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常磐線103系1000番代 [プラットホーム2002]

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これは2002年秋、JR東日本上野で撮影した103系1000番代である。  

当時、E231系通勤形タイプの投入が始まっており、少し遅れて山手線にも専用のE231系500番代がデビューした。これにより、山手線205系の大半は改造を受け、あちこちの路線に転属して、103系の一掃を急速に進めてゆく。  

103系1000番代は、帝都高速度交通営団(通称、「営団地下鉄」で、現在は民営化により、「東京地下鉄」に改称)千代田線直通用に投入され、8M2Tという強力な編成だった。これは千代田線の勾配区間に対応するためで、特に国会議事堂前は、当時としては深い位置にあった。  

しかし、千代田線内では車両の排熱に問題があると営団地下鉄に指摘され、チョッパ制御の投入を要望された。そのため、昭和57年(1982年)にサイリスタチョッパ制御の203系を投入。デビューすると、103系1000番代は順次、塗装変更され、大半は6M4Tに組みなおして快速へコンバート、一部は105系に改造された。ちなみに103系1000番代改造の105系は、JR西日本に引き継がれ、現在もローカル線で黙々と活躍している。  

103系1000番代は、数ある103系では好きなタイプだ。千代田線直通のため、非常用の貫通扉を設け、そして、塗装変更をしたことで、精悍なマスクに思えてくる。また、夜間になると、エメラルドグリーンの103系は上野の雰囲気に似合っていた。なぜならば、上野11・12番線は、行き止まり式の常磐線専用ホームで、その隣は地平ホームであるせいか、現在も国鉄の雰囲気が色濃く残っているからである。
 

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今はE231系通勤形タイプが発着しているが、どうも雰囲気に合わない気がする。ステンレス車体で、方向幕ではないからだろうか? 今思えば、103系は電車ではあるけれど、「汽車」という雰囲気も併せ持っていた。でも、E231系に限ったことではないけど、201系以降は「汽車」のイメージを脱却させ、気動車、客車、機関車も「電車」と総称されるようになった。

103系1000番代は2005年までに姿を消した。そして、2006年3月18日(土曜日)のダイヤ改正で、103系は常磐線から姿を消し、翌月のサヨナラ運転を最後に、首都圏でその勇姿を見ることができなくなった。 

私の勝手な思い込みかもしれないが、昔も今も上野は、“汽車の雰囲気が漂う駅”なのかもしれない。


★おまけ

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北千住で発車を待つ103系の快速取手行き

臨時特急〈想い出のとき〉(上野ハロープロジェクト最終回) [プラットホーム2002]

JR東日本は平成9年(1997年)9月30日(火曜日)、上越新幹線〈とき〉〈Maxとき〉の運行を終了したが、平成9年(1997年)11月15日(土曜日)に早々と在来線で臨時特急〈懐かしのとき号〉を新潟-上野間、片道のみの運行をした。また、平成9年(1997年)12月20・21日(土・日曜日)に臨時急行〈懐かしの佐渡号〉を新潟-上野間の往復運行をしている(往路は上野行き、復路は新潟行き)。いずれも私はこの電車を見ていない。



4年後の2001年10月13・14日(土・日曜日)、臨時特急〈とき号〉を運転。往路は新潟行き、復路は上野行きとして運行。私は10月14日(日曜日)に上野へ行った。

2002年11月16・17日(土・日曜日)、上越新幹線で臨時〈復活とき号〉が大宮-新潟間で運転(往路は新潟行き、復路は大宮行き)。12月1日(日曜日)、〈あさひ〉〈Maxあさひ〉と入れ替わり、5年ぶりに〈とき〉〈Maxとき〉が表舞台に返り咲いた。これを祝福するかの如く、在来線でも臨時特急〈想い出のとき〉を運行することになった。

2002年12月14日(土曜日)、臨時特急〈想い出のとき〉新潟行きが8時00分に上野を発車。途中、大宮、高崎、渋川、水上、越後湯沢、長岡、見附、東三条、加茂、新津に停まり、終点新潟には13時19分に到着している(復路の停車駅も往路と同様)。



翌日(2002年12月15日)、臨時特急〈想い出のとき〉上野行きは新潟を9時55分に発車。終点上野には15時38分、14番線に到着。隣りの13番線では臨時寝台特急〈夢空間北斗星〉札幌行きが入線しており、華やかになる。



ヘッドマーク、方向幕はシールで、先頭車とグリーン車は国鉄カラーに復元された189系、中間車は183系1000番台を使用。2001年10月13・14日(土・日曜日)に比べると、国鉄マークと特急マークはなかったが、3両だけとはいえ、189系で運行されたのは初めてではないだろうか。碓氷峠以外は大きな違いがない車両のため、189系でも違和感はなかったが、特急マークのない国鉄カラーには違和感があった。



これで2002年、583系の大暴れを中心とした上野ハロープロジェクトはこれにて終了。2002年は“国鉄が躍動し、上野に活気がよみがえった”という1年だったと言える。

★備考

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暴れん坊165系2002Ⅶ(両国3番線秋場所千秋楽、臨時急行〈鹿島号〉鹿島神宮行き) [プラットホーム2002]



2002年11月24日(日曜日)、JR東日本総武本線両国へ。3番線への通り道では165系のパネルが展示されており、イキイキしていた時代の姿が写っている。かつて、両国3番線は優等列車の聖地で、“ミニ上野地平ホーム”のような存在だったのだろう。この時代、物心のついていない年齢で、くわしい資料もないので、想像でしか浮かべないのは個人的に残念である。



両国3番線秋場所は千秋楽を迎え、夕方に折り返しの便が到着すると、165系は“房総急行の聖地”に足を踏み入れることはない。千秋楽は臨時急行〈鹿島号〉鹿島神宮行きが房総急行のしんがりを務める。

昭和45年(1970年)8月20日(木曜日)、鹿島線が開業し、急行〈水郷〉が乗り入れた。また、3か月後の11月12日(木曜日)に鹿島神宮-北鹿島間が開業。但し、当時は貨物列車のみの運行である。ちなみに北鹿島は平成6年(1994年)3月12日(土曜日)に「鹿島サッカースタジアム」に改称。プロサッカー、Jリーグの鹿島アントラーズの試合が行なわれている日に限り、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の列車が停車することになり、臨時駅扱いだが、全駅旅客駅となったことになる。



昭和50年(1975年)3月10日(月曜日)、総武本線、成田線、鹿島線の全線電化により、急行〈水郷〉は電車化されるものの、両国-銚子間(成田線経由)に1本化。また、東京-鹿島神宮間にエル特急〈あやめ〉、新宿・両国-鹿島神宮間に急行〈鹿島〉が誕生した。



昭和57年(1982年)11月14日(日曜日)、急行〈鹿島〉はフォーエヴァー。わずか7年しか走ることはなかったが、あとを託したエル特急〈あやめ〉はその後、本数が減り、平成6年(1994年)12月3日(土曜日)には1往復となってしまい、特急となった。

ところが、2004年10月16日(土曜日)、特急〈すいごう〉〈ホームタウン成田〉を特急〈あやめ〉に吸収して、息を吹き返し、2005年12月10日(土曜日)にはE257系500番台を投入して、183系を置き換えた。

余談だが、鹿島神宮、鹿島サッカースタジアムの所在地である茨城県鹿嶋市は平成7年(1995年)9月1日(木曜日)、鹿島郡鹿島町が大野村を吸収し、誕生。当初は「鹿島市」にする予定だったが、佐賀県鹿島市から猛抗議があり、「鹿嶋市」に変更するというエピソードがある。



11時09分、臨時急行〈鹿島号〉鹿島神宮行きは“「Vゴール」という名の終着駅”に向けて、ドリブルをするかの如く、発車。“「両国3番線」という名の土俵”で、大いに沸いた165系は2003年も大暴れをして、歴史に幕を閉じたのであった。



★おまけ

急行〈水郷〉と特急〈すいごう〉の顔合わせ。



★備考

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暴れん坊165系2002Ⅵ(両国3番線秋場所3日目、臨時急行〈犬吠号〉銚子行き) [プラットホーム2002]



2002年11月23日(土曜日・勤労感謝の日)、JR東日本総武本線両国へ。旅情をかきたてる3番線へ行ってみると、臨時急行〈犬吠号〉銚子行きが入線していた。

土曜日かつ祝日のせいか、前回よりヒトが多く、特に家族連れが多かった。また、車椅子の男性もかけつけたが、3番線はエスカレーターがないため、付き添いの方も大変だっただろう(エスカレーターによっては車椅子対応型もある)。



サボはおフルのヤツが奇跡的に残っていたようで、旅情をかきたてる。

昭和33年(1958年)7月10日(木曜日)、両国-銚子間に準急〈犬吠〉が誕生。車両は当時、普通列車用のキハ25系を使用していた。

それからわずか4か月後の11月10日(月曜日)、両国-千葉間で房総東線(現在の「外房線」)経由安房鴨川駅行き、房総西線(現在の「内房線」)経由館山行きを併結し、“トリプル編成”となり、準急〈房総〉に改称。前者は〈房総(外房)〉、後者は〈房総(内房)〉、新宿-銚子間の列車は〈房総(犬吠)〉となる。

昭和34年(1959年)7月1日(水曜日)、両国発着の準急〈京葉(外房)〉〈京葉(内房)〉〈京葉(犬吠)〉が登場するものの、昭和36年(1961年)10月1日(日曜日)からカッコ書きの愛称をはずし、準急〈京葉〉となるが、昭和37年(1962年)9月30日(日曜日)で準急〈房総〉と共にフォーエヴァー。ちなみに昭和36年(1961年)10月1日(日曜日)、新宿・両国-佐原・銚子間に準急〈総武〉が誕生し、新宿-佐倉間は並結していたが、昭和37年(1962年)9月30日(日曜日)でフォーエヴァー。1年という短命だった。



昭和37年(1962年)10月1日(月曜日)、新宿・両国-銚子間の成東経由は準急〈犬吠〉、成田線経由は準急〈水郷〉に改め、昭和41年(1966年)3月5日(土曜日)、急行に昇格する。

昭和50年(1975年)3月10日(月曜日)、総武本線及び成田線全線電化にともない、東京-銚子間にエル特急〈しおさい〉が誕生。急行〈犬吠〉〈水郷〉は電車化され、153系・165系に置き換えたものの、昭和57年(1982年)11月14日(日曜日)で2つの列車の運命が分かれることになる。

急行〈犬吠〉はフォーエヴァー。急行〈水郷〉は翌日から特急〈すいごう〉に格上げされ、2004年10月15日(金曜日)まで運行された。



あれから20年の月日が流れ、10時10分、臨時急行〈犬吠号〉銚子行きは房総の荒波に立ち向かうかの如く、発車した。

そのあと、私は東京急行電鉄田園都市線鷺沼へ。帝都高速度交通営団半蔵門線の車両基地、鷺沼検車区があり、入団したばかりの08系を見る。



鷺沼検車区では方向LEDの行先表示や乗降促進ブザー、「ドアが閉まります。御注意下さい」の確認。行先は南栗橋、東武動物公園、水天宮前を表示したが、東武鉄道直通時の種別は赤になっていたが、田園都市線のホームからなので、よくわからなかった。のちに通勤準急であることが判明する。

08系は2003年1月7日(火曜日)に運行を開始し、3月19日(水曜日)には押上延伸を果たすと共に東武鉄道伊勢崎線押上-東武動物公園間、日光線東武動物公園-南栗橋間の相互直通運転を開始。2004年4月1日(木曜日)、帝都高速度交通営団の民営化により「東京地下鉄」に改称し、2006年3月18日(土曜日)、伊勢崎線東武動物公園-久喜間も相互直通運転区間に加え、通勤準急は急行、区間準急は準急にチェンジして、現在に至る。

なお、現在の区間準急はおもに浅草-久喜間を運行している。

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暴れん坊583系2002Ⅶ(上野ハロープロジェクト第11弾、日本大学の団体) [プラットホーム2002]

2002年11月17日(日曜日)、JR東日本上野へ。東北本線15番線ではレールファンが集結。それほど多くはないが、583系の団体が到着した。いったい、誰が583系を貸し切ったのであろうか。



答えは学生。日本大学の鉄道研究会で、結成30周年の記念電車に583系を指名したのだ。



27人の学生は学割と団体割引が適用されたのだろう。うらやましい限りだが、記念撮影時、一部の学生はエル特急〈ひばり〉、特急〈みちのく〉のほか、鉄道研究会のヘッドマークを持っていた。しかも、583系サイズにしてあることから、どこかでそのヘッドマークを装着して、記念撮影でも行なわれたのであろう。

大学には落語研究会、映画研究会など、いろんなものを調べる団体がある。それで青春の1ページを刻み込むのはいい思い出だろう。



この年、上野で583系を見たのは最後だった。“余命いくばくもなく、あと数年だろう”と時代が終わることを覚悟していたが、さいわい、JR東日本が所有する583系は若干の廃車はあったものの、“お色直し”され、美しい姿がよみがえったのは嬉しい。いつまでも走り続けて欲しいが、部品の在庫がカギになりそうな気がする。

★備考

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上越新幹線開業20周年(上野ハロープロジェクト第10弾、臨時快速〈ときリレー号〉上野行き) [プラットホーム2002]

2002年11月16日(土曜日)、JR東日本大宮へ。前日、上越新幹線開業20周年を迎えているが、平日のため、この日に記念列車を運行することになった。



寒い16番線に臨時〈復活とき号〉新潟行きが入線。12両編成で、綺麗にお色直ししているものの、特性ヘッドマークがないのが残念なところ。

〈やまびこ9号・こまち9号〉盛岡・秋田行きが発車する頃、〈あさま3号〉長野行きが通過。新幹線では唯一のノンストップ便で、開業前は“倍速79分”をアピールしていたが、2002年12月1日(日曜日)のダイヤ改正で、すべて途中駅に停まるようになる。大宮も今や、さいたま市の中心となり、通過が許されなくなるほどの地位に躍進したということになるだろう。また、通過駅なのに可動式ホーム柵が設置されておらず、安全面で誰かに指摘を受けていたのかもしれない。



臨時〈復活とき号〉新潟行きだが、これはオープン戦のようなもので、2002年12月1日(日曜日)から不死鳥の如く、よみがえる。その代わり、〈あさひ〉〈Maxあさひ〉がフォーエヴァー。理由は〈あさひ〉と〈あさま〉を誤って乗るお客が多く、苦情が多かったという。そこで一旦、お蔵入りになった〈とき〉〈Maxとき〉を復活させることになった。鳥のほうの朱鷺(Toki)を絶滅させないためにも、“再登板”することには大賛成だ。

昭和37年(1962年)3月10日(土曜日)、上野-新潟間に特急〈とき〉が誕生。当時から絶滅の危機にあった鳥の朱鷺にちなんだもので、昭和42年(1967年)10月1日(日曜日)には一部が東京発着となる。そして、昭和47年(1972年)10月1日(日曜日)からエル特急に昇格する。

昭和48年(1973年)4月1日(日曜日)、東北新幹線の用地確保のため、東京発着はなくなり、冬季になると故障が頻発(Hinpatsu)して評判の悪い181系は昭和49年(1974年)12月28日(土曜日)から、一部を183系1000番台に置き換えられることになる。181系は“キハ81形の電車版”といえるだろう。ちなみに181系はエル特急〈とき〉の運行が終了すると、フォーエヴァー。一部は他形式に改造された。また、実物は鉄道博物館に展示されている。



昭和57年(1972年)11月15日(月曜日)、上越新幹線が開業し、〈とき〉が採用されたものの、なぜか各駅停車タイプであった。

思えば、〈こだま〉も在来線時代は東京-大阪間の花形特急でありながら、東海道新幹線の愛称に転身すると、各駅停車タイプとなり、スターは東海道本線で走った実績のない〈ひかり〉になり、のちに〈のぞみ〉へと変わってゆく。

運転区間も昭和60年(1985年)3月14日(木曜日)に上野、平成3年(1991年)6月20日(木曜日)には東京へ南下。〈やまびこ〉〈とき〉は18年ぶりに東京発着が復活したことになる。ちなみに上越新幹線は大宮-新潟間で、開業時から全通している唯一の新幹線路線である。



平成6年(1994年)7月15日(金曜日)、E1系初代Maxの投入により、〈Maxあさひ〉〈Maxとき〉が誕生。オール2階建て新幹線はたちまち人気が沸騰するものの、わずか3年後に2代目MaxとなるE4系が入団した。

平成9年(1997年)9月30日(火曜日)、〈とき〉〈Maxとき〉は北陸新幹線開業にともなう、運行再編成のため、〈あおば〉〈Maxあおば〉と共にフォーエヴァー。翌日、東京-新潟間は〈あさひ〉〈Maxあさひ〉、東京-高崎・越後湯沢間は〈たにがわ〉〈Maxたにがわ〉に統一された。また、東北新幹線の東京-仙台・盛岡間は〈やまびこ〉〈Maxやまびこ〉、東京-那須塩原・郡山間は〈なすの〉〈Maxなすの〉に統一されている。



あれから5年たち、出発セレモニーが終わると、10時44分、臨時〈復活とき号〉新潟行きが発車。空席が多いのが気になるが、途中駅から乗ってくるのだろう。ビュフェは盛況していた。



新幹線ホームの下、すなわち地平の在来線側では山手線で活躍していた205系の南武線転用工事が進んでいた。

翌日(2002年11月17日)、2日続けて大宮へ。



新幹線ホームでは400系第3編成の回送が到着。一部のヘッドライトはハヤリのパールホワイト(高輝度放電灯)にチェンジ。また、〈こまち11号〉秋田行きのE3系は試作車だった。並結しているE2系の〈やまびこ11号〉盛岡行きだが、飛雲(Hiun)ホワイトと紫苑(Shion)ブルーの中央の細い帯は赤からピンクに変わり、“〈はやて〉仕様”が完了したようである。



11時50分、〈復活とき号〉が大宮に戻ってきた。「おかえりー」と言いたくなるほどだが、利用客と撮影客は前日より下回った。



到着後は臨時快速〈ときリレー号〉(〈新幹線リレー号〉と車掌は案内)上野行きが待っており、185系200番台の田町所属車と新前橋所属車の混結。私は11号車自由席禁煙車へ。意外にも喫煙車があり、グリーン車の入りはよかった。



初めて新前橋車に乗るが、リニューアルは客室だけのありさまで、これは田町所属車と変わらない(トイレと洗面所は国鉄時代のまま)。

なにはともあれ、30分以内の乗車だが、リクライニングシートにくつろぎ、終点上野に到着した。

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④2007年11月24日(土曜日)の観客動員数は1099人でした。また、「nice!」を押した方が100人となりました(1人目はひでくんさん、100人目はのっつーさん)。どうもありがとうございます。


暴れん坊165系2002Ⅴ(両国3番線秋場所2日目、臨時急行〈外房号〉安房鴨川行き) [プラットホーム2002]

2002年11月17日(日曜日)、JR東日本両国へ。この日も3番線から165系の急行が発車する。その名は臨時急行〈外房号〉安房鴨川行きである。



昭和37年(1962年)10月1日(月曜日)、準急〈外房[Gaiboh]〉が誕生。以前から房総方面の準急〈房総(外房)〉〈房総(内房[Naiboh]〉〈房総(犬吠)〉は存在していたが、運転形態があまりにもわかりにくいため、準急の愛称を変えたのである。

当時の準急〈房総(外房)〉〈房総(内房)〉〈房総(犬吠)〉は新宿-千葉間で並結。千葉で別れるのだが、準急〈房総(外房)〉〈房総(内房)〉は房総東線と房総西線を1周して、再び千葉に戻り、銚子から折り返した準急〈房総(犬吠)〉と合流して、新宿へ向かう変則運行だった。これだと房総東線と房総西線は「房総環状線」という名称にしても、差しさわりがないような気がする。

昭和40年(1965年)10月1日(金曜日)、愛称の読み方を準急〈外房[Sotoboh]〉に変更し、昭和41年(1966年)3月5日(土曜日)、急行に格上げした。これ以降、国鉄準急の定義は“運行距離100キロ未満”をさすことになるが、昭和43年(1968年)9月30日(月曜日)で消滅し、急行に格上げされた。

昭和42年(1967年)10月1日(日曜日)、房総半島循環運転は急行〈そとうみ〉に改称され、急行〈外房〉は存続するが、昭和43年(1968年)7月1日(月曜日)、急行〈外房〉〈そとうみ〉は急行〈そと房〉に統合される。

しかし、昭和44年(1969年)7月11日(金曜日)、房総半島循環運転はなくなり、昭和47年(1972年)7月14日(金曜日)で一旦、運行終了。翌日、房総西線は「内房線」、房総東線は「外房線」に改称され、房総半島循環が再開される。



昭和50年(1975年)3月10日(月曜日)、急行〈外房〉が復活したが、房総半島循環は完全になくなり、昭和57年(1982年)11月14日(日曜日)でフォーエヴァー。両国発着便は特急として継続されたが、昭和63年(1988年)11月30日(水曜日)で終了。その後、行き止まり式のホームはひっそりと静まっている。



撮影は順調にはかどり、前日、2番線から撮る人が多かったことから、急きょ、係員を増員した。

1号車17番席は車販準備室にあてられ、乗らないのに買い物をする人が多く、盛況。また、錦糸町寄りは本線部が見え、特急〈成田エクスプレス〉〈あやめ〉などがもぐった。



10時10分(クルマ用語に例えると、ハンドルを握る位置)、臨時急行〈外房号〉安房鴨川行きが発車。頬(Hoho)に伝わる風は房総半島の気候を予感させた。

★備考

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暴れん坊165系2002Ⅳ(両国3番線秋場所初日、臨時急行〈内房号〉) [プラットホーム2002]

2002年11月16日(土曜日)、JR東日本総武本線両国へ。

両国の1・2番線は各駅停車が停まっており、両国国技館の最寄り駅として知られている。その下には総武本線がもぐっており、江戸東京博物館付近で地上にあがり、線路別複々線となる。

総武本線は東京-銚子間と秋葉原-錦糸町間の2つあり、前者は本線、後者は支線であるが、両国には1・2番線より1段低いところに3番線がある(3番線の向かい側はホーム番号空位となっている)。

東京-錦糸町間は昭和47年(1972年)7月15日(土曜日)に開業。それまでは両国が優等列車の起終点となっており、東京-錦糸町間の開業を機に特急〈わかしお〉〈さざなみ〉が運行を開始。その年10月にはエル特急に昇格した(エル特急〈しおさい〉〈あやめ〉は1975年3月10日に誕生)。

両国の地位は低下したが、昭和60年(1985年)、両国国技館で大相撲の本場所が開催され、最寄り駅となり、更に東京都交通局(都営地下鉄)都営大江戸線の乗り換え駅となったため、大幅な地盤沈下は避けられた。

16時を過ぎると、3番線への道であるホームシャッター周辺は異様な雰囲気となり、16時10分、ついに開いた。

通路はありし日のパネルが飾られており、夢を追い続けるような感じの道を歩き、階段を登ると、3番線だ。まるで野球選手がベンチ(ダッグアウト)からグラウンドに立つような気分だ(プロ野球選手ではないので、あくまでも想像)。



16時26分、“「3番線」という名の土俵”に臨時急行〈内房号〉が到着。ポスター通りの絵入りヘッドマークで、『暴れん坊583系2002』シリーズに比べると、撮影しやすかった。

昭和37年(1962年)10月1日(月曜日)、準急〈内房(Naiboh)〉が誕生。以前から房総方面の準急〈房総(外房[Gaiboh])〉〈房総(内房)〉〈房総(犬吠)〉は存在していたが、運転形態があまりにもわかりにくいため、準急の愛称を変えたのである。

当時の準急〈房総(外房)〉〈房総(内房)〉〈房総(犬吠)〉は新宿-千葉間で並結。千葉で別れるのだが、準急〈房総(外房)〉〈房総(内房)〉は房総東線と房総西線を1周して、再び千葉に戻り、銚子から折り返した準急〈房総(犬吠)〉と合流して、新宿へ向かう変則運行だった。これだと房総東線と房総西線は「房総環状線」という名称にしても、差しさわりがないような気がする。

昭和40年(1965年)10月1日(金曜日)、愛称の読み方を準急〈内房(Uchiboh)〉に変更し、昭和41年(1966年)3月5日(土曜日)、急行に格上げした。これ以降、国鉄準急の定義は“運行距離100キロ未満”をさすことになるが、昭和43年(1968年)9月30日(月曜日)で消滅し、急行に格上げされた。

余談だが、私鉄だと2006年3月17日(土曜日)まで運行していた東武鉄道の準急の最長運転区間は浅草-東武日光間で、運行距離は135.5キロである。

この時代、国鉄は快速の上が準急だったということになるが、東武鉄道の場合、準急より快速のほうが早く、今では急行よりも早い。

昭和42年(1967年)10月1日(日曜日)、房総半島循環運転は急行〈うちうみ〉に改称され、急行〈内房〉は存続するが、昭和43年(1968年)7月1日(月曜日)、急行〈内房〉〈うちうみ〉は急行〈うち房〉に統合される。

しかし、昭和44年(1969年)7月11日(金曜日)、房総半島循環運転はなくなり、昭和47年(1972年)7月14日(金曜日)で一旦、運行終了。翌日、房総西線は「内房線」、房総東線は「外房線」に改称され、房総半島循環が再開される。



昭和50年(1975年)3月10日(月曜日)、急行〈内房〉が復活したが、房総半島循環は完全になくなり、昭和57年(1982年)11月14日(日曜日)でフォーエヴァー。両国発着便は継続されたが、昭和63年(1988年)11月30日(水曜日)で終了。その後、行き止まり式のホームはひっそりと静まっているが、2002年11月16日(土曜日)から11月24日(日曜日)まで、活気がよみがえるだろう。



さて、普段、3番線は閉鎖されているが、ドアが閉まって、人が1人もいなくなっても、165系はずーっと動かず、久しぶりの両国に感慨深そうだ。



いつまでも両国3番線にい続け、165系は余韻にひたっていた。


★備考

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暴れん坊165系2002Ⅲ(上野ハロープロジェクト第9弾、臨時急行〈急行ゆけむり号〉) [プラットホーム2002]

2002年11月9日(土曜日)、東京駅八重洲口で愛媛みかんをもらい、臨時急行〈急行ゆけむり号〉を会いにJR東日本上野へ。

「♪8時ちょうどのぉー、〈急行ゆけむり号〉でぇー、私は私は貴方からッ、旅立ちーますゥー♪」

と言いたいところだが、朝早くはつらいので、水上からの復路を迎えることにした。



上野16時16分発の普通電車いわき行きは中間4両が“復刻カラー”で、土浦から先頭車になるが、乗るワケにはいかず無念。ちなみにJR九州でも復刻カラーがあり、いずれもロングシート改造車である。



14番線へ移動するが、閑散。どうして臨時急行は人気がないのだろう?

臨時急行〈急行ゆけむり号〉の到着が近づくと、レールファンの数も増え、思い通りの撮影ができたようである。



昭和32年(1957年)7月13日(土曜日)、臨時準急〈ゆけむり〉が誕生し、上野-石打間の運行となるが、昭和34年(1959年)7月20日(月曜日)、愛称は臨時準急〈みくに〉にチェンジされ、早々と姿を消した。

昭和43年(1968年)10月1日(火曜日)、急行〈奥利根〉の愛称を急行〈ゆけむり〉に変更したが、昭和57年(1982年)11月15日(月曜日)、185系200番台を投入したエル特急〈谷川〉が誕生し、一部の便が置き換えられ、昭和60年(1985年)3月13日(水曜日)でフォーエヴァー。翌日からエル特急〈新特急谷川〉に統一された。

平成9年(1997年)10月1日(水曜日)、エル特急〈新特急谷川〉は上越新幹線の愛称に昇格し、〈たにがわ〉〈Maxたにがわ〉となり、特急〈新特急水上〉が後継者となった。



私は思った。特急〈新特急水上〉を特急〈新特急ゆけむり〉に変えればよかったのかと(翌年、陸羽東線に快速〈湯けむり〉が走っていたことを知る)。



なお、2002年12月1日(日曜日)、特急〈新特急水上〉は特急〈水上〉に変更されている。

★備考

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暴れん坊583系2002Ⅴ(上野ハロープロジェクト第7弾、臨時特急〈思い出のはつかり号〉) [プラットホーム2002]

2002年11月2日(土曜日)、再びJR東日本上野へ。臨時急行〈草津〉万座・鹿沢口行きのあとは臨時特急〈思い出のはつかり号〉を待つ。

青森を8時07分に発車し、野辺地、三沢、八戸、二戸、盛岡、花巻、北上、水沢、一ノ関、仙台、福島、郡山、宇都宮、大宮へと停まり、定刻より17分遅れの18時35分、16番線に到着した(16・17番線は優等列車専用ホームのため、乗車券のほかに入場券130円を別途購入した)。



遅れの原因は仙台で架線にビニールが付着したためで、本来は18時18分に到着する予定だった。

圧倒的な人の多さで、思うように撮れなかったが、見れただけでもいいだろう。



なお、臨時特急〈思い出のはつかり号〉青森行きの設定はない。

特急〈はつかり〉は昭和33年(1958年)10月10日(金曜日)に誕生。当時は上野-青森間を常磐線経由で走る客車の昼行特急で、昭和35年(1960年)12月10日(土曜日)にキハ80系化。国鉄初の気動車特急となった。ちなみに先頭車はキハ81形で、ボンネットスタイルが特長であるが、営業運転を開始した当初は故障の多い車両だったという。そのせいか、現役生活はわずか20年だった(キハ81形は名古屋-新宮-天王寺間の特急〈くろしお〉でフォーエヴァー)。

昭和43年(1968年)10月1日(火曜日)にダイヤ改正が行なわれ、東北本線全線電化を機に特急〈はつかり〉は583系化。合わせて、常磐線経由からオール東北本線にチェンジした(臨時便は1970年まで常磐線経由のまま)。

昭和48年(1973年)3月1日(木曜日)、特急〈はつかり〉は増発され、485系1000番台を投入。昭和53年(1978年)10月2日(月曜日)、エル特急に昇格した。

昭和57年(1982年)11月15日(月曜日)、上越新幹線開業により、先に運行を開始した東北新幹線も勢力を増し、運行区間は盛岡-青森間に変更(一時期、弘前まで延長運転していたこともあった)。485系1000番台が中心となり、583系の出番が減ることになる。

昭和63年(1988年)3月13日(日曜日)、青函トンネルが開業したことにより、エル特急〈はつかり〉の一部は函館まで延伸。485系シリーズが北海道に顔を出すのはエル特急〈いしかり〉以来となるが、485系1500番台が再び北の大地に顔を出すことはなかった。



平成6年(1994年)12月1日(木曜日)のダイヤ改正で、エル特急〈はつかり〉は583系の定期運行が打ち切られ、平成8年(1996年)には485系1000番台を大幅にリニューアルした485系3000番台が登場。普通車は座面も動く“ファミコンシート”に変わった(私が「ファミコンシート」命名した理由はひじかけのボタンがA・Bボタンに似ているから。ちなみにファミコン自体は部品の確保が困難になり、修理受付を終了した)。



2000年3月11日(土曜日)、E751系が入団し、特急〈スーパーはつかり〉が誕生。合わせて、〈はつかり〉はエル特急から特急に格下げとなった。



2002年11月30日(土曜日)、特急〈はつかり〉〈スーパーはつかり〉はフォーエヴァー。この日は青森-一ノ関間に臨時特急〈さよならはつかり583系〉を運行したが、私は行っていない。

私にとって特急〈はつかり〉は583系のイメージが強く、485系1000番台は違和感があった(リニューアルの485系3000番台で、違和感が吹っ切れた)。

特急〈スーパーはつかり〉の誕生により、JR東日本の583系はわずか2編成24両にまで減少。臨時特急〈思い出のはつかり号〉を会いに訪れた2002年11月2日(土曜日)は東北新幹線八戸延伸まで1か月を切り、JR東日本は2001年から2002年まで、レールファンを酔わせる企画を打ち立てた。583系は上野がよく似合う。

特急〈はつかり〉は東北新幹線の最速列車に昇格するものと思われたが、公募第20位の〈はやて〉に決まり、ガッカリした。東北新幹線〈はつかり〉の誕生を夢見ていたし、そうなるものと確信していたからだ。

2011年の予定で、東北新幹線は八戸-新青森間を延伸し、開業から29年でようやく全通することになるが、300㎞/h車両を〈はやて〉ではなく、〈はつかり〉にして欲しいと願っているが、可能性は低いと思われる。

★備考

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暴れん坊165系2002Ⅱ(上野ハロープロジェクト第6弾、臨時急行〈草津〉万座・鹿沢口行き) [プラットホーム2002]

2002年11月2日(土曜日)、JR東日本上野へ。東北本線14番線に臨時急行〈草津〉万座・鹿沢口行きが入線した。



165系6両編成だが、夕方に“大物”が控えているせいか、人は少なく、撮影しやすかった。ちなみに数日後、臨時特急〈草津〉万座・鹿沢口行きが運行されたが、臨時急行〈草津〉万座・鹿沢口行きと同一ダイヤで運転。“特急と急行が同じ所要時間でいいのか?”という疑問はあるものの、上野-金沢間の寝台特急〈北陸〉と急行〈能登〉では、後者のほうが所要時間は短い。また、JR西日本だと寝台特急なのに途中駅で新快速に道をゆずるという“ヘンテコリンダイヤ”となっている。



昭和35年(1960年)10月1日(土曜日)、上野-長野原間に臨時準急〈草津〉が誕生。一時期、愛称はひらがなとなるが、昭和37年(1962年)6月10日(日曜日)、再び漢字に戻り、定期化された。



昭和41年(1966年)10月1日(土曜日)、急行に格上げされ、昭和42年(1967年)6月10日(土曜日)、吾妻線電化により、165系化。昭和46年(1971年)3月6日(土曜日)、長野原-大前間を延伸。路線名も長野原線から吾妻線に改称され、運行区間を上野-万座・鹿沢口間に変更した。大前の手前は万座・鹿沢口で、日本初の“点つき駅”となる。

その後はエル特急〈白根〉が誕生し、勢力も拡大したため、本数は減少したが、昭和60年(1985年)3月14日(木曜日)、エル特急〈新特急草津〉に統一され、車両も185系200番台に一新された(エル特急〈白根〉時代でも185系200番台の運行はあったという)。

平成9年(1997年)10月1日(水曜日)、エル特急の冠が外れ、2002年12月1日(日曜日)には「新特急」もなくなり、特急〈草津〉として、現在に至る。



9時11分、臨時急行〈草津〉万座・鹿沢口行きが発車。そのあと、14番線にE653系4両編成が登場!! “4両編成の特急〈フレッシュひたち〉って、あったっけ?!”と考えているうちにE653系4両編成はなんと団体と判明した。



★備考

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暴れん坊165系2002(上野ハロープロジェクト第3弾、臨時急行〈信州〉横川行き) [プラットホーム2002]

2002年10月6日(日曜日)、早朝にJR東日本上野へ乗り込み、東北本線14番線に到着した臨時寝台特急〈ゆうづる2号〉を撮影後、今度は13番線に臨時急行〈信州〉横川行きが入線した。



165系はモントレーカラーから湘南色に戻し、2003年夏のフォーエヴァーが決まっているため、臨時急行〈信州〉を皮切りに花道を飾ることになっている。



ヘッドマークとサボもこの日のために新調されたが、お客は少なく、グリーンのロープを張っても、必要なさそうなほど。165系最後の大暴れは静かな幕開けとなった。また、ウカツにもなぜかメモをとっておらず、臨時寝台特急〈ゆうづる2号〉に力を注いでいたことも言えるだろう。



急行〈信州〉は上野-長野間の運行で、昭和38年(1963年)10月1日(火曜日)に誕生したが、エル特急〈あさま〉の増発にともない、昭和60年(1985年)3月13日(水曜日)でフォーエヴァー。今回、17年ぶりの運行となるが、碓氷峠の手前、横川までの運行となる。ちなみに現役時代、165系は碓氷峠の運行に対応できたそうだが、輸送力が増強できない難点があり、のちに課題を克服した169系に置き換えられている。

なお、583系が暴れまわったあと、165系が本格的に暴れだすことになっている。

★備考

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臨時特急〈信州特急あさま2号〉(上野ハロープロジェクト第5弾) [プラットホーム2002]

2002年10月13日(日曜日)、京浜急行電鉄完全制覇後、東京都交通局(都営地下鉄)都営大江戸線両国・春日経由都庁前行き(ワンマン運転)に乗り換え、上野御徒町に到着。JR東日本東北本線[御徒町駅]の各駅停車上野・池袋方面行き(山手線)に乗り換え、上野へ。



7番線に臨時特急〈信州特急あさま2号〉が到着。北陸新幹線が開業しても、“エル特急〈あさま〉リターンズ”は2001年に続いての登場であるせいか、ホームで待ち構えていたお客は拍子抜けするほど少ない。ちなみに私は北陸新幹線開業後、“エル特急〈あさま〉リターンズ”を見たのは初めてである(私の記憶が確かならば…)。



先頭車側面の「ASAMA」マークは復活したものの、方向幕は「急行アルプス信濃大町」の上にデカデカと「あさま」のシールを貼っており、興ざめ。横川行きはなくとも、上野行きのコマは残っているだろう。残念だ。



臨時特急〈信州特急あさま〉は横川-軽井沢間はバス移動だが、それ以外は在来線時代を再現したもので、第3セクター、しなの鉄道転換後、初めて在来線の〈あさま〉が走ったことになる。

余談だが、この日は競馬で武豊騎手と武幸四郎騎手兄弟がG1初対決。結果、兄の武豊騎手が単勝1.1倍ながらも圧勝した。

★備考

①四季・上野原&鉄道写真撮影記「あさま色『ひまわり号』」は
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②フリー百科事典『Wikipedia「あさま(列車)」』はこちらにクリック!!

③フリー百科事典『Wikipedia「国鉄183系電車」』はこちらにクリック!!(189系についても記述されている)

④フリー百科事典『Wikipedia「リバイバルトレイン」』はこちらにクリック!!

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暴れん坊583系2002Ⅳ(上野ハロープロジェクト第4弾、寝台特急〈はくつる〉フォーエヴァー) [プラットホーム2002]

2002年10月11日(金曜日)、見届けることはなかったが、前夜の21時00分に青森を発車し、途中、野辺地、三沢、八戸、宇都宮、大宮に停車した臨時寝台特急〈はくつる82号〉が5時58分、終点上野に到着し、車両基地で休息をしたあと、臨時寝台特急〈はくつる81号〉青森行きとして、折り返してゆく。通常は夏と年末年始に運行するが、10月の運行は珍しい。



“ひばりーヒルズ”と同じ編成で入線。大宮、宇都宮、黒磯、八戸、三沢、野辺地に停まるおなじみの臨時便なので、いつもより少し多めという程度。押し合いヘシ合いもなく、ロープ規制もなかった。



21時45分に発車したあと、我が身にアクシデントが発生!! 撮影に夢中になり、フイルム入りポーチを落としてしまったことに気づいたのだ。

すぐに中央口の有人改札へ急ぐと、すぐ見つかった。やれやれ。

余談だが、寝台特急〈はくつる〉千秋楽の日(2002年11月30日)、上野に行っていない。

なぜならば、寝台特急〈はくつる〉は寝台特急〈ゆうづる〉もそうだが、583系がよく似合う列車で、客車運行は最後まで違和感があったからである。

津軽路へはばいた2羽の鶴は役目を終え、現在は寝台特急〈あけぼの〉が“最後のトリデ”となっているが、遠回りなのが難点。もう1度、どちらかの鶴がよみがえることを願いたい。

★備考

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暴れん坊583系2002Ⅲ(上野ハロープロジェクト第2弾、臨時寝台特急〈ゆうづる1・2号〉) [プラットホーム2002]

2002年10月4日(金曜日)、JR東日本上野へ。臨時寝台特急〈ゆうづる1号〉青森行きを見物することにしよう。

“ひばりーヒルズ”とは違う編成で、国鉄マークはなかった。ちなみに12号車はクハネ583-5である(この時、私はJR東日本が1編成廃車するウワサを聞いていたので、最後に残る編成だと思っていた)。

583系の寝台特急〈ゆうづる〉の絵入りヘッドマークはすっごくカッコよかった!! 私は少し興奮した。なんせ、鉄道の本で初めて見た583系は寝台特急〈ゆうづる〉だったのだ。

意外と言うべきか、ここ数年の傾向だが、女性の姿が多い。花金のせいか、アベックやカップルに見送られ、20時43分、12両編成の臨時寝台特急〈ゆうづる1号〉は青森に向けて発車した。

臨時寝台特急〈ゆうづる1号〉青森行きは日暮里から常磐線に入り、水戸といわきに停まり、岩沼で再び東北本線に戻って、終点青森には翌日の6時35分に到着するが、この電車は上野-水戸間のどこかでエル特急〈スーパーひたち59号〉いわき行きに抜かれることになっている。

なお、JR東日本は2002年12月1日(日曜日)のダイヤ改正で、「エル特急」の種別をなくし、特急に統一した。また、臨時寝台特急〈ゆうづる1・2号〉となっているが、1往復限りの運転である。

2日後の10月6日(日曜日)、前夜21時00分に青森を発車し、八戸、盛岡、いわき、水戸へ停まり、上野へ向かっている臨時寝台特急〈ゆうづる2号〉を会いに再び上野へ。13番線に到着するはずが14番線に変更され、レールファンがあわてだす。

寝台特急〈北陸〉が尾久の車両基地に向けて回送したあと、早朝6時35分、臨時寝台特急〈ゆうづる2号〉が14番線に到着。早朝にもかかわらず、レールファンがかけつけるのはいいものの、ささいな接触で乱闘が起こり、おまけに誰かが大金入りカバンを落とすなど、波乱続発。ちなみに乱闘は別のレールファンが止めに入り、大金入りカバンは持ち主が見つかり、いずれも事件で警察ザタにならず、ひと安心。

15番線に寝台特急〈はくつる〉が到着し、“名コンビ”が久々に顔を合わせるも、車両が客車では被写体にもならない。583系同士の顔合わせが見たかった。

夜が完全に明けると、臨時寝台特急〈ゆうづる2号〉は車両基地に向けて発車した。



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暴れん坊583系2002Ⅱ(上野ハロープロジェクト第1弾、臨時特急〈ひばり〉) [プラットホーム2002]

2002年9月21日(土曜日)、JR東日本上野へ。知人らに「ひばりーヒルズ」とメールを出して誘ったものの、乗り込んできたのは私だけだった。

仙台を12時25分に発車した東北本線、583系9両編成(全車指定席)の臨時特急〈ひばり〉は白石、福島、郡山、宇都宮、大宮へ停車し、18時05分、定刻通り、終点上野16番線に到着した。

上野16・17番線は在来線特急用で、新幹線でもないのにホームへ入るだけでも入場券が必要という厳戒態勢ぶり。やむなく130円を投資して入場券を購入したが、乗るわけではないし、天下の583系だから、ためらいもなかった。

気になるヘッドマークだが、1号車は文字だけ、9号車は絵入り。方向幕は明らかなツクリモノで、間近でみると、「回送」の文字が浮かび上がっていた。

残念なのはボディーが傷んでおり、メンテナンスに疑問を感じるが、青森運転所(2004年4月1日、「青森車両センター」に改称)に所属する583系は東北新幹線〈はやて〉誕生後、1編成が廃車され、もう1編成は南秋田運転所(2004年4月1日、「秋田車両センター」に改称)へ移籍して、余生を過ごすとのこと。その後、仙台支社は廃車予定の1編成を引き取り、再生した。

翌日(2002年9月22日)も上野へ。前日に比べると、アベックレールファンをチラホラ見かけ、家族そろってレールファンもいた。また、女の子2人組は通りすがりなのか、カメラつき携帯電話で“便乗撮影”していた。

この日は14番線からの発車とあってか、撮影エリアが分散する文字だけのヘッドマークはゆったり撮影することができたが、絵入りヘッドマークは1か所に集中しているため、イラつくほど混んでいた(毎回そうだけど…)。

9時11分、仙台に向けて旅立った(終点仙台は14時54分に到着)。

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暴れん坊583系2002(臨時寝台特急〈はくつる81号〉青森行き) [プラットホーム2002]

2002年8月12日(月曜日)、JR東日本上野へ。2002年まで“夏の風物詩”といえる列車があった。それは臨時寝台特急〈はくつる81号〉青森行きである。

東北本線14番線に臨時寝台特急〈はくつる81号〉青森行きが入線。この当時、寝台特急〈はくつる〉は東北新幹線八戸延伸にともない、フォーエヴァーが決まっていた。“もしかしたら、583系で運行する臨時寝台特急〈はくつる81号〉青森行きは、最後の晴れ舞台になるのかもしれない”と思い、心して目に焼きつけようと上野に乗り込んだわけである。

上野の地平ホームは長距離列車がよく似合うホームで、東北・上越新幹線が開業するまでは“特急街道”と言ってもおかしくなかった。高架ホームの下に地平ホームがあるため、暗く、これが“汽車の旅立ち”にふさわしかった。

入場券を所持していないので、車内に入ってみる。

583系は3段式B寝台を基本としているが、モハネ582形はパンタグラフを装備している関係で、一部が上段抜きの2段式になっている。中段寝台が下段よりも高さがあるものの、窓はささやかな小窓。2007年7月1日(日曜日)にデビューした新幹線のN700系よりも小さい。寝るためにあるので、“車窓は不要”ということなのだろう。それに窓を大きくしていたら、普段は収納しているという、“舞台裏”を見せびらかすことになるため、好ましくないと判断したのであろう。

グリーン車はリニューアルされており、高い天井は吊り天井によって、低くしていた。座席も背面のテーブルがついており、居住性はいいのだろうが、583系の寝台特急の運行ならば、多くのお客は3段式B寝台を選ぶだろう。ちなみにJR東日本所属の583系グリーン車は2002年12月でたった1両となってしまい、2006年で廃車されてしまっている。これにより、JR東日本の583系は6両編成×2の12両に減少され、“絶滅の危機”であるが、いずれも修繕工事を行なっているので、不慮の事故が起こらない限り、しばらくは健在であろう。

14・15番線にはお相撲さんが2人いた。どうやら、角界にもレールファンがいたということになるが、この2人の力士は幕下以下のようである。

583系はベネシアンブラインドを採用した数少ない車両で、入線時からしめっぱなし。ブルートレインを含めた寝台車はカーテンやベネシアンブラインドは下ろした状態でお客様を迎えている。ホームから寝ている姿を見られないようにするという配慮なのだろう。

21時45分、青森に向けて、羽ばたいた。

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東北新幹線開業20周年 [プラットホーム2002]

2002年6月22日(土曜日)、JR東日本東北本線上野14番線へ。

上野は1~12番線は東北本線高架ホーム、13~17番線は東北本線地平ホーム、19~22番線は東北新幹線地下ホームとなっている。特に地平ホームは“北の玄関口”のシンボルであり、かつては長距離特急が暗い行き止まり式のホームを盛り上げていた。

14番線は多くのレールファンがかけつけ、ホームの一部では“伝家の宝刀”、グリーンロープが張られ、臨時特急〈思い出のやまびこ〉が終点上野に到着した。

14番線は撮影場所が2か所に分散。行き止まり式ホームのため、1か所に集中しないところがいい。

先頭車の側面には銀色のシールでだが、JNRマークを貼りつけ、方向幕と絵入りヘッドマークは今も残っていた(国鉄時代のJNRマークはステンレスの切り文字だった)。また、車両の都合により、8号車はクロハ481だった。エル特急〈やまびこ〉時代はサロ481である。“国鉄特急リターンズ”とはいえ、時代の流れには逆らえないようである。

東北新幹線が開業するまで、上野-盛岡間はエル特急〈やまびこ〉、上野-仙台間はエル特急〈ひばり〉、上野-青森間の昼行はエル特急〈はつかり〉とわかりやすい愛称だった。エル特急〈はつかり〉は所要時間がかかるため、夜行の寝台特急〈はくつる〉〈あけぼの〉〈ゆうづる〉、急行〈八甲田〉〈津軽〉が中心だったように思える。

翌日の2002年6月23日(日曜日)、この日は東北新幹線が開業して20年を迎え、上野14番線には臨時特急〈思い出のやまびこ〉盛岡行きが入線した。

相変わらず、レールファンが多いものの、9時16分に発車。そのあと、5番線へまわり、臨時電車〈あおばリレー号〉大宮行きへ。185系200番第14両編成だが、田町電車区所属車と新前橋電車区所属車がガッチリ、手を握り合っての運行だ。すでに国鉄色の185系シリーズは存在しないため、当時の上野-大宮間で運行した〈新幹線リレー号〉の再現とはいかないものの、レールファンの心をつかむ混色編成である。

〈新幹線リレー号〉は東北・上越新幹線に乗る人のための電車で、そのきっぷを持っていない人は乗れない決まりになっていたが、今回の臨時電車〈あおばリレー号〉大宮行きは誰でも乗れる。ちなみにヘッドマーク、方向幕はいずれも「臨時」である。

臨時電車〈あおばリレー号〉大宮行きはグリーン車以外、すべて自由席だが、喫煙車両があったのは残念。なお、JR東日本所属の特急は一部を除き、2007年3月18日(日曜日)から全車禁煙となった。

私は田町電車区所属車に乗り、9時55分に発車。列車名は臨時電車〈あおばリレー号〉だが、車掌は気を利かしたのか、〈新幹線リレー号〉と案内していた。車体の色は違えど、放送で再現をした恰好である。

尾久で無残な状態の常磐線103系と14系座席車を見て、10時20分、終点大宮に到着し、窓口で入場券を購入。

東北新幹線ホームにあがり、16番線に臨時〈想い出のあおば〉仙台行きへ。仙台方ではセレモニーを行なう。

特製ヘッドマークつきの臨時〈想い出のあおば〉仙台行きがホームへ。200系オリジナルカラーのお出ましだ。

駅の案内表示は「団体(PARTY)」になっていたのは残念で、〈あおば〉を表示できない理由でもあるのだろうか?

〈あおば〉は“東北新幹線の〈こだま〉版”として誕生。以前は仙台-秋田間を北上線経由で結ぶ特急〈あおば〉として運行していたが、4年間の短命であった。ちなみに北上線は平成8年(1996年)3月に北上-秋田間の特急〈秋田リレー〉が誕生したものの、田沢湖線の工事運休のため、1年間だけの限定運行だった。その後、田沢湖線の工事が完了すると、秋田新幹線〈こまち〉として、華々しいスタートを切ったのである。

〈あおば〉は7年ぶりに東北新幹線の愛称として、返り咲いたが、〈ひばり〉が有力な候補だったという。しかし、エル特急〈ひばり〉は東北新幹線開業にともない、羽ばたきをやめた。

その後、〈Maxあおば〉が誕生するも、平成7年(1995年)年12月1日(金曜日)のダイヤ改正で、東北新幹線の運行体系が見直され、近距離タイプの各駅停車新幹線〈なすの〉が誕生。〈あおば〉は大幅に減り、平成9年(1997年)9月30日(火曜日)、上越新幹線〈とき〉〈Maxとき〉と共に消滅。新幹線の愛称が消えたのは史上初の出来事である。

あれから5年、1日限りであるが、〈あおば〉はよみがえり、11時02分に発車。のんびりと各駅に停まり、13時03分、終点仙台に到着した。

できることなら、〈あおば〉は新宿-鬼怒川温泉間の特急として、復活して欲しかった。特急〈きぬがわ〉〈スペーシアきぬがわ〉は単調過ぎるからだ。また、2002年12月1日(日曜日)、〈とき〉〈Maxとき〉の復活と共に消えた〈あさひ〉は新宿-東武日光間の特急として使って欲しかった。先ほどと同様、特急〈日光〉では単調でいずれも味気ないのだ。特急〈水上〉じゃあるまいし。

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③岸田法眼のRailway Blog.「特急〈スペーシアきぬがわ3号〉鬼怒川温泉行き」はこちらにクリック!!  

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ジョイフルトレイン『きらきらみちのく』 [プラットホーム2002]

2002年6月15日(土曜日)、JR東日本品川へ。臨時ホーム8番線にジョイフルトレイン『きらきらみちのく』を展示している。

車内は1人掛けのパノラマシートや“デラックスボックスシート”と言っていい、座面が畳、テーブルも備わっており、グループや家族連れにピッタリ!!

乗務員室の運転台にはラジカセがあり、BGMでも流すのだろう。

さて、ジョイフルトレイン『きらきらみちのく』は八戸-大湊間の臨時快速〈きらきらみちのく下北〉、大湊-青森間の臨時快速〈きらきらみちのく青森〉、浅虫温泉-三厩間の臨時快速〈きらきらみちのく津軽〉など、JR西日本で言うところの“津軽路快速”で運行。青森県内限定のジョイフルトレインと言えそうだ。

★備考

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JR東日本E231系500番台入団!! [プラットホーム2002]

2002414(日曜日)JR東日本東海道本線(山手線)の各駅停車渋谷・新宿方面行きは品川4番線に到着。あえて品川まで並行する京浜東北線の快速に乗らずに乗り込んだ。

78番線臨時ホームへまわると、8番線には山手線205系の後継車、E231500番台が展示されている。国鉄時代の昭和60(1985)に投入された205系だが、保安装置の改良にともない、E231500番台に置き換えることになった。




さっそく、E231500番台に入ると、ドア上の液晶テレビが目立つ。のちに「LCD」と称されることになるが、左右2つあり、左側は広告、右側は次駅案内など、音声は鳴らないがインパクトがある。

このような案内装置はかつて、東武鉄道20050系で採用されていたが、劣化により、撤去されている。果たして、二の舞を踏まないかどうかが心配される。この当時、家庭のテレビはブラウン管から液晶に変わりつつある時代だったため、このような疑問を抱いていたのである。



ロングシートのシートモケットはグリーン系で、“都心の新緑”というものをイメージしているのだろう。山手線のラインカラーは黄緑のため、グリーン系にして、わかりやすくしたかったのかもしれない。ちなみに優先席は赤とグレーを基調としたシートモケットで、209系以降の首都圏電車ではおなじみとなった先頭車は1か所、中間車は2か所、コンセントが設けられている。



6ドア車は205系時代、10号車のみだったが、E231500番台では7号車にも連結。乗降時間短縮による遅延防止に努めているが、画像のように収納されている、されていないといったいい加減な状態では運行せず、貴重なひとコマといえるだろう。



7番線の休憩車両はおなじみの1855両編成を使用。また、ホームの田町寄りは285系が休んでいるため、絶好の撮影スポットにもなっていた。



1週間後の2002421(日曜日)、あいにくの雨だったが、E231500番台はデビュー。車内はすいていたが、先頭車はレールファンのタマリバと化し、前面展望。私はおとなしく坐って、“一般客のフリ”をしていた。



2005年春で山手線はE231500番台の置き換えが完了し、205系は埼京線、京葉線、仙石線、南武線、鶴見線、横浜線、八高線、武蔵野線へ移籍。このうち、埼京線は6ドア車を2両組み込み、混雑緩和に努め、武蔵野線ではモハ204205形の制御装置をVVVFインバータに変えて、5000番台に改造された。更に一部の中間車は先頭車に改造されるなど、103系をほぼ一掃した。

E231500番台はLCDの利点を生かし、日本テレビと提携で、2006年に『デジタルGトレイン』、2007年には箱根駅伝を音声なしで生中継するなど、新しい時代を切り開こうとしている。



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『Yahoo! セカンドライフ』で取り上げた「世界遺産にしたい車両-JR西日本221系-」は2007年5月17日(木曜日)、趣味と教養部門で第8位をマークしました(総合193位)。アクセスして、「おすすめする」にクリックしていただければ、さいわいです。

④2007年5月18日(金曜日)で観客動員数11萬7000人を突破しました。ありがとうございます。


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