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角界の巨人、第48代横綱大鵬 [波瀾万丈伝]

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2013年1月19日(土曜日)15時15分、第48代横綱大鵬の納谷幸喜氏が心室頻拍のため、黄泉の国へ旅立った。72歳だった。大相撲初場所直前、現役時代に所属していた二所ノ関部屋の閉鎖について、コメントを発表したばかりだった。突然の訃報に言葉が出ない。

第48代横綱大鵬は幕内最高優勝32回をはじめ、数々の大記録を打ち立てた。絶頂期は「巨人、大鵬、卵焼き」という流行語があった(当時は流行語大賞というものはなかった)。一部の記録は別の力士が更新したが、存在感については現役引退後、日本大相撲教会定年退職後も変わらなかった。

私が知っている第48代横綱大鵬の取組は、昭和44年(1969年)初場所2日目の戸田戦である。当時、第48代横綱大鵬は45連勝中だったが、審判部の誤審により、負けと判定されてしまった。その後、日本相撲協会はビデオを導入して、誤審防止に努めている。

この取組を初めて見たのは、19年後の昭和63年(1988年)九州場所後である。当時『NHK特集』という番組で、連勝中の第58代横綱千代の富士を密着取材していたからだ(第58代横綱千代の富士は、1988年大相撲九州場所千秋楽で、第62代横綱大乃国に敗れ、連勝が53でストップする。この一番は“昭和最後の相撲”として、語り継がれている)。この場所では、第58代横綱千代の富士が、第48代横綱大鵬の目の前で46連勝を達成した(偶然なのか、この日はNHK総合テレビで解説を務めていた)。

第48代横綱大鵬と第58代横綱千代の富士は、共通点が7つある。

1.北海道出身。

2.現役時代は幕内最高優勝30回以上(このお二方しかいない)。

3.雲竜型のを横綱土俵入りを選択。

4.引退を表明した日が5月14日(第48代横綱大鵬は1971年、第58代横綱千代の富士は1991年)。

5.引退の決め手となったのは、花田家の力士に負けたこと(第48代横綱大鵬は初代貴ノ花、第58代横綱千代の富士は貴花田〔のちの第65代横綱2代目貴乃花〕)。

6.名誉ある一代年寄を贈呈されたこと(第58代横綱千代の富士は、所属する九重部屋の後継者に決まっていたため辞退)。

7.自身の最多連勝記録をほかの力士に並ばれた翌日、NHK総合テレビで解説を務めていた(第58代横綱千代の富士は、第69代横綱白鵬の54連勝を見届けた)。

訃報が入った2013年1月19日(土曜日)、NHK総合テレビの解説に、定年退職まで半月となった武蔵川親方(第57代横綱三重ノ海)が務めた(理事長在任中に大病を患ったせいか、かなりやせた印象を持った)。奇しくも御本人が“思い出の一番”として取り上げたのは、新小結だった昭和45年(1970年)夏場所3日目の第48代横綱大鵬戦だった。

謹んで、御冥福をお祈りいたします。

★備考

有限会社大鵬企画ホームページ 

②ハート先生の心電図教室
「心室頻拍」

※今回は、「nice!」の設定をとりやめさせていただきます。

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