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さすらいの諸国漫遊記57-千秋楽 [汽車旅2004]

◆下記の記事をまだ御覧になっていない方は、下記のURLをクリックしてください。

・さすらいの諸国漫遊記57-初日~5日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-08

・さすらいの諸国漫遊記57-6日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-09

2004年8月25日(水曜日)、“日本完全制覇の旅”は、ついに千秋楽を迎えた。夏のメイン旅は3年連続6泊7日となったが、今回に関しては“このまま離れるのが惜しいな”という気分だ。

琉球上陸後はパッとした快晴に恵まれず、常に台風情報と隣り合わせの日々が続いた。御存知の通り、2004年は幾度も琉球に台風が上陸し、観光客の数は過去最高記録を更新したものの、目標の525萬人には届かなかった。

そういう不安を抱えつつも、大雨が降らなかったのはさいわいで、この日は私が待ち望んでいたP-KAN!! 「台風」という言葉を忘れさせるほどのイイ天気で、ついに琉球の“てぃだ”が、この目で見られる。

3連泊した宿をチェックアウトする。カード払いができないため、現金で支払う。このため、前日、那覇中央郵便局でおろしたワケだが、1泊3,500円ながら、冷蔵庫がない以外はビジネスホテルのシングルと遜色がないほどイイ宿だ。シングルではあるが、トリプルルームにあてられ、広々と過ごした。那覇市内は泊まれるインターネットカフェをまったく見かけなかったので、お泊り場所は必ず確保しないと悲惨な思いをする。



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泊ふ頭郵便局で、この旅最後の旅行貯金。建物の後方には、泊大橋が美しく見える。待ち望んでいた琉球の青空は、私の心を充実させる。

笑顔でいられるのはここまで。宿の最寄り駅からはゆいレールに乗って、終点那覇空港へ向かう。

この旅、最後の大難関は、普段から“天敵”としているヒコーキ。某プロ野球解説者は、琉球と外国以外は絶対に鉄道移動する主義で、私もそれと同じワケだ。ちなみに2005年2月の巨人キャンプ取材で、日テレのスタッフはわざわざ新八代駅で待ち構えたが、某プロ野球解説者は九州新幹線経由で宮崎へ向かったためである。九州新幹線開業により、小倉で乗り換えるより、こちらのルートが早く着くのだろうか?(現在は新八代で、高速バス〈B&Sみやざき〉に乗り換えると、宮崎に早く着く)

私がヒコーキを嫌う理由は、根っからの高所恐怖症であることや、昭和60年(1985年)8月に発生した日航機の墜落事故で、信用しなくなったからだ。あとは離着陸の傾斜が心臓に悪く、コワイのりものだ。周囲には、「①墜落する。②ハイジャックされる。③ニアミスが起こる。④テロの道具に使われる」などと言っており、“ヒコーキ嫌い”というイメージが定着しているようだ。

今回、ヒコーキ嫌いの私は平成元年(1989年)7月以来、15年ぶりに乗ることになった。と言うより、「乗らざるを得ない」と言ったほうが正しいだろう。ちなみに、自分の意志でヒコーキに乗るのは初めてである。

ヒコーキを選ばざるを得なかった理由は、本州へ向かう定期航路は1本もなく、週1日程度の運航であることや、復路も同じルートで帰るとなると時間がかかってしまう。それに遅れてしまえば、スケジュールがゴチャゴチャになってしまう。

さて、ヒコーキの発車まで、ずいぶん時間があるというのに、“乗り方”がまったくわからない私は、とりあえず搭乗手続きを行なう。これをやらないことには乗れないワケだが、すでにヒコーキ代は銀行に振り込んでいる。実を言うと、振込先支店を見た時、“オレオレサギ”じゃないかと不安になったが、インターネットで確認すると、ちゃんと支払済みであることが証明され、ホッとした。ちなみに、私は8月生まれなので、バースデー早割12,050円というバーゲン価格で乗れた。但し、ノーマル座席なのに先着何人という方式は気に入らない。バースデー早割はすべての座席に適用すべきではないか。これはよそのヒコーキ会社にも言えることだ。

ところが、正規の料金というワケではないため、自動搭乗手続き機で手続きができず、窓口でやってもらうなど、四苦八苦。

「窓側にしますか? 通路側にしますか?」

と窓口のお姉ちゃんにきかれ、私の頭は混乱する。だいたい、乗る便は決まっても、席が決まっていないとは、ヒコーキは“考えられない世界”だ。ちなみに、私は迷わず窓側を選び、なんとか搭乗手続きを済ませることに成功した。

時間はまだあるので、搭乗に向けて、空港見物。前日、石垣島への便は全便欠航していたそうで、この日は臨時便を出すなど、“那覇空港に取り残された人たち”を救済。石垣島に行けなければ、行きたかった小浜島には行けないワケで、予算の都合で断念したのが“不幸中のさいわい”となった。

ということは、この日は台風による欠航は1便もなく、よほどのことがない限り、無事に帰京できることは確実となったが、「東京行き」の案内に戸惑う。行先は羽田空港であることは誰でもわかることだろうが、「羽田行き」にしないのはなぜなのか疑問だった。これについては、数時間後に解けたが、これはのちほど明かすことにする。

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10時を過ぎると、本州からのヒコーキが到着したので、観光客らでいっぱいになる。多くはリムジンバスを利用しているようだ。ゆいレールを利用する人もいるが、思ったほど多くない。しかし、琉球新報ホームページによると、ここ数か月の利用は安定(3萬人以上)しているそうで、赤字ではないらしい。

私は那覇空港内のおみやげ屋に寄る。お世話様になっている方が多いので、同じ品物をいくつも買わなければならない。実家へ買うのは当たり前で、お世話様になっている方へ贈るのはゴマスリや業務命令ではなく、日頃の感謝の気持ちである。そういう“マメな性格”と思われているせいか、血液型をA型とカン違いされるが、私はO型である。O型は“忠義の心”を持っているようで、義理堅く、おせっかいが大好きな性分らしい。

おみやげは迷う。なるべく、“安くてイイモノ”を買うように心掛けているが、ゆいレールの売店で琉球限定販売CD、『ちゅらSUN』を購入したため、予算はさらに縮小するハメになった。本当はちんすこうを買いたかったが、アメに変更。「ケチ」とか「ガッカリ」と言われるのではないかと懸念したが、さいわい、好評だった。

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一旦、那覇空港を出る。本当にイイ天気なので、[晴れ]てぃだが見たかった。普通のフイルムカメラで撮影すると、現像されない場合があり、ケータイのカメラで撮影。思ったほど綺麗に写っていない感じだが、後日、説明書を見たら、「直射日光の撮影はカメラが故障する可能性があります」と書かれていた。確かに、まぶしかったから、直射日光を撮影したことになるのだろう。

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那覇空港に戻り、昼メシ。“琉球4大食”のトリを飾るのはタコライス。私自身、今まで東京でも食べたことがあり、琉球食の中では1番大好きだ。

タコライスはタコス、レタス、チーズ、トマト、ポテトチップス、ケチャップが入っており、魚介類のタコは入っていない。

チーズとライスの相性はバツグンで、そのうち、どこぞのファーストフード店で“タコライスバーガー”を開発し、発売するのではないかと予想しているが、ライスはパンになるだろうから、ネーミングは難しいかも。

食後、2階のゆいレール連絡口付近に、100円を入れれば10分間はインターネットができるパソコンを見つけた。今や、インターネットは“生活必需品”となっているが、この旅ではインターネットカフェに寄ることはなく、久しぶりに楽しもう。

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いよいよ、最後の大難関、ヒコーキだが、搭乗検査で見事に引っ掛かった。ベルトの金属が原因のようだが、セキュリティーチェックは厳しく、携帯電話や財布はカゴの中に入れなければならない。私は通話するのが嫌いなくせに携帯電話を3個(1個は目覚まし時計用で通話不可能。もう1個は簡易的なビデオカメラと目覚まし時計兼用で、帰京後に再度、FOMA契約したため、電話機として再び使えるようになった)も持っており、出すのが気恥ずかしい。

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厳重な検査の結果、当たり前のことだが、不審者でないことが証明され、ゲートを突破!! ヒコーキに搭乗するまでは電子機器類が使えるので、携帯電話の電源を入れて、林家ペーみたいに那覇空港のいたるところを撮る。見るものすべてがもの珍しいのだ。

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いよいよANA128便に乗る。緊張するが、座席は3人掛け-4人掛け-3人掛けで、機内では前日の長嶋JAPANがオーストラリアに負けた試合を放映していた。

座席はリクライニングをしなくてもいいぐらい、ちょうどイイ角度。誰もリクライニング機能を使うことはないものの、シートピッチがせまいのは難点だ。

驚いたのは、スチュワーデスは死語になっており、今は「客室乗務員」に改称していた。看護婦も今や「看護師」に改めており、呼び慣れた名が呼べないのは残念である。

本来は14時50分に発車するはずが、15時10分に変更。発車したとたん、いきなりバックするので、「なんじゃこりゃ?!」と言いたくなるほどだ。そして、止まるとまったく動かない。

窓は新幹線より小さく、奥に見える東シナ海は青い。すると、「ウィーン」という音がして、羽が伸びてゆく。どうやら、空を飛ぶ準備ができたようである。

JAL便の離陸後に発車し、右折するも、JTA便が到着するため、停止。通せんぼされてしまった。

15時23分、左折したら、ようやく滑走路を走り、急激にスピードをあげて、離陸。マリンブルーオーシャンは綺麗さぁー。

思ったより、離陸は急激な角度ではなかったが、オーシャンはスカイブルーからブルーへ。波は凍っているような感じだ。離陸して、数分たてば、鹿児島県に入っているに違いない。

とうとう雲の上へ。遠くから見ると、雲は氷山のように映る。

機内ではスチュワーデスいや、客室乗務員からドリンクサービス。ジュースとお茶のどちらかを選ぶことができる。私はジュースをリクエストした。ちなみに隣に坐っているカップルは“ヒコーキはへっちゃら”の様子で、その強心臓ぶりがうらやましい。

そのあと、機長みずから運転中に放送。日本語のあと、英訳。台本なしであれだけの放送ができるのはスゴイことだが、そんなパフォーマンスは必要なく、「安全運転してくれ」と言いたくなる。

イヤホンをひじかけに差し込み、『高樹沙耶のハワイラジオ』を聞く。機内専用ラジオとのことで、高樹沙耶(現・益戸育江)はハワイに精通しているほか、素もぐりの世界記録保持者だという。

そのラジオで流れたKONISHIKIの歌は“子守唄”となり、気づいたら17時をまわっていた。

17時10分過ぎ、シートベルト装着警報が鳴り、着陸の態勢に入るが、どこを飛んでいるのかサッパリわからない。

ヒコーキの禁止事項として、飛行中は携帯電話、トランシーバー、画面にタッチする電子機器が使えず、離着陸では先ほどの3点のほか、カメラ、電卓、パソコン、ヘッドフォンストレオ、ゲーム機が追加される。自由度の低いのりものだが、飛行中に携帯電話の電源を入れたとしても、圏外であることは確実である。

客室乗務員は巡回し、ハットラックをチェック。完全に閉めていないと荷物が落下する危険性があるためだ。

下を見ると、伊豆あたりのような気がするも、しばらくたつと、お台場のフジテレビ、レインボーブリッジの上を通過し、左へ旋回。ゆるやかに下り、滑走路の地面につくと、激しく揺れて、急ブレーキをかけているように思える。

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定刻より13分遅れの17時33分、終点羽田空港に到着した。窓から見えるターミナルには「東京国際空港」というネオンが。そうか、羽田空港は“世をしのぶ仮の姿”で、正式名称は「東京国際空港」なのだ。だから、「東京行き」となっていたワケだ。

ヒコーキで気づいたのは、すれ違うことはなかったことで、あとでそれを話したら、「それを“ニアミス”って言うんだよ」と言われてしまった。

到着後はベルトコンベヤーから流れる大型荷物を取る。同じメーカーなどのバッグなどが数回流れることが予想されるため、“取り違いに御注意”という感じだ。

思ったほど早く、私の荷物がドンブラコと流れ、必死の思いで取り、ゲートを出る。新幹線はそのまま座席上の荷棚に乗っければいいので、ラクだ。話はそれるが、東京―広島間は、ヒコーキと新幹線が拮抗しているそうで、〈のぞみ〉の守備範囲であることがよくわかる。

帰京して、本当にホッとしたが、久しぶりに戻る我が家の近辺にシーサーがなく、“逆カルチャーショック”を受けてしまった。

こうして、“日本完全制覇の旅”はようやく終わった。心に残る旅だった。今度、琉球へ向かう時は小浜島へ行きたい。そういう想いを強くさせるのだった。


★備考

①今回の記事は2005年2・3月に執筆したものです。掲載に際し、一部加筆・修正しています。

②“日本完全制覇の旅”は、これにて完結です。御覧いただいた皆様、本当にありがとうございました。

③岸田法眼のRailway Blog.
「2004年の汽車旅5-最終回」 

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