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寝台特急〈あけぼの〉フォーエヴァー総集編 [プラットホーム2012]

■2008年11月22日(土曜日)

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最後は寝台特急〈北陸〉〈あけぼの〉で締めくくった。特に寝台特急〈北陸〉は14系の運行だから、貴重なショットと言える。  

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そのウラは寝台特急〈あけぼの〉で、かつては山形新幹線工事(福島―山形間の標準軌化)で陸羽東線を経由していたことがあり、小牛田―新庄間はディーゼル機関車を牽引していたが、DD51形ではなく、DE10形の重連だった。それでも、寝台特急〈あけぼの〉がディーゼル機関車で牽引していた時代があったことをなつかしく感じる。

■2009年5月23日(土曜日)

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管理棟の出口付近では、JR貨物カラーのEF64形1002号機に寝台特急〈あけぼの〉のヘッドマークを掲出。似合っているねぇー。私はいつも思っていることだが、ブルートレインになぜ、JR貨物の高性能機関車を牽引させないんだろう? 会社が違うということもあるんだろうけど、高性能機関車を起用することにより、所要時間の短縮が見込めたのではないだろうか

■2009年11月6日(金曜日)

ほどなくして、13番線に寝台特急〈あけぼの〉青森行きが入線。発車時刻まで30分あるせいか、こちらは思い通りのカットで撮影することができた。東北新幹線全通時は存続するか、消えてしまうのかが気になる列車である。

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21時15分、寝台特急〈あけぼの〉青森行きが発車。次の13番線は寝台特急〈北陸〉金沢行きだが、発車時刻は23時03分。さすがに多くのレールファンはそこまで待てず、13番線に別れを告げた。  

■2009年12月29日(火曜日)

多くのレールファンは、20時50分に入線する寝台特急〈あけぼの〉青森行きを待つ。こちらは発車時刻まで、25分あるため、ゆとりある撮影ができる。  

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推進運転で寝台特急〈あけぼの〉青森行きが入線すると、ここでデジイチのメモリーが満タンになってしまった。寝台特急〈あけぼの〉青森行きは、2009年11月6日(金曜日)に撮影しているので、熱心に撮る必要がなく、ここは機種変更したばかりのケータイ、ドコモのN-02Bを使うとしよう。実はこの機種で撮影するのは初めてだ。  

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とりあえず500萬画素にセットして撮影。写り具合がよければ、今後はコンデジをしのばせる必要はないかなと思っているが、しばらくは試行錯誤する必要がありそうだ。ちなみにN903iはカメラの性能が悪く、イイ写りではなかった。  

ここで思わぬ展開へ。偶然にもフリー作家の吉田一紀さんと出会う。吉田さんは1両ごとに、ブルートレインを丹念に見て、己の目に焼きつけている。そのあと、吉田さんの紹介でお近づきになった某氏とも出会う。どうやら彼らも583系の御尊顔を拝しに来たようである。  

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寝台特急〈あけぼの〉青森行きの発車時刻が近づくと、我々はエスカレーターで上がり、某氏の知人と合流して、構内の飲食店で、“プレ忘年会”をした。前半は吉田さんが中心に話がはずみ、後半は私が盛り返した。  

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JR東日本は2010年12月に東北新幹線新青森延伸を予定している。臨時特急〈ふるさとゴロンと号〉、寝台特急〈あけぼの〉が健在であることを願いたい。もしかすると、レールファンがかなり集結したのも、東北新幹線新青森延伸が頭にあり、“今回の年末年始で見納めになるのではないか?”という危機感があるのかもしれない。


■2010年5月22日(土曜日) 

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その先には3つの電気機関車も検査中だ。前方は2車体連接構造のEH500形38号機の片方、中央はEF65形1060号機、後方はEF64形1000番代で、上野寄りには寝台特急〈あけぼの〉のヘッドマークを掲出している。  

■2010年11月20日(土曜日)

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次にEF510形500番代ブルートレインカラーは、寝台特急〈あけぼの〉のヘッドマークを掲出。現時点、寝台特急〈あけぼの〉は、EF510形500番代牽引という情報がないものの、いずれこの姿が現実になると見ている。



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EF65形1000番代“スーパーエクスプレスレインボカラー”は、寝台特急〈あけぼの〉へ。奥羽本線全線走破時代は、EF65形1000番代オリジナルカラーで牽引していた。色は違っても、その時代を思い出す。  

■2011年10月15日(土曜日)

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EF64形1000番代は、北側が大宮車両所特製の〈絆〉、南側が寝台特急〈あけぼの〉をそれぞれ掲出。EF64形1000番代貨物色の寝台特急〈あけぼの〉は、定番となっている。

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EF81形81号機は車体側面に流れ星を入れた寝台特急〈北斗星〉用で、貨物列車も牽引していた。北寄りは常磐線経由のブルートレイン、寝台特急〈ゆうづる〉を掲出。同線は東日本大震災と、東京電力福島第一原子力発電所の事故も重なり、現在も不通区間が存在する。寝台特急〈ゆうづる〉のヘッドマーク掲出は、意義を感じ取ることができる。ちなみに、南寄りは寝台特急〈あけぼの〉で、“上野発青森行き最後の夜行列車”として、以前よりも存在感が高まっている。

■2011年11月19日(土曜日)

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EF81形北斗星仕様は寝台特急〈ゆうづる〉、EF65形1000番代は寝台特急〈あけぼの〉を掲出。前者はすでに消滅し、後者は過去の牽引機なので、懐かしさがこみ上げる。

■2012年12月29日(土曜日

20時頃、JR東日本上野へ。東北本線14番線は、すでにレールファンが大集結し、“報道陣”と化している。鉄道に関心のない人々は、“何事か?”と思っている様子で、子細を警備員に訪ねていた。ある人はスーパースターがやってくるものと思っていたらしい。

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20時07分、14番線に臨時寝台特急〈あけぼの81号〉弘前行きが入線した。多くのレールファンはカメラを高く上げて、夢中でシャッターを切っている。

14番線の車止めの先では、場所をわきまえず三脚2台を立てて撮影する未成年2人がいた。ホームの撮影では三脚、一脚を立ててはいけないのが基本だということをわかっていない(三脚、一脚を持ち上げるのはOKらしい)。数人の大人から怒号を浴びると、未成年2人は「わかりましたよ」と半ば逆ギレして、この場を去った。

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発車まで30分近くあるせいか、ある程度撮影したら、後ろで待っている人々に譲っていた。後ろは満員電車に乗っているような感覚で、撮影を終えた人は集団を抜け出すのに手間取っていた。

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583系の臨時寝台特急〈あけぼの〉は1996年夏季以来、16年ぶりの運転となる。久々にJR東日本の583系を見ると、年々重厚さが増していると思う。首都圏の在来線では、ステンレス車体の電車が圧倒的に多いからだろうか。

臨時寝台特急〈あけぼの81号〉は、「青森行き」ではなく「弘前行き」に疑問を感じる人が少なくないと思う(前回運転された1996年夏季も上野―弘前間で、当時は仙山線経由だった)。弘前―青森間を運転しない理由として考えられるのは、寝台特急〈あけぼの〉(定期)は、上野―秋田・大館間の乗車率が高いことや、翌朝に東京を発車する東北新幹線臨時〈はやて71号〉新青森行きの存在が大きいからだ。下記の行程表を御覧いただきたい。

■2012年12月29日(土曜日)旅立ち 
上野(臨時寝台特急〈あけぼの81号〉弘前行き9081M)→837弘前855(普通電車青森行き639M)→933新青森934→940青森

■2012年12月30日(日曜日)旅立ち①
東京600(東北新幹線臨時〈はやて71号〉新青森行き8071B)→上野606→942新青森948(寝台特急〈あけぼの〉青森行き2021列車)→955青森

※寝台特急〈あけぼの〉青森行きは、立席特急券(500円)を購入した場合は2段式B寝台に、指定席特急券を購入した場合は、ゴロンとシートに乗車可能。

■2012年12月30日(日曜日)旅立ち②  
東京600(東北新幹線臨時〈はやて71号〉新青森行き8071B)→上野606→942新青森1016(特急〈スーパー白鳥11号〉函館行き4011M)→1023青森

※特急〈白鳥〉〈スーパー白鳥〉〈つがる〉の自由席は、新青森―青森間利用のみ特急料金免除。

翌朝の東北新幹線臨時〈はやて71号〉新青森行きに乗れば、青森到着時刻は最短15分差なのである。さらに、上野から定期の寝台特急〈あけぼの〉青森行きに乗った場合、新青森へは臨時〈はやて71号〉が先に到着するのだ。


◆いよいよ発車

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上野14番線は、「ララララララララ…」と発車ベルが鳴る。昔と変わらない音は、国鉄形車両の長距離列車がよく似合う。そして、側扉が閉まり、安全の確認をとると、運転士は警笛を高らかに鳴らし、20時35分に発車した。臨時寝台特急〈あけぼの81号〉弘前行きを見送ったレールファンの多くが上野を去り、一部は“残業”をする。ブルートレインの寝台特急〈あけぼの〉青森行きを撮影するためである。

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20時50分、13番線に寝台特急〈あけぼの〉青森行きが入線した。頭端式ホームのため、電気機関車は推進運転を行なう。回送列車では先頭車となる24系25形100番代金帯の貫通扉が開いており、乗務員が注視している姿に緊張感が漂う。

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急行〈あけぼの〉が消滅してから2年後の1970年7月1日(水曜日)、臨時寝台特急〈あけぼの〉が登場した(3か月後に定期化)。当時は奥羽本線を全線走破し、一時期3往復運転されていた。その後、山形新幹線工事に伴い、福島―山形間を狭軌から標準軌に改軌することになった(一部区間は3線軌道)。このため、1990年9月1日(土曜日)から寝台特急〈あけぼの〉2往復は、2つのルートに分かれる。1往復は上野―小牛田―新庄―青森間のルート、もう1往復は寝台特急〈鳥海〉に改称し、上野―高崎―新津―新発田―秋田―青森間のルートとなった。

1997年3月22日(土曜日)に秋田新幹線〈こまち〉がデビューしたことに伴い、寝台特急〈あけぼの〉は上野―高崎―新津―新発田―秋田―青森間のルートに変わった。このため、同一ルートの寝台特急〈鳥海〉が消滅した(〈鳥海〉は急行、昼行特急、寝台特急で活躍した)。現在では、上野―青森間唯一の夜汽車である。

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暴れん坊583系2012-年末大暴れスペシャル!!- [プラットホーム2012]

暴れん坊583系2012年末大暴れスペシャル!!.jpg

①臨時寝台特急〈あけぼの81号〉弘前行き


◆マスコミと化したレールファン

2012年12月29日(土曜日)20時頃、JR東日本上野へ。東北本線14番線は、すでにレールファンが大集結し、“報道陣”と化している。鉄道に関心のない人々は、“何事か?”と思っている様子で、子細を警備員に訪ねていた。ある人はスーパースターがやってくるものと思っていたらしい。

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20時07分、14番線に臨時寝台特急〈あけぼの81号〉弘前行きが入線した。多くのレールファンはカメラを高く上げて、夢中でシャッターを切っている。

14番線の車止めの先では、場所をわきまえず三脚2台を立てて撮影する未成年2人がいた。ホームの撮影では三脚、一脚を立ててはいけないのが基本だということをわかっていない(三脚、一脚を持ち上げるのはOKらしい)。数人の大人から怒号を浴びると、未成年2人は「わかりましたよ」と半ば逆ギレして、この場を去った。

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発車まで30分近くあるせいか、ある程度撮影したら、後ろで待っている人々に譲っていた。後ろは満員電車に乗っているような感覚で、撮影を終えた人は集団を抜け出すのに手間取っていた。

◆久々に583系で運転

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583系の臨時寝台特急〈あけぼの〉は、平成8年(1996年)夏季以来、16年ぶりの運転となる。久々にJR東日本の583系を見るが、年々重厚さが増していると思う。首都圏の在来線では、ステンレス車体の電車が圧倒的に多いからだろうか。

臨時寝台特急〈あけぼの81号〉は、「青森行き」ではなく「弘前行き」に疑問を感じる人が少なくないと思う(前回運転された1996年夏季も上野―弘前間で、当時は仙山線経由だった)。弘前―青森間を運転しない理由として考えられるのは、寝台特急〈あけぼの〉(定期)は、上野―秋田・大館間の乗車率が高いことや、翌朝に東京を発車する東北新幹線臨時〈はやて71号〉新青森行きの存在が大きいからだ。下記の行程表を御覧いただきたい。

■2012年12月29日(土曜日)旅立ち 
上野(臨時寝台特急〈あけぼの81号〉弘前行き9081M)→837弘前855(普通電車青森行き639M)→933新青森934→940青森

■2012年12月30日(日曜日)旅立ち①
東京600(東北新幹線臨時〈はやて71号〉新青森行き8071B)→上野606→942新青森948(寝台特急〈あけぼの〉青森行き2021列車)→955青森

※寝台特急〈あけぼの〉青森行きは、立席特急券(500円)を購入した場合は2段式B寝台に、指定席特急券を購入した場合は、ゴロンとシートに乗車可能。

■2012年12月30日(日曜日)旅立ち②  
東京600(東北新幹線臨時〈はやて71号〉新青森行き8071B)→上野606→942新青森1016(特急〈スーパー白鳥11号〉函館行き4011M)→1023青森

※特急〈白鳥〉〈スーパー白鳥〉〈つがる〉の自由席は、新青森―青森間利用のみ特急料金免除。

翌朝の東北新幹線臨時〈はやて71号〉新青森行きに乗れば、青森到着時刻は最短15分差なのである。さらに、上野から定期の寝台特急〈あけぼの〉青森行きに乗った場合、新青森へは臨時〈はやて71号〉が先に到着するのだ。


◆いよいよ発車

DSC_0762CSC_0829a.jpg

上野14番線は、「ララララララララ…」と発車ベルが鳴る。昔と変わらない音は、国鉄形車両の長距離列車がよく似合う。そして、側扉が閉まり、安全の確認をとると、運転士は警笛を高らかに鳴らし、20時35分に発車した。臨時寝台特急〈あけぼの81号〉弘前行きを見送ったレールファンの多くが上野を去り、一部は“残業”をする。ブルートレインの寝台特急〈あけぼの〉青森行きを撮影するためである。

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20時50分、13番線に寝台特急〈あけぼの〉青森行きが入線した。頭端式ホームのため、電気機関車は推進運転を行なう。回送列車では先頭車となる24系25形100番代金帯の貫通扉が開いており、乗務員が注視している姿に緊張感が漂う。

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急行〈あけぼの〉が消滅してから2年後の昭和45年(1970年)7月1日(水曜日)、臨時寝台特急〈あけぼの〉が登場した(3か月後に定期化)。当時は奥羽本線を全線走破し、一時期3往復運転されていた。その後、山形新幹線工事に伴い、福島―山形間を狭軌から標準軌に改軌することになった(一部区間は3線軌道)。このため、平成2年(1990年)9月1日(土曜日)から寝台特急〈あけぼの〉2往復は、2つのルートに分かれる。1往復は上野―小牛田―新庄―青森間のルート、もう1往復は寝台特急〈鳥海〉に改称し、上野―高崎―新津―新発田―秋田―青森間のルートとなった。

平成9年(1997年)3月22日(土曜日)に秋田新幹線〈こまち〉がデビューしたことに伴い、寝台特急〈あけぼの〉は上野―高崎―新津―新発田―秋田―青森間のルートに変わった。このため、同一ルートの寝台特急〈鳥海〉が消滅した(〈鳥海〉は急行、昼行特急、寝台特急で活躍した)。現在では、上野―青森間唯一の夜汽車である。


②臨時急行〈きたぐに〉大阪行き

◆気軽に乗れなくなった臨時急行〈きたぐに〉

2012年12月30日(日曜日)22時頃、JR東日本新潟へ。2013年まであと26時間となったが、万代口から東口までの通路を歩くと、師走という雰囲気がなく、“新年まであと少し”という実感が沸かない。

上越新幹線の終電は、〈Maxとき480号〉越後湯沢行きで、あと数分で発車する。長岡までなら信越本線の臨時普通電車長岡行き8458M(新潟22時49分発、長岡0時03分着。2003年2月28日までの平日運転。ただし、2012年12月31日から2013年1月3日まで運休)、普通電車長岡行き460M(新潟23時16分発、長岡0時30分着)に乗れば間に合うが、燕三条、浦佐、越後湯沢へは〈Maxとき480号〉越後湯沢行きに乗らなければならない。

東口の改札を通り、2番線へ。臨時急行〈きたぐに〉大阪行きが発車するホームだ。2012年3月17日(土曜日)のダイヤ改正で臨時列車に格下げされた。併せてダイヤも大幅に変更され、山科―近江塩津間は湖西線経由に変わった。大阪―新潟間の所要時間は、往年の寝台特急〈つるぎ〉よりも早い。

臨時急行〈きたぐに〉は、ゴールデンウィーク、お盆、年末年始に運転されている。定期時代は基本10両編成、多客期12両編成で運転されていたが、現在は7両編成だ。減車により、自由席、A寝台の設定をとりやめ、3段式B寝台とグリーン車のみとなったのがさびしい。私は「臨時寝台急行〈きたぐに〉」になると思っていたが、市販の時刻表及び、583系の絵入りヘッドマークと方向幕に星のマークはつかなかった。

東京と新潟は人口、列車本数とも歴然としており、1・2番線で臨時急行〈きたぐに〉大阪行きを待つレールファンや乗客は少ない。前日と違い、静かな雰囲気で撮影することができる。

◆雨の新潟に583系が現れる

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22時27分、2番線に臨時急行〈きたぐに〉大阪行きがゆっくりとした速度で入線した。定期運転時代と同じ時刻に入線したが、発車時刻は大幅に繰り上げたため、ゆとりがなくなった。

JR西日本の583系は、塗装を変えているせいか、「重厚」というより、「軽快」なイメージを持つ。幸か不幸か、JR東日本新潟支社の電車は、国鉄鋼製車体が圧倒的に多く、115系は583系の“引き立て役”にならない。115系は一部を除き、塗装を変え、一部は車内をリニューアルされているが、国鉄の雰囲気がまだまだ残っている。

急行〈きたぐに〉が583系に変わったのは、昭和60年(1985年)3月14日(木曜日)のダイヤ改正からである。このダイヤ改正で消滅した583系の臨時急行〈立山〉に倣い、ひとつの編成に自由席、グリーン車、3段式B寝台を設定したほか、“急行〈きたぐに〉ならでは”として、サハネ581形をA寝台に改造したサロネ581形を連結させた(臨時エル特急〈雷鳥〉運転時のサロネ581形は、普通車扱い)。

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583系置き換え当初のヘッドマークも臨時急行〈立山〉に倣い、「急行」のみだったが、昭和61年(1986年)8月中旬から向日町運転所(現・吹田総合車両所京都支所)職員の発案により、佐渡おけさを踊る女性と、日本海の海外線を描いたものに変わった。「試用」という名目で掲出した絵入りヘッドマークは、そのまま本採用となる。

平成6年(1994年)12月3日(土曜日)以降、急行〈きたぐに〉は583系唯一の定期列車として、ひときわ注目を集める存在となる。それとともに、急行〈きたぐに〉に“後継車”が現れず、夜行列車衰退の影響を受けていたといえる。

◆JR西日本583系、あと数年で消滅?!

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臨時急行〈きたぐに〉大阪行きは、そこそこの乗車率で22時37分に発車し、闇の世界へ消えていった。

さて、国鉄が分割民営化された際、583系はJR東日本141両、JR西日本60両、JR北海道7両をそれぞれ保有した。その後、JR東日本所属車は徐々に廃車が進み、JR北海道所属車は1度も営業運転に就くことなく数年ですべて廃車(JR北海道所属車はすべてサハネ581形で、分割民営化直前に津軽海峡を渡った)、JR西日本所属車は20年以上安泰だった。現在、JR東日本所属車は6両、JR西日本所属車は21両しかない。

2012年12月19日(水曜日)、JR西日本は2016年春の予定で、京都市下京区観喜寺町に鉄道博物館(仮称)開業を発表した。展示車両は、500系量産車、489系ボンネット車、583系などを予定している。これにより、JR西日本所属の583系は、2016年春までに営業運転を終了する可能性が出てきた。2013年春季以降、臨時急行〈きたぐに〉を運転させるかどうかは未定だが、仮に1編成が廃車されてしまうと予備車がなくなり、上下列車とも隔日運転にして万全を期す可能性がある(突発的な車両故障が発生すると、運休になる恐れがあるため)。

JR西日本は、2013年3月16日(土曜日)のダイヤ改正で、485系改造の183系が定期運転を終える予定で、廃車になるのが目に見えている。同社は在来線の車両寿命を40年程度と考えており、485系、489系、183系、583系はそれに該当する。

現存する583系は、すべて車齢40年を超えている。JR東日本の現存6両については、2003年に大規模な修繕工事を行ない、美しい姿によみがらせた。不慮の事故がなければ、まだまだ活躍すると信じている。

一方、JR西日本は「体質改善工事」を確立していない、平成3・4年度(1991・1992年度)に特別保全工事を実施した。車両リニューアル実施年を“折り返し地点”と考えた場合、限界が近づきつつある。


★備考

581/583系を使用した列車について(東北・常磐路編)
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〈ひかり477号〉広島行き [プラットホーム2012]

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2012年3月17日(土曜日)のダイヤ改正で、東海道・山陽新幹線東京―広島間の〈ひかり〉が9年ぶりに復活していた。該当列車は〈ひかり477・460号〉で、ダイヤ改正前は東京―岡山間の運転だった。

今回のダイヤ改正で、〈ひかり477・460号〉が岡山―広島間を延長したのは、山陽新幹線〈こだま〉の運転本数及びダイヤ見直しによるものだ。


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下りの〈ひかり477号〉広島行きは岡山を発車すると、福山、三原のみ停車する(東京15時50分発の〈のぞみ117号〉広島行きに乗れば、岡山で〈ひかり477号〉広島行きに乗り換えができる)。ダイヤ改正前に運転されていた〈こだま765号〉(岡山―博多間)を置き換えた形だ。今回のダイヤ改正で、山陽新幹線下り〈こだま〉は42本から39本に削減されている。

上りの〈ひかり460号〉東京行きは京都まで各駅に停まる。広島―岡山間各駅に停まる列車を1本増発したことで、通勤・通学客に対応し、利便性を向上させているのだ。今回のダイヤ改正で、山陽新幹線上り〈こだま〉は34本から35本に増やしている。

今回のダイヤ改正では、山陽新幹線700系7000番代〈こだま〉の編成内容について、自由席を1~7号車から1~4・7・8号車に、指定席を8号車から5・6号車に変更した。ほかに6号車を禁煙車にしたことで喫煙できる車両もなくなった(〈こだま865・858号〉のみ全車自由席。また列車によって、4号車を指定席に変更する場合がある)。これに伴い8号車の4人用個室は利用不可となった。せっかくの設備を持て余しており、もったいないが、〈ひかり〉レールスター運用時でも利用客が少なかった。

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2013年春に行なわれるJRグループのダイヤ改正で、東京―広島間の〈ひかり〉が“存続”するかどうか注目してみたい。

東京地下鉄南北線溜池山王で見た気になるもの [プラットホーム2012]

2012年10月28日(日曜日)、東京地下鉄(以下、東京メトロ)南北線溜池山王(N-06)ホームの赤羽岩淵(N-19)寄り外側で気になる張り紙を見た(南北線ホームは、東京急行電鉄管理駅の目黒を除き、ガラス張りのホームドア方式)。

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「急告

ここはゴミ箱ではありません!

乗務区から苦情がきました。
お客様が捨てたとは考えられない。

誰が処理するの? 駅はやりませんョ!

社員・又は関連企業の皆さんのご協力をお願いします。

平成19年5月25日
溜池山王駅」

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確かに張り紙の下には、ゴミ箱に見えるものがある。南北線は目黒(N・I・MG-01)を除き、よほどのことがない限り、ホームの外に出ることができない。線路上で非常事態が発生した際には、ホーム端にある扉が使われることになっている。

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この張り紙を掲示した1年後の2008年12月15日(月曜日)、白金高輪(N・I-03)の引き上げ線で、運転士の喫煙が原因による発煙事故が発生している。南北線は目黒(N・I・MG-01)を除き、ホームが密室同然であるため、東京メトロ社員や関連企業が“コソコソ”とやってはいけないことができるのだ(私はそうしていないことを信じている)。

「密室」といえば、2012年2月22日(水曜日)に大阪市交通局御堂筋線梅田(M16)ホーム内にある清掃用の倉庫で、作業員の喫煙が原因による火災事故が発生し、大混乱を招いた。死者が出なかったのが不幸中の幸いだった。

密室とは関係ないが、2012年は東京メトロ社員の不祥事が2件発生している。利用客の命や財産を預けているのだから、いつも“社会の模範”でなければならない。そうでないと、利用客の信頼を本当に失うことになってしまうのだから。

★備考

岸田法眼のRailway Blog.「あわや大惨事の発煙事故」 
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