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死 [らりるレビュー]
「御冥福をお祈りします」
自殺した者に対して、使ってはいけない言葉である(病死、事故死といった“不慮の死”に対して、使う言葉であると俺は認識している)。
2006年10月は自殺のニュースが多い。三輪中学校のイジメ自殺が発端で、相次いだような恰好だが、悲しい。どうして、親から授かった大切な命をみずから絶ってしまうのだろう? それに世の中には生きたくても、生きられない人が世界中にたくさんいるのに自殺というのは、“バチ当たり”な行為で、人生最大の親不孝ではないだろうか。
疑問なのはニュース番組だ。どこもかしこも、ただ“伝えるだけ”が多く、「自殺をしてはいけません。多くの人々を裏切り、迷惑をかけ、悲しむことにもなります」と自殺を考える人たちを思いとどまらせ、“生きろ!!”というエールを贈るべきではないのか。報道のあり方を見直す必要がある。
2005年11月6日(日曜日)、歌手の本田美奈子.さん(2004年11月、芸名を31画にするため、「.」をつけた)が白血病のため、亡くなっている。この時、『アメイジング・グレイス』がひんぱんに流れ、脳裏に焼きついているが、フジテレビは闘病の様子を取材していた。重病でも“必ず復帰する”という、病室で笑顔を見せながら、強い信念で立ち向かっていたが、血液型がO型からA型に変わってしまうほどで、壮絶な闘病生活だった。
本田さんはデビュー時から知ってはいるものの、アイドル時代のことはなぜか記憶にない。ヒット曲は出したというけど、曲名がほとんどわからない(田村正和主演で放送していたTBSの『パパはニュースキャスター』の主題歌しか知らない)。また、意外なことに『NHK紅白歌合戦』に出場したことがない。
やがて、歌手から舞台のミュージカルに活躍の場を移したが、30歳を過ぎてから、うらやましいほどの魅力を感じるようになった。なぜなら、“年齢のワリには若い”からである。
私は“トシを感じさせないタカとユージのような若々しさ”を目標としているが、本田さんをテレビで見る機会は日本テレビで放送していた『速報! 歌の大辞10』で、過去のヒット曲が紹介された時、白血病にかかるまで欠かさずVTRでコメントを寄せていただけだ。
見るたびに若々しさを感じるようになり、“40歳、50歳を過ぎたら、どういう若さを魅せるのだろう?”と私は思い、心待ちにしていたが、残念ながらその姿を見ることはなくなってしまったものの、ホームページとファンクラブは永久に不滅である。 2005年11月7日(月曜日)、こんな会話があった。
「本田美奈子.、死んじゃったね」
「ムゴイですよ」
と40代九州男児が軽々しく話し掛けてきたことにムッとして、すぐさま返した。九州男児は私の語気の強さに驚いたようで、ことの重大さを認識したようだった。ファンではないが、復帰すると信じていたから、そのような口調になったのだろう。
私が「死」を意識するようになったのは、平成5年(1993年)12月25日(土曜日)である。
覚えている方も多く、私みたいに“一生忘れてはならない”という意識を持つ方も多いと思うが、逸見政孝さんがどこかへ旅立ってしまったことである。復帰すると信じていただけに、生まれ初めて、“理不尽な世の中、残酷な世の中”を思い知らされた。それ以来、“死ぬことは怖いけど、生きているほうがもっと怖い”と思うようになった。煙草や酒をやらずとも、大病にかかって死んでしまうことがあるという現実を思い知らされたからである。
私は今も逸見さんが亡くなったという現実を受け止められずにいる。今もそうだが、苦しいとき、つらいとき、逸見さんの著書、『新版魔法のまじめがね ブラウン管は思いやり発信局』(文藝春秋刊行)を読み返し、己を奮い立たせている(人生のバイブルなのかもしれない)。
年齢を重ねてくると、眠れない日が多くなってきた。「死」を恐れて眠れないのだ。2006年5月に検査で引っ掛かって、胃カメラを飲むハメになったことにより、健康面の不安を医者に露呈されたからということもあるが、あと十数年で48歳になるので、独身であることの不安、死を意識するようになってから、“100パーセント、人生を楽しむことができなくなった”という本心がそうさせているのかもしれない。また、“寝てしまったら、一生起き上がれないのではないか”という不安もある。
だが、私は死ぬわけにはいかない。死を前提とした生命保険に加入する気はないし、生きる以上は100歳でも200歳でも長く生きたい。そして、最後まで死を否定するような生き方をしたい。重病でも“常に生還するんだ”という意識と気迫を持つ。
冒頭で「2006年10月は自殺のニュースが多い」と述べたが、イジメでみずから命を絶ったのは、それでしか訴えることができないからかもしれない。結局、イジメというものは「パワーハラスメント(権力いやがらせ)」に当てはまるのではないだろうか。イジメているヤツにもリーダー格がいるだろうし、三輪中学校の件は教師が原因という見方が強いのだから。
2006年10月27日(金曜日)放送、日本テレビの『太田光の私が総理大臣になったら… 秘書田中。』で、太田光総理大臣はこう述べている。
「自殺しちゃう子と言うのは、まっすぐなんだと思うんですよね。イジメているヤツはずるいのに、自分はズルいことはできないんだけどね。もうちょっとね、悪賢くなってもいいと思うのね。自分の命を助けるためならば、その程度のことぐらいは許されると思うし」
イジメている人間に言いたいのは、いつかはシッペ返しされる時が来る可能性があることだ。以前、フジテレビの『奇跡体験アンビリバボー!』で、中学時代にイジメられたことを根に持ち、同窓会で復讐しようと綿密な計画を練ったものの、母親にカンづかれてしまった。このため、大量殺人はまぬがれたものの、息子は警察にパクられる出来事があった(実は1991年にテレビ朝日の『代表取締役刑事』で、同じような事件を放送していた)。
いずれにせよ、イジメは悲劇を起こす可能性があるのだ。イジメという問題を深刻に考え、生徒もそうだが、学校や教育委員会は「信用」や「名誉」を守るための隠蔽体質をなくさなければ、同じことを繰り返すだけだ。教師たちはなんのために教師という職業を選んだのか。初心に戻るべきではないだろうか。これは生徒にも言えることだ。常に入学式や転校した初日を思い出して欲しい。生徒は初日から「イジメ」なんて考えていないだろうし、緊張や不安でいっぱいだったはずだ。あの頃に戻れよ。イジメているということは天狗になっていることと同じことだ。
★備考
①本田美奈子オフィシャルサイト
②今回の記事は、2006年11月に執筆したものです。
③岸田法眼のRailway Blog.「自殺」
④岸田法眼のRailway Blog.「12月25日」
⑤岸田法眼のRailway Blog.「地方出身者」
⑥岸田法眼のRailway Blog.「逸見政孝さん生誕の地、大阪市交通局御堂筋線西田辺駅」
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イジメはケータイも含めたネットや、描写がリアル過ぎる残酷シーンのあるゲームの影響で、“人の痛み”や“痛みの限界”がわからない人間が増えている証拠でしょうね…。
by 下総弾正くま (2009-12-25 09:32)
下総弾正くまさん、どうもありがとうございます。
フィクションの世界に影響を受けた部分はあるでしょう。これが大人になっても感化されている人もいるので、困った世の中ですね。便利な世の中というのは、逆にダメな世の中を作っているのだと思います。法で規制するべき時期であるはずですけどね。
民主党は、「国民の暮らしが第一。」と言っている以上、ダメな部分を削除して、いい世の中であり続けなければいけないと思います。
by 岸田法眼 (2009-12-25 22:46)
どうしてこんな世情になってしまったのでしょうかね?日本人が本来持っていたものをなくしてしまったのではないでしょうか?
by トータン (2009-12-26 21:55)
トータンさん、どうもありがとうございます。
今の時代、人情というのが似合わなくなっているでしょうね。厳しく、踏みつけるぐらいにやらないと、日本人のマナー、エチケットなどは改善しないと思います。また、このままだと戦争というものが風化する恐れがありますから、恐ろしさというものを思い知らせる姿勢も大切ではないかと思います。ただ、時間が過ぎるとともに、“ナマの声”が聞けなくなっていますので、どこかの雑誌が総力を挙げて取り組んでほしいことを願っています。2010年は「戦後65年」ですから。
by 岸田法眼 (2009-12-27 00:38)