と赤の部分がボロボロ。このままの状態で走らせる姿勢に怒りを感じる(その後、補修をした)。常に綺麗な状態でお客様を迎えるべきではないのか(下の画像は2002年4月7日に利用した10系第4編成)。

「ハァーン」

ドアが閉まり、電気笛のタイフォンが鳴り響く。10系増備の末期やリニューアル車は警笛を変えているため、しっくりこないが、電気笛は雄たけび高らかに18時03分に発車した。

御堂筋線の地上区間は高速道路のように思えるが、実は一般道路の新御堂筋を両サイドと並走しているものの、高架を一段高く登り、留置線に止まっている10系ラストナンバー車を見下ろしながら走る。新大阪から先になると、御堂筋線は1段高く走っているような感じである。

すぐ先にある東三国(M12)で10号車はたちまちガラガラとなり、座席をGET。増備の末期からシートモケットはオレンジっぽい感じだったが、平成の世になってから着席区分をつけた以外はオリジナルの金茶色を堅持しているようだ。

御存知のように10系第4編成はリニューアル車の対象から外れており、オリジナルのまま廃車になるとウワサされている。10系第4編成もリニューアルして、21系ラストナンバー車を2編成に分割。中間車だけとなった4両に先頭車を新製し、谷町線に22系として移籍。経年の高い30系2編成を置き換えたほうがよさそうにも思える(その後、30000系を投入し、30系を置き換えている)。また、10系第4編成は廃車せずに予備車両として残し、万全磐石の運行態勢にすべきだが、かつて、新製から9年しかたっていない30系先頭車をこっぱみじんに斬り捨てた経歴があるため、残念な結果になることが予想される。せめて、浅香中央公園(我孫子検車場跡地)に上屋をつけて、“里帰り”させて欲しいなとも思う。

30系の場合、アルミとステンレスの2種類あったため、混結を嫌ったのであろう。もし、どちらかに統一していたら、9年廃車というのはなかったと思う。

さて、10系は第3軌条車両では初の冷房車で、その功績は国民栄誉賞に匹敵すると思うが、試作車は当初、非冷房車(1977年に1両だけ試験設置された)だったせいか、鉄道友の会ブルーリボン賞orローレル賞などといった受賞歴がないのは残念なところである。

画像を見ればおわかりだと思うが、第3軌条車両はトンネル断面が架線車両に比べてサイズがちょっと小さいため、車端部にある冷房装置は天井が低くなっている。そのためか10系オリジナル車の車端部には照明を1つ増やして暗さを感じさせないようにしているが、リニューアル車では情報案内装置設置のため、撤去。その代わり、明るい化粧板にChangeした。

オリジナルの化粧板は、昭和50年代(1975年から1984年まで)の雰囲気が色濃く残る。この当時は暖色系が流行し、国鉄201系も取り入れたが、10系リニューアル車の化粧板は寒色系のような感じである。

江坂(M11)で乗務員が交代して、ここから先は北急南北線へ。北急は2001年10月以来の利用で、しかも乗った車両は10系第4編成であった。

発車時と到着時にタイフォンを鳴らさないのは意外だったが、終点千里中央(M08)まで2回鳴らした。ちなみに北急の自動放送(声は大阪市営地下鉄と同一人物)では「この電車は次の千里中央までです」と言うかと思ったが、「まもなく、終点千里中央」と案内していた。そして、地下へもぐると、『鉄道ダイヤ情報2007年3月号』で掲載していた東西線廃線跡を確認することができた。

平成初期、北急は箕面まで延伸するウワサがあった。もし、実現していたら千里中央(M08)の次は北千里となり、阪急電鉄(次からは「阪急」と略す)千里線と競合するような展開になっていただろう。そして、箕面となると阪急箕面線、宝塚本線と競合することにもなり、梅田バトルが激化していたのかもしれない。しかし、北急は阪急グループの鉄道で、“共食い”になってしまうことや桃山台付近にある車両基地の容量不足(車両の増備が必要になる)、運賃が安いため(北急は全線乗っても120円で、区間利用は80・110円)、建設費用が捻出できなかったのだろう。北急の箕面延伸構想は消えた。

終点千里中央(M08)に到着。しばらく10系第4編成を眺めた。

◆2007年9月8日(土曜日)

2007年9月8日(土曜日)、大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線新大阪(M13)へ。宿から新大阪駅に近いのはJR線ではなく、大阪市営地下鉄で、高架の新御堂筋沿いに独自の出入口があるからだ。ちなみに新大阪の開業日は国鉄よりも早い。



7番出入口(南改札)はエスカレーターが近年に設置され、そのおかげで西中島南方(M14)寄りは撮影がしづらくなったが、ホームに着くと、9時36分発の天王寺行き(1号車1810:リニューアル車)が発車を待っている。始発電車なので、ラクに坐れた。



新大阪から梅田方面へ向かうのは久しぶりで、21世紀になってから初めて。淀川を渡り終えると、地下へもぐる。御堂筋線の地上区間は千里中央行き及び新大阪行きの利用が圧倒的に多いので、新鮮な車窓である。

梅田(M16)で大量乗車があったものの、土曜日のせいか思ったほど少ない。

本町(M18)でお客の入れ替わりがあったが、心斎橋(M19)で若干、乗車率が減る。



なんば(M20)でガラガラとなり、頭上を見上げると、吊り革はドコモの宣伝ばかり。関東は吊り革広告がなく、これも関西商法の1つなのだろう。ドアの窓上にシール広告があるのは関東でも同じこと。さらにドアの窓の「ひらくドアにごちゅうい!」のステッカーの下にも広告があり、かなり徹底的にやっている。

「天王寺終点でーす。御乗車ありがとうございました」

終点天王寺(M23)に到着。終点であることに気づかないお客が多く、駅員が車内に乗り込み、退散していった。



余談だが、始発専用の2番線には10系第4編成の新大阪行き、3番線には10系第12編成“夢塗装車”の千里中央行きという、関西のレールファン注目の車両が続いた。


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