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Railway Blog700回記念、JR東日本EF55形フォーエヴァー [プラットホーム2009]

◆横川でレールファン集結!!  

ビートたけしが62歳の誕生日を迎えた2009年1月18日(日曜日)、JR東日本信越本線横川へ。高崎を11時19分に発車した普通電車横川行きは115系1000番台で、暖房がよく効いており、気持ちいい。体の芯まであったまる。  

車内はレールファンが多く、沿線でも撮影隊が数多く見られる。また、途中駅でもカメラバックを抱えたレールファンが乗ってきた。ちなみにこの日は青春18きっぷの残り1回分を使用。高崎まで乗ってもモトが取れるし、ふと思い立ったら、フレキシブルに動ける。実はこの日、出発式を見ておらず、高崎に着いたのは11時01分である。ホームでレールファンが普通電車横川行きを待っているので、急きょ、乗り換えることにした。

この日は『EF55ファン感謝祭』が行なわれることになっており、てっきり、EF55形1号機が展示されるものと思ったが、なんとホームではないところを開催することを知り、ガクーッときた。カン違いして情けないけど、“敗者復活戦”のような感じで横川へ向かったのである。

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11時52分、終点横川1番線に到着。隣りの3番線には、高崎を10時36分に発車した臨時快速〈さよならEF55横川〉が11時18分に到着していた。この列車を持って、EF55形1号機は再びの現役生活にピリオドを打ったのである。また、転車台はなく、機回し線は碓氷峠への道を断たれてしまい、まったく機能しない。そのため、高崎寄りにはDD51形842号機が連結された。

2番線は見当たらないが、どうやら1番線と3番線のあいだにあるレールのことをさしているのだろう。駅によっては通過線や機回し線を「x番線」とみなす場合がある。

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1・3番線は大いににぎわい、レールファンがバシャバシャ撮影。行き止まりの先の公道でもバシャバシャ!! 最後の勇姿を目に焼きつけている。

EF55形は昭和11年(1936年)、当時の鉄道省に入団。当初は沼津機関区に配置され、東海道本線でデビュー。“ぶんぶく茶カバ”と言いたくなるほど、茶色いボディーにカバのようなフェイスはインパクトが強烈だったが、スピード感あふれる流線形なのに95㎞/hしか出ないこと、電気機関車なのに転車台が必要という手間がかかることから、3両しか新製されなかった。のちに流線形の反対側にもライトを設け、本線運転ができるよう改造を受けている。

昭和27年(1952年)、高崎第二機関区に移ったが、昭和37年(1962年)に3号機、昭和39年(1964年)に残りの1・2号機が姿を消し、現役を退いた。このうち、1号機は中央鉄道学園が引き取り、静態保存された。

その後、高崎第二機関区に戻り、昭和53年(1978年)10月14日(土曜日)、準鉄道記念物に指定された。現役時代は3両しか作られない悲運、不運に見舞われた車両がようやく、栄光をつかんだのである。3日後の10月17日(火曜日)には高崎第二機関区で除幕式が行なわれた。

7年後の昭和60年(1985年)、『高崎第二機関区40周年』というイベントを3月30日(土曜日)から4月3日(水曜日)まで開催。全国から電気機関車13両が集結し、EF55形1号機も参加することになった。

すると、EF55形1号機の反響が大きく、国鉄本社は復活を決定。高崎第二機関区と大宮工場(現在の「大宮総合車両センター」)で修復工事を行ない、昭和61年(1986年)6月24日(火曜日)、23年ぶりに現役の電気機関車として復帰(2度目の車籍登録)し、7月25日(金曜日)、ついに再デビューを果たしたのである。

昭和62年(1987年)4月1日(水曜日)、国鉄が分割民営化され、EF55形1号機はJR東日本高崎運転所(現在の「高崎車両センター」)に配置され、「ムーミン」と呼ばれるようになる。ちなみにムーミンはフィンランドで生まれたお話(童話)である。

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EF55形1号機は高崎地区を中心に活躍し、常に注目を浴びる存在だったが、部品の調達が困難になったことにより、再デビューから23年、産声をあげてから73年たった2009年1月18日(日曜日)で、表舞台から完全に去ることになったのである。

最後の活躍をJR東日本は大々的に宣伝し、2008年12月13・14日(土・日曜日)に高崎-水上間で臨時快速〈さよならEF55みなかみ〉、2008年12月27・28日と2009年1月10~12日(土曜日~月曜日・成人の日)は高崎-横川間で臨時快速〈EF55碓井〉、2009年1月17日(土曜日)には上野-横川間で臨時快速〈さよならEF55碓井〉を運行(横川への臨時快速は片道のみの運行)。この日は高崎-横川間で臨時快速〈さよならEF55横川〉を運行したのである。

 

12時08分、臨時快速〈さよならEF55横川〉の回送が発車し、最後部のEF55形1号機は73年の活躍に別れを告げた。今後は鉄道博物館に展示される予定だという。  

私はEF55形1号機にねぎらいという意味で、この言葉で締めくくろう(舘ひろし with THE COLTSの『CRY OUT~泣いていいよ~』より)。

「♪CRY OUT BABY,CRY 泣いていいよぉー 踊る君ぃー 泣いていいよぉー

CRY OUT BABY,CRY 見せていいよぉー 誰も知らないーっ 涙をぉーっ♪」


◆復路の電車は大混雑  

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大カーニバルが終わり、峠の釜めしを買って、下車。群馬県安中市は横川に湘南新宿ラインを誘致しようというノボリが立っている。もし、実現すると今度は前橋市がだまっていられないだろう。新前橋誘致案が出るのではないだろうか。  

その先は碓氷峠鉄道文化むらで、信越本線廃線跡の一部はテーマパークに変わっている。しかも、大人500円という良心的な入場料。臨時快速〈さよならEF55横川〉のあとを利用する人が多かったものの、私は時間的な都合で入らなかった。1人でテーマパークに入るのはつらい。

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この日に備えてなのか、あるいは休日はいつもそうなのかはわからないが、峠の釜めしを販売しているおぎのやはテントを張った食事場所を用意。峠の釜めしをほおばる。容器は栃木県の益子焼を使っており、これで900円なのだから、納得のお値段。また、容器の回収かごを用意していた。おそらく、再利用するのだろう。もちろん、お持ち帰りも可能だ。

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駅前にはEF63形3号機の動輪を展示。これがおぎのやの所有物で、伝説を世に伝えようとしている。また、碓氷峠鉄道文化むらにもEF63形25号機が展示されており、実際に動くことも可能だ。  

横川の券売機の1つは近距離きっぷ用、もう1つは「もしもし券売機」と言い、わからないことはJR東日本の社員が応対するもので、ほかにもJR全線の乗車券や新幹線や在来線の特急券、大人の休日倶楽部割り引き、定期券購入など、まるでみどりの窓口が機械対応になったかのようなスグレモノである。使っている利用客がいたので、無許可で撮るわけにはいかなかったが、首都圏の駅にある指定席券売機をグレードアップしたようなものと考えていい。

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1番線には12時59分発の普通電車高崎行きが115系1000番台で入線するものの、なんと3両編成。困ったことに折り返し乗車して坐り続ける利用客もいる。青春18きっぷ利用ならば、不正利用者にはならないが、終点に着いたら降りるのがマナーやエチケットというものだろう。 車内は混雑し、先頭車ではおぎのやの社員が峠の釜めしを積んで、車椅子スペースに陣取る。終点高崎まで利用していたので、おそらく、北陸新幹線〈あさま〉に積み込むのだろう。  

車内は停まるごとに混雑を増し、安中から先は首都圏のラッシュと変わらない状況となり、電車は8分遅れの13時37分、終点高崎に到着。本来なら、13時32分に発車する高崎線211系3000番台の普通電車上野行きが待っており、あわただしく乗り換える利用客も多かった。また、車掌は待っているとは思っておらず、高崎線の乗り換え案内時、13時53分発の普通電車上野行きを伝えていたが、JR東日本の“利用客本位”の姿勢はいい。ただ、この日のような“特別な日”は増結するなどのフレキシブルな対応が欲しかった。ダイヤを犠牲にして待っているということは、利用客に対するお詫びの意を表している。

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下車して、『EF55ファン感謝祭』へ。特設会場で行なわれており、イベントは終盤を迎えていた。特設会場には『編集長敬白』でおなじみの名取紀之編集長、オフィス北野に所属するタレント、木村裕子がゲストとして招かれている。

 

名取編集長は冷静沈着、木村裕子ははじけていたが、イベントは無事に終了。会場をあとにする際、木村裕子がステージに立ったほかの人より深々と一礼した姿を見て、車内販売員を勤めていたという経歴を物語る。また、共にナマで見るのは初めてだが、木村裕子のコスチュームを見ると、“髭男爵、小島よしお、波田陽区、テツandトモとのスーパーコラボが実現したら、いい絵になるだろうなぁー”と思う。この6人には“コスチュームタレント”という共通点があるからだ。

「♪地下鉄の電車は、どこから入ったの、なんでだろうーっ?♪」

「♪なんでだろうーっ?♪」  

もし、テツandトモがこんなネタを披露したら、皆様はどう答えますか?

★備考

①今回の動画はこちらにクリック!!



②フリー百科事典『Wikipedia「国鉄EF55形電気機関車」』はこちらにクリック!!

③鉄道ニュース「“さよならEF55横川”号運転」は
こちらにクリック!!

④参考文献として、交友社刊行、『鉄道ファン2009年3月号』を使用。

⑤レールファン音楽館スタッフの部屋「EF55ついに引退! 古豪再び眠りへ」は
こちらにクリック!!

⑥1日1鉄! 鉄道写真家・中井精也ブログ「1月17日(土曜日)」は
こちらにクリック!!(2009年の記事です)

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★お知らせ

2008年12月も2者択一サイト、『Unow?』で、「アノ人はなぜハマル?(モハよう著者からの20の質問)」が公開されており、質問28・33・39・43・46で私の画像と解説が掲載されております。ぜひ、アクセスしてみて下さい。

なお、質問を回答するには会員登録が必要となりますので、あらかじめ御了承下さい。

①『Unow?』は
こちらにクリック!!(回答するには会員登録が必要となりますので、御注意下さい)

②『Unow?「モハよう著者からの20の質問」』はこちらにクリック!!

③『Unow?「モハよう著者からの20の質問」』の質問28は
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④『Unow?「モハよう著者からの20の質問」』の質問33はこちらにクリック!!

⑤『Unow?「モハよう著者からの20の質問」』の質問39は旧式はこちらにクリック!! そして、新式はこちらにクリック!!



⑥『Unow?「アノ人はなぜハマル?」』の質問43はこちらにクリック!!



⑦『Unow?「アノ人はなぜハマル?」』の質問46はこちらにクリック!!



※②~⑧は2008年12月31日(水曜日・大晦日)まで公開予定です(翌日以降は削除されている可能性がありますので、あらかじめ御了承下さい)。


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コメント 6

下総弾正くま

EF55は10年以上前に大宮工場で見ましたね。走ってる姿を見てみたかった。
おぎのやのテント&容器回収カゴは自分が行った時にもありましたね(土日祝3連休の日曜日でした)。
by 下総弾正くま (2009-01-22 09:07) 

こぱんだつま

以前、何度か信州に出張に行ってました。横川で釜飯を買って食べたり、連結・解結シーンを見ていました。懐かしいです。
うちにも、釜飯の入れ物ありますよ。
by こぱんだつま (2009-01-22 14:34) 

岸田法眼

下総弾正くまさん、どうもありがとうございます。

EF55は2004年の大宮工場以来、久しぶりにナマで見ました。このときは構内を走っており、体験乗車できるサービスがありました。

おぎのやのテントランチサービスはいつもやっているようですね。平日はどうなのかはわかりませんが、休みの日は確実にやっているのかもしれません(推測です)。
by 岸田法眼 (2009-01-23 00:13) 

岸田法眼

こぱんだつまさん、どうもありがとうございます。

横川のあのシーンは私も見たことがあります。初めて長野へ行ったときはもちろん、峠の釜めしを買いました。

私も容器は持っております。冬場は鍋料理の受け皿によく使っています。
by 岸田法眼 (2009-01-23 00:23) 

uran

昨日峠の釜飯食べました!長野新幹線のk¥なかで...

by uran (2009-01-23 00:46) 

岸田法眼

uranさん、どうもありがとうございます。

峠の釜めしの〈あさま〉販売は高崎-軽井沢間の限定と聞いたことがあります(高崎と軽井沢の両方に停まるのが条件です)。私も車内販売で購入したいものです(専用売店があれば助かりますが、設けないんでしょうねぇー)。
by 岸田法眼 (2009-01-23 12:38) 

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