拙著『波瀾万丈の車両』(アルファベータブックス刊)、発売中!! くわしくは、こちらへ。
拙著『東武鉄道大追跡』(アルファベータブックス刊)、2021年2月9日(火曜日)発売!! くわしくは、こちらへ。
拙著『大阪の地下鉄大研究』(天夢人刊)、2023年10月3日(火曜日)発売!! くわしくは、こちらへ。
●お問い合わせ、御依頼はこちらへ。
・Railway Blogのコメント、トラックバック承認制になっておりますので、御了承願います。
・Railway Blogに掲載されている本文、画像などの著作権は、各国の著作権法、各種条約及び、その他の法律で保護されています。これらのデータなどについて、私的使用、その他、法律で明示されている範囲を超えて、許可なく引用、複製、改編、転用、電磁的加工、送信、頒布、二次使用するなどの一切の行為は禁止しております。著作権法に関係なく、ルール、マナー、エチケットをすべて守っていただきますよう、お願いいたします(該当する行為があった場合、当方の顧問弁護士より、賠償金を請求させていただきます。必ずお支払いください)。また、新聞、雑誌など、各種メディア関係者で本文や画像の利用等を希望される場合は、お問い合わせフォームを御利用ください(原則として、本文や画像は有償とさせていただきます)。
快速〈あいづライナー〉フォーエヴァー総集編 [汽車旅2004番外編]
会津若松に戻り、快速〈あいづライナー4号〉郡山行きが入線した。485系使用にもかかわらず、優先席を設け、ケータイも電源OFFとは……(デッキで通話できない理由はあるのだろうか?)
快速〈くびき野〉フォーエヴァー総集編 [汽車旅2004番外編]
新津で快速〈くびき野2号〉新井行き(1号車自由席クハ481-1507)へ。ちなみに4号車自由席以外は1段高いデラックスタイプである。
■2004年9月4日(土曜日)
終点直江津でJR東日本信越本線の快速〈くびき野3号〉新潟行き(4号車自由席クハ481-1502:デラックス車)へ。
快速〈くびき野3号〉新潟行きは直江津乗車時点から盛況し、長岡でパワーアップ!! 特別料金なしのリクライニングシートで快適!! 首都圏ではグリーン車扱いだろうか?
新春スペシャル2004 [汽車旅2004番外編]
今回は諸国漫遊ではないが、“新春スペシャル”として、元旦の模様をお伝えする。
まずは東京ミレナリオ。平成11年(1999年)に始まって以来、5回目を迎え、この日をもって、しばしのお別れとなる。
東京ミレナリオは初めてで、2002・2003年に神戸ルミナリエを体験している。これは阪神大震災(正確には「兵庫県南部地震」という)の被災者たちを励まそうと、いたましい大惨事が起こった平成7年(1995年)にスタート。反響が大きかったことから、翌年以降も開催され、冬の神戸の風物詩として、定着しているが、募金額が少ないと開催されない可能性があるため、温かい支援が命綱となっている。私も多額の投資はできないけど、ささやかな募金をして、協力している。
一方、東京ミレナリオは、募金活動は行なわず、スポンサーの出資でまかなっており、よっぽどのことがない限り、これからも開催するだろう。ちなみに双方とも、同じデザイナーが手掛けているとのこと。また、準備に要する期間は1年近くとなっており、開催したら、次の回に向けて、プロジェクトを進行させなければならない。
期待して、東京ミレナリオに乗り込んだが、警官の笛の「ピー、ピー」が騒々しく、また、周辺の道路は通行止めにしておらず、赤信号がともると、歩行者は立ち止まらなければならず、渋滞。おまけに隣接の歩道は東京ミレナリオ客でなくとも通れるなど、失望。ときめきに欠ける。非日常的な世界を味わいたいのに、赤信号で止まり、青信号で横断歩道を渡るという、日常的な世界に戻されることに怒り心頭だ。
神戸ルミナリエよりイイ点は、商品の売り込み合戦を控えていることだろう。行くのであれば、神戸ルミナリエだ。個人的なことだが、この次に行く時は永久(Towa)の愛を誓った女性と行きたいものだ。
期待はずれだった東京ミレナリオ会場を離れ、特に大きな目的もなく、お台場に乗り込んだ。
東京テレポート駅を降りると、正面に大きな観覧車、うしろには球体展望室がウリのフジテレビがそびえ立つ。周囲は無数の若者であふれている。
フジテレビはこの時間帯も放送しているが、球体展望室は終夜営業していないのは意外だった。
レインボーブリッジへアプローチする道路は昼間と変わらず、混雑している。今や東京のヤングのデートスポットとして、定着しているようだ。しかし、不良というナリをした者が多い。駐車場に止めているクルマは改造車数台を見かけるほど。また、ライブハウス周辺では少年がスケボーで遊んでいる。これでは午前2時が19時と錯覚しそうである。
お台場海浜公園に足を向けてみる。砂浜があるにもかかわらず、遊泳禁止。東京湾の海はきたないから、仕方なかろう。ヘドロの海で泳ごうとは思わない。
すっかり、不良のタマリ場と化した、お台場を退散し、江ノ島へ向かった。
数年前に比べると、江ノ島を騒がす暴走族と警官のにらみ合いはなくなったが、見物の群れは相変わらずだ。浜辺にカップルや家族連れでにぎわっており、初日の出を待ち受けている。
6時55分、歓声があがった。
海の底からピカーッと夢と希望を乗せて、ニューイヤーサンライズ。すなわち、初日の出が光り輝いた。雲におおわれ、ピンチだったが、海と山のスキマから出てきたので、みな拝むことができた。
初日の出はこれで2勝3敗。次回は勝率5割を目指す。
★備考
①岸田法眼のRailway Blog.「元旦終夜運転2004」
②今回の記事は2004年4月に執筆したものです。
★お知らせ
① 来訪御礼のみや記事に関係のないコメントをされる方は、こちらへクリックしてください(Railway Blogは 記事のコメント以外、受け付けておりません)。また、Railway Blogのコメント、トラッ クバック承認制になっておりますので、御了承願います。
※本文、画像の無断引用、転 用は厳禁とさせていただいております(無断引用によるコメントは、一切承認しません)。
②メディア執筆記録2009は、こちらを御覧ください 。
(2009年発売の商品カタログです)
③執筆実績一覧は、こちらを御覧ください 。
④執筆依頼、御質問やお問い合わせ等は、こちらへお願いいたします。また、御質問やお問い合わ せ等をRailway Blogでコメントされても、承認しない場合がありますので、あらかじめ、御承知おき ください。
⑤私の執筆記事が掲載されている三栄書房刊行、『鉄道のテクノ ロジーVol.6』が好評発売中です。くわしくは、こちらへどうぞ(御意見などもこちらへ)。
⑥2011年3月の予定で、芸文社より私の著書が発売されます。首を長ーくしてお待ちいただければ、 さいわいです。
⑦コメントのURL欄は、正確に入力していただきますよう、お願いいたし ます(公序良俗に反するものや、でたらめなものは承認いたしません)。
岸田法眼のウソつき4択 powerd by けんてーごっこ
羽田空港と成田空港 [汽車旅2004番外編]
2004年12月30日(木曜日)、JR東日本上野から東北本線(京浜東北線)209系500番台の各駅停車蒲田行きに乗り換え。ちなみに京浜東北線で、この車両に乗るのは2年連続2回目。
なお、今回は車番を記録しないので、御了承を。
東京から東海道本線に入り、浜松町に到着する頃、車掌はヒコーキ会社によって、ターミナルビルが異なることを案内。まるでJR西日本みたいなキメ細やかさである。
浜松町で東京モノレール東京モノレール羽田線に乗り換え。連絡改札を設けたとのことだが、実際は連続で自動改札を突破しなければならず、ちと手間がかかる(初めて利用したら、なにがなんだかわからなかった)。
1000系の普通電車羽田空港第2ビル行き(ワンマン運転)へ。ワンマン運転により、モニターの設置や上半分はサングラスガラスなので、前面展望はイイとは言えない。
最後まで乗務員室の幕を下ろすことなく、終点羽田空港第2ビルに到着し、全線完乗達成!!
羽田空港第2旅客ターミナルも『BIG BIRD』と名乗り、近辺には京浜急行電鉄空港線のりばのカンバンがあり、“間っ違いない”ことは言うまでもない。
2000系の快速浜松町行き(ワンマン運転)に乗り、次の羽田空港第1ビルで下車。元祖『BIG BIRD』の2階にある羽田空港郵便局でゆうちょ。
こちらでは「北ウィング」という案内表示が多く、中森明菜の歌を思い出す。
1000系の普通電車羽田空港第1ビル行き(ワンマン運転)に乗り、終点で折り返した(確実に坐りたかったから)。
昭和島の車両基地ではグリーンの1000系が留置され、ビックリ!!
終点浜松町でJR東日本東海道本線(山手線)E231系500番台の東京・上野方面行きに乗り換え、東京で下車。丸の内オアゾのam/pmで昼食を購入し、総武本線の快速〈エアポート成田〉成田空港行き(女性車掌乗務)へ。JR東日本としては珍しく、車掌の自己紹介があった。
成田空港は芝山鉄道開業初日以来で、厳重警備は相変わらず。パスポートや身分を証明するモノがないと入れない。
ゴールド免許提示で入り、2000年から4年来の念願かない、成田空港内郵便局でゆうちょ。
滞在時間は20分もなかったが、快速〈エアポート成田〉久里浜行き(千葉まで女性車掌乗務)へ。
都賀(Tsuga)で微笑ましい親子が同席し、私は次の千葉で、“世界最長 懸垂式空中飛行鉄道”というキャッチフレーズがついた千葉都市モノレール“タウンライナー”へ。
1号線県庁前行き(ワンマン運転)に乗り、金茶色のロングシートは5人前後のありさまで、終点に到着し、完全制覇達成!!
千葉県庁に郵便局がある情報を入手していたが、仕事納めであいておらず、やむなく、NHK前交差点近くにある千葉中央四郵便局でゆうちょ。更に本千葉駅から徒歩30秒ほどの千葉寒川郵便局で、2004年最後のゆうちょ。
「よいお年を」
と門番の局員に声をかけられ、ビックリした。
千葉中央から京成電鉄千原線の各駅停車ちはら台行きへ。
千葉急行時代に比べると、利用客は若干、増えたようで、終点ちはら台に到着し、京成電鉄完全制覇達成!!
で2004年を締めくくった。
湘南急行フォーエヴァー [汽車旅2004番外編]
2004年12月5日(日曜日)、小田急電鉄小田原線新宿へゆき、湘南急行藤沢行き(1号車3559)へ。もうおわかり、“湘南急行フォーエヴァー”(いつのまにか3000系が増えた)。
代々木上原で「多摩急行唐木田行きに接続します」と言うので、向かいのホームで顔合わせするのかと思ったが、現われず発車。下北沢を過ぎてから、複々線に入るが、成城学園前までは速くなかったねぇー。本領発揮はダイヤ改正までお預けか?
成城学園前から速くなり、和泉多摩川で複々線は終わるが、遊園地自体が閉店しても向ヶ丘遊園ではEXEが停車。乗務員交代の運転停車だったのか?
ターゲットの新宿よりも途中駅から乗る客が多く、このルポの次の週にデビューする快速急行は成功するかどうかが不安になる。
気がついたら、1号車は5人のレールファンがかぶりつき、相模大野で乗務員チェンジ!!
相模大野から日差しがキツくなり、3000系にはカーテンがない(運転席には東京急行電鉄5000系なみのカーテンがあった)。サングラスガラスに「UVcut」ステッカーを貼っているが、効果なし。
善行(Zengyo)からスピードがにぶり、終点藤沢へ。隣りのJR東日本東海道本線には湘南新宿ラインE231系近郊形タイプが余裕シャクシャクで停車中。ちなみに私が乗った湘南急行藤沢行きは新宿14時50分発で、湘南新宿ラインの特別快速小田原行きが後発先着していた。
東京急行電鉄・小田急電鉄と湘南新宿ラインを比較すると、速さでは後者になるだろうが、車両のバラエティーでは前者2つで、甲乙つけがたい。
東武鉄道野田線5070系フォーエヴァー [汽車旅2004番外編]
『うん、野田線がいいね。』
をキャッチフレーズに2004年10月19日(火曜日)、東武鉄道野田線はダイヤ改正を行ない、“最後の釣りかけ駆動車”、5070系はダイヤ改正前日で姿を消す(車両は他線で運行継続)。
2004年10月17日(日曜日)、大宮10時08分発の臨時各駅停車〈さよなら5070系〉柏行き(モハ5382)へ。春日部寄りは幅がせまくキュークツだが、改札寄りは余裕があり、みんなは思い通りに撮れたようである(ちなみに私は2丁拳銃ならぬ“2丁ミリオン画素ケータイ”で撮影)。
普通は先頭車が混んでいるが、このイベント電車に関してはモハ3両に集中。レールファンで占められているが、臨時各駅停車なので、地元の人も乗っている。
新複線区間のうち、豊春-春日部間はすでに単線運転をやめており、ダイヤ改正を待つのみ。
春日部はギャラリーが多く、クレヨンしんちゃんの“春日部歓迎旗”がお出迎え。その後、単線に戻り、野田市で記念撮影会のため、11時42分まで40分以上も停車。んまぁー、“乗り遅れても大丈夫さぁー”ということだろう。
一旦下車し、大半のレールファンは普段入れないホーム隣りの留置線で思い思いにシャッターを切り、車内へ。
運河で始発の各駅停車柏行きを先に発車させ、複線に戻ると、普段着のお客も多くなり、滑り込みセーフで乗り込んだ高校生ぐらいのお姉ちゃん2人がレールファンの中学生男子(たぶん)を“逆ナンパ”して、早々に連絡先を交換するなど、口説く場面も。女子高生は“野田線5070系フォーエヴァー便”に“超ベリーラッキーカンゲキ”の様子。
終点柏(南口改札外)で物品販売会が行なわれ、200人以上が購入した模様。私はなにもに買わなかったが…
このあと、13時19分に七光台行きとして折り返し。イエローハットをかぶった東武鉄道社員は車内をまわり、船橋行きではないことを案内していた。
2006年1月26日(木曜日)時点、5070系は小泉線、桐生線、佐野線で活躍しているが、2006年3月17日(金曜日)でフォーエヴァーになるだろう。なぜならば、次の日から桐生線、伊勢崎線太田-伊勢崎間、佐野線でワンマン運転を開始するからである。
余談だが、2006年1月26日(木曜日)時点の佐野線、小泉線は1800系通勤改造車が主役で、5070系は“ラッシュ時の応援要員”に過ぎない。
臨時急行〈ドラゴン号〉新木場行き [汽車旅2004番外編]
2004年8月14日(土曜日)、小田急電鉄小田原線成城学園前から臨時急行〈ドラゴン号〉新木場行き(1号車6102:東京地下鉄車。1972年ローレル賞のプレートつき)へ。ちなみに2003年は06系だった。
なんの予備知識もなく、乗ったが、車内は意外とゆったりしていて、代々木上原から東京地下鉄千代田線に入り、霞ヶ関から進行方向が変わるのにはビックリしたが、有楽町線桜田門へワープ!! 有楽町でドカーッと乗って、月島・豊洲でサーッと降り、終点新木場に到着。東京地下鉄のうちわを持った花火客やレールファンでごったがえしていた。
余談だが、臨時急行〈スターマイン号〉は東武鉄道9000系だった。
JR東日本E231系グリーン車試乗 [汽車旅2004番外編]
2004年7月19日(月曜日・海の日)、上野駅中央口の自動改札に入ってすぐのところに『グリーン車連結情報』というのがあり、これを見ないとどのE231系近郊形タイプに乗ればいいのかわからない。なんの情報をえないまま上野へ乗り込んだのである。
E231系グリーン車は2004年7月にお目見えし、3か月間は普通車扱いになるので、“乗りドク”なのだ。
お目当てのE231系グリーン車が連結されている14時35分発、東北本線の普通電車宇都宮行き(4号車グリーン車サロE230-1044)へ。
E231系グリーン車のシートモケットは2階が青、1階と平屋が赤。コンセントは平屋が2か所、1・2階が各1か所にある。
松平健によると、赤は“情熱と愛情”、青は“優しさとやすらぎ”だそうで、みずから作詞した『マツケンサンバⅢ』で腰を振りながら歌っている。
1・2階はデッキとの仕切りドアがないため、ドアチャイムが聞こえるのが難点。また、普通車扱いなので、シートカバーもないが、ペットボトルを置くのに重宝するドリンクホルダーがあった。ちなみにグリーン車以外はガラガラ。
久喜で115系の快速〈ラビット〉宇都宮行きを先に通し、ここからはグリーン車も空席が発生。
終点宇都宮に到着。すぐさまグリーン車だけ座席の方向転換や車内清掃を行なうなど、あわただしかった。
余談だが、2005年1月の臨時電車を持って、東北本線及び高崎線は115系の運行を終えている。
元旦終夜運転2004 [汽車旅2004番外編]
2004年1月1日(木曜日・元旦)は某駅到着21秒前に迎えた(117は通話ではありません)。
東京丸の内北口で下車する直前、駅員2人が東京ミレナリオのパンフレットを配布。もらった人たちはLet's Go!!
神戸ルミナリエに比べると、警官の笛がピーピーうるさく、沿道の商店販売を控えているのはイイとしても、「失望」の2文字につきる。
東京から山手線E231系500番台の品川・渋谷方面行きで大崎へ向かい、東京臨海高速鉄道臨海副都心線の各駅停車新木場に乗り換え。ちなみに70-000系は車端部にコンセントがある。
東京テレポートで下車し、お台場見聞後、205系の各駅停車池袋行き(のちに赤羽行き1番電車へ)、山手線E231系500番台の上野・東京方面行きで東京へ戻り、東海道本線373系の普通電車静岡行きへ。
藤沢で江ノ島電鉄の鎌倉行きに乗り換え、江ノ島で下車。
海岸へ歩き、ここまで1勝3敗の江ノ島初日の出へ。
2004年は雲と山のスキマからだったが、ハッキリ見えた。しかし、ショータイムは3分ほどだった。