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御堂筋線10系総集編2007 [汽車旅2007番外編]

今回のRailway Blogは2007年に乗った御堂筋線10系を振り返ります。

なお、本文の一部は加筆・修正しております。また、乗車車両編成表はカットしておりますので、あらかじめ御了承ください。

◆2007年3月2日(金曜日)

大阪で下車し、ヤボ用をすませたあと、御堂筋線[梅田駅(M16)]に乗り換えるが、券売機で1日乗車券を購入しようと千円札を入れたら、「ノーマイカーフリーチケット」に目がいく。1日乗車券よりも250円安いのだが、買って本当に使えるのかどうか悩んでしまう。間違ってしまったら、大損になるからだが、さいわい、最新式の券売機ではノーマイカーフリーチケットがこの日は使えるということで、買う。



毎月20日(休日だと21or22日)の大阪市はノーマイカーデー(愛車の定休日)となっており、大阪市交通局は管轄する乗りものすべてに乗れるノーマイカーフリーチケットを販売しているが、毎月だけでは限界があるようで、毎週金曜日も利用できるようになっているとはまったく知らなかった。ちなみにノーマイカーフリーチケットは子供用がない。当たり前だが、子供がマイカーを持っているワケがないからだ。もし、設定していたら、券売機で迷うことはなかったかもしれない(1日乗車券を販売しなくていいため)。

時刻は9時30分になり、券売機で迷ったのが功を奏したのか、御堂筋線はなんと、あびこ行き(1号車1822)に乗る。



余談だが、2002年4月7日(日曜日)に10系第22編成に乗った時は夢塗装車だった。





国鉄が分割民営化された直後の昭和62年(1987年)4月18日(土曜日)、御堂筋線はあびこ―なかもず間が延伸され、全通した。ちなみに御堂筋線があびこに到達したのは昭和35年(1960年)7月1日(金曜日)で、27年間起終点だったことになる。

全通後も、あびこ行き及び始発が残っていると知ったのは2000年8月であるが、子供の頃、本で見た「あびこ」の方向幕が強烈なインパクトだったことを思い出す。ひらがなだけの行先なんて、今まで見たことがなかったからであろう。なかもずもひらがなになるとは思っていなかったが、「あびこ」ほどの強烈さはない。

あびこ行きを撮影するのにちょっとあせったが、意外と停車時間を長くとっており、普段は1枚しか撮らないものを4枚撮っていた。

停車時間を長くとってあることが意外なのは、普段、東京地下鉄(通称、「東京メトロ」)を利用しているからで、朝のラッシュ時は後続の電車が接近しているため、長く停まっているわけにはいかないのである。御堂筋線も同じことではあるが、停車時間にゆとりをとっているのも、事故や乗り過ごし、駆け込み乗車を防止していると思う。

初めて本町(M18)で下車。船場郵便局で旅行貯金した。





本町(C16)で御堂筋線(M18)のなかもず行き(1号車1826)、なんば(M20)で千日前線(S16)の南巽行き(1号車25605)に乗り換え。御堂筋線は21系の天王寺行きをパスして、10系を選び、千日前線は2002年1月以来、5年ぶりの利用。

なんば(S16)で千日前線から御堂筋線(M20)の新大阪行き(10号車1111:リニューアル車)に乗り換え、一気に終点へ。

「新幹線、JR線は乗り換えです」

新大阪に着く時、同じJR線なのに使い分けているのが不思議だが、新幹線は別格なのだろう。ちなみに東京メトロは新幹線の接続駅である東京と上野について、「JR線はお乗り換えください」と案内している。

最近では聞かなくなったが、大阪市営地下鉄は「他のお客様の迷惑にならないよう、お互いに注意しましょう」というのがあった。私は知らない人同士で注意しあうとはとても思えなかった。人に迷惑をかけるために電車を利用することはとうていないと思うからだが、不思議な注意事項の放送であった。

さて、新大阪は江坂寄りで撮影。なかもず寄りに比べ、ゆとりを持って撮影することができる。これは住吉人さんのアドバイスにもとづいたものである。



スペースがあって撮りやすいものの、両サイドにある新御堂筋という一般道路はクルマがひっきりなしに通るため、ホームが揺れる。足元に充分注意しながら、撮影することをオススメする。

この日はお天気がいいせいか、デジカメ史上、会心の撮影をすることができた。コンパクトサイズではあるが、このくらいの速度ならブレずにすみそうである。



 

◆2007年4月7日(土曜日)


JR西日本関西本線JR難波からなんばウォーク経由で徒歩6分、大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線[なんば駅(M20)]に乗り換え。ホームに着いた時、10系リニューアル車(第6編成)の千里中央行きが発車した。運が悪い時は天敵21系が続くのがパターンとなっており、その通りの展開となってしまう(JR難波より、天王寺で乗り換えたほうが早い)。

関西の旅になると車両にこだわることが多く、大阪市営地下鉄だと“新20系”は第3軌条各線に投入しているため、御堂筋線は10系、中央線は2代目20系にこだわるが、谷町線は30系が専用で残っているものの、こだわっていない。昔、30系は第3軌条各線に投入されていたためであろう(意外にも谷町線で22系に乗ったことはない)。また、JR西日本だと223系1000・2000番代の快速や普通電車に乗ることをちゅうちょすることがある。新快速は迷わずに乗るが、個人的にアーバンネットワークのエースは221系で、魅力は223系シリーズよりも断然上だからである。

中津行きは21系で、次の千里中央行きは北大阪急行電鉄(次からは「北急」と略す)8000系“ポールスター号”だが、基本的に御堂筋線を1日2回以上、利用する時しか乗らないことにしているため、残念だけどパス。後続の新大阪行き(10号車1115:リニューアル車)に乗り、17時34分に発車する。

梅田(M16)で立客はいなくなり、中津を発車して地上にあがると、空はグレーになっていた。この日はあいにくの雨で、もうおてんとうさまは沈んだことであろう。ネオンが輝きを魅せている。

「この電車は次の新大阪までです」

区間運行の場合、「終点」という言葉を使わない“独特の手法”で新大阪(M13)に到着。今回は2001年10月以来となる新大阪以北の乗車をするため、一旦待つ。

いったい、何分待ったのかは忘れたが、ようやく10系の千里中央行き(10号車1104)が到着。なんと、関西のレールファンが撮影のターゲットにしている10系第4編成である。

10系第4編成の利用は2002年4月7日(日曜日)以来となるが、先頭10号車のフェイスは白と赤の部分がボロボロ。このままの状態で走らせる姿勢に怒りを感じる(その後、補修をした)。常に綺麗な状態でお客様を迎えるべきではないのか(下の画像は2002年4月7日に利用した10系第4編成)。

「ハァーン」

ドアが閉まり、電気笛のタイフォンが鳴り響く。10系増備の末期やリニューアル車は警笛を変えているため、しっくりこないが、電気笛は雄たけび高らかに18時03分に発車した。

御堂筋線の地上区間は高速道路のように思えるが、実は一般道路の新御堂筋を両サイドと並走しているものの、高架を一段高く登り、留置線に止まっている10系ラストナンバー車を見下ろしながら走る。新大阪から先になると、御堂筋線は1段高く走っているような感じである。

すぐ先にある東三国(M12)で10号車はたちまちガラガラとなり、座席をGET。増備の末期からシートモケットはオレンジっぽい感じだったが、平成の世になってから着席区分をつけた以外はオリジナルの金茶色を堅持しているようだ。

御存知のように10系第4編成はリニューアル車の対象から外れており、オリジナルのまま廃車になるとウワサされている。10系第4編成もリニューアルして、21系ラストナンバー車を2編成に分割。中間車だけとなった4両に先頭車を新製し、谷町線に22系として移籍。経年の高い30系2編成を置き換えたほうがよさそうにも思える(その後、30000系を投入し、30系を置き換えている)。また、10系第4編成は廃車せずに予備車両として残し、万全磐石の運行態勢にすべきだが、かつて、新製から9年しかたっていない30系先頭車をこっぱみじんに斬り捨てた経歴があるため、残念な結果になることが予想される。せめて、浅香中央公園(我孫子検車場跡地)に上屋をつけて、“里帰り”させて欲しいなとも思う。

30系の場合、アルミとステンレスの2種類あったため、混結を嫌ったのであろう。もし、どちらかに統一していたら、9年廃車というのはなかったと思う。

さて、10系は第3軌条車両では初の冷房車で、その功績は国民栄誉賞に匹敵すると思うが、試作車は当初、非冷房車(1977年に1両だけ試験設置された)だったせいか、鉄道友の会ブルーリボン賞orローレル賞などといった受賞歴がないのは残念なところである。

画像を見ればおわかりだと思うが、第3軌条車両はトンネル断面が架線車両に比べてサイズがちょっと小さいため、車端部にある冷房装置は天井が低くなっている。そのためか10系オリジナル車の車端部には照明を1つ増やして暗さを感じさせないようにしているが、リニューアル車では情報案内装置設置のため、撤去。その代わり、明るい化粧板にChangeした。

オリジナルの化粧板は、昭和50年代(1975年から1984年まで)の雰囲気が色濃く残る。この当時は暖色系が流行し、国鉄201系も取り入れたが、10系リニューアル車の化粧板は寒色系のような感じである。

江坂(M11)で乗務員が交代して、ここから先は北急南北線へ。北急は2001年10月以来の利用で、しかも乗った車両は10系第4編成であった。

発車時と到着時にタイフォンを鳴らさないのは意外だったが、終点千里中央(M08)まで2回鳴らした。ちなみに北急の自動放送(声は大阪市営地下鉄と同一人物)では「この電車は次の千里中央までです」と言うかと思ったが、「まもなく、終点千里中央」と案内していた。そして、地下へもぐると、『鉄道ダイヤ情報2007年3月号』で掲載していた東西線廃線跡を確認することができた。

平成初期、北急は箕面まで延伸するウワサがあった。もし、実現していたら千里中央(M08)の次は北千里となり、阪急電鉄(次からは「阪急」と略す)千里線と競合するような展開になっていただろう。そして、箕面となると阪急箕面線、宝塚本線と競合することにもなり、梅田バトルが激化していたのかもしれない。しかし、北急は阪急グループの鉄道で、“共食い”になってしまうことや桃山台付近にある車両基地の容量不足(車両の増備が必要になる)、運賃が安いため(北急は全線乗っても120円で、区間利用は80・110円)、建設費用が捻出できなかったのだろう。北急の箕面延伸構想は消えた。

終点千里中央(M08)に到着。しばらく10系第4編成を眺めた。

◆2007年9月8日(土曜日)

2007年9月8日(土曜日)、大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線新大阪(M13)へ。宿から新大阪駅に近いのはJR線ではなく、大阪市営地下鉄で、高架の新御堂筋沿いに独自の出入口があるからだ。ちなみに新大阪の開業日は国鉄よりも早い。



7番出入口(南改札)はエスカレーターが近年に設置され、そのおかげで西中島南方(M14)寄りは撮影がしづらくなったが、ホームに着くと、9時36分発の天王寺行き(1号車1810:リニューアル車)が発車を待っている。始発電車なので、ラクに坐れた。



新大阪から梅田方面へ向かうのは久しぶりで、21世紀になってから初めて。淀川を渡り終えると、地下へもぐる。御堂筋線の地上区間は千里中央行き及び新大阪行きの利用が圧倒的に多いので、新鮮な車窓である。

梅田(M16)で大量乗車があったものの、土曜日のせいか思ったほど少ない。

本町(M18)でお客の入れ替わりがあったが、心斎橋(M19)で若干、乗車率が減る。



なんば(M20)でガラガラとなり、頭上を見上げると、吊り革はドコモの宣伝ばかり。関東は吊り革広告がなく、これも関西商法の1つなのだろう。ドアの窓上にシール広告があるのは関東でも同じこと。さらにドアの窓の「ひらくドアにごちゅうい!」のステッカーの下にも広告があり、かなり徹底的にやっている。

「天王寺終点でーす。御乗車ありがとうございました」

終点天王寺(M23)に到着。終点であることに気づかないお客が多く、駅員が車内に乗り込み、退散していった。



余談だが、始発専用の2番線には10系第4編成の新大阪行き、3番線には10系第12編成“夢塗装車”の千里中央行きという、関西のレールファン注目の車両が続いた。


221系総集編2007 [汽車旅2007番外編]

今回のRailway Blogは2007年に乗った221系を振り返ります。

なお、本文の一部は加筆・修正しております。また、乗車車両編成表はカットしておりますので、あ らかじめ御了承ください。


◆2007年3月2日(金曜日)

大垣2番線にまわり、普通電車(高槻―明石間は快速)神戸方面加古川行き (1号車クハ221-45:弱冷車)に乗り換え。221系6両編成は1・4~6号車の車番の下2ケタは同じ数字 なので、わかりやすい。転換クロスシートには坐れなかったものの、前面展望を楽しむ。

7時00分に発車すると、進行方向左側には113系2000番代が留置されて いた。どうやら、戦力外通告を受けたようである。

関ケ原は雪の姿は まったくなく、想像するほど、めったに降らないようだ。また、313系8両編成の新快速豊橋行きが始発電車として、発車を待っていた。車内の保温維持のため、中央のドア以外を閉めている。

この時間帯は117系にすれ違うことが多く、いずれも8両編成。快速で使われている。117系は出番が少ない分、車体に傷みや老朽化は見受けられず、まだまだ戦力になりそ うだ。

「次は終点の米原。失礼しました、次は米原…」

醒ヶ井を発車すると、車掌は誤った放送を流した。昼間の大垣―米原間の普通電車で乗務していることが多いのだろう。

7 時34分、JR西日本米原2番のりばに到着した。

◆2007年4月7日(土曜日)

奈良で下車し、旧駅舎は移転されて保存はしているものの、一般公開はされない模様だ。栄誉ある駅 舎を大切に守るためなのだろう。それとも高架化されたら、なんらかのカタチで再オープンをするの だろうか?

散策中に雨が激しくなり、奈良に戻って2番のりばへ。関西本線16時29分発の区間快速JR難波行き(6号車クモハ221-15)に乗る。

奈良発車時、車掌は翌日に行なわれる奈良県知事選挙の投票をお願いする放送を流す。

王子到着目前、進行方向右側にはSLのD51が静態保存。上屋があるの で、保存状態はよさそうだ。ちなみに王子では103系の始発、各駅停車JR難波行きに接続をとる。

王子発車後、先頭6号車の乗務員室では、進行方向右側のワイパーも動かしていた。たいてい、雨の日は運転士側しかワイパーを使わないもので、立ちんぼではあるが、 前面展望客へのサービスなのだろう。

久宝寺で201系体質改善車の各駅停車JR難波行きに接続。区間快速JR難波行きとは対照的に各駅停車JR難波行きはガラガラ。ちなみに関西本線に移籍した201系体質改善車は車内に号車札(シールだけど)が設けられた。

久宝寺発車後、車掌は翌日に行なわれる大阪府知事選挙の投票お願い放送を流す 。投票開始時刻の7時を「ななじ」と言っており、違和感がある。「しちじ」が正当なのだが、地方に よって流儀が違うのだろうか。

東部市場前を通過すると、ノロノロ運転に。そして、高架を下りると、阪和線直通ルートをもう1本増やして複線化するのかどうかはわから ないが、工事をしていた。

新今宮では、「地下鉄線はお乗り換えです」と案内していたが、これは大阪市営地下鉄動物園前のことである。また、今宮までは大阪環状線と並 行している。ちなみに区間快速のJR難波行きは通過するが、大阪方面天王寺行きは停まる。これは新今宮から大阪環状線に入るからである。

区間快速は大和路快速と停車駅の数に差がないだけに、今後は大和路快速の加茂―王子間を途中、木津、奈良にしぼり、各駅停車を奈良線直通運転に改めて、速達性を強調したほうがいいと思う。ただ、長年、113系時代から停車駅を変えていないことや福知山線脱 線事故があるだけに難しいのかもしれない。

地下へもぐり、17時12分 、終点JR難波2番のりばに到着した。

京都5番のりばへまわり、普通電車(高槻―明石間は快速)姫路行き(1号車クハ221-69:弱冷車。大阪から女性運転士乗務)に乗り換え。221系なのはラッキーで、22時56分に発車する。

大阪到着前には保線作業員が白いライトを点灯させて、 保線工事。大阪の改良工事が進んでいることを物語る光景だ。

大阪で 一気に乗り込み、ラッシュのような雰囲気に。尼崎ではJR東西線から福知山線に直通する快速新三田 行きに接続をとり、先に発車される。これは立花―甲子園口間の踏切で、クルマが立往生したため。安全確認のため、2分遅れて尼崎を発車した。

◆2007年4月8日(日曜日)

快速(明石から普通電車)姫路行きは三ノ宮に到着。下車して、一夜を明かす。

京橋駅に到着し、大阪環状線へ。103系体質改善車の各駅停車大阪・西九条方面行きが到着するものの 、乗らない。次の電車は各駅停車(大阪から大和路快速)奈良方面加茂行きだからであるが、大阪環状線のオレンジ電車は201系体質改善車に統一するものかと思いきや、103系も続投。JR西日本の103系は高運転台タイプが意外と少なく、低い運転台タイプは古くささを感じる。

反対側のホームには201系体質改善車の各駅停車鶴橋・天王寺方面行きが到着。こちらも撮影し、オレンジ201系の本家、JR東日本と“共演”させてみよう(画像上段はJR東日本、画像下段はJR西日本)。



11時55分発の各駅停車(大阪から大和路快速)奈良方面加茂行き(1号車クハ221-62:弱冷車)に乗り、大阪1番のりばに着いた。種別幕は「普通」から「大和路快速」に変えて、快走する。

◆2007年9月3日(月曜日)

大垣2番線へまわり、普通電車(高槻―明石間は快速)神戸方面加古川行き(6号車クモハ221-50)に乗り換え。学生の夏休みシーズンが終わったからかどうかはわからないが、ゆうゆう坐れた。ちなみに大垣―米原間の下りは立ちんぼが多く、上りは1度だけ坐れなかったことがあるものの、それ以外は坐っ ている(221系に関しては、大阪から乗っているため、上り着席率100パーセント)。



私が2番線に到着した時は全車空席だらけ で、1号車でも差しさわりはないものの、あえて6号車にした。これにはある理由がある。

683系2000番代の〈ホームライナー大垣2号〉名古屋行きにワンテンポ遅れ、普通電車(高槻―明石間は快速)神戸方面加古川行きは発車。久 しぶりにアーバンネットワークのエース、221系で朝食をとる。

221系で朝食をとるのは 新快速姫路行き以来だが、1998年か2000年のどちらなのかは忘れた。ちなみに汽車旅の朝食は某社の “バランス栄養食”と“午前のミルクティー”である。

近江長岡で通勤・通学客が乗り込 み、相席になったサラリーマンが目視する日本経済新聞を見ると、安倍改造内閣が発足して、まだ1週間しかたっていないのに早くも農林水産大臣が辞任。安倍内閣は農林水産大臣がウィークポイントの ようである。

7時34分、米原に到着した。

◆2007年9月7日(金曜日)



東海道本線8番のりばから20時38分発、221系の快速(高槻から普通電車)京都方面野 洲行き(6号車サハ221-55)へ。この日、唯一のJR利用で、次の新大阪で下車した。

◆2007年9月8日(土曜日)

天王寺でJR西日本大阪環状線に乗り換え。12番のりばへ向かうと、高架の阪和線では紀勢本線、広島色、湘南色という“3色電車”がホームに滑り込んだ。朝晩の阪和線は“混色国鉄近郊形電車”がレー ルファンの注目を集めているようだ。体質改善車も入ることがあるので、面白いことは確かだろうが 、快速だと221系を最優先に関空快速&紀州路快速は“妥協”といったところ(りんくうタウン、関西空港は関空快速でないと行けないので、妥協どころではない)。



12番のりばから10時21分に発車する各駅停車(大阪から大和路快速)奈良方面加茂行き(1号車クハ221-34:弱冷車)へ。

車番記入してから、誰も坐っていない転換クロスシートの向きを変えるが、自分から向きを 変える者、向きが変えられるのにガマンして逆向きに坐る人など様々。ちなみに私は1号車の転換クロ スシートの向きをすべて変えたが、清掃のオバサンはゴミ集めに専念しており、早くしないとお客が 続々と乗ってくるのだから、仕方ない。また、車掌によっては折り返し時間に転換クロスシートの向きを変えて、“お客様を気持ちよく迎える”姿勢の人もいる。

先ほどの御堂筋線10系では吊り革広告について述べたが、221系にはない。インテリアがいいだけにやって欲しくないが、多くの鉄道に“吊り革広告”というのはない。

大阪1番のりばに到着し、ここから大和路快速奈良方面加茂行きへ。



西九条ではド派手な夢塗装車、桜島線の各駅停車ユニバーサルシティ方面桜島行きに遭遇。また、乗務員は乗務員室に便乗していた1人、車内から1人がここで降りた。



弁天町を発車すると、アップルパイの化石みたいな印象を持つ、京セラドーム大阪を横切る。最寄り駅は通過となる大正。京セラドーム大阪もより駅は大正のほか、大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線ドーム前千代崎、中央線の九条もそうだし、2009年開業予定の阪神電気鉄道阪神なんば線にもドーム 前という駅ができるので、アクセスは充実する。また、西九条―奈良間は阪神なんば線と近畿日本鉄道と競合することになるが、双方とも転換クロスシートの車両は投入しない予定なので、居住性がいい221系に軍配があがるのではないだろうか。三宮―尼崎間であれば、東海道本線からの転移は可能で あるように思える。

新今宮から関西本線に入り、天王寺16番のりばに到着し、1周。意外と利用客は少なく、10時57分に発車。阪和線へのアプローチ線を単線から複線にする工事が完成に近づいている。すでにあるアプローチ線は大阪方面専用となり、増設したものは阪和線に突入するものと思われる。

東部市場前を通過。大阪市東住吉区にある駅で、進行方向左側はコンテナ が点在する。ちなみに開業日は平成元年(1989年)11月11日(土曜日)で、パチンコで言うところの “フィーバー”である。

俊敏に走ると、突如、高架が姿を現し、関西本線に合流。2008年3月開業する予定のおおさか東線である(久宝寺―放出間の暫定開業)。使用車両は片町線207系か関西本線の103系・201系のどちらかになるのかが注目されるが、すでに試運転が行なわれており、どうやら前者になる模様。放出―新大阪間が全通すれば近郊形電車が走り、快速の運行も考えられる。

久宝寺で201系体質改善車の各駅停車奈良行きに接続。国鉄時代に244両投入された201系は321系の入団により、大阪環状線にコンバート。当初は関西本線に投入する意向はな かったのだが、大阪環状線は8両編成のため、組み替えると余剰車が発生することを恐れたのだろうか 、予定変更で投入した。中間車の先頭車化改造も行なわない方針のようである。



奈良県に入ると、日差しがキツークなり、11時29分、奈良4番のりばに到着した。5番のりばには221系6両編成が到着し、種別幕が「新快速」という表示に心が躍るものの、それはほんの一瞬で、快速〈みやこ路快速〉京都行き(1号車クハ221-24:弱冷車)だった。 どうやら奈良で種別幕は回送に変わるようで、確信は持てないが、“221系新快速”が撮れる可能性がある。



11時39分に発車するが、初めて6両編成の快速〈みやこ路快速〉に乗る(通常は4両編 成)。普段から6両編成で走ればいいような気がするが、大和路快速と快速〈みやこ路快速〉を合体した“けいなはん快速”にしたほうがいいだろう。木津―加茂間は気動車を引っ張ってくるか、関西本線に207系が転入すれば、7両編成のうち、4両車はJR難波―京都間、3両車は2つつなげてJR難波―加茂間の運用をすればいいだろう。

余談だが、この日、関西本線加茂―亀山間は線路保守点検作業のため、日中時間帯は運休。しかも、代行バスも用意しないという不親切のありさまだ。JR西日本は2001年3月からツキイチの割合で実施しているが、6年たっても代行輸送を整備しないとはあきれるばかりだ。ローカル線の客離れが進むだろうが。



木津から奈良線へ入り 、単線に。棚倉では快速〈みやこ路快速〉奈良行きと行き違うため、運転停車。単線の悲しい性で、 奈良線全線複線化のメドはたっていない。

玉水で各駅停車奈良行きと待ち合わせ、新田 (Shinden)から複線となり、快走するものの、宇治から再び単線になると、通過駅は減速を余儀なく される。木津―新田間は1線スルー化されている駅が多かったのに対し、こちらはそのまま。将来、複 線化になることを視野に入れて、あえて1線スルー化していないのであろう。

JR藤森 (JR-Fujinomori)から再び複線へ。ほどなくして、京阪電気鉄道京阪本線と合流し、東福寺へ。京都 の中心部は京阪本線が便利で、JR線をくぐると地下にもぐる。

京阪本線と別れ、東海道新幹線(JR東海)、東海道本線に合流すると、12時26分、終点京都10番のりばに到着した。



昼食後、東海道本線2番のりばから12時50分発、普通電車野洲行き(6号車クモハ221- 24)に乗り換え。発車すると、快速〈みやこ路快速〉奈良行きと並走する。



草津で草津線の普通電車柘植行きを見る。113系7000番代体質改善車だが、転換クロスシートがピンクになっていた。どうやら、本来の体質改善車カラーに塗り替えた元小浜線用らしい。2005年4月25日(月曜日)に発生した福知山線の脱線事故以来、保安装置の都合上、117系300番代が運用できなくなり、小浜線用の113系7000番代体質改善車を充当させていたが、湖西線永原―近江塩津間及び、北陸本線長浜―敦賀間の直流電化転向にともない、アーバンネットワークに正式転入となったようだ。

13時22分、終点野洲2番のりばに到着した。近年、221系は野洲―米原・長浜間の運用が減少している。


JR東日本の空港快速乗り比べ-後編- [汽車旅2007番外編]

最初に2008年1月3日(木曜日)の観客動員数は、Season4では初めてとなる4ケタ、1114人をマークしました。ありがとうございます。

皆様にはお伝えしておりませんでしたが、2007年12月30日(日曜日)から2008年1月3日(木曜日)までは“年末年始の強化週間”でした。正月3が日の“ロケットダッシュ”はいかがでしたでしょうか?

それでは「JR東日本の空港快速乗り比べ-後編-」を御覧下さい。



オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。




成田空港1番線には特急〈成田エクスプレス32号〉池袋・大船行きが16時43分の発車を待っているが、7~12号車は大船行きになっているものの、方向幕は「横浜・大船」となっており、わかりにくい。初めて乗る人にとっては横浜行きなのか、大船行きなのかチンプンカンプンになりそうだ。ここは「横浜方面大船」にするか、「大船」だけにすればいい。



ホームの案内板で目につくのは「東京・新宿・横浜方面」の下に「新幹線接続」と表示していることだ。成田空港から発車する定期便は8時38分発の各駅停車千葉行きを除き、すべて東京へ向かうことになっている(但し、22時16分発の快速東京行きは新幹線に接続しない)。もともと、このスペースは成田新幹線が通ることを前提に作られ、成田空港への支線へ分岐する地点には、永遠に使われることのない高架も存在する。

成田新幹線は計画されていた路線であるが、騒音や採算に疑問の声が多かったため、用地を確保することがほとんどできず、反対派に押し切られたカタチで工事は凍結された。

成田空港は「新東京国際空港」として、昭和53年(1978年)5月20日(土曜日)にスタート。本来は昭和48年(1973年)にスタートさせる方針でいたが、反対派が多く、鉄塔を建てて、新空港の完成を阻止するほど壮絶だったという。

昭和52年(1977年)に鉄塔が撤去され、完成に向けて大きく前進するものの、スタート目前の昭和53年(1978年)3月26日(日曜日)、過激派ゲリラが管制塔内の機器を破壊したため、延期(3月30日にスタートする予定だった)。更に昭和53年(1978年)5月5日(金曜日・こどもの日)には京成電鉄の〈スカイライナー〉の初代車両、AE形の中間車1両が放火の被害にあい、使用不能となり、代替車を新製せざるを得なかった。

昭和53年(1978年)5月21日(日曜日)、京成電鉄は成田空港駅が開業。当時、現在の位置とは異なっており、下車してもバスか徒歩で移動しなければならなかった。これは成田新幹線の構想をまだ断念していなかったためである。

やがて、成田新幹線は断念され、用地はそのままにされていたが、当時、運輸大臣を務めていた石原慎太郎東京都知事が“ゲキ”を飛ばし、一気に前進。自分の一声で日本を変え、平成3年(1991年)3月19日(土曜日)にようやく在来線というカタチで、京成電鉄は移転、JR東日本は新規参入で開業した。ちなみに京成電鉄の初代成田空港駅は東成田線東成田駅に改称している。

2004年4月1日(木曜日)、成田国際空港に改称したが、滑走路はまだすべて完成したわけではない。滑走路がすべて早期に完成する可能性が低いと個人的には思うが、海上に設けた関西国際空港、中部国際空港は成田国際空港を“補完”する役割もあるのではないかと思う。これらの空港は“観光地”にもなるのだから。



さて、話を特急〈成田エクスプレス32号〉池袋・大船行きに戻すが、253系の指定席は2002年に登場した253系200番台以外、座席は向きが固定されている上、リクライニングせず、現代特急としてのグレードがないように思える(入団時はボックスシートだった)。かといって、乗車時間が短いので、グリーン車にポーンと乗ろうというほどの気力がない。居住性は京成電鉄の〈スカイライナー〉のほうが上だろう。特急〈成田エクスプレス〉は広大なネットワークでカバーしていると言っていい。



253系は平成3年(1991年)に入団しており、デザインは15年以上たった今でも古さは感じないものの、フェイスはJR西日本321系に似ている。321系は2005年に入団しているので、“パクリ”という印象を受けるが、国鉄通勤形電車の定義ならば、「109系」か「305系」にしているだろう。321系が通勤形電車であることに違和感がある。ちなみにJR東日本E231系シリーズ、E233系シリーズは「一般形電車」と案内している。



2番線に快速(東京から普通電車)久里浜行き(9号車モハE217-8:セミクロスシート)が入線すると、特急〈成田エクスプレス32号〉池袋・大船行きが発車した。

快速(東京から普通電車)久里浜行きの入線と同時に10号車のボックスシートを確保。カバンを置いて、車番チェック。日常生活及び関東の記事ではそういうことをしないことが多いのだが、ブログに掲載することを決めている以上はやっておいたほうがいいだろうと、ここ1年、“心境の変化”がある。

15両は果てしなく長かったが、10号車に戻ると、俺が確保したボックスシート(といっても1人分)は別人(女性2人組)が坐り、カバンがない!! まさか、人生初の置き引きにあったのかと思い、一気にあぶら汗。車内をくまなく見るも、見当たらない。

車内を出ると、60代だろうか、清掃員の男性が私に近づく。カバンのことを話すと、預かったとのこと。ハッ、どういうこと?

「エーッ!! なんで、そんなことをするの!!」

と発車時刻がせまっていることもあり、声が裏返る。“余計なことをしやがって”と思いたくなるものの、まぁー、無事でよかった。

始発駅はカバンを置いて、席を確保し、売店や自販機へ行くのは日常茶飯事的な光景だが、成田空港は物騒なところ(下車すると荷物検査と身分証明の提示が求められる)。清掃員の行為は賢明といえるのである。激昂することはなかったが、同じ関東で「首都圏」と言ってもいいようなところでも“温度差”があることを感じた。

無事にカバンを受け取り、やむなく8号車のボックスシートへ。さいわい、前向きが空席になっているところがあったので、先に坐っている熟年女性客に会釈をして、坐り、17時00分に発車する。ちなみに快速と各駅停車は車内の整備、点検はするものの、すぐに乗れる(特急〈成田エクスプレス〉はそれが終わらないと乗れない)。また、成田空港行きは快速〈エアポート成田〉として、運行する。

快速(東京から普通電車)久里浜行き編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
東京増1クハE216-1004ロングシート。逗子止まり
 増2モハE216-2008ロングシート。逗子止まり
 増3モハE217-2008ロングシート。逗子止まり
 増4クハE217-2004ロングシート。逗子止まり
 1クハE216-2033ロングシート
 2モハE216-2015ロングシート
 3モハE217-2015ロングシート
 4サロE216-82階建てグリーン車
 5サロE217-82階建てグリーン車
 6サハE217-2016ロングシート
 7サハE217-2015ロングシート
 8モハE216-1008ロングシート。弱冷房車
 9モハE217-8セミクロスシート
 10モハE216-8セミクロスシート
成田空港11クハE217-8セミクロスシート

空港第2ビルを出ると、地上へあがり、自動による英語での停車駅案内を流す。E217系唯一の自動放送である。

すっかり暗くなり、成田に到着。113系1000番台の各駅停車佐原行きとE231系通勤形タイプの各駅停車我孫子行きに接続。各駅停車佐原行きは接続時間が短く、後方の車両に乗っているほうが便利である(15両編成のため、前寄りの車両では乗り換えられない恐れがある)。また、総武本線、成田線、外房線、内房線といった“房総四天王”にオールロングシートの211系3000番台が移籍してきたため、汽車旅の魅力が半減する可能性がある。

さて、乗車しているE217系だが、乗車している編成は初期の頃に作られているが、座席の肌触りが変わった印象を受ける。また、先頭車の列車番号表示もデジタル数字からLEDに変わった。

車体側面の方向幕は方向LEDに変わっていた。すれ違うE217系も方向幕の車両が少なくなっているような気がする。253系も方向LEDにチェンジした車両も増えてきているようだ。



E217系は平成6年(1994年)に入団。近郊形電車では初めて、4ドアの車両となり、ロングシート主体という、当時のJR東日本の姿勢が表れている。ラッシュの混雑を緩和するためには車内空間を確保するため、ロングシートを選択させざるを得なかったようだ。のちに東北地方に701系が入団し、この車両が量産されているあいだは“ロングシート政策”が活発だった。



基本編成11両、付属編成4両と113系1000番台を継承し、“209系の近郊形版”という印象を持つE217系だが、グリーン車はすべて2階建てとして、座席数を増やし、113系1000番台を置き換えてゆく。一部は東海道本線や編成短縮をして、“房総四天王”に移籍していった。



E217系は横須賀線と総武本線の直通用にしか投入されず、他線で増備されることはなく、その後はE231系近郊形タイプに継承。東海道本線に投入された頃からセミクロスシートの車両を増やすなど、若干の見直しが行なわれ、E531系に継承された。

なお、E217系は平成8年(1996年)、1編成が東海道本線にコンバートされ、編成を4+11から10+5に組成変更したが、当初、投入計画のなかったE233系近郊形タイプが登場したため、元の“職場”に戻る予定となっている。

佐倉から総武本線に入り、四街道で113系1000番台の各駅停車千葉行きに接続。快速(東京から普通電車)久里浜行きは成田空港-千葉間、東千葉以外は各駅に停まるため、四街道での接続は異例と言える。佐倉で待ち合わせてもよかったようにも思えるが…

都賀を発車すると、千葉まで停まらない。ようやく、快速の本領発揮となるわけで、クルマのライトが夜空に輝く京葉道路をまたいでゆく。交通量は多い。

17時42分、千葉7番線に到着。思ったほど、お客に変動はなかったものの、この日は京葉線、内房線、外房線が強風のため、遅れており、6分遅れの17時52分に発車。車掌は「上り特急電車の遅れ」と説明していたが、進行方向左側からE257系500番台が姿を現す。考えられるのは本来、蘇我から京葉線に入る特急〈さざなみ18号〉東京行き、臨時特急〈新宿さざなみ〉or〈新宿わかしお〉(いずれも新宿行き)のどちらかのようである。ちなみに京葉線沿線には千葉マリンスタジアムがあり、プロ野球の千葉ロッテマリーンズの本拠地だが、過去に強風で試合が中止になったことが何度もある。

そのあと、E231系通勤形タイプの各駅停車中野行きも相次いでロケットダッシュ。快速(東京から普通電車)久里浜行きは“牛歩運転”で待たされることになった。千葉駅は佐倉方面と蘇我方面にホームが分かれる構造になっているためである。

ようやく、複々線に入ることができると、大爆走!! E217系は120㎞/h運転ができるので、思いっきり駆け抜けてゆく。遅れを取り戻すのに必死だ。

市川で特急〈成田エクスプレス34号〉大宮行きに抜かれる。いくら120㎞/hで頑張っても、あちらは130㎞/hである。

遅れは2分に回復し、新小岩を発車。新小岩といえば、昔、『タモリのSuperボキャブラ天国』のネタになったところだ。

怒涛の回復運転は錦糸町で終わり、両国付近で複々線が終わり、支線と分かれ、地下へもぐり、馬喰町(Bakurocho)へ。以前、“国鉄でもっとも深い駅”で有名だった。



地下駅は暗さがただよい、2分遅れの18時27分、東京総武地下1番線に到着した。東京の発車時刻は18時41分となるため、ここから先はダイヤ通りの運行となる。また、東京総武地下ホーム全体にはE257系500番台の姿はなかった。



その直後、255系の特急〈しおさい14号〉が総武地下2番線に到着し、折り返し、18時45分発、特急〈しおさい11号〉銚子行きとなる。

255系を東京総武地下ホームで見るのは初めてだが、方向幕は方向LEDに変わっていた。


★備考

①フリー百科事典『Wikipedia「成田新幹線」』はこちらにクリック!!

②フリー百科事典『Wikipedia「成田国際空港」』はこちらにクリック!!

 

③フリー百科事典『Wikipedia「京成AE形電車」』はこちらにクリック!!

④フリー百科事典『Wikipedia「東成田駅」』はこちらにクリック!!

⑤総武本線は本線が東京-銚子間、支線は秋葉原-錦糸町間である。

⑥横須賀線は大船-久里浜間のことである。また、東京-西大井-大船間は東海道本線(品川-西大井-横浜間は支線)であるものの、国鉄時代より、東京-西大井-久里浜間は「横須賀線」と案内している。

⑦岸田法眼のRailway Blog.「JR東日本の空港快速乗り比べ-前編-」は
こちらにクリック!!

⑧岸田法眼のRailway Blog.「羽田空港と成田空港」はこちらにクリック!!

⑨岸田法眼のRailway Blog.「2005年の汽車旅2-前編-」はこちらにクリック!!

⑩岸田法眼のRailway Blog.「2005年の汽車旅2-後編-」はこちらにクリック!!

⑪岸田法眼のRailway Blog.「2006年の汽車旅1-最終回」はこちらにクリック!!

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四字熟語、「1日1鉄」-後編- [汽車旅2007番外編]

2007年12月15日(土曜日)、新宿センタービルの中地下1階にあるペンタックススクエアへ。そこの中にあるペンタックスフォーラムでは2007年12月5日(水曜日)から12月17日(月曜日)まで、レイルマンフォトオフィス、中井精也カメラマンが個展を開いている。今回はJR東日本E233系の特別快速(青梅特快)青梅行きで新宿に乗り込んだ。1年前、中央線は201系の天下だったのに急速にE233系の投入が進んでいる。あまりの目まぐるしい展開に「1年前」が“遠い昔”のように思えてしまう。

21世紀になってから初めて、都庁への地下歩道を歩く。この日、動く歩道は休業になっていたが、久々に歩くと都庁までの道のりはずいぶん近いのだなと思う。

ペンタックススクエアへレンガ仕立ての階段を登ろうとすると、頭上ではどこかで見たことのある顔に遭遇。もちろん、ナマで見るのは初めてだが、すぐに思い出す。レイルマンフォトオフィスの山崎友也カメラマン(Mr Yuya Yamasaki)だ。一時期、学習研究社のムックに『鉄道ナビ』というのがあり、山崎カメラマンはメインパーソナリティー的な役割となっていたので、顔に見覚えがあるのだ。ごあいさつはしていないものの、プロのカメラマンにナマで見られるのは光栄なことである。私も“光栄な存在”になれるよう、もっと邁進しないと。

今回は中井カメラマンの個展の目玉といえるトークショーが開催され、ペンタックススクエア内にあるフォーカルセミナールームで行なわれるのだ。但し、これは先着50人による予約制である。

私は早いうちからではないけど、締め切り10人ほどという中井カメラマンのホームページの情報で、すぐさま申し込んだところ、セーフ。当日、1000円を払うことになる。

ペンタックススクエア内にあるフォーカルセミナールームはすぐにわかったが、受付がどこだかわからず、とりあえず中に入る。テーブルがいくつかあり、個室仕立てのパソコンルームもあったが、左側に受付があり、奥にはトークショーの会場がある。

受付では50名様のお名前はすべてカタカナ。自己申告するだけでよく、身分証明書を提示しなくてもいい、“昔ながらのスタイル”である。地下鉄サリン事件以降、身分証明書の提示、手荷物検査など厳戒態勢となり、今では当たり前のようになっているため、久しぶりに気楽な思いをした。そして、1000円払ったあとには参加記念品として、「Rail Healing!」のポストカード3枚をプレゼントされる。



会場内は蒸し暑く、前方はパイプ椅子、中ほどから後方にかけては白木の椅子なので、後者を選ぶ。ちなみに『1日1鉄! 鉄道写真家・中井精也ブログ「12月15日(土曜日)」』によると、定員50人のところ、64人が参加したという。パイプ椅子が用意されるのは納得。 

ペンタックスの社員は2時間の長丁場になることから、事前のトイレを案内。冬場は水分摂取量が少ないが、念のため、私もトイレへ向かうものの、ペンタックススクエアの外にある。そして、すんだら中井カメラマンとすれ違った。

さぁー、時刻は14時30分となった。いよいよ、トークショーの開始である。

「僕の写真は全然OKなんで、ブログに載せていただけると」

と中井カメラマンはおかまいなし。芸能人イベントの場合、肖像権を重視するため、撮影を禁止しているところが多いが、中井カメラマンは気さくな方である(私は気むずかしいほうだが…)。

中井カメラマンのごあいさつから始まり、サイトの人気コーナー、『1日1鉄!』の撮影秘話をスライドで紹介するものの、オープニングでは“オチ”があり、会場は大爆笑になる。

「ここからはマジメにやります」

と中井カメラマン。自身のホームページの掲示板返信コメントの文面を御覧になるとおわかりになると思うが、ひょうきんなカメラマンである。私はこういう性格の人がうらやましい。「マジメ」としか言われない私だから、“フマジメな人間の肩の力を抜いた生き方ができればな…”と思うものの、なれそうもない(時々、ボケて、ウケを狙うことがある)。

さて、『1日1鉄!』の撮影秘話だが、実は1発勝負ではなく、何度も撮り直して、納得のいく1枚にならない限り、掲載しないという。これは意外だったが、プロ野球選手は全打席ヒット(打率10割)が打てないように、プロのカメラマンもすべてTake1で決まるとは限らないのだ。

いくつか例をあげると、2004年6月21日(月曜日)に撮影した東京都交通局都電荒川線。バイクで移動したそうだが、4回目でようやく採用できる画像ができた。4回とも違ったアングルから撮影しており、徐々に慣らしていく。これはブルペンで登板を待つリリーフ投手みたいなものかもしれない。

2007年8月12日(日曜日)に撮影した茨城交通湊線は1回目、水田が目立って、列車の存在感がないことで不採用。2回目はシロートの記録写真っぽくなってしまい不採用。3・4回目は列車がないが、後者は空を入れておらず、その結果、5回目で会心のショットとなったのである。

2007年3月14日(水曜日)に撮影した第3セクター、いすみ鉄道いすみ線の小学校前踏切では1回目、道路の白線が入り、不採用。2回目は完成度が低く、7回目でようやく採用。趣味の一環でやっている名物企画とはいえ、妥協は許さないのである。プロである以上、魅せる商売であるだけに中途半端な気持ちにはなれないのであろう。

この画像に車両は写っていないものの、中井カメラマンによると、“鉄道を感じる1枚”だという。鉄道は車両だけではない。多くの裏方さんの手によって、支えられ、営業ができるのだ。

2005年2月15日(火曜日)に撮影した御茶ノ水近辺では最初、東京地下鉄丸ノ内線を撮っていたが、ヨーロッパ調の聖橋(Hijiri Brige)に目をつけ、3回目の撮影ではJR東日本201系がひょっこりと写っているものの、4回目、パリジェンヌふうのうしろ姿をさりげなく撮り、採用にこぎつけた。ちなみにパリジェンヌは女性、パリジャンは男性をさす。ダルジャンは店だけどね(くわしくは検索サイトで「ダルジャン」と入力して下さい)。

2005年5月31日(火曜日)に撮影した、ゆりかもめ(路線名は「ゆりかもめ臨海線」)は1回目、石像のみ。2回目、ホワイトバランスによって、ピンク色のフィルターを作る。3回目は柱だけを写し、4回目で採用にこぎつける。

西武鉄道のカレンダーで使われた特急の写真は花との組み合わせで、“東京近郊には自然の豊かな場所があるんだな”と思わせるが、実際は駐車場に植えられていた少数の花をあたり一面、たくさんあるかのように魅せているのだ。

「いつもペンタックスのカメラを持って」

と中井カメラマンはゴマをすり、会場を大爆笑にさせるが、2~3年前まではポジフイルムで撮影していたという。今やフイルムカメラは時代遅れの産物と化しているが、一部の雑誌では印刷技術の都合により、銀塩にこだわるところもある。

2007年2月4日(日曜日)に撮影した第3セクター、真岡鐵道真岡線のSLのシェルエットがあり、ここでのポイントは車輪をキッチリ写すということで、デジタル一眼レフカメラは“ホワイトバランスが命”と力説。フイルムの一眼レフカメラを持っていた頃は細かいことまで、マスターすることはなかったが、記録ではなく、芸術作品にするにはカメラを使いこなすことが1番大事なようである。

2005年7月23日(土曜日)に撮影した有楽町の交差点で、JR東海300系が写っている画像だが、納得のいくショットになるまで、1時間もかかったという。一眼レフカメラの“流し撮り”というスピード感あふれる仕上がりになるため、それにこだわったのだ。

「いっぱい作り過ぎたなぁー」

とスライドを作り過ぎたようで、すべてお伝えできない可能性がでてきた。時刻は15時25分だ。

そして、スライドは奥さんや2人のお子さんも登場。広角レンズを使い、子供を指でつまむシーンがあるが、これも4回かかったという。きわめつけはパネルで展示されていないが、①はしで子供をつまむ。②子供がミニカーに乗る。③子供がマヨネーズの上に乗る。④子供がプラレールの乗客となるなど、合成技術を使わない“錯覚撮影”に観客は大爆笑。カメラには無限の力を秘めていることを実感させる。

撮影秘話のあとは中井カメラマンのオススメ路線で、1つ目はJR北海道釧網本線。鶴や鹿が線路上にいるシーンはみもの。列車がなくても鉄道を感じる光景である。

私も釧網本線に乗ったが、これから釧路湿原になろうという時、進行方向右側に廃車になったクルマの山には絶句した(備考⑨参照)。

2つ目は小湊鉄道(路線名は小湊鉄道線)。春と秋がオススメのようで、昔からテレビ番組のロケで使われている。小湊鉄道は知らなくても、車両を見たら、ピンとくる視聴者も多いと思う。

テレビ番組だと20世紀は『タモリのSuperボキャブラ天国』で、「まもなく1番線に芸者がまいります」というネタが大ウケ。最近は舘ひろし主演、『パパとムスメの7日間』で使われた。

2007年11月11日(日曜日)、上総大久保(Kazusa-Ohkubo)で駅舎の内側の壁にある『となりのトトロ』のイラストに子供が2人たっている。これは中井カメラマンのお子さんだが、長男はさつき役に扮して撮影。これで“「さつきとメイ」という名の姉妹”が成立したわけである。虫眼鏡で見ても、男の子であることはわからないだろうと思う。もし、東京都交通局都営三田線大手町(I-09)のスタジオジブリ壁画でやっていたら、本人が何度も口にされた「110番」になってしまうかも(休日は人通りが少なく、現在は撤去)。



オススメ路線が終わり、次は撮影。ペンタックスのデジタル一眼レフカメラ2台を参加者2名が使えることになっており、挙手の先着順により、男性が使うことになった。三脚に乗せているデジタル一眼レフカメラはかなり高価なもので、照明を再び暗くすると、スクリーンに真岡鐵道のSLが登場。これを撮るのである。ちなみにカメラを持っている方なら誰でもできるため、客席から走るSLを撮る。

 
 


  

次にC57 180牽引のSLを撮影。おそらく、臨時快速〈SLばんえつ物語号〉だと思うが、風景写真を撮るのだ。ちなみに2つとも男性がなぜか乱入するオチがあった(1つは即興)。



このあとは中井カメラマンが監督を務めたスライド映画、『浪漫鉄道』の上映。見やすいよう、椅子を動かす。

スライド映画、『浪漫鉄道』はJASRACの許可の関係で、この日しか上映されない貴重な作品。中井カメラマン、山崎カメラマン、久保田敦カメラマンが撮影した画像に音楽とナレーションを入れたもので、全知全能で制作。鉄道への熱い想いを感じる1作である。

大爆笑とスライド映画、『浪漫鉄道』の感動で、予定時刻を7分オーバーの16時37分にゲームセット。



「今日はどうもありがとうございました。とても楽しかったです」

ペンタックスフォーラムで中井カメラマンにお礼を申し上げたあと、撮影に快く応じて下さり、ペンタックスフォーラムをあとにした。



私は御茶ノ水へ移動し、撮影。すでに日が暮れているのだが、神田川の水面(Minamo)に映る東京行きのE233系が“銀河鉄道”を感じさせた。これは動画にしたほうがわかりやすいだろう。

 
  


そして、聖橋ではない橋で中央線での活躍にピリオドが打たれようとしている201系の姿を見る。103系が首都圏から消えて1年半を過ぎたが、まさかこんなに早く201系が廃車されるとは想像もしていなかった(画像はブレておりますが、“涙で瞳が濡れてくもった”という、言いワケに使えます)。

もう1度、特別快速で201系に乗ってみたいものである。

★備考

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③1日1鉄! 鉄道写真家・中井精也ブログ「12月15日(土曜日)」はこちらにクリック!!

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⑦UZ's View「My Winter Tokyo Trip(3)久々の六本木ヒルズ【12/12】」はこちらにクリック!!  
  
⑧岸田法眼のRailway Blog.「四字熟語、『1日1鉄』-前編-」はこちらにクリック!!

⑨岸田法眼のRailway Blog.「2002年の汽車旅9-5」はこちらにクリック!!

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※2007年12月17日(月曜日)で千秋楽です。開催時間が短くなっておりますので、お出かけの際は御注意下さい。

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⑤2007年12月17日(月曜日)、10時から15時までの予定で、定期メンテナンスを行なうため、動画を御覧になることができません。御了承下さい。

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舞浜リゾートライン2007 [汽車旅2007番外編]

2001年7月28日(土曜日)、舞浜リゾートラインが開業。路線名はディズニーリゾートライン線で、一方通行の周回モノレールとして話題となった。



私は“開幕戦”へ行き、起点のリゾートゲートウェイ・ステーションから乗って、ベイサイド・ステーションで一旦下車。東京ベイヒルトンホテルでコーヒー1杯800円を飲んでくつろぎ、リゾートゲートウェイ・ステーションに戻り、全線完乗を達成。21世紀元年にふさわしく、遊び心あふれる鉄道である。



リゾートゲートウェイ・ステーションはJR東日本京葉線舞浜に近く、イクスピアリ内にある。イクスピアリは東京ディズニーリゾートの1つで、ショッピングを中心に食事処、映画館もあるなど、東京ディズニーランドや東京ディズニーシーと違い、気軽に行ける。

それから6年たった2007年12月8日(土曜日)、リゾートゲートウェイ・ステーションへ。朝は混雑していたが、昼になると落ち着いてきた。

ディズニーリゾートライン線は開業当初、初乗り運賃は大人200円だったが、意外にも経営がよくなく、2007年4月1日(土曜日)、値上げを実施して、250円となった(子供130円)。また、沖縄都市モノレールのように何日間も乗り放題の乗車券があり、1日フリーきっぷは650円(子供330円)、2日フリーきっぷは800円(子供400円)、3日フリーきっぷは1100円(子供550円)、4日フリーきっぷは1400円(子供700円)となっている。ちなみに沿線の住宅地は東京ディズニーシー・ステーション-リゾートゲートウェイ・ステーション間ぐらいだが、定期券も取り扱っているという。

自動改札はパスネットには対応しても、PASMOやSuicaは使えない。今後はPASMOやSuicaに対応する予定になっていることだが、いつになるのかは未定。

ここから乗らず、次の東京ディズニーランド・ステーションへ歩こう。



東京ディズニーランドへは舞浜で下車して、右へ曲がれば10分もかからず、ディズニーリゾートライン線を利用する必要はない。



東京ディズニーランド・ステーションへ。単線なので、自動改札に入れば、そこはホーム。安全のため、ホームゲートを採用しており、駅構内は日本にいるような気がしない雰囲気で、『世界の車窓から』を見ているかのようだ。



きっぷを買い、ホームへ。目の前には2008年夏の開業を目指し、ホテルを建設中。かなり高級なホテルになりそうだが、マンションと間違えそう。



リゾートゲートウェイ・ステーション方面行き(①東京ディズニーランド・ステーション-ベイサイド・ステーション間は45。②ベイサイド・ステーション-リゾートゲートウェイ・ステーション間は41に乗車。逆ワンマン)のモノレールが到着。さぁー、みんなで乗ってみよう。



車内は遊び心あふれるもので、窓はミッキーマウスのカタチをしたものが多く、星屑のシートモケットを採用しているものの、優先席が小さなプレートになっているため、気づきにくそうだ。また、車端部にはディズニーグッズの展示をしている。



吊り革はミッキーマウスのカタチをしており、関東の車両では珍しい丸型。車内にはBGMが流れており、心地いいものの、ドアチャイムがJR東海313系シリーズと同一であることにブッたまげる。



座席は基本的にロングシートだが、家族連れやグループが気軽に会話できるよう、家のリビングにいるような感覚となっている。距離が短いので、会話をする時間はあまりないだろうが、通勤利用を前提としていないだけに“ゆとり”を持った車両といえるだろう。

車両形式名は不明であるが、JR東日本E653系のように車体腰部の色が異なるのも特長の1つで、ブルー、イエロー、パープル、グリーン、ピーチの5種類。どれに当たるのか楽しみの1つになりそうだ。



さて、東京ディズニーランド・ステーションを発車すると、広大な駐車場を縦断。東京湾が見えると、左へ曲がり、ベイサイド・ステーションへ。



ベイサイド・ステーションを発車すると、右へ、左へ、クネクネ曲がる。先頭車は“ロマンスカー”となっており、定員は8人。もちろん、早い者勝ちだ。



ディズニーリゾートライン線は運転士が乗務しておらず、車掌が乗っているという変則ワンマン。これは自動運転をしているからで、なおかつ、一方通行の環状路線であるため、変則的な運行ができるのだ。


車窓の進行方向左側は東京ディズニーシー、右側は東京湾。モノレールでは珍しく、地平をゆく。そのせいか、進行方向右側にある一般道路は歩道が東京湾寄りしかない。

リゾートゲートウェイ・ステーション方面行き編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
リゾートゲートウェイ・ステーションなし41①参照
 なし42なし
 なし43なし
 なし44なし
 なし45②参照
東京ディズニーランド・ステーションなし46なし
①はベイサイド・ステーション-リゾートゲートウェイ・ステーション間乗車
②は東京ディズニーランドステーション-ベイサイド・ステーション間乗車

左へカーブして、東京ディズニーシー・ステーションに到着。まず、進行方向左側のドアが最初に開き、下車客が降り、そのあと、進行方向右側のドアが開き、ここから乗るお客が入ってゆく。ちなみにこの方式はリゾートゲートウェイ・ステーションと同じである。

発車すると、右にカーブ。進行方向左側には車両基地から本線へ合流するレールがある。車両基地へ入るには最後部(下ひとケタが「6」の車両)から入らなければならないが、ここには乗務員室がある。



乗る前にディズニーリゾートライン線沿いを歩いたが、偶然にも車両基地へ“逆走”する貴重なシーンを見た。タイフォンも鳴らしたが、音色は大阪市交通局10系オリジナル車っぽい。

あっというまにリゾートゲートウェイ・ステーションに到着。もっと乗りたい、くつろぎたいと思うモノレールだ。1日フリーきっぷを買ったとしても、近辺に郵便局がないので、私にとっては役に立たないのかもしれない。でも、車両を貸し切ることができればリビングシートにテーブルを置いて、ワインとチーズ、親しい人たちと会話をして、心ゆくまで楽しみたい。



リゾートゲートウェイ・ステーションで下車する直前、京葉線の案内を見てビックリ!! イラストは主力の205系フェイスチェンジ車ではなく、201系だった。



その夜、イクスピアリでは巨大なクリスマスツリーが白色LEDで光輝いていた。

★備考

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⑥“トラバ返し”は御遠慮下さい。


四字熟語、「1日1鉄」-前編- [汽車旅2007番外編]

2007年12月9日(日曜日)、東京地下鉄(通称、「東京メトロ」)丸ノ内線大手町(M-18)へ。



大手町は東京の近くにあり、「新東京」や「副東京」と名乗っても差しさわりのないところだが、私は荻窪行き(1号車02 141)に乗り、西新宿(M-07)で下車。中央線(JR東日本東京-高尾間の路線愛称)の快速に乗ればいいものをわざわざ丸ノ内線にしたのは帝都高速度交通営団(通称、「営団地下鉄」)時代に全線完乗済みだが、東京メトロとしてクリアしたかったから。「クリア」と書いたのは、丸ノ内線は本線と支線があるため。

荻窪行き編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
西新宿102 141なし
 202 241なし
 302 341なし
 402 441なし
 502 541なし
大手町602 641なし

丸ノ内線本線エリアは銀座(M-16)-国会議事堂前(M-14)間が未乗車だったが、東京メトロの路線としてクリア。残るは支線だが、翌日に調べたところ、東京メトロとしての丸ノ内線本線部は2005年6月25日(土曜日)にクリアしていたと判明した。



新宿アイランドビルを経て、新宿センタービルに到着。ここの中地下1階にペンタックススクエアがある。中地下1階と言っても、360度見渡しても地上としか思えないところで、東京都庁が見える。

ペンタックススクエアにあるペンタックスフォーラムでは2007年12月5日(水曜日)から12月17日(月曜日)まで、レイルマンフォトオフィス、中井精也カメラマンが個展を開いている。ホームページ上では掲示板でお世話になっているが、いよいよナマでお目にかかるのである。

さて、ペンタックスフォーラムに入ると、力作の数々が並んでいる。エプソンの顔料プリンター、PX-5800で出力したもので、厳選したパネルが展示されている。ホームページで趣味の一環とはいえ、とてもシロートにはマネできないものばかり。また、プリンターで出力したパネルも美しい。

なお、撮影は御遠慮されているので、画像は玄関のみで御勘弁を(中井カメラマンとのツーショット撮影はOKのようだ)。

「ありがとうございます」

と中井カメラマンと目が合い、私は会釈する。これが私と中井カメラマンとの初対面で、嬉しそうな表情だ。子煩悩であることが感じられる。ちなみに私は「岸田法眼です」と言っておらず、果たして、これでよかったのかなと今も迷っている。

ペンタックスフォーラムでの個展は中井カメラマンが“館長”となり、来訪客と談笑。有名人とは面と向かって話すことがけっこぉー、オクテな私は緊張する(中井カメラマンは“太田総理”と会っているのだ!!)。“どこでどうしゃべればいいのだろう?”と考え込んでしまう。

その頃、中井カメラマンは50代の男性と談笑。男性は思い入れのある愛情が詰まったフイルム式の一眼レフカメラを見せる。近年、中井カメラマンはフイルム撮影をしていないという。今やデジタル一眼レフカメラが普及しているため、フイルムは映画だけになりそうだ(フイルムで撮影しない映画もあるそうだ)。

私は“館長席”にある上製の台紙と和紙を組み合わせた来客者名簿に記入(結婚式の来賓者名簿みたい)。この台帳は1日分なのか、トータルなのかはわからないけど、個人情報の観点からか、2ページ分が埋まると、クリップで留めて、次に移行している。

JR北海道富良野線のパネルに目がいく。中井カメラマンによると、ストロボを使用したとのことで、冬の夜空をひときわ輝かせる作品に仕上がっている。当然、被写体の列車は停車中である。

SLのカマの中のパネルも展示されているが、これは取材ではなく、乗務員の許可を得て撮影したという。2007年11月以降はブログへ移行したが、中井カメラマンのサイトの人気コーナー、『1日1鉄!』は「鉄道写真家たるもの、毎日電車の写真を撮るのぢゃ~!」をキャッチコピーとしたもの。仕事ではないため、ラクな気分で楽しんでいるそうで、夏には撮影ツアーを開催した。

これが個展へと発展したのだから、中井カメラマンは「芸術家」という肩書きがついたことになる。芸術家は個展を開かなければ、世間では認められないイメージがあるから。私の場合、直筆原稿がないので、まず個展を開催することは
できないが、とりあえず、世間で認められるライターとなり、仕事の依頼が絶えないような立場になることを目指す。

桜のパネルもいくつかあったが、中井カメラマンによると、時刻表やポスターに載せる春の写真は1年前に撮影するという。但し、1年後に掲載する条件は1年前と風景、光景、情景が変わらないこと。例えば、車両の塗装がチェンジされ、新しいものに変わると不採用になるわけで、苦労が水の泡になってしまう(ほかの季節も同様)。

東京だと中央本線飯田橋-市ヶ谷間は桜並木が多いが、2008年春の表紙やポスターに登場する車両は201系ではなく、E231系通勤形タイプかE233系でなければならないことになる。

鹿島鉄道もこの個展にあり、夕焼けと鉄道の姿は美しいが、映画、『そのときは彼によろしく』でロケをしたことは知らなかったという。『GTO』で北海道ちほく高原鉄道が登場したのは有名な話だが、『そのときは彼によろしく』の予告VTR等で鹿島鉄道が出てこなかったと思う。映画が公開されたときはすでにフォーエヴァーになっていたのだ。

私が印象に残ったパネルは下記の通り。

①2005年11月13日(日曜日)撮影のSL

②2004年11月21日(日曜日)撮影の鹿島鉄道

③2006年5月15日(月曜日)撮影のJR北海道日高本線

④2006年4月1日(土曜日)撮影の西武鉄道新宿線

⑤2007年1月14日(日曜日)撮影のJR東日本武蔵野線

中井カメラマンの個展は2007年12月17日(月曜日)まで(毎週火曜日は定休日)。皆様も行ってみませんか。



さて、時刻は15時30分を過ぎ、私は東京都交通局(都営地下鉄)都営大江戸線都庁前(E-28)へ。光が丘行き(8号車12-198:ワンマン運転)に乗る。都営12号線時代は全線完乗しているが、都営大江戸線に変わってからは都庁前(E-28)-光が丘(E-38)が未乗車なのだ。



乗務員室は運転士がボタン操作によるATO運転だが、運転台の中央にはモニターがあり、停まる駅が映り、目を光らしている。



車内はロングシートで、優先席が青、それ以外は赤となっている。優先席は吊り革の高さが異なっている。



松平健によると、赤は“情熱と愛情”、青は“優しさとやすらぎ”だそうで、みずから作詞した『マツケンサンバⅢ』で腰を振りながら、歌っている。



吊り革には広告があり、2タイプあるようだ。まさか東京にも吊り革広告があるとは思わなかった。



照明はドア側にはカバーがついており、ロングシートにはない。どちらか1つに統一したほうがよさそうだなと思ううちに終点光が丘(E-38)に到着。都営大江戸線全線完乗を達成した。


光が丘行き(ワンマン運転)編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
光が丘812-198なし
 712-197なし
 612-196なし
 512-195弱冷房車
 412-194なし
 312-193なし
 212-192なし
都庁前112-191なし

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東武ファンフェスタ2007(まだまだ1800系2007Ⅲ) [汽車旅2007番外編]

2007年11月25日(日曜日)、栗橋へ。ここはJR東日本東北本線と東武鉄道(次からは「東武」と略す)日光線の駅で、以前はダイレクトで乗り換えることができたが、今では東武側も自動改札を設けている。

10時30分過ぎ、100系スペーシアが到着。東北本線側のホームが撮りやすいのは重々承知で、そこで撮るレールファンもいるが、私は日光線のホームでカメラをかまえる(日光線ホームで撮るレールファンは東北本線ホームより少ない)。

この日、3年連続3回目となる東武ファンフェスタが行なわれ、毎年、記念の臨時電車を運行している。

1回目の2005年は浅草から200系、新栃木から300系、館林から1800系の臨時電車(すべて事前申し込み制)が南栗橋に向けて運行。2回目の2006年は北千住から1800系、柏から8000系の臨時電車(事前申し込み不要)が南栗橋に向けて運行されたが、3回目の2007年はJR東日本の品川からスペーシア(事前申し込み制)が発車するという、スケールの大きな企画をたてた。

本当は品川に行きたかったのだけど、諸般の都合により、栗橋で待つことにした。品川から新宿方面へ向かうのは特急〈成田エクスプレス〉ぐらいだから、なかなか味わえないと思う。もしかしたら、東京発の特急〈スペーシアきぬがわ〉が発車する構想があるのかもしれない。



品川を9時25分に発車した東武ファンフェスタの臨時電車がアプローチ線を渡り、日光線に入るが、方向幕は団体で、6号車の個室はからっぽ。東武社員の控室のような感じになっており、ある号車では記念品を配っていた。記念品はオリジナルグッズ、乗車記念証、100系スペーシア復刻版パンフレットだという。ちなみに今回の大役は100系第8編成が務めたが、電車は新栃木へ向かい、そこから南栗橋へ折り返し、11時40分に到着することになっている。

品川からの料金は3300円。どうやら団体割引が適用されているような感じのする料金で、品川-栗橋間のJR東日本は64キロ、運賃1110円、特急料金1410円(品川-大宮間は電車特定区間のため、最短経路で計算)。東武の栗橋-新栃木間は34キロ、運賃450円、特急料金500円。折り返しとなる新栃木-南栗橋間は37.5キロ、運賃・特急料金は共に500円で、合計すると4470円となる。

品川からだと、わざわざ東武ファンフェスタの臨時電車に乗るよりも京浜東北線に乗って、上野or日暮里で常磐線、北千住で東武伊勢崎線の急行南栗橋行きか区間快速に乗り換えたほうが圧倒的に早い。



東武ファンフェスタの臨時電車が新栃木へ向かうところを見届けると、あわただしく10時40分発の区間快速浅草行き(モハ6178)が到着。次の南栗橋で下車し、東武バスセントラルの無料シャトルバスへ。年に1回の東武ファンフェスタが浸透したのか、前年に比べてシャトルバスの台数を増やしたのかは定かではないが、徒歩で向かう人は激減した。

区間快速浅草行き編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
南栗橋なしモハ6154なし
 なしクハ6254なし
 なしモハ6178なし
 なしクハ6278なし
 なしモハ61201会津鉄道車
栗橋なしクハ62201会津鉄道車



バス入口のドアチャイムは東京地下鉄と音色は同じだが、東武バスセントラルは3つ続けて鳴らし、ドアが閉まった。



5分たたないうちに南栗橋車両管理区へ到着。まずは記念品として、ボールペン、キャンディー、50050系をモデルとした定期券入れをプレゼントされ、アンケート用紙とタイムスケジュールを配布される。



さて、まずは8000系修繕車が皆様にごあいさつ。準急東武日光・東武宇都宮行きというなつかしの種別幕と方向幕を提示。旧式の準急は区間急行に変わっているが、東武日光・東武宇都宮行きの合体編成による運行はなく、宇都宮線も特急〈しもつけ〉以外、ワンマン化された。



工場棟に入ると、限定マグカップを2種類販売していた(1個1000円)。1つ目は100系スペーシアが検査を受けている姿、2つ目は5050系第2編成の最後の試運転の様子だった。マグカップは大好評で、正午になると完売御礼となった。



隣りは金魚が泳ぐ水槽と3種類のペットボトルが置かれている。ペットボトルは左から汚泥(Odei)、工場排水、リサイクル水(RO処理水)である。この南栗橋車両管理区は汚泥を処理業者に無害化して、セメントの原料にする。また、リサイクルをした水は車両洗浄と部品洗浄に使われる。鉄道も地球環境保護に貢献しているのである。



また、使えなくなった車両のリサイクルも行なわれており、電車モーターと車両床下機器は分解溶解すると、電気銅と丸棒へ。バッテリーは破砕焼成(Hasai-Shosei)すると、ステンレス鋼管へ。車輪は溶解して、丸棒(鋼材)へ。ガラスは破砕すると、園芸用軽石へ。車両用電線(銅線)は破砕焼成すると、黄銅棒へ。アルミ電車部品、電車内張り(デコラ)、アルミサッシを溶解すると、自動車部品へ。モーター(カーボンブラシ)部品、パンタグラフ(スライダー)部品を電気分解すると、電気銅へ。ステンレス製の電車ドアが溶解すると、ステンレス製の浴槽へ。蛍光灯を破砕溶解するとガラス工芸品へそれぞれ変身するのだ。

更に蛍光灯のリサイクルフローも行なわれている。

水銀(Hg)は金属水銀へ。口金(アルミ、真鍮[Shinchu]、銅)は非鉄原料へ。口金(タングステン、ニッケル、鉄)は製鋼原料として、それぞれリサイクル。プラスチックは焼却燃料として、サーマルリサイクルされる。



お次はペーパークラフト。21世紀に入ってから鉄道のペーパークラフトが流行しているような気がするが、歴代の車両が勢ぞろい。一部の車両はへこんでいたが、汚損防止のため、ビニールカバーに覆われていた。



管理棟で目についたのは新種の電化製品。これは扇風機のカタチをした電気ストーブなのである。この日はここ数日の寒さを吹き飛ばす暖かい気候だったが、モイスチャーミストに続く、新しい発見である。



次は標記を紹介するコーナーへ。ここでは車内や車外で見かけるステッカーを紹介しているが、意外にも検査時に貼りかえることがあるようで、そのまま電車の塗料を紹介するコーナーへ。

東武の場合、優等列車と通勤形電車の8000系は塗装している。鉄道会社によって、色あいが微妙に異なるのが面白いところ。例をあげると、JR九州の赤い485系、名古屋鉄道の赤い電車、1800系は色合いが三者三様である。

面白いのは10030系の車体は「メタリック九分艶(Kubutsuya)シルバー」と案内していること。車体は塗装もしていないステンレス車体なのだが、まぁーいいや。塗装車両の色は下記の表の通りである。

車両車体の色帯の色窓まわりの色車番の色
100系ジャスミンホワイトパープルルビーレッド五分艶ブラックマルーン
  サニーコーラルオレンジ  
200系 ローズレッド パープルルビーレッド
  五分艶ブラック  
300系 パープルルビーレッドなし 
350系 サニーコーラルオレンジ  
8000系 ロイヤルブルー ロイヤルブルー
  リフレッシュブルー  
10030系メタリック九分艶シルバーマルーン マルーン
1800系ローズレッドジャスミンホワイト ジャスミンホワイト



そのあとは車両の名場面写真を展示。なつかしい車両、場所などがあり、興味津々。2004年に役目を終えた西新井工場の写真は貴重なもので、数年後、跡地にマンションが建つ予定だ。



1720系と1800系は試運転のヘッドマークにする時、必ず愛称を入れていた。ちょっとした演出のようなもので、1720系は『けごん試運転』、1800系は『りょうもう試運転』をつけていた。



その先には洗車台。工場棟に洗車するところがあるとは今まで気づかなかった。これにはリサイクル水が使われている。



洗車台をくぐると、台車が陳列。

「しゅみともきんぞく」

十数年前のCMで山瀬まみが言っていたことを思い出すが、台車は住友金属製である。

時刻はまもなく11時45分になろうとしていた。



前方は検査中の6050系(会津鉄道所属車)、後方は10000系でドア開閉体験。これから前方では面白いことが始まる。

それは車体の卸し作業で、まずはクレーンが6050系に近づき、黄色いフックのようなもので車体にかける。この機械は45トンまで持ち上げることが可能だという。車両の軽量化を求められる理由はここにもあることを見たような気がする。



引っ掛かった車体は若干、あげて止まる。その際、台車が外れるので、作業員は30秒ほどの撮影タイムとなり、宙に浮いた6050系の姿をスクープのようにギャラリーは撮りまくる。



作業が再開され、最上部へ。床下に台車をはめ込むような棒状のようなものが見える。



動く前に必ずブザーを流し、機械によって天空に舞った6050系は左へ消えた。その左側には30000系第10編成が検査中(この編成は本来の運用である“イーハー東武半ZONE門線NOBORU”に就いている)。したがって、移す場所がないため、元の位置に戻る。

最後は台車をはめこみ、実演は終了した。



時刻は正午となり、工場棟の別の場所へ行くと、10030系2両編成が止まっているが、新栃木寄りは区間準急東武日光行き(側面は準急東武日光行き)、東武動物公園寄りは準急鬼怒川公園行きである。また、2両とも床下機器を公開した。



そのうしろには今回、この場所で初公開となる入換機。6.5トンのディーゼル機関車で、本線上で走ることはない。



工場棟を抜け、管理棟近くにある休憩車両へ。今回も30000系の登板だが、過去の経験からか、初めて6両車を用意した。休憩車なので食事ができるのだが、露店で買ったものを持ちながら、階段を登って電車に乗るのはちょっとあぶない。ここは弁当を事前に持ち込んだ方に乗ってもらったほうがよさそうだ。ちなみに休憩車両の30000系6両車第12編成は各駅停車南栗橋行きとなっており、すでに本来の運用である“イーハー東武半ZONE門線NOBORU”からリストラされている。

乗ってみると、進行方向左側は鉄道会社のPR広告。6両全車ではないが、36612は秩父鉄道、東武、津軽鉄道。35612は上毛電気鉄道、わたらせ渓谷鐵道、東京急行電鉄(次からは「東急」と略す)。34612は西武鉄道、東京地下鉄、首都圏新都市鉄道。33612は北総鉄道、野岩鉄道、会津鉄道を飾っている。大半は車両の紹介が多いものの、車両基地イベントは同業他社も応援しているようだ。



入口は36612、出口は35612。出口は渋滞の状況だが、めったに見れない非常用ドアコックを使用。フタはあけっぱなしにしているが、これも鉄道のかくれたアイテムをさりげなく見せびらかしているような感じだ。イベント以外でこういう展開が訪れない日を願う。ちなみに休憩用車両は3年連続で30000系の任務となっている。



長蛇の列で待ち時間30分以上だったが、ようやく昼食。管理棟で手短にとり、工場棟の外では作業車3台、バス2台、消防車1台を展示。作業車はトラックで、線路上でも走れるようになっている。



バスは高速バス、観光バス、路線バス(ノンステップバス)の3台を展示。ちっちゃいお子様は運転席に御執心の様子。子供は運転士にあこがれるものだが、おそらく、アクセスとブレーキペダルはまだ踏めないだろう。ハンドルとウインカーで遊ぶ子供が多かった。



消防車は水槽つきポンプ車で、総重量8トンある。今後は火事の起こりやすい季節になるわけで、展示だけにして欲しいことを願うが、工場棟で見た扇風機型の電気ストーブが普及するのかどうかも注目だ。



工場棟の近くにも休憩車として、30000系4両車第6編成(この編成は本来の運用である“イーハー東武半ZONE門線NOBORU”に就いている)が用意されており、東武動物公園寄りでは制服を着た子供の記念撮影会場になっている。ちなみに行先表示はなにもなかった。また、そのうしろには保線車両、スイッチマルタイの展示が行なわれていた。



時刻は13時30分をまわり、目玉である撮影会へ。今回は時間が大幅に延長され、更に間近で撮れるようになった。さぁー、今回、エントリーされた車両は次の通り。



1つ目は特急〈りょうもう〉の200系。第3編成が展示され、側面の方向幕は回送。100系スペーシアに比べると、硬さのある車体だが、正面から撮ると、ずいぶん迫力がある。



2つ目は東武ファンフェスタのエース、1800系。今やラストナンバー車だけとなり、東武ファンフェスタの1回目に展示された通勤形改造車はすでに解体されている。また、過去2回は東武ファンフェスタ輸送の臨時電車を運行していたが、あまりの人気ぶりが影響したのか、今回は撮影会の展示だけとなった。ちなみに側面の方向幕は臨時である。



3つ目は10000系。2008年で入団から四半世紀を迎える。8000系の後継車だが、ツラがまえは東上本線に所属する9000系に似ている。



4つ目は30000系。急行南栗橋行きとなっているが、展示されている6両車第14編成は2006年秋、本来の任務だった“イーハー東武半ZONE門線NOBORU”をリストラされている。



急行や準急の半分以上は東急の車両で運行しており、一部では「東急伊勢崎線」と言われてしまっている。今も曳舟の手前、押上で折り返す東武車両があるので、“イーハー東武半ZONE門線NOBORU”の対応車両数を増やし、地上用に戻されてしまった30000系は元通りの運用に戻して欲しいところだ。



5つ目は20070系。伊勢崎線草加-越谷間の複々線延伸と区間準急新設、各駅停車の運用見直しにともない、輸送力増強を目的に投入された。これにより、日中時間帯の各駅停車は竹ノ塚で折り返すことがなく、利便性を向上している。



なお、30000系は静かなVVVFインバータ制御だが、こちらは少々うるさい。ちなみに行先表示は「南栗橋」で、通常ダイヤでは運行されていないが、上りダイヤでは南栗橋8時08分発、中目黒行きの各駅停車が1本だけ存在する。



6つ目は半分の30000系を表舞台から追いやった50050系(JR東日本209系1000番台に似ている)。現時点でラストナンバー車になる第10編成を展示。10両固定編成のため、浅草-曳舟間、南栗橋と館林以遠に運行することができない。また、50050系の東武伊勢崎線及び日光線内は急行と準急しか運行せず、6050系でさえも各駅停車の運用があるため、“最強通勤形電車”であると言える。ちなみに東武伊勢崎線及び日光線内で各駅停車の運用がない理由は一部の駅のホームが8両分しかないためである。



最後は東急5000系。大阪市交通局10系によく似た車両だが、JR東日本E231系500番台をベースにした車両と言える。第7編成以降は方向LEDがフルカラータイプとなり、近年の増備車はJR東日本E233系をベースにしたようなフシがある。

画像は5000系第11編成で、5・8号車は6ドア車である。また、5000系で6ドアのない車両は第1・2編成のみとなった。今後、既存の5・8号車を6ドアに差し替えるかどうかが注目される。

14時00分、撮影会が終了し、係員は張っていたロープを持ち、東武動物公園方へ徐々に動かし、撮影隊に退散を願う姿勢に出る。まるで押し寄せる波のようだが、夕方のダイヤに向けて準備をしなければならず、車両基地イベントが15時台で終了する大きな理由だ。



そろそろ会場をあとにするが、工場棟の中央ではなんと区間準急東武日光・東武宇都宮行きを表示した10030系が車内放送体験の舞台となっていた。これは気づかなかった。

南栗橋駅行きのシャトルバスは長蛇の列だったが、東武社員は小さな子供向けに塗り絵のプリント用紙を配布するサービスがあった。

今回の東武ファンフェスタは、種別幕と方向幕を通常ダイヤでは設定することのない表示にして、レールファンを楽しませた。これは『第3回つくばエクスプレスまつり』でもそうだったが、今後も車両基地イベントは楽園であり続けることを願っている。



最後に東武は2008年、新戦力として50090系が入団する。

これは東上本線に配属され、東京地下鉄副都心線開業と同時に池袋-森林公園・小川町間で、夕ラッシュ時にJR東日本で言うところのホームライナー(定員制)を運行することになったのだ。このため、50090系は4ドアでありながら、回転式クロスシートになることがあれば、ロングシートになることもある柔軟性のある座席となる(ロングシート時は7人がけではなく、6人がけとなる)。

東武版ホームライナーは池袋乗車時のみ300円を払えば、確実に坐れることになるが、トイレは設置されない模様。果たして、成功するかどうかが注目されるが、貫通扉をつける模様なので、東京地下鉄有楽町線と副都心線に乗り入れができる可能性がある。ちなみに正式な愛称は公募により、決定するらしい。

参考までに東武版ホームライナーの例は特急〈きりふり283号〉南栗橋行きで、浅草と北千住で特急料金300円を払えば確実に坐れ、春日部以遠は乗車券のみで乗れる。

気になるのは50000系第3編成を投入するのはいつになるのだろうか? 結局、貫通扉をつけた50000系第2編成は東京地下鉄に乗り入れることができないことになったようで、50070系で“作り直す”ような展開となっており、ドコモの携帯電話機種に例えると、「iS」といった派生モノのほうが多いという不思議な車両となっている。

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第7回みんな集まれ! ふれあい鉄道フェスティバル [汽車旅2007番外編]

2007年11月10日(土曜日)、あいにくの雨の中、JR東日本尾久車両センターへ。東北本線尾久駅すぐのところにある。ポケベル全盛の時代が今も続いていたら、尾久は「09」という暗号が定着していたのかもしれない。



13時過ぎに尾久車両センターへ入ると、保線用トラック、『マジックボーイ』の作業台にヘルメットをかぶった子供たちを乗せて、1日限りの展望台と化す。もし、私に子供がいたら、デジカメを持たせて、「1番高いところを撮れ」と指示しているだろう。なんせ、大人は資格がないと乗れないから(高いところからデジカメを落とされちゃ、激昂するんだろうけど)。



会場はポイントが多いようで、いたるところに鉄板を敷いて、転倒防止に努めていた。先週行った「第3回つくばエクスプレスまつり」は2005年に開業したこともあってか、撮影会以外、線路上を歩くことはほとんどなかった。首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス総合基地はイベントを行なうことを前提とした設計のようである。



さて、奥のほうへ行くとトレインジャーショーが始まった。5人のトレインジャーが現れ、歌や踊りで親子連れを魅了。女性司会者によると、1人は小学生、1人は妻子がいるという。なにはともあれ、小学生以外はJR東日本の社員であることは間っ違いないが、テレビ朝日の戦隊ヒーロー番組で使って欲しいかなと思う。『土曜ワイド劇場』でも使えるのではないだろうか。十津川警部の手下にトレインジャーをポケットマネーで極秘に雇い、事件解決にひと役買うというストーリーで。

会場に架線がまったくなく、電車や電気機関車が展示されているため、不思議な空間にいるような気がする。



電気機関車のEF65 1118はジョイフルトレイン、『スーパーエクスプレスレインボー』の専用機だったが、客車はすでにフォーエヴァー。しかし、電気機関車だけは残った。

このEF65 1118は平成10年(1998年)7月9日(木曜日)、寝台特急〈瀬戸〉高松行きを牽引している。この日は“寝台特急〈瀬戸〉フォーエヴァー”で、翌日、寝台特急〈サンライズ瀬戸〉に衣替えしたのである。ちなみに上野方は寝台特急〈北陸〉、大宮方は寝台特急〈出雲〉のヘッドマークを装着していた。




お次は軌陸車2台とバックホーの展示。軌陸車はトラックに車輪をつけたもので、資材運搬用なのだろう。バックホーは見た目がショベルカーという感じである。ちなみにつくばエクスプレス線は踏切がないため、こういう車両は存在しない。



その隣りにはレールスター。JR西日本の700系7000番台、インテリジェントサルーン、『ひかりRail Star』をどうしても想像してしまうが、なんと遊園地のアトラクションみたいなもので、チャリンコ感覚の足こぎ式とエンジン式の2つ用意している(画像エンジン式。なお、いずれも安全のため、係員も乗務)。



疑問だったのはどうやって方向転換するのかであるが、係員が総出でレールスターを持ち上げるのである。



バラストの上を歩くと、ジョイフルトレイン、『華』を展示。485系を改造したお座敷電車だが、車体はどう見ても新製されており、東武鉄道なら「車体更新車」という位置づけをするだろう。東武鉄道の場合、6050系が代表的な例で、下回りは6000系を再利用している(一部は完全新製車である)。



『華』の隣りは寝台特急〈北斗星〉を展示。フル編成ではないが、電源車が上野方にある。

昭和63年(1988年)3月13日(日曜日)に誕生した時は国鉄の基準により、九州方面のブルートレインに合わせ、上野方に連結されていたが、地平ホームだとレールが途切れるところに止まるため、電源車の音がうるさく、環境改善のため、青森方に方向転換している。さいわい、方向転換ができる“トリックルート”があったため、大がかりな回送を実施した。



寝台特急〈北斗星〉のそばにはホキ車を展示。これは貨車である。その隣りは展示物ではないものの、寝台特急〈北陸〉金沢行きの方向幕を表示した次の車両はなんとオシ24 701を連結。ほかにオロネ25(初代A寝台個室シングルデラックス)もつながっており、休車状態にあるが、なぜか寝台特急〈北斗星〉の個室や電源車も“お付き合い”をしている。ちなみにオシ24 701は屋根の塗装がはがれており、このままだと廃車は確実。せめて、寝台特急〈あけぼの〉〈日本海3・2号〉で、フリースペースというカタチで再起させてくれないものだろうか。



寝台特急〈北斗星〉展示のしんがりはなんと、寝台特急〈カシオペア〉の予備電源車(カヤ27 501)である。これは電源設備を兼ねたラウンジカーにアクシデントが発生した場合に備えたもので、寝台特急〈北斗星〉に起用されることはないらしい。



その隣り、厳密に言えばEF65 1118と同じ線路にはEF81 81の“ゾロ目”を展示。上野方は臨時寝台特急〈エルム〉、大宮方には『夢空間』のヘッドマークをつけている。



ヘッドマークの中央にある5つ星は誇らしげだが、下は英語かと思いきや、ローマ字であることに意表をつかれた。「Dream Space Train」にしたほうがカッコイイように思う。ちなみに『夢空間』は展示物の対象外だが、尾久車両センターで休んでいた。



寝台特急〈北斗星〉運行当初はジョイフルトレイン、『スーパーエクスプレスレインボー』の専用機を牽引したこともあり、旅立ちを盛り上げていたが、現在は電気機関車の側面に流れ星を入れた“赤星”になっているものの、JR北海道のDD51みたいに青に塗り替えて欲しいなと思う。



休憩用の車両はなんと寝台車!! 寝台特急〈北斗星〉の2段式B寝台を開放しているのだ。ここへ行った最大の目的と言えるが、ヘッドマークは寝台特急〈さくら〉である。ほかにも臨時寝台特急〈北斗星トマムスキー〉と『夢空間(営業運転時は〈夢空間x〉となる)』、寝台特急〈はくつる〉〈あけぼの〉〈日本海〉〈出羽〉〈鳥海〉〈北陸〉〈瀬戸〉〈出雲〉〈富士〉〈はやぶさ〉〈あさかぜ〉、急行、特急が入っており、どこでも運行できる態勢を整えているようだ。



尾久車両センター庁舎入口ではヘッドマークを展示。なつかしのヘッドマークがズラリと並んだが、〈北斗星宇宙号〉は初めて知った。



隣りは物品販売で、サボや方向幕を売っているが、面白かったのはE26系のひじかけが1000円!! 時代劇であれば、将軍や殿様の上座に使えそうだが、日常生活だと枕になりそうもない。そうなると、寝台特急の個室に持ち込んで、ひじかけに使うしかなさそうだ。



雨はやみ、時刻は14時になり、レール切断の実演。作業員はゴーグルをつけて、火花が目に入らないよう努める。普段、レールは細くて小さいように見えるが、違う角度から見ると、太くて大きい。

レール切断作業が始まると、火花がけっこう飛ぶ。見物客は固唾(Katazu)を呑んで見守るが、1本のレールが切断されるまで、2分以上はかかる。鉄はそうカンタンに切れるはずもなく、作業員も普段、観客の前でやらないので、緊迫した空気にあふれている。



レールの切断に成功したあと、今度は向きを変えて再度、実演。機械は天候や気分によって、まちまちらしいが、作業員は緊張気味のようで、2回目の作業準備に手間取った。



2回目の実演は私がいる側での作業となるが、迫力がある。レールは水平に切断しなければならず、手先の不器用な人間には不向きな作業といえるが、無事に切り落とし、実演終了。右側ではEF58 61をモデルとした転車台での回転実演が行なわれていた。ちなみに切断したレールは小学生以下の子供を対象にした抽選会の景品となる。



そのあと、方向幕が寝台特急〈あさかぜ〉博多行きとなった休憩用の車両へ。今までブルートレインは2回乗車しているが、2段式B寝台の乗車がないため、味わってみたい。



空席にありつくが、上段寝台は折りたたむことが可能で、モケットの肌触り、寝心地がいい。通路の上は荷物置場になっており、初めて知った。まさに「へぇー」の心境だ。また、上段寝台は利用しないことを想定してか、寝具類をそこに置いていたが、利用客の中には上段寝台を使い、カーテンを閉めて本当に昼寝をしていたと思われる光景もあった。今回のイベントでは横になってはいけないらしく、降りる時に気づいた。



横にはなっていないが、下段のカーテンを閉めると、開放式B寝台を利用して、一夜を明かすときはこのような状況にある。窓がないので、なにか暗闇にいるような感じで、閉所恐怖症の方には向かないのではないだろうか。



余談だが、私は2006年1月13日(金曜日)、大船から583系の臨時快速〈ゲレンデ蔵王〉山形行きを利用。3段式“ゴロンとシート”の上段で一夜を明かしたが、小さな窓が救いではあるものの、通路に下りる時がこわかった。583系の下段寝台は窓が大きいため、高さがなくてもガマンができる範囲ではないだろうか。



なお、休憩車両のうち、オハネ25 12は鉄道友の会ローレル賞のプレートがあった(1975年受賞)。



休憩車両を出て、もう動かない転車台でEF58 61を撮影。JR20周年の記念ヘッドマークと寝台特急〈はくつる〉のヘッドマークをつけていた。

いよいよ、終了時刻の15時がせまり、休憩車両はクライマックスで、ヘッドマークを次々と変えてゆく。アンコールやリクエストが多く、ひとコマごとに止めて、なつかしのヘッドマークが出ると、歓声があがるほどだったが、試運転でオシマイにするところを係員の温情で、最後は寝台特急〈北斗星〉が出たら終了ということになった。もともと、寝台特急〈北斗星〉仕様なのだから、エンディングにふさわしい。



最初からすべてのコマを撮っておれば、動画撮影していたのだろうが、臨時寝台特急〈北斗星トマムスキー〉のあと、ついに寝台特急〈北斗星〉が登場。撮ったら、すみやかに出口へ向かい、『第7回みんな集まれ! ふれあい鉄道フェスティバル』は幕を閉じた。

一旦あがった雨だが、神田で下車したら、再び降り出していた。

★備考

①今回の動画はこちらにクリック!!(うまく再生できない場合はこちらを御利用下さい)

②豊岡真澄の連心通心「ホキ」は
こちらにクリック!!

③豊岡真澄の連心通心「バンダイ」はこちらにクリック!!

④岸田法眼のRailway Blog.「臨時快速〈三鷹駅・電車区75周年記念号〉」はこちらにクリック!!

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★おまけ

客車のヘッドマークを御紹介します。



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第3回つくばエクスプレスまつり [汽車旅2007番外編]

2007年11月3日(土曜日・文化の日)9時20分過ぎ、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線北千住(05)へ。

Suicaを持っているのに、ワケあって券売機で乗車券を購入するが、北千住-守谷間は700円。高っけぇー!! 開業記念の1日乗車券が破格の500円だったから、普通乗車券の値段でも高いと思わざるを得ないのだが、北千住-流山おおたかの森・守谷間はJR東日本常磐線と私鉄(前者は東武鉄道、後者は関東鉄道)を乗り継いでも合計運賃にたいした差はない。

北千住(05)は都内で唯一の地上駅ということで、電車の撮影をしたい。つくばエクスプレス線は停車中に電車のツラを撮影することができず、到着及び通過時、ホームの端でないと撮れないのである。私は基本的にフラッシュをロックして撮影しているが、コンパクトタイプだとブレる確率が高く、運に任せるほかない。

9時31分発の区間快速は通常、守谷行きだが、この日に限ってつくばエクスプレス総合基地行きである。



さて、ホームの先端で区間快速つくばエクスプレス総合基地行き(6号車TX-2663:ワンマン運転。ロングシート)を待ち構えるが、曇り空のため、直前になって動画に変更。ブログに掲載するなら、そっちのほうがよさそうだ。

区間快速つくばエクスプレス総合基地行き(守谷までワンマン運転)編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
つくばエクスプレス総合基地1TX-2163ロングシート。女性専用車
 2TX-2263ロングシート
 3TX-2363セミクロスシート。弱冷房車
 4TX-2463セミクロスシート
 5TX-2563ロングシート
北千住6TX-2663ロングシート
①女性専用車は平日初電から9時まで及び、17時以降。
②この日は守谷-つくばエクスプレス総合基地間、延長運転。

方向LEDは「区快守谷」のままで、車内は家族連れが多い。着席区分が明確なバケットタイプのロングシートは幼児1人ゆったり坐れる。でも、幼児なら親の太ももに乗せたほうがいいように思える。

発車すると、進行方向右側には東京地下鉄(東京メトロ)日比谷線03系が留置線に止まっている。日比谷線とつくばエクスプレス線は秋葉原-北千住間が競合することになるが、秋葉原で乗り換える場合、1度地上に出なければならず、距離もあるため、坐れる保証はないものの、北千住で乗り換えたほうが無難といえる。

進行方向右側は東武鉄道伊勢崎線で、東京メトロ8000系の急行久喜行きといっしょに荒川を渡り、並走してゆく。

八潮(08)でTX-1000系の普通守谷行き(ワンマン運転)に接続。首都圏の通勤形電車は「各駅停車」というのが一般的だが、ここでは普通と案内している。常磐線を意識したのだろうか?

八潮(08)を発車すると、控えめだったスピードがグングンあがるものの、区間快速は“隔駅停車”という感じで、1~2駅通過すれば停まる。速達性に欠けるが、快速や普通に集中しないよう、利用客の分散化をはかっているのだろう。なんせ、首都圏では短い部類に入る6両編成なのだから(ちなみに首都圏でもっとも短いのは東京都交通局都電荒川線の1両)。

余談だが、つくばエクスプレス線は最大8両編成の運行を夢見ており、ホームの用地は確保している。しかし、ラッシュ時の利用客が増えているものの、増結の決断には至らず、2007年10月18日(木曜日)にダイヤ改正をして、増発。2008年にはTX-2000系を増備して、更なる増発をすることで混雑緩和をはかる予定である。

北千住以北で変わったところは流山おおたかの森(12)で、流山おおたかの森 S・C、ライフガーデン流山おおたかの森といったショッピング施設がオープン。2007年11月20日(火曜日)には TXグランドアベニューおおたかの森という食事処がオープンする予定だ。また、TX-2000系は車内LANが可能となり、Mzone、FLET’S SPOT、intelが対象である。

9時55分、本来は終点となる守谷(15)2番線に到着。運転士の予告通り、多くのお客が乗り込み、9時56分に発車。ゆっくり進み、止まる。



再び発車すると、運転士による放送が流れる。守谷で運転士は変わり、つくばエクスプレス総合基地まであと8分かかること、各車両に係員が乗り込んだことを伝える。そして、係員の指示に従って欲しいとのこと。つくばエクスプレスまつりは開業した2005年から開催しているが、今回は初めてつくばエクスプレス総合基地までダイレクトで運行するという大サービスぶり。本来はお客が乗れない回送に乗れるということに大いに興味を持つ人も多いようだ。

高架を下りて、初めて地平区間の乗車を味わうことになるが、かなりの低速でおそらく、ATO運転からワンマスコンハンドル操作によるノーマルスタイルに変わったのであろう。

守谷始発となるTX-1000系の普通秋葉原行き(ワンマン運転)と行き違いのため、2度目の停止。そのあと、ゆっくりと安全かつ慎重に進み、進行方向右側にTX-2000系第9編成がお出迎えをして、10時05分、定刻通り、終点つくばエクスプレス総合基地20番線に到着した。



20番線と言っても、プラットホームがないため、降車は1号車の1番前と6号車の1番うしろのドアしか開かない。ちなみに2・3号車は1号車、4・5号車は6号車で降車する。

まるで避難訓練をしているかのような感じだが、小さな子供はいたって冷静で混乱もなく、特設のステップで電車を降りる。その先には臨時改札口があり、ICカード及びプリペイドカードが使えないため、事前に券売機で乗車券を購入したのである。

さて、下車したあとはブースへ。分譲マンションや一戸建ての業者が多く、つくばエクスプレス線沿線に住んで欲しいという意図があるようだ。茨城県や千葉県は東京都に比べて、物価が安いこともある。つくばエクスプレス線が8両編成化するには住宅の整備なのだろう。

鉄道ブースでは東京都交通局、北総鉄道、東武鉄道と東武博物館の連合軍、小田急電鉄、千葉都市モノレール、西武鉄道、首都圏新都市鉄道が出展した。



“東武連合軍”は勢ぞろいした現役車両のTシャツが目立つ。特に50000系シリーズが多いものの、車体カラーをすべてシャイニーオレンジにするのではなく、50050系はパープル(東京メトロ半蔵門線のラインカラー)、50070系はブラウン(2008年6月開業予定、東京メトロ副都心線のラインカラー)にして、相互直通先に合わせたほうがいいのではないだろうか。もっとも、50050系を副都心線対応車にしたほうがよかったのだが(30000系10両車を作り、相互直通先ごとにフェイスの違う車両にすれば、乗り間違え防止にもなる)。



小田急電鉄はロマンスカー60000系MSEが2008年春、東京メトロ千代田線に直通。つくばエクスプレス線沿線から、MSEに乗り継ぎ、箱根へ行ってもらいたいと意気込んでいる。但し、年間30日前後は霞ヶ関で進行方向を変え、有楽町線新木場へ向かうことになっており、北千住に顔を出すことはなく、運転日は要チェック!! まずはロマンスカーグッズを売り出し、アピールといったところ。



千葉都市モノレールはレッサーパンダのキーホルダーを販売。また、残念なことに自社で初の廃車が発生したため、吊り革も売っていた。



西武鉄道は2008年に入団する30000系Smile Trainをアピール。20000系は意外と増備されず、今後は30000系に移行することになるだろう。



首都圏新都市鉄道は駅名キーホルダー、野球帽を販売。もし、草野球のチームはあるとしても、クラブチームは存在しないが、計画しているのかもしれない。



野球帽といえば、昔は巨人帽をかぶる小学生が多かったものだが、いつのまにか見かけなくなった。野球帽でもニューヨークヤンキースをかぶる子供もいる。

東京都台東区のブースではピエロショーが人気。埼玉県八潮市商工会のブースでは赤飯、山菜おこわ、芋ようかん、杵茶(Kinecha)まんじゅうを販売。特に杵茶まんじゅうは八潮市特産の白玉粉を使っているという。

千葉県柏市と流山市のブースでは街づくりのパンフレットが多く、居住者の拡大に努めているようだ。最近は太田光大統領でおなじみ、“サクラ共和国”という分譲マンションが驚きの価格に加え、プール、トレーニングルーム、テニスコート(フットサル兼用)、スーパーマーケットが一体となっており、ライバルということになるだろう。



さて、7番線では車両撮影会が行なわれており、TX-2000系第12編成がモデルになり、30分ごとにヘッドマークと方向LEDが変わる。一部のヘッドマークは2回掲出されることになっており、“混雑緩和”に努めているようだ。さいわい、撮影はスムーズに行なわれ、大きな混乱もない(ほかのヘッドマーク画像はのちほど公開します)。



1・2番線は運転室見学車両が留置され、TX-1000系第2・11編成がモデル。小学生以下の子供と保護者の“特権”で、ミュージックホーンを鳴らしていた。中には電気笛を鳴らすところもあったが、関東地方の鉄道はボカスカ鳴らさないだけに新鮮な光景と言えるだろう。



後方には首都圏新都市鉄道のマスコット、スピーフィがこちらも小学生以下の子供と保護者の“特権”で記念撮影。野球帽を売っているところを見ると、あくまでも私の想像だが、首都圏新都市鉄道のクラブチームができれば、当然、スピーフィは球場に姿を現すことだろう。



電車寄りのブースへ移動すると、サンタさんのおうちはスゴイ!! なんせ、東武鉄道1800系の急行〈りょうもう〉、1720系の特急〈けごん〉のヘッドマーク。JR東日本、ブルートレイン時代の寝台特急〈ゆうづる〉の電気機関車につけるヘッドマークを売っている。しかも、急行〈りょうもう〉と特急〈けごん〉は各10萬、寝台特急〈ゆうづる〉は60萬もするのである。いくらなんでも、サイフにこんだけ所持している人はカネ持ち以外、いないだろう。

ところが、昼間にもう1度尋ねると、特急〈けごん〉は売約済みになっていた。ぜひとも、『開運なんでも鑑定団』に出て、本当に10萬するのか確かめてもらいたいと思うのだけど、この番組は「ファン」という言葉を使うことが少ないのが難点である。

生活共同組合パルシステム茨城ではソーセージ、ヨーグルト、牛乳などの試食が行なわれ、池田工芸は首都圏新都市鉄道や国鉄のサボを中心に販売。NECグリーンロケッツはラグビーチームで、本拠地はつくばエクスプレス線の柏の葉キャンパス(13)にある。ちなみに販売しているラグビーボールはチームカラーのグリーンである。



日本レストランエンタプライズでは駅弁を11種類販売。また、つくば市観光協会はTXサブレ(10個入り1,100円)、筑波山の御神木(バームクーヘン。1,200円)を販売。TXサブレはつくばエクスプレス線の売店でも販売を拡大する模様だとか。



そのうしろに車両が並んでいるが、TX-2000系第14編成の方向LEDは「修学旅行」を表示していたことに驚く。国鉄時代、修学旅行専用車が存在し、新幹線でもそういう方向幕は今も装備されているが、私鉄でその表示を見たのは初めてだ。ちなみに英訳は「Scool Tour」である。



1番線の向こう側は首都圏新都市鉄道のウラ側、資材と保守用車両の展示が行なわれている。



ウラ側で1番興味を持ったのは、秋葉原(01)は氷を使って駅を冷やしているという。これは地球温暖化を阻止するためであるが、二酸化炭素を減らすため、夜間に氷を作るという。

世界の鉄道は電化を進めたため、二酸化炭素の量が増え、地球温暖化につながってしまっている。JR西日本岡山でもモイスチャーミストを使い、冷房の代用品として、この夏に使用された(備考⑤⑥参照)。



11時55分、保守用車両が始動。「モーターカー」と呼ばれている車両はなぜか床下から黒い煙が噴き出す。どうも電気の力で動く車両ではないのかもしれない。

12時に始まり、まずはモーターカーのパンタグラフをあげ、前方と後方にあるレールキャッチで、レールにつかまる。ようは完全たる車止めのようなモノである。

そのあと、係員が乗った作業台が天高くあがる。最大9メートルまで上昇できるという。

モーターカーの実演を終え、次はレール運搬車。磨耗や傷がついたものは交換することになっているが、つくばエクスプレス線では60キロ、つくばエクスプレス総合基地内は50キロのレールを使用。レールの長さが25メートルを越えると、1トン以上になる。



レールは工場で製作され、運搬車が取り替え現場へ出向き、新品を線路脇に置く。保線作業が終了したら、今度は廃棄するレールを取りに行く。ちなみに古いレールは鉄クズになるという。一部は書道の文鎮に再利用されることもあるが、普及していない。



レール運搬作業の実演が終わると、天気は急に快晴となり、7番線に急いで撮影したあと、昼食。そのあと、常陽新聞新社(シティオペラ)で無料のコーヒーサービスにありつく。昼食は事前に用意していたが、飲料費が浮いて助かった。



シャトルバス発着所の近くにある検車庫へ。入口ではブレーキパッドやパンタグラフの集電部分と共に今回、撮影会で掲出することのなかったヘッドマークを展示。首都圏新都市鉄道はヘッドマーク好きのようで、大切に保管されている。



検車庫はTX-2000系第15編成がヘッドマークをかかげ、モデルとなっているが、大半の床下機器のフタを開けて公開。一方、左側のTX-1000系第7編成は本当に検査しており、真剣なまなざしで仕事をする。のちに方向LEDが「普通つくば」に変わってビックリ!! TX-1000系は直流電車のため、つくばエクスプレス総合基地の分岐するところから先は乗り入れることができないのだ。



幸運にも私は1号車寄りで撮影することができたものの、TX-1000系第7編成は「普通みらい平」に変わった。再び入口に戻ると、男が1人入り、係員に「普通つくばに変えて下さい」と要望するひと幕があった。これはサービスではなく、仕事であることや係員は変える権限のない役割を担当しているため、断られた。



さて、床下機器の見学を終えると、TX-2000系第15編成の1号車は貫通扉が開き、非常用のハシゴを公開した。こういうイベントだから見られることであって、営業運転でこういう展開がないことを願っている。



ひと通り見てまわり終え、関東鉄道の守谷駅行きシャトルバスに乗る。

初めて車椅子でバスに乗るお客を見たが、近年では当たり前のようになっているノンステップバス。係員がいたので、難なく乗れたが、昇降用リフトでもない限り、運転士1人ではムリなこと。バスの優先席は車椅子スペースに早変わりできる構造になっている。

14時02分に発車し、14時09分、終点守谷駅に着いた。所要時間は7分で、直通電車よりも早い。

余談だが、この日は関東鉄道水海道車両基地でもイベントが行なわれ、つくばエクスプレス総合基地からの無料シャトルバスを運行していた。車両基地イベントのハシゴをする人はいたようであるが、掛け持ちのヘタな“1点集中型(初志貫徹)”の私にはとうてい無理である。

★おまけ

そのほかのヘッドマーク撮影会、一挙公開!!



★備考

①今回の動画はこちらにクリック!!(うまく再生できない場合はこちらにクリックして下さい)

②首都圏新都市鉄道ホームページは
こちらにクリック!!

③首都圏新都市鉄道は以前、各駅に停まる電車をホームは「各駅停車」、車内は「普通」だったが、現在はどちらも後者に統一している。

④「万博記念公園」は首都圏新都市鉄道のほかに大阪高速鉄道にもある(おまけ画像参照)。

⑤オーミヤの鉄道日誌「駅のホームを快適にするために」は
こちらにクリック!!

⑥岸田法眼のRailway Blog.「2007年の汽車旅4-2」はこちらにクリック!!

⑦岸田法眼のRailway Blog.「首都圏新都市鉄道-前編-」はこちらにクリック!!

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近畿日本鉄道養老線&伊賀線フォーエヴァー総集編(プラスYahoo! セカンドライフ2007-12) [汽車旅2007番外編]

毎度御利用ありがとうございます。

今回は2007年9月30日(日曜日)で近畿日本鉄道(略して、「近鉄」)養老線と伊賀線がフォーエヴァーとなり、翌日から前者は養老鉄道、後者は伊賀鉄道に変わりました。これにより、既存の近鉄線から外れるカタチとなりました。

今回は近鉄時代に乗車した模様をお伝えします。

①養老線フォーエヴァーファーストステージ

2007年3月4日(日曜日)
12時44分、JR東海の普通電車は終点大垣4番線に到着。近鉄養老線に乗り換えるべく、1番線にある連絡改札口へ向かうが、なんとオール自動改札で、青春18きっぷは通せんぼされた。ちなみに連絡改札口へ向かう通路には留置線があり、戦力外通告を受けた113系2000番台が間近で撮れる。

一旦下車して、近鉄の駅舎へまわる。大手私鉄にしては珍しく、有人改札である。これは意外。

関東の駅は日本語と英語(ローマ字も含む)の2か国語表示となっているが、近鉄の場合、それに加え、韓国語や中国語もあり、アジアの観光客を意識しているようだ。

養老線は“サイクルトレイン”を設定している便が夜以外、ある。利用できる便は平日、土休、春・夏・冬休み期間など、様々だが、9~13時までは全便、年中利用可能である。但し、1時間に1本が当たり前のローカル線だが…

揖斐行きワンマン運転“サイクルトレイン”(For Ibi.623)が2番のりばに入線。電車がワインレッドなら、座席もワインレッドである。

チャリンコは前から2両目に指定されており、13時16分に発車。桑名方面と別れた直後に室(Muro)へ。桑名方面にも設けて欲しいものだが、大垣乗り換えを基本としているのであろう。

室を発車し、右へ曲がると、東海道本線をくぐり、北大垣へ。ホームではベテランの車掌が収集したゴミと共に乗務。その後は下車駅での乗車券回収や車内精算に乗り出していた。

近鉄のワンマン運転は、けいはんな線だとホームに感知センサーを設けており、すべて有人駅だからだが、養老線は無人駅が多いものの、乗車券箱を設置。乗車券を持っていないお客は先頭車に設置された運賃箱で支払うという、変わったやり方だ。3両編成や“サイクルトレイン”を運行していることもあり、乗車口を1か所に限定して、整理券発行機や運賃表を取りつけるのは難しいのだろう。また、近鉄車のタイフォンが「ビーッ!!」というクルマの警笛と同じようでは違和感がある。それだけ、インパクトが強いということも言えるが…

広神戸(Hiro-Kohdo)はかつて、2面3線だったが、今は1面1線。かつて、利用客が多く、にぎわっていたような感じを受ける。行き違い設備を撤去されている駅は“ローカル線の証”と言える。

発車すると、綺麗な田園となり、北神戸(North-Kohdo)は駅前に白い建物とガラス張りの綺麗な図書館がある。

北池野では下車してすぐのところに郵便局があり、美濃本郷ではベテラン車掌がゴミと共に下車。この日は本当に小春日和なため、ベテラン車掌は暑さでお疲れの御様子。

13時40分、終点揖斐に着いた。かつては名古屋鉄道に揖斐線があり、バスに乗り継げば行けたという。しかし、駅前の地図には揖斐線の跡地などあるわけがなく、遠方にある第3セクター、樽見鉄道共々、奮闘し続けることを願うしかなかった。

14時47分発の大垣行きワンマン運転“サイクルトレイン”(523)を待つが、JRのローカル線にある発車数分前まで改札口を開けないというスタイルだった。まさか、大手私鉄でもやるとは思ってもみなかったが、100パーセント、坐れるのだから、あせることはない。

終点大垣に到着し、帰京した。

②養老線フォーエヴァーセカンドステージ

2007年4月7日(土曜日)、JR東海の快速〈ムーンライトながら〉は6時55分、終点大垣1番線に到着。いつもなら2番線に向かい、普通電車(高槻-明石間は快速)加古川行きに乗り換えているところだが、近鉄養老線の桑名行きサイクルトレイン(502。ワンマン運転)に乗り換える。3両の車内は空席が多い。

7時10分に大垣を発車すると、単線並列の複線をゆき、室(Muro)付近で別れ、その室のホームは揖斐方面しかなく、かわすような感じで素通り。

西大垣は養老線の車両基地があるものの、収容力が小さいほどせまい。やがて、東海道新幹線をくぐり、のどかな田舎となる。

友江で大垣行きサイクルトレイン(ワンマン運転)と行き違い。対向電車が停まっていないのに運転士は早々とドアを閉め、青信号になってから発車した。気の早い運転士である。

大外羽(Ohtoba)を発車すると、高架へ。ローカル線とは思えぬ近代的なつくりである。ちなみに次の烏江(Karasue)は高架駅である。

美濃高田で大垣行きサイクルトレイン(ワンマン運転)と行き違い。そして、この電車にサイクル客の男性が乗り込んだ。長距離用のタイプで、どこかへサイクリングする模様(服装が本格的だった)。ちなみに3両編成の場合、中間の車両のみチャリンコが持ち込める。

さて、発車すると勾配を登り、山道へ。養老でも大垣行きサイクルトレイン(ワンマン運転)と行き違った。

山間部のせいか、カーブも多く、駅間距離も長い。スピードも出ず、苦しいところだが、駒野で大垣行きサイクルトレイン(ワンマン運転)とまたも行き違う。車窓は桜やなのはなが春を彩る。

美濃松山で大量乗車が発生し、大垣行きサイクルトレイン(ワンマン運転)と行き違い。しかし、まだ空席がある。進行方向右側は広大な山がそびえ立ち、JR西日本姫新線(Kishin Line)に乗った時のことを思い出す。

下野代(Shimo-Noshiro)で車掌が乗務。ドアが閉まって、ブレーキハンドルをゆるめたら、バックしてから発進。クルマに例えると、坂道発進だが、今の手法でやればマニュアル車なら、後続の車両にぶつける事故を起こす可能性がある。オートマチック車両の場合、坂道はDレンジのままして、ブレーキペダルを踏めばにすれば事故はふせげるという(過信しないことが大切)。

下深谷で大垣行きサイクルトレイン(ワンマン運転)と行き違い、どうやら山間部を抜けたようで、町の雰囲気がただよう。ちなみに播磨ではサイクリング客が下車したものの、階段だったため、チャリンコを下ろすのにひと苦労。スロープを整備して欲しいところである。

右に曲がり、名古屋線、JR東海関西本線に合流し、終点桑名4番のりばに到着。養老線全線完乗を達成した。

③伊賀線フォーエヴァー

2007年4月7日(土曜日)、JR西日本関西本線の普通列車加茂行きワンマンカーは伊賀上野2番のりばに到着し、目覚めたばかりなので無意識に改札のほうへ向かい、下車。眠気を追っ払ってJR西日本の券売機で近鉄の乗車券を購入し、再び改札へ。ちなみに伊賀上野では普通列車亀山行きワンマンカーと行き違いを行なっており、停車時間は長かった。

向かいの1番のりばは電化されており、近鉄伊賀線のりばで、上野市行き(766:ワンマン運転。夢塗装車)が入線した。伊賀上野はJR西日本管理駅ということもあるのか、車止めには近づかず、普通列車加茂行きワンマンカーにも近づけず、控えめな感じであるが、色はド派手!! 忍者を描いた夢塗装となっており、利用客の中にはド肝を抜き、思わず記念撮影する若い女性がいた。ちなみにこの電車は『トリビアの泉』で紹介されたことがある。

10時51分に発車。ワンマンではあるが、車掌が乗務し、早々ときっぷを拝見。私は伊賀神戸(Iga-Kanbe)までの乗車券を持っていたが、そこで下車する気などなく、某駅まで精算してもらう。思った通りの精算額で、精算券はJR東日本の首都圏と同様、自動改札に対応する磁気券だった。

あっというまに終点上野市1番のりばに到着。向かいの2番のりばには伊賀神戸行き(767:ワンマン運転)が発車を待っており、車掌共々乗り換え、11時01分に発車する。残念ながら、忍者の夢塗装車ではないが、一部の窓には“忍者シール”を貼っている。

茅町(Kayamachi)で上野市行き(ワンマン運転)と行き違い。忍者の夢塗装車のブルーバージョンで、かなり大柄の車掌が乗り移るが、運転士がドアを再開閉したため、“駆け込み乗務”をした模様?!

亀山で雨がポツリ降り出したが、丸山で上野市行き(ワンマン運転)と行き違った時はやんだいたように思えたが、また降り出している。

伊賀線はホームと電車のあいだが広く、そのスキマを埋めるため、車体のドア部分はステップが突起物のような感じで目立つ。わかりやすく言えば、JR東日本の“ミニ新幹線車両”で東北新幹線ホームで使われるステップを常時使用の固定化したようなものである。

「この電車はこの駅まででございます」

近鉄は「終点」という言葉を使いたがらないのは大阪市交通局(大阪市営地下鉄)と同じで、なおかつ、自動放送の声も同一人物(女性)のようにも思えるが、11時30分、終点伊賀神戸5番のりばに到着。伊賀線全線完乗を達成した。

伊賀線所属車はできることなら、全車を忍者の夢塗装車にして、“忍電(忍者電車の略称)”という愛称で親しまれて欲しいと願っている。

近鉄は球団や路線を手放さざる得ないほど、経営が苦しいようである。ちなみにオリックスバファローズは近鉄とオリックスの合併球団ではあるものの、近鉄はプロ野球事業から撤退することを前提としている。

★備考

伊賀鉄道ホームページはこちらにクリック!!(養老鉄道のホームページはありません)

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前日、「Yahoo! セカンドライフの歴史と現行制度の失敗」を掲載しました。

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Yahoo! セカンドライフ2007-9(ローカル線3選総集編) [汽車旅2007番外編]

毎度御利用ありがとうございます。今日は世に言う“13日の金曜日”です。

さて、今回は久しぶりに『Yahoo! セカンドライフ』のコラムを掲載いたしました。今回の記事はこちらにクリック!!

皆様の御意見、御感想をお待ちおります。

 

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各駅停車湘南台行き [汽車旅2007番外編]

2007年6月30日(土曜日)、相模鉄道本線横浜へ。

相模鉄道は通称、「相鉄(Sohtetsu)」と呼ばれており、横浜は3面6線の行き止まり式で、まさしくターミナルにふさわしい駅である。以前は中小私鉄に分類されていたとは思えないほど。

路線は本線といずみ野線だけで、神奈川県だけを走る規模の小さい大手私鉄だが、将来は東京急行電鉄(通称、「東急」)東横線と相互乗り入れする予定で、“東京進出”を果たすことになる。新しいルートの開拓により、JR東日本に対抗することになっているが、湘南新宿ラインが大手私鉄に火をつけた恰好だ。

1番線は15時00分発の急行海老名行き、2番線は15時02分発の快速湘南台行き、3番線は15時03分発の各駅停車湘南台行きと順次発車する。たいていは1・2番線に乗るのがセオリーなのだが、3番線の各駅停車湘南台行きは強烈なインパクトがあり、そちらに目を奪われる。

各駅停車湘南台行きの車両は10000系。これはJR東日本E231系通勤形タイプを“コピー”した車両なのである。相鉄の“大冒険”により、その後、小田急電鉄3000系、東急5000系・5050系・5080系もE231系通勤形タイプをベースとした車両が登場し、大きな影響を与えた(東急5000系はその後、E233系ベースにしたフシがある)。

10000系のフェイスは相鉄のオリジナルだが、車体側面はE231系シリーズと同一であるものの、車体幅は異なる。

中に入ると、シートモケットは違っていても、E231系通勤形タイプ(総武線仕様)に乗っているかのようだ。JR東日本に乗り間違えたのではないかと錯覚するほどである。ちなみに先頭車は1か所、中間車は2か所、車内にコンセントがある。

通常のロングシートは赤、優先席は青。松平健によると、赤は“情熱と愛情”、青は“優しさとやすらぎ”だそうで、みずから作詞した『マツケンサンバⅢ』で腰を振りながら歌っている。

15時03分、横浜を発車(8号車10506に乗車)。すぐに平沼橋へ到着し、意外と先頭8号車は多く下車した。

各駅停車湘南台行き編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
湘南台810506なし
 710112弱冷房車
 610212なし
 510614なし
 410613女性専用車
 310111なし
 210211なし
横浜110706なし
女性専用車は①平日7時から9時30分に
横浜へ到着する上り電車。
②18時以降の横浜発下り電車。 
アンダーラインは筆者が乗車した車両

次の西横浜では早くも乗務員が交代。発車すると、右へカーブして、JR東日本東海道本線と別れる。

ドア上のLEDは209系・E231系初期タイプと同じ1段表示。停車中は駅名が点滅し、発車すると、次はx→Next x→各駅停車y行き→このドアが開きます(反対のドアが開きます)のくり返しで、ドアチャイムもJR東日本と同一。スピードメーターも160㎞/hまであり、部品もほとんど共通化している。ちなみに10000系は2001年に入団し、2002年2月24日(日曜日)にデビューしている。

西谷を発車すると、JR東海の東海道新幹線をくぐる。鶴ヶ峰を発車すると、ドア上のLEDは「海老名方面はお乗り換えです」とスクロール表示。JR東日本では常磐線用のE231系通勤形タイプから2段表示に改め、スクロール案内もできるようになった。但し、10000系もそうだが、1行全角6文字のため、キュークツである。

運転免許センター最寄り駅の二俣川2番線に到着。ほどなくして、1番線から9000系の急行海老名行きが到着。10両編成で、一部の車両はボックスシート&ロングシートのセミクロスシートになっている。4ドアのセミクロスシートは、のちにJR東日本E217系・E231系近郊形タイプに取り入れられることになる。ちなみに9000系のフェイスは大阪市交通局(大阪市営地下鉄)の“新20系シリーズ”に似ている。

相鉄の種別は急行、快速、各駅停車の3種類がある。

急行は横浜-二俣川間をノンストップで走り、二俣川-海老名間は各駅に停まる極端ぶり。快速は横浜-二俣川間は星川、鶴ヶ峰に停まり、二俣川-湘南台間は各駅に停まる。いずれも二俣川から先は各駅に停まることになっており、今後は特急が欲しいところ。横浜-海老名間は二俣川、大和のみ停車し、横浜-湘南台間は二俣川、いずみ野、いずみ中央でいいだろう。ただ、東横線の相互直通運転が始まれば、特急の誕生が予想される。

運転士は乗務員室の大きい窓のカーテンを下ろし、15時23分に発車すると、いずみ野線に入って、高架を登り、トンネルへ。

南万騎が原を発車すると、すぐにトンネルへ。いずみ野線はトンネルが多く、長さは1キロ以上や25メートルなど様々。東急田園都市線もトンネルが多い。

いずみ野でカーテンを解除し、どんよりとした曇り空だが、思った通り、雨が降ってしまった。梅雨である。

ゆめが丘は開業前から“アートなデザイン”ぶりが注目を集めているが、なぜか9・10号車分の上屋がなく、雨や雪のときは乗降に苦労する。そして、乗務員室の大きな窓には再びカーテンが下ろされる。

発車すると、進行方向左側に横浜市交通局1号線(横浜市営地下鉄ブルーライン)と合流し、いずみ野線がお先に地下へもぐり、15時39分、終点湘南台1番線に到着した。相鉄の乗車はいずみ野線が延伸開業した平成11年(1999年)3月10日(水曜日)以来、8年ぶりの利用。自動改札へ向かう階段はレンガで、なつかしいものを感じた。

下車すると、PASMOの導入により、横浜市営地下鉄の定期券うりばが戸塚と共に閉鎖。各駅に定期券販売機を導入したからであるが、通学定期券の新規購入が上大岡と3号線(ブルーライン)横浜だけにしてしまった。そのほか、あざみ野、新横浜、関内は横浜市交通局のバス(横浜市営バス)の定期券に専念。通学定期券の新規購入は横浜or上大岡に“遠出”しなければならなくなり、不便きわまりなくなった。4号線(グリーンライン)開業時は中山と日吉に定期券うりばを設置することが考えられるが、不便きわまりないことを願う。

湘南台駅

★備考

①今回の動画はこちらにクリック!!

②相模鉄道ホームページはこちらにクリック!!

③『フリー百科事典Wikipedia「相鉄10000系電車」』はこちらにクリック!!

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③2007年6月30日(土曜日)、鉄道友の会は本年のブルーリボン賞を富山ライトレール0600形、ローレル賞はJR東日本E233系と西日本鉄道3000系に決定しました。

なお、富山ライトレール0600形については「2006年の汽車旅8-前編-」、JR東日本E233系については「JR東日本E233系試乗」を御覧下さい(私のブログには西日本鉄道3000系に関する記事がありませんので、御了承願います)。

2007年7月4日(水曜日)、観客動員数は14萬6000人を突破しました。なお、観客動員数15萬人を突破したら、記念企画をたてておりますので、ドシドシ足を運んで下さいね。


JR東日本E233系試乗 [汽車旅2007番外編]

2007年6月16日(土曜日)、JR東日本東京1・2番線へ。このところ、このホームで、レールファンを見なかった日はほとんどない。

1・2番線は“中央線ホーム”で、何度も書いているが、東京-神田間は東北本線、代々木-新宿間は山手線、神田-代々木間と新宿以遠は中央本線を走る電車のことである。JR東日本の“二重戸籍解消政策”により、中央本線はブツ切りにされたものの、利用することに、まったく影響はない。また、今回は“日常用語”の「中央線」と記す。

2007年5月29日(火曜日)、所用で中央線を利用したが、ラッキーなことに201系量産車第1・2号編成だった。第1号編成は4両、第2号編成は6両で、いわば分割併合運転が可能な車両である。こういう車両が中央線に多いのが特長で、サハ201形にお目にかかる機会は多くない。

2006年12月26日(火曜日)、中央線にE233系がデビュー。“国鉄初の省エネ電車”として、話題だった201系がついに置き換えられることになった。103系が首都圏から消えて1年もたたないうちに今度は201系が消滅の危機にある(『四季彩』は除く)。同じ時期、JR西日本は201系がスカイブルーからオレンジに塗り替え、大阪環状線に移籍しており、“入れ替わり”のような皮肉な現象が起きている。

E233系投入以後も中央線は何度か利用しているが、さいわい、来た電車は幸運にも201系だったので、ためらいもなく乗った。

しかし、6月のある日、夕ラッシュ時に中央線を利用したら、E233系が5本連続で入線。201系に乗りたい私はずいぶん待って、ようやく通勤快速青梅行きに乗った。この時、“これはいかん”と思った。この先、201系が中央線を走る機会は減るワケで、E233系に乗らなければならないと反省した。しかし、乗るのであれば、記事にすべきだと思った。自分自身に課した“けじめ”である。“今後、E233系が来ても、ためらいもなく乗るように”と。

さて、ホームにやって来る電車は201系ばかりだが、すべて快速。E233系の乗車は特別快速以外、乗らないことに決めていたが、最初の特別快速である中央特快大月行きはあっさりE233系が入線してきたため、即決。但し、当初は大月まで乗るかどうか悩んでいた。201系でさえ、高尾-大月間の利用はないのである。

折り返し時間は少なく、中央特快大月行き(10号車クハE232-10:豊田から女性運転士乗務)にあわただしく乗り込む。

特別快速(立川から各駅停車)大月行き編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
大月10クハE232-10なし
 9モハE232-410なし
 8モハE233-410なし
 7サハE233-10なし
 6サハE233-510なし
 5モハE232-210なし
 4モハE233-210弱冷房車
 3モハE232-10なし
 2モハE233-10なし
東京1クハE233-10女性専用車
 女性専用車は平日上り7時30分から9時30分まで、
新宿に到着する東京行きの電車に適用される。


なお、私は特別快速を「特快」と略すことに違和感があるので、ここから先は「特別快速」と記す。国鉄時代からJR東日本の創世紀までは特別快速だったのだから。

特別快速大月行きは12時38分に発車。車内は209系やE231系と違い、暖色系が特長。シートモケットはE531系、キハE130系とよく似ている。また、E531系から車内を寒色系から暖色系に改めたようだ。ちなみに209系は国鉄時代に逆戻りをしたような印象を持っていた。また、209系以降の首都圏電車では先頭車に1か所、中間車に2か所、コンセントがあり、ノートパソコンやケータイの充電ができる(但し、優先席では電源OFF)。

209系500番台からはロングシートの肌触りを変え、E231系に継承していたが、E233系は座面の位置を201系なみに戻した(巻尺を持参していないので、こういう記述になる)。209系は日本人の体格の向上により、座面の位置を高くしていたものの、背の低いお客には不評だったようである(低過ぎもよくないが)。

 

ドア上の情報案内装置はE231系500番台と同様、LCD(音声のない液晶モニター)2台とし、左側は無音声CM(その代わり、テロップをつけているものもある)や“ムダ知識”情報を流し、右側は次駅案内や遅延情報などを流す。

中央線は快速、特別快速(中央特快と青梅特快)、通勤快速(下りのみ)、通勤特快(上りのみ)と種別が多く、レインボーのような停車駅案内がLCDに表示。更に立川から先、中央線以外の路線も表示しており、“2ページ分”も流す。種別が細分化されていることから、E233系の方向LEDはフルカラーLEDを採用している。ただ、中央線201系の方向幕にはない「快速」を表示していることに違和感がある。また、中央線201系は「各駅停車x」の方向幕があり、JRの通勤形電車で、こういう表示をするのは中央線だけだろう。

 

E233系フルカラー
     LED表示種別
中央特快…青
青梅特快…緑
通勤特快…赤
通勤快速…パープル
快   速…オレンジ

E233系フルカラーLEDの特長をあげると、先頭車は種別だけ表示することがある。これは通過駅に効果的だろう。特に中央線201系とは違い、種別用のヘッドマークがないため、フルカラーLEDで種別をデカデカと表示しないと特別快速などの通過駅では、到着するとカン違いするお客が現れることを想定しているようだ。ただ、駅の案内表示に「通過」がないのは困ったもので、今後はそちらのほうも改善してもらいたいものだ。



車体側面は2段表示となっており、上下段は種別、上段は行先、下段は停車駅を表示しているが、方向LEDのサイズはE231系シリーズと変わらないため、2段表示にはムリがあるように思う。詰め込み過ぎのような感じを受ける。JR西日本221系なみのサイズが求められる。

E233系LCDの遅延情報では京浜急行電鉄が運転を見合わせることを表示していたが、JR東日本首都圏管内から他社線も拡大した模様である。また、現在時刻も表示され、わかりやすくなった。ちなみに現在時刻がついた特急以外の車両に遭遇するのはJR西日本221系とJR東海311系以来である。
 


ドアは半自動ドア対応となった。201系ではなかった設備だが、元旦に各駅停車高尾行きを利用したさい、三鷹で少々停車。暖房をかき消すほどの寒風が201系の車内を襲っていたから、今後は半自動ドアが活躍する機会が増えるだろう。また、ドアの窓は四角形に近いデザインとなり、シール広告が貼りやすい構造になっているが、車内の景観を損ねるような気がしてならない。少子高齢化による人口減少で、収入を確保するには“エキナカショッピング”や、なりふりかまわず広告収入で補うようである。

御茶ノ水で利用客が増え、新宿12番線に到着。以前は9・10番線が中央線下りのりばであったが、改良工事により、移動した。新宿は利用客が東京より多く、出口がどこなのかわからないほど、迷路のようになっている。

中野に到着する頃、立客のオバサンが親子連れの母親(若作りをしたおばあちゃんかもしれない)に突拍子もないことを尋ねた。

「吉祥寺へ行く時、三鷹でバックしたほうがいいんですかねぇー?」

当然、きかれた側は回答のしようがなく、俺にきけば「中野で乗り換えて下さい」とキッパリ言う。 オバサンは中野で後続の快速に乗り換えることに決め、降りていった。この日は休日ダイヤのため、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪の中央線ホームは休業。したがって、イエローカラーの“総武線各駅停車”に乗り換えることになるが、中野-三鷹間はどちらもホームがあるのが理解できない。中央線は中野-三鷹間、終日通過にしたほうがいいのだ。

中野を発車し、スピードはペースダウン。吉祥寺を通過すると、ダッシュして三鷹に到着。201系の各駅停車高尾行きに接続する。なお、中央線の平日は中野、休日は吉祥寺から種別は快速から各駅停車に変わる。

各駅停車高尾行きでは10号車乗務員室寄りにビデオカメラを持ったレールファンがいた。2007年7月1日(日曜日)、三鷹-国分寺間の下り線が高架に変わるため、地平の車窓を撮るのである。

三鷹を発車すると、次から次へとポイントを渡り、2007年7月1日(日曜日)以降、進行方向左側にある三鷹電車区の途中から高架を登ることになる。

武蔵境を通過。西武鉄道多摩川線乗り換え駅だが、こちらはひと足早い2006年12月8日(金曜日)に高架へ切り替えた。

「まもなく、国分寺…」

と自動放送がかかると、下り線の高架が地平に下り、国分寺へ。201系の各駅停車豊田行きと接続。

13時18分、立川7番線に到着。車内のLCDは立川から先、虹色の種別がオレンジと赤だけに減っている。1分停車なので、一旦降りると、頭上には多摩都市モノレールが立川北へ向かっていた。7番線の高尾寄りは撮影するにはもってこいの場所だろう。あとはタイミングだけだ。



フルカラーLEDは「中央特快」が消えて、「大月」だけの表示に変わった。ここから先は「各駅停車大月行き」となるわけだが、201系は起点から終点まで、ずーっと「中央特快」のままなので、戸惑いと違和感がある。これだけ徹底するのがE233系の方針を打ち出していることになる。ちなみに湘南新宿ラインで運行するE231系近郊形タイプだと起点から終点まで、方向LEDは「新宿経由」を表示するので、うっとうしい。LEDの長所を生かしていない。



13時26分、豊田に到着。運転士は女性に変わり、特急〈あずさ19号〉松本行きの通過待ち。なぜ、次の八王子まで待てないのかが疑問だ。八王子の中央線下りホームは3・4番線があるのだから。効率よく使って欲しい。

 

13時43分、高尾3番線に到着。4番線には201系の快速東京行きが発車。ボディーが傷みかけているのが容易にわかる。ちなみに中央線上りは始発の時点から、快速、特別快速、通勤特快と案内している。



高尾では2分停車し、10号車乗務員室では中央の窓にカーテンが下ろされる。高尾から先は山間部へ入り、勾配、カーブ、トンネルが中心となる。

余談だが、私は中央線の次世代車両は“振子通勤形電車”になるものと思っていた。東京-新宿間もカーブが多いからで、所要時間を短縮させるには振子通勤形電車を開発する以外、ほかに方法はないだろうと思っていたが、E257系の投入以前から“振子はムリ”と判断したのだろう。MAX120㎞/hのE233系で若干の所要時間短縮ができる車両となった。

空席が目立ってきたので、改めて車内を見てみよう。



E233系で目立つのは優先席。握り棒を1つ増やし、一部を黄色にして目立たせた。床も濃いピンクと薄いピンクのシマシマ模様としている。また、化粧板をクリーム色にして、わかりやすくしている。これほど、徹底しているのも「優先席付近では電源OFF」の姿勢を強く打ち出しているものと思うが、そんなことでルールを守るヤツがいるとは、到底思えない。何度も述べていることだが、携帯電話の車内使用厳禁、電源OFFの姿勢を打ち出すべきなのだ。

優先席の化粧板がクリームで思い出すのは、6月8・9日(金・土曜日)の巨人-楽天戦で、巨人の選手はV9時代のユニホームでプレーしていたこと。V9時代のホームゲームユニホームは白ではなく、クリームを基調にしていたのである。そして、中央線のラインカラーはオレンジだから、E233系は“V9電車”と言いたくなる。但し、中央線の快速以上の電車は東京ドーム最寄り駅の水道橋には停まらない。早朝深夜のみ運行の各駅停車だけが停まることになる。

四方津(Shiotsu)を発車すると、中央線が信号トラブルで運転見合わせの情報がLCDに飛び込む。ツイてなーい、In a Jam!!(和訳すると「とても困っている」)

「新緑を快走」

と言えるかどうかはわからないが、E233系は走る。209系のガラスはまさしく、サングラスで、E231系シリーズはグリーンガラスを採用。今回のE233系もグリーンガラスだが、乗務員室側のみグレー。そして、ドアはなにも施されておらず、オリジナルの車窓はドアでしか楽しめないことになる。

猿橋を発車すると、車掌の肉声放送が入り、八王子で信号故障があったことを流し、後続の電車に遅れが出る可能性があることを示唆する。その影響で八高線も遅れていた。



最後は自動放送がかからず、車掌の肉声だったが、14時23分、終点大月4番線に到着。思ったより、快適な車両だった。

大月駅の周辺



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③2007年6月18日(月曜日)で観客動員数13萬4000人を突破しました。ありがとうございます。


ときわ路パス2007-最終回 [汽車旅2007番外編]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。アーンドゥ、クライマックス!!

気を取り直し、下菅谷18時52分発の普通列車水戸行きワンマンカー(キハ110-138)へ。車内は携帯電話の通話に、携帯ゲーム機の音もれで騒々しい。こういった道具の普及と進化は日本をダメにしている。

普通列車水戸行きワンマンカー編成表  
乗車区間 号車 車両番号 禁煙 備考
水戸 なし キハ110-138 なし
下菅谷 なし キハ110-134 なし

19時05分、終点水戸1番腺に到着。6番線にまわり、普通電車土浦行き(2号車モハE500-3)に乗り換え、19時10分に発車。方向幕の取り替え後、及び新天地になってからは初めての利用となる。

普通電車土浦行き編成表    
乗車区間 号車 車両番号 禁煙 備考
土浦 1 クハE500-1001 なし
  2 モハE500-3 なし
  3 モハE501-3 なし
  4 サハE501-4 なし
  5 サハE501-3 なし
  6 サハE500-1 なし
  7 モハE500-2 なし
  8 モハE501-2 弱冷房車
  9 サハE501-2 なし
水戸 10 クハE501-1 なし


新天地でほかに目立つ点は、車内広告の減少と弱冷房車を4号車から8号車に変更にしたことである。これはE531系入団当初、弱冷房車は4号車だったが、グリーン車の連結にともない、8号車に変更され、E501系もそれに合わせたのであろう。ちなみに快速で使うE231系通勤形タイプも4号車から8号車に変更している。

  

面白いのはもう上野へ行かないにもかかわらず、東京近郊路線図を掲示していること。付属編成は水戸線を受け持つことになったが、東京近郊路線図に載っているものの、常磐線の最北は日立までである。  

付属編成はVVVFインバータを日本製に変えてしまったが、基本編成は「ドレミファソラシドー(ミとシは♭)」のまま。クセになりそうな発進時と停止時の音だが、今までとは違い、電車の運行本数が過密ではないことから、ビュンビュン飛ばしており、E501系の最高速度である120㎞/h運転をしているのかもしれない。

  

石岡3番線に到着し、特急〈スーパーひたち58号〉上野行きの通過待ち。かつての鹿島鉄道の敷地には『花ごよみ』と車体側面に書かれている気動車1両が残されていた。E501系とのツーショット撮影をすることに成功したが、私のデジカメでは初めて、上デキな夜景撮影をすることができた。  

今まで、夜の撮影は夜景ポートレートを使っていたが、マックラだと効果はなく、フラッシュを使っても、役に立たない。それを解消するには夜景モードにすることだが、シャッタースピードが遅いせいか、三脚がないと確実にブレてしまう。  

三脚は持っていないが、2番線のサクの上にデジカメを置き、撮影に成功したのである。

  

20時04分、終点土浦3番線に到着。今も昔もE501系は「土浦行き」で、そこから先へ向かうことはない(昔は水戸方面、今は上野行き)。ちなみに方向幕は回送になったが、こちらも群青色で白の抜き文字になっていた。

  

2分の接続で2番線から発車する普通電車(取手から快速)上野行き(1号車クハE530-3:セミクロスシート。勝田-水戸間で乗車した編成)に乗り換えるが、同じ10両編成なのにE501系はホーム上野寄り先端に止まり、E531系は中ほどに止まっているのが気に食わない。1号車の停止位置を合わせるべきではないか。もしかしたら、平日は15両編成で運行しているのかもしれないが、見直して欲しい。

普通電車(取手から快速)上野行き        編成表

 
乗車区間 号車 車両番号 禁煙 備考
取手 1 クハE530-3 セミクロスシート
  2 モハE531-3 セミクロスシート
  3 モハE531-1003 ロングシート
  4 サロE530-9 2階建てグリーン車
  5 サロE531-9 2階建てグリーン車
  6 サハE530-2003 ロングシート
  7 モハE530-2003 ロングシート
  8 モハE531-2003 ロングシート。弱冷房車
  9 サハE531-2003 ロングシート
土浦 10 クハE531-3 セミクロスシート

20時06分に発車。運転士は何度かタイフォンを鳴らすが、その音色は大阪市交通局(大阪市営地下鉄)10系オリジナル車に近いものの、高速走行時、ドアがバタバタしているのが気になった。ちなみに10系も走行時はドアがバタバタしており、リニューアル車でも改善されていない。  

20時32分、取手3番線に到着し、乗り換え自動改札を渡り、関東鉄道常総線へ。

  

今回、常総線を利用することはなかったが、8番線には下妻行きが発車を待っているものの、常磐線に比べると、近代的なものがなく、昭和の雰囲気が漂う。  

JR東日本から譲り受けたような感じもする、旧式の自動改札を出ようとしたら、なんと「区間外」の表示!! あわてて有人改札へ向かうと、どうもここの自動改札はときわ路パスに対応していないらしく、ベテランの男性係員はカウンターのボタンをカチャと押したあと、出さしてもらった。ときわ路パスの意外な盲点で、常総線に乗る場合は常磐線の自動改札に入り、そのあと乗り換え自動改札を通らなければならないのである。  

ときわ路パスは水戸支社の商品で、取手は東京支社の駅にあたる。取手は“お情け販売”をしていることで、ほかの首都圏の駅で買えないのは残念だが、2,000円という破格の安さは魅力だ。  

茨城県は“遠い、東北地方とカン違いされやすい”というイメージがあるけど、上野から茨城県の最南端駅(東北本線は古河、常磐線は取手)まで1時間もかからない。また、青春18きっぷと違って、特急券を払えば、特急〈フレッシュひたち〉にも乗れる(特急〈スーパーひたち〉は上野-水戸間ノンストップが多い)。1日で利用できるエリアを乗りつぶすのはキツイし、やろうとは思わないけど、2008年もときわ路パスを発売することを願っている。できることなら、土休と春・夏・冬休み期間中も使えるようにして、ホリデー・パスの対抗馬になることを願う。

★備考

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2007年5月10日(木曜日)で観客動員数は11萬3000人を突破しました。ありがとうございます。

ときわ路パス2007-3 [汽車旅2007番外編]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

鹿島神宮2番線には鹿島線の各駅停車成田行き(1号車クハ111-1363)が止まっており、乗り換え、15時16分に発車。北浦を渡るが、壮大な水郷で、5本の指に入れていいような車窓である。水面には太陽が照りつけ、輝きを魅せている。

高架を走り、単線。橋幸夫の歌で知られる潮来(Itako)を過ぎても、水田が多く、利根川を渡ると、高架から盛り土へ。そして、進行方向左側の成田線に合流し、香取1番線に到着。鹿島線全線完乗を達成し、茨城県の鉄道も完全制覇した。

各駅停車成田行き編成表    
乗車区間 号車 車両番号 禁煙 備考
佐原 1 クハ111-1363 なし
  2 モハ112-1194 リニューアル車
  3 モハ113-1194 リニューアル車
鹿島神宮 4 クハ111-1093 リニューアル車


その後、佐原まで乗ったが、潮来から先はときわ路パスのエリア外のため、別料金である。

佐原で始発の各駅停車鹿島神宮行き(4号車クハ111-1128:リニューアル車)へ。終点鹿島神宮で下車するものの、キヨスクは閉まっているし、周囲はコンビニもない。また、SuicaやPASMOも使えず、成田線は銚子方面だと成田から先は使えないが、成田空港までは使える。

 

各駅停車鹿島神宮行き編成表    
乗車区間 号車 車両番号 禁煙 備考
鹿島神宮 4 クハ111-1128 リニューアル車
  3 モハ113-1250 リニューアル車
  2 モハ112-1250 リニューアル車
佐原 1 クハ111-1443 リニューアル車

仕方なく、アイスクリームの自販機でかなり遅い昼食。オレンジジュースのなっちゃん(田中麗奈のCMで有名になった商品)といっしょに大洗鹿島線16時20分発の各駅停車水戸行きワンマンカー(6018)へ。

各駅停車水戸行きワンマンカー編成表
乗車区間 号車 車両番号 禁煙 備考
水戸 なし 6018 なし
鹿島神宮 なし 6013 夢塗装車




最後部は夢塗装車であるが、なぜか進行方向右側のみだけ施すという珍しいカタチとなっている。赤い車体に魚が泳いでいるが、高架上だと鯉のぼりのような感じになっているのかもしれない。また、車内にはマイクを発見!! いったい、どういう時に使うのかが気になるが…



17時38分、終点水戸8番線に到着したが、水郡線キハE130系の普通列車常陸大子行きに間に合わなかった。どうもJR東日本とはダイヤの調整がうまくいかないようで、もし、私が勝田13時57分発、E501系の普通電車小山行きに乗っていたら、間一髪で水戸14時03分発の各駅停車鹿島神宮行きワンマンカーに間に合わない。今後は乗り換えやすいダイヤ構成をお願いしたい。



列車を降りると、友部寄りにある機関区ではEF81の寝台特急〈北斗星〉カラーと、ジョイフルトレイン『スーパーエクスプレスレインボー』カラーがそろい踏みをしていた。
 


さて、1番線では普通列車常陸太田行き(キハE132-2:女性車掌乗務)が18時22分の発車を待っているものの、ドアはまだ開かない。4両編成中、前2両はキハE130系である。

普通列車常陸太田行き編成表    
乗車区間 号車 車両番号 禁煙 備考
下菅谷 なし キハE132-2 なし
  なし キハE131-2 なし
  なし キハ110-133 なし
水戸 なし キハ111-152 なし
※備考:女性車掌乗務    


18時過ぎ、ドアランプがともり、ボタンを押すと、ついに開いた。水郡線は終日ドア半自動扱いである。また、JR東日本のワンマン対応車はドアチャイムが2回鳴るまで開閉できないことになっている。
キハE130系は2006年に入団。3ドアのステンレス車体で、4ドアのE531系の気動車版と思えるような内装で、シートモケット、吊り革は共通。運転席もJR東日本の気動車では初となるワンハンドルマスコンとなった。 ドアが開いた時、ステップがあるのは意外だったが、ドアは黄色になっており、目立つ。また、ドアの開閉があまりにもゆっくり過ぎるのが難点だが、高齢者や身障者に優しい車両を目指したのであろう。



ボックスシートはキハ110系と同じ4人掛けと2人掛けになっており、通路幅を確保。車端部には情報案内装置を設けているが、ワンマンカーしか使われないものと思われる。また、JR東日本の近郊形気動車では初めて、首都圏の電車と同じようにコンセントを設けた。ノートパソコンや携帯電話の充電にはもってこいだろう(優先席を除く)。更にボックスシートは片持ち式となった。

トイレは身障者対応だが、車端部ではなく、2つ目と3つ目のドアのあいだに設置(3つ目のドアに近い)。E531系ではトイレのある車両のドア位置が左右異なるためで、二の舞を避けたのだろう。また、キハE130系のステンレス車体は、2両車はエメラルドグリーン主体、1両車は赤が主体となっている。  

18時22分に発車。水戸-常陸青柳間の進行方向右側は高架化工事をしていたが、大規模になる模様。踏切の移動や上に交差する道路を下に変えることもありうる。  

日も沈み、暗くなることを待つのみだが、列車は下菅谷(Shimo-Sugaya)に到着。キハE130系の普通列車水戸行きと行き違う。  当初は終点常陸太田まで乗らず、上菅谷(Kami-Sugaya)まで利用し、折り返すつもりだったが、時刻表を見落としていた。予定変更で折り返そうとするものの、無情にも普通列車水戸行きは先に発車。手前の後台(Godai)で下車すればよかったと悔やむ。  

★備考

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2007年5月8日(火曜日)で観客動員数は11萬2000人を突破しました。どうもありがとうございます。

ときわ路パス2007-1 [汽車旅2007番外編]

200753日(木曜日・憲法記念日)、10時過ぎにJR東日本常磐線取手へ。みどりの窓口で、ときわ路パス(2,000円)を購入。JR東日本水戸支社限定きっぷのため、取手までSuicaを利用した(PASMOでもいいけど…)。



みどりの窓口の左側には荷物を置く台があり、ささやかな思いやり。券売機には、案内補助の女性係員がきっぷの買い方などがわからないお客を待っている。東京地下鉄(東京メトロ)発足時、主要駅にはサービスマネージャーを券売機に配置していたが、いつのまにか見かけなくなった。



ときわ路パスは茨城県内限定のきっぷで、JR東日本のほか、私鉄3社で使えるもので、2006年も春・秋シーズン限定で販売していた。また、2007年バージョンは331日(土曜日)まで鹿島鉄道も使えた。おそらく、ときわ路パスで鹿島鉄道の惜別乗車をしたレールファンもいることであろう。

ときわ路パス利用可能区間  
鉄道会社名 路線名 利用区間
JR東日本 常磐線 取手-大津港
  水戸線 小田林-友部
  水郡線 水戸-下野宮・常陸太田
  鹿島線 潮来-鹿島サッカースタジアム
関東鉄道 常総線 全線
鹿島臨海鉄道 大洗鹿島線 全線
茨城交通 湊線 全線
※備考:2007年3月31日(土曜日)まで鹿島鉄道も利用できた

取手周辺は常磐線の東京直通運転を願うカンバンがたっており、JR東日本も東北新幹線の高架上に重層高架を建てる模様だが、そこまでする必要性があるのかなと思う。要望が多いのかどうかは知らないが、大地震で崩壊したら、復旧費用は膨大になることは確実。ムリして作る必要もあるまい。



自動改札に入り、6番線から1034分に発車する普通電車水戸行き(9号車サハE5312003:ロングシート)へ。2007318日(日曜日)のダイヤ改正で、上野-友部間は各駅停車以外の定期便の車両は“JR世代”に統一された。ちなみに各駅停車も2008年から新型車両が投入され、2010年までに203系シリーズと207系を取り替えるという。

普通電車水戸行き編成表    
乗車区間 号車 車両番号 禁煙 備考
土浦 10 クハE531-14 セミクロスシート
  9 サハE531-2003 ロングシート
  8 モハE531-2014 ロングシート。弱冷房車
  7 モハE531-2014 ロングシート
  6 サハE530-2011 ロングシート
  5 サロE531-7 2階建てグリーン車
  4 サロE530-7 2階建てグリーン車
  3 モハE531-1014 ロングシート
  2 モハE531-14 セミクロスシート
取手 1 クハE530-14 セミクロスシート
アンダーラインは筆者が乗車した車両  

常磐線取手-土浦間の普通電車はE531系に統一され、2007318日(日曜日)のダイヤ改正で、特別快速の特権である130/hにスピードアップ。所要時間も若干短縮された。また、上野-土浦間の快速(取手から先は普通電車)は15両編成と10両編成に統一され、わかりやすくなった。一部の駅では10両編成の停止位置を変更している。



取手発車時では坐れなかったが、一部のドア上にある「常磐線・水戸線ご案内」は都県境まで表示されており、キメ細かい。ちなみに常磐線はいわきまで表示されているが、E531系は上野-高萩間、E501系は土浦-いわき間と水戸線の運行エリアとなっている。

直流電化から交流電化に変わり、小貝川を渡る藤代-佐貫間は強風対策を施している。

20051225日(日曜日)に発生した、特急〈いなほ14号〉新潟行きの脱線事故で、強風対策に乗り出しているが、JR東日本は“やる時は徹底的にやる”という印象がある。その一例として、ベテラン国鉄車両の取り替えをあげると、103系は仙石線に1編成を残すだけとなり、ほぼ駆逐。201系も『四季彩』以外はぜーんぶ取り替えるという。

さて、鉄橋のない区間でも強風対策工事をやっているが、電車の騒音を低減する目的もあるのではないかと思う。国鉄車両の定番、抵抗制御に比べれば、静かになってはいるのだが…

牛久で坐れ、1102分、土浦1番線に到着。駅のトイレは改修されており、綺麗になったものの、男子トイレは放尿姿が鏡に映る難点があるのは改修前と変わりない。

一旦下車し、券売機で200610月に日比谷公園で行なわれた『鉄道フェスティバル』で買ったJR四国のオレンジカードを投入し、自由席特急券(900円)を購入。再び1番線に下りると、特別快速が到着したものの、ガラガラである。



特急〈フレッシュひたち17号〉高萩行き(9号車自由席モハE65319:勝田止まり)に乗るが、車内はラッシュさながらで、客室へも進めないありさま。あわただしい1分停車で1115分に発車した。

特急〈フレッシュひたち17号〉高萩行き編成表
乗車区間 号車 車両番号 禁煙 備考
勝田 11 クハE653-103 指定席。勝田止まり
  10 モハE652-19 指定席。勝田止まり
  9 モハE653-19 自由席。勝田止まり
  8 クハE652-103 自由席。勝田止まり
  7 クハE653-7 自由席
  6 モハE652-13 自由席
  5 モハE653-13 自由席
  4 サハE653-7 指定席
  3 モハE652-14 指定席
  2 モハE653-14 指定席
土浦 1 クハE652-7 指定席
※備考①1~7号車の車体腰部はエメラルドグリーン
※備考②8~11号車の車体腰部はジャイアンツカラー
※備考③全席ファミコンシート    

近年、JR東日本は指定席券売機の設置を進めているが、オレンジカードやSuicaが使えないのは難点である。新幹線もJR東海共々、昔からオレンジカードが使えず、理解できない。いずれはSuicaICOCATOICAといったICカードが使えるようにしないとダメだろう。また、新幹線の自由席利用の場合のみ、自動改札で“タッチ&ゴー”できるようにしたらどうだろうか?

特急〈フレッシュひたち17号〉高萩行きは石岡に到着。進行方向右側の奥はかつて、鹿島鉄道鉾田線の起点だったが、2007331日(土曜日)にフォーエヴァーとなってから、1か月たったばかりだというのに、石岡機関区とレールのほとんどは撤去されており、ボロボロのホームが残っている程度だったが、特急〈フレッシュひたち17号〉高萩行き混雑のため、撮影していない。

水戸までこの状態かと思ったが、意外にも友部で大量に降り、デッキの人口圧迫状態が解消され、9号車自由席の立客はほぼ解消。携帯ゲーム機に夢中の青年だけはデッキに残っていた。

自由席混雑の影響で、車販のワゴンは10号車指定席水戸寄りのデッキで足止め。車掌も通れないありさまである。JR東日本は2007318日(日曜日)のダイヤ改正で、管内のみを走る新幹線と特急は全面禁煙となったのだから、今度は全車指定席制にしたらどうだろう。特急料金を払っているにもかかわらず、坐れないようでは“払って損した”と思いたくなる。特急料金を払って乗る以上、必ず坐れるようにして欲しい。

友部を発車すると、進行方向左側の車窓は水田。ゴールデンウイークとはいえ、農家の人々にとっては過酷なシーズンの開幕でもある。

余談だが、いつもは進行方向右側に坐るものの、残念ながら混雑のため、空いた席にありつくのが精一杯だった。



特急〈フレッシュひたち〉でおなじみ、E653系の座席は座面も動かすことのできる“ファミコンシート”で、JR東日本特急普通車の標準座席となっている。ちなみに“ファミコンシート”は私が命名したが、その理由は“ボタンがABボタンみたいだから”である(209系以降、安っぽい座席が多い気がする)。

水戸で立客は完全にいなくなり、那珂川を渡ると、勝田は近い。ちなみに特急〈スーパーひたち〉でおなじみの651系は車内の情報案内装置に「ただいまの速度は130/hです」と速さをアピールしているが、E653系にはない。また、651系は特急〈フレッシュひたち〉で運行する場合もある。

★備考

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④2007年5月5日(土曜日・こどもの日)は観客動員数738人を記録しました。ありがとうございます。


Forever Railway 2007.3.31総集編 [汽車旅2007番外編]

今回は2007年3月31日(土曜日)でたて続けにフォーエヴァーとなった鉄道を振り返ります。

①鹿島鉄道フォーエヴァー

2006年12月23日(土曜日・天皇誕生日)、JR東日本常磐線の普通電車勝田行き(3号車モハE531-2002:ロングシート)は石岡1番線に到着し、鹿島鉄道鉾田線(Hokota Line)に乗り換え。さて、どうやって乗り換えられるのかちょっと悩む。この日は土曜日で、『鹿島鉄道一日フリーきっぷ(土休と12月29日から1月3日まで使える)』が買えるのだが、改札は1番線側しかなく、JR東日本の管轄。みどりの窓口で売っているとはとうてい思えない。

おそるおそる跨線橋を渡り、鹿島鉄道ホームへ。常磐線とはダイレクトで行けるが、4番線はすでにレールが撤去され、5番線のみ使用。また、常磐線は近代的に整備されているような雰囲気だが、鹿島鉄道は昭和の雰囲気が色濃く残る。

石岡機関区は“気動車の見本市”となっており、駅の外にある歩道橋から撮影するレールファンもいるほど。いったい、どの車両が登板するのか楽しみなレールファンも多いだろう。

これだったら、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』のラストクイズ、「いっつみぃのウソつき4択」ができそうだ。

それはここで問題です。この日の10時29分発、鉾田行きワンマン列車はどの車両が登板したのでしょうか?

①の車両

②の車両

③の車両

④の車両

さぁー、みんなで考えよう!!

『鹿島鉄道一日フリーきっぷ(土休と12月29日から1月3日まで有効)』はホームにある石岡車掌区・運転司令室で販売。さっそく求めると、石岡までの乗車券の提示を求められる。青春18きっぷを見せると、買うことができた。『鹿島鉄道一日フリーきっぷ』を利用する場合、Suicaは自動改札機にタッチ&ゴーするより、あえて券売機で乗車券を買ったほうがよさそうだ(Suicaはオレンジカードの役割もある)。

10時16分、鉾田行きワンマン列車が“「案内放送」という名の前触れ”もなく、石岡機関区から入線。それでは、まいりましょうか。前編で出題した「ウソつき4択」の正解はこちらです。

正解は②の車両です。

正解なさった方はhttp://www.chukai.ne.jp/~shintaku/にアクセスし、「占い」にクリックして下さい。貴方のショーバイマネー(得点)が出てきますよ。

さて、鉾田行きワンマン列車(601:チョロQ号。1936年製)の車内はロングシートだが、木の床、ホンモノの網棚など、古い車両ならではのレトロなムード。ちなみに冷房もついている。

鹿島鉄道のワンマンカーはJR北海道と同じ、前乗り前降り方式で、始発の石岡では発車前限定で車掌が乗って、乗車券の販売を行なっている。常磐線からの乗り換え客が多く、サービスがいい。

照明は経費節減なのか、全部ついておらず、一部消灯。石岡機関区寄りには自社運賃精算済みの精算券発行機(常磐線に乗り換えた時、車掌が通りがかったら、渡してJR東日本の運賃を払う)がついているが、石岡の跨線橋入口に車掌が立って精算しているため、使う機会はなさそうである。また、車内は携帯電話をマナーモードにしてもらうよう、案内しているが、優先席はどこにもない。

10時27分、中間と後方のドアが閉まる。地元のオバチャンの話を聞くと、鹿島鉄道はなくなり、バスに引き継がれるらしい。この当時、鹿島鉄道は国土交通省に廃止の届出を出しているが、新しい業者に譲渡して、鉄道事業は存続する道を模索していることしか知らない。そんな話は信じたくないが、利用客の半分は『鹿島鉄道一日フリーきっぷ』を持っている。1両だけの運行なので、すべてのお客は坐れなかった。ちなみに発車前、男の子のお孫さんがドングリを大量放出し、ポニーテールをした50代のおばあちゃんは収集してくれるお客に平謝りするひと幕があった。

常磐線、651系の特急〈フレッシュひたち13号〉勝田行きと普通電車上野行きからの乗り換え客で更に増え、発車ベルが鳴ると、10時29分、発車した。車内はトークタイムと化し、放送が聞き取れない。

左に曲がって常磐線と別れ、坐り切れなかったお客のうち、男女6人は前面展望。進行方向左側、1番前のロングシートに坐っているので、覗き込むのもひと苦労だが、直線を心地よいノロさで走る。この直線区間は長い。

玉里(Tamari)で初の下車客が現れ、若い女性1人下車。ちなみに運賃表はボードで掲示している。

東京都交通局都電荒川線と同じ汽笛を鳴らし、西高浜へ。乗るオバサンと鉾田行きワンマン列車がほぼ同時に到着するタイミングのよさに脱帽。

まっすぐ進んでも左右に揺れ、四箇村(Shikamura.駅名板はなぜか「四ヶ村」になっていた)に到着。発車すると、すぐ右に曲がるため、長い直線はここで終わる。

車内では乗り心地を楽しむ人、新聞やマンガを読む人などが多い。レールファンや興味がてらに利用している人は前者、日常の利用客は後者といったところだろう。

数少ない有人駅の常陸小川(Hitachi-Ogawa)に到着する直前、道路では撮影隊がいくつか見られた。クルマで駆けつけたところもあったようだが、止めたところが駐車禁止エリアでないことを願う。また、撮りに行くぐらいなら、乗って欲しいなと思う。レールファンは私みたいに乗る人、一世一代のナイスショットを目指して撮る人など、様々ではあるが、駐車禁止の取り締まりがより厳格化した以上、クルマでの来訪は駐車場を事前に調べたほうがよさそうに思える。

常陸小川では看板車両、KR500形の石岡行きワンマン列車と行き違う。鹿島鉄道の車両がすべてKR500形に置き換えられなかったところをみると、新車が投入できないほど追い込まれていたことを物語る光景だ。

小川高校下を発車すると、遮断機のない踏切を通る。なかには遮断機どころか、警報機さえもない危険な踏切もあった。クルマが通るようなところだとは思えないが、事故が起これば東武鉄道伊勢崎線竹ノ塚付近の手動式よりも問題視されていただろう。ちなみに竹ノ塚の踏切はその後、自動化されたが、もっと早くやっていたら、痛ましい事故が起こらずに済んだはずで、くやまれる。

ローカル線っぽく、線路に雑草が生え、やがて進行方向右側には霞ヶ浦が見え、撮影隊が集中。車窓は“霞ヶ浦レイクショー”となる。

幼少の頃、霞ヶ関と霞ヶ浦の区別がつかず、霞ヶ関ビルは霞ヶ浦に建っているものと思っていた。今となっては笑い話である。また、東武鉄道東上本線に「霞ヶ関」という駅があり、ややこしい。

車内のお客は徐々に減ってゆくが、車窓は12月でもススキがしっかり根づいているなど、まだ秋を感じさせる。

霞ヶ浦レイクショーは八木薪(Yagimaki)到着目前で終わり、しばらくは“国民の病”であり、花粉症の天敵でもある杉の木を眺める。

発車して、再び霞ヶ浦レイクショー。空席はあっても、前面展望に興味のあるお客はレールファン以外でも多く、石岡から乗っているグループ客うち、女性2人は車窓を満喫していた。

浜を発車すると、左へ曲がり、霞ヶ浦レイクショーは終わりを告げる。

玉造町(Tamatsukuri-machi)で大量下車が発生。車内は一気にすき、ディーゼルエンジンはよりいっそうのうねりをあげる。鹿島鉄道の歴史と同様、平坦な道のりではない。

榎本(Enokimoto)では鹿島鉄道みずから鼓舞するかのような、『ガンバレ! かしてつ』のKR500形“夢塗装車”の石岡行きワンマン列車と行き違う。“まだまだやれる”というヤル気があるという表れで、心強い。

榎本を発車すると、少々飛ばして左右によく揺れ、11時24分、終点鉾田に到着した。

ここでは10人ほどのレールファンが待ち構えていた。折り返し、石岡行きワンマン列車まで、30分ほどあるので、じっくりとゆっくりと、あわてず騒がずの撮影ができる。レールファンは心を込めて、鹿島鉄道鉾田駅の姿を目に焼きつけるかの如く、撮っていた。

鉾田は立ち食いそば屋が併設されており、ひと足早い昼メシをとる人もいた。また、たい焼きも売っており、私はクリーム味を食す。

駅の窓口で『鉾田線~いろんな夢がある~サウンドWrap(税込1,000円)』のCDを購入。新星堂といった大手のCD屋では売っておらず、鹿島鉄道だけが販売している。

CDを買って、鹿島鉄道の増収に努め、多くのレールファン共々、継承社による鉄道の存続を願っていたが、2006年11月19日(日曜日)、再建を断念する貼り紙が窓口に貼られていた姿を見て、背筋が凍った。こまめに撮る私でも、この貼り紙は撮る気になれない。

鹿島鉄道はなくなっても、鉾田線が生き続けることを信じた沿線住民の願いは散ることになった。大変残念である。これにより、2007年3月31日(土曜日)で鉄道は消え、バス転換に向けて、調整中である。

私は「廃止」という言葉を使うのは好きではなく、「フォーエヴァー」を使っている。映画では①完結編②最終回という使われ方をしているので、「廃止」で悲しく、惜しむのではなく、「フォーエヴァー」で労をねぎらい、新たな旅立ち、最後の旅立ちを静かに見届けよう。

ステーションギャラリーでは関鉄レールファンCLUB主催、鉄道模型の運転会が行なわれていた。入場無料なので、さっそく入ってみると、スタッフの男性から硬券入場券を渡され、更に、この日から『鹿島鉄道オフィシャルDVD 鹿島鉄道の旅(本体2,800円)』が発売。奮発して購入する。2007年4月1日(日曜日)以降、もう見れない車窓なのだから。

さて、鉄道模型は首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスや関東鉄道、鹿島鉄道、新幹線の車両など、“夢のオールスター”となった。そして、『みんなでカシノリ』というサボも展示していた。

「みんなでカシノリ、野球はカツノリ、食べる前にノム」

という早口言葉を思いついたのであった。

★備考

・鹿島鉄道ホームページ…http://www.katetsu.co.jp/

・鹿島鉄道の参考記事として、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E9%89%84%E9%81%93http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E9%89%84%E9%81%93%E7%B7%9Aもあります。

②くりはら田園鉄道フォーエヴァー

2007年1月7日(日曜日)、JR東日本東北本線の普通電車一ノ関行き(クモハ455-51:セミクロスシート改造車)は石越に到着し、くりはら田園鉄道(くりはら田園鉄道線。次からは「くりでん」と略す)に乗り換え。1番列車はなんと7時29分発という、鉄道では珍しい“朝寝坊”ぶりだが、これは休日ダイヤのため。平日ダイヤの1番列車は6時26分発である。

東北本線とくりでんの駅舎は別々になっており、後者は施錠されているが、ホームには入れる。しかし、ホームは弱々しさを感じてならない。常日頃からに赤字に悩まされていたことを物語る光景だが、列車の到着を待つ。ホームは弱々しくても、列車に乗ることを楽しみにする情熱は衰えを知らない。

7時15分、101系統細倉マインパーク前行き(KD951:ワンマン)が入線。若柳始発のため、お客は1人のみ。鹿島鉄道もそうだったが、こちらもタブレットを使用している。

ドアが開き、ボックスシートに落ち着くと、天気雨。フォーエヴァーを惜しむ涙雨のようだ。

運転士は駅舎、トイレにカギをさし、開ける。本日のくりでん営業を開始する光景で、運転士は駅舎内にある駅長室で休息をとる。

少し離れた東北本線のホームでは、7時31分発、701系1000番台の普通電車仙台行きの車掌はくりでんを見つめていた。おそらく、レールファンで、くりでんが2007年3月31日(土曜日)で姿を消すことがさびしいのであろう。目に焼きつけ、休みの日は乗りに行くつもりなのかもしれない。

KD95形は平成7年(1995年)に入団。経営再建のため、栗原電鉄から、くりでんに社名が変わることになり、電車から気動車への運行にチェンジしたものである。

車内はボックスシート&ロングシートのセミクロスシートで、床は木のぬくもりを採用したレトロ調。ボックスシートはJR東日本キハ110系と同じ2人掛け-4人掛けとなっているが、前者は小型、後者は大型のテーブルがついており、観光客向けである(画像は復路の列車で撮影)。

くりでん発足後、名古屋鉄道から気動車2両が移籍したものの、2005年1月から休車の状態にあるという。ワンマン運転対応でなかったことが原因のようだが、それだけ利用客が少なくなり、1両かつKD95形で足りるという悲しい現実を物語っている。

雨はやみ、てぃだ(太陽)が昇ると、7時25分、定刻通りに発車。すぐさま東北本線と別れる。

くりでんはJR北海道・鹿島鉄道と同様、前乗り前降り式で、荒町に着くも、乗降ゼロだが、社名通りの田園をひた走る。東京急行電鉄田園都市線ではまず見られない、のどかな車窓だ。

若柳は栗原電鉄時代に活躍していた電車が留置されていたが、無残かつ哀れな姿。すでに架線を撤去しているため、自力で走ることもできない。くりでんでは「保存車両」という名目で留置しているが、メンテナンスをほとんどしておらず、“本当はスクラップするカネがないほど、経営がいき詰まっていた”のではないかと思わせてしまう。

天気は曇りだし、再び雨が降る。この日の天気予報も大当たりとなった。

大岡小前は近辺に小学校があり、JA栗っこ大岡農業倉庫がある。「栗っこ」というのは栗原の人々という意味だが、なんとなくシャレている。

JR東日本東北新幹線をくぐると、大岡に到着。かつては行き違い可能だった。

沢辺はかつて、東北新幹線くりこま高原駅へ向かう路線バスがあったが、2006年9月30日(土曜日)でフォーエヴァー。利用客が少なかったのだろう(但し、仙台へ向かう高速バスは走っている)。

ここで101系統石越行き(ワンマン)と行き違うが、上下線のホームはかなり離れている。駅員(あるいは駅長)が101系統石越行き(ワンマン)のタブレットを持ってきて、渡すと、すぐさま発車(どうやら、私が乗っている列車では到着後、すぐにタブレットを渡していたらしい)。

津久毛はかつて、行き違い可能だった。架線柱は残されているが、サビついているところがあり、悲壮感が漂う。

くりでんは発車して、時間がたってから自動放送を流すのが難点で、できればすぐにやって欲しいところだ。

栗駒で、再びタブレットChangeがあり、行き違いはなかった。くりでんの車両は1995年製でも、昭和のローカル線の雰囲気がある。かつて、タブレットはローカル線の代名詞だったからだが、今はそういうやり取りはなく、お客に見せる鉄道員(Poppoya)同士のぬくもりは乗務員交代だけになっているようだ。これも時代の流れである(画像のタブレットは復路の列車)。

栗原田町を発車すると、くりでんの歴史と同様、少し険しい道を進むが、それは次の尾松まで。車窓は田園に戻るが、山が近づいてゆく。

鶯沢を発車すると、進行方向右側に工事中の道路があり、引導を渡す存在になるようである。2007年4月1日(日曜日)から路線バスに転換されるが、それに対応した道路なのだろう。

とろいスピードで、山道を登る。勾配とカーブでスピードはあがらず、一段と天気は悪くなってゆく。

唯一のトンネルを通り、花粉症の季節になると猛威をふるう杉を横目に力走。ブリキの警報音がする唯一の踏切を通ってゆく。

ボックスシートの居住性はよく、大型のテーブルでメモをとっていたが、本来は細川マインパークなどへ向かう、行楽客がお弁当を広げたり、お茶を置いたりするスペースとして、設けたのであろう。しかし、利用客は減るばかりで、行楽で満員になる姿は夢で終わってしまいそうだ。

8時16分、雨が強く降りしきる中、終点細倉マインパーク前に到着し、全線完乗を達成した。席が埋まる程度の乗車率だったが、大半のお客は折り返し、8時25分発の101系統石越行き(ワンマン)に乗っていた。

細倉マインパーク前は『東北の駅百選』に選定されており、駅舎はくりでんポスター、待合室と男女共用トイレに、本棚がささやかな特設図書館となっている。ちなみに駅舎の外に男女別々のトイレが設置されており、こちらのほうが利用率が多いようである。

駅舎を出ると、電気機関車と貨車が静態保存。上屋をつけないと、若柳と同じようなメにあうので、早急の設置を望みたいところ。また、『乗って残そう栗原電鉄』のカンバンもあるが、残せなかった。沿線住民は鉄道の存続にどれだけ関心があったのかは定かではないが、“お隣りさんが乗ってくれるでしょ”というような心があったのかもしれない。

10時06分発の101系統石越行き(KD953:ワンマン)に乗り、発車して、進行方向右側、数百メートルのところに細倉駅がある。これは平成2年(1990年)6月15日(金曜日)まで営業していた。

翌日から細倉マインパーク前まで延伸かつ移転。細倉駅は役目を終えたが、実は移転する以前から、現在の細倉マインパーク前は終点の地だったという。残念ながら、復路の列車で気づいたため、撮影していない。

余談だが、復路のベテラン運転士はさかんにタイフォンを鳴らしまくっていた。“おらの鉄道を終生忘れないでくれ”と言いたそうな感じである。

終点石越で下車し、徒歩1分のところにある石越郵便局へ。時間外窓口があったので、旅行貯金の交渉を行なったところ、快諾。ATMに1,000円入金(お札しか出し入れできないため)して、局名印を押していただき、旅行貯金が成立した。

★備考

・くりはら田園鉄道ホームページ…http://www.pref.miyagi.jp/soukou/kuriden/k_HYODAI.htm

・くりはら田園鉄道応援団くりでん応援クラブWebサイト…http://members2.tsukaeru.net/kuriden/index.html

・フリー百科事典『Wikipedia』にも、くりはら田園鉄道に関する記事があります。 

『Yahoo! セカンドライフ』にも、くりはら田園鉄道に関する記事があります(私が執筆したものではありません)。

・細倉マインパークホームページ…http://www.kuriharacity.jp/kuriharacity/contents/kanko/learning

③西日本鉄道宮地岳線フォーエヴァー

2007年3月3日(土曜日)、JR九州香椎線の各駅停車西戸崎行きワンマン列車(キハ47 72)は和白に到着。ここで西日本鉄道(次からは「西鉄」と略す)宮地岳線に乗り換えようとするが、目と鼻の先だというのに、こせん橋を渡り、反対側にある改札を出なければならず、大きく遠回りしないと乗り換えられない。そのおかげで、9時15分発の津屋崎行き(ワンマン)に乗り換えられず、くやしい。チクショー!! JR九州も西戸崎行きのりばに連絡改札を設けてくれないと困る。

窓口で乗車券を購入し、三苫行き(For Mitoma.ワンマン)が発車したあと、ようやく津屋崎行き(619:ワンマン)が到着。貝塚行き(ワンマン)と行き違い、9時28分に発車。進行方向左側にある玄界灘を覗かせながら、坂を下り、快走してゆく。

三苫では始発の貝塚行き(ワンマン)と行き違う。ちなみに和白に到着した時、三苫行き(ワンマン)に乗ったお客は誰もいなかった。

西鉄新宮に到着。貝塚行き(ワンマン)と行き違うが、ホームにいるお客は津屋崎行き(ワンマン)には目も向けない。古賀ゴルフ場前では到着と同時に1人乗って、5人下車した。

発車すると、とても廃線になるとは思えないようなところで、本数は多いし、一戸建てやマンションも多く、ローカル線にありがちなサビれた様子もない。

西鉄古賀で貝塚行き(ワンマン)と行き違う。ちなみに方向幕はわかりやすいよう、カラー化しており、貝塚行きはグリーン三苫行きは赤津屋崎行きはスカイブルーである。

発車すると、住宅密集地ではなくなり、のどかな雰囲気だ。レールファンは少なく、乗っているのが1人いて、花見では撮る人が1人いた。

車窓は田園となり、線路には一部、雑草が生えだしている。もう手入れする必要がないのであろう。

宮地岳線のワンマンは車内に整理券発行機、運賃表、運賃箱はなく、駅係員が集札を行なっている(一部無人駅)。但し、営業時間が限られている駅が多く、コストを削減し、路線をなくさまいという企業努力をしてきたものの、その苦労は報われなかった。

宮地岳はホームに山がある。駅員のいない無人駅だが、のどかさがただよう。

宮地岳線は2007年3月31日(土曜日)でフォーエヴァー。しかし、全線ではなく、西鉄新宮-津屋崎間だけだが、宮地岳に行かないため、2007年4月1日(日曜日)から「貝塚線」として、再出発する。

電車はゆっくり、ホームに滑り込み、終点津屋崎に到着。なお、宮地岳線は2001年10月7日(日曜日)に全線完乗しているものの、日が暮れてしまったため、昼間の景色が見たくて、改めて乗った。

津屋崎郵便局で旅行貯金したあと、10時35分発の貝塚行き(656:ワンマン)に乗り、西鉄福間で下車。津屋崎の地図を見たら、西鉄福間と鹿児島本線福間の距離が近くにあることがわかったからである。

宮地岳線は鹿児島本線に並行しており、天神へ行くなら宮地岳線と福岡市交通局(福岡市営地下鉄)箱崎線の乗り継ぎで近いものの、博多へは遠回りとなってしまう。鹿児島本線からの車窓でも貝塚は見えるが、JR九州は至近距離に駅を設置していない。天神は近くても、博多は遠く、西鉄千早-西鉄福間間は近くに鹿児島本線の駅が所在するところが多いのである。

沿線では宮地岳線の利用を呼びかけるノボリがいくつか見られたものの、効果はなく、残念ながら宮地岳線の一部区間を切り捨て、貝塚線として再出発することになったのである。

★備考

・西日本鉄道ホームページはココにクリック!!

・宮地岳線について、くわしくお知りになりたい方はこちらにクリックして下さい。

・土曜日と休日は、旅行貯金できるという保証はまったくありません。ゆうゆう窓口で交渉し、成立したものです(旅行貯金は局名印がないと成立しない)。

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★お知らせ

①『Yahoo! セカンドライフ』のコラム一覧はこちらにクリック!!

②2007年4月1日(日曜日)で観客動員数が95,000人を突破しました。ありがとうございます。なお、多忙により、次回の記事は来週以降になる予定です。御了承下さい。

③岸田法眼のRailway Blog.「Forever Railway 2005.3.31総集編」はこちらにクリック!!


JR東日本415系鋼製車フォーエヴァーTHE LAST RUN [汽車旅2007番外編]

2007年3月17日(土曜日)、千葉県柏市で所用を済ませ、急いでJR東日本常磐線柏へ向かい、14時30分発の快速上野行きへ。行先案内に「3ドア」と表記していたので、415系シリーズであることがわかる。

すでに快速上野行きは到着しており、急いでドアが閉まる数秒前に乗り込んだ(5号車モハ414-102)。

ボックスシートを運よくGET!! 台車の上に坐ったせいか、よく揺れるものの、全身全霊、魂と渾身を込めた最後の力走だ。乗っている人々は“この日でお別れ”であることを知らないのではないだろうか。何気なく電車に乗っている光景である。

松戸で特別快速上野行きに乗り換えれば、終点上野に早く着くので乗り換えようかどうか悩むが、乗車続行。せっかく坐っていることもあるが、最後まで乗るべきだろうと思ったこともある。上野で迎えるよりも、終点まで乗ったほうが性に合う。

「カメラの人がいっぱいだね」

相席夫婦の御亭主が奥さんに話しかける。415系鋼製車のダイヤを事前に調べたのであろう。私は偶然乗り合わせただけで、普段は市販の時刻表以外、まったく下調べしないから、思わぬ出来事に出会った時の感動は一生忘れられないものがある。

レールファンは415系シリーズを撮りまくる。415系1500番台も常磐線では友部以北の運行となるため、ダイヤ改正で常磐線の快速以上の種別は上野-友部間はJR産の車両に統一される(臨時便を除く)。

金町でもレールファンが多く、東京地下鉄(東京メトロ)6000系の各駅停車(綾瀬から多摩急行)唐木田行きと勝負させる。快速が勝つことはわかっているが、ちょっとだけ“ハンデ”を与えたようなものである。

車内でもレールファンの通り抜けが多く、車端部の幌では録音する光景も見られた。ただ、やる場所が悪い。一般のお客が通り抜けることがあるのだから、おとなしく座席に坐るが、立ってやるべきではないだろうか。

「他のお客様の御迷惑にならないよう、お互いに注意しましょう」

大阪市交通局(大阪市営地下鉄)じゃないけど、そういう心構えが必要だ。

「フワーン!!」

という電気笛と共に北千住で特別快速上野行きに抜かれた。常磐線特別快速はすべてE531系の運行なので、新旧交代を物語る光景だ。

停まるごとにレールファンらは前へ移動。先頭1号車に移り、終点上野で撮るつもりなのだろう。まるで平日の朝、女性専用車へ駆け込み移動する女性と同じだ。この日は土曜日ということもあって、小中学生の姿も多かった。

特別快速は15両でも、多くのお客は先を急がず、乗り続けたため、乗車率は変わらず、北千住から日暮里までがピークだった。ホームにはグリーン車の乗車位置を示す吊り下げカンバンやグリーン券売機が設けられており、準備は万端である。

日暮里で若干減り、東北本線に入ってクールダウン的な走りをしたあと、15時03分、終点上野10番線に到着した。折り返し、15時12分発、快速(取手から普通電車)いわき行きとなる。

ホームには多くのレールファンが集結し、“上野じゃないと絵にならない”ようだ。また、こういう展開を予想してか、警備員を配置。更に11両編成すべてが鋼製車だったため、ヘッドマークつきだった。平日だと15両編成で運行することがあるので、ダイヤ改正が日曜日なのは幸運と言える。



ヘッドマークは入団時の塗色だった。この色は田舎を漂わせるようなカラーだったが、のちに現在の塗装に変更。以来、20年以上に渡って、この色で活躍し、常磐線“国電外区間”のラインカラーとなった。



折り返しの快速(取手から普通電車)いわき行きは、ホームの取手方はいつも通り、すいているのでボックスシートをラクにGETできる状態だった。おそらく、青春18きっぷで全区間乗車して、THE LAST RUNを見届けるレールファンがいるかもしれない。



快速(取手から普通電車)いわき行き発車後、今度は9番線から15時32分発の快速(取手から普通電車)勝田行きを待つ。こちらは御徒町寄りにある留置線から登場。前4両(1~4号車)は415系1500番台、うしろ7両(1~7号車)は415系鋼製車である。

快速(取手から普通電車)勝田行きは残念ながら、ヘッドマークはついていなかったが、東北本線が線路に人が立ち入っていたため、少々遅れており、E231系近郊形タイプの普通電車小金井行きに顔を合わせることができた。



さて、E501系は2007年2月21日(水曜日)をもって、上野-土浦間の運行が終了するというコメントをいただき、様々なブログでも紹介されていたが、誤報であることが発覚。しかも、運行区間は上野-いわき間という長距離運行。仮に全区間乗ったとしても、ロングシートで耐えられる自信はないけど、415系鋼製車を置き換えていた。



首都圏では見られなくなるのは残念だけど、ダイヤ改正前に10両編成ではあるが、帰ってきてくれた。方向幕を変えて、心機一転の姿を見せてくれた。「上野」の方向幕を撮ればよかったのかもしれないが、予想外だったので、御勘弁を(早くから知っていれば、乗っていたかもしれない。ちなみに画像は日暮里で撮影)。




415系鋼製車はJR九州にもあり、こちらは“まだまだ”活躍する(大半はリニューアルして、ロングシートにチェンジしている)。ちなみにJR九州の415系1500番台は帯の色が水色になっており、常磐線用とは異なる。



★快速上野行き編成表

1号車クハ411-618:ロングシート
2号車モハ414-518:ロングシート
3号車モハ415-518:ロングシート&弱冷房車
4号車サハ411-704
5号車モハ414-102
6号車モハ415-102
7号車クハ411-518:ロングシート
1号車クハ411-215
2号車モハ414-115
3号車モハ415-115:弱冷房車
4号車クハ411-115

★備考

①JR東日本415系鋼製車フォーエヴァーはこちらにクリック!! 

②JR東日本415系鋼製車フォーエヴァーⅡはこちらにクリック!!

③JR東日本E501系上野フォーエヴァーはこちらにクリック!!

④オーミヤの鉄道日誌「さようなら、ありがとう、415系…」はこちらにクリック!!

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★お知らせ

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③2007年3月17日(土曜日)は観測史上最高となる868人の観客動員数を記録しました。どうもありがとうございます。


JR東日本E531系グリーン車試乗 [汽車旅2007番外編]

2007年1月21日(日曜日)、JR東日本東北本線上野10番線から、11時10分に発車する特別快速土浦行きへ。すでに入線しており、2007年1月6日(土曜日)からE531系はグリーン車の連結を開始したが、3月17日(土曜日)まで、普通車扱いのため、乗車券だけでも乗れる。特に2階席の人気はすざましいと言ってもよく、1階席は空席がチラホラ。

なお、今回は時間の都合で、車番チェックは省略した。旅に出るワケでもないし、たまには日常で電車に乗っている気分を味わいたい。それにこれから、E531系グリーン車に乗る可能性は充分、あるのだから。

9番線に415系鋼製車つきの快速(取手から普通電車)いわき行きが御徒町方にある留置線から入線。青春18きっぷの旅なら、どちらを選ぶか悩みそう。

11時10分、発車。進行方向左側から同時刻に発車したE231系近郊形タイプの普通電車籠原行きに完敗!! 特別快速土浦行きは日暮里に停まるためで、一部の特急<フレッシュひたち>も停まるが、なぜか京浜東北線の快速は通過する。日暮里はややこしい駅だが、京浜東北線の快速が停まると速達性が薄れるため、要望するつもりもない。

日暮里から常磐線に入り、次は松戸。京成電鉄京成本線は大改良工事の真っ最中である。

三河島付近で、E501系の快速上野行きとすれ違う。209系と同じフェイスをした車両だが、わずか60両しかない希少価値の車両である。また、京浜東北線は2007年秋以降から、「価格半分、重量半分、寿命半分」の公約通りに209系の廃車が始まるのに対し、E501系はまだまだ現役続行。嬉しい限りである。

車掌はグリーン車の案内をし、“お試し期間内”の御利用をアピール。また、2ドアのため、降りる時はお早目のお支度をしてもらうよう、JR東海の静岡地区と同じようなお願いを告げる。更に連結する便は日によって異なることも付け加えた。

南千住を通過すると、スピードは本領発揮!! 北千住2・3番線では撮影隊の姿が見られた。

北千住を通過し、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線の各駅停車守谷行き(案内は「各駅停車」と「普通電車」が混在して、ややこしい)を追跡するも、追いつき追い越せない不覚をとる。南千住-北千住間は常磐線の電車でさえも抜かされるため、最新設備を備えた、つくばエクスプレス線は脅威の存在だ。

綾瀬を通過すると、親子(父と小学生男児)の話し声がよーく聞こえるほど、異様なほどの静寂ぶり。とても電車に乗っているとは思えない。隣りの3号車はモハ(電動車)にもかかわらずだ。また、異様な静寂ぶりの中、風を切る音がものすごく新鮮だ。JR西日本の新快速でも味わえない音だ。

松戸でE231系通勤形タイプの快速取手行きに接続。以前は北千住で通過待ちにあっていたが、接続に変えて利便性が向上した。

柏ではE531系グリーン車つきの特別快速上野行き、取手でも快速上野行きと遭遇。おそらく、基本編成(1~10号車)にグリーン車のないE531系は郡山総合車両センターへ移動しているのだろう。

さて、E531系グリーン車は基本的にE231系グリーン車とほぼ共通だが、気になるのは『オーミヤの鉄道日誌』というブログで紹介された照明のデザイン。実際にナマで見たが、“照明カバーはカバーにあらず”だ。蛍光灯を“セミむき出し”、わかりやすく言えば、網タイツになっているので、ものすごく違和感がある。特に夜だと違和感は増すだろう。ここは完全たるカバーにしたほうが、より明るくなるはずだ(画像上段はE531系グリーン車。画像下段はE231系グリーン車)。

座席は先ほども述べたように、E231系グリーン車と同一。シートモケットの1階と平屋は赤、2階は青を基調としている。

松平健によると、赤は“愛情と情熱”、青は“優しさとやすらぎ”だそうで、みずから作詞した『マツケンサンバⅢ』で腰を振りながら歌っている(画像は水戸駅の体験コーナー)。

 

これはE231系グリーン車についていたかどうかは覚えはないのだが、座席背面下にあるカンガルーポケットの左側に、引っ掛けるようなモノが備わっていた。いったい、なんのためにあるのか気になるところだ。ちなみに近郊形電車のグリーン車はなぜか、足乗せがついていない

グリーン車のトイレは5号車についており、洋式。車椅子対応ではないので、広くはない。洗面所も隣接しているので、快適に過ごせるものの、よく揺れた。

取手から各駅に停まるが、異様にも思える車内の静寂性は相変わらずだが、オッサンがうるさい。また、ここから130㎞/h運転となるが、不思議と速さは感じない。

停まるごとにお客は減り、静かな空間を快適に過ごし、スピードが大幅に落ちて、ポイントを渡ると、12時07分、終点土浦3番線に到着した。

E531系のグリーン車は照明以外は快適に過ごせたが、気になるのは特急<フレッシュひたち>に連結要望が殺到する可能性があることである。つまり、「E531系基本編成にはついているのに、 特急<フレッシュひたち>にないのはおかしい」と疑問を抱く利用客が多いのではないかということだ。

先ほども述べたが、近郊形電車のグリーン車は足のせがなく、特急の自由席・指定席と変わりない。そういう要望があったとしても、JR東日本はそういうふうに回答するのではないかと思う。

なお、E531系グリーン車は2007年3月18日(日曜日)のダイヤ改正から、上野-高萩間で“グランドオープン”することになっている。つまり、上野-いわき間の普通電車(上野-取手間は快速)がなくなることを意味している。できれば、いわきまで運用して欲しいところだが、東北地方に進出できない理由はあるのだろうか?(いわきは福島県の駅である)

 ★備考

①『オーミヤの鉄道日誌』のE531系グリーン車記事は、ココにクリック!!

②車内で撮影した画像はランダムに掲載しています。

「JR東日本常磐線特別快速」も合わせて御覧下さい。

「JR東日本E231系グリーン車試乗」も合わせて御覧下さい。

備考とは関係ありませんが、『Yahoo! セカンドライフ』では、私のコラムを掲載しております。ぜひ、御覧下さい(御意見、御感想はこちらにクリックして下さい)。

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元旦終夜運転2007 [汽車旅2007番外編]

新年、あけましておめでとうございます。本年は1月中旬に『Yahoo! セカンドライフ』のコラムが掲載される予定です(無事に掲載されたら、お知らせします)。皆様、本年も変わらない御愛顧、よろしくお願いします。

2007年1月1日(月曜日・元旦)、東京地下鉄(東京メトロ)丸ノ内線池袋(M-25)へ。

前日の2006年12月31日(日曜日・大晦日)、丸ノ内線は「電車線故障」という案内で、新宿-荻窪・方南町間が13時間も不通になるアクシデントがあった。

讀賣新聞のホームページによると、8時25分頃、中野坂上-中野新橋間にある地下変電所付近から出火し、送電ケーブルの一部を焼き、Click here to find out more!1時間後に消化したものの、電気系統が焼損したため、21時過ぎまでストップしたのである。

終夜運転ができるかどうか不安だったが、ホームに下りると、予定通り行なう状態にホッとする。

久しぶりに丸ノ内線池袋(M-25)の地に立つが、ゲート式のホームドアが設けられ、様子が一変していた。将来は本線部(池袋-荻窪間)もワンマン運転を行なうらしく、丸ノ内線は全線ワンマン化になる模様。

2番線に1時19分発、折り返しの荻窪行きが入線。停止位置ピッタリに止まり、ホームドアが開いた。

ホームドアをつける前から、02系に変化がおき、一部のドア上にあるボード型の案内装置をLEDによる情報案内装置にChange。また、運転台もマスコンとブレーキがタテに動く2軸レバーから、ひとつにまとめたワンハンドルマスコンにChangeしていた。これは支線(中野坂上-方南町間)に投入している02系80番台と同様である。

更に車体側面の車番は中央の下のほかに、中央のドアの左横にもシールで追加。ひと目でわかるようになっている。

1時19分、荻窪行きのドアが閉まったあと、ホームドアも閉まり、発車した。将来のワンマン運転時は電車のドアとホームドアが同時に開閉するものと思われる。

その後、2番線に荻窪行きが入線。02系では希少価値にあたる方向幕の車両で、なおかつ、黒い(1996年から1997年にかけて、01・03・05系と東西線用の5000系は群青色の方向幕にChange。21世紀には6000系にも変えたが、その後のリニューアル工事で方向LEDにChangeしている)。また、02系オリジナルの姿を保っている。

1番線ではずーっと休んでいた車両が目を覚まし、車掌が乗り込んで、車内の照明がつくと、方向LEDは池袋から銀座に変わり、ドアが開いた。今回の終夜運転の目玉というわけではないが、通常ダイヤでも丸ノ内線の銀座行きはないため、貴重な撮影だ。

1時19分に発車。銀座行きは自動放送、ドア上のLEDによる情報案内装置が作動せず、ボード型の案内装置だけ。「銀座行き」という、通常ダイヤにもない行先なのだから、しょうがないか。

新大塚(M-24)はホームドアを使用しており、茗荷谷(Myogadani.M-23)はホームドア準備中である。

地上にあがり、後楽園(M-22)でほとんど女性が大量乗車。一気に席が埋まり、立客が現れる。私が乗っている6号車は女性専用車に乗っているような雰囲気だが、丸ノ内線にそんな車両は設置されていなければ、男も乗っている。大量に乗り込んだ女性客は『第57回NHK紅白歌合戦』を見ていないことは確かであろう。いったい、この近辺でなにが行なわれたのであろうか?

余談だが、後楽園(M-22)から終点銀座(M-16)まで、ホームドアの姿はなかった。2008年までには完了させる方針とのこと。丸ノ内線は第3軌条路線(パンタグラフが1つもついていない電車は、線路の脇から電気の力をいただいて走る方式)なので、ホームの安全性は大幅に向上するだろう。

地下に戻って、御茶ノ水(M-21)を発車すると、一旦地上に出て、かぐや姫が大好きな神田川を渡るが、真上にあるJR東日本御茶ノ水のホームはけっこう並んでいて、ラッシュの雰囲気さながらだ。

車掌は荻窪方面以外、乗り換えの案内はしていないが、丸ノ内線に乗り換えられる路線は新幹線以外、すべて、終夜運転を行なっているので、着くごとにお客は減り、風が冷たい東京(M-17)になると、ガラガラ。

1時49分、終点銀座(M-16)3番線に到着。ドアが閉まったあと、留置線に引き上げる。銀座に留置線があるとは初めて知った。

ホームは女性の姿が多く、一部にはカップルもいる。半分ほどは後続の1時59分発の荻窪行きに乗っていた。ホームで待っている人たちはきっと、どこかで“銀ブラ”でもしていたのであろう。

余談だが、銀座の1・2番線は銀座線、3・4番線は丸ノ内線、5・6番線は日比谷線のホームとなっている。

始発の池袋行きで東京(M-17)に戻り、JR東日本へ。重層高架の1・2番線にあがり、1番線から東北本線、中央本線、山手線を経て中央本線に戻る各駅停車高尾行きに乗り換え、2時13分に発車する(文末の備考参照)。

「あけましておめでとうございます。本年もJR東日本をよろしくお願いします」

と車掌が述べる。こういう案内は新年になったことを一段と感じさせる。普段、午前2時や3時なんか、日付が変わったという意識がなく、夜が明けて初めて次の日になったという感覚を持つ人も多いだろう。 重層高架を下り、神田を発車すると、左へ曲がり、御茶ノ水に到着。エレベーター、エスカレーターがなく、通院客に不評だとか。利用客の多い駅ゆえ、工事で階段の幅をせまくすると、ラッシュに影響することは間違いなく、慎重にならざるえないだろう。御茶ノ水を発車すると、レールと車輪がきしむ摩擦音が聞こえ、ポイントを渡る。普段は黄色い各駅停車(209系500番台とE231系通勤形タイプ)の線路で、オレンジの201系はめったに入らないため、方向幕には「各駅停車」を入れているほど。

水道橋では女性客がわんさか乗車。丸ノ内線以上ににぎやかとなる。そのおかげで、モーター音がかき消されているような状態。加えて、進行方向左側のロングシートに坐っているため、停まる駅の様子がわからない(進行方向右側が多いから)。

四ツ谷を発車すると、中央本線最初のトンネルを通り、千駄ヶ谷は進行方向左側にもホームがある。昭和39年(1964年)10月10~24日(開会式・閉会式は共に土曜日)に行なわれた東京オリンピック輸送用の臨時ホームだが、終了後は使われず、“昭和遺産”として、残されているようだ。ちなみに「体育の日」が制定されたのは昭和41年(1966年)である。代々木は久々に進行方向左側のドアが開き、山手線渋谷・品川方面への乗り換え客が多く、進行方向右側の車窓が眺められるほどになった。

2時34分、新宿に到着。新宿から乗り込むお客も多いが、水道橋ほどでもない。中野で201系の各駅停車東京行きとすれ違う。ちなみに2006年12月26日(火曜日)にデビューしたE233系は終夜運転の出番がなく、201系の背中を見て、育てようとしているのか、それとも大事に使おうとする姿勢なのだろうか。

他社線乗り換え駅でお客が減り、私の前に坐っているお姉ちゃん2人はデカい紙袋を持っている。そして、水道橋と後楽園で女性が大量に乗車した真相が判明する。それは東京ドームしか開催場所は考えられないが、『JOHNNY'S 2006-2007 COUNTDOWN CONCERT』の観覧客だったのだ。『第57回NHK紅白歌合戦』に出場したSMAPとTOKIO以外は所属チーム全員参加したのだろう。 三鷹に到着するが、停車時間が長く、寒気が4ドアの車内に襲いかかる。暖房が入っておらず、困ったものだ。2時56分、各駅停車東京行きの到着を見届けるかのようにドアが閉まり、ここで乗務員が交代。武蔵境に到着すると、臨時特急〈外房初日の出1号〉安房鴨川方面千倉行きが矢のように通過。国鉄カラーの183系1000番台(189系混結かもしれない)で運行していた。

西国分寺では武蔵野線待ちのため、4ドア全開!! 寒気が入り、おまけに外人グループが乗り込んでドンチャン騒ぎでうるさい。外人オンナは調子に乗って、みずからズボンをチラッと下ろしてTバックを見せたがるほど(さすがにやり過ぎで、外人男が静止していた)。立川で騒ぎが収まり、全員着席できるほど、空席が目立つようになる。 豊田を発車し、進行方向左側には豊田電車区が見え、201系が主流だが、1編成(4+6の分割可能編成)だけE233系を初めて見た。3時28分、八王子に到着し、空席は更に目立ち、3時35分、終点高尾1番線に到着した。

「あけましておめでとうございまーす。高尾、終点、高尾でーす」

駅員が放送を流すが、降りたら寒い!! こごえるほど寒かった。E233系は半自動ドア対応の車両なのだろうか?留置線では201系が休んでいた。寒さに耐えて、朝の運行に備える(画像は下車した時、金網越しに撮影。コンパクトサイズならではかも)。

折り返し、3時56分発の各駅停車東京行きに乗るも、八王子、豊田、立川で1分以上も停車。このままだと、終点東京で5時20分発、東海道本線の普通電車静岡行きに乗れないと感じた私は、あわてて立川で各駅停車高尾行きに乗って、八王子へ引き返す。立川4時21分発だが、5分遅れており、“「ガキ」という名の不良”数人は遅れていることをふざけながら言って、駅員に頭を下げさせ、更に電車が入線しても、黄色い線の外側に出て、挑発する始末。実際に事故が起これば駅員がとがめられるだろうが、よく黙って耐えたと思う。八王子で横浜線の各駅停車東神奈川行きに乗り換えるが、これが大誤算!! なんと、終夜運転をやっておらず、4時53分発は通常の1番電車なのである。

乗って仮眠をとったまではよかったが、気がついたら新横浜に戻っており、各駅停車八王子行きに変わっていた。あわてて、各駅停車東神奈川行きに乗り、終点で東海道本線の各駅停車大船行き(京浜東北線)を待つも、接続時間が悪く、横浜でE231系近郊形タイプの普通電車熱海行きに乗るも、戸塚で追いついた普通電車横須賀行きに大きく差をつけられ、大船で急ぎ湘南モノレール江の島線に乗り換えようとするも、ほんの1分、間に合わず、初日の出を遅刻するという前代未聞の失態をしてしまった。湘南江の島行きが入線。3両編成だが、乗務員以外、車内の通り抜けは禁止されている。懸垂式モノレールなので、まるで空中を飛んでいるかのようだ。

初日の出に間に合わず、車中で見るが、感激するカップルもいて、気を取り直し、江ノ島へ向かおう。距離は短く、全線乗るのに300円とは高いようにも思えるが、これは妥協できる範囲。2006年も乗ったが、ようは元旦に乗ることが楽しみなのだ。ただ、パスネットが使えないのは残念だ。今後はJR東日本、湘南モノレール、江ノ島電鉄、小田急電鉄の4社が共同となったフリーきっぷがあると、観光や旅行貯金の利便性が高まると思う。終点湘南江の島に到着し、急いで江ノ島海岸へ。すでに帰る人の列を逆走している感じだが、2007年の“ファーストサンライズ”を眺めることができた。おてんとうさまはイイ色、イイつやをしていた。

皆様にも幸多き1年であることを願っています。

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※備考:中央本線のJR東日本エリアは路線が重複する区間を1本化にする施策により、東京-神田間は東北本線、代々木-新宿間は山手線に吸収。これにより、日常的に呼ばれる「中央線」は路線愛称も同然となる。ちなみに当方はシロートさんにいちいちややこしい説明はせず、なに食わぬ顔で「中央線」と呼んでいる。

★追記

2007年1月2日(火曜日)で、観客動員数は50,000人を突破いたしました。どうもありがとうございます。

今後とも、よろしくお願いします。


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