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2006年の汽車旅1-4 [汽車旅2006]

2006年1月3日(火曜日)、臨時快速〈ムーンライト九州〉博多行きは下関に到着。いつものの“儀式”ではステンレスのEF81 303が登場し、カメラのストロボは反射していたかどうか…

“日本完全制覇の旅”以来となるJR九州へ入り、門司(いつのまにか乗り換えは地下道から橋上にチェンジしていた)で鹿児島本線の各駅停車熊本行き(クモハ813-302:博多から快速荒木行き)に乗り換え。日によっては乗り継いだほうが25分早く着く(2004年8月はそれを知らなかった)。

813系300番台は2003年に入団し、ドア付近の吊り革を支えるパイプを“機関車トーマス2”の817系シリーズと同じ円形。座席は茶系にして、落ち着き感を演出。窓は上部と中部から下部にかけての“サングラスガラス”が2種類あるなどが特長。ドアの赤・青の塗り分けによる識別は変わらない。

松平健によると、赤は“愛情と情熱”、青は“優しさとやすらぎ”だそうで、みずから作詞した『マツケンサンバⅢ』で腰を振りながら歌っている。

意外にも照明にグローブ(それともカバー?)がなく、窓がバタバタするのが難点。

博多で前6両は快速荒木行き、うしろ3両は各駅停車熊本行きに分割し、私は福岡市交通局空港線の各駅停車西唐津行き(1号車クハ103-1515:JR九州車。筑前前原からワンマン列車)に乗り換え。

さて、地下鉄の券売機は先進的で、“誤購入”のきっぷを出たところに差し込むと返金されるとか。また、久しぶりの利用だが、ホームゲートを設置したものの、103系1500番台は車掌乗務継続。

“JR東日本203系シリーズの鋼製バージョン”みたいな車両だが、リニューアルでドアチャイムやトイレを設置して、利便性を向上しているが、シートモケットが同じなため、優先席の区分が不明確なのが難点(ほかの車両も同様)。ちなみに303系も窓をふさいでトイレをつけていた(JR九州は全列車トイレつきらしい)。

車内は“さぁー、みんなで『風のハルカ』の原点、YUFUINへ行ってみよう!!”や“京浜急行が速いゼ、ベイビー!!”、“東京モノレール&山手線内500円きっぷは安いゼ、ベイビー!!(土休と年末年始のみ)”の広告があり、海を越えても激戦が続いている。

姪浜(Meinohama)からJR九州筑肥線に入り、ここから単線になる筑前前原から3両のワンマン列車へ。

曇りがちの夜明けは徐々に晴れてきた。そして、浜崎まで博多湾オーシャンショーにクギづけ。

唐津で各駅停車伊万里行きワンマン列車(キハ125-2:車掌乗務)に乗り換え。

「コノ電車、伊万里ニイキマスカ?」

と韓国のお姉ちゃん10人組があわてて乗り込み、そのうちの1人にきかれた。今や客車も気動車も“電車呼ばわり”される光景である。

田園風景につい居眠りしてしまったが、筑肥線全線完乗達成!!

伊万里は第3セクター松浦鉄道と駅舎が分離。JR九州は東ビル、松浦鉄道は西ビルと案内。いちおー、歩道橋でつながっている。

松浦鉄道http://www.try-net.or.jp/~matutetu/keitai/top.htmは1日フリー乗車券を販売しており、平日用は2,000円(子供1,000円)、休日用は1,700円(子供850円)。

伊万里焼は「いい仕事してますねぇー」というものばかり。伊万里焼会館へ行くと、湯呑みでもウン千円!! 茶わんが4ケタじゃない廉価モノもあるが、改めて、100円ショップのありがたみをひしひしと感じる。

各駅停車唐津行きワンマン列車(キハ125-2:車掌乗務)に乗り、終点で各駅停車西唐津行きワンマン列車(キハ47 134)に乗り換え。

お客はひとケタのありさまで、留置線を活用して駅を作っただけみたいな感じを受ける終点西唐津に到着。下車したら、唐津焼の雰囲気はなく、あえなく徒歩で唐津駅へ。ちなみに宮脇俊三氏の『時刻表20000キロ』によると、どちらの駅かは忘れたが、唐津-西唐津間の片道はタクシーを使ったそうだ。

唐津駅構内のラーメン屋でチャーハンを食ったあと、唐津焼に出会うことはなかったものの、初詣でにぎわう唐津神社で参拝と祈願。また、その先の唐津城へ足を延ばした。立派な建物だったが、時間の都合で見ィーてーるゥーだァーけぇー。

唐津に戻り、唐津線の各駅停車佐賀行きワンマン列車(キハ47 1127:運転指導員乗務)へ。

駅名盤を見ていると、唐津市は規模を広くしたようである。

久保田に到着し、唐津線全線完乗達成!! そして、長崎本線の各駅停車鳥栖行きワンマン列車(クモハ817-21)に乗り換え。 “機関車トーマス2”こと817系は2001年10月以来の乗車。UV96%カットのBIGサイズの窓や木材を使った転換クロスシートが特長で、坐り心地はいいとは言えないが、頭部は885系を意識している。

九州新幹線新鳥栖駅設置工事(長崎本線にも作るでしょう)をくぐり、終点鳥栖に到着。815系の各駅停車熊本行きワンマン列車という“機関車トーマス兄弟”の顔合わせが実現した。

ほどなくして、エル特急〈かもめ31号〉長崎行きが到着したが、なんと885系のエンブレムは“KAMOME”ではなく、“SONIC”だったーっ!! 


2006年の汽車旅1-3 [汽車旅2006]

オマタセ・ベイベー。レッツ・ダンシング。

南海電気鉄道高野線極楽橋で乗り換えたのは各駅停車橋本行き(2304:ワンマン)で、転換クロスシートGET!!

ワンマンでも無人駅に自動改札があるため、運賃箱はなく、最前列は展望席になっており、JR東日本のE231系近郊形タイプ(2004年以降、新製の車両)、E531系と同様、ドア上には開閉をうながす赤ランプもついている。

レールをきしませながら、高野山を下り、終点橋本でJR西日本和歌山線の普通電車和歌山行きワンマンカー(クハ104-503:トイレつき)に乗り換え。天候はしだいに晴れてきた。

終点和歌山で下車。和歌山ラーメンに舌づつみを打ったあと、2006年3月31日(金曜日)でフォーエヴァーする南海電気鉄道貴志川線の貴志行きワンマンカー(2704)へ。ちなみに2006年4月1日(土曜日)から和歌山電鐵として、再起。『「乗って残そう貴志川線」貴志川線の未来を“つくる”会http://kishigawa-sen.com』の願いは天に通じた。ちなみに事務局のヤサは下記の通り。

〒640-0361
和歌山県和歌山市伊太祁曽558
℡073-478-0006
FAX073-478-0998

日前宮は初詣客でにぎわい、和服のお姉ちゃんが乗車。和歌山行きワンマンカーは立客が出る盛況ぶり。また、貴志川線存続を願うノボリを見かけたが、2004年3・8月利用時にはなかった。

日前宮から2つ先の竈山(Kamayama)で和服のお姉ちゃんが下車。数少ない若者利用客なので、これからも存続に貢献して欲しいものである。

“ゆっくリズム”で走り、“スーパーロングシート”に坐っている面々は車窓や前方展望に食い入り、一部区間では今どき珍しい木製架線ポールを通る。

伊太祁曽(Idakiso)で和歌山行きワンマンカー最後の行き違いをして、終点貴志に到着。

和歌山と違い、折り返し時間は少なく、若者のレールファン1人は撮影に没頭していた。

私は少し散策し、ホームの先に踏切があることを発見!! 留置しているのは保線車両なので、よほどのことがない限り、作動することはない。

和歌山行きワンマンカー(2275)に乗り、終点で係員にきっぷを渡すと「精算済証」を渡された。青春18きっぷがあるので、大切にしておく。

なお、南海電気鉄道は線路、駅、車両、変電所は和歌山電鐵に無償譲渡。鉄道用地は和歌山市、紀の川市へ売却され、和歌山電鐵が無償で借り受けるという。

しばらくJR西日本阪和線の待合室でドコモの携帯電話、P2102Vを充電(電池も寿命?!)。快速天王寺行きが103系体質改善車に不服の私は18時26分発まで待機。ちなみに103系の方向幕に「新快速」「新快速|和歌山」「新快速|新大阪」「B快速|天王寺」が入っていた。

快速天王寺行き(8号車クモハ220-5)に乗り、アーバンネットワークのエース、221系は2006年も主力であることを実感。1時間待ってよかった。

終点天王寺で大阪環状線弁天町・西九条方面行き(7号車モハ103-520:体質改善車)に乗り換え。103系体質改善車だけなのかは知らないが、車内は号車表示されるようになった(“小田急フォント”で)。

大阪で下車し、JR西日本社長の新年早々の詫び状ポスターに目を通し、2006年3月18日(土曜日)のダイヤ改正で東京-博多間の〈のぞみ〉を毎時2本運行、〈ひかり〉レールスター“速達タイプ”登場を宣伝していた。

晩メシをとったあと、いつのまにか“ICOCAも電子マネーでSHOW by ショーバイ!!”と化し、東海道本線の快速(高槻から普通電車)京都方面野洲行き(8号車クモハ221-35)に乗り、次の新大阪で降りた。

余談だが、福知山線塚口で人身事故が発生し、阪急電鉄宝塚本線と伊丹線で振り替え輸送。なお、21時40分頃に運転再開の見込みだったが、手間取っているようだ。

私は臨時快速〈ムーンライト九州〉博多行き(3号車指定席オハ14 202)に乗り、一夜を明かす。


2006年の汽車旅1-2 [汽車旅2006]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

2006年1月1日(日曜日・元旦)、JR東日本東海道本線の品川から臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行き(3号車指定席モハ189-34:ハズレ座席)から“汽車旅10周年記念”の旅を再開。

“ナイーブ元旦”の客が多かったようで、車内のイビキはけたたましく響いていた。

JR東海に入り、目が覚めると、地面の一部が雪に染まった終点大垣で普通電車(高槻-明石間は快速)姫路行き(1号車クハ222-1007:弱冷車)に乗り換え。

2005年は讀賣新聞の中吊り広告で、福知山線の大事故は“印象に残るニュース第1位”となり、JR西日本はしばらく宣伝を控えていたが、一部のドア上にあるLED情報案内装置では私が思っていたより大幅に早く、再開した(2006年5月以降だと思ったが、社長と会長のチェンジが決まったからなのだろうか?)。まずはJR東日本の“モバイルSuica(2006年1月28日スタート!!)”に対抗し、2006年1月21日(土曜日)から始まるICOCAとPiTaPaの相互利用で先制パンチ?!(関東でも同様の施策をする予定) ちなみにポスターではいつものように、仲間由紀恵でPRしている(auの“モバイルSuica”でもPRしており、JRのICカードCMを完全制覇した)。

米原まで雪はかなり積もっていて、冬を感じさせる。

JR西日本エリアに入り、半自動ドアの米原で新快速姫路方面播州赤穂行き(9号車モハ222-2005:姫路止まり)に乗り換え(2005年夏に乗った時は5~12号車が姫路方面播州赤穂行きだったが…)。ちなみに5号車のトイレはドア故障で使えないとか。

地面は雨に濡れており、降ってはいないものの、7時過ぎだというのに、暗い曇天。

京都からは通勤形電車に焦点をあてるが、207系シリーズは“あの惨劇を思い出したくない”という沿線住民の要望で、オリックスバファローズのような藍色を基調に、阪神タイガースイエローに見間違えそうなオレンジをアクセントとしたカラーの変更が思ったより進んでいる。また、321系を初めて見たが、207系シリーズにはなかった号車LEDもあり、違和感はない(どうして、「305系」にしなかったのだろう?)。

新春早朝のせいか、お客は少なめで吹田通過後、エル特急〈雷鳥13号〉金沢行きの回送をバッサリ抜いた。気分爽快!!

 

大阪は改良工事でキレイに近代的になり、大阪市交通局御堂筋線[梅田駅(M16)]天王寺行き(1号車1805:リニューアル車)に乗り換え。

「あけましておめでとうございます。今年も大阪市営地下鉄をよろしくお願いします」

という車掌の肉声放送が印象に残り、降りた、なんば(M20)でも琴の音色をバックに同様のごあいさつ。

ここで南海電気鉄道南海本線と高野線の特急〈こうや1号〉極楽橋行き(エル特急〈リレーつばめ〉と同様に行先はその先の「高野山」と案内。3号車指定席30102:女性車掌乗務)に乗り換え。

なんばを発車すると、空港特急〈ラピートβ25号〉関西空港行きと激しいバトル!! 天下茶屋まで続いた。

30000系の車内は特急車としては充分なレベルで、足元が広々として快適。ちなみに当初は急行橋本行きに乗ることを考えていたが、運よく、特急〈こうや1号〉極楽橋行きに変更。また、きっぷは鋼索線(世に言う「ケーブルカー」)高野山まで1枚発券。更にちゃんと買って坐っていれば、車内検札はない。

JR西日本みたいに女性車掌は客室入退出時に一礼する姿は印象に残った。

2号車はサービスコーナーで、若干高めの自販機と“息抜きWindow”だけ。トイレがあり、洗面所は自動で出る水、せっけん、温風を装備している。

河内長野(Kawachi-Nagano)から山間部をゆき、“りんかんサンライン”という路線愛称の名の通りだが、橋本付近で高速道路建設現場をくぐる。高野線、あるいはJR西日本和歌山線がピンチになりそう。

橋本を発車すると、単線となり、碓氷峠に負けず劣らずの険しい山岳をゆき、粘りの急勾配力走!! スピードは“競歩”程度で、曇っているが、雲海が現われるなど、絶景。

和歌山県であるにもかかわらず、雪積もる終点極楽橋に到着し、まずは高野線全線完乗達成!!

 

鋼索線の高野山行き(11:ワンマン運転)に乗り換え、5分ほどで終点に到着し、南海電気鉄道完全制覇達成!!

このあとはバスやタクシーで世界遺産をたっぷり味わってもらう趣向だが、私はいずれも乗らず、雪道を踏みしめるかの如く、3キロの山道を歩いて、仁王様が棒立ちしている大門をくぐると“城下町”へ。ちなみに気温はマイナス0.2℃。

高野山真言宗総本山金剛峯寺(Kongohbuji)で参拝し、なぜか大広間では洋服を着た若手のメンズお坊さんがおきょう。練習なのかな?

高野郵便局を見てしまい平日なのに年末年始のため、旅行貯金ができないことにアイタタタで、千手院橋(Senjuinbashi)停留所から南海りんかんバス高野山駅前行きへ(駅の英訳は「STA」ではなく、「STN」だった)。

約10分ほどで終点高野山駅前に到着し、鋼索線極楽橋行き(21:ワンマン運転)へ。

高野山は2004年に世界遺産に認定されたが、ケーブルカーの案内放送によると、夏は避暑地だそうで、軽井沢みたいなものである。 終点極楽橋で特急〈こうや4号〉なんば行きが発車を待っているが、31000系で運行。おまけに30000系とのツーショットだった。


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2006年の汽車旅1−1(元旦終夜運転2006) [汽車旅2006]

平成8年(1996年)3月9日(土曜日)、急行〈東海3号〉静岡行きから始まった汽車旅は10年が経過した。

“汽車旅10周年記念”は2006年1月1日(日曜日・元旦)、東京ミレナリオ・ロングバケーションからスタート!!

元旦は人の数が大幅に少ないため、遠回りされることはなく、待ち時間もくたびれることはない。

東京ミレナリオに感激の雨アラレで、わざわざ地方から出向いてきた人もいた。関西人は神戸ルミナリエだけでは物足りないらしいが、見比べるのもいいだろう。

東京国際フォーラム最下階では『Forum Millenario Club』を開催。東京ミレナリオの終点で、イベントや飲食販売などといった、いこいの場である。ちなみに琉球食の店に「スパムおにぎり」という、“ブロガーの天敵?!”みたいなメニューがあった。

東京からJR東日本京葉線の各駅停車蘇我行き(10号車クハ205-119:フェイスチェンジ車)へ。

通勤ラッシュのような混雑ぶりをかいくぐりながら乗車。ちなみに京葉線電車は側面方向幕を一新していた。いまだに武蔵野線と乗り間違えるお客があとを絶たないのだろうか?

葛西臨海公園の観覧車はレインボーの輝きで綺麗だが、私は舞浜で下車し、東京ディズニーランドは沢山のクルマが駐車場に止めているほどの盛況で、終夜営業している。ちなみに「舞浜」の由来は“マイアミ”をヒントにしたとか。マイアミを英語で書くと「MIAMI」で、日本語では“ミアミ”と読む。

2001年7月28日(土曜日)に乗った舞浜リゾートラインディズニーリゾートラインというモノレールも終夜運転しているが、一方通行の影響で、東京ディズニーランド・ステーションは長蛇の列ができており、待ち時間はアトラクションなみ。

舞浜駅に戻ると、外人軍団がハッピーニューイヤーのバカ騒ぎ。201系の各駅停車東京行きが発車した直後のこと。

「うるさいんだよ!!」

と男性駅員はキレたが、日本語は斎藤孝先生に教えてもらわないとわからないようだ。

各駅停車東京行き(8号車クハ204-146:フェイスチェンジ車)に乗るが、あることに気づいた。

それは東京行き205系の先頭車は京葉線用はクハ204、武蔵野線用はクハ205であるからだ。

新木場(Shin-Kiba)で東京臨海高速鉄道臨海副都心線(りんかい線)の大崎行き(9号車70-028)に乗り換え。

発車時刻まで駅員は車内で自主的にゴミ拾いをしていた。愛社精神とお客様に気持ちよく利用してもらいたい表れだが、マナーの悪い大人が多いのは困ったもの。

大井町の自動改札を出ようとしたら、空港で見かける10分100円インターネットを発見!!

JR東日本東海道本線(京浜東北線)の各駅停車大船行き(9号車サハ209-921)に乗り換え。横浜から入った根岸線でついに居眠り。そして、気がついて湘南モノレール江の島線湘南江の島行き(558)に乗り換えるが、パスネットが使えないのは痛い。大誤算!!

江ノ島海岸へ着いたが、“初日の出”は拝めず、3勝4敗(人の数も多くなかった)。

片瀬江ノ島駅へ向かい、小田急電鉄江ノ島線の急行相模大野行き(2号車8511:弱冷房車)に乗り、藤沢でJR東日本東海道本線の普通電車東京行き(15号車クハ211-2008:ロングシート)に乗り換え。ひとまず休息し、夜に備える。


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