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島田紳助、潔い引き際 [波瀾万丈伝]
2011年8月23日(火曜日)、テレビ東京の看板番組、『開運なんでも鑑定団』の放送終了後、タレントの島田紳助が突如記者会見を開き、芸能界引退を表明した。その理由は、数年前に暴力団関係者とメールのやり取り及び、数回小時間の面会をしていたことが、今になって発覚したためである。
8月21日(日曜日)、島田紳助は武道館にいた。御存知、日本テレビの『24時間テレビ 愛は地球を救う』で、63キロマラソンに挑戦していた徳光和夫を迎えるためである。徳光さんは島田紳助を「天才」と高く評価していたことに感銘を受け、ゴールを信じて待っていたのだ。20時40分過ぎに徳光さんがゴールしたとき、真っ先に手を差し伸べたのは島田紳助だった。
放送終了後、武道館内で『行列のできる法律相談所』を生放送した。徳光さんのメディカルチェックが終わるまでのあいだ、未公開VTRが流れ、はしたないというか、島田紳助らしい軽妙で頭の回転が速いトークだった。そのあと、徳光さんが登場し、友情を深めていた。また、アシスタントを務める松本志のぶフリーアナウンサーが妊娠を発表した。番組は祝賀ムードで終わったが、そのあと島田紳助は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー(以下、「所属事務所」)に呼び出され、暴力関係者とのメールのやり取りについて問われると、正直に認め、深く反省した上で即日引退を申し出たという。
暴力団関係者とのメールのやり取りは、法律で罰せられることはない。また、経済的な利害関係が認められないので逮捕される可能性も低い。しかし、芸能界という強い影響力のある世界では、職業「暴力団関係者」の知人を持つことは御法度なのだ(一般企業もそうだと思われる)。所属事務所は数か月の謹慎にさせるつもりだったのかもしれないが、本人の潔い引き際を尊重し、突然の記者会見になった。
近年、「島田紳助は嫌いなタレント」という言葉を、インターネット上で目にすることが多かった。私は嫌いではないが、彼の司会ぶりを見て、話術に長けている印象を持っていた。臨機応変な対応が求められる司会業というのは、彼にとっては天職だった。また、『開運なんでも鑑定団』は17年放送しているせいか、視聴者が持参する鑑定品の額を予想し、ほぼ的中させる“目利き”を身につけていた。日本テレビで放送された『嗚呼! バラ色の珍生!!』の「涙のご対面」というコーナーでは、大切な人を探す依頼者に対し、バラエティータレントの姿勢を封印して、人間としての優しさや思いやり、熱いハートを魅せていた。
今、上記のことが私の頭の中で駆け巡っている。
こういう形で芸能界を去るのは、本人、マスコミ、視聴者は予想していなかったはずで、衝撃の夜となった。所属事務所は解雇させるつもりでいたかどうかは知らないが、長年貢献している人間に対し、“「引退」を承認したのは温情である”と受け止める人も多いと思う。
芸能界は「島田紳助」という、ひとつの宝を失った。この先、大橋巨泉、逸見政孝、島田紳助と続いた、「人気司会者」という肩書きを継承する芸能人が現れるのだろうか。
8月21日(日曜日)、島田紳助は武道館にいた。御存知、日本テレビの『24時間テレビ 愛は地球を救う』で、63キロマラソンに挑戦していた徳光和夫を迎えるためである。徳光さんは島田紳助を「天才」と高く評価していたことに感銘を受け、ゴールを信じて待っていたのだ。20時40分過ぎに徳光さんがゴールしたとき、真っ先に手を差し伸べたのは島田紳助だった。
放送終了後、武道館内で『行列のできる法律相談所』を生放送した。徳光さんのメディカルチェックが終わるまでのあいだ、未公開VTRが流れ、はしたないというか、島田紳助らしい軽妙で頭の回転が速いトークだった。そのあと、徳光さんが登場し、友情を深めていた。また、アシスタントを務める松本志のぶフリーアナウンサーが妊娠を発表した。番組は祝賀ムードで終わったが、そのあと島田紳助は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー(以下、「所属事務所」)に呼び出され、暴力関係者とのメールのやり取りについて問われると、正直に認め、深く反省した上で即日引退を申し出たという。
暴力団関係者とのメールのやり取りは、法律で罰せられることはない。また、経済的な利害関係が認められないので逮捕される可能性も低い。しかし、芸能界という強い影響力のある世界では、職業「暴力団関係者」の知人を持つことは御法度なのだ(一般企業もそうだと思われる)。所属事務所は数か月の謹慎にさせるつもりだったのかもしれないが、本人の潔い引き際を尊重し、突然の記者会見になった。
近年、「島田紳助は嫌いなタレント」という言葉を、インターネット上で目にすることが多かった。私は嫌いではないが、彼の司会ぶりを見て、話術に長けている印象を持っていた。臨機応変な対応が求められる司会業というのは、彼にとっては天職だった。また、『開運なんでも鑑定団』は17年放送しているせいか、視聴者が持参する鑑定品の額を予想し、ほぼ的中させる“目利き”を身につけていた。日本テレビで放送された『嗚呼! バラ色の珍生!!』の「涙のご対面」というコーナーでは、大切な人を探す依頼者に対し、バラエティータレントの姿勢を封印して、人間としての優しさや思いやり、熱いハートを魅せていた。
今、上記のことが私の頭の中で駆け巡っている。
こういう形で芸能界を去るのは、本人、マスコミ、視聴者は予想していなかったはずで、衝撃の夜となった。所属事務所は解雇させるつもりでいたかどうかは知らないが、長年貢献している人間に対し、“「引退」を承認したのは温情である”と受け止める人も多いと思う。
芸能界は「島田紳助」という、ひとつの宝を失った。この先、大橋巨泉、逸見政孝、島田紳助と続いた、「人気司会者」という肩書きを継承する芸能人が現れるのだろうか。
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