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東京臨海高速鉄道2002 [汽車旅2002番外編]
2002年12月7日(土曜日)、新木場駅前の焼肉屋で石焼カルビビビンバ(980円)を注文。タダのビビンバは何度か食べたことがあるけど、石焼きビビンバは初めて食べるが、熱くておいしい。値段のワリに量は少なく、ちょっと物足りない感じがする。
1週間前の2002年12月1日(日曜日)、東京臨海高速鉄道臨海副都心線は天王洲アイル-大崎間が延伸し、全通。合わせて、JR東日本埼京線(山手線大崎-池袋間、赤羽線、東北本線支線の路線愛称)との相互直通運転がスタートした。
鉄道の新規及び延伸開業は初日に乗ることにこだわっておらず、スケジュールの都合上、この日の乗車となった。ちなみに新規開業したのは平成8年(1996年)3月30日(土曜日)だが、初日に乗ろうと意気込んでいたものの、人生初のインフルエンザにかかってしまい、やむなく延期になっている(9年後の2005年2月、2度目のインフルエンザにかかってしまう)。
開業当初は「臨海副都心線」だったが、堅ッ苦しい名だと思ったのか、2000年9月1日(金曜日)、「りんかい線」という路線愛称をつけた。「りんかい線」が定着したからか、東京地下鉄13号線の路線名が「副都心線」に決まっても、大きな混乱は起こらなかったわけだ。
さて、新木場は東京地下鉄の前身、帝都高速度交通営団有楽町線とJR東日本京葉線も通っており、りんかい線のホームは後者の下にある。そして、そばには有楽町線のホームがあるものの、電車を眺めることができるのは大崎寄りである。新木場のホームはまるでプライバシーを考慮したような感じがする。
りんかい線は“ニセJR”と言いたくなるほどで、現時点、日本の鉄道では最高数字車両となる70-000系(「ななまんけい」と読む。なお、東武鉄道8000系の5ケタナンバーは対象外)は209系ベース、発車チャイムはJR東日本のまんまで、オリジナリティーがない。
2番線には205系の快速川越行きが発車を待っている。上には京葉線があるのに“同僚の御尊顔を拝することができない”という珍現象。しかし、りんかい線は京葉線に乗り入れることができるので、舞浜、蘇我方面へ顔を出す日が訪れるかもしれない。
1番線には各駅停車大崎行きが発車を待っているが、70-000系は6両編成。全通により、4両編成だった70-000系は埼京線直通が10両編成、線内運転は6両編成になっているのだが、これには疑問を持つ。すべて10両編成化して、埼京線に乗り入れられるよう、万全磐石の整備をすべきなのではと思った。しかし、2004年10月16日(土曜日)に6両編成はなくなり、10両編成に統一されたものの、今度は余剰車両が発生。JR東日本に移籍し、中間車の一部は新製して209系3100番台になった(2005年に運行開始)。
さて、私は70-000系の快速川越行きへ。祝賀ムードたっぷりで、誘致を狙うが、増備車は一部のドア上にLEDによる情報案内装置を省いた。また、全通により、自動改札はパスネットのほか、Suicaにも対応した“二刀流”になった(パスネットは一部を除き、2008年3月15日未明に自動改札機の利用が終了となる)。
新木場から大崎まで380円はちょっと高いなと思いつつ、国際展示場はゆりかもめ臨海線〔有明駅〕乗り換え駅、東京テレポートはフジテレビ、お台場方面下車駅である。ちなみに「お台場」は江戸時代、現在地を埋め立てて、砲台を設置し、黒船来襲を追っ払うため、幕府が作った。そのため、「御」がつき、「御台場」となったのが由来(2008年1月23日放送、『今すぐ使える豆知識クイズ雑学王』の例題による)。
天王洲アイルの「アイル」は“島”という意味で、スペルはISLE。志村けんとラミレスはアイーン!!
地上にあがり、大崎に到着。りんかい線全線完乗を果たし、ここから埼京線へ。新宿からドーッと乗り込み、埼京線のスゴさを感じる。
前日の2002年12月5日(金曜日)、大崎で信号機故障があり、埼京線とりんかい線の直通運転は一時中止されたが、御茶ノ水駅前の案内表示機では「お客様混雑」と案内していた。正直に案内しないと言うのはなにか理由でもあるのだろうか?
赤羽に到着し、乗車はここまで。そのあとは東北本線E231系近郊形タイプの普通電車上野行きに乗り換え、終点でさぬきうどん屋に行って、かけうどんを食べた。改札に出なくてもいい位置にあるので、コバラがすいたときにはもってこいである。
★備考
①東京臨海高速鉄道ホームページはこちらにクリック!!
②フリー百科事典『Wikipedia「東京臨海高速鉄道りんかい線」』はこちらにクリック!!
③フリー百科事典『Wikipedia「東京臨海高速鉄道70-000系電車」』はこちらにクリック!!
④フリー百科事典『Wikipedia「お台場」』はこちらにクリック!!
⑤『今すぐ使える豆知識クイズ雑学王』ホームページはこちらにクリック!!
⑥参考文献として、鉄道ジャーナル社刊行、『鉄道ジャーナル2003年3月号』を使用。
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⑤2008年2月25日(月曜日)15時から2月27日(水曜日)10時までの予定で、43時間に及ぶ大規模メンテナンスを行なうため、アクセスできません。御了承下さい(くわしくはこちらにクリック!!)。
⑥2008年1月25日(金曜日)の観客動員数は801人でした。どうもありがとうございます。
暴れん坊583系2002Ⅵ(上野ハロープロジェクト第8弾、臨時特急〈思い出のみちのく号〉青森行き) [汽車旅2002番外編]
2002年11月3日(日曜日・文化の日)、JR東日本上野へ。前日、臨時特急〈思い出のはつかり号〉が到着し、その折り返しとなるのが臨時特急〈思い出のみちのく号〉青森行きである。
昭和25年(1950年)10月1日(日曜日)、上野-青森間に急行〈みちのく〉が誕生。常磐線経由で運行し、青函連絡船に接続するダイヤ構成であった。
昭和33年(1958年)10月10日(金曜日)、特急〈はつかり〉の誕生にともない、急行〈みちのく〉は盛岡-青森間を不定期運行に変更されたが、昭和36年(1961年)10月1日(日曜日)に元通りとなる。
昭和43年(1968年)9月30日(月曜日)、急行〈十和田〉に統合され、ロングバケーションするものの、昭和47年(1972年)3月15日(水曜日)、臨時特急〈常磐はつかり〉を定期化するかの如く、特急〈みちのく〉として、運行再開。急行時代と同様、上野-青森間を常磐線経由で結んだが、かつての特急〈はつかり〉もそうだったため、生まれ変わりのようなものである。
車両は583系で、1日1往復。まさに“みちのく1人旅”だったわけだが、昭和57年(1982年)11月14日(日曜日)でフォーエヴァー。今回が20年ぶりの運行になるのだが、ヘッドマークと方向幕はシールなのが意外だった。
ヘッドマークは赤をベースにこけしが2つ。同じ常磐線経由の寝台特急〈ゆうづる〉も赤をベースとしていたため、東北本線は青をベースとしていたエル特急〈はつかり〉、寝台特急〈はくつる〉とすみわけていたようだ。誤乗防止の意味があったのかどうかは定かではないが…(昔は文字だけのヘッドマークだったから)
前日に比べると、朝早いせいか、若干少なめ。ちなみに平成10年(1998年)、臨時特急〈思い出のひたち号〉が上野-いわき間の片道運転を実施。485系ボンネット車で運行していた。
8時51分に発車すると、私と知人2人は9時00分発のエル特急〈スーパーひたち11号〉いわき行きに乗り込んだ(席は3人ともバラバラ)。
臨時特急〈思い出のみちのく号〉青森行きは上野-水戸間のどこかで、エル特急〈スーパーひたち11号〉いわき行きに抜かれる。ってことで、水戸で撮影を行なうという、私企画の『臨時特急〈思い出のみちのく号〉青森行き追っかけツアー』を予定通り、開催する。
「予定通り」と書いたのは、巨人が西武ライオンズを4連勝で日本一になり、銀座のパレードがこの日になる恐れがあったからだ。もし、この日になってしまったら、上野での撮影にとどめていたから、翌日に決まって、本当にホッとした。
エル特急〈スーパーひたち11号〉いわき行きは日暮里で常磐線に入るが、意外にも我孫子で臨時特急〈思い出のみちのく号〉青森行きを抜いた。友部だろうと思っていただけに拍子抜けだったが、人の少なかった水戸で思う存分の撮影はできたものの、まさか停車中に乗客10人ほどが降りて撮るとは思ってもみなかった。ちなみに私と知人A氏はホーム、知人B氏は下車して、跨線橋から撮った(3人ともフイルム式カメラで撮影)。
臨時特急〈思い出のみちのく号〉青森行きは水戸を発車し、日立、湯本、いわき、原ノ町、相馬、仙台、一ノ関、水沢、北上、花巻、盛岡、二戸、八戸、三沢、野辺地へ停まり、終点青森には19時26分に到着する予定だったが、その後、東北地方の地震により、終点青森到着はなんと3時間以上も遅れたという。583系を3時間も余分に乗れて、乗ったレールファンはしあわせかもしれない。おまけに特急料金は全額払い戻しだからね。
★備考
①583系備考一覧はこちらにクリック!!
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芝山鉄道開幕戦 [汽車旅2002番外編]
2002年10月27日(日曜日)、帝都高速度交通営団(2004年4月1日から「東京地下鉄」に改称)日比谷線上野へ。自動改札を出て、京成電鉄(次からは「京成」と略す)への連絡通路を初めて通るが、閑古鳥で変質者が出そうな雰囲気だ。活気がないのである。
京成本線上野へ。JR東日本と帝都高速度交通営団とは位置が離れており、歩いても駅の存在に気づかないのではないかと思わせるほど。今回は連絡通路でダイレクトにたどり着くことができたものの、20世紀中、京成の上野はどこにあるのかまったくわからなかった。
〈スカイライナー15号〉成田空港行きへ。パスネットがだんまりなければ運賃のみで乗れる特急成田空港行きに乗っていただろう。ちなみに特急成田空港行きに乗っていたら、高砂で〈スカイライナー15号〉成田空港行きに抜かれる。〈スカイライナー〉は種別がないものの、“超特急”という位置づけなのだろう。
〈スカイライナー15号〉成田空港行きはAE100系トップナンバー車で、ブルー系のリクライニングシートを見ると、リニューアル車のようである(当時、悪党党の浜田幸一幹事長がビール業者のCMに出演。〈スカイライナー〉に乗っているが、シートモケットは茶色だった)。
〈スカイライナー15号〉は終点成田空港(京成は「第1旅客ターミナル」と案内)に到着し、本線全線完乗達成!!
その後、下車して、第2ターミナル行きのタダバスに乗り、途中の東成田駅前で下車。東成田は京成東成田線の駅で、かつては「成田空港」と名乗っていたが、成田新幹線として作られた敷地にJR東日本が新規参入(成田線の支線となる)。また、京成本線は移転することになった。そのため、本線は成田から先のルートが変更になり、既存線は平成3年(1991年)3月16日(土曜日)から「東成田線」に改称されたのである。
この日、芝山鉄道(芝山鉄道線)が開業し、起点は東成田。京成でまだ乗っていない路線は東成田線だけとなったので、完全制覇に王手がかかった。
地下ホームに下りると、すぐさま各駅停車芝山千代田行きが到着し、すれすれセーフで飛び乗る(ドアが閉まりかけてからの駆け込み乗車ではありません)。
発車すると、ヘンテコなカーブが続き、地上に出て、終点芝山千代田に到着。ホームは1面1線しかなく、“日本一、短い鉄道”という肩書きを持つ芝山鉄道全線完乗を達成した。
方向幕は「普通(東成田)芝山」となっており、成田で乗り換えていたら、「各駅停車東成田方面芝山千代田行き」と書いていただろう。
芝山鉄道の難点は自動改札があるにもかかわらず、パスネットが使えないことで、精算客が多く、下車客には花束をプレゼント。ちなみに芝山鉄道の運賃は190円。東成田線の自動改札にパスネットを入れると、京成のは初乗り運賃200円が引かれる難点があるため、現金が必要である。
折り返し時間があり、各駅停車成田行きに乗り、東成田から京成東成田線に入るが、次は終点成田。こちらも1区間で東成田線全線完乗及び、京成完全制覇を達成した。
本線の快速羽田空港行きに乗り換え、ユーカリが丘で山万ユーカリが丘線中学校方面行きに乗り換え。ユーカリが丘線は“9の字”による一方通行の循環運転である。
『こあら3号』に乗り、公園から単線となり、中学校で下車。昼食をとったあと、再び『こあら3号』へ。
車内は“サイレンスカー”状態で、公園に戻り、全線完乗を達成!!
車内の化粧板と車両番号プレートは大阪市交通局10系なみだが、車体は色あせ、照明をつけない暗い車内が気になった。
終点ユーカリが丘に到着し、京成本線の快速羽田空港行きに乗り換え、船橋でJR東日本総武本線の快速久里浜行きへ。運よく、ボックスシートをGETし、帰京した。
★備考
①京成電鉄ホームページはこちらにクリック!!
②京成電鉄本線は一般的に「京成線」と呼ばれている。
③芝山鉄道ホームページはこちらにクリック!!
④フリー百科事典『Wikipedia「京成東成田線」』はこちらにクリック!!
⑤フリー百科事典『Wikipedia「山万ユーカリが丘線」』はこちらにクリック!!
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京浜急行電鉄2002 [汽車旅2002番外編]
2002年10月13日(日曜日)、京浜急行電鉄(次からは「京急」と略す)本線品川へ。
京急は本線の泉岳寺-京急蒲田間、空港線と逗子線しか乗っておらず、完全制覇を狙う。
本線の起点は意外と思う方も多いだろうが、品川ではなく、泉岳寺である。
泉岳寺は地下にあり、東京都交通局(都営地下鉄)都営浅草線にダイレクトで接続。但し、都営地下鉄の管理駅であるため、泉岳寺-品川間は都営浅草線とカン違いしてもおかしくない。本線は品川で折り返すことが多いからであるが、乗車前日にダイヤ改正を行ない、主力車両の2100形が地下へもぐり、泉岳寺-品川間を延長。利便性を向上している。
2100形&新1000形の快特(「快速特急」の略称)三崎口・新逗子行きへ。私は当然、2100形を利用。快特の主力車両で、関東地方では珍しい転換クロスシートを採用。しかし、常に前向きにセッティングされており、お客が座席の向きを変えることができない設定になっている。
2100形はJR東日本E501系を彷彿させるモーター音だが、“奏で方”はチョット違うように思える。また、転換クロスシートはいまひとつの坐り心地だ。ツクリにコリ過ぎ、JR西日本221系に比べると、よくない。ちなみに先頭車の展望席は“ラブラブシート”だった。
金沢文庫で切り離し、新逗子行きはここから普通に変わる。
発車すると、東急車輛が見え、JR東日本E2系1000番台(あるいは増結車?)を製造中。
堀ノ内から久里浜線に入り、YRP野比という駅名がある。駅名のアルファベット、YRPは「横須賀リサーチパーク」の略称である。
終点三崎口に到着し、まずは久里浜線全線完乗を達成。一旦、ドアを閉めると、座席の向きはいっせいに自動転換した。
新1000形の快特青砥行き(Limited Express For Aoto)へ。車端部はボックスシート、ほかはロングシートのセミクロスシートで、私は前者へ。2100形より坐り心地はよかった。
新1000形のボックスシートは2100形と変わらぬ座席形状で、転換クロスシートと見間違えそうなほど。これならば快適に過ごせるのではないだろうか。
ロングシートはバケットタイプで、着席区分は明確だが、なぜか左から数えて3つ目と4つ目のあいだに仕切りがあり、ポールもある。早い者勝ちで傘が引っ掛けられそうだ。バケットタイプのシートに仕切りがあるのはいかがなものかと思う部分があるものの、傘が引っ掛けられる点は評価できるだろう。
堀ノ内で本線2000形の普通浦賀行きに乗り換え。先代快特車両で、2100形の入団により、3ドア化及びロングシート改造を受けたが、車端部のボックスシートと補助椅子は“残留”となった。また、カーテンは横引き式となっていっているが、ロングシート車両では異例と言える。
終点浦賀に到着し、本線全線完乗を達成した。
お次は800形の普通品川行きに乗り、堀ノ内で600形の快特青砥行きに乗り換え、京急川崎で大師線700形の普通小島新田行きへ。
京急川崎のホームは本線が高架、大師線は地平となっており、初めて乗り換えるお客は戸惑いそうな構造だ。
川崎大師でガラガラとなり、終点小島新田に到着。大師線全線完乗と共に京急完全制覇を達成した。
その後、京急川崎へ折り返し、本線2100形の快特泉岳寺行きに乗り換え、終点で都営浅草線の高砂行きへ(京成電鉄車)。更に大門で都営大江戸線両国・春日経由都庁前行き(ワンマン)に乗り換え。
都営大江戸線は全線開業した2000年12月12日(火曜日)以来の利用となるが、4年後の2006年、あるうっかりミスに気づいた。
それは、都営大江戸線は全線完乗をしているかと思いきや、光が丘-都庁前間は利用していなかったのである。
これはどういうことかと言うと、「都営12号線」と名乗っていた時代、光が丘-新宿間を利用しているが、都営大江戸線に改称してからは光が丘-都庁前間は乗っていないのである。路線が改称されている以上、リセットしなければならず、2007年10月27日(土曜日)現在、都営大江戸線は光が丘-都庁前間が未乗車のままである。
日頃、都営地下鉄を利用することがないため、乗車機会が少ないのが実情だが、車両基地を含め、オール地下のため、台風や大雪でもストップすることはないのだから、早いうちに乗りたいところである。
★備考
①京浜急行電鉄ホームページはこちらにクリック!!
②京浜急行電鉄本線は「京急線」と呼ばれるのが一般的である。
③フリー百科事典『Wikipedia「京急2100形電車」』はこちらにクリック!!
④フリー百科事典『Wikipedia「快速特急」』はこちらにクリック!!
⑤フリー百科事典『Wikipedia「京急1000形電車 (2代)」』はこちらにクリック!!
⑥横須賀リサーチパークホームページはこちらにクリック!!
⑦フリー百科事典『Wikipedia「JR東日本E501系電車」』はこちらにクリック!!
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JR東日本常磐線E231系快速デビュー!! [汽車旅2002番外編]
2002年3月3日(日曜日)10時過ぎ、JR東日本上野へ。この日、ダイヤ改正を待たずにE231系通勤形タイプが常磐線に投入され、長いこと大活躍した103系シリーズもお役御免になろうとしている。残念ながら、私が思い描いていた常磐線快速のE501系化はかなわぬ願いとなってしまった。
12番線に快速取手行き(10号車クハE231-43)がE231系通勤形タイプで入線してきたが、ひと目見て、驚く。2002年2月9日(土曜日)に行なわれた展示会では帯はエメラルドグリーンだけだったのが、なんと下部にちょっぴり黄緑を入れているではないか!! ちょっとした“おめかし”に意表をつかれるが、展示会で見せたエメラルドグリーン1色の姿は貴重なワンショットになることは確かである(画像上段は展示会、画像下段はこれから乗る快速取手行き)。
例によって、例の如くだが、先頭10号車は早くもレールファンのタマリバとなっている。209系と同様、前面展望のよさには定評があるため、注目度が集まるからだ。
余談だが、私は京浜東北線209系に乗って、ぜーったいにクリアしたくて、『電車でGO!』の運転区間を注視。加速よりも、どこでノッチ(お笑いコンビのことではありません)を切り、どこでブレーキをかけるかを目視していた。ちなみに『笑っていいとも! 増刊号』で、タモリは山手線全区間制覇を成し遂げたことがある。
常磐線用のE231系通勤形タイプは自動放送装置を取り付け、ドア上のLED情報案内装置が2段式になった。
ドア上のLED情報案内装置は209系から装備しているものだが、表示が単調で、いまひとつなものを感じるが、1段増やして内容を充実させるのはいい。ただ、1行全角6文字しか入らない姿勢に変わりはなく、1行全角11文字にして欲しい。
11時10分に発車すると、意外だったが、自動放送の声は女性である。てっきり、堺正幸フジテレビアナウンサー(2005年7月、アナウンス室室長に昇格)だと思っていただけに、意表をつかれた。
ドア上のLED情報案内装置では携帯電話の英訳を「mobile phones.」と案内。この表示がものすごく新鮮で、ちょっとした英語の授業にはなるだろう。快速取手行き編成表 快速上野行き編成表 乗車区間 号車 車両番号 禁煙 備考 取手 10 クハE231- 43 ○ 取手行きで乗車 9 サハE231- 127 ○ なし 8 モハE231- 85 ○ なし 7 モハE230- 85 ○ なし 6 サハE231- 128 ○ なし 5 サハE231- 129 ○ なし 4 サハE231- 130 ○ 弱冷房車 3 モハE231- 86 ○ なし 2 モハE230- 86 ○ なし 上野 1 クハE230- 43 ○ 上野行きで乗車
まもなく、日暮里に到着するが、ドア上のLED情報案内装置の上段は「こちら側のドアが開きます」「反対側のドアが開きます」と表示するものの、1行全角6文字しか入らないため、半角のキュークツな表示になっている。
下段は「まもなくxです。xの次はyに停車いたします」とスクロール表示される。
三河島を発車すると、次の南千住は「地下鉄日比谷線はお乗り換えです」と案内。今まで常磐線と帝都高速度交通営団日比谷線に南千住という駅はあっても、“乗り換え駅”という認識はなく、北千住が一般的である。後日、日比谷線に乗る機会があったものの、「常磐線はお乗り換えです」という案内はなかった。しかし、2005年8月24日(水曜日)に首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線が開業すると、3社とも南千住は“乗り換え駅”に認定されていた。また、南千住は荒川区、北千住は足立区にある、ちなみに「千住駅」は東武鉄道千住線(貨物線)が昭和62年(1987年)4月30日(木曜日)に消えたため、存在しない。
南千住-北千住間は首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線の工事が行なわれていたため、上り線は新線切り替え工事中であったため、上下線の位置が離れていた。
北千住では日比谷線の乗り換え案内はせず、発車すると快速の本領発揮。103系シリーズは「ウォーン」とうなっていたが、E231系通勤形タイプは静かである。
車掌は乗り越し精算に務めるも、なぜか10号車の前から3つ目のドアで折り返してしまった。“レールファンのタマリバ”になってしまったという影響もあるのだろうが、最後まで歩くものだろう。
快走するものの、ドア上のLED情報案内装置下段は「車内は禁煙です。車内での携帯電話の使用はご遠慮下さい」のスクロール表示がやたらと多いのが気に食わない。JR西日本221系みたいに自社の宣伝をしてもいいだろう。ドア上のLED情報案内装置の使い方がヘタクソで、うんざりする。
松戸を発車し、優先席の案内をしていたが、途中で自動放送が途切れてしまい、あとから車掌は「次は柏です」と案内。鉄道車両でよく耳にする初期故障のようである。
快速通過駅では撮影隊が多く、注目度の高さをうかがえるも、柏を発車しても、自動放送がまた途切れ、聞き取りづらい。
ようやく自動放送装置は復旧し、11時42分、終点取手4番線に到着した。
折り返し、12時02分発の快速上野行き(1号車クハE230-43)に乗り、下りは座席に坐っていたが、今度は前面展望。下りほどの数ではなく、落ち着いて眺めることができる。
天王台到着前に103系1000番台の快速取手行きとすれ違う。大きな窓なので、見やすくていい。
我孫子で乗務員室に運転士1人が乗り込むも、補助椅子の引き出し方がわからず、立ちんぼ。ちなみに運転席の椅子は高さ調節が可能である。
我孫子発車後、もう1本のE231系通勤形タイプの快速取手行きとすれ違うものの、うしろから通話の声が…
「あ、今、電車。あとでかけ直すから」
と子連れの母が携帯電話を切るが、今後の鉄道車両は車内の携帯電話の電波をシャットアウトし、マナー、モラル、エチケットの向上した空間にしてもらわなければ困る。
12時47分、終点上野12番線に到着した。E231系通勤形タイプは静かだが、E501系のほうがいいような感じがする。あの独特のVVVFインバータ音がいつまでも耳に残るからであろう。
★快速取手行き・上野行き編成表
10号車クハE231-43 :取手行きで乗車
9号車サハE231-127
8号車モハE231-85
7号車モハE230-85
6号車サハE231-128
5号車サハE231-129
4号車サハE231-130:弱冷房車
3号車モハE231-86
2号車モハE230-86
1号車クハE230-43 :上野行きで乗車
★備考
①「JR東日本常磐線E231系通勤形タイプお披露目の儀」も合わせて、御覧下さい。
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③常磐線103系シリーズは2006年4月で姿を消した。JR東日本の103系は仙石線が最後の活躍舞台となっている。
④帝都高速度交通営団(営団地下鉄)は2004年4月1日(木曜日)から「東京地下鉄(東京メトロ)」に改称している。
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元旦終夜運転2002 [汽車旅2002番外編]
2002年1月1日(火曜日・元旦)、平成11年(1999年)以来、ゴブサタしている江ノ島初日の出を見るべく、自宅から某駅まで2時間以上歩き、JR東日本の終夜運転電車に乗って、東京へ。
東京で、東海道本線373系の普通電車静岡行きに乗り換え。そのほうが早そうな気がしたからで、待ち人も多く、新年早々幸運である。まさか、永久に乗れないであろう、373系の普通電車静岡行き“サンライズローカルトレイン”に乗れるとは。このまま静岡まで行きたかった。
373系の普通電車静岡行きは大入りの満員御礼。車内は寝息が多いのが印象的である。
大船で、湘南モノレール江の島線湘南江の島行きに乗り換えて、江ノ島上陸!! 波打ちぎわまで近づき、初日の出を待つ。間近で見たい人はサーフィンで。
しかし、雲に覆われて、初日の出の瞬間を見ることはできなかった。これで私の初日の出観戦成績は1勝2敗。その代わり、満月はまだ輝いていた。
帰路は江ノ島電鉄(通称、「江ノ電」)江ノ島駅へ向かい、鎌倉行きはなんと、レトロ調車両に大当たり!! ちなみに江ノ電は2002年で開業100周年を迎えている。
いつの世も皆様が幸福に満ちあふれますよう、お祈りいたします。
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