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さすらいの諸国漫遊記52-千秋楽 [汽車旅2003]

◆下記の記事を御覧になっていない方は、URLへクリックしてください。

・さすらいの諸国漫遊記52-初日・2日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-01-08

・さすらいの諸国漫遊記52-3日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-01-09

・さすらいの諸国漫遊記52-4日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-01-10

2003年12月30日(火曜日)、まだ夜も明けぬ5時40分過ぎ、夜汽車は青森に着いた。相変わらず雪の中である。  

鉄道のダイヤは年末年始ということもあり、休日ダイヤとなっているが、郵便局は営業しており、旅行貯金できる。基本的にお初のところしかやらない決まりになっているので、あんまり立ち寄ったことのない土地でやりたい。また、都内で雑用を済ませなければならないため、早めに戻らざるをえないハメになってしまい、あわただしくなりそうだ。  

盛岡までの道中、数日前は雪が降っていないエリアでは積雪。それほど積もってはいないが、今年見納めの雪景色をじっくり味わおう。  

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雪もなくなり、花巻へ。駅のコンコースでは掃除をするオジサンの姿が印象に残る。無口で黙々とこなしていた。また、花巻無形文化財に指定されている鹿踊り(Shishiodori)がお出迎え。秋田のナマハゲみたいな印象を受け、ちっちゃい子供は恐怖におびえそうだ。  

鹿踊りは天暦5年(951年)に空也上人(六波羅密寺の開祖)の愛するシカが猟師に射殺されたのをあわれに思い、その供養で踊ったのが始まりだという。そういえば、奈良のシカも天然記念物に指定されている。もし、徳川綱吉の時代にやってしまったら、生類あわれみの怜により、確実に処刑され、鹿踊りは生まれなかっただろう。  

近辺に郵便局は見当たらず、時間の関係もあって、断念。そして、20時過ぎ、ゴールの上野に到着。帰京して、いつもの光景を見ていると、すがすがしい気分にひたる。  

あと28時間で2004年を迎える。どんな年になるだろうか?

★備考

岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅10-最終回」 

②今回の記事は、2004年3月に執筆したものです。

★お知らせ

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さすらいの諸国漫遊記52-3日目 [汽車旅2003]

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・さすらいの諸国漫遊記52-初日・2日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2010-01-08

2003年12月28日(日曜日)、“ドリームアイランド”こと、北海道へ渡る。目が覚めたら、青森発の夜汽車は苫小牧に到着しようとしていた。  

冬の北海道は雪を連想するだろうが、苫小牧にはない。海側は意外と積もっていないのが現状のようであるが、工場の煙は年中無休だ。  

その後、針路を変えると、冬の北海道を象徴する雪景色となった。かなり積もっており、一部の駅では除雪作業が進んでいる。  

少し前に『北の国から』が5日連続で放送し、関東地方では平均18パーセント(北海道では30パーセント近い視聴率だったという)をマーク。それにひかれて、富良野へ向かう。  

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富良野へは泊まらないので、滞在時間も限られる。ロケ地へ向かうにはクルマで30分以上もかかる。タクシーは数台待機し、近くにレンタカー屋があるけど、カネを払えるほどの余裕はない。  

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富良野の道路は白1色の状態。クルマはスタッドレスタイヤで慎重に進む。『北の国から』ではクルマが右折する時にカーレースを思わせるようなスリップシーン(「ドリフト」と言うのかもしれない)を何度か見たから、神経をかなりすり減らしてハンドルを握っているのだろう。  

私は富良野の雪道を歩く。時に雪の深みにズボッとはまったりもしたが、これだけ深く積もるのは江戸ではありえないことだから、楽しめる。地元にとってはやっかいなのだろうが……  

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やって来たのは富良野小学校。この小学校のグラウンドは北海道の中心地なのだ。ずいぶん意外なところにあるものだが、標柱と石碑が建てられている。その地に立つと、なぜか、ほこらしげな気分になる。  

富良野をたち、この日は北見に泊まったが、ふう変わりなホテルだった。  

まず、フロントはなんとジャージ姿のホテルマンが現れた。その上、現金払いとカード払いでは宿泊料が500円も違う。安いのがいいから、私は現金で払った。

ホテルを出て、東急百貨店6階の中華料理屋でメシを食う。20時30分閉店で、30分前にラストオーダーをとる飲食店がほとんどだが、閉店したのかと錯覚するほど、お客が1人も入っていない店が多かった。こんなむなしい思いで外食をとるのは初めてだが、最上階から見る夜景は綺麗だった。  

ホテルに戻り、コインランドリーで洗濯をするが、従業員の私服が無造作に置かれていた。普段、宿泊客が使わないものと想像できる。また、乾燥機で乾かすのに90分もかかった。それでも乾かないシャツは宿泊部屋で干した。  

ずいぶん、大ざっぱなホテルに泊まったものだが、ホテルマンの接客態度はよく、不快な思いはしなかった。

★備考

岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅10-2」 

②今回の記事は、2004年3月に執筆したものです。


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さすらいの諸国漫遊記52-初日・2日目 [汽車旅2003]

2003年12月26日(金曜日)、52回目の諸国漫遊は北を目指して、旅に出る。北を目指すからには、旅立ちの舞台は上野がふさわしい。  

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翌日(12月27日)、上野発の夜行列車の終点が仙台だったので、ちょっと寄ると、伊達政宗像が迎える。かつて、『独眼流政宗』という大河ドラマが大ヒット。戦国武将の名声を確固たるものとした。ちなみに朝の仙台は3℃で、ちょっと寒い。  

平泉で昼食を仕入れ、盛岡へ向かう。わんこそばや冷やしめんで有名だが、冬でも冷やしめんを販売している。腹痛を起こしたくないので、見合わせたが、いつかは現地で本場を食べてみたい。ここではおやつ代わりにマックで期間限定ハンバーガーを購入。  

青森県へ入り、だんだん雪深くなってきた。まさに「トンネルを抜けると、そこは雪国だった」という感じだ。  

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浅虫温泉という駅を下車した。駅前に温泉があるという情報を入手したからだが、『道の駅 浅虫温泉「ゆ~さ浅虫」』を見つけた。付近に温泉宿はあるが、宿泊者しか入れない。私のように泊まるつもりなどなく、そういう人のために「ゆ~さ浅虫」があると言っても過言ではない。  

入浴料300円を払い、入る。とりあえず、冷えた身体をほぐそう。ちなみに営業時間は7時から20時までだが、併設している売店は短い。

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「♪上野発の夜行ぉー列車、降りたときから、あぁーおもりぃーえきぃーは雪ぃーの中ぁー♪」

『津軽海峡・冬景色』の歌詞通り、青森駅は雪の中だった。ホームの上には、青森ベイブリッジがまたいでいる。ちなみにタクシーは、青森ベイブリッジを通りたがる傾向があり、増収に一生けんめいな様子。たとえば、青森港から青森駅へ向かう場合、青森ベイブリッジを通る、通らないでは600円の差があるという。

青森に到着する列車は、マスクが雪におおわれており、作業員が“化粧”を落とす。先頭車よりも最後部のほうが、へばりついており、まるでブロックをくだくような感じなので、雪質は硬いようだ。 青森駅ホームの先に跨線橋がある。 

かつては青函連絡船にアプローチする重要な存在で、その当時は桟橋だった。しかし、昭和63年(1988年)3月13日(日曜日)、青函トンネルの開業で、青函連絡船がなくなってからは、乗り換え階段として生き残っていたが、利用客の少なさと老朽化が原因なのだろうか、利用停止となった。今後は取りこわす方向であろう。 

私は更に北を目指す。ドリームアイランドへ。

★備考

岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅10-1」 

②青森駅の青函連絡船の乗り換え跨線橋は、2009年10月の時点、完全に取り壊されておりません。

③今回の記事は、2004年2月に執筆したものです。

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さすらいの諸国漫遊記51-後編- [汽車旅2003]

2003年12月21日(日曜日)5時40分過ぎ、なんばのインターネットカフェを出る。  

そこを出ると、ダイビングで有名な、えびす橋を渡るが、少数の若者がいる。たまりばの不法地帯は相変わらずだ。  

少し歩くと、なんとラーメン屋が営業しており、盛況している。江戸でこんな時間からラーメンを営業している店はあっただろうか?  

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前日はあちらこちらで大雪が発生し、交通機関は大いに乱れていた。今日もそうあっては帰京できなくなってしまうので、私はいつものルートをさけ、伊賀上野経由でう回し、名古屋へ。  

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名古屋はセントラルタワーズという巨大なビルがそびえ立ち、そこに店をかまえている高島屋は盛況している。特にエスカレーターは、かなりのにぎわいで、ロープ(昔、ユートピアというお笑い3人組が使っていたゴムのような感じだった)で、大がかりなう回ルートを作っていた。各階には東急ハンズがある。ちなみに最上階は展望フロアとなっているが、有料で時間があるワケではないので、断念。この次に利用するとしよう。  

静岡では事件が発生したようで、警官がホームの現場検証を見届け、帰京した。

★備考

①今回の記事は、2004年1月に執筆したものです。

岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅9-後編-」 

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さすらいの諸国漫遊記51-前編- [汽車旅2003]

2003年12月19日(金曜日)の夜、新しいスニーカーをはいて、旅立った。  

翌日、目が覚めると、愛知県に入っていたが、なんと銀世界と化していた。雪の情報は聞いていたが、まさかこれほど積もっているとは想像もしていなかった。

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「『北の国から』みたいだ!!」  

と嘆く若者はいたが、雪の影響により、電車のダイヤが乱れ、スケジュールも狂ってしまった。だが、あわてるほどのことでもない。こういう時に備え、いくつかパターンを用意しているのだから。  予定より1時間以上も遅れて、四国入り。夏は四国を思いっきり縦断してきたが、今回は最初から小規模でいくと決めていた。  

まず、うどん屋に寄り、釜あげうどんで昼食。高松へ足を踏み入れたからには欠かせない。ちなみに市販のさぬきうどんと本場の違いは、メンが違う。市販は太いが、本場は細い。最近は“ぶっかけうどん”がハヤリのようだが、私はかけうどんか釜あげうどんにこだわりたい。  

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食後、私は玉藻公園に寄った。ここは高松城跡地で昭和29年(1954年)1月16日(土曜日)に高松市がゆずり受けたもので、昭和30年(1955年)5月5日(木曜日・子供の日)、玉藻公園として、一般市民に開放された。通常は有料だが、この日は無料だった。あっ、ラッキーラッキーラッキィー!!

高松城は天正18年(1590年)に完成し、228年にも渡り、松平家の居城として、讃岐のまつりごとを支えた。特に“日本3大水城”の1つとして、名高く、特にお堀は日本で唯一、海水が使われている。もちろん、瀬戸内海で、お堀の水位は潮の干潮によって変わるという。ちなみに昭和41年(1966年)8月15日(月曜日)、彦根城と姉妹城縁組をした。  

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お堀に瀬戸内海をどうやって持ち込むかはカンタン。そこへ直結する水門を作ればいいだけのこと。これを使って殿様はおしのびで町に出没したかどうかは定かではないが、私だったらやるかもしれない。  

天守閣跡地へ登ってみる。橋を渡る手前で中学生か高校生のアベックが談笑している。タダであることをいいことに談笑していて、うらやましく思う。  

階段の傾斜は思ったよりキツイように見えるが、足を踏みはずさなければ大丈夫。今だと「バリアフリー設備が整っていない」と指摘されそうだが、手すりは立派にある。  

天守閣跡から眺める景色は最高だ。奥に見える瀬戸内海は青ければ、青いほど心がいやされるような気分である。眺めているうちに瀬戸内海に近づきたくなった。

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いざ、桟橋に立ってみると潮風は冷たく、寒い。薄手のロングコートを着ているが、厚手にすればよかったかもしれない。  

個人的にロングコートで旅をするのは好きだ。自分で言うのもナンだが、絵になるからだ。サングラスがあればなおさらいいんだけど、めったに見られない景色はちゃんとした目で見たい。次に訪れる日は未定なのだから。  

余談だが、もし、雪が降っていなかったら、登山をするつもりでいた。来年以降の楽しみにとっておこう。  

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夜は元町に足を踏み入れた。これは毎年開催されている『神戸ルミナリエ』で、阪神大震災(正式には「兵庫県南部地震」という)で神戸を元気づけよう、力づけようと平成7年(1995年)に始めて以来、今回(2003年)で9回目になる。

「こんな遠くからケータイで撮影しても写りませんよ」  

あざやかな光に酔いしれる人が多い中、警備のガードマンは1人冷静だった。  

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来場者の募金が命綱の『神戸ルミナリエ』なので、私も協力。また、来年も行きたいなと思う。結婚相手といっしょに行くのが理想だが…  

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光の祭典にはスターバックスのコーヒーが似合いそうだが、露店の大半はたこ焼きやお好み焼きといった、“関西人の主食店舗”には驚いた。ミスマッチな気がするけど、おいしそうに食べていた。


★備考

①今回の記事は、2003年12月に執筆したものです。

岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅9-前編-(221系新快速リターンズ2003Ⅱ)」



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さすらいの諸国漫遊記50 [汽車旅2003]

2003年9月16日(火曜日)、私は大阪にいた。  

急用で大阪へ行くハメになったが、前日に阪神タイガースが昭和60年(1985年)以来のセリーグ制覇を果たしたことで、巨人ファンの私は「阪神の優勝がショックで仕事を休んだ!?」と周囲からそんなウワサが流れていたとか。 

巨人が優勝を逃し、更には原辰徳監督が辞任。後継者に堀内恒夫氏が就任する手際のよさに、多くの国民は不信感を持ったようである。たしかに監督交代を「人事異動」と称する理由がよくわからない。しかし、“最下位が指定席”というイメージを返上し、ブッチギリでセリーグを制覇したのだから、巨人ファンの私でも“敵ながらアッパレ”と阪神の優勝をたたえた。 

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大阪駅周辺では、阪神の優勝セールが行なわれていた。バーゲンセールには欠かせない主婦たちがあちらこちらと商品を検索している状態だ。近くの阪神百貨店では最後尾のプラカードをかかげている。やはり、主役は主婦である。専業主婦の強さはバーゲンセールに顔を出せるほどの時間があるということか。今や、働く主婦が多くなり、50年経ったら、平日のバーゲンセールに姿を見せるのは年金生活者だけかもしれない。  

携帯電話最大手、NTTドコモはP505i阪神タイガースバージョンの案内をしていた。数量限定で受け付けているとのこと。ただ、このバージョンが発売された2か月後、斬新なデザインがウリのP505iSが発売され、そのユーザーを目撃したことがあるものの、P505i阪神タイガースバージョンはいまだ見たことがない。かなり値を下げているが、それでも売れないようだ。もし、日本一になっていたら、P505iS阪神タイガースバージョンが発売されていたかもしれない。  

急用を終え、あわただしく帰京するのはシャクなので、電車で新大阪へ移動し、メルパルク大阪郵便局で旅行貯金する。このとき、テレビでは名古屋のビルで立てこもりのあげく、爆発するという事件が発生した。

続いて新大阪セインシティー内郵便局で旅行貯金。今まで新大阪は電車の乗り換えやおみやげ屋で利用する程度。街を歩くのは初めてで、交通量の多い高架の新御堂筋(高速道路のように思えるが、実は一般道路)とは対照的に、地平の道路はクルマの量と人通りは少ない。

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再び電車に乗り、吹田岸辺駅前郵便局で旅行貯金。電車からよーく見えるところにあるので、前々から旅行貯金したい郵便局だったが、各駅停車に乗る機会がなかった。  

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駅前の地図には郵便局がいくつか散らばっていたので、もう1局。徒歩15分のところにあるが、場所は吹田市から摂津市に変わり、攝津正雀郵便局(Settsu-Shojaku Postoffice)で旅行貯金。地元の人でなければ正雀は読めないに違いない。ほかの地方の人なら、「せいしょう」と読んでいただろう。

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また各駅停車に揺られ、高槻富田丘(Takatsuki-Tondaoka Postoffice)郵便局で旅行貯金。吹田岸辺駅前郵便局と同様に、電車からよーく見えるところにあるが、今まで各駅停車に乗る機会がなかった。ちょうど買い物の頃あいのようで、チャリンコを走る主婦の姿がチラホラ。腕時計を見ると、16時を過ぎており、旅行貯金は終了。今回は“残務整理”と言えるだろう。  

京都駅前のドコモショップで充電を依頼し、ブラブラ歩く。京都や奈良は寺や神社が多く、魅力を感じないほうだが、年輪が刻み込まれると、印象も変わってゆくだろう。日本的な建造物が少なくなる中、京都や奈良は古き文化をこれからも大切にしてゆくに違いない。  

携帯電話を取りに行ったあと、夕刻の新幹線で帰京した。

★備考

①今回の記事は2003年12月に執筆したものです。

②原監督は2005年のシーズン終了後、巨人の監督に復帰しました。

岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅8-後編-」 

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さすらいの諸国漫遊記49-後編- [汽車旅2003]

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2003年8月24日(日曜日)、白馬で朝を迎えた。2003年3月以来だが、アルピニストは年中無休。夏のアルプスでも頂上に雪が積もっていた。こちらも年中無休のようである。  

さわやかな夏の白馬を見ると、平成10年(1998年)に2月に開催された長野オリンピックを思い出す。今でも鮮明に焼きつく原田雅彦選手のスーパージャンプ!! 何度見ても感動的で、色あせることは絶対にない。これも年中無休だが、この感動を味わうことは2度とないのだろうか?  

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善光寺へ移動し、参拝をする。通算3度目の善光寺で、5月末まで平成9年(1997年)以来となる御開帳を開催していた。  

長野駅から善光寺までは2キロ近くあり、途中で坂道を登るので、徒歩だと30分かかる。普通の平坦な道なら25分ぐらいだろうが、早朝深夜以外はバスが頼りで、久しぶりに乗ったら、善光寺まで100円に値下げしていた。  

近年はあちこちのバス会社で運賃100円という低価格が流行している。赤字解消策の一環だが、一部のタクシー会社も1キロ100円で運行しているという。  

旅の無事を祈願し、長野駅行き『びんずる1号』へ。  

このバスはオバサンが運転していたが、なんとサンダルをはいていた。私の記憶が確かならば、道路交通法にひっかかるのではないかと思う。ひと昔前は厚底グツが原因でクルマの事故が多発していたというが、なんで女性はどこにでも売っている普通のクツをはかないのかなぁーと疑問に思う。結局、ミエを張るのは男も女も関係ないということであろう。

夏のおだやかな日本海で泳ぐ家族連れの姿を見ながら、長岡へ。宮本武蔵ブームに対抗しようと意気込むかのように、NHK朝の連続テレビ小説『こころ』のポスターがいたるところに貼っていた。しかし、インパクトと盛り上がりがいま1つといったところで、歴代のNHK朝の連続テレビ小説ではワースト4位の視聴率だった。平均視聴率20%を超えているのにワースト4位とはかわいそうだが……


『こころ』で主演を演じたのは中越典子。『佐賀県』というシングルCDで脚光を浴びた、はなわと同じ佐賀県出身で、今まで何度もNHK朝の連続テレビ小説に応募して、やっと射止めた。その苦労を象徴するかの如く、年齢は2001年に『ちゅらさん』の主演を務めた国仲涼子と同い年である。  

『ちゅらさん』で沖縄が脚光を浴び、ドラマのほうも総集編を2度放送、続編の制作、更にはDVDを発売するなど、今や琉球ブームは不動の地位を築いた。また、琉球音楽も広く受けいれられるようになった(安室奈美恵やSPEEDは全然違う)。  

私は日本全国47都道府県で唯一、足を踏み入れていないところは琉球のみとなった。課題・難題が山積みで、なかなか実現しないが、2004年にはぜひ、琉球の世界にひたってみたい。と言っても、旅行貯金、『ちゅらさん』ロケ現場めぐり、首里城で終わるだろう。もし、2週間休みがもらえるのなら、『ちゅらさん』の原点である小浜島に行って、“和也君の木”を見てみたい。  

さっきも述べたが、『こころ』は残念ながら新潟ブームを起こすまでには至らなかった。しかし、冬になるとスキーシーズンで、日本全国から沢山のスキーヤーがやって来るのだから、一定の需要はある。だから、新潟ブームを起こす必要はないのである。  

越後湯沢に立ち寄り、晩メシを購入したあと、関東地方に入ったら、突然、雷雨に見舞われたが、無事に帰京した。


★備考

①今回の記事は、2003年11月に執筆したものです。

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さすらいの諸国漫遊記49-前編- [汽車旅2003]

波瀾万丈だった48回目の諸国漫遊を終え、休むヒマもなく、2003年8月22日(金曜日)に49回目の旅立ち。今回は小規模ながらも2泊3日である。  

品川を出発し、8月23日(土曜日)に岐阜へ。この岐阜県は“Qちゃん”こと、マラソンの高橋尚子選手の出身地である。また、東京は左、大阪では右とエスカレーターの立つ位置が異なり、旅人を苦しめるところだが、その境界線が岐阜県の垂井駅だという。テレビ番組で見た限り、垂井駅のエスカレーターは両方立っており、急ぎ足は誰もいない。ここを境にエスカレーターの立つ位置が変わってゆくのである。  

小牧は空港のあるところで、見るのはいいけど、乗るのがイヤなヒコーキがビューンと離着陸してゆく。ちょっと離れたところには東名高速と団地があり、ヒコーキの騒音とは無縁のようである。  

蒲郡で昼食をとり、浜松へゆく。先週、足止めを食った因縁の地である。この日は天候もよく、いつもの人なみだ。  駅ビル周辺では、街ゆく人々の足を止めさせるほどの光景に出くわす。  

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それはアンデス人クインテットがストリートライブを行なっているのである。音色の美しさに私も、地元の人も足を休めよう。

 

音響機器の力を借りて、ギターやウクレレ、ヘンな笛で演奏をしているが、日本の音楽でも聴かないようなサウンドだ。ジャンルはよくわからないが、ロックではなさそうだし、ポップスでもない。母国の民謡か?  

彼らは3000円でCDを発売している。買ってもよかったが、所持金の都合で断念した。  

その後、ビルへ入り、CD屋に入る。スペースはせまいが、中身はギッシリ。しかも、ワールドワイドといった具合で、輸入版の洋楽CDもあった。値段は本場とあってか、日本生産の洋楽より安い。但し、本場なので、歌詞カードに日本語訳はないが、あるとないとでは、値段が1000円前後も違うとは首をかしげる。  

こちらもCDは購入せず、針路を東へ向けよう。

★備考

①今回の記事は、2003年11月に執筆したものです。

②今回の動画は、
こちらです

岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅7-前編-」 

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さすらいの諸国漫遊記48-6日目・千秋楽 [汽車旅2003]

2003年8月16日(土曜日)、大阪府南部へ足を踏み入れる。紀州に近いせいか、海の色は青く、綺麗だ。水のきたないイメージがある大阪だが、都市的でないところは美しいということか。  

立ち寄らなかったが、みさき公園という遊園地がある。近年は東京ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンなどの影響で、庶民派遊園地が次々と姿を消しており、みさき公園は貴重な存在といえる。駐車場は半分空車だが、まだまだ健在であろう。  

近辺には深日港(Fuke Port)があるものの、近くの島へしか渡らないようだ。約20キロ先には和歌山港があり、徳島へ向かうフェリーがある。今や明石海峡大橋が一般的なアプローチになっているようだが、2時間ちょっとの船旅も悪くないだろう。今度、徳島へ渡る時はぜひとも利用したい。  

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※金山の朝

都会的な大阪でカネを調達したあと、江戸へ。ところが、静岡県から関東地方にかけての豪雨により、浜松で足止めをくらい、金山へ引き返し、インターネットカフェでまさかの宿泊。翌日、仕切り直しで無事に帰京した。

★備考

①今回の記事は2003年10月に執筆したものです。

②岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅6-5」は
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③岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅6-最終回」は
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★お知らせ

私が動画のアップロード及び公開に利用しているeyeVioですが、2009年5月29日(金曜日)の正午(12時00分)をもって、SONYの運営を終了。その後、株式会社スプラシアに移行するため、6月1日(月曜日)まで公開が休止されることになりました。

私も数多くの動画をアップロードしておりますが、一部はスプラシア移行後、公開不能になるものが発生する可能性がございますので、あらかじめ御了承ください。こちらもなにかしらの対策を考えたほうがよさそうなのかもしれません。

くわしくはこちらにクリック!!

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さすらいの諸国漫遊記48-5日目 [汽車旅2003]

2003年8月15日(金曜日)、お天気に恵まれない四国だが、今日は晴天だ。  

宇和島へ向かった。途中の八幡浜は別府へ向かうフェリーがあり、宿泊目的で2回利用したことがある。夜行便は寝ているあいだに移動してくれるメリットがある。フェリーの場合は横になれるから、鉄道の座席夜行に比べ、寝やすい。ちなみに私が2等船室を利用するポイントを教えると、コンセントのあるところに陣取ることを心掛けている。  

宇和島は四国の最果てと言っても過言ではないところで、レールはここで途切れている。  

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改札のすぐ横には『お恵ちゃん電話ボックス』という妙な電話ボックスがある。隣りには公衆電話があるにもかかわらず、電話ボックスではない。なんじゃこりゃ?

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不思議なので、『お恵ちゃん電話ボックス』に入ってみると、何もない!! 電話ボックスのくせに電話がない。中にあるのはコンセントだけ。  

実はこの『お恵ちゃん電話ボックス』は携帯電話専用の電話ボックスなのだ。コンセントは充電のために置いてあるもので、密室なので安心して通話ができる。しかし、利用する者は誰もいない。  

宇和島駅周辺の街路樹はハワイで見るような木が立ち並び、日本でないような感覚だ。暑ければ暑いほど、そうなるはずであろう。
 

宇和島愛宕町郵便局



宇和島愛宕町郵便局で旅行貯金。道中は登り坂で、“このまま進めば頂上へ登るんじゃないか?!”と思わせる。周囲は閑静な住宅地である。  

『麺屋菊屋』は“行列のできる店”だ。商店街でも人通りの少ない宇和島だが、活気は消えうせていない。

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特急列車で松山へ向かうが、全身アンパンマンだらけというド派手な車両だった。こうでもしないと乗ってくれないのかもしれない。以前、青函トンネルを通る快速がドラえもんのキャラクターがあちこちに散らばっていた。おまけに車内ではドラえもん映画を流していたが、ちょっとのぞいてみようと入ってみたら、女子高生が『ミュージックステーション』にチャンネルをチェンジしていた。別にドラえもん映画を楽しみにしているわけではなかったが…

特急列車が松山に到着すると、隣りにまたもアンパンマン特急が!! まさかの顔合わせで、ビックリ仰天。四国の顔として、定着しているのかもしれない。  

松山で下車し、デパートへ移動。近辺の郵便局で、おみやげをゆうパックで送ってもらう。ちなみに利用した郵便局はすでに旅行貯金をしており、お初の局でしかしない決まりなのでしなかったが、手紙やゆうパックはどこでもいい。

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そのあと、伊予鉄道の鉄道員(Poppoya)が松山の歴史を講釈していた。話によると、ここにSLが走るとのことで、その名も〈坊ちゃん列車〉という。路面電車が走るところにSLとは面白い趣向だ。たまたま、NHK松山放送局が取材に来ており、旭川からやって来た小学生特派員を連れてきているので、私が“テレビ出演”することはないが、乗ってみよう。行先も道後温泉だ。



 

SLは小ぶりで、遊園地にありそうなヤツだ。1日乗車券に100円をプラスするだけなので、普通の路面電車に乗るよりは値打ちが高いだろう。但し、冷房がなく、おまけにヘンな乗り心地であるが、観光客(実際に東京から来たところもあった)らは楽しそうだった。  

そうそう、松山でまっさきに思い出すのは、『あぶない刑事』で柴田恭兵がホシの乗っている路面電車を追いかけ、なんと反対側運転席の窓から入って(開閉できるんだねぇー)パクッたシーンだ。私も1度はやってみたいが、小説の世界でしかできないんだろうなぁー。

★徳島県出身の有名人…水野雄仁、荒瀬詩織(元フジテレビアナウンサー)、條辺剛(元巨人投手)

★愛媛県出身の有名人…眞鍋かをり、西本聖(元阪神投手コーチ)

★香川県出身の有名人…松本明子


★備考

①今回の動画はこちらにクリック!!



②今回の記事は2003年10月に執筆したもので、一部、加筆・修正しております。

③岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅6-4」は
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さすらいの諸国漫遊記48-4日目 [汽車旅2003]

2003年8月14日(木曜日)、激しい雨となったこの日、初めて徳島の地に足を踏む。  

徳島県でどうしても立ち寄りたいところがあり、阿波池田へ。
 

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阿波池田駅から徒歩10分のところに池田高校があり、商店街のアーケードをくぐって、左折したところにある。校門が近代的なのは驚いたが、リニューアルしたのであろう。  

池田高校といえば、高校野球甲子園大会で、「やまびこ打線」の異名で名をはせたところ。かつての栄光は消えかかっている状態だが、グラウンドの打球がこだまして、復活を信じたい。  

再び高知県へ足を踏んだ。甲浦(Kan-noura)というところで、徳島県との県境が近いところだ。先日、台風が直撃したせいか、高知県の大半は稲が倒れて、もはや不作を覚悟しなければならない状況にある。見ていて悲しい。一部の水田は早場米なのか、もう刈り取っているところもあった。  

台風の再来か、雨は更に激しくなってきた。この雨ではビショヌレになることは確実。折りたたみのカサをしのばせているが、荷物をかついで歩くには限界を感じた。  

乗った列車は風鈴だらけの車内だが、心地よい音色は鳴らず、列車が終点甲浦に着くと、さっそくログハウスふうの待合室へ直行!! 座敷に荷物を置いて、昼食購入と旅行貯金を決行する!! ちなみに待合室にコインロッカーはなく、座敷には荷物を留守番させておく人もいた。この雨では置き引きはないだろうと思うも、“取られてしまうのではないか?”という少し不安もあるが、10㎏前後の荷物を留守番させた。  

大きなカンバンをカメラつきケータイで撮影。道に迷った時に備えての措置である。  

さぁー歩く。雨が強く、クツとクツシタはビショヌレ!! 長袖のシャツを着ているせいか、袖もぬれてしまった。  

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途中、鯉を放流している川を発見!! 町場の川に鯉を放流しているとは珍しいが、この川は「小池川」という。“小さな池に川がごっちゃになった?!”と混乱しそうな人もいるだろう。

高知に四万十川があるとは全国的に知られているが、小池川を知っている人は地元の人ぐらいしか知らないと思う。ちなみに「小池」という名字は全国で150番目に多いという(本屋で立ち読みをした)。また、第1位は佐藤、第2位は鈴木、第3位は高橋だとか。岸田は何番目だったのかは忘れたが、本には掲載されていなかったので、第151位以降だろう。  


甲浦郵便局



甲浦郵便局で旅行貯金。この雨のせいか、お客は私1人。開店休業状態である。

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旅行貯金を終えると、『小池川をきれいにしましょう。ゴミをすてないように』というカンバンがデカデカとたっていた。ゴミの放流を阻止すべく、鯉を放流しているのかもしれないが、激しい雨のせいか、川の水は四万十川のような清流ではなかった。  

ログハウスふうの待合室に戻ると、荷物は無事。甲浦郵便局近くの狭くて品数の少ない商店(近辺にコンビニまったくナシ!!)で購入した昼食を食って、しばらく休む。ドコモの第3世代携帯電話FOMA(P2102V)が圏外で使えないので、mova(当時、N504i)のお天気サイトにアクセスすると、降水確率70%!! 夜に阿波踊りを見物するつもりでいるが、この様子では本日の開催はないだろう。  

ログハウスふうの待合室にアメリカ人女性がやってきた。どこかへハイキングをしたようで、ザックをしょっているが、ワンピースというイデタチ。スカート部分も短く、よくアウトドアができたものであると感心する(普通はズボンでやるものでしょう)。数分後には仲間が勢ぞろいした。  

海部郵便局



徳島への道中は海部で寄り道し、海部郵便局で旅行貯金。やはり、近辺にコンビにはなく、けっこう不便だが、地元の人は“時間内に済ませりゃいい”という感覚なのだろう。  

そして、徳島へ。阿波踊りの開催を心待ちにする人たちで、ごったがえしたが、この日は豪雨により、中止となった。  

徳島ターミナルビル内郵便局



私は徳島ターミナル内郵便局で旅行貯金。郵便局は営業を終了していたが、ATMが稼動していることと、局員が中にいたため、手が1本入れるほどのシャッターで交渉したところ、局名印と主務者印を押してくれることを引き受けてくれた。こういう手を使うのは初めてだが、こういうことは何度もやるものではない。

 

そこのビル内で食事をとるが、JR四国のハッピを着た阿波踊り軍団は“外でできないのなら、中で!!”と言わんばかりに大暴れ。阿波踊り軍団は営業している店の店員の手を休めさせるほど、トリコにした。なんか楽しそうだったなぁー。

★備考

①今回の記事は2003年8・9月に執筆し、一部、加筆・習性したものです。

②今回の動画は
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さすらいの諸国漫遊記48-3日目 [汽車旅2003]

2003年8月13日(水曜日)、ふと目覚めたら、夜汽車は瀬戸大橋を渡っていた。時刻は4時を過ぎており、まだ夜は明けない。ゆっくり歩むように時間をかけて渡り、それを見届けたあと、再び眠りについた。

四国をメインとした48回目の諸国漫遊は高知へ。私が知っている限り、有名人出身者が四国4県の中では1番多く、間寛平を筆頭に広末涼子、藤川球児(阪神タイガース投手)、島崎和歌子、土佐ノ海、岡本真夜、須藤豊(巨人ヘッドコーチで、2軍監督経験あり)、鹿取義隆(元巨人ヘッドコーチ)、やなせたかしなどがいる。高知の人間は“いごっそう”という言葉があるそうで、意味は「しぶとい」という。  

高知は2001年4月以来、2度目。南国土佐の猛暑を期待していたが、涼しかった。雲が主体で、晴れそうもない。  

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高知と言えば、「日本最後の清流」と称される四万十川が有名。中学の時、社会科教師が四万十川を舞台にした小説を紹介され、“いつかは行ってみたい”と心に決め、2001年4月に実現したので、今回はパス。その代わり、四万十川でロケした『釣りバカ日誌14』のポスターが掲示されていたので、掲載しよう。  

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昼食が欲しいころあいになり、後免(Gomen)へ足を踏む。民家はあっても、商店はほとんどなく、パン屋で昼食にありつく。天気もしだいに晴れてきた。“南国土佐らしくなってきたかな?”と少し期待を持つ。  

奈半利郵便局



奈半利(Nahari)郵便局で旅行貯金し、はりまや橋へ移動。ここは高知県で1番都会的なところだが、都会に住む者にとって、高知は田舎。都会の様相を見せても、“強がり”のようにしか見えない。

東京ほどのマンモス都市ではないせいか、路面電車がひっきりなしに通る。交差点は東西南北へ線路が横断し、縦断。レールが交差して、よく脱線しないなと思う。また、瀬戸大橋の開業を起爆剤に高速道路も延びてきた。瀬戸大橋の通行料が高いので、どのくらい利用しているのかはわからないが、東京・大阪からの夜行高速バスもあるなど、アプローチへの選択肢は昔に比べ、増えた。
 

高知中央郵便局



高知中央郵便局で旅行貯金後、売店で土佐のカツオが入った弁当を購入。特急列車の車中で、食す。肝心のカツオは数が少なかったものの、おいしかった。  

今度はカツオのタタキといきたいところだが、いったい、いくらかかるのだろうか?

★備考

①今回の記事は2003年8・9月に執筆したものです。

②岸田法眼のRailway Blog.「2003年の汽車旅6-2」は
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★おことわり  

前回の記事で「阪神なんば線開幕戦」をお伝えする予定と予告しておりましたが、原稿執筆が長引いている関係で、後日の予定となりますが、場合によっては先行掲載しない可能性もありますので、あらかじめ御了承下さい。

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さすらいの諸国漫遊記48-初日・2日目 [汽車旅2003]

今回から「もう1つの汽車旅」をお伝えすることにしましょう。  

これは2003年夏から2007年春にかけて、鉄道を主体としない紀行を書いておりました。Railway Blogを開設して、しばらくは鉄道主体と別口の立ち寄り先主体に書き分けておりましたが、2008年夏から統合いたしました。但し、旅行貯金はどちらも書いておりました。  

鉄道主体ではない紀行をお楽しみいただければ、さいわいです。

 
2003年8月11日(月曜日)、品川から旅立つ。  

今回の目的地は四国。四国を縦断しようという旅だ。  

今回で48回目の諸国漫遊を迎えるが、「48」という数字は私にとって、エンギの悪い数字である。なぜかは御想像にお任せするとしよう。  

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8月12日(火曜日)、まず先に立ち寄ったのは上郡。ここは兵庫県で岡山県に近いほうだ。人のにぎわいはないが、どこか田舎の雰囲気がただよう。 

上郡郵便局



上郡郵便局で旅行貯金。この「旅行貯金」というのは旅先の郵便局の窓口で預金をし、局名印と主務者印の2つを押してもらうもの。現在、旅行貯金局数は600を越えたが、ただいま集計中である。ちなみにもっとも多いのは東京都で300は超えている。もっとも、関東地方でゆうちょする時は「郵便貯金」と普通に言っているが…

「旅行貯金」  

誰が最初に言ったのかは知らないが、旅好きのあいだではそう呼んでいるらしい。おもにライダーや観光バスの運転士とガイドさんが主流だそうだが、メジャーな“遊び”ではないようである。  

上郡から智頭急行という第3セクター鉄道に乗る。ここでもビックリしたが、2003年に限り、1日乗車券を発売していると窓口で知り、迷わず購入した。お値段は1000円で、片道全区間乗っただけでモトが取れる。  

田舎町を走るローカル線にしては、ずいぶんブッ飛ばし、とりあえず、終点の智頭まで乗る。たんに1日乗車券の効力を生かしたかったからだ。 

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下車すると、駅名は「チズ」だが、町は「チヅ」と称していた。ちなみにここは鳥取県である。  

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智頭郵便局



頭郵便局で旅行貯金。小雨がちょこっと降っていたが、川の流れを見ていると、城下町を感じさせる。 再び智頭急行に乗り、宮本武蔵で下車。この「宮本武蔵」というのは駅名である。  

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宮本武蔵出身地であることから、この名がつけられたというが、町はどこもかしこも宮本武蔵一色!! それもそのはず、2003年のNHK大河ドラマは『武蔵』なのである。私は、大河ドラマは基本的に見ないほうだけど…  

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道を歩いていると、軽トラックが即席商店を営業している。このあたりはスーパーマーケットやコンビニはまったくないほど、何もない。  

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“宮本武蔵フィーバーゾーン”に着いた。まずは神社で参拝。その横にお守りなどを売っているところがあり、その紙を見ると、達筆な毛筆で宮本武蔵は生涯60以上の勝負に1度も負けていないという。かなりの剣豪で、天下無敵の横綱というワケだ。  

博物館や資料館はいくつかあるが、入館料500円ということで、パス。図書館や伝記の本を読むとしよう。  

再び智頭急行に乗り、平福で下車。ここは宮本武蔵初決闘の地があるという。  

駅を降りると、前方に道の駅があり、道ゆく人々は私のような知らない旅人に会釈し、「こんにちは」とあいさつ。恐縮する。  

佐用川(Sayo Liver)では中学生ぐらいの男子が無邪気に川遊びをしている。都会ではなかなか見られない光景で、井上陽水の『少年時代』をバックミュージックで流したいぐらいだ。 近年は犯罪者の低年齢化が進んでいるが、こういう自然のもとで、のびのびさせるべきではないかと思う。田舎の香りを漂わせる町は好きだ。なんてたって私は田舎者なのだから。

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初決闘の地はコジンマリとしたところで、横には智頭急行の列車が通過してゆく。つまり、列車からでものぞけるワケだ(智頭方面の場合、進行方向左側に坐りましょう)。

平福郵便局



道の駅でチョイスした智頭で平福郵便局が所在していたことを知り、旅行貯金。局名印は2種類用意していた。この場合、私は両方いただくことにしており、追加貯金している。つまり、1局につき、貯金は2口なのである。 

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満足して現地を離れた。素敵な田舎町。都会の人々にも見て欲しい。 

その風景に私は癒された。

★備考

①今回の記事は2003年8・9月に執筆したものです。

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2003年の汽車旅10-最終回 [汽車旅2003]

2003年12月30日(火曜日)、急行〈はまなす〉青森行き(8号車自由席スハフ14 509)に乗り、函館本線の函館に到着。ふと目覚めただけだが、快速〈海峡〉の姿は暗くて確認できなかった。たぶん、すでにないのだろう。

函館でED79 4(“ドラえもん海底列車”仕様ではなかった)にチェンジするが、表は急行〈はまなす〉、ウラは寝台特急〈日本海〉と変幻自在。

 

五稜郭から江差線に入り、とある信号所(3か所)では寝台特急〈カシオペア〉〈トワイライトエクスプレス〉〈北斗星1・81号〉札幌行きと行き違い(JR北海道は「行き合い」と表現し、「特別急行」と称するのがお好き)、雪は激しくガラスをたたきつける。

木古内で海峡線、中小国からJR東日本津軽線に入り、終点青森で特急〈つがる2号〉八戸行き(3号車自由席モハE751-101:ファミコンシート)に乗り換え。

E751系は2000年5月の特急〈スーパーはつかり〉以来、2回目の乗車。背面のテーブルと窓かまちが滑りやすい材質のため、テープを貼っていた。ちなみに検札したベテラン車掌は『北海道&東日本パス』の存在を知らず、お客様に説明を受けていた。

余談だが、普通車は“ファミコンシート(リクライニングと座面のボタン配列がファミコンのA・Bボタンみたいだから)”と称している。

猛吹雪の野辺地で普通電車八戸行き(クハ700-1007)、終点で青い森鉄道の各駅停車盛岡行きワンマンカー(IGR7000-103:IGRいわて銀河鉄道車)に乗り換え。

前回乗車時に比べると、雪は好摩-盛岡間以外、かなり積もっている。

終点盛岡でJR東日本東北本線の快速〈はまゆり1号〉釜石行き(1号車自由席キハ112-3)に乗り換え。

特別料金なしでリクライニングシートにくつろげるのは至福の喜び。居住性は急行〈はまなす〉自由席とは大違いであることは言うまでもない。もしかしたら、E751系よりイイかもしれない。

 

花巻で下車し、郵便局を探すが、遠くて断念。

普通電車一ノ関行きワンマンカー(クハ700-1015)に乗り、終点で各駅停車仙台行きワンマンカー(クモハ701-1023:小牛田までワンマンカー)に乗り換え。

「今ぐらい電源切っても友情切れぬ」

「優しさと少しの勇気でゆずる席」

これはJR東日本仙台支社の中吊り広告で、ルールを守りそうもない男女の若者(男は前者、女は後者のフレーズ)のイラストが飾られている。また、仙台Suicaの広告もある。

ICOCAと共通しているのはイメージキャラクターにペンギン、CMに昭和54年(1979年)琉球生まれの女優を起用していることである。

松島で下車。松島は郵便局目当てだったが、時間の都合で断念。

 

普通電車白石行き(クハ718-40)に乗り、仙台で普通電車いわき行き(クハ716-7)に乗り換え。これでこの日の旅行貯金は0。

長町では高架化工事、名取では仙台空港アクセス路線の建設が進んでいる。

常磐線に入ると、海が見えそうで見えない。いや、見せてくれない。そんな感じでだろうか。

富岡付近で、遠目からだが、つかず離れずの“太平洋オーシャンショー”で、広野-四ツ倉間はかなりアプローチしていた。

久ノ浜-四ツ倉間で“太平洋オーシャンショー”は終わりを告げた。

終点いわきで下車し、スタンプを押すが、インキ管理のズサンさにあきれる(花巻もそうだった)。

2005年廃車予定(?!)で構成された普通電車上野行き(クハ401-84:前から4両目)に乗り、勿来(Nakoso)-磯原間で“太平洋オーシャンショー”リターンズ。

土浦で415系1500番台4両増結し、牛久は3番線がフォーエヴァーとなり、雑用のため、北千住で下車。

雑用終了後、快速上野行き(1号車クハE230-68)へ。

日暮里で東北本線に戻り、終点上野に到着した。すがすがしい幕切れだった。

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2003年の汽車旅10-2 [汽車旅2003]

2003年12月28日(日曜日)、急行〈はまなす〉札幌行き(8号車自由席スハフ14 508)は室蘭本線を走っていた。

「電源切れよ!!」

と誰かがケータイのマナーモードに設定していないお客に注意した頃に起き、まもなく、苫小牧。さいわい、時刻表とニラメッコしている隣席の男性もここで降りてくれて助かった(窓側に坐っていたから。もし、そうでなければ終点札幌まで乗っていた)。

苫小牧(自動改札設置駅)で下車し、しばらく待機したあと、普通列車岩見沢行きワンマン列車(キハ40 768:非冷房車)へ。ちなみに青春18きっぷユーザーも乗っていた。

苫小牧は雪なしだったが、沼ノ端からは『北の国から』級の雪原にチェンジ!! また、意外にも三川まで複線で、ここから栗沢まで高校生などがたらふく乗り込んできた。

終点岩見沢に到着し、室蘭本線全線完乗達成!!

函館本線の普通電車滝川行き(クハ711-30:非冷房車)に乗り換え。終点滝川では特急見物のオンパレードだった。

 

根室本線の普通列車釧路行きワンマン列車(キハ40 775:非冷房車)で富良野へ。

富良野では観光にあてるが、富良野郵便局は休業日で旅行貯金ができない。また、黒板五郎の自宅はクルマで30分以上のところにあり、タクシーやレンタカーを使う余裕もない。

街頭地図を見て、私が向かったところは“ヘソ”である。

北海道の中心地はなんと、富良野小学校のグラウンドで、「♪自分の道を踏みしめて♪」という歌詞通りに雪道を歩き、その地に立つ。

 

富良野駅に戻り、富良野線の普通列車旭川行きワンマン列車(キハ150-5)へ。かつて、黒板純とショーキチが同居していたアパートを探すが、見当たらなかった。

 

ほぼ全区間雪原であふれていた。夏だとラベンダーでいっぱいなんだろうなぁー。

西聖和、西神楽、西瑞穂、西御料と4駅連続「西」が続き、富良野線全線完乗達成!!

終点旭川で下車。買物通りをさりげなく歩いたあとは、特別快速〈きたみ〉北見行きワンマン列車(キハ54 502:簡易リクライニングシート&ロングシートのセミクロスシート。非冷房車)へ。ちなみにうしろはキハ54 501で転換クロスシート&ロングシートのセミクロスシートの非冷房車である。

なお、居住性は前者が上だが、座席が回転しない難点がある。

発車すると、宗谷本線を走り、新旭川から石北本線に入る。

伊香牛-愛別間では高速道路建設工事が進み、石北本線は打撃を受けそうな感じ。更に吹雪で、ゆく手を阻むかのような天候である(その景色は美しい)。

上川を発車すると暗くなり、険しい道のりで、16時25分だというのに、三日月のお出ましに驚く。

特別快速と名乗るワリにはスピードは快速〈エアポート〉が上で、みんな退屈な道中。私としては指定席uシートが欲しいところである(ちなみに785系の指定席uシートはケータイの充電ができる)。

丸瀬布(Maruseppu)で、石北本線上りで上白滝に唯一停まる普通列車旭川行きワンマン列車と行き違い、上から読んでも下から読んでも瀬戸瀬を通過。

ベンガル、じゃなかった、遠軽で進行方向が変わり、転換クロスシート車の大半が向きを変え、幸運にも私は座席をチェンジできた(つまり、逆向きに坐ることを回避できたということ)。

終点北見で下車。この日はホテル泊まりである。

さて、北見へ足を踏み入れた時はマイナス9.6℃だったが、就寝前になると、マイナス10.1℃に下がっていた

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2003年の汽車旅10-1 [汽車旅2003]

2003年12月26日(金曜日)、JR東日本東北本線、“北の玄関口”こと、上野から臨時快速〈ムーンライト松島号〉仙台行き(1号車指定席クハネ583-8)で旅立ち。583系は通算4回目の乗車だが、初の逆向きで、シャクであるがガマンする。 ちなみに臨時快速〈ムーンライト松島号〉は上野行きの設定はなく、はるばる仙台の車両基地から回送し、一旦上野に入ったあと、尾久の車両基地へ入り、再び上野へ戻ることになっている。

余談だが、上野駅みどりの窓口で、2004年新春運転の臨時快速〈EL&SL重連奥利根号〉はC57が故障したため、D51単独牽引となり、愛称も“「重連」抜き”である。

大宮で7分停車。貨物列車と寝台特急〈北陸〉金沢行きに道をゆずり、発車。

この電車は宇都宮、黒磯、白河(2時間45分停車の案内にジジイが激怒)、岩沼で運転停車するが、日付が変わって最初に旅客扱いする郡山までの運賃を支払わなければならないことに困惑する青春18きっぷユーザーが多く、車内検札は進まず、若手の車掌には荷が重いようだ。

2003年12月27日(土曜日)、白河では無数の貨物列車が“流れ星”と化し、車内が暑くて寝れないので、デッキへ。冷たい風が心地よい。

 

終点仙台で、仙台市交通局(仙台市営地下鉄)の泉中央行き(1113:ローレル賞プレート車)に乗り換え。

“ファジィ制御”を採用して話題となり、地下鉄では珍しい戸袋窓がある。また、ドコモ東北のキャラクターは関東・四国と同じ加藤あいである(2006年秋でCM出演契約終了)。ちなみに車内でのケータイは電源OFFだが、放送では案内していない。

終点泉中央は巨大なサッカー場や家電のコジマがあるところで、富沢行きで折り返し、終点付近で地上へあがり、全線完乗達成!!

泉中央行き(1107:ローレル賞プレート車)で折り返し、長町でJR東日本東北本線の普通電車仙台行き(AT8110:阿武隈急行車で、〈ホリデー宮城おとぎ街道号〉のヘッドマークつき)に乗り換え(仙台共々、乗り換え時間がかかり過ぎ)。ちなみに阿武隈急行車は優先席付近ではケータイの電源はOFFである。

終点仙台で臨時快速〈こがね平泉号〉平泉行き(1号車指定席キハ59-510)に乗り換え。ちなみにジョイフルトレインの利用は2002年9月の『Kenji』以来、2回目。

 

当初は仙石線に乗る予定だったが、急きょ変更し、臨時快速〈ムーンライト松島号〉仙台行きに乗る直前、上野駅みどりの窓口で購入した。

車内はガラガラで、全車禁煙車だが、2号車に完全密閉の喫煙所がある。

ゆったりとしたリクライニングシートにくつろぎ、松島からしばらくは3号車の展望スペースへ。無人で暖房がかかっていないため、寒い!!(貨物列車のすれ違いを見たあと退散)

一ノ関あたりから雪が降り出し、終点平泉で下車。付近のコンビニで昼食を購入し、駅のストーブで温まり、普通電車盛岡行きワンマンカー(クモハ701-1036)へ。ちなみに北上から乗務員1人プラスもワンマンカーのまんま(よくあることです)。

終点盛岡に着くと、駅名盤は、そこから先の駅は表示しておらず、衝撃的。また、第3セクターIGRいわて銀河鉄道及びJR東日本花輪線直通列車に乗り換えるのに改札を出て、エンエン歩かなければならず、不便きわまりない。おまけにオレンジカードも使えくなり、地元は不満噴出の様子。

 

IGRいわて銀河鉄道の各駅停車八戸行きワンマンカー(青い森701-101)はボックスシートをGET!! ちなみに金田一温泉まで15萬で車両を貸し切ることができる。

目時(第3セクター青い森鉄道管理駅)でIGRいわて銀河鉄道全線完乗達成するも、乗降ナシ!! ここから青い森鉄道に入ると、三戸の駅名盤はJR東日本時代のまま(ほかは第3セクター仕様)。

終点八戸に到着し、青い森鉄道全線完乗達成!!

八戸ではJR東日本東北新幹線〈はやて24号〉東京行きや東北本線の特急〈白鳥15号〉〈スーパー白鳥17号〉函館行きに臨時特急〈つがる75号〉青森行きを見物。

そのあと、東北本線の普通電車青森行き(クモハ701-1001)に乗るも、踏切トラブルで定刻より6分遅れの発車。

強い粉雪の中を爆走し、雪国と化した浅虫温泉で下車。『道の駅 浅虫温泉「ゆ~さ浅虫」』でしばし休息をしたあと、普通電車青森行き(クモハ701-1005)に乗って、終点で下車(初めて青森で下車する)。雪まみれの列車や吹雪を見ると、『津軽海峡・冬景色』を口ずさみたくなる心境である。

青森に戻り、“予想外”ではあるが、臨時寝台特急〈トワイライトエクスプレス〉大阪行きが運転停車。ちなみに電気機関車EF81 114で、青森では30分ほど運転停車していた。余談だが、青森駅は青函連絡船へのアプローチ跨線橋が使用停止になった。

急行〈はまなす〉札幌行き(8号車自由席スハフ14 508)の自由席のりばはかつての“臨時大垣夜行”を彷彿させるほど長蛇の列だが、“「増結1号車2段式B寝台」という名のフェイント”で、自由席のりばは1両うしろへズレるハメとなり、大混乱!! さいわい、全員着席できたようである。

今回、私が使用しているきっぷは『北海道&東日本パス』で、第3セクター鉄道3社(ほかに北越急行)や急行〈はまなす〉自由席が乗れる。おまけに自動改札対応である(その代償として、5日間連続使用となっているようだ)。

発車すると津軽線をゆき、中小国からJR北海道海峡線へ。

23時45分、青函トンネルに突入した頃、私は夢の中。いつも胸をときめく青函トンネルだが、睡魔には勝てなかった。普段はスラブ軌道の轟音が印象に残るが、起こされることはなかった。

◆仙台市交通局ホームページ…http://www.kotsu.city.sendai.jp/

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2003年の汽車旅9-後編- [汽車旅2003]

JR西日本アーバンネットワークの駅は仲間由紀恵オンリーで、阪神タイガース星野仙一シニアディレクターはジョーシン電機のCMに出演してビックリ!! 全国ネットになる日は来るかどうか?

2003年12月21日(日曜日)、6時前の大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線なんばから千里中央行き(10号車1111:リニューアル車)へ。ちなみにルポの前の週の月曜日から谷町線の3号車にも女性専用車を導入した。

梅田で阪急電鉄京都本線に乗り換え。2時間近く待ったが、2003年に入団したルーキー、9300系(ちなみに2004年鉄道友の会ブルーリボン賞はJR四国5000系が受賞)の快速急行河原町行き(9860)へ。

ドアノブやドアそのものにタッチすれば自動で開き、天井はホワイトに極力統一。こげた木目調をやめて、ホワイトに統一すれば、もっとイイんだけど…(伝統にこだわり過ぎ)

網棚もプラスチックながら、すりガラスを使用し、オシャレ。また、“パーラーカー”という40年以上前の国鉄の電車特急を意識したような大きな窓はグリーンガラスを採用しているが、フリーストップ式のカーテンもある。

ドア鴨居付近にはドア開閉時に左右の赤ランプが点滅する仕掛けもあり、ずいぶんコリに凝った感じ。

終点河原町に到着。新型車両に気を取られて乗り越した(?!)熟年夫妻と共に特急梅田行き(9850)で折り返し、烏丸(Karasuma)で京都市交通局(京都市営地下鉄)烏丸線〔四条駅(Karasuma Line.Shijo Sta)〕竹田行き(3123:近畿日本鉄道車)に乗り換え。タイフォンがクルマと同じ「ビーッ」にはブッたまげた。

京都で駅ビルを眺めたあと、JR西日本奈良線の快速〈みやこ路快速〉奈良行きへ(4号車クモハ221-18)。

木津で関西本線の大和路快速加茂行き(2号車サハ220-3:弱冷車)に乗り換え。本当は大阪へ向かいたかったけど、大雪の関ケ原で足止めを食らっては困るので(この日も東海道新幹線は遅れている模様)、終点加茂で1両ポッキリの各駅停車亀山行きワンマンカー(キハ120 14:ロングシート)に乗り換えざるをえない。

 

関西本線も一部で残雪があり、いい眺めだった。たまには別ルートを選択するのもいい。

終点亀山(しぐれ茶漬け食べたいなぁー)でJR東海の各駅停車名古屋行きワンマン列車(クハ312-3018:ボックスシート&ロングシートのセミクロス)に乗り換え、名古屋へ。ちなみに三岐鉄道西桑名駅は自動改札がついた。

終点名古屋で昼食後(もちろん、昼食はきしめん)、セントラルタワーズへ。高島屋は人が多く、各階にTOKYU HANDSがあり、盛況。エスカレーターで下るだけでもロープで大回り誘導されるほど。ちなみに5階以上はなぜかFOMA圏外(今はつながっているでしょう)。また、ドコモの名古屋地区のイメージキャラクターは上戸彩で、「全機種メガピ!!」が現地での505iSシリーズのキャッチフレーズである。

名古屋から東海道本線の新快速浜松行き(クモハ313-11)に乗り、終点で普通電車御殿場行き(クモハ115-1039)に乗り換え、静岡で下車。通常より、早く到着したので晩メシをとる(通常は373系の普通電車東京行きの車中)。

70分後、再び、静岡駅に戻ると、警官の数が1人から10人に増えた。

普通電車御殿場行きが静岡に到着した時から、オッサンが大声をあげていたが、どうやら事故or事件がらみとなり、「特別警戒」の腕章をつけた警官数人はメジャーでホームを計測していた。

帰京の定番として定着している373系の普通電車東京行き(7号車自由席クハ372-2)は定刻通りに静岡を発車した(このまま帰京)。

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2003年の汽車旅9-前編-(221系新快速リターンズ2003Ⅱ) [汽車旅2003]

2003年12月19日(金曜日)、JR東日本品川から東海道本線の臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行き(2号車指定席モハ188-41)で旅立ち。2003年夏は23時40分頃に入線していたが、この冬はなんと23時10分!! ちなみに全車リクライニングシートである(10号車はデラックス車。画像参照)。

2003年12月20日(土曜日)、JR東海に入り、尾張一宮付近で目覚め、高山本線は落石警報で運転見合わせの情報が入り、暗闇の車窓は銀世界。また、臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行きは6分遅れたが、普通電車(高槻-明石間は快速)姫路行き(クハ111-5448:弱冷車、リニューアル車)は乗り換えられた。ちなみに車内では、車掌が乗り遅れ客からの伝言を放送で堂々と流していた。

5分遅れで発車し、米原でJR西日本の新快速姫路行きの接続はなく、次の新快速姫路方面網干行き(2号車モハ223-1012:女性車掌乗務)に乗り換えるも、さっき乗った電車の増結作業にテマドリ(近江八幡まで逃げ切れず、河瀬で異例の通過待ち)、こちらも5分遅れで発車。ちなみに5~12号車は、223系1000番台トップナンバー車である。

 

すれ違う普通電車は223系2000番台なのは悲しく、むなしく、腹立たしく、京都では201系体質改善車を見た。また、201系は通風機の撤去が進んでいる。

山崎-高槻間では、複々線の内側に山陰特急車(1両国鉄色)の回送が走り、外側に特急〈サンダーバード3号〉富山行きが追い抜くという奇妙な光景を見た。

愛知県から続いた雪景色は千里丘で消え、神戸で寝台特急〈なは〉新大阪行きとすれ違ったが、ヘッドマークは雪にかくれ、なおかつ、付属編成抜きの運行。ここから山陽本線に入る。

曽根から再び“雪景色”となり、7分遅れで姫路に到着し、下車。みどりの窓口で某列車の乗変をしてもらい、普通電車三原行き(クハ115-1079:弱冷車。岡山まで女性車掌乗務)へ。“DISCOVER WEST”であることはおわかりでしょう。

 

万富で雪景色は終わり、岡山で宇野線の快速〈マリンライナー27号〉高松行き(1号車グリーン車・指定席5106:1階指定席利用)に乗り換え。

今まで快速〈マリンライナー〉は1回グリーン車に乗った以外、自由席利用だった。213系の指定席は転換クロスシートだったからだが、5000系入団により、リクライニングシートに昇格したので、ためらいもなく、510円投資できる(画像左側は自由席、画像右側は指定席)。

グリーン車はリクライニングの角度、背面テーブルつき、眺望のよさ、シートピッチ以外は指定席と遜色がないので、今回は見送り(2007年以降、バースディーきっぷで利用するだろう。なお、画像左側はグリーン車展望席、画像右側はグリーン車2階席)。

茶屋町発車後、本四備讃線に入り、213系2両編成の普通電車岡山行きとすれ違い、快走!! 耳ツンがした。

児島からJR四国に入る。

「♪遥かなしまなみ 錆色の凪(NAGI)の海♪」

昼間なので“青色の凪の海”だけど、瀬戸大橋を渡り、2003年4回目の四国へ。ちなみに1階指定席からでも瀬戸内海を楽しむことができる。

 

予讃線に入り、終点高松で下車し、『ざるうどんの宗家 川福』駅前店JR高松駅前で釜あげうどん(525円)を舌づつみを打ったあと、玉藻公園(Tamamo Park)へ。さいわい、この日はタダだった。

潮風が強くて、冷たい瀬戸内海を眺めたあと、快速〈マリンライナー40号〉岡山行き(1号車グリーン車・指定席5102:1階指定席)へ。ちなみに1号車は1A・2D・18A・19Dにコンセントがある。また、3号車は車掌室も兼ねている。

JR西日本に戻り、終点岡山で山陽本線の普通電車姫路行き(クハ111-1118:体質改善車)へ。途中の有年(Une)で遅れている特急〈スーパーはくと10号〉の通過待ちにあう。ちなみに特急〈はまかぜ4号〉大阪行きは遅れ1時間以上!!

終点姫路で新快速米原方面長浜行き(8号車クモハ223-1001)、神戸で東海道本線の各駅停車京都行き(モハ207-21)に乗り換え、元町で下車。夜は神戸ルミナリエである。

2003年で9回目を迎え、会場に鐘を設置。スターバックスコーヒーが似合いそうなところだが、露店はたこ焼きやお好み焼きといった“地元の主食”が多いことにビックリした。

三ノ宮で思いがけない情報を入手!! 坐れないことを覚悟して、21時27分発まで待つ。

市販の時刻表に掲載されていなかったが、臨時新快速が2003年冬も運転!! 21時27分発の臨時新快速大阪行きはアーバンネットワークの大エース、221系!!(8号車クモハ221-47に乗車)

2003年7月以来、5か月ぶり2度目のリターンズ乗車で、相変わらず最高の走りを魅せてくれる。ちなみに207系シリーズも臨時新快速要員だとか。

終点大阪で大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線〔梅田駅〕なかもず行き(4号車1725)に乗り換え、なんばで下車。この日はここで宿泊した。

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2003年の汽車旅8-後編- [汽車旅2003]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

終点新大阪でJR西日本東海道本線の快速(明石から普通電車)姫路方面網干行き(8号車クモハ223-3040)に乗り換え、大阪に到着。10番のりばには臨時寝台特急〈トワイライトエクスプレス〉札幌行きが発車を待っているかと思いきや、この日は運転日ではなく、回送。豪華列車のプライドなのか、方向幕は回送ではなく、「トワイライトエクスプレス(英文省略)」となっており、味気なさを出さないようにしている。

大阪で昼食後、下車して某氏と解散。周辺は前日優勝した阪神タイガースのセールがところせましと開催され、路上バーゲンをやるなど威勢がイイ。

復路の乗車券、新幹線特急券を購入したにもかかわらず、大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線〔梅田駅〕へ。大阪へ来たからには乗っていきたいし、みどりの窓口で購入した乗車券は大阪市内の駅では途中下車できないからである。

新大阪行き(1812:リニューアル車)に乗り、終点で下車。少し歩くが、メルパルク大阪郵便局で旅行貯金。名古屋ビル立てこもりのあげく、爆発する事件が発生したことを知る。ホシは死んでおり、道連れ自殺の線が濃厚らしい。

メルパルク大阪郵便局

続いて、新大阪セインシティー内郵便局で旅行貯金。新大阪周辺で歩いたことが少なく、新鮮な気分で新大阪駅に戻ると、帝都高速度交通営団(2004年4月1日、「東京地下鉄」に改称)東西線05系第37編成(ツラはスカイブルーのビニールカバーでかくしていた)をひく貨物列車を目撃!! 窓に貼ってある「川重(川崎重工の略称)」のシールが印象に残る。ちなみに05系は2007年までに5000系を置き換え、新CS-ATC化して、スピードアップする予定(その後、2006年に有楽町線07系4編成を東西線にコンバートして、5000系を置き換える展開となった)。

新大阪セインシティー内郵便局

復路の乗車券を使い、各駅停車高槻行き(クモハ207-1011)で岸辺へ。MAX109㎞/hで快走!! 貨物線では207系2000番台が試運転し、止まっている05系第37編成をひく貨物列車を抜く。

岸辺に到着し、下車しようとJスルー(自動改札機)に乗車券を入れたら、扉が閉まった。有人改札で問い合わせたら、途中下車印を押してもらった。以前、JR東海中央本線中津川で同じメにあったことがあるが、自動改札は意外と不便である。

吹田岸辺駅前郵便局で旅行貯金。局名印はSLが局名入りのトレーラーを牽引しているイラストつきだった。

今度は摂津正雀郵便局(Settsu-Show jaku Post Office)に向かい、東海道本線沿いを歩く。見晴らしがよく、撮影地にはイイところ(但し、クルマに御注意)。また、右側に阪急電鉄正雀工場がある。さいわい、2003年10月14日(火曜日)にデビューする9300系を見ることができた。

摂津正雀郵便局

摂津正雀郵便局で旅行貯金を果たし、岸辺駅に戻り、各駅停車高槻行き(クモハ207-134)に乗って、摂津富田(Settsu-Tonda)で下車。高槻富田丘郵便局で旅行貯金を果たし、この日は5局で終了。

高槻富田丘郵便局

各駅停車京都行き(クハ205-38)に乗り、終点まで乗ってもよかったが、次の高槻で普通電車米原行き(6号車クモハ221-31)に乗り換えた。

京都で下車し、ドコモショップで携帯電話の充電を依頼したあと、京都市交通局(京都市営地下鉄)烏丸線(Karasuma Line)の国際会館行き(1809)へ。烏丸御池(Karasuma-Oike)から先は初乗車で、全線完乗達成!!

折り返し、各駅停車新田辺行き(1209)に乗って、烏丸御池で東西線の二条行き(5613)に乗り換え。ちなみに三条京阪-醍醐間(のちに六地蔵まで延伸)はまだ乗っていない。

余談だが、東西線の発車サイン音は琴の音色とスズメの鳴き声で、日本の鉄道では1番撮影しづらい。

終点二条でJR西日本山陰本線の普通電車京都行き’クハ111-5714:リニューアル車。体質改善車ではない)に乗り換え。架線トラブルで遅れていることを承知の上で乗り換えたが、冷や汗かいた。

終点京都で下車し、ドコモショップで携帯電話を取りに行ったあと、JR東海の東海道新幹線〈のぞみ88号〉東京行き(13号車指定席725-3505)で帰京する。

さて、隣席に黄昏さんが乗っており、どうやら、みどりの窓口で“逆指定”したようである(解散後、メールが来て、帰りの電車と座席を公表した)。

意外と知られていないかもしれないが、指定席は席番指定することができる。よく見られる傾向として、途中から乗ってくる人のために自由席を故意に確保するヤカラがいるとのこと。ぜひ、こういう“ワザ”があることを覚えて欲しい。

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2003年の汽車旅7-後編-(JR東日本165系フォーエヴァー) [汽車旅2003]

2003年8月24日(日曜日)、臨時快速〈ムーンライト信州81号〉白馬行き(7号車指定席モハ183-27)は松本から大糸線に入り、終点に白馬に到着し、下車。夏のアルプスはまだ残雪がある。

 

普通電車信濃大町行きワンマンカー(クモハE127-110)、快速塩尻行き(クモハE127-111)で松本へ引き返し、篠ノ井線の普通電車長野行き(モハ114-1070:リニューアル車)に乗り換え。

この日は数パターンを用意。夜も明けぬ松本で、松本電気鉄道上高地線に乗り換えることを考えていたが、①隣席女性が終点白馬まで利用すること②寝たい③大糸線の車窓を楽しみたいなどから見送り。

この日は某列車に乗るため、時刻表とにらめっこをしたら、弥彦線のダイヤが悪く、乗車見送り。 坂北で快速松本行きと行き違うが、なっなんとE257系!!

「こんなのアリ?!」

 って感じ。ちなみに下りは松本19時30分発が該当するようだ(この記事を掲載している2006年11月22日も変わらない)。

終点長野で下車し、川中島バス若槻循環に乗って、善光寺大門へ。ここまで100円!!

善光寺で参拝し、長野電鉄で戻ることを考えたが、ダイヤがよくなく、川中島バス長野駅行き『びんずる1号』で折り返し。オバサンが運転していたが、サンダルをはいており、道路交通法に引っ掛かるのでは?

長野駅に戻り、信越本線の各駅停車〈妙高1号〉直江津行き(3号車自由席モハ189-40)へ。

ここではFOMAのフル充電にあて、165系・167系が長野の車両基地で無残にも解体。また、豊野付近で、遠目から長野新幹線の車両基地が見えた。

終点直江津で普通電車長岡行き(クモハ115-1561)に乗り換え。たった2両しかなく、全員坐れない。

柿崎まで長い直線で、そこから柏崎まで“日本海オーシャンショー”だが、複線なのに、すれ違う列車が1本だけという光景は異様だった。

終点長岡目前で停止信号が長引き、上越新幹線新潟行きに乗れず(きっぷを買っていなかった)、特急〈北越3号〉新潟行き(6号車自由席クハ481-332)へ。

6号車自由席はリクライニングシート、4・5号車自由席は1段高いデラックスタイプ、指定席は座面も動かせる“ファミコンシート”で、どっちがトクなのか?(半室グリーン車と答える人もいるだろう)

ここで誤算が発生!!

私は新潟で快速〈くびき野2号〉新井行きで折り返すつもりでだったが、なんと新津-新潟間ですれ違うことが判明。やむなく新津まで利用(乗車後の利用区間短縮はできない)。

新津で快速〈くびき野2号〉新井行き(1号車自由席クハ481-1507)へ。ちなみに4号車自由席以外は1段高いデラックスタイプである。

 

長岡で臨時快速〈こころ〉越後湯沢行き(1号車自由席クハ165-203)に乗り換え。ってことは“165系フォーエヴァー”。

宮内から上越線に入り、車内は“『こころ』づくし”で、レールファンと地元視聴者が半々だが、共通していたのはロケ地車窓に興味がないことである。

終点越後湯沢に到着。大半のレールファンは“居残り”で撮影に励み、ベテラン運転士もケータイカメラでナイスショットするシーンもあった(私は1度下車して晩メシ購入)。

普通電車水上行き終電(1号車クハ115-1055:リニューアル車)は満席!! これに乗り遅れると、青春18きっぷで関東地方へ進めない。

終点水上で普通電車高崎行き(クハ115-1022)に乗り換え、激しい雷雨に。

雷雨の痕跡すらない終点高崎で高崎線の普通電車上野行き(10号車クハE231-6003:近郊形タイプ)に乗り換え、帰京。今回は平穏無事に終わった。

※備考:「暴れん坊165系2003(プラットホーム2003)」も合わせて御覧下さい。

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2003年の汽車旅7-前編- [汽車旅2003]

2003年8月22日(金曜日)、出掛けた時にヘッドホンステレオ(カセットテープ)の片方のローラーが外れるアクシデントはあったが、奇跡的に聴ける!! aiwaはスゴイ!!(その後、しばらくは大丈夫だったが、やっぱりこわれた)

JR東日本品川から三たび、東海道本線の臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行き(7号車指定席モハ189-26)で旅立ち。今回は初めてリクライニングシートに坐ったが、3回とも同じ編成だった(10号車指定席はデラックス車)。

2003年8月23日(土曜日)、JR東海に入ると、悪い夢にうなされ、隣席の男(落ち着きのないヤツだった)にヒジテツしてしまった。

終点大垣に到着し、普通電車豊橋行き(クハ310-5)で岐阜へ。

名古屋鉄道新岐阜駅へ移動し、各務原線(Kakamigahara Line)の普通電車(新鵜沼から急行)内海行き(1号車3113:新鵜沼から5号車)へ。ちなみに新岐阜は現在、「名鉄岐阜」に改称している(次からは「名鉄」と略す)。

高田橋からJR東海高山本線と並走し、新鵜沼に到着。各務原線全線完乗達成!!

新鵜沼で4両増結し、3113は1号車から5号車に変わり、ここからは犬山線へ。犬山で小牧線の普通電車平安通行き(311:ワンマン)に乗り換え。

2003年春に利用した時は車掌乗務の肉声放送だったが、現在はワンマン運転の自動放送(英語つき)に変わった。

小牧原で桃花台新交通桃花台線“ピーチライナー”の桃花台東行き(№1 115:ワンマン運転)に乗り換え。ちなみに№4(4号車のこと)は弱冷房車で、新交通と言えども運転士が乗務している。

東名高速をまたぎ、すぐのところが終点桃花台東。付近には高速バスの桃花台停留所がある。

Uターンシーン(「nターン」「Ωターン」が適切かも)を見届け、小牧行き(№1 111)へ。終点小牧まで乗り、全線完乗達成!! しかし、2006年9月30日(土曜日)でフォーエヴァー



下車して、小牧駅前のオブジェを少し眺め、名鉄小牧線に戻り、普通電車平安通行き(335:ワンマン運転)へ。ロングシートより、転換クロスシートに人気集中!!

牛山で日航ジャンボ機が離陸。このあたりに小牧空港があるようだ。

味鋺(Ajima)発車後、地下へ入り、上飯田に到着すると、ホームドアがあり、ここから名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)上飯田線へ。

わずか1区間で終点平安通に到着し、全線完乗達成!!

普通電車犬山行き(333:ワンマン運転。名鉄車)に乗り、地上へ登ると、廃線区間は駐車場にチェンジ!!

上飯田から名鉄小牧線に戻り、終点犬山で犬山線の急行内海行き(6460)に乗り換え、上小田井で名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)鶴舞線へ。

 

名鉄車2本を見送り、“3度目の正直”で、地下鉄車が到着。豊田市行き(3123)へ。

赤池で全線完乗を果たし、名鉄豊田線へ。

梅坪で全線完乗を達成し、三河線に入り、終点豊田市に到着。普通電車知立行き(6243:ワンマン運転)に乗り換え。

名鉄のドアチャイムは帝都高速度交通営団(2004年4月1日、「東京地下鉄」に改称)のパクリで、この電車はアレンジしていた。

若林-三河八橋間で第2東名高速らしき道路が大々的に建設され、終点知立に到着。すぐさま普通電車碧南行き(For Hekinan.7714)に乗り換え。ちなみに転換クロスシート主体で、ロングシートは“ペアシート”といったところ。

終点碧南で普通列車吉良吉田行き(32:ワンマン)に乗り換え。 2000年夏に利用しようとした時、寝過ごしによる乗り遅れでアウト(1時間に1本しかない)だったが、今回はセーフ。

客層は60代以上が占め、終点吉良吉田に到着。なお、西中金-猿投(Sanage)間と碧南-吉良吉田間は2004年3月31日(水曜日)でフォーエヴァー。

大半は蒲郡線の普通電車蒲郡行き(6013:ワンマン運転)に乗り換え、途中で“三河湾オーシャンショー”、蒲郡競艇場前で大量下車があり、終点で全線完乗達成&下車(やっと昼食)。

JR東海、東海道本線の新快速浜松行き(クモハ313-12)に乗り、終点で遠州鉄道〔新浜松駅〕鉄道線の西鹿島行き(1502)に乗り換え、全線完乗達成!!

1002で折り返し、浜松駅ビル探訪後、JR東海、東海道本線の普通電車静岡行き(クハ111-747)へ。

 

終点静岡で下車し、晩メシ購入後、普通電車東京行き(7号車自由席クハ372-4:熱海まで女性車掌乗務)へ。

いつも“しめくくり”として、利用しているが、今回は初めての“中継ぎ”利用である。

熱海からJR東日本に入り、終点東京に到着し、“中央線(東京―神田間は東北本線、神田―代々木間は中央本線、代々木―新宿間は山手線、新宿から先は中央本線)”の快速(吉祥寺から各駅停車)高尾行き(10号車クハ200-129)に乗り換え。 新宿に到着すると、快速〈ムーンライトえちご〉新潟行きを発見!!

485系にチェンジ後、初めて見るが、内装は整備され、国鉄色でも逆三角形の特急マークがあるから貫禄充分!!(臨時快速〈ムーンライトながら91・92号〉はなし)

発車すると、7・8番線は消灯され、私は中央本線の臨時快速〈ムーンライト信州81号〉白馬行き(7号車指定席モハ183-27)へ。

指定席券は2003年8月19日(火曜日)に購入したが、満席というところをみると、私は滑り込みセーフだったようである。

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2003年の汽車旅6-最終回 [汽車旅2003]

2003年8月17日(日曜日)、前日、東京発着の夜行列車は起終点変更や運休など、大混乱だった。

金山のインターネットカフェで一夜を明かし、旅行代理店がOPENするまで時間があるので、名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)名城線へ。

新瑞橋行き(For Aramata-Bashi.2121)に乗り、名城線全線完乗達成!!(但し、2004年全通するので、白紙に戻るが、すでに乗っている)

桜通線野並行き(6301:ワンマン)に乗り換え、終点で折り返し、中村区役所行き(6101:ワンマン)へ。ちなみに桜通線は日本の鉄道では珍しい右ハンドルで、あとから増結した車両は妻面に窓がある。また、吹上ではFOMAのアンテナがたっていた。

今池(名古屋までは地下でもFOMAはOKで、電話を着信。また、近畿日本鉄道の近鉄名古屋でも大丈夫)で東山線藤ケ丘行き(5351:夢塗装車)に乗り換え。ちなみに夢塗装車はビジュアルを重視した松坂屋の宣伝。

一社を発車すると、地上へ。地下鉄が地上を走る景色はいつみても新鮮。

終点藤ケ丘に到着。折り返し、高畑行き(5151:夢塗装車)に乗り、池下ではコカコーラの夢塗装車と遭遇!!

再び今池で桜通線中村区役所行き(6819)に乗り換え。名古屋でモヌケのカラとなり、終点中村区役所に到着し、桜通線全線完乗達成!!

野並行き(6814)で折り返し、名古屋で東山線の高畑行き(5164)に乗り換え。

ホームが改装された東山線名古屋駅は撮影禁止だそうだが、のちに全駅全面禁止と知る(昔、テレビ局の撮影機材がお客と接触して、ケガをしたらしい)。

終点高畑に到着。未乗車区間の栄‐今池間はコカコーラの夢塗装車に乗ると決め、意外と待ったが、到着。折り返し、藤ケ丘行き(5163:夢塗装車)である。

今池で東山線全線完乗達成!!

高畑行き(5351:松坂屋夢塗装車。女性車掌乗務)で折り返し、名古屋で下車。

なお、名古屋市交通局の地下鉄は現在、地上以外は携帯電話の電波は圏外になっている。

そのあと、旅行代理店を探すが、VIEWカードでJRきっぷが買えるところがなく、フラフラ歩いていたら、JR東海ツアーズを見つけた。

JR東海の東海道新幹線東京行きの〈ひかり〉〈のぞみ〉指定席・グリーン車は満席。〈ひかり〉〈こだま〉で自由席を利用しても、坐れる可能性0%だろう。 JR東海ツアーズは「2003年の汽車旅5-3・最終回(東海道新幹線100系フォーエヴァー②)」で利用しており、分割払いはできないが、VIEWカードは使える。

時期が時期なので、JR東海ツアーズの社員は汗ダクだったが、〈こだま468号〉東京行き(9号車グリーン車319-32)が取れた。おまけに東京からの乗車券を発券してもらい、私は何から何まで恐縮しきりだった(JR東海とJR東海ツアーズの接客態度がこれほど違い過ぎるのはなぜだろう?)。

時間まで近鉄名古屋駅で見学。12時00分発の名阪ノンストップ特急難波行き『アーバンライナーnext』と12時30分発の特急難波行き『アーバンライナー』をダブルで拝見し、1日遅れの帰京である。

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2003年の汽車旅6-5 [汽車旅2003]

2003年8月16日(土曜日)、臨時快速〈ムーンライト松山〉京都行き(9号車指定席オハ14 48)は運転停車の多度津で、臨時快速〈ムーンライト高知〉京都行きと合体。宇多津で本四備讃線に入り、児島からJR西日本へ。茶屋町で宇野線に入り、岡山で臨時快速〈ムーンライト山陽〉京都行きと合体し、山陽本線をゆく。

神戸から東海道本線を走っているが、6時12分頃、山崎-長岡京間で、思いがけない光景を目にした。

それは寝台特急〈あさかぜ〉下関行きとすれ違ったのである。前日、東京は豪雨だったらしいが、その影響なのだろうか?

臨時快速〈ムーンライト山陽・ムーンライト高知・ムーンライト松山〉京都行きは終点目前で、長い停止信号にあい、なんと寝台特急〈サンライズ瀬戸・サンライズ出雲〉松山・出雲市行きとすれ違う!!

結局、定刻より2分遅れて終点京都に到着。2番のりばには寝台特急〈出雲〉出雲市行きの姿が…

折り返して、快速(明石から普通電車)姫路行き(1号車クハ221‐57:弱冷車)へ。

沿線では撮影隊が見られたが、目玉の臨時列車でも走るのだろうか? ちなみにこの日は曇ったり、晴れたりとスッキリしない天気である。

大阪で大阪環状線の関空快速関西空港行き&紀州路快速和歌山行き(8号車クモハ223‐104:紀州路快速に乗車)に乗り換え。天王寺から阪和線に入り、堺市までドア上LEDの駅名案内が誤表示で、阪和線一部区間では高架工事を行なっていた(2006年に工事は完了している)。

日根野で、熊取で抜かれた各駅停車が終点に到着。MAX110㎞/hの205系1000番台だが、方向幕のコマにデカデカと新快速(種別のみ)があることに驚く。出番はあるのだろうか?

終点和歌山で下車し、和歌山バス和歌山市駅行きシャトルバスへ。10分おきの運行で、徳川吉宗の故郷(和歌山城)を通るせいか、そこそこの利用はあり、所要時間13分ほど。一方、JR西日本紀勢本線は近道・早道にもかかわらず、本数が少なく不便。

終点和歌山市駅に到着し、南海電気鉄道南海本線の急行なんば行き(7019)へ。こちらも女性専用車を設けている。関東の京王電鉄が導入し、あとからつけた関西が加熱していたが、2005年5月以降、首都圏が加熱している。

みさき公園で多奈川線の多奈川行き(2251:ワンマン)に乗り換え。途中駅は深日町・深日港と“FUKEづくし”で全線完乗達成!!

 

残るは高野線と鋼索線だけとなり、“特急〈こうや〉利用で完全制覇”という青写真が現実味を帯びてきた(ちなみにそれについては2006年1月に実現した)。

2201で折り返し、南海本線の特急〈サザン10号〉なんば行き(自由席7181:女性車掌乗務)に乗り換え。発車すると、“紀伊水道オーシャンショー”で、大阪府南部の海は紀州に近いこともあってか、綺麗である。

泉佐野で空港線の空港急行関西空港行き(1503:夢塗装車)、りんくうタウンで、JR西日本関西空港線の関空快速大阪経由京橋行き(2号車サハ223-101)、日根野で阪和線の快速天王寺行き(1号車クハ221-22:弱冷車)で軌道修正完了!!(本来は和歌山で221系快速に乗るつもりでいた)

終点天王寺で関西本線の大和路快速(大阪から各駅停車)天王寺行き(6号車クモハ221-29)に乗り換え、新今宮から大阪環状線に入り、大阪で軍資金補強と昼食補給で下車。

大阪から東海道本線の快速(高槻から普通電車)米原行き(8号車クモハ221-75)へ。乗車時点から空席があり、ホームで並んでいる人たちは新快速米原方面長浜行きに乗る。ちなみにこの日の新快速は12両運行が多く、各駅停車も207系2000番台の“足ならし運行”が多かったように思える。

東淀川では特急〈オーシャンアロー17号〉新宮行き、221系の快速(明石から普通電車)神戸方面加古川行き、臨時特急〈サンダーバード86号〉大阪行きと“トリプルすれ違い”は圧巻!! また、京都発車時に485系旧〈しらさぎ〉塗装(パノラマグリーン車含む)の団体とすれ違った。 

終点米原で東海道本線三島-小田原間が豪雨で運転見合わせの一報が入り、不安を抱え、JR東海の普通電車大垣行き(クモハ211-5041:女性車掌乗務)に乗り換え。

終点大垣で特別快速浜松行き(クモハ313-12)に乗り換え。

尾張一宮の留置線でJR東日本189系が休息し、寝台特急〈さくら・はやぶさ〉長崎・熊本行きが12時間以上も遅れて通過!!(その後、回送と判明)

更に金山と新居町以降は乗り切れないほどの大混雑で、積み残し発生!! だいたい4両しかなく、いつも混雑しているにもかかわらず、ラッシュ以外、増結せず新幹線ばかりに力を注いでいるからこうなるのだ(2006年10月にようやく改善)。

おまけに浜松で足止めを食い、JR東海の心ない応対ぶりに激昂!!(帰京・上京したい人間が多いのだから、当然のことだが、ヤリ過ぎたか…)

東海道新幹線が運行しているにもかかわらず、物事を杓子定規にしか見ない姿勢は問題だ。

所持金が少ないため、みどりの窓口でVIEWカード分割払いで、東海道新幹線を使おうとしたが、JRカードではないことを理由に拒否!!(JR西日本は使えた。のちにJR東海みどりの窓口でも、大半のクレジットカードが使えるようになる)

浜松駅前で詩を書きまくる男女とシロートバンドのノンキな路上ライブで少し落ち着き、特別快速大垣行き(クハ312-21)で金山へ。

この日はインターネットカフェで宿泊した。

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2003年の汽車旅6-4 [汽車旅2003]

2003年8月15日(金曜日)、この日も雨の高松市からスタート!!

JR四国高徳線栗林(Ritsurin)から各駅停車高松行き(1024)に乗り、終点で予讃線のエル特急〈いしづち5号〉松山行き(1号車グリーン車・指定席8002:グリーン車利用)に乗り換え。ちなみに8000系の進行方向左側の前寄り(すぐデッキ)はパソコン電源(コンセント)とパソコンテーブル(5㎏以内対応)がある(リニューアル以前の話)。


 

 余談だが、快速〈マリンライナー8号〉岡山行きのグリーン車はジョイフルトレイン『スーパーサルーンゆめじ』1両を連結!!(クロ210-1001) この場合、サハ213形を脱車する。また、この日の寝台特急〈サンライズ瀬戸〉は松山行きである。


高松を発車すると、車内検札。特急はいつもベージュの制服なのに、普通の列車で着ているものだったが、車掌は多度津まで乗務するらしい。

宇多津で、先に到着していたエル特急〈しおかぜ1号〉松山行きとドッキング!! ここからはエル特急〈しおかぜ1号・いしづち5号〉松山行きとなる。

多度津でエル特急〈南風2号〉岡山行き“アンパンマン列車”が遅れていたため、3分遅れで発車。単線となり、ところところで、瀬戸内海オーシャンショーを展開。雨もあがり、快晴といきたいところだが、晴れない…

8000系グリーン車は2000系と同様に半室だが、読書灯がついていることや、床がカーペット敷きではない。また、進行方向が松山寄りだと左側は8000系2人掛け、2000系1人掛け。右側はその逆という大きな違いがある。共通しているのはひざかけ毛布が少ないことだろう。

川之江から車販が乗り込み、エル特急〈しおかぜ1号・いしづち5号〉松山行きは山間部へ。ここまでハイスピードで突っ走ってきたが、少し落ちた。新居浜が近づくと、天気は晴れたり、曇ったりとハッキリしない。

今治を発車し、“瀬戸内海オーシャンショー”になると、天気もP-KAN!!(今回の四国滞在で初めて) また、オバサンが乗り込み、ゴミ回収。折り返し時間が短いため、手際よく次のお客様を迎えなければならないようである。

終点松山でエル特急〈宇和海5号〉宇和島行き(5号車指定席2151)に乗り換え。念願だった内子線の昼間の車窓を味わう(山ばっかりで、ムチャクチャ速い!!)

 

宇和島愛宕町郵便局



終点宇和島で下車し、徒歩15分のところにある宇和島愛宕町郵便局で旅行貯金。途中、『麺処菊屋』という“行列のできるお店”を通った。

宇和島駅に戻ると、改札横に携帯電話ボックスがあることを御存知だろうか?

これは2001年に『秘密の爆笑大問題』で取り上げたのだが、ヤッパリ使っている人はいない。

宇和島駅にある『コンビニエンス エルスター』宇和島駅店で、とり丼(300円)を購入。ウマカッタ。

エル特急〈しおかぜ22号〉岡山行き“アンパンマン列車”(1号車グリーン車・指定席2004:グリーン車利用)へ。普通車の天井にアンパンマンキャラがあるものの、グリーン車はない。ちなみに私はJR四国のエル特急乗車を完全制覇!!

 

宇和島発車後、留置線で前日、徳島で見たジョイフルトレイン『アイランドエクスプレスⅡ』を見た。

松山に到着。利用はここまでだが、ここで3両増結。そして、隣りの2番のりばではエル特急〈しおかぜ9号〉宇和島行き“アンパンマン列車”が登場!! ここで3両を切り離し、それをさっきまで乗っていたヤツにつなげるという“荒ワザ”で増結。まさに“暴れん坊アンパンマン”年中無休の活躍ぶり。

下車して、伊予鉄道完全制覇チャレンジ!! まずは2番松山市駅行き(76:ワンマン)へ。






そのあと、雑用をすませ、〈坊っちゃん列車〉道後温泉行きで、NHK松山放送局が取材をしていた。

非冷房客車の車番は不明だが、機関車は14。タテに揺れ、ゴツゴツした不思議な乗り心地だった。

終点道後温泉で3番松山市駅行き(2102:ワンマン)へ。ハヤリの超低床式電車だが、乗り心地はよく、運転席すぐうしろの“特等席”は気に入った。

上一万で2番(環状線)松山市駅行き(2104:ワンマン)に乗り換え。 平和通1丁目-宮田町間はちゃんとした軌道があることに驚いた。

西堀端で6番本町六丁目行き(74:ワンマン)に乗り換え、終点に到着し、伊予鉄道路面電車(花園線、大手町線、城北線、本町線、城南線)をまず制覇(花園線は2000年12月27日に全線完乗済み)。

2番松山市駅行き(2104:ワンマン)に乗り換え、古町(KOMACHI)で、高浜線高浜行き(822)へ。

港山-高浜間は“瀬戸内海オーシャンショー”で、夕日が近いせいか、若者はロマンティックムードがサクレツ?!

折り返し、横河原行きで高浜線・横河原線全線完乗を達成!! しかし、郡中線は日没により、次回へ持ち越し(基本的にお初の路線はやむをえない場合を除き、地下鉄以外、車窓を満喫したい主義)。これには高浜駅すぐに郵便局がありながら、時間切れで旅行貯金ができなかったこともある。

 

大手町で下車し、松山駅へ。

晩メシと携帯電話の充電後、特急〈ミッドナイトEXP松山〉伊予西条行き(2号車自由席8306)に乗り、終点で下車。きっぷをチェンジし、臨時快速〈ムーンライト松山〉京都行き(9号車指定席オハ14 48)へ。いよいよ帰京である。

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2003年の汽車旅6-3(JR四国完全制覇達成!!) [汽車旅2003]

2003年8月14日(木曜日)、雨降りしきるJR四国予讃線香西から各駅停車高松行き(クモハ120-16)へ。

終点高松でエル特急〈しまんと1号〉高知行き(1号車指定席・自由席2463:N2000系指定席利用)へ。ちなみに1号車1番A・B席と13番C・D席にコンセントあり!! おそらく、2000系は各車両2か所にあるのではないだろうか? ちなみにエル特急〈しまんと1号〉高知行きはたった2両編成である。わざわざ指定席を取らずとも、充分な乗車数で、10人も乗っていないありさまだが、旅人なゆえ、いちおー、万一に備えた。

台車の上に坐っているせいか、よく揺れる。揺れというより、振動がスゴイ。背面テーブルでは何度、ノートが落ちそうになったことか…

多度津から土讃線に入り、琴平を発車すると、いよいよ登り坂。カーブや勾配がキツく、周囲は田畑以外、ほとんどない。

2000系はここぞと言わんばかりに車体をクネクネ曲げている。果敢に登り坂へアタック!!

1つのヤマを抜け、宅地が多くなってきた。進行方向左側には高知自動車道がそびえ立ち、JR四国にとってはなによりの強敵である。

阿波池田で下車し、初めて徳島県に足を踏み入れた。残るは沖縄県だけ(翌年、足を踏み入れた)。

「♪池高、池高、おぉーおぉー、我らが池高(だったと思う)♪」

激しさを増した雨の中、まっさきに向かったのは池田高校。20年ほど前は“やまびこ打線”で、名をはせたが…

山間部のせいか、8月だというのに長袖を着ても肌寒く、私は特急〈剣山4号〉(牟岐から普通列車)海部行き(For Kaifu.1号車自由席キハ185-26)へ。方向幕はなぜか「特急剣山牟岐(英文省略)」だった。

 

あわただしく入線し、折り返しの車内清掃もなく、座席の向きを変えただけであわただしく発車する。

私は1号車自由席の最前列(15番A・B席)をGET!! 佃を通過すると、徳島線に入る。

阿波加茂に到着し、2人乗車。発車すると、直線を心地よく走るが、乗務員室のスピードメーターをのぞくと、80㎞/hしか出ておらず、特急としては物足りない。

徳島線もカーブが多く、振子機能のないキハ185系は減速を余儀なくされるが、その分、先ほどのエル特急〈しまんと1号〉高知行きみたいにテーブルが震動するほどの揺れはなく、2000系より快適と言える。

貞光を発車すると車内検札。車窓はところどころで、“吉野川リバーショー”を繰り広げるので、さすがは“吉野川ブルーライン”という路線愛称をつけるだけのことはある。

穴吹では普通列車阿波池田行きと行き違い。車掌は先頭1号車からドアを開けた。

鴨島で保線係が下車し、普通列車阿波池田行きと行き違う。発車すると、100㎞/h近くまで飛ばし、前面展望を心地よく楽しむ。

石井で普通列車徳島行きを抜き、府中(Koh)で特急〈剣山3号〉阿波池田行きと行き違い、蔵本は無人駅で、車掌はきっぷを自主回収。

佐古は通過し、徳島線全線完乗達成!! それと共に高徳線の普通列車徳島行きも抜く。

高徳線に入り、徳島で私以外は総入れ替えとなって、ここから牟岐線(Mugi Line)“阿波室戸シーサイドライン”へ。この列車の全区間乗車は私だけらしい。

南小松島で数人下車し、発車するとカーブ、カーブ。JR四国は本四備讃線以外、カーブがキツイようだ。

徳島線、牟岐線に2000系を導入しないのは軌道強化をしていないことやクルマの影響を大きく受けていないからだと推測する。

羽ノ浦では若干下車し、発車すると那賀川を渡った。

阿南を発車すると、スピードが鈍り始め、カーブと勾配が続く。キハ185系の弱点だ。

キハ185系は昭和61年(1986年)、当時の国鉄に入団。四国に投入した特急形気動車で、ステンレス製が印象に残るものの、部品の一部は廃車した急行形気動車を再利用するという、国鉄の財政を物語る一面もあった。

当時は電車の185系と同じグリーンの帯を締めていたが、JR四国として増備した車両は瀬戸大橋の開業を控え、自社のイメージカラーである水色に変更。すべての国鉄車を塗り替えるほど、積極的だった。

しかし、キハ185系の全盛期は短く、平成元年(1989年)に世界初の振子気動車、2000系が入団し、平成2年(1990年)に量産車の投入で看板車両の座を奪われ、平成4年(1992年)に一部車両がJR九州に移籍。平成10年(1998年)には一部車両を一般型に格下げ、更にはジョイフルトレイン『アイランドエクスプレスⅡ』に改造される車両も出てくるなど、波瀾万丈。また、JR四国所属車の方向幕は国鉄時代と変わらないことも記しておきたい。

由岐は木造のシャレた駅舎が目に付き、数人下車。木岐(Kiki)から下り坂に入り、少し軽快に走り、日和佐に到着。

発車すると、車掌は自由席特急券を回収するが、キハ185系のあえぎっぱなしの苦戦は相変わらずだ。

牟岐1番のりばに到着し、大量下車。ここからは鈍行。方向幕も「普通」にチェンジ!!

牟岐を発車すると、淺川まで紀伊水道オーシャンショーがあり、終点海部に到着し、牟岐線全線完乗を達成!!

そのあとは第3セクター、阿佐海岸鉄道阿佐東線の甲浦行きワンマン列車“風鈴列車”(For Kan-noura.ASA-201)に乗り換え。海部-宍喰(Shishikui)間は“紀伊水道オーシャンショー”であるが、風鈴の音色はなし。

終点甲浦に到着し、全線完乗達成!! そして、“阿波室戸シーサイドライン”もここがゴール。

甲浦郵便局



降水確率70%の甲浦駅から徒歩15分のところにある甲浦郵便局で旅行貯金。近くには川があり、コイを放流している模様。また、私はビショヌレ!! 汽車旅遊史上、最大の雨だろう。

駅舎で休憩し、海部行きワンマン列車“風鈴列車”(ASA-201)へ。ここではアメリカ人軍団が大半で、中央のロビーカー的なソファでくつろぎ、風鈴が珍しい様子。

海部郵便局



終点海部で下車(なんと無人駅だった)し、徒歩5分のところにある海部郵便局で旅行貯金。

しばらく休み、牟岐線の普通列車(牟岐から特急〈むろと2号〉)徳島行き(1号車指定席・自由席キハ185-18:指定席利用)へ。ちなみにキハ185系の特急利用は2000年12月の特急〈あそ〉以来で、この時はある理由で自由席の喫煙車に乗っているが、座席は快適でも、空気がね…

余談だが、特急〈むろと2号〉徳島行き1号車の自由席は1~11番席、指定席は12~15番席である。

終点徳島で高徳線の各駅停車高松行き(キハ47 115)、池谷(Ikenotani)で鳴門線の各駅停車鳴門行き(キハ47 1132)に乗り換え。ホームが離れており、雨だから大変!!

池谷を発車すると、ドロ水と化した川を渡り、グリーンの畑をゆく。傘になりそうな、すげぇー葉だ。JR西日本山陽本線南岩国あたりもそんな感じ。

終点鳴門に到着し、鳴門線全線完乗を達成!! これでJR四国完全制覇に王手!!

折り返し、各駅停車阿南行き(キハ47 1087)に乗り、高徳線徳島へ。ちなみにこの日の阿波踊りは中止。

徳島ターミナルビル内郵便局



徳島ターミナルビル内郵便局でミラクル旅行貯金?!(実は時間外だが、ある手を使い、成立)



徳島ターミナルビル内で食事。ここでJR四国の阿波踊り軍団が乱入し、お店は営業にならない?! だけど、楽しそう。

高徳線のエル特急〈うずしお26号〉高松行き(3号車自由席2428:N2000系)へ。ちなみに1号車指定席はTSE(2000系試作車)。

車内では2代目快速〈マリンライナー〉デザインのアサヒスーパードライで前祝い?! デビュー日のグリーン車は完売間違いナシだろう。

列車は志度に到着!! ここである出来事が発生!!

それは1998年4月、初めて四国へ上陸してから、5年4か月の月日が流れ、JR四国完全制覇を成し遂げた!!(JRでは2社目)

終点高松に到着し、ひと仕事をやり終え、充実感にあふれている私は再び高徳線のエル特急〈うずしお27号〉徳島行き(1号車自由席キハ185-22)へ。

次の栗林(Ritsurin)で下車し、この日は某ホテルで宿泊。経営者は女性中心で、かなりのコストパフォーマンスらしいとは知っていたが、その徹底ぶり(キーを差し込まないと電気がつかなかったり、冷蔵庫の中は何もなし)に驚いた。

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2003年の汽車旅6-2 [汽車旅2003]

2003年8月14日(水曜日)、臨時快速〈ムーンライト山陽・ムーンライト高知・ムーンライト松山〉下関・高知・松山行きは山陽本線の岡山に到着。ここで臨時快速〈ムーンライト山陽〉下関行きと切り離し、先に発車。臨時快速〈ムーンライト高知・ムーンライト松山〉高知・松山行きは引き続き、“お手々をつなぐ”ことになっている。

ノドがかわき、たまらずホームの自販機へ。ポカリスエットを購入すると、一気に飲み干した。

隣りのホームには臨時快速〈ムーンライト山陽・ムーンライト高知・ムーンライト松山〉京都行きが停まっており、先に発車。俺の推測だが、岡山まで牽引したディーゼル機関車は休むヒマもなく、すぐに折り返し、臨時快速〈ムーンライト高知・ムーンライト松山〉高知・松山行きの任務に就くと思われる。

DE10 1094が連結され、発車。宇野線へ進む。なお、途中の多度津で、臨時快速〈ムーンライト松山〉松山行きと切り離し、別のディーゼル機関車をつけることになっているが、時刻表では通過扱いの運転停車となっている。

快速〈マリンライナー〉とすれ違うことはないから、意外と早く進み(それでもMAX95㎞/hだが…)、茶屋町から本四備讃線に入り、児島で運転停車。ホームにあかりは灯っておらず、乗務員はJR西日本からJR四国にチェンジ。こんな時間に起きてしまうと、瀬戸大橋を渡りきるまでは寝られないという心境におちいってしまう。

児島を発車すると、ガタッとスピードが落ち、瀬戸大橋に突入!! ゆっくり走っているのは騒音対策である。

瀬戸大橋の夜景を見ている者はそうそういるワケもなく、みんな夢の中だ。

瀬戸大橋を渡り終えたところで、予讃線に入り、再び眠りにつき、気がついたら、土讃線の土佐北川に止まっていた。ここでエル特急〈南風2号〉岡山行き“アンパンマン列車”と行き違った。

7時19分、臨時快速〈ムーンライト高知〉は定刻通り、終点高知に到着した。

休憩後、前回の汽車旅で大阪駅のワーププラザ(JR四国の旅行代理店)で購入したバースデイきっぷを使い、エル特急〈あしずり1号〉宿毛行き(1号車グリーン車・指定席2011:グリーン車に乗車。窪川から女性車掌乗務)へ。4両の車内は満員御礼で、入線前の自由席のりばは長蛇の列だったが、よく収まったものである(ちなみに4号車はN2000系)。

8時19分に発車。私は1号車グリーン車の最前列に坐るが、うしろ1列以外、埋まった。

最前列で前面展望ができるかと思いきや、そうでもない。

3人の男性がデッキで、仁王立ちして前面展望をするものの、伊野到着前、車掌が現れ、座席に坐るよう、指示を出したようである。ちなみに3人の男性はあえなく退散したが、グリーン券は持っていなかった模様。

伊野発車後、グリーン車では車内検札。ベージュのさわやかな制服を身にまとった車掌がおしぼりを配る。スーツのポケットに無造作に入れているのはいかがと思うが、業務上、やむをえないところか。ちなみに乗務員室にはバスケットがあったが、すべての車両にまわる都合上、効率の悪いことはしたくないのかもしれない。

前面展望は2人掛けの1A・B席がよく、夫婦が楽しんでいる様子。こちらは1人掛けで、乗務員室の左側の窓が小さいため、運転士の動作を見るのみだが、気ままに過ごせるのはいい。しかし、禁煙車なのに、ひじかけの灰皿が開くのはもってのほかだが、こういうのはJR四国以外にもあるため、困り果てている。

ひじかけにテーブルがないというのは意外だが、背面のテーブルでこと足りるのであろう。向かい合わせにした時は食事の面で苦労するに違いない。

ひじかけは革張り。床はカーペットが敷いてあり、高級感を演出。坐り心地は申し分なしにいい。また、背もたれが高い。

カーブでもスピードは落ちず、ダイナミックに進むも、このルポをする前の週の台風で、稲はかなり曲がっていて、見ていて気の毒だ。農家の人たちが汗水たらし、心を込めてはぐくませた稲を収穫まで、あと少しのところで、自然の猛威でダメにしちゃったのだから、ムゴい。

須崎を発車すると、子供の兄妹が展望デッキへ。グリーン車利用の家族連れは2組いて、1組は指定席が取れなかったとグチをこぼしていた。たいてい、親子連れだとうるさくてしょうがないところが多いのだが、グチはこぼしても、静かに過ごしていた。ちなみにグリーン車は大人・子供同額なので、子供が乗る車両ではない。報酬を得た大人が乗る車両ではないだろうか。

しばらくして、進行方向左側に土佐湾が見えた。“土佐湾オーシャンショー”で、鈍行ならば徐行して、サービスをしたかもしれないが、先を急ぐ特急はそうもいかない。

土佐久礼(Tosa-Kure)を発車すると、トンネル連発!! それでも運転士はカーテンを下ろさず、前面展望を楽しませるが、振子車両に強い体質ではないせいか、少し気分が悪くなる。目が回りそうな感じで、のりもの酔い止めのクスリを用意すべきだったかもしれない。

窪川に到着。ここから第3セクター、土佐くろしお鉄道中村線に入り、乗務員もチェンジ。運転士と車掌、各2名が乗り込む。

チャイムは同じだが、自動放送から女性車掌(感じは今風の子っぽかったが、キビキビしていた)のナマ声に代わった(自動放送もあるが)。ちなみに控え運転士と男性車掌はなぜかセミログヘアー。

いつのまにかJR四国予土線と分岐し、女性車掌も車内巡回。気がつけば、1号車の乗務員室は“トサクロだよ! 全員集合”となり、数分後、男性車掌は4号車へ移動した。

土佐佐賀を発車すると、土佐湾オーシャンショーで、トンネルへ。この日はあいにくの曇り空なのが残念だが、社名通り、くろしおの海が楽しめる。

土佐上川口は行き違いのない無人駅で、土佐湾オーシャンショーは終わりを告げ、土佐入野へ。ここも行き違い設備はない。

土佐入野を発車し、女性車掌は4号車へ移動。JR西日本の車掌のように、一礼をして車内を通る。

中村1番のりばに到着。足摺岬(Ashizuri a cape)へ向かうバスと接続しているせいかどうかは定かではないが、下車客が多く、まずは中村線全線完乗を達成。ここから宿毛線に入る。

中村を発車すると、ベラボーに速くなり、カーブも少なく、直線主体。隣りの1A・B席が空いていたので、前面展望を兼ねて移動するが、ここにはコンセントがあり、とっさに携帯電話を充電をする。

終点宿毛に到着し、宿毛線全線完乗達成。

下車して、旅行貯金を志すものの、2キロでは折り返し、エル特急〈南風14号〉岡山行きに間に合わないと判断し、断念。ちなみに先ほどと同じ車両に乗った。

JR四国土讃線に戻り、高知から車販のお姉ちゃんが乗車。ちなみに現在では車販とテレホンカードの公衆電話は採算が合わないことを理由になくなっている。

後免で下車し、昼食。近くに郵便局さえもなく、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線へ。ちなみに乗れなかったが、展望デッキ車両に遭遇した。

快速奈半利行きワンマン列車(For Nahari.9640-8)に乗ると、転換クロスシートは背もたれが高く、高架から“土佐湾オーシャンショー”。おまけに駅名にギャグを添えるなど、“トサクロはSHOW by ショーバイ!!” or “経営も一生けんめい”のどちらかだろう。

安芸では阪神タイガースを身にまとった9640系夢塗装車が留置。

終点奈半利に到着し、土佐くろしお鉄道完全制覇達成!!

奈半利郵便局



終点奈半利で下車して、徒歩3分30秒のところにある奈半利郵便局で旅行貯金。そのあと、甲浦行き(For Kan-noura)の路線バスを見送り、先ほどと同じ車両の快速高知行きワンマン列車で後免町へ向かうはずが、安芸から疲労による爆睡により、乗り越すヘマをしてしまった。後免町で土佐電氣鐵道後免線に乗り換えるつもりだったのだ。

しかし、終点高知に到着すると、後免線・伊野線ごめん町-いの間は500円75分かかることが発覚!! どっちみち、制限時間内での完全制覇はムリと判明し、今回は桟橋線全線完乗にとどめる。

高知駅前から桟橋通5丁目行き(617:ワンマン)を利用し、桟橋線全線完乗達成。そのあと、高知駅前行き(801:ワンマン)に乗って、はりまや橋で下車。高知市最大の都市とみた。

はりまや橋から高知駅前行き(208:ワンマン)に乗り、終点で下車。徒歩3分17秒のところにある高知中央郵便局で旅行貯金。高知のKioskで『一本釣、漁師のお弁当 土佐のかつおごはん(500円)』を購入し、エル特急〈南風24号〉岡山行き(1号車グリーン車・指定席2009:グリーン車に乗車)に乗り込む。

高知中央郵便局



多度津から予讃線、宇多津から本四備讃線をゆき、特急利用では初めて、瀬戸大橋を渡り、児島で下車。ちなみに2000系グリーン車は定員18人で、毛布が2つしかないのが難点(冷え性でピンクの毛布を使う)。また、半室指定席10C・Dにもコンセントあり!!

児島から快速〈マリンライナー63号〉高松行き(1号車グリーン車クロ212-1)へ。世代交代直前で、グリーン車に乗ることができた。

カーテンを下ろさず発車し、瀬戸大橋はライトアップされており、“夜も一生けんめい”ぶりをアピール。ロマンティックぶりはパールブリッジ(明石海峡大橋)に負けず劣らずであろう。

快速〈マリンライナー63号〉高松行きは瀬戸大橋を80㎞/h台で走り、離島の騒音に配慮。軽やかに進み、私が坐る1番席は広々としている。

荷棚は小さいモノしか載せられないが、座席上にあるライトは夜のロマンティックぶりを演出。グリーン車は意外と利用客が多く、瀬戸大橋はカーブが多いような気がした。

予讃線内は気兼ねなく110㎞/hで走り、ワイドな窓でグリーン車の乗り心地を楽しみ、終点高松に到着した。

このあと、各駅停車多度津行き(キハ65 27:近郊仕様改造車)に乗り、次の香西で下車。インターネットカフェで一夜を明かす。

◆土佐くろしお鉄道ホームページ…http://www.tosakuro.co.jp/

◆土佐電氣鐵道ホームページ…http://www.tosaden.co.jp/top/index.html

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2003年の汽車旅6-1 [汽車旅2003]

2003年8月11日(月曜日)、JR東日本品川7・8番線の階段では待ち合わせや指定席券を持ってなさそうな人々が坐りこみという新現象があった。

 

さぁー、東海道本線の臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行き(3号車指定席モハ189-34:簡易リクライニングシート)に乗り、京浜東北線の遅れで3分延発!! 発車後、♪汽笛一声新橋を♪が流れた。

2003年8月12日(火曜日)、JR東海に入った臨時快速〈ムーンライトながら91号〉は雨の中、終点大垣に到着し、普通電車(高槻-明石間は快速)姫路方面網干行き(モハ112-5139:弱冷車)に乗り換え。途中の近江長岡では“旧azusaカラー”の団体(照明消灯)に遭遇。どうやら、高校野球の甲子園輸送のようだ。

米原でJR西日本の新快速姫路方面網干行き(10号車サハ223-2093:姫路止まり。姫路まで女性車掌乗務)に乗り換え。

めったに乗らない平日朝の新快速は新鮮で、複々線はオール外側。各駅停車は尼崎行きが多く、貨物線では臨時特急〈ふるさと雷鳥〉新潟行きの回送を見たが、なんと新潟方先頭車は国鉄色パノラマグリーン車!!

快速も外側運転で、日中以外は通過の芦屋で、221系の快速(明石から普通電車)姫路方面網干行きを抜いた(現在、新快速は芦屋を通過することはない)。

神戸から山陽本線に入り、雨がやんだ姫路で、普通電車上郡行き(モハ112-5334:体質改善車)に乗り換え、終点で下車。徒歩2分の上郡郵便局で旅行貯金をするも、窓口の女性はATMのやり方がわからない人とカン違いされた。

上郡郵便局

そのあと、第3セクター智頭急行智頭線智頭行きワンマンカー(HOT3504)へ。今回の旅では乗る予定はなかったが、前日のやりとりでこうなった。その詳細を御紹介しよう。

「まず、どこへ行くんだい?」

「新見ですけど」

「ダメだよ、新見は。佐用(Sayo)だよ、佐用!! そこは俺の田舎なんだ!! そこで智頭急行に乗ると、平福があって、宮本武蔵の母の田舎の地だよ」

なかば“業務命令”で、お世話様の言うことに従い、乗ることになるが、ビックリしたことに上製の紙で『智頭線満喫一日乗り放題きっぷ(1,000円。特急利用不可)』があり、迷わず購入。

とりあえず、智頭急行智頭線全線完乗を果たし、終点で下車。徒歩3分39秒の智頭郵便局で旅行貯金。

智頭郵便局

昼食は『A・COOP TOSCちづ店』で、鳥取大山(Tottori-Daisen)産の牛乳を購入。ウチで飲んでいるものに比べると、少々濃い目だったかどうか…

智頭に戻り、特急<いなば4号>岡山行きの発車を見送る。ちなみに特急〈いなば〉は2003年9月30日(火曜日)でフォーエヴァー。翌日から特急〈スーパーいなば〉に衣替えをした。

上郡行きワンマンカー(HOT3504)が発車。乗り放題きっぷの特典を生かし、宮本武蔵で下車。観光客主体で、宮本武蔵に関するYAKATAはすべて500円ということでパス。郵便局もないありさまで、上郡行きワンマンカー(HOT3505)に乗って、平福で下車。

ここは宮本武蔵、初決闘の地で、1VS1が好きなアイツらしく、コジンマリとしたところ。佐用川が綺麗で、子供たちが川遊びをしていた。

下車して、正面に道の駅『宿場町ひらふく』があり、近辺に平福郵便局を発見!! 旅行貯金をする。

平福郵便局

上郡行きワンマンカー(HOT3503)に乗り、終点でJR西日本山陽本線の普通電車姫路行き(クハ115-406:弱冷車)へ。

終点姫路で山陽電気鉄道本線の特急〈大阪ライナー〉梅田行き(阪神電気鉄道の梅田。6号車5633)に乗り換え、飾磨(Shikama)で網干線網干行き(3号車3605:ワンマン運転)へ。これにより、山陽電鉄完全制覇を達成した。

徒歩45分、3.5キロ歩いて、JR西日本山陽本線網干駅へ。

新快速米原行き(2号車モハ223-2017:弱冷車)へ。神戸から東海道本線に戻り、大阪では急行〈きたぐに〉新潟行き、急行〈ちくま〉長野行きの自由席のりばは早くも列ができていた。

京都で下車。銭湯で身を清め(銭湯のワリには肩や腰に血が上った)、『京都餃子の王将』で遅い晩メシをとり、臨時快速〈ムーンライト山陽・ムーンライト高知・ムーンライト松山〉下関・高知・松山行き(7号車指定席オハフ15 42:臨時快速〈ムーンライト高知〉高知行きに乗車)に乗るが、寝台特急〈富士〉大分行きがJR東海エリアの人身事故により、20分遅れで到着し、すぐさま発車。臨時快速〈ムーンライト山陽・ムーンライト高知・ムーンライト松山〉下関・高知・松山行きも20分遅れで発車した。

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2003年の汽車旅5-2 [汽車旅2003]

2003年7月27日(日曜日)、早朝5時40分だというのに、えびす橋は「不良」というナリをした若者が多く、異様に映ったのは私だけだろうか?

大阪市交通(大阪市営地下鉄)御堂筋線の千里中央行き(8006:北大阪急行電鉄『ポールスター号』)に乗車。ポールスター号はドア上にLED情報案内装置とドアチャイムをつけたが、ヘンなサウンドだった。

梅田で阪急電鉄神戸本線の特急新開地行き(7107:携帯電話電源オフ車両)へ。ちなみに梅田方と反対側先頭車は携帯電話電源オフ車両である。また、10両編成の場合は梅田方3両と反対側先頭車、4両編成の場合は1両だけが携帯電話電源オフ車両である。

西宮北口で各駅停車三宮行き(7109:携帯電話電源オフ車両)に乗り換え、夙川(Shukugawa)で夙川線の各駅停車甲陽園行き(6557:ワンマン運転。弱冷車)に乗り換え。ちなみに2006年10月28日(土曜日)から特急も夙川に停まることになり、このような乗り換えは不要になったのはありがたい。

途中駅は1駅だけで、あっというまに全線完乗達成!! 終点の甲陽園は“自然の入口”みたいな感じ。

同じ車両で折り返し、終点夙川で神戸本線の各駅停車梅田行き(7555)に乗り換え、西宮北口で今津線へ。

宝塚-西宮北口間は乗車済みなので、各駅停車今津行き(6587:ワンマン運転。弱冷車)に乗り換え。

発車すると、JR西日本東海道本線をまたぎ、阪神国道へ。そして、終点今津に到着して、全線完乗達成!!

各駅停車西宮北口行き(6022:ワンマン運転)で折り返し、終点で神戸本線の各駅停車梅田行き(8790)に乗り換え。ちなみに8000系の窓はボタン開閉式である。

塚口で伊丹線の各駅停車伊丹行き(3600)に乗り換え、こちらも全線完乗達成!!

各駅停車塚口行き(3525)で折り返し、終点で神戸本線の各駅停車梅田行き(7506)に乗り換え。そして、十三(Jusoh)で宝塚本線の急行宝塚行き(6613:弱冷車)に乗り換え、石橋へ向かう。

石橋で箕面線(Mino-o Line)の各駅停車箕面行き(3157:携帯電話電源オフ車両)に乗り換え、全線完乗達成と同時に阪急電鉄完全制覇達成!!

さて、2006年10月1日(日曜日)、阪急電鉄と阪神電気鉄道は経営統合し、阪急阪神ホールディングスに名称は変わった。たいてい、新会社に移行した時は乗車記録は“リセット”して乗り直している。

今回の場合、2006年10月22日(日曜日)の時点、2つの鉄道は「阪急電鉄」、「阪神電気鉄道」のままになっているので、今回は新たに乗り直す必要性はないと考えている。

各駅停車石橋行き(3158:携帯電話電源オフ車両)に乗り、終点で宝塚本線の急行宝塚行き(8107:転換クロスシート車。携帯電話電源オフ車両)に乗り換え、川西能勢口へ。

能勢電鉄妙見線(Myoken Line)の普通電車日生中央行きワンマンカー(For Nissei Central.1554)へ。ちなみに、こちらも1両は携帯電話電源オフ車両である。

まず、山下-日生中央間の日生線を全線完乗達成!! そのあとは普通電車山下行きワンマンカー(1500)で折り返し、再び妙見線へ。

普通電車妙見口行きワンマンカー(1553)に乗り換え、妙見線全線完乗達成!! しかし、能勢電鉄を完全制覇したワケではない。

阪急バスのケーブル前行きに乗り、今度はケーブルカー(路線名なし)。

ケーブル山上行き(1:ほほえみ)に乗り、オバサンが運転。これで能勢電鉄完全制覇達成!!

ケーブルカーを運転したオバサンは更に電気自動車(ゴルフ場のカートみたいなヤツ)を運転し、私も乗車。料金不要で、リフトのりばまで運ばれる。

国土交通省の運輸総覧や中央書院の駅名辞典にないので、リフトは“参考記録扱い”だが、これも能勢電鉄が営業している。

リフトはあじさいが綺麗だった。これで私は3冠王?!

いよいよ下山で、頂上から妙見口駅まで5キロの道のりを歩くが、これが壮絶!! 岩清水を歩き、滑り、ヘビも出現!! あげくの果てにはクルマも通るなど、1時間37分の道中は汗ダクだった。

妙見口駅に着き、普通電車川西能勢口行きワンマンカー(1781)に乗り、終点で下車。近くにあるJR西日本福知山線川西池田駅に移動し、丹波路快速大阪行き(4号車クモハ221-64)へ。120㎞/h連発!! やっぱ221系は最高さぁー。





終点大阪で下車し、某所で次回の汽車旅(「2003年の汽車旅6」シリーズとなります)のきっぷを購入するが、カード一括払いとなり、長年の夢だった近畿日本鉄道の『アーバンライナー』乗車は持ち越しとなった。

梅田へまわり、再び御堂筋線新大阪行き(1811:リニューアル車)に乗り、終点で下車した。

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◆大阪市交通局…http://www.kotsu.city.osaka.jp/

◆北大阪急行電鉄…http://www.kita-kyu.co.jp/

◆阪急電鉄…http://rail.hankyu.co.jp/

◆阪急阪神ホールディングス…http://www.hankyu-hanshin.co.jp/index2.html

◆能勢電鉄…http://noseden.hankyu.co.jp/


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2003年の汽車旅5-1(221系新快速リターンズ2003) [汽車旅2003]

2003年7月25日(金曜日)、帝都高速度交通営団(2004年4月1日、「東京地下鉄」に改称)東西線竹橋から快速東葉勝田台行き(Rapid for Tohyoh-Katsutadai.10号車1071:東葉高速鉄道車)に乗り、大手町でJR東日本[東京駅]東海道本線の各駅停車品川・渋谷方面行き(10号車サハ204-9:山手線)に乗り換え、新橋で下車。しばらく、インターネットカフェでくつろぐ。

雨で運転を見合わせているところがあるという情報を入手し、先行き不安だが、インターネットカフェを出る。

新橋から東海道本線の各駅停車品川・渋谷方面行き(1号車クハ204-59:山手線)に乗り、品川で臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行きへ。

23時10分頃、品川に着いたが、ほとんど並んでいない。

7番線に臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行き(3号車指定席モハ189-34:簡易リクライニングシート)が入線したものの、神奈川県西部と静岡県地方の大雨により、発車したのは2003年7月26日(土曜日)0時08分!! また、向かいの8番線には快速〈ムーンライトながら〉大垣行きののりばになった。理由は373系を使う普通電車東京行きはまだ終点東京に到着していないからで、終点を品川に変更。折り返し、快速〈ムーンライトながら〉大垣行きになる。

横浜では寝台特急〈出雲〉出雲市行きが足止め。また、横浜-戸塚間では373系の普通電車品川行き(品川-東京間、運休)とすれ違った。

JR東海に入り、定刻より5分遅れで、終点大垣に到着し、発車を遅らせていた普通電車(高槻-明石間は快速)姫路行き(モハ112-7056:体質改善車)に乗り換え。草津-西明石間の複々線内側のスピードアップが決まり、221系がJR東海エリアに乗り入れる日も近いだろう(2004年10月より、JR西日本の113系シリーズはJR東海エリアの運行から撤退した)。

米原でこちらも遅らせていたJR西日本の新快速姫路行き(①彦根まで4号車クモハ223-3033②彦根から11号車サハ223-2024:大阪から女性車掌乗務)に乗り換え。京都で寝台急行〈銀河〉阪行きがまだ到着していないことを知る。

神戸から山陽本線に入り、4分遅れで終点姫路に到着。普通電車岡山行き(クハ115-1068:弱冷車。体質改善車)に乗り換え、網干総合車両所で223系5000番台を発見!! また、上郡で第3セクター、智頭急行に乗り換えるお客が多く、宮本武蔵駅へ向かう模様。

終点岡山で大幅に遅れている寝台特急〈サンライズ瀬戸〉高松行きの発車を目撃!! 相方の寝台特急〈サンライズ出雲〉出雲市行きはいずこへ?

岡山で宇野線の快速〈マリンライナー21号〉高松行き(5号車自由席サハ213-1)に乗り換え。

2003年秋にJR西日本223系5000番台とJR四国5000系にチェンジするが、通常6両編成から5両編成に減るのは大きなサービスダウンであろう。また、213系には吊り革がない編成があることに気づいた。

茶屋町から本四備讃線に入り、児島からJR四国へ。瀬戸大橋からの眺めは相変わらず壮観で、天気も“「P-KAN&Feel fine!」という名の晴天”となった。

予讃線に入り、終点高松に到着。寝台特急〈サンライズ瀬戸〉の姿が見られた。

高徳線の各駅停車引田行きワンマン列車(For Hiketa.1022)に乗り換えて、志度へ。ちなみに地元の人は「志度ニー」と呼んでいる?!

志度で下車し、高松琴平電気鉄道志度線琴電志度駅へ移動し、瓦町行き(625:元名古屋市交通局車)へ。ちなみに優先座席のステッカーはJR西日本・JR四国と同一。

 原-塩谷間は“播磨灘オーシャンショー”を満喫し、終点瓦町に到着。志度線全線完乗を達成!!

えんえん歩いて長尾線長尾行き(702:元名古屋市交通局車)に乗り換え。

途中、高架工事区間があり、その上に高速道路が交差して、またぐというのは珍しいではないだろうか。

終点長尾に到着し、長尾線全線完乗を達成!!

折り返し、瓦町行き(702:元名古屋市交通局車)に乗り、終点で琴平線の琴電琴平行き(1107:元京王電鉄車)に乗り換え。ちなみに高松琴平電気鉄道は平成3年(1991年)、『刑事貴族2』のロケに使われたことがある。

さて、琴電琴平行きは岡本で42分停車!! なぜならば、人身事故発生の知らせがあり、足止めを食らったからである。

運転を再開し、畑田(Hatada)-陶(Sue)間の人身事故現場で徐行運転。血が付着しているのか、ビニールシートでかくしている部分があった。

定刻より、46分遅れて終点琴電琴平に到着し、琴平線全線完乗と共に、高松琴平電気鉄道完全制覇を達成した。

JR四国土讃線琴平駅へまわり、普通電車高松行き(クハ120-6)に乗り、多度津で予讃線に入り、坂出で快速〈マリンライナー45号〉高松行き(6号車自由席クモハ213-6:吊り革のある車両)に乗り換え。

終点高松で折り返し、快速〈マリンライナー50号〉岡山行きで前面展望をたくらむも、ダメだった。

2代目快速〈マリンライナー50号〉の5000系を初めて見るが、2階建て車両以外の車両に違和感がある。どうして、JR西日本の新快速に歩調をあわせたのかが理解できない。車内はいいけど、外観に新鮮さがない。213系を継承するような帯でよかったのではないだろうか。

坂出を発車し、分岐して本四備讃線へ。児島でJR西日本、茶屋町で宇野線に入り、終点岡山に到着。山陽新幹線〈こだま650号〉新大阪行き(2号車自由席125-3022:2列シート&2列シート車)に乗り換える。

グリーン車転用の2列シート&2列シートは快適だが、相生で山陽本線の普通電車姫路行き(2号車モハ222-3027)に乗り換える。

終点姫路で新快速米原方面長浜行き(1号車クハ222-3038:弱冷車)に乗り換え。補助シート使用停止で、神戸まで乗車。そのあとの東海道本線は“秘密兵器”が登場!!

それは臨時新快速大阪行き!!

1本目は223系1000番台でハズレ!! 2本目はヤッタァー!! アーバンネットワークの大エース、221系だ!!(8号車クモハ221-49に乗車) 思わず興奮して、ガッツポーズをしてしまった。

221系新快速は2000年2月以来の乗車。花火大会の帰宅輸送で、臨時新快速大阪行きを運行しているが、こういう“リターンズ”は何度も続いて欲しいものだ。

余談だが、臨時快速西明石行きは福知山線用の113系800番台が登板していた。

終点大阪で大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線[梅田駅]の天王寺行き(1820)でなんばへ。この日はここで宿泊することにする。

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2003年の汽車旅4 [汽車旅2003]

2003年5月4日(日曜日・国民の休日)、『鉄腕アトム』生誕を記念して、JR東日本御茶ノ水へ。Suicaイオカードでホリデーパスを購入し、さぁーICOCA。

中央本線の快速(吉祥寺から各駅停車)武蔵小金井行き(10号車クハ200-56)に乗車。某歌舞伎俳優に隠し子はいても、宮本武蔵には子供がいません(なぜならば、“武蔵、子がねい”だから)。

新宿で臨時快速<ぶらり河口湖号>河口湖行き(2号車自由席モハ189-20:azusaカラー)に乗り換え。ちなみに4~6号車は簡易リクライニングシート、1~3号車はリクライニングシートで、全車自由席&禁煙車である。まさに“ぶらり”を強調した臨時快速だ。

以前は急行形電車で運行していたが、老朽化により、チェンジ。居住性がよくなった分、定員が減り、満員御礼は時間の問題だった。

「特急<かいじ>号ではありません」

「車内販売はありません」

「煙草は吸えません」

車掌はさいさん、放送を流すも、“完全民営化”を果たしたというのに、喫煙所は撤去しないのは疑問だ。

8時11分、定刻通りに新宿を発車すると、特急運用からはずれたとはいえ、「♪汽笛一声、新橋を♪」のチャイムは儀式と化している。旅情をかきたてるベテランの車両には昔ながらの音がよく似合う。ちなみに車体の色は国鉄カラーではなく、“azusaカラー”である。

三鷹までは複々線。休日ダイヤなので、途中の高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪はホームが休業し、隣りのホームに任せている(一般的に「総武線」と呼ばれている)。ちなみに爆笑問題は阿佐ヶ谷の快速終日停車を要望しているが、通りそうもない。

ひっきりなしに宅地があふれている。このセクションが高架になったあと、住宅がたったようで、屋根がはみ出ている一戸建てもある。ラッシュも過密なら、住宅も過密なので、電車のスピードは自主的に控えめっぽい。

三鷹に到着。やはり乗ってくるが、げせないのは向かいのホームに停まっていた各駅停車高尾行きが先に発車。そのおかげで、立川までノロノロ運転。行楽客は一刻も早く、目的地に着きたいのだから、ここは道をゆずるべきだろう。

武蔵境-国分寺間では高架化工事にともなう代替線路の敷設工事が進んでいた。悲願の複々線はいつになるのだろうか?

立川で、ようやく各駅停車高尾行きを抜くものの、車掌もあまりの入りぶりに少し、混乱しているようで、セリフを間違えることもしばしば。八王子到着時にはこんな放送を流した。

「早口な案内で申し訳ございません」

と謝罪したが、物腰がソフトで、聞き取りやすく、問題はないだろう。

ノロノロ運転から一転して、スピードアップ。のどかな住宅地をゆき、高尾を過ぎると、山岳へ。新緑があふれ、気分をなごませるものの、圏央道というハイウェイの建設工事がちょっと気になった。近くに中央自動車道があるから、たぶん、合流するのだろうが、利用するクルマはあるのかね?

相模湖は神奈川県に所在する駅で、若干下車。付近には相模湖があるので、キャンプといったところだろう。

上野原で若干下車。山登り態勢はすでにできている格好をしている人が多い。山岳をゆく中央本線ならではだろう。

カーブとトンネルが多いものの、長年、通いなれている道だから、不安もない。

大月4番線に到着。降りる人が多く、全員着席ができるようになったが、ペアやカップルにとっては難儀だ。私みたいに1人で坐っている者もいるから、“「別れ別れ」という名の相席”でしのがざるえないところもあるのだ。

大月では乗務員をJR東日本から富士急行にチェンジ。1~3号車はドアが開かない。

発車して、富士急行大月線に入る。ちなみに中央自動車道も河口湖へ分岐できる。

富士急行に入り、スピードがにぶる。勾配を登ってゆくが、田野倉を発車すると、「ギーコ、ギーコ」という音をたてている。途中でJR東海のリニアモーターカー実験線をくぐってゆく。

「本日も富士急行、電車を御利用いただきまして、ありがとうございます」

車掌はヤケに「電車」を強調し、中央自動車道を目のカタキ扱い!! JR線直通快速や特急<フジサン特急>を猛アピール!! ちなみにホリデーパスで乗車しているお客が多く、車内精算が多発。

富士吉田から進行方向が変わり、河口湖線に入り、富士急ハイランドは長蛇の列!! そして、終点河口湖に到着し、富士急行完全制覇達成!! ちなみに山梨県は関東地方ではない。

ワケもわからずバスに乗り、ロープウェイ入口で下車。運賃は100円で、ユーモラス運転士のワンマンショーだった。

河口湖にはキャンプ場があり、釣り人もたくさんいた。ハマちゃん、スーさんはいつ訪れるのだろうか?

河口湖駅前の『不動ほうとう』で昼食(もちろん、ほうとう1,000円)をとり、特急<フジサン特急8号>大月行き(1号車クロ2002:展望室)へ。

展望室はリクライニングシートではなく、回転しないのは難点だが、富士吉田から進行方向が変わったので、ゴキゲン!!

終点大月で1度下車したあと、JR東日本中央本線の特急<かいじ112号>新宿行き(4号車自由席モハE257-1)へ。E257系は初乗車で、車掌が4人散らばっていた。

八王子で横浜線の各駅停車東神奈川行き(3号車モハ204-369)に乗り換え、橋本へ。

下車して、飲料購入後、相模線の各駅停車茅ヶ崎行き(1号車クハ205-505)に乗って、海老名で下車。駅前はアミューズメントパークと化していた。

小田急電鉄小田原線の急行箱根湯本行き(6号車3257)へ。3000系初乗車だが、“怪人フェイス”とムリヤリつけた木目調ドアはなじめないかな(阪急電鉄やJR西日本とJR東海の285系シリーズみたいに車内全体にほどこすべきでは)。

小田原はすっかり変わってしまい、近代的なつくりとなり、伊豆箱根鉄道大雄山線(Daiyuzan Line)大雄山行きに乗り換え、全線完乗達成!! ちなみに大雄山行きは5507、小田原行きは5504に乗車。運転席のワンハンドルマスコンは右手操作というのは珍しい。

小田原へ戻り、当初はJR東日本東海道本線に乗って熱海へ足を伸ばし、JR東海373系の普通電車東京行きで帰京しようかと思っていたが、意外と早くスケジュールが進行したので、快速<アクティー>東京行き(15号車クハ111-703)で帰る。さいわい、ボックスシートはガラガラだった。


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