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2008年の汽車旅4-7 [汽車旅2008]
◆JR九州完全制覇に王手!!
油津を発車した各駅停車志布志行きワンマン列車は再び、日向灘オーシャンショーへ。宮崎県といえば、青い海、暑い気候だが、なぜ、自然豊かなところにシーガイアを作ったのだろう?
南郷を過ぎ、国道220号線と並走したあと、森へさまよい込む。平均駅間距離の宮崎-油津間は2.85キロだが、ここから終点志布志までは3.9キロと長くなっている。
榎原(Yowara)で80歳を過ぎたように見えるおばあちゃんが運転士に話しかける。どうやら乗車区間を間違えてしまったようで、運転士はあわてて乗務員室を降りて、鉄道用の電話をかける。その後、どうなったのかはわからないが、おばあちゃんは対向の列車が到着するまで待ち、ここから乗車駅までは無賃となり、そのあと下車駅までは運賃を払うことになるのだろう。
定刻より2分遅れの9時14分に発車し、登り勾配に差しかかる。電車は勾配区間を走っても、“平静”を装っているように思えるが、気動車は“正直者”だ。苦しいときはディーゼルエンジン音が悲鳴に聞こえる。
日向大束(Hyuga-Ohtsuka)に到着し、ここで各駅停車南宮崎行きワンマン列車と行き違うため、少々停車。2分遅れで手前の榎原を発車しているが、ここで遅れを回復させることになる。
駅の所在地である串間市は宮崎県の最南端にあたるところで、駅舎は民家のような建物になっているが、無人駅。ホームやその周辺は雑草が生い茂っており、ローカル線の風情を感じさせる。
各駅停車南宮崎行きワンマン列車と行き違い、定刻通り、9時33分に発車。串間では5人下車し、利用客は私だけになってしまった。お天気も雲が多くなってきた。発車すると、運転士は盛んにタイフォンを鳴らす。警報機と遮断機のない踏切が存在するのだ。
福島今町(Fukushima-imamachi)を発車すると、進行方向左側はちょっとだけ日向灘オーシャンショー。そして、ついに雨が降り出してしまう。運転士は“これしきの雨くらいなんだ!!”と言いたげにワイパーを動かさない。九州男児の意気地ってヤツか。
福島高松でオバチャン1人が乗車し、利用客は私を含め、ようやく2人に。
再び、険しい道をゆき、タグリ遊園地が見えると、気動車は気合いを入れ直し、国道220・448号線の“共用道路”と合流すると、大隅夏井へ。ついに鹿児島県へ入り、2人乗車。たった4人の利用客でラストコースを迎える。
雨はやみ、ラストコースも道は険しいが、豪華客船の『さんふらわあ きりしま』がチラチラチラーッと見えると、スピードは25㎞/hに制限されるが、解除されるとカーブで車輪のきしむ音が聞こえ、それを乗り越えると、お天気は晴天に戻った。
定刻通り、10時06分、上から読んでも下から読んでも同じ漢字、同じ読みがなの終点志布志に到着した。
「お疲れさん」
青春18きっぷを見せると、運転士はねぎらいの声を掛ける。味のあるベテラン運転士だが、始発の宮崎から志布志まで運転士といっしょに“同行”したのは私だけなのである。
こうして、志布志線全線完乗を達成し、JR九州完全制覇に王手をかけた。
ホームは行き止まり式となっているが、『モハようございます。あの人はなぜ、鉄道にハマるのか?』の読者なら喜びそうなモノが目白押し?!
まず、駅舎の手前にある車止め。その先にレールのない終点駅には必ずあるアイテムで、ホーム側と左側の留置線とは車止めの位置が異なる。また、車止めの先にはコンクリートの壁がある。あってはならない事故が発生した場合でも、列車の暴走を食い止めてやることを意味している。更に留置線の左側にはキロポストがあり、「89」と表示。日南線は全線の営業キロが88.9キロあり、あと10メートルで89キロになるのだ。鉄道に興味のない人がこのキロポストの「89」を見たら、福岡ソフトバンクホークス、王貞治監督の背番号が頭に思い浮かぶだろう。
◆志布志を歩く
志布志を下車し、徒歩2分のところにある志布志郵便局でこの日、最初の旅行貯金。そのあとは志布志市を歩くことにしよう。
まず、SUNPORT SHIBUSHI APIAへ。志布志駅前の交差点を渡ってすぐのところに“ラブラブゲート”があり、夜になると光り輝くのだろう。そこには鐘があり、鳴らしてみることにしよう。
この鐘を鳴らしたわけには大きな理由があり、そろそろじゃないね、今すぐ負け犬を返上しないと泥沼にはまり込んだまま、沈んでしまうことになるからだ。“結婚できないのは人間としてみっともない”と常日頃から思っていることだが、人によってはそうでもないようだ。
その先には鉄道記念公園がある。
ここは旧志布志駅跡地で、現在地のほうが距離は短く、89キロのキロポストがあったのは移転前に面影を残しているものといえる。そして、国鉄時代、旧志布志駅には日南線のほか、志布志線と大隅線が走っていた。
志布志線は志布志-西都城間、大隅線は志布志-国分間を結んでいたローカル線で、3線とも日豊本線の駅まで結んでいた。しかし、昭和62年(1987年)、国鉄分割民営化直前に大隅線は3月13日(金曜日)、志布志線は3月27日(金曜日)でフォーエヴァー。翌日からバスに転換され、JR九州に引き継がれることはなかった(国鉄の分割民営化は1987年4月1日にスタート)。
平成2年(1990年)2月20日(火曜日)に志布志駅は現在地へ移転し、日南線の営業キロは約100メートル短縮されている。
鉄道記念公園は実際に使われていたプラットホームが残っており、そこには車両が展示されている。目玉は蒸気機関車、C58形112号機であろう。
鉄道記念公園の案内板によると、C58形112号機は昭和14年(1939年)2月16日(木曜日)、汽車製作という車両メーカーによって新製された車両で、MAX85㎞/h。5日後には愛知県の稲沢機関区に配置された。
昭和17年(1942年)11月7日(土曜日)に岐阜県の多治見機関区へ異動するものの、中京地方での活躍は11年と短く、昭和25年(1950年)1月31日(火曜日)に大分県の大分機関区へ移ることになるが、九州の水にあう蒸気機関車となる。
昭和47年(1972年)6月17日(土曜日)に鹿児島県の志布志機関区へ異動。これが最後の活躍の場となり、昭和50年(1975年)1月20日(月曜日)で現役生活にピリオドを打った。
その後、国鉄の厚意により、昭和50年(1975年)3月6日(木曜日)に鹿児島県曽於郡(So-o a County)志布志町に無償貸与され、静態保存。当初はどこで保存されていたのかはいくら調べてもわからないが、鉄道記念公園が誕生してからはこちらが“居住地”なのだろう。
2006年1月1日(日曜日・元旦)、曽於郡の3町(志布志町、有明町、松山町)を合併し、志布志市が誕生した。ちなみにこれは『トリビアの泉』で紹介されているが、志布志町時代の名残なのか、志布志市役所志布志支所がある。
上屋をつけているので、保存状態がいいかと思いきや、そうでもなく、ヘッドライトの一部はヒビ割れが見られる。また、上屋の一部も破損されており、修理が急務ではないだろうか。九州地方は昔から台風が直撃しやすいイメージがあり、風雨は想像を絶するものがあるのだろう。
C58形112号機のうしろには国鉄時代、貨物列車に必要不可欠な存在だった車掌車、ヨ8000形(静態保存の車番はヨ8951)。しんがりはキハ52 130だが、保存状態が悪いというより、「ひどい」という言葉が当てはまる状態で、カバーをかけて修繕中のようである。塗装ははがれており、茶色い鉄がムキ出しに近いような状態。また、線路の両端には腕木式信号機も展示されているが、上屋の外である。
志布志市建設課都市政策推進室によると、C58形112号機は旧国鉄OBらが結成したSL保存会が毎年、塗装などの維持補修を委託しており、ヘッドライトや付帯施設(信号機を含む)の破損については補修ができるかどうか、調査を行なったうえで結論を決め、上屋は早い時期に補修するという。
キハ52 130は鉄道車両の改装業務を行なう会社に委託し、12月中旬の完了を目指し、ボロボロの車体を治している。2009年には美しくなった鉄道記念公園が見られそうだ。
そのあとは中核国際港湾として名高い志布志港へ。
フェリーのりばや埠頭があちこちにあり、時間の許される限りのところへしか行けなかったが、駐車しているクルマが見られるが、志布志湾の綺麗な海で釣りをしているのだ。九州だとおいしい魚が獲れそうだが、この日の夕食のおかずにするため、真剣なまなざしで釣りざおを志布志湾に託す。その奥には『さんふらわあ きりしま』が停泊している。
帽子を持っておらず、強い日差しに気分はもうろうとするが、再びSUNPORT SHIBUSHI APIAへ。今度は中へ入り、ショッピングセンター、コープしぶし店はこの日、毎月1日恒例となる「消費税を考える日」で、一部の商品以外はすべて、税抜き価格で買えるが、隣接する100円ショップ、ダイソーはいつも通りの税込価格だった。ちなみにコープしぶし店では昼食、ダイソーでは単3電池4個パックを購入した。
◆乗り継ぎに失敗?!
さぁーて、志布志駅に戻り、臨時各駅停車南宮崎行きワンマン列車(キハ40 8104)へ。
運転士は乗務員室を開けて、なにやら操作。そのあとにドアが開くのだが、車内は進行方向右側すべての窓にカーテンを下ろしており、暑さ対策なのだろうが、蒸し暑い。どうやら、ディーゼルエンジンを1度切っていたようだ。折り返し時間が1時間41分もあるため、ディーゼルエンジンを一旦切るのは当然のことと言える。
たまらず私やほかの利用客は扇風機のスイッチを入れるが、この旅で乗車したJR九州の気動車(キハ40・47系シリーズ)は冷房の効きがいまひとつである。
11時47分に発車し、油津を過ぎると、利用客が増え、やがてたった1両の車内は満員御礼となる。
田吉付近で停止信号にあうが、14時12分、終点南宮崎4番のりばに到着。向かいの3番のりばには宮崎空港発の特急〈にちりん18号〉別府行きに接続。田吉付近で停止信号になった原因であるが、次の宮崎まで乗車券のみで自由席に乗れることから、乗り換え客が多く、14時13分に発車。たった3両編成だとは思わなかった。
特急〈にちりん18号〉別府行きに乗り換えず、日豊本線14時40分発の各駅停車西都城行きワンマン列車に乗り換えるが、これが大失敗。なぜかと言うと、4番のりばの隣りは車両基地のように見える留置線になっており、そこには方向幕が「ワンマン西都城」と表示した電車が止まっているのである。“まずい、このまま宮崎へ行くんじゃないか”と懸念していたが、その通りになってしまった。特急〈にちりん18号〉別府行きに乗り換えていれば、宮崎での座席GET率が高かっただけに判断ミスを悔やむ。しかも、その車両は713系900番台で、転換クロスシートではなく、リクライニングシートを装備しているのである。
3番のりばから特急〈にちりん9号〉宮崎空港行きが発車したあと、14時36分に各駅停車西都城行きワンマン列車(クハ712-903:SUNSHINE車)が到着。思った通り、坐れない。しかも、この日は多くの学校で始業式を迎えたため、高校生主体だが、マナーの悪さはどこに行っても変わらない。ロングシートでも足を投げ出す女子高生がおり、くつろぐ場所はどこなのか、わきまえていない。
14時40分に発車し、日向沓掛(Hyuga-Kutsukake)でようやくリクライニングシートに坐れ、田野で下車客が多かった。私立なのか公立なのかはわからないが、通学エリアは広いようだ。ここで817系の各駅停車宮崎行きワンマン列車と行き違う。
各駅停車西都城行きワンマン列車は勾配をゆき、森の中へ入っていく。カーブが多いので、883系・885系の運用範囲を広げてもらいたいほどだ。
10分以上も走って、ようやく青井岳へ。ここから宮崎県都城市へ入る。
都城市は東国原英夫知事の出身地で、ずいぶん広い印象を持つが、2006年1月1日(日曜日・元旦)、北諸県郡(Nohth-Morokata a Country)の3町(山之口町〔Yamanokuchi Town〕、高城町〔Takajoh Town〕、山田町、高崎町〔Takazaki Town〕)を吸収し、都城市の規模を広げたのである。
山之口を発車すると、田園風景となり、畑が多くなる。サトウキビが多いようだが、都城市を外れ、北諸県郡三股町(Mimata Town)を走る。
雨が降り出し、三股で10分停車。特急〈きりしま10号〉宮崎行きと817系の各駅停車宮崎行きワンマン列車と行き違いが行なわれる。10分停車なので、ホームでは煙草をふかす利用客の姿が見られた。
15時40分に発車し、再び都城市へ入り、15時45分、都城1番のりばに到着。電車を降りると、一時的だが、ものすごーい豪雨に見舞われ、降りた利用客は騒然とした表情で大半は改札口へ向かった。
★備考
①今回の動画はこちらにクリック!!
②参考文献として、吉田一紀著、オーム社刊行、『モハようございます。あの人はなぜ、鉄道にハマるのか?』を使用。
③フリー百科事典『Wikipedia「志布志駅」』はこちらにクリック!!
④フリー百科事典『Wikipedia「志布志町」』はこちらにクリック!!
⑤フリー百科事典『Wikipedia「志布志市」』はこちらにクリック!!
⑥フリー百科事典『Wikipedia「都城市」』はこちらにクリック!!
⑦志布志市役所ホームページはこちらにクリック!!
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★お知らせ
2008年9月30日(火曜日)まで2者択一サイト、『Unow?』で、「モハよう著者からの20の質問」が公開されており、質問28・33で私の画像と解説が掲載されております。ぜひ、アクセスしてみて下さい。
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③『Unow?「モハよう著者からの20の質問」』の質問28はこちらにクリック!!
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※②~④は2008年9月30日(火曜日)まで公開予定です(翌日以降は削除されている可能性がありますので、あらかじめ御了承下さい)。
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私の雑誌デビュー作、『TRAIN MODELING MANUAL Vol.1』(ホビージャパン刊行)が1600円(本体1524円)にて好評発売中です。まだお求めでない方、ぜひ御購入下さい(完売の際は御容赦下さい)。
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油津を発車した各駅停車志布志行きワンマン列車は再び、日向灘オーシャンショーへ。宮崎県といえば、青い海、暑い気候だが、なぜ、自然豊かなところにシーガイアを作ったのだろう?
南郷を過ぎ、国道220号線と並走したあと、森へさまよい込む。平均駅間距離の宮崎-油津間は2.85キロだが、ここから終点志布志までは3.9キロと長くなっている。
各駅停車志布志行きワンマン列車編成表 | ||||||
臨時各駅停車南宮崎行きワンマン列車編成表 | ||||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 | ||
油津→ | 志布志 | なし | キハ40 | 8104 | ○ | なし |
南宮崎← |
榎原(Yowara)で80歳を過ぎたように見えるおばあちゃんが運転士に話しかける。どうやら乗車区間を間違えてしまったようで、運転士はあわてて乗務員室を降りて、鉄道用の電話をかける。その後、どうなったのかはわからないが、おばあちゃんは対向の列車が到着するまで待ち、ここから乗車駅までは無賃となり、そのあと下車駅までは運賃を払うことになるのだろう。
定刻より2分遅れの9時14分に発車し、登り勾配に差しかかる。電車は勾配区間を走っても、“平静”を装っているように思えるが、気動車は“正直者”だ。苦しいときはディーゼルエンジン音が悲鳴に聞こえる。
日向大束(Hyuga-Ohtsuka)に到着し、ここで各駅停車南宮崎行きワンマン列車と行き違うため、少々停車。2分遅れで手前の榎原を発車しているが、ここで遅れを回復させることになる。
駅の所在地である串間市は宮崎県の最南端にあたるところで、駅舎は民家のような建物になっているが、無人駅。ホームやその周辺は雑草が生い茂っており、ローカル線の風情を感じさせる。
各駅停車南宮崎行きワンマン列車と行き違い、定刻通り、9時33分に発車。串間では5人下車し、利用客は私だけになってしまった。お天気も雲が多くなってきた。発車すると、運転士は盛んにタイフォンを鳴らす。警報機と遮断機のない踏切が存在するのだ。
福島今町(Fukushima-imamachi)を発車すると、進行方向左側はちょっとだけ日向灘オーシャンショー。そして、ついに雨が降り出してしまう。運転士は“これしきの雨くらいなんだ!!”と言いたげにワイパーを動かさない。九州男児の意気地ってヤツか。
福島高松でオバチャン1人が乗車し、利用客は私を含め、ようやく2人に。
再び、険しい道をゆき、タグリ遊園地が見えると、気動車は気合いを入れ直し、国道220・448号線の“共用道路”と合流すると、大隅夏井へ。ついに鹿児島県へ入り、2人乗車。たった4人の利用客でラストコースを迎える。
雨はやみ、ラストコースも道は険しいが、豪華客船の『さんふらわあ きりしま』がチラチラチラーッと見えると、スピードは25㎞/hに制限されるが、解除されるとカーブで車輪のきしむ音が聞こえ、それを乗り越えると、お天気は晴天に戻った。
定刻通り、10時06分、上から読んでも下から読んでも同じ漢字、同じ読みがなの終点志布志に到着した。
「お疲れさん」
青春18きっぷを見せると、運転士はねぎらいの声を掛ける。味のあるベテラン運転士だが、始発の宮崎から志布志まで運転士といっしょに“同行”したのは私だけなのである。
こうして、志布志線全線完乗を達成し、JR九州完全制覇に王手をかけた。
ホームは行き止まり式となっているが、『モハようございます。あの人はなぜ、鉄道にハマるのか?』の読者なら喜びそうなモノが目白押し?!
まず、駅舎の手前にある車止め。その先にレールのない終点駅には必ずあるアイテムで、ホーム側と左側の留置線とは車止めの位置が異なる。また、車止めの先にはコンクリートの壁がある。あってはならない事故が発生した場合でも、列車の暴走を食い止めてやることを意味している。更に留置線の左側にはキロポストがあり、「89」と表示。日南線は全線の営業キロが88.9キロあり、あと10メートルで89キロになるのだ。鉄道に興味のない人がこのキロポストの「89」を見たら、福岡ソフトバンクホークス、王貞治監督の背番号が頭に思い浮かぶだろう。
◆志布志を歩く
志布志を下車し、徒歩2分のところにある志布志郵便局でこの日、最初の旅行貯金。そのあとは志布志市を歩くことにしよう。
まず、SUNPORT SHIBUSHI APIAへ。志布志駅前の交差点を渡ってすぐのところに“ラブラブゲート”があり、夜になると光り輝くのだろう。そこには鐘があり、鳴らしてみることにしよう。
この鐘を鳴らしたわけには大きな理由があり、そろそろじゃないね、今すぐ負け犬を返上しないと泥沼にはまり込んだまま、沈んでしまうことになるからだ。“結婚できないのは人間としてみっともない”と常日頃から思っていることだが、人によってはそうでもないようだ。
その先には鉄道記念公園がある。
ここは旧志布志駅跡地で、現在地のほうが距離は短く、89キロのキロポストがあったのは移転前に面影を残しているものといえる。そして、国鉄時代、旧志布志駅には日南線のほか、志布志線と大隅線が走っていた。
志布志線は志布志-西都城間、大隅線は志布志-国分間を結んでいたローカル線で、3線とも日豊本線の駅まで結んでいた。しかし、昭和62年(1987年)、国鉄分割民営化直前に大隅線は3月13日(金曜日)、志布志線は3月27日(金曜日)でフォーエヴァー。翌日からバスに転換され、JR九州に引き継がれることはなかった(国鉄の分割民営化は1987年4月1日にスタート)。
平成2年(1990年)2月20日(火曜日)に志布志駅は現在地へ移転し、日南線の営業キロは約100メートル短縮されている。
鉄道記念公園は実際に使われていたプラットホームが残っており、そこには車両が展示されている。目玉は蒸気機関車、C58形112号機であろう。
鉄道記念公園の案内板によると、C58形112号機は昭和14年(1939年)2月16日(木曜日)、汽車製作という車両メーカーによって新製された車両で、MAX85㎞/h。5日後には愛知県の稲沢機関区に配置された。
昭和17年(1942年)11月7日(土曜日)に岐阜県の多治見機関区へ異動するものの、中京地方での活躍は11年と短く、昭和25年(1950年)1月31日(火曜日)に大分県の大分機関区へ移ることになるが、九州の水にあう蒸気機関車となる。
昭和47年(1972年)6月17日(土曜日)に鹿児島県の志布志機関区へ異動。これが最後の活躍の場となり、昭和50年(1975年)1月20日(月曜日)で現役生活にピリオドを打った。
その後、国鉄の厚意により、昭和50年(1975年)3月6日(木曜日)に鹿児島県曽於郡(So-o a County)志布志町に無償貸与され、静態保存。当初はどこで保存されていたのかはいくら調べてもわからないが、鉄道記念公園が誕生してからはこちらが“居住地”なのだろう。
2006年1月1日(日曜日・元旦)、曽於郡の3町(志布志町、有明町、松山町)を合併し、志布志市が誕生した。ちなみにこれは『トリビアの泉』で紹介されているが、志布志町時代の名残なのか、志布志市役所志布志支所がある。
上屋をつけているので、保存状態がいいかと思いきや、そうでもなく、ヘッドライトの一部はヒビ割れが見られる。また、上屋の一部も破損されており、修理が急務ではないだろうか。九州地方は昔から台風が直撃しやすいイメージがあり、風雨は想像を絶するものがあるのだろう。
C58形112号機のうしろには国鉄時代、貨物列車に必要不可欠な存在だった車掌車、ヨ8000形(静態保存の車番はヨ8951)。しんがりはキハ52 130だが、保存状態が悪いというより、「ひどい」という言葉が当てはまる状態で、カバーをかけて修繕中のようである。塗装ははがれており、茶色い鉄がムキ出しに近いような状態。また、線路の両端には腕木式信号機も展示されているが、上屋の外である。
志布志市建設課都市政策推進室によると、C58形112号機は旧国鉄OBらが結成したSL保存会が毎年、塗装などの維持補修を委託しており、ヘッドライトや付帯施設(信号機を含む)の破損については補修ができるかどうか、調査を行なったうえで結論を決め、上屋は早い時期に補修するという。
キハ52 130は鉄道車両の改装業務を行なう会社に委託し、12月中旬の完了を目指し、ボロボロの車体を治している。2009年には美しくなった鉄道記念公園が見られそうだ。
そのあとは中核国際港湾として名高い志布志港へ。
フェリーのりばや埠頭があちこちにあり、時間の許される限りのところへしか行けなかったが、駐車しているクルマが見られるが、志布志湾の綺麗な海で釣りをしているのだ。九州だとおいしい魚が獲れそうだが、この日の夕食のおかずにするため、真剣なまなざしで釣りざおを志布志湾に託す。その奥には『さんふらわあ きりしま』が停泊している。
帽子を持っておらず、強い日差しに気分はもうろうとするが、再びSUNPORT SHIBUSHI APIAへ。今度は中へ入り、ショッピングセンター、コープしぶし店はこの日、毎月1日恒例となる「消費税を考える日」で、一部の商品以外はすべて、税抜き価格で買えるが、隣接する100円ショップ、ダイソーはいつも通りの税込価格だった。ちなみにコープしぶし店では昼食、ダイソーでは単3電池4個パックを購入した。
◆乗り継ぎに失敗?!
さぁーて、志布志駅に戻り、臨時各駅停車南宮崎行きワンマン列車(キハ40 8104)へ。
運転士は乗務員室を開けて、なにやら操作。そのあとにドアが開くのだが、車内は進行方向右側すべての窓にカーテンを下ろしており、暑さ対策なのだろうが、蒸し暑い。どうやら、ディーゼルエンジンを1度切っていたようだ。折り返し時間が1時間41分もあるため、ディーゼルエンジンを一旦切るのは当然のことと言える。
たまらず私やほかの利用客は扇風機のスイッチを入れるが、この旅で乗車したJR九州の気動車(キハ40・47系シリーズ)は冷房の効きがいまひとつである。
11時47分に発車し、油津を過ぎると、利用客が増え、やがてたった1両の車内は満員御礼となる。
田吉付近で停止信号にあうが、14時12分、終点南宮崎4番のりばに到着。向かいの3番のりばには宮崎空港発の特急〈にちりん18号〉別府行きに接続。田吉付近で停止信号になった原因であるが、次の宮崎まで乗車券のみで自由席に乗れることから、乗り換え客が多く、14時13分に発車。たった3両編成だとは思わなかった。
特急〈にちりん18号〉別府行きに乗り換えず、日豊本線14時40分発の各駅停車西都城行きワンマン列車に乗り換えるが、これが大失敗。なぜかと言うと、4番のりばの隣りは車両基地のように見える留置線になっており、そこには方向幕が「ワンマン西都城」と表示した電車が止まっているのである。“まずい、このまま宮崎へ行くんじゃないか”と懸念していたが、その通りになってしまった。特急〈にちりん18号〉別府行きに乗り換えていれば、宮崎での座席GET率が高かっただけに判断ミスを悔やむ。しかも、その車両は713系900番台で、転換クロスシートではなく、リクライニングシートを装備しているのである。
3番のりばから特急〈にちりん9号〉宮崎空港行きが発車したあと、14時36分に各駅停車西都城行きワンマン列車(クハ712-903:SUNSHINE車)が到着。思った通り、坐れない。しかも、この日は多くの学校で始業式を迎えたため、高校生主体だが、マナーの悪さはどこに行っても変わらない。ロングシートでも足を投げ出す女子高生がおり、くつろぐ場所はどこなのか、わきまえていない。
14時40分に発車し、日向沓掛(Hyuga-Kutsukake)でようやくリクライニングシートに坐れ、田野で下車客が多かった。私立なのか公立なのかはわからないが、通学エリアは広いようだ。ここで817系の各駅停車宮崎行きワンマン列車と行き違う。
各駅停車西都城行きワンマン列車は勾配をゆき、森の中へ入っていく。カーブが多いので、883系・885系の運用範囲を広げてもらいたいほどだ。
各駅停車西都城行きワンマン列車編成表 | |||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 | |
都城 | なし | ク ハ712- | 903 | ○ | SUNSHINE車 |
南宮崎 | なし | クモハ713- | 903 | ○ | SUNSHINE車 |
10分以上も走って、ようやく青井岳へ。ここから宮崎県都城市へ入る。
都城市は東国原英夫知事の出身地で、ずいぶん広い印象を持つが、2006年1月1日(日曜日・元旦)、北諸県郡(Nohth-Morokata a Country)の3町(山之口町〔Yamanokuchi Town〕、高城町〔Takajoh Town〕、山田町、高崎町〔Takazaki Town〕)を吸収し、都城市の規模を広げたのである。
山之口を発車すると、田園風景となり、畑が多くなる。サトウキビが多いようだが、都城市を外れ、北諸県郡三股町(Mimata Town)を走る。
雨が降り出し、三股で10分停車。特急〈きりしま10号〉宮崎行きと817系の各駅停車宮崎行きワンマン列車と行き違いが行なわれる。10分停車なので、ホームでは煙草をふかす利用客の姿が見られた。
15時40分に発車し、再び都城市へ入り、15時45分、都城1番のりばに到着。電車を降りると、一時的だが、ものすごーい豪雨に見舞われ、降りた利用客は騒然とした表情で大半は改札口へ向かった。
★備考
①今回の動画はこちらにクリック!!
②参考文献として、吉田一紀著、オーム社刊行、『モハようございます。あの人はなぜ、鉄道にハマるのか?』を使用。
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★お知らせ
2008年9月30日(火曜日)まで2者択一サイト、『Unow?』で、「モハよう著者からの20の質問」が公開されており、質問28・33で私の画像と解説が掲載されております。ぜひ、アクセスしてみて下さい。
なお、質問を回答するには会員登録が必要となりますので、あらかじめ御了承下さい。
①『Unow?』はこちらにクリック!!(回答するには会員登録が必要となりますので、御注意下さい)
②『Unow?「モハよう著者からの20の質問」』はこちらにクリック!!
③『Unow?「モハよう著者からの20の質問」』の質問28はこちらにクリック!!
④『Unow?「モハよう著者からの20の質問」』の質問33はこちらにクリック!!
※②~④は2008年9月30日(火曜日)まで公開予定です(翌日以降は削除されている可能性がありますので、あらかじめ御了承下さい)。
★さぁー、みんなで買ってみよう!!
私の雑誌デビュー作、『TRAIN MODELING MANUAL Vol.1』(ホビージャパン刊行)が1600円(本体1524円)にて好評発売中です。まだお求めでない方、ぜひ御購入下さい(完売の際は御容赦下さい)。
くわしくはこちらにクリック!!(御意見、御感想もこちらにお願いします)
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- 出版社/メーカー: ホビージャパン
- 発売日: 2008/06/21
- メディア: 大型本
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(ホビージャパン刊行)
定価1600円(本体1524円)
雑誌コード…68143-49
ISBN…978-4-89425-714-6
岸田法眼のウソつき4択 powerd by けんてーごっこ
(ホビージャパン刊行)
定価1600円(本体1524円)
雑誌コード…68143-49
ISBN…978-4-89425-714-6
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JR九州完乗に大手ですか。
ぜひとも達成してほしいです。
応援してます!
by makoto (2008-09-21 07:14)
makotoクン、どうもありがとうございます。
この場合の大手は「王手」ですね。
九州に初めて上陸して10年になりますが、この先の展開はどうなるかは次回にお伝えします。ぜひ御覧下さい。
by 岸田法眼 (2008-09-21 11:37)
終着駅に単行のDLはあいますね。
国鉄色でなくてもDLは汚れが激しいので味が出てます。
最近は模型のSLにはまっていて、9600やD51の資料を集めています。
by しおつ (2008-09-21 20:43)
しおつさん、どうもありがとうございます。
ディーゼル機関車はそういった魅力があるのですね。撮影に力を注いでいるだけのことはありますね。SLはターンテーブルがないとダメですから、色々な面でディーゼル機関車は有利なようです。
by 岸田法眼 (2008-09-21 22:15)
JR九州完乗に大手ですか?凄いですね。
ローカル地区などは乗り継ぎが悪く、ご苦労されたことと思います。
私はまだ、半分くらいしか乗っていないでしょうか、早く乗り潰したい気持ちでいっぱいです。
by schnitzer (2008-09-21 22:46)
schnitzerさん、どうもありがとうございます。
九州は北海道や四国より足をむける機会が多いのに、意外と時間がかかりましたね。
王手のかかった次回はいったい、どうなっておりますでしょうか?
朝方のmakotoクンもそうですが、コメントの字の間違いが見られますので、御指摘させていただきますと、大手は「おおて」、王手は「おうて」です。口で言う分には同じような言葉に聞こえますので、致し方のないところかもしれませんね。
次回もぜひ、御覧下さい。
by 岸田法眼 (2008-09-21 23:16)
日南線にはもう6年ほど前に一度乗ったきりで、ご無沙汰です。
あのときは都城からバスで志布志入りして日南線に乗り継ぐ行程でした。
また乗りに行きたくなりました。王手は、どちらの線区でしょうか?楽しみにしています。
by 浩然斎 (2008-09-22 02:15)
浩然斎さん、どうもありがとうございます。
日南線は7年ぶり2回目の利用でして、前回乗車時は宮崎空港線全線完乗を達成しました。
いよいよ王手がかかりましたが、意外と時間がかかったという印象がありますね。
「2008年の汽車旅4-8」もぜひ御覧下さい。
by 岸田法眼 (2008-09-22 20:04)