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大島康徳さん追悼 今、求められるリーダーは! [波瀾万丈伝]

杉並区商店会連合会青年部創立35周年記念講演会 私の街・自慢「今、求められるリーダーは!」



元プロ野球選手で、日本ハムファイターズ(現・北海道日本ハムファイターズ)の監督やNHKの野球解説者を務めていた大島康徳さんが2021630日(水曜日)、黄泉の国へ旅立った。私は1度、大島さんの講演に行ったことがある。その模様を綴り、哀悼の意を表したい。

■雪の杉並区

200823日(日曜日)1730分過ぎ、荻窪へ。この地に訪れるのはずいぶん久々。まずは地図を見つけ、杉並公会堂へ向かう。途中、雪だるまという微笑ましい光景を見る。この日の関東地方は雪だった。

杉並公会堂へ。この日、『杉並区商店会連合会青年部創立35周年記念講演会 私の街・自慢「今、求められるリーダーは!」』という講演が行なわれる。これを知ったのはプロ野球解説者、大島康徳さんのブログ。大島さんは熱血で魂のこもった野球観、年齢のワリには若いなぁーという印象がある。

地下1階では、コンサートに向けてだろうか、演奏の練習をしているが、防音対策は万全磐石でなにも聞こえてこない。

地下2階の小ホールでは受付準備が行なわれていた。ガラス張りの空間を覗いてみると、そこは地上。雪が天からの授かりモノのような感じで舞い散ってゆく。

予定より2分早い1758分、開場。携帯電話の電波は圏外となっており、電源を切る。一般受付に行くと、座席指定券をもらう。定員は194人、入場も無料で、前方から埋まってゆく。会場は50人前後しか来ておらず、杉並区の住民以外で入場したのは私だけのようだ。

■スーパーマーケットの時代は終わりだ?!

開場の準備が整い、1830分にスタート。

「こんばんは」

と司会の男性が言うと、驚いたことに会場の人たちも「こんばんは」と返してきた。続いて、宣伝部長のあいさつ。

「足元の悪い中、深く、深く、感謝しております」

これもびっくりした。「深く」と言ったら、「お詫びします」という言葉が続くことしか頭に思い浮かばない。実際にその言葉を100回以上(?!)も聞いているだけに“こういう言葉の使い方があるんだ”と、なぜか感心する。

杉並区商店連合会の会長がステージに現れ、会釈するとみな、一礼。会長はこれからの経済は厳しくなることが予想し、新たな顧客の獲得が大切だと唱える。

「言っていただかなればわかりませんので、どんどん注文をつけていただければ」

と商店街の繁盛を願っている。

続いて、杉並区長が現れ、杉並区の経済は商店街が命綱と力説。中国製の冷凍餃子(ぎょうざ)に農薬などが入っていた影響により、宇都宮餃子も売り上げが落ちているという(当時)。そして、爆弾発言が飛び出した!!

「スーパーの時代は終わりつつある」

杉並区長によると、スーパーマーケットは商品をただ置いているだけで、商店街は対面販売。商品知識が豊富なため、ちゃんと説明してくれるのだという。これからは商店街の時代と大いに胸を張っている。

1847分、立川志隆さんの落語が始まる。

この方は杉並区各地で寄席(よせ)を開催しているという。また、地元の小学校でPTA会長を務めている。意外なのは本業が落語ではなく、クラッシックギタリストらしい。

赤いジュータンに敷かれたパープルの座布団に乗り、“落語ができるギタリスト”の寄席が始まる。

PTA会長は4年目という長期政権で、実際にやってみると、子供たちの安全を守るためにやっていることに気づいたという。また、ベルマークもこまめに集めているらしい。

落語のネタに盆踊りの露店に目玉焼きを出すことになった。しかし、目玉焼きが売れるのかどうか不安だったそうで、フタを開ければ1番売れたのはいそべ巻きだという。

■登壇

1914分に落語が終了し、木の台と床に敷いていた赤いジュータン、座布団が撤去され、演説台が出てきた。そうなると、大島さんが登場!! 仕立てのいいスーツに銀のクツというイデタチである。

「私の時におはやしが出てくるのかと思いましたが」

とジョークで会場を笑わせる。

「今も昔も変わらないと思うんですね」

大島さんが言うにはプロ野球選手は個人事業主なのだという。選手は自分勝手でいいのだそうだ。また、右を向く人は大舞台では力を発揮できず、左を向く人はその逆だと言う。

今の若い選手(当時)というのは、言葉だけではついてこないが、映像を見せるとついてゆくのだという。言葉で周囲を引っ張るのは難しい時代になっているらしい。これは実績がないと言葉で引っ張ることができず、その言葉に説得力がないといけない。「不器用、コツコツ積み重ねた人のほうがリーダーシップは取れるのではないか」と大島さんは分析する。

また、指導者はガマンや忍耐が求められる。失敗を責めるのはカンタンだが、選手は意欲をなくしてしまうという。

■根性論

大島さんは1969年、ドラフト3位指名で中日ドラゴンズに入団。当時、中日の1軍は水原茂監督だったが、大島さんは2軍にいた。そして、たった1回だけ、水原監督から声を掛けてもらった。

「風邪ひくなよ」

何気ない、月並みの言葉だが、大島さんは雲の上からの人の言葉に勇気づけられたという。その体験からか、「的確なアドバイスができる人はリーダーと言える」と力説。そして、「個性とワガママは違う」ことも言った。

昔は根性論が根づいており、骨折してでも試合に出場。痛くても「行けるだろ」と言われていた。監督、コーチ、治療をする医師、みな同じことを言っていた。

大島さんはこれらの体験をもとに「地道に教えていかないと、次のリーダーになれない」と言った。ホップ、ステップ、ジャンプと順序よくやる必要があるということだ。また、監督は毎日、ストレスがたまるという。

■イチロー選手のすごさ

日本のプロ野球キャンプは7時に起床し、夜遅く(18 or 19時)まで練習をする。それは不安で不安でしょうがないから、自分自身を追い込み、練習に打ち込むのだという。

大島さんは以前、宮古島でイチロー選手を取材したことがあり、メジャーリーガーは8時から筋トレ、730分に来てもすでに練習をしているという。ファンには見せない隠れた努力をしているというのだ。

また、ツーショットの際も鏡で帽子の微調整をするほど、気をつかう。これはメジャーリーガーの基本で、ちょっとでもズレると、だらしない姿をファンや関係者に見せることになる。大島さんはメジャーリーガーの姿勢に驚いたという。俺だからいいんだよでも、甘えが許されない。イチロー選手は人に見られる意識、魅せる意識を持っていることを痛感したという。これがメジャーリーガーの宿命なのだ。

■人生を変えたプロ入り初ホームラン

大島さんはプロ入りして12年目は2軍でも打てなかったらしく、3年目で1軍にあがり、早いうちにホームランを放った。たった1本のホームランで人生が180度変わったという。

まず、外食屋に行くとメシはタダ。そして、いろんなところで遊びを覚え、1か月たつと打てなくなってしまった。中日在籍中は隔年の大島と言われ、毎年トレード要員にされていたようだ。

大島さんは波瀾万丈の人生を送っており、実兄は白血病のため、29歳の若さで他界。また、本人も交通事故にあい、失明の危機だった。この時、医者に「運がいい」と言われたという。

■監督とフロントの非情

1988年、トレードで日本ハムファイターズに移籍。1990年には当時、史上最年長記録となる3911か月で2000本安打を達成。1994年、44歳で現役引退後、プロ野球解説者を経て、2000年から2002年まで、監督として日本ハムに復帰した。

2000年は3位だったが、2001年ではキャンプで7人のケガ人が発生した影響もあり、最下位。2002年も5位に沈む。3年契約だったこともあり、円満に任期満了を迎えたように思われていたが、実際は「へなちょこ監督」と言われるほど、クビを切られるも同然の状態だったという。

監督は非情さが必要というが、トップとして判断するのはツライという。また、日本ハムの監督には人事権がないため、大島さんが1軍で起用したいと温めていた選手が戦力外通告などを受け、フロントともめたこともあるそうだ。

監督はトップで、なにもかも自分で決めなければならず、つらい。しかし、2番手以降はラクなのだという。第1World Baseball Classic(通称、「WBC」)で打撃コーチを務めているので、そう感じたのだろう。ちなみにWBCの金メダルは貸金庫にあるそうだ。

「インターネット販売をしたら、大島だと思ってください」

と笑わせる。これはパチンコが趣味らしく、記録的大敗を喫したら、そうなるようだ。『開運なんでも鑑定団』で鑑定してもらえるかどうか……

ちなみに、普段は子供たちに野球を教えながら、パチンコをしている。本人もパチンコをするヒマがないほど、スケジュールが日々埋まることを望んでいる。

■地元の人々に愛された大島さん

大島さんは杉並区某所に住んでおり、14年目(当時)を迎える。最初、商店街を歩いても、声を掛けてもらえなかったが、犬を飼い、散歩をしたら、声を掛けてもらったという。犬は「祭」と命名した。ちなみに大島さんは不器用らしい。不器用はイコール職人で、リーダーはそういう人が1番向いているのではないかと思っているそうだ。

最後に2008年プロ野球の話となる。

「ジャアンツ、スゴイですね」

「不器用な大島、うらやましいな」

と巨人を絶賛。優勝して、クライマックスシリーズにも勝ち、そして、日本一になればいいのだが、どうなりますか?(2008年はメークレジェンドで連覇したが、日本シリーズで埼玉西武ライオンズに敗れ、2002年以来の日本一を逃す)

2004分に講演が終了。このあとは質疑応答の予定だったというが、翌日に宮崎へ向かうため、立川さんのクラシックギターになった。

着物からラフな姿となり、ギターとフルートの演奏で、『杉並区商店会連合会青年部創立35周年記念講演会 私の街・自慢「今、求められるリーダーは!」』は幕を閉じた。

合掌

※当時の手記を加筆、修正したものです。大島康徳さん、全国の人々を大いに楽しませていただき、ありがとうございました。


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追悼 生け花教室のみゆき先生 [波瀾万丈伝]

愛知県で生け花教室を営んでいたみゆき先生が2013年4月1日(月曜日)、黄泉の国へ旅立ちました。この一報を知ったのは、同年4月6日(土曜日)に御本人のブログ、『みゆき生け花教室(miyuki flower classes)』で、千年甫さんが公表したことによるものです。  

みゆき先生と知り合うきっかけになったのは、私のライターデビュー作となる『Yahoo!セカンドライフ(サイトは閉鎖済み)』でした(私の記事は2007年1月に初掲載された)。当時、『Yahoo!セカンドライフ』は選抜サポーターと達人のみが“世のため、人のため”に記事を執筆していました。私とみゆき先生も選抜サポーターでした(種村直樹氏も2006年春から半年間、選抜サポーターとして、数回寄稿していた)。  

私がみゆき先生のブログにおじゃましたことがきっかけで、インターネット上ではありますが、交流させていただき、大変お世話になりました。  

生前、みゆき先生は、私の書籍が世に出ることを心待ちにしておりましたが、その願い叶わず、また実際お目にかかることなく、御逝去されたのは、心残りかもしれません。私もこの2点については、悔やんでも悔やみきれません。  

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みゆき先生が息を引き取る1日前の2013年3月31日(日曜日)、私は愛知県にいました。当初は同年3月29日(金曜日)東京発の臨時快速〈ムーンライトながら〉大垣行きに乗り、関西方面へ向かう構想を立て、旅行代理店に指定席券の入手を依頼しました。ところが、3月29・30・31日(金・土・日曜日)乗車分の指定席券は、3月1日(金曜日)10時一斉発売のせいか、3月29日(金曜日)乗車分が取れず、その代わり3月30日(土曜日)乗車分を入手したという、旅行代理店の“温情(私は3月29日乗車分のみ依頼したため)”で行先変更の決断をしました。今思うと、みゆき先生が「岸田よ、愛知に来てくれ」という念力がそうさせたのかもしれません。  

ここで、みゆき先生が私のサイトにお寄せいただいたコメントを振り返ります。  

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Railway Blog2007.1.21(みゆき生け花教室様コメント).jpg

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Railway Blog2007.3.31(みゆき生け花教室様コメント).jpg

Railway Blog2008.1.7(みゆき生け花教室様コメント).jpg

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Railway Taik2008.12.1(みゆき生け花教室様コメント).jpg

Railway Taik2010.12.20(みゆき生け花教室様コメント).jpg

みゆき先生、今まで大変お世話になりました。ありがとうございました。そして、御期待に添えることができず申し訳ありません。  

謹んで、御冥福をお祈りいたします。


★備考

みゆき生け花教室(miyuki flower classes)「みゆき先生が逝去しました」 

※今回は「nice!」の設定を休止いたします。

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角界の巨人、第48代横綱大鵬 [波瀾万丈伝]

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2013年1月19日(土曜日)15時15分、第48代横綱大鵬の納谷幸喜氏が心室頻拍のため、黄泉の国へ旅立った。72歳だった。大相撲初場所直前、現役時代に所属していた二所ノ関部屋の閉鎖について、コメントを発表したばかりだった。突然の訃報に言葉が出ない。

第48代横綱大鵬は幕内最高優勝32回をはじめ、数々の大記録を打ち立てた。絶頂期は「巨人、大鵬、卵焼き」という流行語があった(当時は流行語大賞というものはなかった)。一部の記録は別の力士が更新したが、存在感については現役引退後、日本大相撲教会定年退職後も変わらなかった。

私が知っている第48代横綱大鵬の取組は、昭和44年(1969年)初場所2日目の戸田戦である。当時、第48代横綱大鵬は45連勝中だったが、審判部の誤審により、負けと判定されてしまった。その後、日本相撲協会はビデオを導入して、誤審防止に努めている。

この取組を初めて見たのは、19年後の昭和63年(1988年)九州場所後である。当時『NHK特集』という番組で、連勝中の第58代横綱千代の富士を密着取材していたからだ(第58代横綱千代の富士は、1988年大相撲九州場所千秋楽で、第62代横綱大乃国に敗れ、連勝が53でストップする。この一番は“昭和最後の相撲”として、語り継がれている)。この場所では、第58代横綱千代の富士が、第48代横綱大鵬の目の前で46連勝を達成した(偶然なのか、この日はNHK総合テレビで解説を務めていた)。

第48代横綱大鵬と第58代横綱千代の富士は、共通点が7つある。

1.北海道出身。

2.現役時代は幕内最高優勝30回以上(このお二方しかいない)。

3.雲竜型のを横綱土俵入りを選択。

4.引退を表明した日が5月14日(第48代横綱大鵬は1971年、第58代横綱千代の富士は1991年)。

5.引退の決め手となったのは、花田家の力士に負けたこと(第48代横綱大鵬は初代貴ノ花、第58代横綱千代の富士は貴花田〔のちの第65代横綱2代目貴乃花〕)。

6.名誉ある一代年寄を贈呈されたこと(第58代横綱千代の富士は、所属する九重部屋の後継者に決まっていたため辞退)。

7.自身の最多連勝記録をほかの力士に並ばれた翌日、NHK総合テレビで解説を務めていた(第58代横綱千代の富士は、第69代横綱白鵬の54連勝を見届けた)。

訃報が入った2013年1月19日(土曜日)、NHK総合テレビの解説に、定年退職まで半月となった武蔵川親方(第57代横綱三重ノ海)が務めた(理事長在任中に大病を患ったせいか、かなりやせた印象を持った)。奇しくも御本人が“思い出の一番”として取り上げたのは、新小結だった昭和45年(1970年)夏場所3日目の第48代横綱大鵬戦だった。

謹んで、御冥福をお祈りいたします。

★備考

有限会社大鵬企画ホームページ 

②ハート先生の心電図教室
「心室頻拍」

※今回は、「nice!」の設定をとりやめさせていただきます。

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水戸黄門リターンズ [波瀾万丈伝]

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平成25年3月公演
(博多座ホームページより) 

嬉しいことに『水戸黄門』が2年ぶりに復活する。といっても、TBSが制作するのではなく、博多座の舞台だ。『水戸黄門・第15部』から26年間番組を見続けた者としては、博多座に行きたい思いがある。

黄門様はもちろん里見浩太朗。助さん格さんは5代目の原田龍二と合田雅吏が務める。6代目助さん格さんには悪いが、5代目の黄門様、助さん、格さんの組み合わせは、安心して見ることができる。5代目の助さん格さんは、初代、2代目、3代目が築いたものを踏襲しているからだ(4代目は助さん“先輩”、格さん“後輩”だった。6代目については、性格が逆になってしまった)。

今回の舞台は、三波豊和扮する、よろず屋の千太、野村将樹扮する柘植の飛猿も出演する。

TBSでは過去に『水戸黄門』の舞台を実施している。かつては石坂浩二が4代目水戸光圀在任中に、3代目水戸光圀の佐野浅夫が舞台で“再登板”し、助さん格さんは
別の俳優が務め、好評を博したことがあるという。『水戸黄門』の舞台は、それ以来ではないだろうか。

TBSの『水戸黄門』は、第9部で最高視聴率43%を記録したが、第26部から撮影スタイルがフイルムからビデオに変わり、視聴者離れが急速に進んだ。そして、番組自体も重厚さがなくなり、第39部以降は視聴率がひとケタの回を記録してしまう。その後も低迷に歯止めがかからず、2011年で42年の歴史に幕を閉じた。

『水戸黄門』は、この国に絶対必要だ。


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あれから19年 [波瀾万丈伝]

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2012年12月25日(火曜日)を迎えた。毎年この日は、1番重い日である。誰もが生還を信じていたが、その願いは無残にも打ち砕かれた。以来、“私も48歳で亡くなるのではないか?”という不安に襲われ、精神的に追い詰められた。

私はあと12年で48歳になる。多くの人々にとっては、スンナリ49歳を迎えると思う。だが、私は「48歳」という年齢が大きな壁となっている。その年齢が近づくと、夜寝るのが恐ろしくなる日がある。“永遠に起きることなく、あの世に行っているのではないか”と不安だからだ。

世間では、“浮かれて当たり前”のクリスマスに、気分が高揚していると思う。だが、私はそういう気になれない。お店などで流れるクリスマスソングは、心にグサッと突き刺さるほど、聴きたくない(だからといって、個人的な理由で意見するわけにもいかない)。

今後も『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』や『夜も一生けんめい。』などで会得した“いっつみぃ精神”を忘れず、仕事や目標にひたすら邁進していきたい。 “いっつみぃ精神”があってこそのRailway Blogであり、わたくし岸田でもある。

皆様、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

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第46回衆議院議員総選挙-該当者なしがほしい- [波瀾万丈伝]

(毎日新聞)

「有権者の皆様、本日は衆議院選挙です。投票時間は午後8時までです。必ず投票しましょう」

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2012年12月16日(日曜日)、第46回衆議院議員総選挙が行なわれた。大阪市交通局御堂筋線では、車掌が有権者の乗客に対し、案内放送を流していた。

今回の衆議院議員総選挙投票率は、戦後過去最低の59.32%だった。約40%が投票していないことになる。投票率が低かった理由のひとつとして、「該当者なし」だからと考えるのが自然だろう。ところが投票所にはそれがない。その欄があれば、投票率があがったはずである。 

今回、自由民主党が政権を奪還(公明党と連立する見込み)しても、私はダメな政治が続くだけであると確信している。

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92歳の大往生 [波瀾万丈伝]

2012年11月10日(土曜日)18時37分、森光子さんが黄泉の国に旅立った。この一報を目にした時、絶句して涙目になった。若々しい方なので、「100歳過ぎても御健在」、「死というものに無縁で永遠に生き続ける」と思っていたからである。

森さんは上品の上をゆく、“特上の品格”を持つイメージがある。和服がよく似合い、親子以上に年下の芸能人多数と親交があり、“上から目線”で見下ろすことをしなかった。世間から大物女優と見られているのに、東山紀之さん主演のドラマにエキストラ出演したことがあったという。「清純派」のお手本といえるのではないだろうか。

森さんの代表作は舞台『放浪記』だという。私は1度も見たことがないので、どういった内容かはわからない。ドクターストップがかかるまで数十年演じていたことしか知らない。このほか、味噌汁のCMやTBSのドラマ『時間ですよ』など、お茶の間に親しまれた作品が多い。

多くの人々は森さんのような生き方はできないと思う。“本物の品格”が身についていないからだ。そうでなければ、国民に愛されていないはずだ。

謹んで御冥福をお祈りいたします。


※今回は「nice!」の設定をとりやめます。
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Twitterダイジェスト 2011/12/26-逸見さんスペシャル- [波瀾万丈伝]

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  • wanderwriter30wanderwriter30今年も12時47分に1分間の黙祷をしました。今日は1年の中で1番迎えなくない日。涙がこらえられないほど、悪夢の日を一生忘れることができません。私はライター兼ジャーナリストという立場ですが、これからも“いっつみぃ精神”で、原稿や夢の実現に向けて120%全力投球を続けていきます。12/25 13:05
  • wanderwriter30wanderwriter30空白の1日事件を取材していた逸見さん | http://t.co/0RUKzzG012/25 13:09
  • wanderwriter30wanderwriter30さぁー、みんなで考えよう!!12/25 13:16
  • wanderwriter30wanderwriter30ミリオーン、スロット!!12/25 13:16
  • wanderwriter30wanderwriter30正解はこちらです。12/25 13:17
  • wanderwriter30wanderwriter30ラスト、スロット!!12/25 13:17
  • wanderwriter30wanderwriter30東京23区内では珍しい無人駅でもあります(日暮里・舎人ライナーの大半も無人駅ですが)。 RT @kokurasaya:なかなか乗れなかった大師線に初乗車してきました。思ったより近代的な駅でびっくり。 http://t.co/zgel7L8D12/25 13:20
  • wanderwriter30wanderwriter30mixiページアンケート:あなたが好きな逸見政孝さんの番組の途中経過。
    第1位:クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!…30票
    第2位:たけし・逸見の平成教育委員会…23票
    第3位:夜も一生けんめい。…18票
    第4位:FNNスーパータイム…10票
    12/25 13:53
  • wanderwriter30wanderwriter30第5位:いつみても波瀾万丈…8票
    第6位:その他…4票
    第7位:クイズ日本昔がおもしろい…3票
    第8位:いつみの情報案内人 素敵にドキュメント…2票
    第9位:逸見のその時何が!…1票
    以上です。
    12/25 13:57
  • wanderwriter30wanderwriter30忙しいです。 RT @himaka_bot:14時だ。どう?忙しい?12/25 14:01
  • wanderwriter30wanderwriter30カラオケで #AKB48 の曲を歌ったことがある人はいますか? #1_100
    #questionnaire
    12/25 14:32
  • wanderwriter30wanderwriter30#AKB48 のオーディションを受けたことがある人はいますか? #1_100
    #questionnaire
    12/25 14:33
  • wanderwriter30wanderwriter30親戚が #AKB48 のオーディションを受けたことがある人はいますか? #1_100 #questionnaire12/25 14:33
  • wanderwriter30wanderwriter30@kokurasaya 昔は元旦終夜運転で西新井の自動改札を使用停止して、大師前に臨時改札を設置していました。現在はPASMO導入に伴い、西新井の乗り換え改札が終夜運転でも「稼動」に変わりました。
    そういえば、西新井のホームでラーメン食べましたか?
    12/25 19:10
  • wanderwriter30wanderwriter30日頃から思っていることだが、「鉄子」は人の名前だけにしてほしい。鉄道趣味が「ファン」と呼ばれず、大衆受けしないのが非常に大きな問題だ。⇒http://t.co/peN7iopG12/25 19:22
  • wanderwriter30wanderwriter30さぁー、みんなで考えよう。店長のいっつみぃ、逸見政孝です。よろしくお願いします。12/25 19:23
  • wanderwriter30wanderwriter30なにを作っているのでしょうか。VTR、スタートッ!!12/25 19:23
  • wanderwriter30wanderwriter30なにを作っているのでしょうか?12/25 19:24
  • wanderwriter30wanderwriter30「さぁー、みんなで考えよう!!」や「なにを作っているのでしょうか?」の振りつけは、野球のアンダースローを参考にしたという。12/25 19:25
  • wanderwriter30wanderwriter30『坂の上の雲「日本海海戦」』を見て思う。私は戦争に参加したくない。日本国憲法9条を改悪しちゃいけない。12/25 19:49
  • wanderwriter30wanderwriter30@kokurasaya そうですか。来年上京する機会があれば、ぜひ御賞味くださいませ。12/25 20:18
  • wanderwriter30wanderwriter30『坂の上の雲』終わりました。見ごたえがありました。全13回ワンクール再放送をお願いします。 #NHK12/25 21:00
  • wanderwriter30wanderwriter30年末大繁盛スペシャル!! さぁー、みんなで『鉄道のテクノロジーVol.13』を買いに行こう!! - 岸田法眼のRailway Blog.Season 7
    http://t.co/WliQ4yrc #twitbackr
    12/25 23:25
  • wanderwriter30wanderwriter30岸田法眼のRailway Blog.「自殺」
    http://t.co/Fhe09fbt
    12/25 23:40
  • wanderwriter30wanderwriter30岸田法眼のRailway Blog.「12月25日」
    http://t.co/zw4NOJ86
    12/25 23:40
  • wanderwriter30wanderwriter30岸田法眼のRailway Blog.「地方出身者」
    http://t.co/8Q1baYIr
    12/25 23:40
  • wanderwriter30wanderwriter30岸田法眼のRailway Blog.「逸見政孝さん生誕の地、大阪市交通局御堂筋線西田辺駅」
    http://t.co/mj8SEC2Q
    12/25 23:41
  • wanderwriter30wanderwriter30岸田法眼のRailway Blog.「死」
    http://t.co/BuQJIzxW
    12/25 23:41
  • wanderwriter30wanderwriter30岸田法眼のRailway Blog.「逸見政孝さんのあとを追う奥様と名医」
    http://t.co/XKpxIBDr
    12/25 23:41
  • wanderwriter30wanderwriter30岸田法眼のRailway Blog.「あれから17年」
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空白の1日事件を取材していた逸見さん [波瀾万丈伝]

2007年10月20・21日(土・日曜日)放送の『SPORTSうるぐす』で、江川卓さんと小林繁さんが“世紀の顔合わせ”をした黄桜のCMの舞台裏を取材したのを御存知だろうか。

江川さんは2度ドラフト1位指名されたが、巨人のユニホームでプレーしたいという一心で入団せず、アメリカに渡ったが緊急帰国することになった。これは江川投手の父親が突然帰国命令を出し、そのあとあわただしく巨人入団発表。当時の野球規約では、ドラフト会議の前々日で前年度に指名された選手の交渉権が切れるため、その翌日に巨人と電撃契約をかわしたのである。

ウラを見つけ、他球団のスキをついた巨人のやり方は、けっしてルールに反していないが、日本中が騒然として大混乱を招き、日本プロ野球機構(略して「NPB」)は契約を認めないことを決定。巨人側はこの決定を不服として、ドラフト会議に出ないという展開となった。

巨人欠席のドラフト会議では、阪神タイガースがドラフト1位で江川投手を指名し、抽選の末、交渉権を獲得した。江川投手は一旦阪神タイガースへ入団したものの、新人投手では異例のトレードにより、ようやくあこがれの巨人でプレーできることが決まった。その後、江川投手は金銭トレードによる巨人移籍を希望したが、それが通らず、昭和54年(1979年)1月31日(水曜日)、プロ野球キャンプイン前日に小林繁投手との交換トレードが成立したのである。

この交換トレードで騒ぎはヒートアップし、江川投手は同年6月以降でないと1軍登録できないペナルティーが下された。これがキッカケで、江川投手と小林投手に亀裂が生じるような展開になってしまったのである。これにより、江川投手と小林投手は共に真正面から接することができなくなってしまった。

2人は引退後も同じ日に同じ球場にいても、顔を合わせることはなく、一時期、小林さんは日本テレビの『どんまい!! SPORTS AND WIDE』に出演していたが、プロ野球中継で江川さんとダブル解説を組むことはなかった(小林さんは日本テレビの野球中継で解説をすることもなかった)。

そして、2007年秋、ついにCM関係者により、“雪解け”となったのである。

CMは好評で、今までのわだかまりが消え去ったように思える。小林さんのさわやかな表情で、江川さんに握手を求める姿は印象的だった。

『SPORTSうるぐす』では、空白の1日事件を織り交ぜながら放送していたが、当時のVTRで金子鋭コミッショナーにマイクを向けようとする逸見政孝さんを発見した。

逸見さんは当時33歳。フジテレビのアナウンサーだったが、昭和53年(1978年)10月より、『ニュースレポート6:30』を担当していた。以前はスポーツアナウンサーで、プロ野球は担当しなかったようだが、ボクシングでは輪島幸一選手が世界チャンピョンになる試合を実況している。

逸見さんはその後、報道部門にまわり、昭和60年代に入るとアナウンサー初のブロマイドを出すなど、たちまち売れっ子になり、昭和63年(1988年)4月1日(金曜日)からフリーになる。

逸見さんはフリー後、テレビ番組の共演を機に江川さんと交友関係を持つようになり、七三分けの髪型を変えたといわれるIKKOさんが専属のヘアメイクを務めるようになる(IKKOさんは当時から自分の会社を持っていた)。

平成5年(1993年)1月1日(金曜日・元旦)に日本テレビで生放送された正月番組では、突然の電話に思わず、「江川君」と地を出していた。

ところが同年、定期健診で逸見さんにガンが見つかり、手術。病名を「十二指腸潰瘍」にして、一部の番組を休んだが、山城新伍さんには本当の病名を伝えたという。

8月に2度目の手術後、別の病院で診てもらったところ、命の期限を言い渡されるほどの状態となっており、9月6日(月曜日)15時に記者会見を開き、夕方以降のNHK以外のニュースはトップでお伝えし、新聞でも社会面に掲載されるなど、日本中が衝撃を受けた。 誰もが生還することを信じていた。必ずブラウン管に戻ってくると信じていた。逸見さんがいない番組ではほかの芸能人が盛り上げており、高視聴率もキープしていた。

しかし、その願いはかなわず、平成5年(1993年)12月25日(土曜日)12時47分、どこかへ旅立ってしまったのである。

私にとって、「12月25日」は1番つらい日で、それ以来クリスマスを封印した。毎年、クリスマスの季節になると、私はあの悪夢がよみがえるのである。あの悪夢から18年たつ今も現実が受け入れられないのだ。

2007年、『いつみても波瀾万丈』でIKKOさんが出演した。実は逸見さん関連の本で「豊田一幸」という名を目にしたことがあるものの、まさかピーターを思わせるような“本当の女性に見える男”だとは思わなかった。

戸惑いながら番組を見ていたが、一流のヘアメイクで、逸見さんの死化粧を引き受け、いろいろな思いが交錯するのは実際にお目にかかったことのない私も同じだ。私は逸見さんの『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』をきっかけにバラエティー番組を見るようになったのだから。

今の時代、品のいい番組が少なくなっている。もう1度、品のある新時代の司会者をテレビというメディアで“発掘”して欲しいことを願っている。
 

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余談だが、武井咲の生年月日は、平成5年(1993年)12月25日(土曜日)である。

★備考

①岸田法眼のRailway Blog.「自殺」

②岸田法眼のRailway Blog.
「12月25日」 

③岸田法眼のRailway Blog.
「地方出身者」 

④岸田法眼のRailway Blog.
「逸見政孝さん生誕の地、大阪市交通局御堂筋線西田辺駅」 

⑤岸田法眼のRailway Blog.
「死」 

⑥岸田法眼のRailway Blog.
「逸見政孝さんのあとを追う奥様と名医」 

⑦岸田法眼のRailway Blog.
「あれから17年」 

⑧岸田法眼のRailway Blog.
「観客動員数204萬人突破!!」 

⑨岸田法眼のRailway Blog.
「現職コーチ、突然の別れ」 










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九州場所直前の急逝 [波瀾万丈伝]

2011年11月7日(月曜日)9時51分、第59代横綱隆の里の鳴門親方が急性呼吸不全のため、黄泉の国へ旅立った。まだ59歳の若さだった。  

先月、鳴門親方が弟子への暴行疑惑が週刊誌に報道され、日本大相撲協会から事実関係の調査を受け、近日中に処分が決まる予定だった。鳴門親方は前日にぜんそくで体調を崩し、緊急入院したという。  

青森県出身の隆の里は二子山部屋に入門したが、若いうちから糖尿病に悩まされた。御本人は徹底的な節制を重ね、30歳9か月で第59代横綱に推挙。当時、NHK連続テレビ小説で『おしん』が大ヒットし、隆の里が苦労の末に横綱という最高位に上り詰めたことから、「おしん横綱」と呼ばれた。新横綱の場所で15戦全勝優勝を飾り、優勝4回を記録。昭和61年(1986年)初場所中に引退した。  

引退後は年寄鳴門を襲名。のちに部屋を興し、数多くの関取を輩出。また、3代目若乃花が第66代横綱に推挙された際、不知火型の土俵入りを指導したことで知られる(二子山部屋の横綱で不知火型の土俵入りをしたのは、隆の里と3代目若乃花。一方、雲竜型の土俵入りをしたのは、2代目若乃花と2代目貴乃花)。

最近は10代で関取に昇進した関脇稀勢の里が徐々に力をつけ、この九州場所では大関昇進がかかっているが、突然の師匠急逝により、弟子の晴れ姿を天空から見守ってゆくのだろう(稀勢の里は幕下時代から「横綱候補」と言われていた)。秋場所後大関に昇進した琴奨菊とともに、“日本人力士復権”の期待がかかる力士である。  

話が変わり、ここ数年、九州場所はガラガラが続いている。数多くの不祥事に見放された恰好となっていたが、そんな状況でも魁皇だけは特別だった。地元福岡県直方市出身であることや、ひたむきな姿勢で相撲に打ち込んでいたことが全国の大相撲ファンの心をつかんだ。不祥事まみれの本場所を魁皇が支えていたと言ってもいい。しかし、今年名古屋場所中に引退。九州場所を盛り上げる後継者は福岡県柳川市出身の新大関琴奨菊であり、師匠が手塩にかけて厳しく育てた関脇稀勢の里ではないだろうか。  

本日、鳴門部屋に所属する力士らの処遇を決めるという。鳴門部屋は師匠の後継者がいないためで、新師匠で部屋を継続するか、別の部屋に吸収合併するかたちで転属するかのいずれかになる。力士らは部屋に所属するのが原則で、“無所属”は土俵にあがれない規定があるからだ。  

謹んで、鳴門親方の御冥福をお祈りいたします。

※今回は「nice!」の設定を休止いたします。

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世の中恐ろしい [波瀾万丈伝]

globeのボーカル、KEIKOさん(39歳)のくも膜下出血に衝撃を受けた人が多いと思う。手術が成功し、一命を取り留めたのがさいわいだった。

くしくも、KEIKOさんは昨年同じ病気で黄泉の国へ旅立った元プロ野球選手、木村拓也さんと同い年である(木村さんが倒れたときは意識不明で、手術できる状態ではなかった)。所属事務所によると、1か月間入院するということだが、復帰までに相当かかることが予想される。

KEIKOさんは、抜群の歌唱力で多数のヒット曲を持つ。1990年後半だと記憶しているが、JR東日本のスキーCMソングを思い出すレールファンが多いと思う。やがて、メンバーの1人、小室哲哉氏と結婚した。

人間の頭は腕や足などと違い、筋トレなどで鍛えることができないため、「明日は我が身」という言葉が身にしみるし、“いつかかってもおかしくない病気”なだけに、非常に恐ろしい。とりあえず、睡眠時間の確保、高血圧にならないことを心がける、控えめな飲酒や喫煙をしないことが重要といえる(私は嫌煙家なので、煙草吸わないけど)。さいわいといえばいいのか、私は診療所の医師から検査の度に、「相変わらず低血圧だねぇー」と言われるが……  

1日も早い御快復を祈念いたします。

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島田紳助、潔い引き際 [波瀾万丈伝]

2011年8月23日(火曜日)、テレビ東京の看板番組、『開運なんでも鑑定団』の放送終了後、タレントの島田紳助が突如記者会見を開き、芸能界引退を表明した。その理由は、数年前に暴力団関係者とメールのやり取り及び、数回小時間の面会をしていたことが、今になって発覚したためである。

8月21日(日曜日)、島田紳助は武道館にいた。御存知、日本テレビの『24時間テレビ 愛は地球を救う』で、63キロマラソンに挑戦していた徳光和夫を迎えるためである。徳光さんは島田紳助を「天才」と高く評価していたことに感銘を受け、ゴールを信じて待っていたのだ。20時40分過ぎに徳光さんがゴールしたとき、真っ先に手を差し伸べたのは島田紳助だった。

放送終了後、武道館内で『行列のできる法律相談所』を生放送した。徳光さんのメディカルチェックが終わるまでのあいだ、未公開VTRが流れ、はしたないというか、島田紳助らしい軽妙で頭の回転が速いトークだった。そのあと、徳光さんが登場し、友情を深めていた。また、アシスタントを務める松本志のぶフリーアナウンサーが妊娠を発表した。番組は祝賀ムードで終わったが、そのあと島田紳助は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー(以下、「所属事務所」)に呼び出され、暴力関係者とのメールのやり取りについて問われると、正直に認め、深く反省した上で即日引退を申し出たという。

暴力団関係者とのメールのやり取りは、法律で罰せられることはない。また、経済的な利害関係が認められないので逮捕される可能性も低い。しかし、芸能界という強い影響力のある世界では、職業「暴力団関係者」の知人を持つことは御法度なのだ(一般企業もそうだと思われる)。所属事務所は数か月の謹慎にさせるつもりだったのかもしれないが、本人の潔い引き際を尊重し、突然の記者会見になった。  

近年、「島田紳助は嫌いなタレント」という言葉を、インターネット上で目にすることが多かった。私は嫌いではないが、彼の司会ぶりを見て、話術に長けている印象を持っていた。臨機応変な対応が求められる司会業というのは、彼にとっては天職だった。また、『開運なんでも鑑定団』は17年放送しているせいか、視聴者が持参する鑑定品の額を予想し、ほぼ的中させる“目利き”を身につけていた。日本テレビで放送された『嗚呼! バラ色の珍生!!』の「涙のご対面」というコーナーでは、大切な人を探す依頼者に対し、バラエティータレントの姿勢を封印して、人間としての優しさや思いやり、熱いハートを魅せていた。  

今、上記のことが私の頭の中で駆け巡っている。  

こういう形で芸能界を去るのは、本人、マスコミ、視聴者は予想していなかったはずで、衝撃の夜となった。所属事務所は解雇させるつもりでいたかどうかは知らないが、長年貢献している人間に対し、“「引退」を承認したのは温情である”と受け止める人も多いと思う。

芸能界は「島田紳助」という、ひとつの宝を失った。この先、大橋巨泉、逸見政孝、島田紳助と続いた、「人気司会者」という肩書きを継承する芸能人が現れるのだろうか。

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Twitterダイジェスト 2011/08/24 [波瀾万丈伝]

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  • wanderwriter30wanderwriter30島田紳助が午後10時から緊急会見 http://t.co/sDFUl4m via @nikkansportscom⇒ただいま『開運なんでも鑑定団』を視聴中。この時間に記者会見とは、いったいなにがあったのだろうか。病気でなければいいのだが……08/23 21:14
  • wanderwriter30wanderwriter30グータッチ!! RT @jotenbrave: o(`・ω・´)oグータッチ #kyojin #giants 今日は快勝!08/23 21:37
  • wanderwriter30wanderwriter30昨日、スイカを種まで食べた人はいますか? #1_100 #questionnaire #スイカ08/23 21:38
  • wanderwriter30wanderwriter30海の家で働いた人はいますか? #1_100 #questionnaire #海の家08/23 21:38
  • wanderwriter30wanderwriter30先日、竹脇無我さんが黄泉の国へ旅立ちました。『大岡越前』の榊原伊織役が印象に残りますが、ほかに見たのは『水戸黄門』のゲスト出演時だけでした。いずれも弱い部分をまったく見せない役柄で、巨悪に敢然と立ち向かっていた姿が頭の中を駆け巡っています。謹んで、御冥福をお祈りいたします。08/23 21:46
  • wanderwriter30wanderwriter30残念ですね。 RT @tetsuani: わお! RT @181matsukaze: はや!!島田紳助 引退プレスリリース上がってるわ。 http://t.co/aoNeCYw via @twitpic08/23 22:29
  • wanderwriter30wanderwriter30突然の島田紳助芸能界引退は残念。明日以降、収録済みの番組は放送するのだろうか?08/23 23:15

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同学年の死 [波瀾万丈伝]





2011年8月4日(木曜日)13時過ぎ、日本フットボールリーグの松本山雅FCに所属する、松田直樹選手が黄泉の国へ旅立ってしまった。私と同じ34歳で“あの世”という次のステージへ行くことになるとは悲しい。  

同年8月3日(水曜日)、松田選手のプロフィールを拝見したら、私と同学年だった。私は今月で誕生日を迎えるが、彼は早生まれ。話はそれるが、個人的に早生まれは“トシをとるのが遅いから若い”という、勝手なイメージを持っており、うらやましく思っている。  

松田選手は高校卒業後、Jリーグの横浜マリノス(現在の「横浜F・マリノス」)に入り、昨年までプレーした。FIFAワールドカップでも活躍し、2002年6月に行なわれた日韓共催大会ではベスト16への原動力となった。  

今季はJ2より格下となる松本山雅FCに移籍したが、2011年8月2日(火曜日)10時頃、練習中に突然倒れ、長野県松本市内の病院へ搬送された。しかし、そのときは心肺停止状態となっており、急性心筋梗塞と診断。翌日には緊急手術を行ない、一命をとりとめようとしたが、叶わなかった。  

34歳は「ベテラン」と呼ばれる年齢だ。人にもよるが、体力の衰えを感じても不思議ではない。でも、身体は動くから“まだまだ若い、負けてたまるか!!”という意識が働く。会社員だと部下を持つ年齢となり、管理職を務めている方が多いだろう。  

松田選手の訃報を聞き、私は27年前の秋にクラスの同級生を病気で亡くした記憶が蘇った。彼はわずか8歳でこの世を去り、数日後、人生で初めて葬式に行った(当日、ほかのクラスは午前で授業を切り上げ、下校させた)。彼が亡くなる1か月前だっただろうか、担任の先生が下巻の教科書を手渡すと大いに喜び、必ず退院して復帰する前向きな意欲をもっていたという。当時、私は手術の可能性があることを示唆された病気を抱えており、その病院に通院していたが、彼と会うことはなかった。その後、私の身体は快復及び向上し、手術は回避された。  

昨年は巨人の木村拓也コーチ(37歳)がクモ膜下出血、18年前には元広島東洋カープ投手の津田恒美さん(32歳)が脳腫瘍で、それぞれ夭折した。働き盛りの年齢の人々が、人生を全うする前にあの世へ行ってしまうのは、世の中不公平だよ。ひどいよ。

私は18年前のあの日以降、“生きる”ことにおびえるようになった。それは私の人生観が崩壊し、長生きできる保証はどこにもないという現実を知ってしまったからだ。以来、人生が楽しめず、なにかで気を紛らわす日々が続いている。

謹んで、松田選手の御冥福をお祈りいたします。  

※今回は「nice!」の設定を取りやめさせていただきます。

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観客動員数398萬人突破!! [波瀾万丈伝]

観客動員数397萬人突破!!.JPG

毎度、御利用いただきまして、ありがとうございます。

2005年11月11日(金曜日)に開幕したRailway Blogは、2011年8月2日(火曜日)に観客動員数398萬人を突破しました。どうもありがとうございます。


◆2011年7月6日(水曜日)から7月31日(火曜日)までのmixi日記

■7月6日(水曜日)
ほかにもあるゾ!!

●電車内で最も許せない若者の行動ランキング
(mixiニュース)


これは若者に限ったことではないけれど、床に荷物を置く人が多い。どんなに軽いものでも荷棚に乗っけようとしない。JR東日本首都圏のロングシートは、座席下に荷物を置くスペースがあるのだから、そこを活用したほうがいい。

ただ、スーツケースを荷棚に置くのは、難しいようだけど……

※本日のYou Tubeは、
こちらです



■7月8日(金曜日)
MDの終焉?


●ソニー、MDウォークマンの出荷を9月で終了
(読売新聞 - 07月07日 21:01)


私が10代後半の頃だっただろうか。カセットテープに代わるMDというのが登場した。デジタル録音のため、CDと同じ音が保証され、半永久的に聴けるような宣伝だったと記憶している。ちなみにレコードは2000回まで、カセットテープは2万回まで聴けるという。

私はMDを持っているけど、残念ながらモノにすることができなかった。なぜならば、MDウォークマンを持っていなかったからである。また、MDコンポもCD部分が早々に故障したことも重なり、21世紀を過ぎてもカセットテープだった。

カセットテープで音楽CDを収録するとき、ひとつ難点なのは、時間が余ることである。収録するテープの黒い(または茶色)部分が余ると損をする。根っからの貧乏性もあるが、カーステレオは両面再生のため、空白の時間があることがもったいないのだ。

その解決策として、シングルCDのカラオケ(またはInstrumental)を入れること。このため、同じ銘柄のカセットテープを買って、緻密な計算(?)により、無駄なく収録した。これならば、空白の時間が短くて済む。また、MDでも入れていた。

しかし、21世紀に入ると、iPodが普及し、カラオケ(またはInstrumental)を入れる必要性がなくなった。iPodはパソコンから取り込むためである。ちなみに、「iPod」を初めて聞いたとき、ドコモの新しい機能だと思っていた。

私はiPodに抵抗を持っていた。なぜならば、本体が故障したらそれで終わりだということ(つまり、収録し直しという手間がかかることを懸念した)。また、本体が満タンになると、新しいものを購入しなければならないため、ムダな気がしたからだ。その点、MDはリスクが小さいように思っていた。

ところが、2009年秋、あることに気づく。

それは『プレジデント フィフティ・プラス』誌の仕事で、担当編集者とお目にかかった際、ボイスレコーダーについて相談したところ、いいメーカーを紹介していただいた。そのメーカーは、ボイスレコーダー兼ミュージックプレーヤーを目玉商品としていた。なおかつ、パソコンにも対応しているというスグレモノ。

ためしに、パソコンに取り込んでいた音楽をボイスレコーダーに入れると、MDを買う手間が省けることに気づいた。ボイスレコーダーは仕事用で購入しているので、音楽をたっぷり取り込むわけにはいかないが、カタチが小さいので、気軽に聴けるのだ。それ以来、今まで旅先でしか聴かなかった携帯用音楽プレーヤーは、日常生活にも広がった。ただし、混雑している時間帯は聴いておらず、周囲の迷惑にならないよう配慮している。

携帯用音楽プレーヤーは、ボイスレコーダーにも影響を与えたことにより、MDは影が薄い存在となってしまった。そして、SONYはカセットタイプとMDタイプのウォークマンの出荷終了を決断(記録メディアとしてのMDは引き続き生産)。“21世紀はハードディスクの時代”という、ひとつの文化を確立したと言ってもいいだろう。

そろそろ、音楽専用のハードディスクプレーヤー、買おうかなぁー。今はボイスレコーダーよりも小さいのがあるのだから。将来、ラジオやワンセグにも対応できる音楽プレーヤーが実用化されるのではないだろうか。

※本日のRailway Blogは、
こちらです(You Tubeは、こちらです)。



■7月8日(金曜日)
あの募金活動を批判した理由


本年3月26日(土曜日)、マスコミを呼んで募金活動をする面々に対し、Twitterなどで批判をした。募金活動をするところが活発化している中、マスコミを呼んで報道させるというものに対し、“やらせ”という印象を持ったからである。また、ほかにも理由が2つある。

1つ目は、色々なところから悪評を聞く以前に、性悪や書けない人間だと確信している横見浩彦が参加していたこと。第68代横綱朝青龍よりも品格のない男が1人募金活動をして、この未曾有の大惨事の救済活動だというのに、集合写真では“目立ちたいだけ”の姿勢が感じられる。ちなみに朝青龍は、横綱としては品格に欠けるが、ファンサービスに関しては、ずば抜けていた。スポーツマンとして、ファンを楽しませるという姿勢がよく、日本人力士にも見習ってほしかったのだが……

2つ目は森由梨香が震災発生翌日のブログで、人命よりも車両の現役続行を最優先したこと。テレビのニュースで見た貨物列車の姿に気が動転したようではあるものの、人の命を軽視するとは、人間としてあるまじき行為だ。本来、事務所は不謹慎な発言に対し、無期限謹慎に処するのが当然なんだけども、お詫びだけで済ませた姿勢が問題だ。こういう人間を募金活動に選出するとは、業者の姿勢にあきれかえる。

私は特に誘われず、そういう話が来ても辞退しているが、旅先で小額の現金を若者の募金活動に託した。私は表立ってやるのは性に合わないし、彼らと会っても、うまくいかないはず。なぜならば、この面々は「ファン」という言葉を使わないがゆえ、鉄道趣味をより色眼鏡な世界にさせてしまったのだから。私は「ファン」という言葉の大切さ、重要性を主張する。そうしないと、いつまでたっても鉄道趣味は色眼鏡で見られ続けられるのは明らかなのだから。


★備考

エスピーボーン特設ページ

②森てちゅ子の部屋「昨日の記事について」 

■7月12日(火曜日)
本場所でも中継せず?


●<大相撲名古屋場所>魁皇、大記録足踏み 2日目
(mixiニュースより)

魁皇関、まさかの連敗スタート。今月で39歳になりますが、勝ち越して九州場所の勇姿を見たいですね。

ところで本日3日目の放送は、なんと国会中継を理由に地上波放送がないという(BSのみ放送)。やはり、度重なる不祥事がそうさせているのだろうか。ここ数年の名古屋場所、九州場所は、ガラガラな日が目立つだけに、NHKの決断は間違っていないのかもしれない。


★追記

その後、変更があり、この日は17時05分から放送しました。

■7月19日(火曜日)
休場してほしかった

●最多1047勝、魁皇が現役引退
(mixiニュースより)

大関魁皇が現役引退を決断したという。満身創痍だと聞いているし、取組が終わると、1時間40分かけて奈良県にあるかかりつけ医に診てもらい、友綱部屋宿舎に戻るのは翌日1時だという。ハードスケジュールがたたったのだろうか。

できることなら早いうちに休場して、秋場所に再起をかけてほしかった。秋場所でカド番を脱出し、九州場所で活躍する姿を見たかった。おそらく、九州の英雄は、琴奨菊があとを継ぐだろう。

大相撲というのは、「引退」を口にしてしまえば、次の日から土俵にあがることができない。おそらく、多くの人々は来場所、「大関在位66場所」という新記録を目の当たりにすると確信していただろう。1位タイ記録で現役を終えるのは、“記録に関心がない”ことを示しているのだろうか。

公式発表があるまで、信じたくない思いでいっぱいだ。


■7月20日(水曜日)
笑顔の引退会見


●これが最後の引き際…引退の魁皇が会見
(読売新聞 - 07月20日 19:12)

2011年7月20日(水曜日)、大関魁皇関が引退届を日本相撲協会に提出し、年寄「浅香山」を襲名した。残念ながら一代年寄とはいかなかったが、JR九州ホームページを見る限り、特急〈かいおう〉は引き続き運行する模様だ。こちらは“一代年寄”になるだろう。もしかすると、2012年春のダイヤ改正で、愛称を「特急〈魁皇〉」に変更するかもしれない(沿線からの要望が多ければになるだろう)。

前日の報道に気が動転したが、今は少し落ち着いた。引き際については「潔い」や「休場して再起を」など、色々な御意見があるようだ。

思えば20年前の夏場所3日目打ち出し後、第58代横綱千代の富士関(現・九重親方)が引退を表明したとき、突如、九重部屋で記者会見が行なわれ、翌日、金屏風で“取り直し”という、あわただしいものだった。

今回の魁皇関は、前日に引退を表明したものの、早まったことはせず、この日に引退会見を開いた。ものすごくホッとした笑顔が印象に残る。本当に悔いなく、完全燃焼した感じだった。おそらく、多くの人々は引退に納得しているだろう。

いつのまにか拍手や歓声が高い人気力士になったのは、人柄、相撲に対する姿勢があるのだろうが、高見盛が30歳を過ぎても、負けるとへこむ姿に嫌悪感を持つ相撲ファンが増えたのではないだろうか。私は高見盛のあの姿勢は、日頃から疑問を持っている。土俵上で気合を入れるのはいいだろうが、負けても堂々とした姿で支度部屋に引き上げないと。

先述したとおり、魁皇関は年寄「浅香山」を襲名したが、将来は友綱部屋を継承するものと思われる。現在、友綱部屋には魁聖という“のびしろの力士”がいるので、師匠とともに指導していくことだろう。

魁皇関、23年間お疲れ様でした。

※本日のYou Yubeは、
こちらです



■7月25日(月曜日)
プロ野球オールスター2011

今年のプロ野球オールスターは、パリーグが2勝1敗として、交流戦の実力どおりのような展開となった。でも、選手は楽しみ、勝敗までは気にしていない様子である。

ところで、今回のオールスターでビックリしたことがある。

それは、福岡ソフトバンクホークスの秋山幸二監督がオールパシフィックリーグの采配を振るっていたことだ。それもそのはずで、昨年のパリーグ優勝チームは、福岡ソフトバンクホークスである。でも、クライマックスシリーズでは第3位の千葉ロッテマリーンズにまさかの逆転負けを喫し、巨人以来となる“「優勝チームなのに、日本シリーズに出場できない」という名のぬか喜び”となってしまった。

プロ野球ファンとしては、昨年の日本シリーズが記憶に残っているだけに、“ロッテの西村監督じゃないの?”と思う人が多かったのではないだろうか。優勝して日本シリーズに出られなくても、その“名誉”は保証されている。

今年も福岡ソフトバンクホークスは首位を走っているが、“今年こそは”という気迫や危機感が強いのではないかと思う。

■7月25日(月曜日)
半ZONE門線8000系LCD車


半蔵門線8000系のリニューアル及びVVVF化が進んでいる。当初は一部の側扉上にLEDによる情報案内装置を取りつけていた。しかし、近年はすべての側扉上にLCD2台とドアランプを設置。この日乗った第16編成は座席の袖仕切りも取り替え、着席区分棒もついた。ちなみに8000系LCD車ドアチャイムは、営団音からJR東日本首都圏音に変わっている。

LCDは明るく、ワイドな画面で見やすいのはいいが、乗り換えの英文字がChangeからTransferに変わったのは残念だ。

余談だが、半蔵門線は14駅中、12駅が乗換駅なので、私は「半ZONE門線」と称していることがある。


■7月26日(火曜日)
鉄道趣味をより低俗にさせた男


●〈北斗星〉特急券転売の男逮捕
(mixiニュースより)


大人というのは、常に“社会の模範”にならなければならないが、逮捕された52歳の男は違っていた。

それは寝台特急〈北斗星〉の特急券(寝台料金含む)を転売させ、高値で売った。これを十数年も積み重ね、1000万円以上も“荒稼ぎ”をしたのだ。このカネでギャンブルや鉄道旅行を積み重ねていた(この男は既婚者なのだろうか?)。

こんなことをしているから、鉄道趣味というものは、ますます色眼鏡で見られてしまうのだ。ネット社会というのは、“心ない人間のたまり場”と化している。


■7月29日(金曜日)
この野郎


●ご注意ください! ネットに「7月29日午後5時30分に東京駅で大量殺人します」と書き込み
(mixiニュースより)

だったらやってみろ。する気もねぇーのに悪戯に書き込んでんじゃねぇーよ。

■7月31日(日曜日)
新宿鮭2011

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2011年7月29日(金曜日)18時10分過ぎ、都営新宿線新宿へ。ここは京王新線の境界駅で、駅は京王が管理している。夕ラッシュ時の真っ只中なせいか、乗務員の引継ぎは30秒前後のあわただしさで電車が発車する。ちなみに、乗車した車両は10-300形で、市ケ谷でロングシートに坐ったが、座面はE231系よりも硬かった。

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都営大江戸線へ寄り道すると、ホームは可動式ホーム柵の設置工事が行われていた。すでに清澄白河と門前仲町では設置されており、試験調整運転を実施しているという。ちなみに、都営大江戸線全駅の可動式ホーム柵設置完了は2013年5月を予定している。

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さて、新宿のホームを見ると、10両編成化に備えている。小ぶりな車両なので、20メートル車に換算すると8両編成分になるが、思ったほど混みあっていないせいか、10両編成化はまだ先になるだろう。ちなみに、大阪市営地下鉄も多くの路線で、建設時からホームは増結分を確保しているが、この20年間で増結を実施したのは御堂筋線、堺筋線、四つ橋線のみである。

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ところで、都営新宿線、都営大江戸線で気になったのは、分割併合運用がないのに、電気連結器を備えていたことである。都営大江戸線の場合は、都営浅草線の馬込車両検修場で全般検査を行なうため、回送用の電気機関車、E5000形にも電気連結器を装備しており、見当がつくものの、都営新宿線はなんのためにあるのだろう?




新宿で下車。18時30分を過ぎているが、いつ日が暮れてもおかしくないような曇り空。見たことがないガラス張りのビルに気をとられる。先を進むと、エスカレーターがあるものの、夏季の節電対策に伴い、運転を休止していた。実際、運転休止のエスカレーターを利用したことがあるけど、階段に比べ、段差が低い印象があり、違和感がある。

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JR線の角筈ガードをくぐり、東口へ。ダイキンエアコンの温度計は節電のため消灯。そして、雨が降ってきた。かなり大粒の雨だ。ズブ濡れの状態で、西武新宿駅ビル内にある100円ショップであわてて傘を購入する。

道に手間取ったが、ようやくショッピングゥーを済ませ、副都心線新宿三丁目で10000系の急行渋谷行き(ワンマン運転)に乗った。


★備考

・東京都交通局ホームページ「大江戸線ホームドアについて」 

※本日のRailway Blogは、
こちらです(You Tubeは、こちらです)。



◆観客動員数397萬人から398萬人までのあしあと

・2011年7月30日(土曜日)…397萬1000人突破

・2011年7月30日(土曜日)…397萬2000人突破

・2011年7月31日(日曜日)…397萬3000人突破

・2011年7月31日(日曜日)…397萬4000人突破

・2011年7月31日(日曜日)…397萬5000人突破

・2011年8月1日(月曜日)…397萬6000人突破

・2011年8月1日(月曜日)…397萬7000人突破

・2011年8月1日(月曜日)…397萬8000人突破

・2011年8月2日(火曜日)…397萬9000人突破

・2011年8月2日(火曜日)…398萬人突破!!

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Twitterダイジェスト 2011/07/20 [波瀾万丈伝]

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  • wanderwriter30wanderwriter30Twitterダイジェスト 2011/07/19 - 岸田法眼のRailway Blog.Season 7 http://bit.ly/niecrJ #twitbackr07/19 20:48
  • wanderwriter30wanderwriter30特急料金全額払い戻しは確実ですね。できれば、発車してほしいですが。 RT @arakawa_express:新宿駅なう。あずさ27号が三時間以上経過をしても出発しない。 http://bit.ly/pDSPf907/19 20:54
  • wanderwriter30wanderwriter30皆様、暑さ対策はありますか? #shitsumon07/19 20:55
  • wanderwriter30wanderwriter30そうだ、カーテン洗おう!!07/19 20:55
  • wanderwriter30wanderwriter30今、バンドを結成したいと思った人はいますか? #1_100 #questionnaire07/19 20:57
  • wanderwriter30wanderwriter30本日9時35分、俳優の原田芳雄さんが肺炎のため、黄泉の国へ旅立ちました。近年は『タモリ倶楽部』で、茶目っ気たっぷりのレールファンぶりを披露していました。昨年だったかな、念願だった〈カシオペア〉に乗車し、熱いトークをしていたのが印象に残ります。謹んで、御冥福をお祈りいたします。07/19 21:02

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水戸黄門フォーエヴァー [波瀾万丈伝]

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TBSの看板番組、『水戸黄門』は、ただいま放送中の第43部をもって、42年の歴史に幕を閉じることになった。  

『水戸黄門』は昭和44年(1969年)8月4日(月曜日)にスタート。以来、“ゲッパチの顔”として多くの人々に愛され、第9部の最終回では視聴率が43.7パーセントを記録した(この回では2代目助さんが婚約をすることになる)。当時、2代目格さんを務めた大和田伸也とゲスト出演の五大夏子が共演し、やがて結婚に発展。また、第42部でも、ちゃっかり八兵衛役の2代目林家三平とゲスト出演した国分佐智子が共演し、早々に婚約を決めた。  

水戸光圀役は5人演じたが、このうち西村晃、佐野浅夫、里見浩太朗は、ニセ黄門役の出演を機に “ホンモノに昇格”した。特に現在、5代目水戸光圀を演じている里見浩太朗は、2代目助さん時代の第13・14・17部で“変装”しており、まるで将来が約束されたかのようであった。また、由美かおる、伊吹吾郎、大和田伸也、あおい輝彦はゲスト出演の経験があり、“満を持して”レギュラーに“昇格”している。特に由美かおるは、初代水戸光圀の東野英治郎時代から風呂に入っていた。ちなみに、東野黄門時代は、ジュディ・オングがゲスト出演の常連だった。 

放送開始当初、印籠は誰が出すのかが明確化されておらず、印籠を出さない回があれば、みずからの正体を明かさずに場を立ち去るケースもあった。第11部以降は格さんにほぼ固定されたが、過去に印籠を出したことがあるのは、助さん、風車の弥七、霞のお新、うっかり八兵衛などである。  

しかし、徐々に視聴率が落ち、それでも1部作の平均視聴率は20パーセントを越えていたが、第25部からは黄門様の命を狙う凶悪グループが基本的に現れなくなったこと、第26部からフイルム撮影からビデオ撮影に変わったことが響き、平均視聴率は20パーセントを切った。さらに悪役俳優の高齢化及び逝去で後継者といえる役者が台頭しなかったこと、手間隙かけて、その土地の名物に時間をかけ、1回しか使わない神社や神輿に多額の費用をかけていたが、いつしか“量産するだけ”という、質の低い番組となってしまった。  

21世紀に入ると、キャストを大幅に刷新し、放送回数を半年間に固定。4代目水戸光圀役に石坂浩二を迎えたものの、“史実どおりの黄門様”や助さん格さんに年の差がついたことが視聴者には不評だった。特に格さんは助さんを「佐々木さん」と呼ぶことに違和感を持った視聴者も少なくないだろう。第30部では、あわや視聴率がひとケタになりそうだった回がある。  

石坂浩二が病気のため、わずか2部で降板することになり、第31部からは先述した里見浩太朗に交代。第32部で助さん格さんを刷新し、“元通り”となった。また、第37部では風車の弥七が内藤剛志によって復活し、第40部ではうっかり八兵衛を慕う、ちゃっかり八兵衛が登場。「八兵衛」は2代目という位置づけとなった。ちなみに、うっかり八兵衛は第28部で勇退後、第32部のあとに放送した1000回スペシャルと第40部で出演している。  

第36部からはロケを増やし、諸国漫遊の臨場感を出そうとしていたが、鳥取砂丘のシーンは、“ミエミエ”の合成だった。それ以来、「CG」という、時代劇には似合わない“安易”な制作が目立つようになる。このやり方が響いたのか、第39部では初めて視聴率が1ケタを記録する回が発生してしまった。その後、第41部では番組史上初となるワンクール放送となり、打ち切りの可能性があることをにおわすものだった。  

第42部で助さん格さんを6代目に交代。また、由美かおるがレギュラーを外れたため、棒術の楓役に雛形あきこを起用した。6代目の助さんは落ち着きがあり、格さんは落ち着きがないという、今までにないキャラクターだが、視聴者はどう映っただろうか。  

第43部で終了する背景には、視聴率低迷がある。また、里見浩太朗は今年で75歳になる。黄門様には“75歳定年説”というのがあり、東野英治郎、佐野浅夫はそれに該当する(東野は降板を申し出たことによるもの。佐野は番組の刷新に伴い、自動的に勇退)。TBS側にとって、6代目水戸光圀は誰がふさわしいか見当がつかなかったのだろう。また、4代目水戸光圀から身長が170センチ台に入ったため、助さん格さんの選定にも困難な状況だったのかもしれない。  

『水戸黄門』の打ち切りにより、民放からレギュラーの時代劇が姿を消す。第43部は伊勢神宮へ向かうというが、できることなら、1度も渡ったことがない琉球へ足を伸ばして有終の美を飾ってほしい。可能性はないと思われるが……  

私は『水戸黄門・第15部』以来、26年間に渡り見続けてきた。先述したように近年は“つまらない”と思いつつも長年の習慣が抜けず、また好きな番組だからこそ、見続けてきた。『水戸黄門』がなければ、時代劇にハマることはなかっただろうし、私自身が諸国漫遊をすることもなかっただろう(最盛期は週5日時代劇を見ていた)。

★備考

『水戸黄門』ホームページ

歴代の主要出演者一覧
代数/役名水戸光圀部作佐々木助三郎部作渥美格之進部作
初代東野英治郎1~13杉 良太郎1・2横内 正1~8
2代目西村 晃14~21里見浩太朗3~17大和田伸也9~13
3代目佐野浅夫22~28あおい輝彦18~28伊吹吾郎14~28
4代目石坂浩二29・30岸本祐二29~31山田純大29~31
5代目里見浩太朗31~43原田龍二32~41合田雅吏32~41
6代目なし東 幹久42・43的場浩司42・43
代数/役名八兵衛部作風車の弥七部作
初代高橋元太郎2~28中谷一郎1~27
2代目林家三平40~43内藤剛志37~43  

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大関魁皇、1046回目の勝利!! [波瀾万丈伝]

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2011年7月14日(木曜日)、大相撲名古屋場所5日目は大関魁皇が前頭2枚目の旭天鵬を寄り切りで破り、通算1046勝目をあげ、歴代1位の第58代横綱千代の富士(現・九重親方)の記録を平成3年(1991年)夏場所2日目以来、20年ぶりに塗り替えた。

魁皇関は昭和63年(1988年)春場所初土俵。同期には第66代横綱3代目若乃花(当時、若花田)、第65代横綱2代目貴乃花(当時、貴花田)、第64代横綱曙(当時、大海)などがいる。あれから23年たった今、昭和の時代に初土俵を踏んだ現役力士は魁皇関しかいない。

魁皇関は2000年夏場所、小結で初優勝。次の名古屋場所後で大関昇進を果たす。当時、28歳で年齢的には遅いほうだった。これは「大関候補」といわれながら、何度も足踏みをしたからである。

大関昇進後、抜群の強さ、安定感を発揮した。今にして思えば、やや遅い大関昇進は、“万全を期して”なのだろう。また、JR九州は2001年10月6日(土曜日)に「特急〈かいおう〉」を誕生させた。これは言うまでもなく、福岡県直方市出身の英雄、魁皇関が由来で、本人と日本相撲協会の快諾を得た(特急〈かいおう〉は、直方―博多間の運行)。ちなみに、優勝は5回を数え、現役力士では第69代横綱白鵬に次ぐ“多さ”だが、横綱には手が届いていない。

ここ数年、皆勤しても2ケタ勝利に届かず、現役大関を続けている姿勢に批判の声がある。しかし、相撲に対する真摯な取り組み、豪快な上手投げや小手投げ、30代後半でも大関という地位を保っている姿、「地元の九州場所で優勝したい」という大きな目標に、多くのファンは共鳴共感を示した。また、偶然なのか、度重なる不祥事とともに魁皇関への声援と人気がさらに上昇したような気がする。

2010年夏場所千秋楽、大関琴欧洲を破り、第58代横綱千代の富士以来、史上2人目となる通算1000勝を達成。千秋楽は“お祭り”的な日のせいか、NHKのインタビューに応じた。本人は色々な記録に関心がない様子で、燃え尽きるまで現役を続ける姿勢を貫いていた。

2011年初場所後、八百長問題が発生し、春場所を中止。夏場所も中止とする代わりに、技能審査場所を開催。“本場所のようで本場所ではない”という、過去に例のない場所となったが、魁皇関は9勝6敗。特に千秋楽最後の一番となった第69代横綱白鵬戦では、底力を存分に魅せつけた。これにより、通算1044勝となった。私だけではないと思うが、“通算1045・1046勝は本場所で見たい”という大相撲ファンも多かったことだろう。

そして、2011年名古屋場所は初日から3連敗。体調が万全ではない上、記録更新のプレッシャーもあったようだ。あらゆる記録に関心のない魁皇関も、さすがに通算勝利記録更新は気になっていたようである。

7月13日(水曜日)に初日を出して、通算1045勝。そして、7月14(木曜日)、ついに誰にも破られないと思われていた通算1046勝目を達成した(私は少し目が潤んだ)。花道を引き上げる際、女性ファンから花束贈呈があり、魁皇関は受け取った。ちなみに、本場所でファンから花束を渡されるのは、第58代横綱千代の富士が通算1000勝をあげた平成2年(1990年)春場所6日目以来ではないだろうか。

NHKは放送中にインタビューをしたかったようだが、魁皇関は辞退したという。これは“記録のために相撲を取り続けているわけではない”という意思表示や、ここまで2勝3敗と黒星が先行しているため、放送中にインタビューを受けることに納得できなかったのだろう。

「体力衰えても、筋力衰えず」

これは長嶋茂雄さんが巨人の監督を務められていた平成5年(1993年)12月、落合博満選手(現・中日ドラゴンズ監督)がフリーエージェントで移籍した際の入団発表で語っていた言葉だ。これは今の魁皇関に当てはまる言葉だろう。

魁皇関は満身創痍で、万全の状態で相撲をとるのが難しくなってきているという。それでも入念なケアと毎日土俵にあがる姿勢が現役力士魁皇を支えている。第58代横綱千代の富士の1045勝は、「横綱」という常勝が義務づけられている地位での記録だ。33歳の頃に「通算1000勝」という目標を口にしていたし、できる自信があったからこそ達成できた記録だ。

一方、魁皇関の1046勝は意味が違うと思う。先述したが、記録更新のために相撲をとっているわけではなく、“力が続く限り、いつまでも相撲をとりたい”という姿勢が、“たまたま”いくつかの大記録を更新することになった(幕内在位場所、幕内通算勝ち星など。次の秋場所では大関在位単独1位を樹立する予定)。

多くの大相撲ファンは、“今年も九州場所の勇士を見たい”と思っていることだろう。来年40歳になるが、過去に40代の力士はいたものの、“40代の関取”というのは記憶にない(過去に高見山や寺尾が挑戦したものの、39歳で引退)。これもひとつの記録になるのだけど、大相撲ファンはそういうことを気にせず、魁皇関の活躍を楽しみにしたい。

私が願っていることは、日本相撲協会は魁皇関に、大関では異例の一代年寄をプレゼントしてほしい。また、魁皇関は国民栄誉賞や人間国宝に値するのではないだろうか。

魁皇関、不滅の大記録達成、おめでとうございます。

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アタックチャンスは永久に不滅です [波瀾万丈伝]

2011年5月16日(月曜日)12時28分、俳優の児玉清さんが黄泉の国へ旅立った。77歳だった。

児玉さんは3月に「肝機能障害」という理由で、テレビ朝日(実際は関西の朝日放送が制作している)の『パネルクイズアタック25』の司会を休み、療養していたが、まさか胃ガンだとは想像もしていなかった。  

児玉さんの代表作といえば、『パネルクイズアタック25』だろう。そして、70歳を過ぎてから多忙になった印象を持つ。それはお笑い芸人の博多華丸さんが児玉さんのモノマネをしたことがそうさせたと思うし、これが相乗効果となったともいえる。  

児玉さんは「俳優」という肩書きを持つ。役者としての姿は、記憶にある限りだと、2007年秋季に日テレのドラマで、「天国案内人」という“あの世の人間”を演じていたことがある。反町隆史さんが元巨人の選手を演じていたもので、落雷でこの世を去り、あの世へ行ってしまうも、“この世の復帰”を熱望。天国案内人は、完全に死ぬ予定だった会社社長の魂を元巨人の選手に吹き込んだ。しかし、容姿は完全に死ぬ予定の人間のままで、体力も同じ。それでも巨人復帰を夢見て、練習に励み、ついにつかむというストーリーだ。最後は天国案内人が世の中を変えてしまい、元巨人の選手は“死んでいなかった”というハッピーエンドになる。  

バラエティーでは、NHKの旅番組でタカアンドトシらと「児玉トラベル」という旅行代理店を設定。世界の旅を紹介していたのが印象に残る。  

『パネルクイズアタック25』は、昭和50年(1975年)に放送開始して36年になる。その前の時間帯に放送している『新婚さんいらっしゃい!』(こちらも朝日放送の制作)は、『パネルクイズアタック25』よりも早く放送を開始しており、36年間“日曜日お昼のツートップ”として輝かしい歴史を築いてきた。今後も『パネルクイズアタック25』は放送を継続し、代役のアナウンサーを2代目司会者に昇格させる方針ときく。偉大なる児玉さんの後釜になるのは、大きなプレッシャーになると思うが、これからも輝き続ける番組であることを信じたい。  

謹んで、御冥福をお祈りいたします。

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観客動員数374萬人突破!! [波瀾万丈伝]

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毎度、御利用いただきまして、ありがとうございます。

2005年11月11日(金曜日)に開幕したRailway Blogは、2011年5月14日(土曜日)に観客動員数374萬人を突破しました。どうもありがとうございます。


◆「2009年の汽車旅4」シリーズ一覧

・2009年の汽車旅4-1
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-01-07

・2009年の汽車旅4-2
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-01-13

・2009年の汽車旅4-3
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-01-17

・2009年の汽車旅4-4
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-01

・2009年の汽車旅4-5
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-06

・2009年の汽車旅4-6
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-10

・2009年の汽車旅4-7
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-11

・2009年の汽車旅4-8
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-13

・2009年の汽車旅4-9
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-16

・2009年の汽車旅4-10
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-04-23

・2009年の汽車旅4-11(四国の鉄道完全制覇達成!!) 
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-04-30

・2009年の汽車旅4-12
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-04-26

・2009年の汽車旅4-13
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-04-29

・2009年の汽車旅4-14(特急〈はまかぜ〉キハ181系フォーエヴァー)
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-02

・2009年の汽車旅4-最終回
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-08

◆2011年5月6日(金曜日)から5月12日(木曜日)までのmixi日記

■5月6日(金曜日)
液晶テレビAQUOS

2005年6月25日(土曜日)、ブラウン管14型テレビがブッ壊れてしまいました。2002年から調子がおかしく、よく3年持ったものですが、おかげで『SPORTSうるぐす』は、急きょ、録画をするハメになりました。 

翌日、テレビをつけても画面は“地平線状態”だったため、前倒し購入するハメになりました。この週末は老朽取り替えのため、クツとズボンの購入が決まっており、余計な出費とあいなりました。

「ブラウン管の14型と液晶の13型は変わりませんよ」

店員の説明でSHARPのAQUOS13V型を即決購入!! すぐさま自宅へ持ち帰りィー。

意外とカンタンに取りつけることができ、さっそく『真相報道バンキシャ!』を見たら、キレイな映りでした。13型でありながら、音声多重なのもベリーベリーグット!!  

巨人の敗北を確信したあとは市販のDVDソフトを見ました。“ステレオ音声で最初に見るDVDはコレだ!!”と心に決めていたからですが、ブラウン管より綺麗に鮮明に映っていて、嬉しい限りです。

新聞発表によると、液晶テレビ普及率は高く、今やブラウン管を持っているところは減少し、立場が逆転したそうです。DVDも完全に市民権をえているので、21世紀であることを実感しますね。  

※本日のRailway Blogは、
こちらです

■5月6日(金曜日)
液晶テレビの喜び


前回の続きですが、いやぁー、液晶テレビはイイもんですねぇー。映りはよく、文字がクッキリハッキリ見えるし。そして、ステレオ音声で聴けるので、迫力がありますね。今まで聞こえてこなかった音が聞こえるのは新鮮です(今まで14型モノラル音声だったから)。 

実は調子の悪さが顕著になった頃、テレビ選びに悩んでいました。ブラウン管20型音声多重は2萬で買えますが、寿命は10年ほどであることや、2011年に地上波デジタル放送化が完了することもあり、20年寿命や地上波デジタル放送対応に加え、小さくても音声多重などから、今、ハヤリの液晶テレビに決め、3萬8,110円で購入しました。  

そういえば、AQUOSの技術は携帯電話にも応用され、ドコモではSH901i・SH901iSで、液晶画面は鮮やか(チラッと見ただけだが……)。また、N901iSも自社のパソコンに使われているシャインビュー液晶を応用しているため、鮮やかではヒケをとらないようです。  

※本日のRailway Blogは、
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■5月6日(金曜日)
東京事変?!

2005年6月29日(水曜日)、久しぶりに秋葉原を歩いてみました。

JR線秋葉原駅電気街口の反対側は、以前、大変不便でした。

なぜならば、山手線・京浜東北線を利用するには、エスカレーターを登って、総武線ホームを経由しなければならず、ひどいときは人ごみの中を歩かなければなりませんでした。

久しぶりに利用したら、エスカレーターを下りることになるものの、ダイレクト化され、混雑が緩和されるでしょう。 改良の背景には、つくばエクスプレスの開業がからんでいるようで、連絡改札を設けるようです。近辺にヨドバシカメラが建っており、9月に開店する予定。ロケット電気が打撃を食いそうですね。 大きく変わったのは秋葉原だけではありません。

東京駅八重洲口のさくらやは4日間、改装工事で休業し、2005年6月29日(水曜日)に新装開店しました。 

驚いたのはケータイコーナーが充実していたことで、カウンターのうしろは在庫の山で、品切れさせない姿勢が出ているのがいいですね(auが多いような気がした)。また、品物も豊富になり、お店の照明はコンビニなみに白くなりました。 この日はよく買うDVD-Rの位置を確認しただけでしたが、店員は熱心にセールを行なっていました。

★備考

①さくらやは2010年で全店舗閉店しています。

②表題の「東京事変?!」は、適当につけたもので、特に大きな意味、深い意味はありません。

③岸田法眼のRailway Blog.
「観客動員数284日連続1日4ケタで、102萬人突破」 

④岸田法眼のRailway Blog.
「観客動員数211萬人突破!!」 

⑤岸田法眼のRailway Blog.
「観客動員数216萬人突破!!」 

※本日のRailway Blogは、
こちらです

■5月7日(土曜日)
はじめてのファックス買い替え
 

2011年5月6日(金曜日)、秋葉原のヨドバシカメラでファックスを購入した。  

親元から独立した当初は、PHS(のちに携帯電話へ)でしのいでいたが、2001年に固定電話回線を引き、併せてファックスつきの電話を導入した。  

しかし、ファックスは“メーワクファックス”が多く、1回だけ店の営業成績を誤って送信する業者もあったが、私がファックスしたのは、年に数回程度。やがてファックスの感熱紙を切らしてしまい、ファックスは“送信専用”と化していた。いまやメールでやり取りするのが当たり前になっているだけにファックスの使用頻度は少ない。  

数年前、子機が使えなくなり、新機種導入を検討してきた。電気屋に行くと、現在のファックスは普通紙印刷で、選択印刷も可能になっており、利便性が大幅に向上した。また、タッチパネル画面による手書きやSDカード使用だと“紙なしファックス”ができるという。さらに非通知、公衆電話等の着信拒否もできるほど進化していた(私は基本的に非通知着信の電話には出ない)。  

予算を少しオーバーしたが、それでも多機能の携帯電話より大幅に安い値段でファックスを購入。帰宅後、早速取り替えた(旧機種は廃棄せず、予備用に確保)。以前の機種はB4サイズまでファックスが可能だったが、今回のものはA4サイズまでのため、少しスリムになった。お勤めの方ならおわかりだと思うが、コピー用紙等はA4使用が中心なので、“標準的なファックス”といったところだろう。  

※本日のRailway Blogは、
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■5月11日(水曜日)
諸国漫遊ダイジェスト2003夏編②


2003年8月13日(水曜日)朝、夜汽車は高知に着きました。

休憩後、曇り空の土佐湾を眺めながら、宿毛へ。 宿毛は『釣りバカ日誌15』のポスターがあり、高知県でロケをしたとか。 後免で昼食をとり、少々晴れた土佐湾を眺めながら、阪神タイガースキャンプ地の安芸を越えて、奈半利へ。

奈半利郵便局で旅行貯金し、高知市内に戻りました。 桟橋通5丁目は“高知の都会”と言えるところで、街はにぎやかです。

高知駅から徒歩3分17秒のところにある高知中央郵便局で旅行貯金。高知駅のKioskで『一本釣、漁師のお弁当 土佐のかつおごはん(500円)』を購入し、特急の車中で食しました。この日は高松泊まりです。

★備考

①岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅6-2」 

②岸田法眼のRailway Blog.
「さすらいの諸国漫遊記48-3日目」 

※本日のRailway Blogは、
こちらです

■5月11日(水曜日)
携帯電話内臓の辞書機能


2005年7月7日(木曜日・七夕)、最近、携帯電話をN901iSに機種変更をしました(と言っても、FOMAなので、“増設”が正しい表現でしょう)。

驚くのはケータイに辞書機能がついたことで、辞書やサイト辞書にも載っていない語句の意味を解明できるのは、スグレモノですね。  その例は下を見てくださいね。  

へえー【へえー】 
①〔相づち〕Dear me!;Indeed!②〔驚き〕Oh!;Oh, no!③〔何だって〕What!


※本日のRailway Blogは、
こちらです

■5月12日(木曜日)
auは英雄?! ミレナリオは今季限り?!

2005年7月14日(木曜日)、auも2006年1月から始まる予定の“モバイルSuica”に参入するそうで、先日、JR東日本と業務提携を組んだそうです(そのうち、ボーダフォンも組む予定)。対応機種は秋以降になる模様です。

いよいよ、携帯電話も“戦国時代”に突入するようですね。 さて、東京ミレナリオは2005年12月24日(土曜日・クリスマスイブ)から2006年1月1日(日曜日・元旦)まで開催されますが、東京駅改築工事のため、今回を持って“ロングバケーション”になるそうです。個人的に東京ミレナリオは神戸ルミナリエに比べると、イマイチです。

なぜならば、東京ミレナリオは途中で“日常の世界に戻される”からで、大いなる不満です。


★備考  

現在、ボーダフォンは、ソフトバンクに変わっています。

■5月12日(木曜日)
諸国漫遊ダイジェスト2003夏編③


2003年8月14日(木曜日)、雨降りしきる高松のインターネットカフェを出て、阿波池田へ。初めて徳島県に足を踏み入れました。残るは琉球だけです。

「池高、池高、おぉーおぉー、我らが池高(だったと思う)」

激しさを増した雨の中、まっさきに向かったのは池田高校。20年ほど前は“やまびこ打線”で、名をはせましたが、今は……

山間部のせいか、8月だというのに長袖を着ても肌寒く、私は甲浦へ。雨は相変わらず、激しく、クツはビショヌレ。諸国漫遊史上、最大の雨でしょうね。 それもそのはず、降水確率は70%だからです。



甲浦郵便局で旅行貯金。近くには川があり、コイを放流している模様。 甲浦某所で雨宿りをすると、アメリカ人軍団がやって来ました。キャンプをはっていたようです。



海部郵便局で旅行貯金後、徳島へ。この日の阿波踊りは雨天中止となったのは残念ですが、徳島ターミナルビル内郵便局で旅行貯金ができました。

徳島ターミナルビル内で食事中、JR四国の阿波踊り軍団が乱入し、お店は営業になりません。だけど、楽しそうでした。 高松に戻り、この日は宿へ。経営者は女性中心で、かなりのコストパフォーマンスらしいとは知っていましたが、その徹底ぶり(キーを差し込まないと電気はつかず、冷蔵庫の中は何もなし)に驚きました。

★備考

①岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅6-3(JR四国完全制覇達成!!)」 

②岸田法眼のRailway Blog.「さすらいの諸国漫遊記48-4日目」 

■5月12日(木曜日)
ラサール石井の発言が影響?


●浅田真央&高橋大輔 4月の世界選手権前に真剣交際開始
(mixiニュースより)


ラサール石井が暴言を吐いたら、こんな記事が出ちゃったのかな? いずれにせよ、ラサール石井の暴言は、“余計なお世話”ということでしょうか。


◆観客動員数371萬人から374萬人までのあしあと

・2011年5月5日(木曜日・こどもの日)…371萬1000人突破

・2011年5月5日(木曜日・こどもの日)…371萬2000人突破

・2011年5月5日(木曜日・こどもの日)…371萬3000人突破

・2011年5月6日(金曜日)…371萬4000人突破

・2011年5月6日(金曜日)…371萬5000人突破

・2011年5月6日(金曜日)…371萬6000人突破

・2011年5月7日(土曜日)…371萬7000人突破

・2011年5月7日(土曜日)…371萬8000人突破

・2011年5月7日(土曜日)…371萬9000人突破

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・2011年5月8日(日曜日)…372萬人突破!!

・2011年5月8日(日曜日)…372萬1000人突破

・2011年5月8日(日曜日)…372萬2000人突破

・2011年5月9日(月曜日)…372萬3000人突破

・2011年5月9日(月曜日)…372萬4000人突破

・2011年5月9日(月曜日)…372萬5000人突破

・2011年5月10日(火曜日)…372萬6000人突破

・2011年5月10日(火曜日)…372萬7000人突破

・2011年5月10日(火曜日)…372萬8000人突破

・2011年5月11日(水曜日)…372萬9000人突破

・2011年5月11日(水曜日)…373萬人突破!!

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・2011年5月11日(水曜日)…373萬1000人突破

・2011年5月12日(木曜日)…373萬2000人突破

・2011年5月12日(木曜日)…373萬3000人突破

・2011年5月12日(木曜日)…373萬4000人突破

・2011年5月13日(金曜日)…373萬5000人突破

・2011年5月13日(金曜日)…373萬6000人突破

・2011年5月13日(金曜日)…373萬7000人突破

・2011年5月14日(土曜日)…373萬8000人突破

・2011年5月14日(土曜日)…373萬9000人突破

・2011年5月14日(土曜日)…374萬人突破!!

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自殺は訃報にあらず、お悔やみにあらず、冥福にあらず、追悼にあらず [波瀾万丈伝]

2011年5月12日(木曜日)、鹿児島県種子島出身のタレント、上原美優がこの世を去った。24歳という若さだが、自殺の可能性が高いという。気になるのは、午前2時頃という、「常識的」とはいえない時間帯に男性が上原の自宅を訪れたことだが、ここでは触れない。  

このタレントさんは、10人兄弟の末っ子という大家族で、それをウリにしていた。バラエティー番組などで活躍し、最近もテレビ番組の収録に参加していたという。  

首つり自殺が濃厚といえるが、気になるのは「御冥福をお祈りします」や「天国に行きました」という言葉を綴っている人が多いことだ。ショックを受けるのはわかるけど、「死」という言葉の捕らえ方を間違っているように思えてならない。  

自殺というのは、多くの人々を裏切る行為だ。家族、友人、ファン、マンションの管理人や不動産会社、所属事務所など、いえばキリがない。特に所属事務所の場合、企業イメージにかかわり、信用を落としかねない。すべての事務所にとって、「芸能人」というのは商品である。

病死や事故死、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で亡くなられた人は「不慮の死」である。この震災は津波に飲まれて命を絶たれてしまった人が多く、彼女はそれを知っているわけでしょ。そういうつらい報道を見てきたわけでしょ。なぜ、俳優の田中実もそうだけど、みずから誤った道を選択しなければならないの? 

人の死の多くは、志半ばであの世に行かなければならないことが多いのだ。「人の死」というのは、一番納得いかない現実、理解できない現実である。また、「天国」というのは、自殺以外で亡くなられた方への言葉である。自殺というのは死んだ側、遺族等の側も「地獄」なのだ。

芸能人の死というのは、病死などで人生を全うした方には追悼番組が放送され、葬儀も密葬以外は大きな葬儀場などで行なわれることが多い。しかし、自殺というのはニュースで放送されるのみ。一般紙も大きく取り上げることはない(大きく取り上げるのは、週刊誌ぐらいだろうか)。つまり、自殺というのは、これまで積み重ねてきたものが一気に崩れ去ってしまうのだ。自殺をすると、信用がないも同然なのだ。死んでも輝かないんだよ。

以前にも述べたが、「自殺は犯罪」というふうにしないと、これからも「年間3万人台」ペースになるだろう。自殺は減らすのではなく、撲滅させなければならない。また、自殺はモノを粗末にするも同然の行為なのだから、「訃報」、「喪」、「冥福」、「追悼」にあたらない。自殺で死んだことに納得や同情をしてはいけない。自殺した人には「バカヤロー」って怒鳴れよ。それが自殺した人間にかける、はなむけの言葉であり、友情や愛情の正しい表現ではないだろうか。

★備考

①岸田法眼のRailway Blog.「12月25日」 

②岸田法眼のRailway Blog.
「自殺」 

③岸田法眼のRailway Blog.
「死」
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ちゅらさんの母 [波瀾万丈伝]

2011年4月21日(木曜日)19時04分、元キャンディーズで女優の田中好子さんが乳がんで亡くなった。55歳という若さだった。まさか平成4年(1992年)に乳がんにかかっているとは想像もしていなかった。

キャンディーズというのは、「普通の女の子に戻りたい」というセリフしか知らず、田中さんは女優やそうめんのCMの顔というイメージが強い。特に『ちゅらさん』の母親役はハマリ役で、亭主の古波蔵恵文にハッパをかけつつ、持ち上げた。もう『ちゅらさん5』を制作することはないだろう。おそらく、古波蔵恵文やおばぁーとともに那覇の自宅でのんびり過ごし、えりぃーと文也君、和也君は小浜島で仲むつまじい暮らしをして、元気であることを信じたい。

この『ちゅらさん』で、国仲涼子さんが全国的知名度を得た。国仲さんは田中さんを“東京の母”と慕い、プライベートでも交流を深めていたという。昨年、フジテレビで国仲さんとともに尾瀬を1泊2日で歩く紀行番組(関東地区のみ放送)が放送され、“えりぃーとお母さん”の仲むつまじい様子が印象に残る。ただ、DVDに残せなかったのが悔やまれる。

昨年夏、三幸のCMで松平健さんらと共演したのが最後の姿となった(Twitterでは気が動転して、尾瀬紀行と記してしまった)。今年の三幸のCMでは、松平さんの妻役を原日出子さんに変わっていたのが気になっていたが、まさか病気だとは……  

あまりにも突然の出来事に動揺し、呆然としている人が多いと思う。そして、世の中っていうのは本当に残酷だなと改めて思う。神よ、どうして日本は残酷なメにあわなきゃいけないのですか? 誰もが幸福で長生きできる世の中にしてくれないのですか? 私は問いたい、叫びたい、訴えたい。  

謹んで御冥福をお祈りいたします。

※今回の記事は「nice!」の設定を取りやめさせていただきます。

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私は元気です [波瀾万丈伝]

御存知の通り、本日14時45分、大きな地震がありました。

その時間、私は都心にいました。歩いていても激しい揺れを感じ、立ち並ぶビルには、逃げるかのように駆け込む人が多数おり、それに従うかの如く、近くの公園に避難しました。

公園には多くの人々が、地震がおさまるのを待ちました。恐怖におびえる人も多く、私も平衡感覚を失うほどの衝撃を受けました。

現在も東北地方などで断続的な地震が発生しています。私は当日中に帰宅できそうもありません。 夜の街を歩くと、一部店舗は早々に店じまい、コンビニは陳列棚が空になっている売り場が多く、道路は渋滞、歩道は人であふれています。

被災者の皆様、心よりお見舞い申し上げます。

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あれから17年 [波瀾万丈伝]

平成5年(1993年)12月25日(土曜日)12時47分、逸見政孝さんがどこかへ旅立ってから17年がたった。今でもこの日になると、あの日が鮮明に蘇る。  

17年たつと、当たり前のことだが、人間誰もが年齢を重ねる。平成11年(1999年)1月にジャイアント馬場さん、2009年8月に山城新伍さん、そして今年10月に逸見晴恵さんが逸見政孝さんを追いかけるかの如く、旅立った。考えたくないが、これから先、逸見さんを応援、理解する芸能人たちが本当にいなくなってしまう厳しい現実を目の当たりにしなければならない日がやって来る。今年も著名高名な有名人が天に召され、これからの人生は、いつもつらいことを乗り越えなければならず、覚悟をしなければならないだろう。

もちろん、逸見さんを応援、理解する芸能人の皆様には、逸見さん以上に長生きされることを心から願ってやまないが、生きている限り、終わりが来るというのは、残念ながら永遠の命を誰かが開発しない限り、“その説”がひっくり返ることはない。  

今秋、TBSのドキュメンタリー番組で、久しぶりに逸見さんの御尊顔を拝した。あれから17年がたち、テレビはアナログから地デジへの完全移行が近づきつつあるが、VTRを見て、鮮明に覚えている1日にアナログやデジタルを超越した雰囲気を感じた。また、逸見さんの鋭い眼光は、長男の逸見太郎さん、長女の逸見愛さんにもしっかり受け継がれており、“親の血”というものを感じた。彼らは逸見さんと同じ芸能界に飛び込んだが、“親の七光り”に頼ることなく、みずからの実力で仕事に打ち込んでいる(逸見さんは三木プロダクションに所属していたが、御子息たちは別々の事務所に所属している)。2人とも海外留学を経験しており、TBSのドキュメンタリー番組を見て、ある歌舞伎役者よりもたくましく映った。  

一生忘れることがない12月25日。来年も「あれから18年」と題し、同じようなことを書くのかもしれない。私にできることは、“世の中が理不尽であることを初めて味わった日”を後世に伝え、風化させないことだけである。できることなら、人気司会者として芸能界に君臨できればいいが、すぐに活躍できるほど甘い世界ではない。どんな職業にも“下地”がなければ、君臨できないのだから。

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10か月ぶりの本場所黒星 [波瀾万丈伝]

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2010年11月15日(月曜日)、大相撲九州場所2日目結びの一番で、第69代横綱白鵬は、前頭筆頭の稀勢の里に敗れ、初場所14日目から続いた連勝記録は63でストップ!! それと同時に「2年連続年間86勝4敗」という、不滅の大記録樹立とはならなかった(ただし、秋場所中に年間最多勝が決定している)。なお、63連勝は第4代横綱2代目谷風に並ぶ史上2位タイである。

ちなみに取組が終了した直後、NHKは大相撲中継が続いているにもかかわらず、連勝記録がストップしたことを伝えるニュース速報を流した。  

今場所は7日目に69連勝を達成すれば、第35代横綱双葉山に並び、8日目に70連勝をすると史上1位記録を更新する“予定”だった。しかし、偉大な第35代横綱双葉山の優勝回数を越えることはあっても、連勝記録に追いつき追い越すことはできなかった。  

この日、NHK総合テレビでは吉田賢アナウンサーが実況していたが、第48代横綱大鵬の45連勝、第35代横綱双葉山の69連勝がそれぞれストップした本場所は、いずれも序盤戦であることを視聴者に伝えていた。白鵬ファンにとっては嫌味に聞こえたかもしれないが、その声は稀勢の里に届いたのだろうか?  

立合いで先に手を下ろしたのは第69代横綱白鵬だった。いつもならば対戦相手が先に手を下ろすものだが、“あれーっ?”という感じだった。そのとき、私は昭和63年(1988年)大相撲九州場所千秋楽の第58代横綱千代の富士―第62代横綱大乃国戦を思い出した。この一番で千代の富士の連勝は53でストップしたわけだが、立合いは大乃国が先に手をつかず、ひと呼吸おいていた。  

この“奇策”により、第69代横綱白鵬は稀勢の里にスキを与えてしまい、まさかの黒星を喫し、吉田アナウンサーが紹介したデータどおりの展開となったのである。  

稀勢の里は幕下時代から“横綱候補”と注目を集め、18歳で関取に昇進した。しかし、成績が不安定で大関に手が届かない状態が続き、あとから台頭を表した日馬富士や把瑠都に先を越されてしまった。それでも稀勢の里は“連勝ストッパー”の候補にあがっており、善戦したものの第69代横綱白鵬はベルリンの壁なみに厚かった。  

そしてこの日、ついに不知火の大横綱、白鵬を破った。勝ち越せば殊勲賞は確実だろうし、日本人力士の奮起を熱望する相撲ファンにとっては、2011年大相撲春場所後に大関へ昇進し、第70代横綱を目指す青写真を描くに違いない。稀勢の里に対する期待は大きいのである。私は個人的に「稀勢の里」という四股名は力強さに欠けているような印象がある。ギャグに聞こえるかもしれないが、“師匠の第59代横綱隆の里にあやかって、「隆乃花」に改名したほうがいい”と、いつも思っている。  

第69代横綱白鵬の連勝記録は63でストップした。しかし、明日から新たな大連勝記録が始まる可能性も考えられ、69連勝を超えるかもしれない。また、今日の負けをきっかけに、明日から夏場所千秋楽以来となる黄金の締め込みに変えて土俵にあがるかもしれない。  

気になるのは、ここ数年の九州場所は空席が目立つこと。第58代横綱千代の富士が53連勝をした頃は、連日満員御礼だったのになぁー。ここ数年の九州場所、いや、角界は大関魁皇が“大黒柱”という印象を受ける。幕内の取組で1番拍手と歓声が多いのは魁皇で、第58代横綱千代の富士が樹立した通算1045勝を超えるかどうか注目したい。

★備考

①鉄道ブログ『モハよう de キハキハ』「駅弁写真の投稿を募集中!」(「ps.」参照) 

②岸田法眼のRailway Blog.
「Railway Blog 6000nice!突破記念スペシャル!! 第69代横綱白鵬54連勝!!」 
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逸見政孝さんのあとを追う奥様と名医 [波瀾万丈伝]

2010年10月21日(木曜日)、人気司会者として一時代を築いた逸見政孝さんの妻、晴恵さんが肺胞蛋白症のため、61歳の若さで旅立った。あの悪夢の日から17年、「早過ぎる」という言葉しか出てこない。

実は本日知ったが、本年8月17日(火曜日)に逸見政孝さん3回目のガン手術を執刀した羽生富士夫東京女子医科大名誉教授が、79歳で天に召されていた。

逸見さんのガン手術は先述したように3回行なわれており、1・2回目は別の病院で行なわれていたが、再発してしまった。これを重く見た晴恵さんは、別の病院で診てもらうことを勧めるが、逸見さんは拒んだ。そして、水面下で、三木プロダクションの三木治社長は、“ガンに勝てる病院”を探し、東京女子医大病院を見つけた。羽生氏はガン手術の名医であることは、晴恵さんやほかの著書でも書かれている。

平成5年(1993年)9月6日(月曜日)、逸見さんは衝撃の記者会見を行なったあと、3回目の手術が行なわれた。13時間にも及ぶ壮絶なものだった。しかし、ガンはまたも再発し、手の施しようがなかった(スキルスという最悪なものだった)。そして、12月25日(土曜日)12時47分、逸見さんは多数のレギュラー番組を抱えたまま旅立ってしまった。

“いっつみぃ信者”である私は、今もあの日が忘れられない。今も「平成5年(1993年)12月25日(土曜日)」は鮮明に覚えている。そのせいか、クリスマスイベントは原則不参加の方針をとり、毎年12月25日は逸見さんをしのんでいるが、今も“黄泉の国へ旅立った”という現実が受け止められずにいる。  

逸見家は一家の大黒柱を失い、晴恵さんはエッセイストとしての道を開拓し、長男と長女は芸能界に飛び込んだ。しかし、平成6年(1994年)に晴恵さんは子宮頸がんにかかってしまう。さいわい、手術で治したものの、その後、骨髄異形成症候群にかかり、最期まで苦しめられてしまう。

今の60代は、「定年」ということに変わりはないものの、“まだまだ働き盛り”の印象がある。こんなに早く逸見さんのあとを追いかけるとは、残念である。

私はあの日を境に、生きることの怖さを知ると同時に、“48歳で亡くなるんじゃないか?”という十字架を抱えるようになった。人間、誰もが死ぬことへの怖さ、不安を抱えていると思うが、30歳を過ぎると、“カウントダウン”というものを考える日が多くなった。幸運にも私は「ライター」という立場に就いているが、遠い将来は“生前の姿”を遺すことになるだろう(それが目的でライターをやっているわけではない)。

今は忙しくて本を読む時間が取れない状況だが、落ち着いたら、御夫妻の著書を読み返したい。

謹んで、御冥福をお祈りいたします。


★備考

①岸田法眼のRailway Blog.「逸見政孝さん生誕の地、大阪市交通局御堂筋線西田辺駅」 

②岸田法眼のRailway Blog.
「12月25日」 

③岸田法眼のRailway Blog.
「地方出身者」 

④岸田法眼のRailway Blog.
「死」

⑤岸田法眼のRailway Blog.「観客動員数204萬人突破!!」 

⑥岸田法眼のRailway Blog.「現職コーチ、突然の別れ」
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観客動員数304萬人突破!! [波瀾万丈伝]

観客動員数304萬人突破!!.JPG

毎度、御利用いただきまして、ありがとうございます。

2005年11月11日(金曜日)に開幕したRailway Blogは、2010年10月22日(金曜日)に観客動員数304萬人を突破しました。どうもありがとうございます。

◆ここまでの「2009年の汽車旅4」シリーズ

・2009年の汽車旅4-1
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-01-07

・2009年の汽車旅4-2
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-01-13

・2009年の汽車旅4-3
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-01-17

・2009年の汽車旅4-4
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-01

・2009年の汽車旅4-5
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-06

・2009年の汽車旅4-6
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-10

・2009年の汽車旅4-7
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-11

・2009年の汽車旅4-8
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-13

・2009年の汽車旅4-9
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-16

・2009年の汽車旅4-10
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-04-23

・2009年の汽車旅4-11(四国の鉄道完全制覇達成!!) 
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-04-30

昨年夏の旅ですが、大幅に遅れており、“回復運転”も不可能な状況です。最後まで、お付き合いいただければ、さいわいです。

◆2010年10月11日(月曜日・体育の日)から、10月19日(火曜日)までのmixi日記

■10月11日(月曜日・体育の日)
39年ぶりの組み合わせ  

本日、『水戸黄門・第42部』がスタートする。今回はメンバーが大幅に入れ替わり、6代目助さんに東幹久、6代目格さんに的場浩司をそれぞれ迎えたが、「あれっ?」と思う視聴者は、どのくらいいるのだろうか? 念のため言っておきますが、メンバーが変わったということではありません。  

それは発表直後から気になっていたのだが、“身長は東幹久が的場浩司より上回っているのに、なぜ助さん?”ということだ。『水戸黄門』主要3人の身長は、低い順から黄門様、助さん、格さんというのが“基本”になっている。  

局側はやたらと「原点」と言っており、言葉の意味がよくわからなかったが、先日、番組ホームページを見て、謎が解けた。  

それは第42部第1話のサブタイトルは、「お前は助さん俺は格さん」であること。昭和44年(1969年)8月4日(月曜日)に放送された第1部第1話は「俺は助さんお前は格さん」で、「原点」の意味がキャスティングにも表れている。  

初代助さんは杉良太郎、初代格さんは横内正なのは御存知の通りだが、身長は前者のほうが高い。しかし、杉良太郎は第2部で降板し、第3部から第17部まで2代目助さんとして、里見浩太朗が務めた。つまり、第3部で助さんと格さんの身長が逆転したのである。以来、5代目まで“格さんが高い”のが当たり前になっていたわけだ。ちなみに水戸光圀の初代と2代目は身長160センチ未満、3代目は160センチ台、4・5代目は170センチ台と伸びている。このため、助さん格さんの選定に苦慮しているのかもしれない。  

第42部初回のサブタイトルを見ると、第1部第1話をややリメークしたような内容になり、しばらくは助さん格さんがぎこちなく見えるのかもしれない(「ぎこちなく演じる」と言ったほうが正しいかもしれない)。局側にとっても、かつての国民的看板番組が視聴率1ケタ続きに危機感を表し、「原点」という言葉を口にしているのだろう。

何度も言っていることだが、今の番組内容に重厚さがなく、勧善懲悪だけに徹し、“ガンコ職人”や現場が出てこない。不況で制作費がかけられないこともあるだろうが、時代劇衰退の要因は、安直な正義だけを描いているスタッフさんにもあるのではないだろうか。初代・2代目水戸光圀の再放送を見ると、その差が歴然としている。近年は火事場のシーンにCGを使っており、映像とマッチしていない。“わざとらしい映像”が視聴者にウケないのだ。昔は撮影現場で本当に火が燃えていたから、“命がけの撮影”であることが視聴者に伝わっていたし、黄門様の身の安全を心配しながらテレビを見ていたものだ。

今夜19時、『水戸黄門・第42部』で、10月3連休を締めくくりましょう。


★備考

『水戸黄門』ホームページ 

■10月12日(火曜日)
『水戸黄門』を卒業した由美かおる  

2010年10月11日(月曜日・体育の日)放送の『水戸黄門・第42部』で、由美かおるは、第16部から24年にわたるレギュラー出演に幕を下ろした(第14部まではゲスト出演の常連だった)。番組ホームページでは、第41部で卒業という案内が出されていたが、その最終回を見て、“中途半端な終わり方では、納得いかない視聴者が多いのではないか?”と思ったところ、第42部も出演することになったのだ。  

クノイチということもあり、“「殉職」という終わり方は避けてほしい”と願っていたが、妻に先立たれた江戸の商人に見初められ、後妻として、嫁入りすることになったのである。これはめでたい。  

しかし、高松藩にイヤな空気が流れている情報が入ったため、御老公は急きょ旅立つことになり、お娟の嫁入りを見ることができなかった。  

さて、第42部第1回は、第1部第1回と異なる点が多かった。第42部では格さんが助さんと再会していたが、第1部はすでに親友である。また、第42部では、助さんが町人の姿に身を変えて旅をすることを御老公に提案していたが、第1部では御老公の意向によるものだ(初代水戸光圀は、なぜか町人の髪型ではなく、侍で通した)。ちなみに第1~3部は、御老公のヒゲがいささか雑で、まるで仙人を彷彿させるものだった。今のようにキリリと整ったのは第4部からである。  

印籠について、第42部では御老公が格さんに託したが、第1部は印籠については深く考えていなかった。このため、印籠を見せず、口頭で悪人をびびらせる回があった。おまけに身分も明かさず、その地を去ったこともある。  

第9部までは、印籠を出す人に明確な決まりがなく、助さん、格さんを中心に、霞のお新、うっかり八兵衛も“大役”を務めた。私の記憶が確かならば、格さんに固定されたのは、第10部以降である(その後、御老公が初代風車の弥七に託したこともある)。  

「原点」とは異なる部分が多いものの、息がピッタリ合っているようだし、第42部は半年放送の見込みである。

私は第15部から見ているが、 “ゲッパチの『水戸黄門』”を毎週楽しみにしているのは、25年間変わらない。

■10月14日(木曜日・鉄道の日)
今日は鉄道の日ということで

本日、千代田線でE233系2000番代第2編成を見ました。これから203系の廃車が加速するのかな? 近い将来、首都圏で国鉄サイリスタチョッパ制御の走行音が聴けなくなるのはさびしいなぁー。もうすぐ中央線から201系が姿消しちゃうし(涙の数だけ悲しくなるので、見に行かれる方はハンカチの御用意を)。

※その後、E233系2000番代は第4編成を確認しました。


■10月16日(土曜日)
関西の鉄道作家

2010年10月5日(火曜日)18時10分頃、JR東日本神田へ。数日前、ある関西在住の人が“打ち合わせのため上京するので、お目にかかりたい”という連絡をいただいた。少し迷った末、了解する返事を出したが、“どういう人なんだろう?”という不安が強かった。“後悔しなきゃいいな”と思いつつ、神田へ向かったのである。

18時30分、ケータイのバイブがシャツのポケットに響く。通話ボタンを押すと、関西在住の人からだ。みどりの窓口付近にいるということで、確認すると、それらしき人を発見した。その方は鉄道作家、西本裕隆さんである。

軽くごあいさつして、適当に歩く。するとカープびいきのお好み焼き屋とドラゴンズびいきの居酒屋を見つけ、私は前者を選ぶ。ちなみに西本さんは、“アンチタイガース”だとか。関西はタイガースファンが主流なので、衝撃を受けたが、“話が合うかもしれないな”と思うようになる。

注文後、名刺交換。手の感触で即座にわかったが、西本さんの名刺はパソコンによる“お手製”だ。 西本さんは年に数回上京しているという。この日は大阪4時58分発の各駅停車京都行きに乗り、在来線乗り継ぎというハードな移動だった。本人によると、打ち合わせ先の出版社では交通費が支給されるものの、新幹線代までは負担してくれないという。ちなみに私は打ち合わせで、交通費を支給していただいた出版社は、1社しかない。

食後、神田駅前のスタバへ移動。2階はトレインビューで、まるでスクリーンのような窓に衝撃を受け、興奮する。中央線が御茶ノ水に向けて発車してゆく姿は映画のワンシーンを見ているかのようだ。ただし、201系の姿はなかったが……

スタバでは、じっくり語り合い、20時過ぎに神田駅で解散。出会えてよかった。2年前から色々な人に出会っているが、ほとんどは敬愛する吉田一紀さんの御紹介によるもので、今回のようなケースはめったにない。

■10月19日(火曜日)
金貨5枚伝説


2010年10月18日(月曜日)、『関口宏の東京フレンドパークⅡ』に『水戸黄門』一行が出演した。私の記憶が確かならば、『水戸黄門』一行は2003年以来、3回目になる。  

最初に出演したのは1994年で、このときは90分スペシャル。それ以後は通常の放送枠だが、過去2回の出演はいずれもグランドスラムを達成している。視聴者側としては、“3連覇”に注目したい。  

ところが、しょっぱなのゲームで金貨獲得ならずで、早くも“連勝”と“3連覇の夢”が途絶えてしまった。しかし、3つ目のアトラクションで金貨2枚獲得し、4勝1敗で終えた。グランドスラムにはならなかったが、金貨は5枚。金貨だけは国民的長寿番組の伝統(?)を守った。  

そのあとのビッグチャレンジでは、細いゾーンに矢が2回刺さり、いずれもたわし。3回はハズレで、賞品を獲得することができなかった。  

過去2回は番組の衣装で出演していたが、今回は“現代服”での出演。これがいけなかったのかどうかはさておき、アトラクションをことごとくクリアするということは、出演者は体力があるということ。やはり、正義の味方ゆえの宿命だろうか。  

さて、昨日の第42部は相撲がテーマのため、元幕内力士の大至が大関江戸錦役で出演(江戸時代、相撲の最高位は大関である)。番組ホームページでは「悪役」としての出演なので、今の角界を象徴しているのかもしれない。  

無愛想で性悪の力士役だったが、大至は役作りなのか、どうやら現役時代の締め込み(まわし)を持参したようで、シーンでも目立つ存在だ。もちろん、力士役の俳優よりも存在感があった。普通に相撲をとっていたら、負けるはずがないのだが、最後は諏訪の大関、辰乃里に敗れた。元力士ゆえ、勝っても負けてもシーンを演じるのは難しかったように思う。明らかに体格が俳優より異なるので、ケガをさせてはいけないからだ。  

さいわい、江戸錦は黄門様のお叱りを受けることなく、江戸に戻った。これが角界にとっての救いかもしれない。  

余談だが、大至関はノドがある方で、相撲甚句にはうってつけの存在だ。


★備考

大至オフィシャルウェブサイト

■10月19日(火曜日)
13%台でニュースになるの?


●竹野内豊、9年ぶりの“月9”主演作 ドラマ『流れ星』初回視聴率は13.6%
(mixiニュースより)


この秋はドラマの初回視聴率の一報が目立つ。『水戸黄門・第42部』の初回視聴率は13%台でまずまず。昔のゴールデンタイム視聴率は、15%が“平均より上”、20%台が“高視聴率&人気番組の証”だったんじゃないかなぁー。

今は15%以上が「高視聴率」と化しているようですね。


◆観客動員数300萬人から304萬人までのあしあと

・2010年10月9日(土曜日)…300萬1000人突破

・2010年10月10日(日曜日)…300萬2000人突破

・2010年10月10日(日曜日)…300萬3000人突破

・2010年10月11日(月曜日・体育の日)…300萬4000人突破

・2010年10月11日(月曜日・体育の日)…300萬5000人突破

・2010年10月11日(月曜日・体育の日)…300萬6000人突破

・2010年10月12日(火曜日)…300萬7000人突破

・2010年10月12日(火曜日)…300萬8000人突破

・2010年10月12日(火曜日)…300萬9000人突破

・2010年10月13日(水曜日)…301萬人突破!!

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・2010年10月13日(水曜日)…301萬1000人突破

・2010年10月13日(水曜日)…301萬2000人突破

・2010年10月13日(水曜日)…301萬3000人突破

・2010年10月13日(水曜日)…301萬4000人突破

・2010年10月14日(木曜日・鉄道の日)…301萬5000人突破

・2010年10月14日(木曜日・鉄道の日)…301萬6000人突破

・2010年10月15日(金曜日)…301萬7000人突破

・2010年10月15日(金曜日)…301萬8000人突破

・2010年10月15日(金曜日)…301萬9000人突破

・2010年10月15日(金曜日)…302萬人突破!!

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・2010年10月16日(土曜日)…302萬1000人突破

・2010年10月16日(土曜日)…302萬2000人突破

・2010年10月16日(土曜日)…302萬3000人突破

・2010年10月17日(日曜日)…302萬4000人突破

・2010年10月17日(日曜日)…302萬5000人突破

・2010年10月17日(日曜日)…302萬6000人突破

・2010年10月17日(日曜日)…302萬7000人突破

・2010年10月18日(月曜日)…302萬8000人突破

・2010年10月18日(月曜日)…302萬9000人突破

・2010年10月18日(月曜日)…303萬人突破!!

観客動員数303萬人突破!!.JPG

・2010年10月19日(火曜日)…303萬1000人突破

・2010年10月19日(火曜日)…303萬2000人突破

・2010年10月19日(火曜日)…303萬3000人突破

・2010年10月20日(水曜日)…303萬4000人突破

・2010年10月20日(水曜日)…303萬5000人突破

・2010年10月20日(水曜日)…303萬6000人突破

・2010年10月21日(木曜日)…303萬7000人突破

・2010年10月21日(木曜日)…303萬8000人突破

・2010年10月21日(木曜日)…303萬9000人突破

・2010年10月22日(金曜日)…304萬人突破!!

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Railway Blog 6000nice!突破記念スペシャル!! 第69代横綱白鵬54連勝!! [波瀾万丈伝]

Railway Blog 6000nice!(2010.9.18).JPG

毎度御利用いただきまして、ありがとうございます。  

2005年11月11日(金曜日)に開幕したRailway Blogは、2010年9月18日(土曜日)で、「nice!」の数が6000になりました。so-netブロガーの皆様、どうもありがとうございます(6000nice!目はumi37-さんです。御礼申し上げます)。  

DSC_0534a.JPG

2010年9月18日(土曜日)、大相撲秋場所7日目で、第69代横綱白鵬が小結稀勢の里を破り、54連勝。ついに第58代横綱千代の富士の53連勝を抜き、昭和以降では第2位となった。このまま連勝を伸ばせば、九州場所7日目で第35代横綱双葉山の69連勝に並び、8日目で抜くと70連勝となり、金字塔を打ち立てる。  

この日、NHK総合テレビの放送席には、第58代横綱千代の富士の九重親方が、本年初場所以来となる解説席に坐っていた。思えば、昭和63年(1988年)九州場所7日目、第58代横綱千代の富士が第48代横綱大鵬の連勝記録を抜いた際、テレビの解説席には、くしくも大鵬親方が坐っていた。いずれも放送前にスケジュールが決まっているものと思われるが、でき過ぎた偶然だと思う。

第69代横綱白鵬は、小結稀勢の里に少々てこずったが、終始攻めきった。取組が終わった直後、突然「NHKニュース速報」が表示され、なにが起こったのかとビックリしたが、大相撲中継中にもかかわらず、第69代横綱白鵬が、第58代千代の富士の連勝記録を超えたことをテロップで流した。NHK教育テレビで流すのならわかるが、時期尚早というか、ずいぶんあわてたような感じがした。この時間の民放各局は次の番組に向けて、CMを流すところが多く、18時過ぎにニュース速報を流したかどうかは、わからない。ちなみに18時の『NHKニュース』は、冒頭で第69代横綱白鵬54連勝を映像つきで伝えた。  

私というより、誰もが第58代千代の富士の53連勝を超える横綱が現れるとは想像もしていなかったに違いない。千代の富士ファンの私としては、複雑な思いと緊張感で、この取組を見ていたが、九重親方は抜かれたことに悔しさもなく、さすがは小さな大横綱。記録を抜かれた瞬間をマのあたりにしても、心地よく喜び、栄誉をたたえていた。  

意外なことに第58代千代の富士が歴代1位を樹立した記録は少なく、幕内通算勝ち星、通算勝ち星、30代の優勝回数のみ(20代12回、30代19回)。このうち、幕内通算勝ち星は、本年初場所に大関魁皇が抜き、負けた関脇千代大海は引退を決意。そして、大関魁皇は本年夏場所千秋楽に第58代横綱千代の富士以来、20年ぶり2人目となる通算1000勝を達成。1045勝と千代大海の大関在位65場所を上回る可能性がある。  

記憶にある限り、第35代横綱双葉山と第48代横綱大鵬は「昭和の大横綱」、第58代横綱千代の富士は「小さな大横綱」、第65代横綱2代目貴乃花は「平成の大横綱」と呼ばれた。しかし、同じ優勝20回以上の第55代横綱北の湖、第68代横綱朝青龍は代名詞がないものの、それぞれ「昭和50年代の大横綱」、「モンゴルの大横綱」と呼んでもいいだろう。そして、第69代横綱白鵬は、「不知火の大横綱」と称されるに違いない。

というのも、優勝20回以上の大横綱は、すべて雲竜型の土俵入りで、不知火型の土俵入りは、短命横綱になるジンクスがあった。実際、不知火型の土俵入りを選択した最近(と言っても遠い昔だが)の横綱を見ると、第63代横綱旭富士は横綱在位9場所、第66代横綱3代目若乃花は11場所で引退している。第69代横綱白鵬は“一門のしきたり”により、不知火型の土俵入りを選んだが、悪いジンクスを見事に吹き飛ばした。もしかすると、第69代横綱白鵬の不知火型の土俵入りにあこがれる相撲少年が増えているのではないだろうか。

今後も第69代横綱白鵬に注目だ。

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観客動員数292萬人突破!! [波瀾万丈伝]

観客動員数292萬人突破!!.JPG

毎度、御利用いただきまして、ありがとうございます。

2005年11月11日(金曜日)に開幕したRailway Blogは、2010年9月12日(日曜日)に観客動員数292萬人を突破しました。どうもありがとうございます。

◆ここまでの「2009年の汽車旅4」シリーズ

・2009年の汽車旅4-1
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-01-07

・2009年の汽車旅4-2
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-01-13

・2009年の汽車旅4-3
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-01-17

・2009年の汽車旅4-4
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-01

・2009年の汽車旅4-5
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-06

・2009年の汽車旅4-6
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-10

・2009年の汽車旅4-7
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-11

・2009年の汽車旅4-8
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-13

・2009年の汽車旅4-9
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-02-16

・2009年の汽車旅4-10
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-04-23

・2009年の汽車旅4-11(四国の鉄道完全制覇達成!!) 
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-04-30

昨年夏の旅ですが、大幅に遅れており、“回復運転”も不可能な状況です。最後まで、お付き合いいただければ、さいわいです。

◆2010年8月3日(火曜日)から、9月12日(日曜日)までのmixi日記

■8月3日(火曜日)
東武鉄道20050系の異変

東武鉄道20050系は平成4年(1992年)に入団した当初、一部のドア上に当時としては珍しいLCDを装備していた。しかし、LCDは“時期尚早”だったようで、劣化により撤去され、10年も持たなかった。

2010年に入ると、日比谷線直通車は号車及び点字つきドアステッカーを貼りつけたが、このほど20050系は、一部のドア上に50000系シリーズや、10000系修繕車と同じタイプの情報案内装置(3色LED式)を取りつけた。ちなみに5ドア車は5つ、3ドア車は3つある。

今後はドアチャイムや自動放送装置すらない20000系にも、情報案内装置(3色LED式)を取りつけるかが注目されるだろう。20000系は入団から22年が経過しており、東武“お得意”の修繕工事で水準を合わせる可能性もあるだろう。

■8月6日(金曜日)
視聴者に苦言を呈す


●原爆式典、途中で「ゲゲゲ」に… NHK苦情殺到
(読売新聞 - 08月06日 13:08)

『ゲゲゲの女房』で式典中継が中断され、NHKに抗議した視聴者がいたという。残念だ。視聴者は「式典」しか頭にないのだから。式典会場以外のところを見てこそ、“8月6日の広島”なのだ。私は2006年に行ったが、平和に慢心している自分の姿を大いに恥じた。

今回の式典では、初めてアメリカが“非”を認めた。画期的な1日だっただろう。大量殺人をしてまで、原爆を投下する必要があったのか。アメリカ人よ、よく考えてほしい。来年こそは、バラク・オバマ大統領に“8月6日の広島、8月9日の長崎”をじかにみていただくことを願っている。

私は「6月23日の糸満」、「8月9日の長崎」に行きたい。報道では式典しか伝えていないことが多く、“真の式典の模様”をお伝えする必要がある。しかし、私の意志を買っていただける出版社がなく、残念だ。「鉄道」しか書けない人間と思われているようだ。これは立派な“偏見”だよ。

■8月8日(日曜日)
311系、321系の異変

JR東海311系は現在、運行番号表示器の撤去が進んでいる。

運行番号表示器は「C0401」「1M」などを表示するが、311系は211系も、いつのまにか「311 2(311系第2編成のこと)」など、編成番号を表示するようになった。JR東海は基本的に列車番号を表示する習慣がない模様で、117系の運行番号表示器は編成番号となっている。

311系の撤去は見事に奇麗で、黒いパネルを交換したのかもしれない。ちなみに“イーハー東武”を外れた東武鉄道30000系は、かぶせている。

居住性に難があるJR西日本321系は、優先座席ではないほうのシートモケットを抹茶っぽいグリーンに変えていた。すべての編成ではないが、たった5年でシートモケットを変える理由は、なんだろうか?

321系は通勤形電車としては駄作で、居心地が悪い。ロングシートの背もたれが膨れて硬いからだ。207系は柔らか過ぎて、隣に人が坐ると、沈んでしまう難点がある。転換クロスシートのノウハウを活かせないものだろうか?

ロングシートは中央線E233系が1番いい。京急のロングシートもどっしりした感じがする。これは701系もそうで、同じ時期に量産された京浜東北線209系よりもいい。

321系はステンレスの光沢と上部に丸みがあり、外観(車体側面)だけは優秀なので、惜しい車両である。

■8月12日(木曜日)
波田陽区の出番ですよ!!

●あなたの「残念な人度」を判定、残念な人.comで「残念な人」の募集も。
(mixiニュースより)

最近、残念な人度診断(
http://www.zannennahito.com/)をしたところ、こんな結果が出ました。

・残念な人度50% 残念な人だと思われているかもしれません。周囲に残念な人しかいないのは、あなたが紛れもなく残念な人だからかもしれませんよ。

私は昔から「厳しい」といわれる。会社勤務の頃、初対面の人はまったく信用せず、常に疑いの目を持って接していた。人の短所を見つけては、ミスをすると激しく叱責するのが人付き合いの“ウラパターン”である。実は今も変わらないのだが、私とウマが合う人というのは、初対面をまったく覚えていない人だ。

「性格が悪い」と思われるかもしれないが、人見知りが激しい、完ペキ主義、ほとんど妥協しないといった職人気質である。また、そういう目を持つことで、“人を見る目”が養われ、ダメ人間はひと目で見抜ける。

残念な人度50%では、結婚は難しいのかなぁー? 診断結果にへこんだ。まるで波田陽区に「ざんねぇーん」と突きつけられたかのように。

■8月13日(金曜日)
内閣総理大臣在任期間5年

●太田総理が退陣 その舞台裏
(mixiニュースより)
 

『太田光の私が総理大臣になったら… 秘書田中。』が終了し、mixiにアクセスしたら、なんと、その番組が2010年9月で打ち切るという。最近は“手を変え、品を変え”という状況が続いていたのが気になっていたが、打ち切りは残念だ。  

この番組は2005年10月に深夜番組として、数回放送したのが始まりで、爆笑問題の太田光が内閣総理大臣に就任。2006年1月に正月特番でゴールデンタイムに進出し、4月からレギュラー化した。  

この番組はマニフェストを発表し、可決したものをホンモノの国会に陳情するというもので、“政治不信”のスキにつけこんだような番組。日頃から私も言っていることだが、国会の場に国民を参加させ、激論をかわすべきではないかと考えている。小さな国会は、いちおー実現したことになる。私も著名人、文化人として君臨することになったら、この番組に出て、マニフェストをぶちまけたい夢を持っていた。  

この番組で、太田光に対する見方が変わった人も多いだろう。漫才師という目でしか見ていなかった視聴者は、政治を語る際の豹変ぶりに驚いた方も多いと思う。逆に言えば、多彩な能力を持っている。私はビートたけしや太田光と同じような立場を目指しているのも、多彩な分野で活躍したいからだ。そのため、出版社で「好きな作家やライターは誰ですか?」といわれても、「いません」と答えた。

理由は2つあり、1つ目はモノ書きが同じワクにとらわれることに疑問を持ったこと。2つ目は好きな作家やライターを素直に答えると、“その人の二番煎じにしかなれない”と思われることを予想したからである(そう言われることを非常に嫌っている)。

私はRailway Blogで、鉄道紀行の世界にアドリブやギャグを入れて、たぶん一部の人から支持を得たと思う(シモネタを入れれば完璧だろう)。そうでなれば、5年近くで観客動員数281萬人を突破することはなかっただろうし、“モノ書き”という立場に就くこともなかっただろう。残念ながら、雑誌などの商品にアドリブやギャグを入れることが許されないようだが、多くは“優等生”を目指しているので、今は起用していただいている版元さんなどに感謝する立場である。私は一生、“雇われの身”なのだから。

太田総理は5年で退陣をすることになるが、ほかの内閣総理大臣に比べれば、明らかに長い。おそらく、多くの視聴者は、その栄誉をたたえていることだろう。できれば、長く続けてほしかったが……

※『太田光の私が総理大臣になったら… 秘書田中。』は、2010年8月27日(金曜日)で、レギュラー放送が終了。今後は不定期放送になる模様です。

■8月18日(水曜日)
日清ラ王フォーエヴァー  


2010年8月17日(火曜日)、19時頃にスーパーマーケットへ。晩メシをどうするか悩んでいたところ、カップラーメンに目がいく。そこには先月で生産を打ち切った日清ラ王を販売しているのだ。“在庫限りになるだろう”と思い、しょうゆ味を買うことにした。税込み198円はちょっと高いが……  

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帰宅して、やかんに湯をわかす。カップの中を見ると、焼きそばの湯切り口、密封された麺が目立つ。作り方を見ると、手間がかかることに驚いた。 熱湯をかけて1分後、湯切り口に湯を捨てる。そのあと、再びやかんに湯を沸かす。そのあいだに粉末と液体のスープを入れ、再び熱湯を容器に入れて、かきまぜたあと、できあがり。普通のカップメンに比べ、2分余計にかかるだろうか。

いざ食べると、うまい。生麺ならではのコシのよさが際立つ。スープが濃過ぎる気がするものの、おいしゅうございます。

■8月22日(日曜日)
レイルウェイ・ライターの疑問  

この世界に入る前から1つの疑問があった。  

それは、「紀行作家」、「鉄道ジャーナリスト」、「鉄道ライター」、「トラベルライター」、「フォトライター」などは複数いるのに、「レイルウェイ・ライター」は1人しかいないことだ。あの「三遊亭圓楽」だって、今まで6人が襲名しているのだから。

「レイルウェイ・ライター」が1人しかいないのは、釈然としない。もし、「レイルウェイ・ライター」が特許や商標登録をしているのならば、話はわかる。また、「鉄道ライター」という肩書きの人は、「レイルウェイ・ライター」を名乗ることを躊躇かつ、遠慮しているようにも思える。  

私は、「レイルウェイ・ライター」と名乗る気はなかったが、出版社などは、「さすらいのライター」という肩書きに違和感を持っているようだ。それを象徴するかのように、昨年12月発売の『プレジデント フィフティ・プラス「鉄道と旅入門」』(プレジデント社刊行)では、「Train Writer」。今年から参加している『鉄道のテクノロジー』(三栄書房刊行)では、「レールウェイライター」という肩書きをそれぞれつけている。私は“大げさだなぁー”と思いつつ、そういうふうに思われていることが嬉しかった。その名に恥じないよう、いつも気を引き締めているが、逆に責任が重くのしかかり、先月から心療内科で治療を受けるハメになった。  

責任が重くのしかかる1つの理由に、国会図書館の存在がある。実はエロ本、週刊誌など、すべての書籍、雑誌、ムックを入荷しており、書庫に収めているのだ。当然のことながら、私の執筆記事がすべて収められているわけで、会社員以上に恥ずかしい生き様を見せるわけにはいかなくなってきた。当然、どんな小さな罪でも逮捕されれば、報道されてしまう立場にある。出版社も即販売を中止し、自主回収をすることになるだろう。

■8月24日(火曜日)
祇園で芸者遊びだゾ!!  


祇園の夜。いいねぇー。「どすえ」「ありんす」といった京言葉があちこちで聞こえてくる。あー、誘惑に負けそう。現地では、そういう人たちを“甘えん坊将軍”と言っているらしいですよ。⇒http://bit.ly/bWXEmv

■8月28日(土曜日)
世の中は右利き社会


●あなたの利き手はどっち? 左利きの人に聞いた“左利きで不便なこと”
(mixiニュースより)
 

私は右利きだが、親兄弟はまったく思っていない。利き腕というのは、ボールを投げる手で決まるもの。私は右投げだから、当然、右利きのはずなのだが……  

実を言うと、幼少の頃は、なぜか左でモノを持つことが多かった。箸やスプーン、鉛筆、はさみは左手で持っていた。小学生にあがる前、親は急に厳しくなり、はさみ以外は右に矯正されてしまった。ただし、その当時、野球嫌いだったため、ボールをどこの手で投げていたのかが、まったく記憶にない。  

小学校に入ると、ドッジボールという、幼稚園ですらやったことのない遊びをやるハメになった。投げ方がよくわからなかったみたいで、クラスメートに指導されてしまい、そこから右で投げるようになり、右利きを確立した。ちなみにバッターボックスは、左右どちらとも立ったことがある。それはどっちがいいのか、よくわからなかったからだが、松井秀喜選手が巨人軍に入ったことで、高校2年生から左打ちに固定した。つまり、「右投げ左打ち」という、よくあるパターンだ(ゴルフは右だけど)。  

小学校3年生になると、うんざりして箸以外は元に戻したが、今度は「左利きなの?」と周囲からきかれるようになった。その言葉にうんざりして、中学3年生の2学期から、鉛筆やスプーンを右に変え、現在に至っている。  

現在、公的な場では右で字を書き、スプーンやはさみを持っているが、私的な場は、その逆である。旅先では左右どちらでも書いているが、お店で食事をとる場合、スプーンは右手で持つ。ちなみに自動改札機は、最初から右手を使っているが、1度だけきっぷを左手で入れたことがある。それは、ある女優さんと握手をした右手の余韻が強く残り、浮かれていたからである。きっぷは入れづらかったが。  

機械などは基本的に“右利き仕様”で、左利き用は“オーダーメイド”になってしまうため、肩身が狭い思いをする。時々、左手を使って、自動改札機を通過する人を見かけるが、使いづらそうだ。ちなみに左利きは、右利きに比べ、寿命が短いらしい。  

同じ右利きでも、元阪神タイガースの掛布雅之氏は、箸やスプーンは左で使っている。また、プロ野球の左利き選手は、右手で握手をしている。  

余談だが、蹴るときはなぜか左足が多く、相撲でも千代の富士の影響なのか、左からの上手投げで勝ったことがあり、右では力が発揮できなかった。

■8月30日(月曜日)
平成口ゲンカ王の審判


●“鬼軍曹”逝く 元プロレスラーの山本小鉄さんが死去
(mixiニュースより)  


2010年8月28日(土曜日)6時42分、元プロレスラーの山本小鉄さんが低酸素性脳症のため、68歳で天に召された。68歳で天に召されるのは、早過ぎるような気がしてならない。  

私は山本さんのプロレス選手時代を知らない。引退後に料理番組に出演していた記憶があるが、鮮明ではない。  

鮮明に覚えているのは、日本テレビで放送された『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で、平成口ゲンカ王の審判を務めていたことである。これは口達者な参加者を募集し、口論するというもので、白熱した展開でも顔色1つ変えず、冷静なジャッジを下した。番組10周年記念のCDにも口ゲンカ王たちの曲が収録されており、「はじめっ!!」という声を聞くことができる。  

その後、訃報を耳にするまで、テレビに出る姿をまったく見る機会がなかった。「鬼軍曹」というのだから、黙々とプロレス選手の育成に力を注いでいたのだろう。  

謹んで、御冥福をお祈りいたします。

■9月7日(火曜日)
さぁー、みんなで見てみよう!!

●みんなが選んだ好きな夏ドラマ第1位は……、『ホタルノヒカリ2』!
(mixiニュースより)

『ホタルノヒカリ2』は、前作の『ホタルノヒカリ』を見ていたので、楽しみにしていました。キャスティングが大幅に変わっていたので、見る前は不安があったけど、それを吹き飛ばす面白さがありますね。

明日は放送日。さぁー、みんなで『ホタルノヒカリ2』を見てみよう!!

■9月10日(金曜日)
いいんじゃない

●大阪都構想で橋下知事が挑発、平松市長が応酬
(読売新聞 - 09月09日 14:20)

橋下大阪府知事が、すごい構想を出した。「府」を「都」に変えることである。確かに大阪府は“都会”というイメージが色濃いところなので、「大阪都」に依存はない。実を言うと、私は神奈川知事選挙の出馬を考えていたことがあり、神奈川県を「横浜都」にして、茅ヶ崎市、平塚市、藤沢市を「湘南市」にする構想を持っていた。

神奈川県民の中には、“港北区ではないのに、なぜ「港北ニュータウン」が都筑区にあるの?”と思う人が多いと思う。それは昔、港北ニュータウンは港北区と緑区にまたがっており、人口増加による行政再編成で、両区の一部を都筑区と青葉区に分割したからである。また、第3京浜の港北インターは、旧港北区に存在する(現在は都筑区)。

大阪府の「都」構想はどうなるのだろうか? 橋下知事の大バクチが吉と出るか、凶と出るかが気になる。

■9月12日(日曜日)
鉄道居酒屋キハ2010-3

2010年8月30日(月曜日)18時06分、東急2000系の各駅停車清澄白河行きは、半ZONE門線水天宮前へ。地上は相変わらず蒸し暑く、バテバテ。ロレツが回らないほどフラフラしているが、救急車に運ばれるほど悪くない。単純な夏バテだろう。

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18時27分、玄関前をパワーアップした鉄道居酒屋キハへ。弱冷房車的な温度だが、少しシャキーンとしてきた。 車内は男性が1人いて、増員した女性車掌と顔をあわせる。彼女は2週間後、32歳になるという。

19時頃、25年前の野田聖子参議院議員みたいな顔立ちをした女性が現れた。この人もニューフェイス車掌だが、相当な餃子好きらしく、「ギョーザ」という言葉を推定100回以上も発した。

ある飲み屋の店長のオヤジさんがキハに入ってきた。その方とはウマがあい、死や普天間基地の問題などを熱く語り合った。

助役によると、mixiをやめるには、存命しているあいだにやらなければならないらしい。特に管理人を務めるコミュニティは死ぬ前に譲渡しないと、永遠に残ってしまうとか。今でも鬼籍に入った方とマイミクになっているが、外すつもりはない。

そのマイミクさんは昨年、旅立ってしまった。私がお目にかかったのは、1度だけ。キハの2周年パーティーの席上だった。小倉沙耶さんとともにパーティー会場に入ったことをよく覚えている。小倉さんは入店時、私に会釈したことが忘れられない。イベントなどで多くのレールファンと接しているのに、私を覚えているのが“奇跡”とはいっては失礼だが、嬉しかった。

そのマイミクさんは大企業に勤めていた。そして、私のRailway Blogをこよなく愛し、ブルートレインなどの話をして、“いつかごいっしょにお仕事をしましょう”と互いに言って、別れた。しかし、再び会うことなく、天に召されてしまった。晩年は入退院を繰り返していたらしい。私はその方の熱い思いを励みにしているし、天国で私の掲載誌を愛読していると確信している。これからもいい仕事をして、いい記事を書き、喜ばせたい。キャンディーズではないが、“普通の男の子”には戻れないのだから。

そうそう、助役がある芸人さんの名刺を見せた。その芸人さんは自宅住所を公表しており、「大丈夫なの?」と私が言うと、別の男性客がこう言った。


「昔は本でも住所を載せていましたよ」

そういえば、昭和50年代の鉄道書籍は、保育社のカラーブックスの奥付で、著者の住所を記しているところがあった。その男性によると、宮脇俊三氏も自宅住所を公表していたという。最近だと、種村直樹氏も自宅住所を公表していたが、今の時代、個人情報保護法というのがあり、基本的に載せない方向でいる。果たして、自宅住所を公表した著者宅へ行った読者がいたのかどうかはわからないが……

1号車のカウンターに案の定、『鉄道ひとり旅ふたり旅№3』が置いてあった。キハが紹介されているからである。私も本誌に寄稿しており、嬉しい。2人の車掌に「どこに私の記事があるのでしょうか?」を出題したところ、1人は一発で当て、もう1人はギブアップだった。

20時45分、キハをあとにする。一部の客から、“あがるにしては早い”と指摘(?!)されてしまったが、貧乏ヒマなしの生活が続いているため、キハでちょっと息抜きをしたかった。

今も頭が混乱する日々を過ごしているが、やらなければ生活ができないので、私自身を落ち着かせるしかない。

◆観客動員数291萬人から292萬人までのあしあと

・2010年9月10日(金曜日)…291萬1000人突破

・2010年9月10日(金曜日)…291萬2000人突破

・2010年9月10日(金曜日)…291萬3000人突破

・2010年9月11日(土曜日)…291萬4000人突破

・2010年9月11日(土曜日)…291萬5000人突破

・2010年9月11日(土曜日)…291萬6000人突破

・2010年9月11日(土曜日)…291萬7000人突破

・2010年9月12日(日曜日)…291萬8000人突破

・2010年9月12日(日曜日)…291萬9000人突破

・2010年9月12日(日曜日)…292萬人突破!!

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ガチョーン!! [波瀾万丈伝]

2010年9月10日(金曜日)17時50分頃、俳優の谷啓さんが自宅の階段で2階へあがる途中に転落し、すぐに救急車で病院に搬送されたが、9月11日(土曜日)5時07分、脳挫傷で天に召されてしまった。78歳だった。

谷さんはハナ肇とクレージキャッツの一員として知られ、「ガチョーン!!」というギャグが代名詞となった。平成元年(1989年)4月から1年間放送されたテレビ朝日の刑事ドラマ、『ゴリラ警視庁捜査第8班』でも「ガチョーン!!」を披露した(実はこのドラマ、あの有名な三原じゅん子が出演していた)。

ハナ肇とクレージキャッツを存じていない方は、『釣りバカ日誌』の佐々木課長役というイメージを持っているだろう。能天気な万年ヒラ社員、ハマちゃんにイラだちを持つものの、一定の理解を示す心温かい管理職だった。

さて、ハナ肇とクレージキャッツは、高度経済成長期の象徴的な人物の1つといえるだろう。その後はソロ活動を中心に芸域を広げ、磨きをかけた。しかし、平成5年(1993年)9月10日(金曜日)にリーダーのハナ肇さんが鬼籍に入り、葬儀の場で植木等さんはハナ肇とクレージーキャッツの解散を告げたが、ほどなくして撤回したという。

その後、メンバーが相次いで天に召されていき、谷さんも不慮の事故という不本意なかたちで、彼らを追うことになった。

謹んで、御冥福をお祈りいたします。そして、最後にひとつだけ言わせてください。

「ガチョーン!!」


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