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221系総集編2008 [汽車旅2008番外編]

今回のRailway Blogは2008年に乗った221系を振り返ります。

なお、本文の一部は加筆・修正しております。また、乗車車両編成表はカットしておりますので、あらかじめ御了承ください。

◆2008年3月1日(土曜日)

大垣1番線に到着。いつもの“座席争奪レース”で2番線へまわり、普通電車(高槻-西明石間は快速)神戸方面加古川行き(1号車クハ221-50:弱冷車。米原まで女性車掌乗務)に乗り換える。

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アーバンネットワークのエース、JR西日本221系は平成元年(1989年)の入団から、20年目を迎えた。JR西日本が世に送り出した最初の新形式車両で、運転台、下枠交差型パンタグラフ、明るく静かで快適な車両など、221系が礎(Ishizue)となっている(新幹線電車や一部の気動車を除く。また、パンタグラフはシングルアームを採用したところもある)。

2008年初の221系乗車だが、車端部に外幌をつけた。元々、新幹線0系が最初につけていたが、平成に入ると、JR東日本が在来線にも波及させ、いつのまにか全国的な標準装備となった。

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JR西日本では223系2000番台から採用しているが、221系の外幌を見て、大いにあきれた。  

それは色がグレーなのだ。なぜ、ボディーと同じ色にしない。ステンレス車体じゃないのだから、ボディーカラーに合わせて欲しい。また、寒いのに暖房がかかっていない。これはJR東海に限ったことではないが、夏はどこもかしこも冷房をガンガンにかけているのに、なぜ暖房は東北・北海道地方以外は消極的なのだろうか?  

JR西日本の外幌に話を戻すが、その後、207系シリーズ、223系シリーズ、103系体質改善車、321系、117系、683系200番台を見たが、すべてグレーになっていた。どうやら、JR西日本の外幌はグレーしか使っていないようだ。共通化するにもほどがある。  

余談だが、JR東日本の外幌は車体に合わせているものの、185系はなぜかグレーで白いボディーに合わない。また、E231系以降は車体側面の帯を省略している。

20年目の221系で変わったのはLEDによる情報案内装置で、1つは今まで『JRおでかけネット』はホームページアドレスを小文字全角表示していたが、検索ワードに変わった。近年はホームページアドレスから、検索ワードに変わり、簡略化しているが、これはテレビ朝日の『爆笑問題の検索ちゃん』が世の中を変えたようである。  

2つ目は快速区間が今まで、京都・高槻-明石間だったのを「京都・高槻-西明石間」に変更したことである(快速区間の停車駅は従来と変わらず)。こっちのほうがわかりやすくていい。

 

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関ケ原を発車すると、雪景色となり、柏原を発車すると、進行方向右側におてんとうさんがあがり、スピードはあがらず、あわや止まりそうになる。

「まもなく、近江長岡、近江長岡です。お出口は左側です。列車、遅れまして御迷惑をおかけしました」  

と女性車掌は謝罪する。  

近江長岡に近づく頃にはいつもの走りで7時27分に到着し、定刻より2分遅れの7時28分に発車する。どうやら先行の貨物列車が遅れていたようで、近江長岡で221系に道を譲る。  

雪景色が消え、ようやく弱いけど暖房がかかり、米原2番のりばに到着。以前はホームの先端に停まっていたが、再び中ほどに戻した。

◆2008年3月3日(月曜日)

加古川の改札内にコンビニがあり、昼食を購入。12時08分の新快速米原方面長浜行きに乗れず、“どうせならば姫路で始発に乗り換えればいいや”という作戦に出る。ちなみに12時10分発の221系の普通電車(西明石-高槻間は快速)京都方面米原行きに乗り換えれば、高槻まで利用していただろうが、なぜかこれが頭になかった。
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12時10分発の普通電車姫路方面網干行き(1号車クハ221-51:弱冷車)に乗り、気分よく昼食。途中、ひめじ別所で高校生が大量乗車。この時期と時間帯からして、卒業生なのだろう。

留置線で待機する221系の普通電車播州赤穂行きを見届け、姫路に到着したが、隣りでは新快速米原方面近江塩津行きが発車を待っているものの、もう発車時間だという。急いだものの、間に合わなかった。『JR時刻表』を見ると、普通電車網干行きの到着と新快速米原方面近江塩津行きの発車はいずれも12時27分なのだ。

この判断ミスがとんでもない展開となり、静岡で373系の普通電車東京行きに乗るには、先ほどの新快速米原方面近江塩津行きが“タイムリミット”だったのである。

◆2008年4月5日(火曜日)

柏原(Kashiwara)で201系体質改善車の各駅停車王寺行きを抜き、三郷(Sangoh)を通過。JR東日本武蔵野線には三郷(Misato)があるため、同じ漢字で読み方の違う駅が存在することになる。
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王寺から各駅に停まり、法隆寺で大和路快速大阪方面天王寺行き(方向LEDは「大阪環状線」と表示)とすれ違う。直通快速奈良行きはガラガラだが、大和路快速は8両編成で大盛況。ちなみに今回のダイヤ改正で大和路快速は種別幕を更新し、英文字部分にラインカラーが入ったが、文字の色とは微妙に異なる。

おおさか東線が全通すると、直通快速のルート変更も予想されるが、大和路快速が定着している状況で、なおかつ、1日4往復しかないのであれば定着するのに時間がかかりそうだ。個人的には大和路快速に使用するアーバンネットワークのエース、221系にこだわるが。

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奈良は“221系王国”で、今回のダイヤ改正では加茂・高田-JR難波間の区間快速は快速に昇格。これは従来だと今宮でJR難波発着便は通過、大阪環状線を通る便は停車していたため、わかりにくかったのだ。加えて、2001年3月3日(土曜日)のダイヤ改正で、大和路快速は久宝寺に停車するようになったため、JR難波発着便とは差がほとんどない状況にあった。  

区間快速は残留し、加茂・奈良-大阪環状線方面の運用に固定。大阪環状線内は各駅に停まるため、わかりやすくなったが、このあと、あることに気づく。それは次回に述べるとしよう。

 

時刻は18時を少し過ぎたのに、221系は回送が目立つようになる。ラッシュ時だと通勤形電車が区間快速に使われることが多く、関西本線の快速系統が221系に統一されるのは、いつになるのだろうか?

4番のりばから18時39分発(平日は18時38分発)の快速京都行きを待つ。すでにみやこ路快速の運行を終えており、格下の快速になるわけだが、221系の運行は確実なので妥協できる。ちなみに今回のダイヤ改正で、みやこ路快速は種別に格上げした。

「はいーっ?」  

警視庁特命係の杉下右京警部なら、こう言うだろう。  

みやこ路快速は2001年3月3日(土曜日)に運行を開始したが、市販の時刻表ではなぜか「快速〈みやこ路快速〉」と表記していた。しかし、駅や車内の表示、車掌の放送では種別として案内していた。そのため、私のブログでは今まで「快速〈みやこ路快速〉」と案内せざるを得なかったが、正式な種別化により、スッキリした。  

さて、快速京都行きが入線する放送があり、木津方に注目するが、なんと王寺方から大和路快速が到着した。


「はいーっ?」  

警視庁特命係の杉下右京警部でなくても言うだろうが、地元利用客はなんにも気にしていない様子。私は頭が混乱している。
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大和路快速は奈良から快速京都行き(1号車クハ221-43:弱冷車)に変身。これぞ、“ホントの直通快速”である。  

先ほどまで運行していた大和路快速の列車番号は3436Kで、奈良で快速京都行き3608Mに変わる。但し、土休のみの運行である。

私は以前から“221系フルコースツアー”を考えている。  

まず和歌山から阪和線快速に乗り、天王寺で大和路快速に乗り換え。もちろん、始発に乗るので、1周することになるが、奈良でみやこ路快速に乗り換え、京都へ。そこから東海道本線の普通電車(高槻-西明石間は快速)に乗り、大阪で丹波路快速に乗り換え、篠山口でゴールインするものである。  

今回のダイヤ改正で阪和線221系快速が和歌山入りする運用が激減。著名人にでもならない限り、貸切もできないだろう。  

仮に世界的な賞をとって、どこかの旅行代理店が“221系フルコースツアー”を企画して下さるのであれば、やってみたい。公式ツアーだと、221系4両編成を団体運用に使い、おそらく、奈良電車区で撮影会ができるのではないだろうか。また、京都-大阪間は複々線の外側を走るので、“新快速リターンズ”にもなる。

快速京都行きは18時39分に発車し、平城山(Narayama)を通過。今回のダイヤ改正で加茂・奈良・高田-JR難波間の区間快速は快速に昇格したが、平城山の停車は継続している。そのため、平城山は快速が停まる便と通過する便が混在し、わかりにくくなった。種別幕の色を分けることによって、わかりやすくしているようだが、平城山はすべての快速が停まったほうがいいだろう。  

奈良電車区では221系と223系6000番台の回送がズラリと勢ぞろい。休日ダイヤでは早々に“店じまい”をするようだ。

「プシューッ!!」  

トイレに入り、ペダルを踏むとけたたましい空気音が発生。なんと水が出ないのだ。おまけに手も洗えない。この日はトイレの利用客が多かったのかどうかはわからないが、さいわい、福井のコンビニで買った際、おしぼりのサービスがあったのでそれで手をふく。  

木津から奈良線に入り、玉水で快速奈良行きと行き違い。221系2両+2両の4両で、種別幕はなぜか阪和線バージョンになっている。  

宇治で103系の各駅停車京都行きに連絡し、19時31分、終点奈良10番のりばに到着した。当初は東福寺で京阪電気鉄道京阪本線に乗り換えようかとも考えたが、221系なので初志貫徹、終点京都まで乗車した。

◆2008年4月6日(日曜日)

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天王寺17番のりばに12時33分発の大和路快速大阪方面天王寺行き(6号車クモハ221-24:方向LEDは大阪まで「大阪環状線」と表示)が到着。この日のJR西日本初利用は種別幕が変わった20年目の大和路快速である。隣りの16番のりばに12時30分発、201系体質改善車の各駅停車奈良行きと顔を合わせるが、なぜか方向幕は「普通」と表示している。  

大和路快速は平成元年(1989年)4月10日(月曜日)に誕生。従来の113系の快速を置き換え、アーバンネットワークお得意の「x路快速」の第1号でもある。

天王寺のホームの案内板はなぜか大和路快速ではなく、快速になっているが、12時33分に発車し、新今宮で天王寺を2分早く発車した各駅停車弁天町・西九条方面行きに追いつく。当然のことながら、大和路快速大阪方面天王寺行きが先に発車するが、天王寺だと同一ホームの乗り換えができないため、新今宮にしたようである。さすがはキメ細かいJR西日本だ。  

ここから先は大阪環状線に入る。意外と思うかもしれないが、大和路快速が関西本線を走る区間は加茂-新今宮間である。これは天王寺-今宮間は複々線になっているが、内側は関西本線、外側は大阪環状線になっているため。したがって、阪和線直通電車は天王寺-新今宮間、関西本線を走行することになっている(西九条方面の一部は、新今宮の大阪環状線4番のりばを通る)。  

弁天町のホームの行先案内板は「大和路快速天王寺」になっているが、車内の情報案内装置は「大和路快速、大阪環状線」のまま。 弁天町を発車すると、関空快速関西空港行き&紀州路快速和歌山行きとすれ違うが、223系2500番台主体の編成である。

ダイヤ改正前日の2008年3月14日(金曜日)に大規模な編成替えを行なっているが、これだけ大がかりだと廃車するさい、編成ごとになるのか、1両ごとになるのか気になるところ。

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西九条を発車すると、意外と100㎞/hで突っ走り、12時45分、大阪2番のりばに到着。ちなみに隣りの3番のりばにはEF81トワイライトエクスプレス色牽引のジョイフルトレイン、『あすか』が停まっていたが、ほどなくして発車した。

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いつもならここで種別幕を「普通」に変えるのだが、大和路快速のまま。これは大きく評価できるサービスだ。ここから終点天王寺まで各駅に停まることに変わりはないものの、関空快速&紀州路快速も大阪-京橋間、各駅に停まることになったため、加茂及び奈良始発では“全区間大和路快速”が実現したのである(以前、天王寺始発の大阪まわりでは“全区間大和路快速”になっていた)。

◆2008年8月2日(土曜日)
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いつものように大垣2番線へまわり、普通電車(高槻-西明石間は快速)神戸方面加古川行き(1号車クハ221-44:弱冷車。米原まで女性車掌乗務)に乗り換え。今までJR東海エリアの方向LEDは「加古川」しか表示されていなかったが、この日はJR西日本エリアと同様、「神戸方面加古川」になっていた。  

JR西日本アーバンネットワークエリアは「x方面y」という表示が多く、方向幕の車両にも採用。方面表示されている駅になると、方向幕と方向LEDは行先のみの表示に切り替える。おそらく、方向幕のマッサラな白はかなり減ったのではないだろうか。

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このような案内はJR東日本でもやっているが、「方面」は使わず、「x・y」となっているので、わかりにくい。どっちへ向かうのか戸惑う利用客も少なくないのではないだろうか。

定刻より1分遅れの6時58分に発車。日常的な寝不足と221系の快適性から、垂井を発車してから居眠りに入り、醒ヶ井(Samegai)発車時に読んで字の如く、目覚めた。
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定刻通り、7時31分、米原2番のりばに到着。夏期の車内保温のため、半自動ドア扱いとなる。今では米原に乗り入れる定期旅客列車の国鉄産車両は583系、14系シリーズ、117系シリーズだけとなったが、JR東海所属車両は373系と285系3000番台以外、半自動ドアは装備されておらず、終日全自動開閉となる(大垣-米原間で373系の普通電車運用が存在する)。

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京都で10番のりばへまわり、奈良線のみやこ路快速奈良行き(4号車クモハ221-20)に乗り換え。2001年3月3日(土曜日)に誕生したとき、市販の時刻表では「快速〈みやこ路快速〉」と表記されていたが、2008年3月15日(土曜日)のダイヤ改正で種別に昇格した(JR西日本は当初から、みやこ路快速を種別として案内している)。  

車内は外国人観光客が2割ぐらいだろうか、乗っており、ならは世界的観光地であることを物語っている。


8時50分に発車。東海道本線では関空特急〈はるか9号〉関西空港行き、大垣-米原間で利用した普通電車(高槻-西明石間は快速)神戸方面加古川行きが相次いでホームへ滑り込んでゆく。複々線だからなせるワザである。  

東福寺で早々と降りる人が多く、京阪電気鉄道(次からは「京阪」と略す)京阪本線に乗り換えて、三条方面へ向かうのだろう。これにより、立客はほぼ解消。  

六地蔵で103系の各駅停車京都行きと行き違い。奈良線は単線、複線入り乱れなので、221系の性能がフルに発揮できないが、単線で行き違いができる一部の駅では1線スルー化して、快適性を向上している。ちなみに単線の行き違いができる駅の多くはポイント通過時、左右に曲がるので、スピードダウンや揺れも発生する。そのため、快速以上の列車だとタイムロスが生じるのだ。  

進行方向右側には京阪宇治線と合流し、しばらく並走するが、電車とすれ違うことはなく、離れる。宇治線は六地蔵、木幡(Kohata)、黄檗(Ohbaku)、宇治と奈良線と同名の駅が存在するが、いずれも位置が離れており、乗り換え駅ではない。
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宇治川を渡ると、9時07分、宇治4番のりばに到着。向かいの3番のりばに停車中の各駅停車奈良行きに接続するが、なんと、221系6両編成だった。みやこ路快速奈良行きはほぼ満席の状況だが、各駅停車奈良行きは回送とカン違いしても不思議ではないほど、ガラガラだった。


 

宇治橋西詰交差点で宇治橋に遭遇。奈良線の車窓からいつも宇治橋を見ており、いつかは渡りたいと思っていた。ようやく、宇治川を歩いて渡る。

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宇治橋の中央で、立ち止まる。下を流れる宇治川に沖ノ鳥島より面積が小さい石の上には水鳥なのだろうか、白い鳥が立ち止まっており、何十分もじっとしている。103系の各駅停車奈良行きとみやこ路快速奈良行きが通過していったが、ビクとも動かない。よほど居心地のいいところらしい。
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新大阪で東海道本線の快速(西明石から普通電車)姫路行き(1号車クハ221-51:弱冷車。女性車掌乗務)に乗り換えようとした矢先、前方に宮原電車区のアプローチ線があるのだが、そこに221系6両編成が通過し、“エッ?!”とあせる。事前に調べた情報では221系の丹波路快速篠山口行きは16時24分発なので、大阪で余裕を持つつもりでいた。

“早く着いてくれよ”とあせり、15時49分、大阪5番のりばに到着。隣りの4番のりばは、宮原電車区からの回送はやっぱり丹波路快速篠山口行き(1号車クハ221-5:弱冷車。ローレル賞のプレートつき)で、暑いのに冷や汗をかいたが、まにあった。

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15時54分に発車し、尼崎から福知山線へ。以前は勢いがあったようにも思えるが、2005年4月25日(月曜日)に発生した脱線事故の現場までは徐行運転である。運転士といった乗務員は後遺症がまだまだ残っており、この先、消えることはないだろう。




脱線事故現場のマンション、エフュージョン尼崎はまだ取り壊されておらず、福知山線を利用するのは脱線事故後、2回目。このときはエフュージョン尼崎でお焼香とお線香をあげ、犠牲者の御冥福をお祈りした。JR西日本のスーツを着た社員が深々と頭を下げ、ものすごく恐縮したが、私も会釈をした。あれから3年たっても、昨日のことのように思い出す出来事で、それまで高い評価をしていたJR西日本への信頼と信用が揺らいだ。それは沿線利用客などもそうであろう。

2005年12月25日(日曜日)、JR東日本羽越本線で特急〈いなほ14号〉新潟行きが強風により脱線転覆し、死傷者を出す事故が発生した。

JR東日本は徹底的な強風対策を行ない、関東地方でも武蔵野線や常磐線など、“起こりうる区間”でもやるのだから、安全にかける意気込みに感心した。車両のグレードに疑問があるJR東日本だが、事故防止にかける気迫に私は見直した。

その一方で、JR西日本はあの大惨事が発生したあとも大阪駅の改良工事を継続して行ない、車両の新製が多く、そっちを優先している印象を受け、遺族や負傷者に対する補償問題も完了していない。

そして、JR西日本に対する最大の怒りは福知山線で脱線事故が起こり、世界中のマスコミが大々的に報道したにもかかわらず、いまだに「JR宝塚線」と名乗り続けていることである。これは現実逃避かつ、あの事故を真正面から受け止めていないも同然の行為で、こういった姿勢が人々の信頼を取り戻せない要因にもなっているのだ。もともと、「JR京都線」や「JR神戸線」といった安直な路線愛称にも問題があり、オリジナリティーのなさに常日頃からあきれかえっているのだが、JR西日本に投書したところ、回答が届いたので、御紹介しよう。


「いつもJR西日本をご利用いただきまして、ありがとうございます。

関係部署からの報告に基づき、頂戴いたしましたご意見についてご回答させていただきます。

京阪神近郊は、運行エリアが多数の線区にまたがり、直通運転も行っていることから、お客様への分かりやすさを勘案し、東海道本線や山陽本線の一部をJR京都線、JR神戸線といったように、JR宝塚線と『愛称線区』でご案内させていただいております。

何卒ご理解をいただきますようよろしくお願いいたします」

これは回答になっていないも同然で、こういった答えで人々を納得させることができるのだろうか? 

東京だと国鉄時代から発車する東海道本線や東北本線の電車は「東海道線」、「横須賀線」、「京浜東北線」、「山手線」と柔軟に対応。JR西日本も分割民営化直後から、そういったスタイルを作りたかったのだろう。その答えは阪急電鉄のパクリが3つもあり、当初は沿線住民からは受け入れられず、JR京都線を予定していた米原-大阪間のうち、米原-京都間は「琵琶湖線」に変更、大阪-新三田(Shin-Sanda)間を予定していたJR宝塚線は篠山口まで延伸することで決着した。また、JR西日本みずから片町線の存在を否定するかのように「学研都市線」にしたのも理解できない。



脱線事故現場を通過すると、スピードがあがり、塚口を通過。留置線と上りホームには223系6000番台が止まっており、どうやら尼崎からの直通快速おおさか東線経由奈良行きに起用されるようだ。

尼崎-宝塚間は意外と曲線が多く、スピードはそんなに出ないが、川西池田で321系の各駅停車新三田行きに接続。そういえば、宇治や四条畷でもそうだったが、待避による停車時間が長い場合、ドアは半自動扱いにしており、車内保温にはかなり徹底しているようだ。

川西池田を発車すると、阪急電鉄宝塚本線(通称、「宝塚線」)の平井車庫へのアプローチ線をくぐり、進行方向左側にはラインナップが集結。宝塚線に1編成しか所有していない9000系はお休み。2008年は京都本線用の9300系が増備され、通勤特急運用に進出。6300系を脅かす存在になりつつあるようだ。

中山寺で223系6000番台の丹波路快速大阪行きに遭遇。2008年6月28日(土曜日)から福知山線運用に進出し、アーバンネットワークのエース、221系の大半は一斉に置き換えられてしまった。

ジェー・アール・アール刊行の『普通列車編成両数表 第22号』によると、223系6000番台は2008年3月15日(土曜日)のダイヤ改正から決まっていたことであるが、宮原電車区所属車がそろっていなかったようで、6月28日(土曜日)からの一斉投入となった。このため、やりとりしているブロガーさんの記事を見て、大あわて(ブロガーさんが1番あわてていたのでは?)。たまたま都内の書泉グランデで『普通列車両数編成表 第22号』を見つけ、ダイヤを調べたところ、221系6両編成の福知山線運用は健在だったため、今回の乗車となったが、予定より30分早いのは嬉しい誤算である(たぶん、『普通列車編成両数表 第22号』を見落としていたのだろう)。

「阪急電車はお乗り換えです」  

車掌が案内をして、今度こそ宝塚線をくぐり、宝塚に到着。運転士は三田まで乗務員室の左と中央のカーテンを下ろし、16時19分に発車。街から一気に難所へ変わり、中国自動車道と共に歩む。  

福知山線生瀬(Namaze)-道場(Dohjoh)間は複線電化させるため、昭和61年(1986年)8月1日(金曜日)、新線に切り替え、11月1日(土曜日)のダイヤ改正で、全線及び山陰本線福知山-城崎(現在の「城崎温泉」)間の電化が完成。福知山線の複線は宝塚-新三田間に延伸。また、西宮名塩(Nishinomiya-Najio)、新三田の新駅が誕生。103系800番台の国電(塚本通過の各駅停車)も大阪-新三田間の運転に変わってゆく。
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福知山線の快速は平成元年(1989年)3月11日(土曜日)のダイヤ改正で誕生。当初は大阪-篠山口間の運転で、113系800番台を使用していたが、平成2年(1990年)3月10日(土曜日)のダイヤ改正で、221系の増備で新快速運用を拡大。一部の117系はホワイトを基調にグリーンの帯を巻く塗装に変更の上、置き換えたが、翌年には一部をセミクロスシートの117系300番台に改造されている。

平成8年(1996年)12月1日(金曜日)、福知山線は広野-古市間が複線化。また、平成9年(1997年)3月8日(土曜日)に新三田-広野間、古市-篠山口間が複線化し、JR東西線が開幕。すると、福知山線は尼崎-宝塚間の運行本数が急増。これは片町線・JR東西線からの快速及び、各駅停車が登場したためで、尼崎で東海道本線の各駅停車に同一ホームで接続することによって、大阪-宝塚間の利便性が格段に向上した。しかし、これが余裕のないダイヤを生むことになり、あの大事故につながってしまう。

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2000年3月11日(土曜日)のダイヤ改正で、日中の大阪-篠山口間に丹波路快速が誕生。新快速用に大量投入された223系2000番台により、捻出された221系が初代丹波路快速の運用に就いた。おそらく、JR東西線直通の快速とのすみわけが目的だったのではないかと思うが、朝夕の時間帯は快速になっており、“大阪-篠山口は丹波路快速”というふうに徹底されていない。また、117系300番台は丹波路快速の運用はなく、朝夕の大阪発着の快速運用は2005年4月25日(月曜日)まで継続された。JR西日本所属の117系シリーズはATS-Pを装備していないため、復旧後は福知山線の運用はできなくなってしまったのだ。

先述したように2008年6月28日(土曜日)から223系6000番台が福知山線の営業に就いている。これにより、一部の221系4両編成は山陰本線の運用にまわっている。

長いトンネルを抜け、三田へ。ここでは降りるお客が多く、神戸電鉄三田線に乗り換えた模様。兵庫県三田市は福知山線の複線電化以降、街へ変貌し、ウッディタウンという住宅地がある。福知山線の利用客が増えたのもウッディタウンの存在が大きいようだ。

新三田でも下車客が多く、ガラガラ。駅を開設した当初、改札口へは専用の踏切を渡らなければ行けなかったが、いつのまにか安全重視の地下道に切り替えていた。




すっかりガラガラとなってしまい、新三田を発車すると、その先に留置線がある。緑に囲まれ、自然豊かなところに通勤形電車とは妙な光景だが、以前は201系や205系ばかりだったのに、すっかり207系シリーズと321系に変わっていた。

丹波路快速は運行当初から、三田-篠山口間は各駅に停まるのが難点だが、田園風景をひた走る。豊作であることを願うのみだ。

16時59分、終点篠山口3番のりばに到着。向かいの2番のりばには113系シリーズの普通電車福知山行きが発車を待っており、クハは体質改善車、モハは湘南色だった。JR西日本は塗装の異なる車両を平然と連結するのはレールファン的な視点では面白いが、こういった光景が見られるのも、これから先は少なくなるだろう。
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17時10分、1番のりばに快速大阪行き(6号車クモハ221-5:ローレル賞のプレート。女性車掌乗務)が入線。半自動ドア扱いで、種別幕はしばらく回送のままで、方向LEDはなにも表示していなかったが、発車10分前に「快速大阪」と表示された。

隣りの2番のりばにエル特急〈北近畿16号〉新大阪行きが到着。先に通し、17時31分に発車。ちょうど、私が当初のスケジュールでは乗る予定だった大阪16時24分発の丹波路快速が221系6両編成で、篠山口3番のりばに滑り込んだ。

早朝からアクティブに動いているせいか、広野を過ぎたあたりからウトウトしてしまい、気がついたら尼崎に到着するところだった。

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再度、東海道本線に戻り、18時36分、終点大阪9番のりばに到着した。

2008年も“221系新快速リターンズ”がありますように。

◆2008年8月4日(月曜日)
 


223系2000番台の新快速米原行きは予想外だったが、高槻でも多く乗り込み、発車すると吹田工場高槻派出所では221系4両編成2本が留置。休車の状態にあるようだが、221系は山陰本線に進出しており、この留置車はその転用にあてるのだろう。

◆2008年8月31日(日曜日)

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大垣の座席争奪戦は見事に完敗し、普通電車(高槻-西明石間は快速)神戸方面加古川行き(1号車クハ221-2:弱冷車。ローレル賞のプレート。女性車掌乗務)に乗り換え。ローレル賞プレートの上にあるナンバープレートはなぜかシールによる応急処置だった。
 

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さて、前回乗車時、方向LEDは「神戸方面加古川」だったが、今回は「加古川」のみで、大垣始発は通常、そのようになっており、JR東海エリアでは「x方面y」は誤表示なのだろうか?

 


6時57分に発車し、柏原、近江長岡、醒ヶ井で停車中の貨物列車を抜く。しかも、3駅連続で抜くのだから、異例と言えるが、雨の影響でダイヤが乱れているようである。米原から先は運行本数も多くなるため、旅客ダイヤが定時運行できるかどうかが気になるところである。
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7時31分、米原2番のりばに到着。ここで7分停車するが、1号車の停止位置は改良工事現場のため、乗り降りしづらいが、2009年春までガマンといったところであろう。



8時44分に新快速姫路方面網干行きは京都を発車すると、山陰本線では京都-園部間の完全複線化に向けての工事が進行中。そして、その先の留置線では221系と117系300番台が休んでいる。
 
 

山崎で221系の普通電車(高槻-西明石間は快速)姫路方面網干行きを抜き、島本では大阪寄りに撮影隊2名を見かける。アーバンネットワーク、東海道本線の複々線区間では甲南山手、さくら夙川、島本がオープンしているが、いずれも島式ホーム1面のため、場所が固定しやすいのだろう。  

◆2008年12月13日(土曜日)

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大垣2番線へ。普通電車(高槻-西明石間は快速)神戸方面加古川行き(1号車クハ221-45:弱冷車)に乗り換え。9割5部は快速〈ムーンライトながら〉からの乗り換え客のため、坐れない。

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6時57分に発車すると、乗車しているJR西日本221系の情報案内装置にステッカーが貼られてあることに気づく。首都圏では当たり前の整列乗車をお願いしている(と言っても、首都圏でさえも案内する駅員もいる)。

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イラストを見ると、片側が乗車と降車に分かれている。首都圏だと両サイドが乗車、中央が降車というのが一般的なので、違和感を持つ。また、関西のラッシュ時は何度か利用しているが、ドア付近にいる利用客は一旦、降りてから再び乗車するという案内がないのも気になる。

今もワリコミ乗車があるのかどうかはわからないが、関西にもJR東日本のような近郊形車両の4ドア化、通勤形車両の6ドア車連結になるかどうか(たぶん、ないと思うが)。

近江長岡で運転士が乗務員室うしろの左側と中央のカーテンを上げる。冬場は夜明けが遅いこともあり、進行方向見右側しか前面展望することができなかったのだ。  

発車すると115㎞/hまでカッ飛ばすが、この電車は大垣-南荒尾信号場間と関ヶ原-米原間は120㎞/h、南荒尾信号場-関ヶ原間は85㎞/hまでの運転となっている。スピードメーターの針は120㎞/hに到達しなかったが、おそらく、遅れた場合の“切札”なのだろう。  

東京地下鉄10000系の甲種回送とすれ違い、7時31分、米原2番のりばに到着。電車を降りると、白い息が出るほど寒い。雪が降っていないだけマシなほうだろう。

三ノ宮駅に到着し、1番のりばに新快速京都方面野洲行きが発車しようとしていた。うしろ寄りの車両はラッシュなみの混雑に見舞われている。
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2番のりばから、20時25分に221系の快速(高槻から普通電車)米原方面大垣行きが発車したあと、さぁー、いよいよ、オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイムの時間がやって来た。そう、1番のりばに臨時新快速大阪行き(8号車クモハ221-33)のお出ましだ。しかも、アーバンネットワークのエース、221系で、たまらずガッツポーズ(2009年大相撲初場所で23回目の優勝を果たした第68代横綱朝青龍ほどのオーバーアクションではない)。  

神戸ルミナリエ開催中、12月6・7・13・14日に三ノ宮始発の臨時便を運行。12月6・13日(土曜日)の東海道本線上りはすべて臨時新快速大阪行きを9本(そのうち1本は大阪から定期便で、京都方面野洲行きとなる)、下りはすべて山陽本線直通の臨時新快速西明石行き2本、臨時快速(西明石から臨時普通電車)大久保行きは1本、姫路行きは4本を運行。12月7・14日(日曜日)の東海道本線上りはすべて臨時新快速大阪行きを8本(そのうち1本は大阪から定期便で、京都方面野洲行きとなる)、下りはすべて山陽本線直通の臨時新快速西明石行き2本、臨時快速(西明石から臨時普通電車)神戸方面大久保行きは1本、姫路行きは3本を運行した。

 

1番のりばにはレールファンが10人もいなかったが、221系の晴れ姿を目に焼きつけるかの如く撮り、私は乗り込み、転換クロスシートにくつろぐことにしよう。

「♪ダン、ミファミシラミドレェー、ドレミファソラソファー、シーラシソー、シーラシドー、ドーラシドーレミラァー♪(ミとシは♭)」  

網干総合車両所から臨時新快速の“仕事人”をおおせつかった221系は20時30分に発車。出だしはこのメロディーのような感じだろう(『必殺仕事人』シリーズの中村主水のテーマより)。

臨時新快速大阪行きは興奮のボルテージが汗をかくほどあがってゆく。130㎞/hではないけど、最高のスピードは矢沢永吉のビールのCMでおなじみの最高金賞に値する。そして、321系の各駅停車JR東西線経由松井山手行きをキャッチ!!


 

灘で各駅停車JR東西線経由松井山手行きを追い抜く。昔はコイツをバッサリ追い抜くのは当たり前だったんだよなぁー。そして、快調かつ最高のペースで駆け抜ける。“このまま320㎞/hまであがるんじゃないか”と思わせるほどだ。まるで鳥取砂丘を白馬で駆け抜ける徳川吉宗を彷彿させる。
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ビュンビュンとカッ飛ばすように快適に走り、甲南山手を通過すると、勢いが落ち、ATSのなつかしい「キンコンキンコン(JR東日本首都圏はATSの音が違う)」の音が鳴って、20時38分、芦屋1番のりばに到着(JR東日本首都圏はATSの音が違う)。ところが、各駅停車高槻行きに接続をとらなかった。通常ダイヤをいじくるわけにはいかなかったようだ。  

20時39分に発車し、暗い夜道を臨時新快速大阪行きはブッ飛ばす。アーバンネットワークのエース、221系の新快速リターンズ2008の猛烈な勢いで、世界的な不況をブッ飛ばせぇー!!

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そういえば、2008年夏、JR東海は東海道新幹線のEX-ICの宣伝を大々的に行なわれていたが、面白いことに首都圏の電車広告ではこんな案内があった(画像はJR東日本203系の車内)。

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「新大阪駅から新快速へ」

このイラストがなんと、221系になっているのだ。2000年3月11日(土曜日)のダイヤ改正で、アーバンネットワークの新快速の定期便は223系1000・2000番台に統一されているが、これを見ると、「よくやったJR東海」、「アッパレ!!」と言いたくなる。ちなみにテレビのCMでは、京浜東北線の車両は209系が映っていた。どうやら、JR東海は最新の車両より、以前の車両がお好みらしい。それが本当かどうかはわからないが…

 

西宮で321系の各駅停車高槻行きを抜き、フルスピードで駆け抜ける。日頃のストレスが吹っ飛ぶぞ!! もし、薬師丸ひろ子が221系新快速リターンズ2008に乗っていたら、こう言うだろう。

「カ・イ・カ・ン」  

20時46分、尼崎8番のりばに到着。5番のりばの快速(高槻から普通電車)米原方面大垣行きに追いついたものの、先に行かれてしまった。  

20時47分に発車し、もうラストコースだ。このまま黒磯まで乗りたいよ。いけなくても京都まではと思いながら、神崎川を渡る。

「そうはい神崎」  

ある政治家がしゃべったセリフ、つまんないよね(なんで電車の中でふと思い出すのだろう?)。  

“豪快に年忘れ”という感じで、臨時新快速大阪行きは驀進!! 2006年12月16日(土曜日)以来に味わうこの気持ちよさ、何度でも味わいたい。
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阪神高速11号池田線と大阪環状線が見え、20時53分、終点大阪9番のりばに到着。隣りの8番のりばに停車中の快速(高槻から普通電車)米原方面大垣行きに再び追いついたが、すぐに発車されてしまった。

23分に渡るイッツ・ショータイムは終わったが、余韻は残り、久しぶりにスカッした。気分爽快だ。水谷豊の『カルフォルニア・コネクション』に例えると、221系新快速リターンズはこういうひとときだ。

「♪あぁーつく燃ぉーえるぅ、季ぃー節がぁー、ぼくらのぉー、あーこぉーがぁーれぇー、運んでゆくぅーよぉー♪」




20時59分に221系新快速リターンズ2008の回送が発車し、7・8番のりばへまわろう。

◆2008年12月28日(日曜日)

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大垣ではいつもの座席争奪戦で久しぶりに勝利し、普通電車(高槻-西明石間は快速)神戸方面加古川行き(1号車クハ221-71:弱冷車、米原まで女性車掌乗務)に乗り換えっ!!  しょっぱなから逆向きだっただけに快適な221系の転換クロスシートに坐れて、気分は晴れやかだが、天気は暗い。

東海道本線支線が遅れていたため、1分遅れの6時58分に発車。天気は雨模様で、7時を過ぎたというのに、日が暮れた直後の空色である。  

柏原到着時、窓の異変に気づく。
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それは1・2・5・6列目の窓は鮮明なのに、3・4列目に結露がかかっていたのである。その謎は10秒もたたないうちに解けたが、1・2・5・6列目は固定窓(1・6列目は戸袋窓)なのに対し、3・4列目は開閉可能なのだ。ちょっとの違いでもずいぶん差があるように思う。  

醒ヶ井を発車すると風が強くなり、すすきがなびく。

「次は終点、米原。失礼しました、米原です」  

女性車掌は普段、普通電車米原行きの乗務回数が多いからなのか、米原を終点と言ってしまった。ちなみに停車中、「ドアを閉めます。御注意下さい」と言っていた。「閉まります」が正当に思うが、京阪電気鉄道では「ドアを開けます」と言うから、社の方針なのだろう。

普通電車(高槻-西明石間は快速)神戸方面加古川行きは7時31分、米原2番のりばに到着。電車を降りると、猛烈に寒い。JR東海の運転士は下ろしていた乗務員室うしろのカーテンを上げて、JR西日本の運転士にあとを託すも、すぐさま下ろした。この空色では運転に支障をきたすらしい。

◆2008年12月29日(月曜日)

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新快速米原行きは加古川で221系の普通電車(西明石-高槻間は快速)米原方面大垣行きに追いつくが、7~12号車は221系トップナンバー車だった。221系トップナンバー車は遭遇する機会があっても、乗ったことはたぶん、ない。

◆2008年12月30日(火曜日)

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京都33番のりばの普通電車亀岡行きが発車を待っているが、4両編成の車内は観光客などで混雑しており、6両編成にしてほしいところ。そして、32番のりばに普通電車園部行き(1号車クハ221-81:弱冷車)が入線した。

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さて、2008年から山陰本線京都口に221系が投入され、223系5500番台の投入もあいまって、113系シリーズの数が激減。221系は4両車ばかりを網干総合車両所から京都総合車両所にコンバートされ、山陰本線のほか、湖西線でも運用されている。京都総合車両所に所属する221系の大きな特長として、車体側面にある半自動ドアボタンの横にステッカーを貼りつけていることだ。アーバンネットワークは国鉄車両を減らして、快適性の向上に努めているが、まだまだ使える113系シリーズは広島・山口地区の山陽本線に移っている。
 
「若いモンが寝とるわ」  

50代の男性客の通報で、1号車3番席では若い男が爆睡。2人分を独り占めしており、乗務員が起こしにかかるものの、微動だにせず、何度やってもダメだったので、あきらめる。  

10時42分に普通電車園部行きは発車。すると、若い男は起き出したものの、また眠る。転換クロスシートの向きが下りになっているところを見ると、往復乗車しているのかもしれない。  

丹波口で183系700番台の回送と行き違い、発車すると複線工事の真っ最中。将来、京都-園部間は完全複線化される予定である。




ただいま円町  

二条からは複線となり、円町に到着すると、221系の普通電車京都行きと行き違う。どうやら221系は山陰本線に定着した感がある。次の花園は特急〈はしだて4号〉京都行きと行き違い。エル特急〈北近畿〉用の車両で通過したが、塗装を統一させたほうがいいのではないだろうか。
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次は太秦
Next Uzumasa.  

10時55分に花園を発車すると、再び単線。進行方向右側は複線化に向けて、鋭意工事中。太秦を発車しても複線化工事中だが、近隣に一戸建てが多く、難工事の模様。複線化工事をするのはいいが、次に騒音対策も必要になってくるのではないだろうか。もちろん、複線化工事には地元の同意も得ているはずであろう。  

11時01分、嵯峨嵐山(Saga-Arashiyama)に到着。1号車乗務員室ではカーテンが下ろされると、再び複線へ。嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線〔トロッコ嵯峨駅〕と別れ、どちらもトンネルへ。嵯峨野観光線は保津川沿いをクネクネするが、こちらは直線。平成元年(1989年)3月5日(日曜日)に嵯峨(「嵯峨嵐山」に改称されたのは1994年9月4日)-馬堀間は複線の新しいルートに切り替えられ、平成2年(1990年)3月10日(土曜日)のダイヤ改正で電化されている。
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保津峡はトンネルとトンネルのあいだにあり、山陽新幹線新神戸を彷彿させる。そして、嵯峨嵐山-馬堀間の車窓はトンネルを抜けると、チラッと保津川が見える程度。まばたきは禁物だ。  

トンネルを抜け、嵯峨野観光鉄道に合流。トロッコ亀岡を通過すると嵯峨野観光鉄道の終点馬堀へ。なぜ、「トロッコ馬堀」ではないのだろう?  

亀岡は進行方向右側が水田、左側はショッピングセンターとバスターミナルという極端なところで、発車すると再び単線。鉄橋は単線構造で、複線化はまったく想定していなかった。このため、同じカタチの鉄橋をもう1本設置することになり、やがては単線時代の名残となるだろう。  

並河到着目前、0系の実物ミニサイズとDD51形が展示されているが、ボロボロ。発車するとアメリカなみの右側通行だが、もちろん、複線化工事のため、面白い現象が生まれる。  

千代川で221系の普通電車京都行きと行き違い、発車すると田園車窓。当初は60㎞/h程度だったが、国道9号線に合流すると、本気を出し、11時23分、八木に到着。ここで大量下車が発生し、空席が見られるようになる。ただ、千代川-八木間は用地取得が難しそう。

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次は吉冨  

八木を発車すると、再び“アメリカ通行”となり、11時30分、終点園部4番のりばに到着。ドアは半自動扱いだった。  

到着すると乗務員は再び爆睡じゃないね、ふて寝している男を起こしにかかるも起きない。これはキセルとみなされても仕方ない状況で、乗車券を拝見したほうがよいのではないだろうか。そして、折り返し電車に乗った模様。  
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折り返しは快速京都行き(4号車クモハ221-81)だが、外側の留置線では221系が数多く止まっており、223系5500番台の姿もある。  

11時39分に発車。八木では221系の快速園部行き、特急〈きのさき1号〉城崎温泉行きと行き違った。

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ただいま八木
 
並河で家族連れが乗ってきたのはいいとしても、ベビーカーを持参。近年はベビーカーを車椅子同然と思い込む人が多いようだが、おんぶやだっこをするものだろう。その家族連れは優先座席に坐るが、ベビーカーは窮屈で、網棚に載せようという考えがないらしい。ちなみに3号車のボックスシートにもベビーカーの利用客がいた。221系のボックスシートは車端部にあるので、そこを選ぶのは賢明だと思う。
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電車は亀岡1番のりばに到着。向かいの2番のりばには始発の普通電車京都行きが12時06分の発車を待っているが、この快速は普通電車と待ち合わせを原則としてしないダイヤなのが難点だ。園部を発車した快速京都行きは亀岡まで各駅に停まり、嵯峨嵐山、円町、二条に停まるのだが、独走のため、嵯峨嵐山で普通電車に接続をとることはないのである。もし、嵯峨嵐山で普通電車に接続をとるのであれば、京都-園部間の複線化が完成したときになるだろう。  

太秦を通過すると、宅地スレスレのところを走る。まるでJR東日本中央本線中野-吉祥寺間を彷彿させる。





次は京都 終点(動画2本)  

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二条を発車するとラストスパートで、複線化工事は着実に進んでおり、地平に下りて東海道本線や東海道新幹線に合流すると12時23分、終点京都34番のりばに到着した。但し、34番のりばは降車専用で、「34番おりば」のほうが正しいのだが、のちに33番のりばのドアが開き、折り返し、普通電車園部行きに乗り込むのであった。 

ありがとう0系新幹線 ブログパーツ

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コメント 2

浩然斎

我が地元が紹介されていました。宝塚・新三田複線電化の頃など懐かしく思います。当時の113系はドクターイエローのような黄色に青帯の塗色でした。223系ばかりでもう221系は見なくなったなと思っていたら、まだまだ福知山線内でも221系は健在でした。
by 浩然斎 (2009-04-17 09:46) 

岸田法眼

浩然斎さん、どうもありがとうございます。

福知山線は全線電化で装いを改めましたね。当時、新三田がウッディーダウンという新しい新興住宅地の最寄り駅だったと記憶しておりますが、福知山線はあれから、あの日まで発展したのですね。

221系は3月のダイヤ改正でも福知山線運用は健在で、なによりです。出番は少なくなりましたが…
by 岸田法眼 (2009-04-17 23:56) 

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