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さすらいの諸国漫遊記57-4日目 [汽車旅2004]

◆下記の記事をまだ御覧になっていない方は、下記のURLへクリックしてください。

・さすらいの諸国漫遊記57-初日・2日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-20

さすらいの諸国漫遊記57-3日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-27

2004年8月22日(日曜日)、ほとんどのお客が寝ている2時頃、琉球海運『わかなつおきなわ』那覇新港行きは鹿児島新港を出航した。

ここから那覇新港までは694キロという道のりで、東北本線に例えると、東京から青森県の清水川までに相当する。これは旅のお供の1つである『JR時刻表』(交通新聞社刊行)で調べたが、距離の長さに驚くばかりだ。これでは、海底トンネルや橋の建設計画がないのも仕方ないところである。ちなみに大阪南港のフェリーターミナルから、那覇新港までは1231キロもある。

6時50分、目が覚めた。2等船室の窓際を陣取っていた私は、ふと景色をのぞくと、空は輝いていた。雲はあるが、晴れている。ほかの男性陣とは就寝中だが、さいわい、2等船室のドアは開けっぱなしだったので、気をつかわずに出る。ドアの開閉音をたててしまうと、“起こされた”と不快感を買う人もいるだろう。知らない人との“集団生活”も苦労する。


「おはようございます」

とデッキへ向かおうとした時、若い女性が私にあいさつした。あまりにも突然で、予期していない出来事だったが、私もあいさつを返す。その若い女性は日の入りのとき、デッキにいたので話しかけてみたが、東京からやって来たとのこと。仲良し集団でキャンプをするらしい。

私は毎年元旦、江ノ島で初日の出を見ているが(2004年まで2勝3敗)、船上からの日の出は海岸で見るより美しく、格別である。船員も明日の日の出の時刻を言ってくれれば、携帯電話の目覚ましをセットしていたのに。

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デッキでさわやかな日の出を見届け、2等船室に戻ると、再び眠りについた。今までの寝不足を解消したいし、この日は1日中、フェリーの中だから、ヒマも同然だ。

10時過ぎに再び目覚める。遅い朝食は、もちろん人気薬屋『マツモトキヨシ』で購入したカロリーメイト。デッキのベンチに坐り、ポカリスエットと共に食べる。本来、朝の飲み物はミルクティーなのだが、『長渕剛桜島オールナイトコンサート』で、コンビニの食料品が一掃されてしまったため、鹿児島新港の自販機で仕方なく購入した。

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船上は意外と暑さを感じないが、“コパルトブルー”と言われる藍色の海(台風15号の影響か、この日は太平洋と東シナ海を行ったり来たりだった)は強烈だ。今まで、こんな色の海、肉眼で見たことがない。さらにトビウオが海から脱出して、地上を飛ぶ姿も初めて見た。但し、いつ出てくるかわからず、撮影することはできなかった。

携帯電話は圏外で、音信不通。それは最初からわかりきっていたことなので、電波遮断モード(ドコモでは「セルフモード」という)にしているが、携帯電話を持っているにもかかわらず、誰とも連絡ができないのはつらいものである。今の携帯電話は、カメラやゲームがついて当たり前なので、乗っている人々は思い思いに時間をつぶしているが、電波遮断モードがない、あるいはその存在を知らない人は、携帯電話の充電をして、那覇新港に着くのを待っている。

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海は綺麗だが、波は高く、けっこう揺れるところもあって、私は船酔いにあう。酔い止めの薬を買っておくべきだったかもしれないが、さいわい、ゲロをすることはなかった。必死にコラえた。かつて、天候が悪いときに乗船し、船酔いをしてゲロしちゃったことがあるから、ここはおとなしく2等船室に戻り、横になる。しばらくしたら、昼寝になってしまった。

那覇新港の到着は当初、20時20分の予定だったが、20時40分に変更され、さらに21時へ延びた。2回も変更するのはしょうがないことで、イラだちもない。“無事に那覇新港に着いて日本完全制覇を達成させてくれ!!”と願う。

船酔いがおさまり、18時を過ぎると、空は黄昏に変わった。

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18時40分、デッキに出ると、“おてんとうさん”は東シナ海に沈もうとしている。どうやら鹿児島県最後の島、与論島を通過したようで、琉球に入ったみたいだ。『わかなつおきなわ』は伊平屋島か野甫島か伊是名島のどちらかを通っている。

18時44分、夕日は東シナ海に沈んだ。

さて、琉球海運『わかなつおきなわ』の「わかなつ(若夏)」は琉球特有の季語で、4月末から梅雨入り(5月なかば)までの初夏を思わせる、さわやかな時季をさすという。

大地は春先の雨をたっぷり吸い込み、若葉は青空に向かって、グングン伸びていく、新しい命の鼓動と豊穣を感じさせる季節で、この船を『わかなつおきなわ』と命名することにより、若々しさ(活力)、みずみずしさ(精錬)、豊かさ(高収益)への期待を込めている。

琉球にとって、すべての幸のモトは海にあるという言い伝えがあり、古くから、生活・文化は域外の交流によって、支えられている。

『わかなつおきなわ』は未来にひらかれた、海への限りない希望に満ちた琉球と外の世界で結ぶ架け橋と位置づけている。

これは船内にかかげられた命名の由来で、一部、私なりにアレンジした部分がある。

20時20分、ふとデッキへ行くと、綺麗な夜景が夜空を彩る。ってことは、ついに琉球本島が見えたーっ!! そして、タグボート2隻の力を借り、21時09分、終点那覇新港に到着。船員の指示で、下船したのは21時14分。ついに琉球の地に足を踏み入れ、平成8年(1996年)3月9日(土曜日)からスタートした諸国漫遊は、8年5か月、57回目で“日本完全制覇”を達成した。

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感慨にひたる時間はなく、すぐさま無料のマイクロバスに乗り込み、フェリーターミナルへ運ばれる。ちなみにキャンプをする仲良し集団は、離島へ向かうつもりのようだが、台風16号の影響で欠航が決まり、お困りの様子。こちらとしては無事を願うほかない。

那覇新港を出て、徒歩で宿へ向かう。「日本完全制覇を達成した」というメールをポコポコ送り、泊大橋への階段を登ると、亀甲墓を目にした。大きさはやっとの思いで墓石をたてた我が一族とは、えらい違いである。さすがに亀甲墓を撮る気になれなかったが、しばし、足を止める。

亀甲墓は、亀の甲羅のような独特な形状の琉球のお墓。一族共同の墓なので、かなり巨大。一般的な墓石とは比べものにならない。亀甲墓は言わば“第2の我が家”なのだろう。

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いよいよ泊大橋を渡るが、風は強く、おまけに足がすくむほど高い位置にある。進行方向左側は泊港で、フェリーが1隻停泊中である。ちなみに泊大橋は、『ちゅらさん』のロケ地の1つで、古波蔵恵里が那覇北高校に通っていた帰り道、チャリンコを降りて、上村文也からもらったスーパーボールに目を輝かせていたシーンを思い出す人もいるだろう。

ところが、那覇北高校から実家までは、泊大橋を使う必要はまったくなく、なんと道草を食っていた。“てーげー(「大まか」という意味)”精神はNHKのスタッフにも及んでいた?! ほかの高校生はちゃんと正規の通学路で帰りましょう。それにしても、あんな高いところで撮影したのだから、意外と命がけのロケだったかも。

泊大橋は果てしなく長く、気がつけば宿をオーバーラン。道がわからずじまいとなり、おまけに雨も降ってしまい、タクシーで緊急避難。宿までの料金を気にしながら乗ったが、初乗り480円ですんだ。

★備考

①今回の記事は、2004年10月に執筆したもので、一部加筆・修正しています。

②岸田法眼のRailway Blog.
「2004年の汽車旅5-2」 

③琉球海運『わかなつおきなわ』は、2006年9月18日(月曜日・敬老の日)をもって、運航を休止しました。

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