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2002年の汽車旅2-前編-(Railway Blog通算200回) [汽車旅2002]

2002年3月1日(金曜日)、JR東日本新宿へ。快速〈ムーンライトえちご〉村上行き(3号車指定席クモハ165-76)に乗る。

快速〈ムーンライトえちご〉は209系シリーズ、E217系、E501系、E231系シリーズについているコンセントはないものの、気にもしない若者らはさっそく席につくやいなや、メールピコピコ。

私が坐るのは3号車指定席12D窓側。すぐ前がデッキで足のせがあるので、“スペシャルシート”のように思えるが、テーブルと窓かまちがないなど、欠点が多い(上りの場合、1A~D席もそう)。戸袋窓をのぞくと、サビているところがあり、老体にムチを打っている。

23時09分に発車し、湘南新宿ライン(山手線と東北本線)、高崎線、上越線、信越本線、白新線を通り、2002年3月2日(土曜日)5時48分、羽越本線の坂町に到着。そろそろ夜が明けることで、外は寒い。

下車して町を歩き、待合室にはオバちゃん数人がだんらんしており、米坂線に乗るようだ。キヨスクは開店している。

1番線に普通列車米坂行き(キハ52-120:非冷房車)が入線。車内の98パーセントは高校生で占めていたが、半分ほどは降りない。折り返し乗車ということはありえないが、羽越本線新発田方面の電車が来るのを待っているのだろう。ちなみにエル特急〈いなほ2号〉新潟行きにも目もくれず、おしゃべりとメールをピコピコ。

普通電車新潟行きが到着すると、いっせいに撤収。一瞬にして、空席がドドドーン!!

7時20分に発車。右へ曲がり、羽越本線と別れる。すると、進行方向左側に川が見えた。雄大っつーか、こういうのって好きなのよね。

進んでゆくごとに雪国らしくなってゆく。豪雪地帯を走る路線ならでは。春の旅と言いつつも、冬に逆戻りしたかのようだ。水田は氷ができていた。子供の頃は石を投げて割るのが楽しみだったことを思い出す。

越後大島では高校生が乗車し、次の越後下関で降りたが、この先、「越後x」という駅はいくつも続く。

車両は先頭がキハ47系、最後部がキハ52系。キハ47系は旅先でよく乗るし、シートは国鉄のまま。キハ52系は見かけることが少なく、車内はシートモケットはレッドにチェンジするなど、リニューアルしていた。

普通列車米坂行きは適当な速度で進んでゆくが、勾配やカーブなどで苦しむ。おまけにクルマに抜かれ、交通量も多い。米坂線の本数が少ないから、こうなってしまうのだろうか?

越後金丸(Echigo-Kanamaru)で普通列車坂町行きと行き違い。発車すると、国道113号線と共に進み、山形県に入るとトンネル。更に雪深くなってくるが、視界が悪く、モヤッっつーか、キリっつーか、そういうのね。

雪は1メートル以上は積もっており、標識や柱のほとんどが埋もれ、信号機等の半分は雪に使っている。

積雪の多さを想定してか、古びたアパートは高床式ある。

小国で8分停車。道路に雪はないものの、除雪をしていないところでは2メートルは積もっていた。“チリと積もれば山となる”という感じだ。

下車すると、近くに小国郵便局があり、土曜日で旅行貯金ができないことにくやしい思いをする。

8時10分に発車し、並行する国道113号線の制限速度は50㎞/hで、列車もそれを準じているような感じで走る。

「次は羽前松岡。失礼しました、次は羽前沼沢です」

この当時、車掌が次の駅名を間違えることが多く、困ったものである。ワンマン運転や自動放送装置の普及がそうさせているのだろうか。ちなみに米坂線は「羽前y」という駅は3つある。

普通列車米沢行きは積もりに積もった雪道を通るが、もし、なだれが直撃するようなことがあったら、恐ろしい。また、踏んだらズボーッと底なし沼のようにハマッてしまいそうだ。これだけの量があると、“紅白雪合戦”ができそうだ。

山間部を抜け、降雪量も少なくなり、羽前椿に到着しようという頃、なぜか停止信号。久しぶりに行き違いのできるホームに到着したが、行き違い列車はなく、8分停車するというので個人的に下車駅を増やす。この世の中、JR全駅下車を果たしたという話を聞いたことがあるけど、そこまでやろうとは思っていない。

雪原をひた走り、第3セクター、山形鉄道フラワー長井線と合流し、9時14分、今泉3番線に到着。10分停車するというので、またも下車駅を増やす。ちなみに今泉は山形県長井市にあり、赤湯・山形方面はフラワー長い線に乗り換えたほうが早く着く。

9時24分に発車。フラワー長井線と別れたら、たちまち濃い霧に。視界はほぼ見えない状態だ。目がまぶしいという感覚になってしまう。

運転士も、このような霧では大変だと思うが、犬川が近づくと、少し晴れてきた。よって、オーバーランや急停車はなし!! ちなみに犬川と言うと、“テッパンの犬川”を思い出す(フジテレビで放送していた『うまなりクン』を見ていない人にはわからないだろう)。

西米沢、南米沢といった「π米沢」が続き、10時00分、終点米沢4番線に到着し、全線完乗を達成した。米坂線は「越後x」、「羽前y」、「π米沢」といった駅が多い。ちなみに只見線は「会津r」という駅が多い。

3番線にまわり、奥羽本線の普通電車山形行き(クモハ719-5007)に乗り換え。719系5000番台の一部はワンマンカー対応に改造され、ドアチャイム、運賃表、運賃箱、整理券発行機を取り付けていた。また、パンタグラフもシングルアームにチェンジしていた。

400系の〈つばさ120号〉東京行きが2番線に到着したものの、遅れている。また、単線のため、定時運行をしている400系の〈つばさ101号〉山形行きと行き違わなければならず、苦しい。

米沢で見た400系の〈つばさ120号〉は車内がリニューアルされており、指定席は『桃色片想い』、自由席はグリーンで、いずれも“ファミコンシート”にチェンジしていた。

改札付近では狂牛病や偽装牛肉に負けず、駅弁を販売。米沢の肉はうまいよー。

普通電車山形行きは10時40分に発車。なんと110㎞/hで駆け抜ける。JR東日本の普通電車は100㎞/hぐらいしか走らないイメージがある。

高畠には温泉があり、発車すると進行方向右側には追い越し禁止の高速道路なのだろうか、高規格な高架道路がある。

赤湯はフラワー長井線の乗り換え駅で、乗車客は多かった。

赤湯から複線となり、勾配を登る。ひるまず、力強く進んでゆく。信号所で単線に戻るも、快走ぶりは変わらない。

中川で701系5500番台の普通電車米沢行きと行き違う。719系5000番台は奥羽本線の標準軌全区間(福島-新庄間)対応だが、701系5500番台は福島-米沢間の運用はない。

雪がとけ、羽前中山で複線に戻り、かみのやま温泉でまとまったお客が乗り、400系の<つばさ126号>東京行きも停車した。

11時25分、終点山形4番線に到着した。

★備考

①JR東日本所属のエル特急は2002年12月1日(日曜日)のダイヤ改正で、「特急」に種別を統合した。

②松本典久著、並木書房刊行の『今しか乗れない国鉄型名車ガイド』では米坂線キハ52系のルポがあります(2001年に発売)。

③桜井寛著、東京書籍刊行の『絶景冬列車の旅』にも米坂線のルポがあります(20世紀に発売)。

④「ファミコンシート」というのは、リクライニングだけではく、座面が前へ動かせる座席のこと。ひじかけの下にあるボタンが任天堂、ファミリーコンピューターのA・Bボタンに似ていることから命名した。

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住吉人

岸田法眼様、こんばんは。

以前、大阪で見ることが出来ましたJR東日本の485系リニューアル車はまだお元気でしょうか?。
かろうじてJR東受け持ちの雷鳥で見ましたが、写真撮っていませんでした。
by 住吉人 (2007-02-16 22:57) 

岸田法眼

485系リニューアル車は快速<くびき野>で乗ったことがあります。ただ、485系1500番台は今や勝田車両センターの波動用だけが残るのみとなりました。

調べてみたところ、新潟の初期の485系リニューアル車はなさそうな記述となっておりました。
by 岸田法眼 (2007-02-16 23:58) 

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