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2008年の汽車旅4-27(レールレジェンド-伝説の高速車両を眺める-) [汽車旅2008]

◆下記の記事をまだ御覧になっていない方はURLにクリックして下さい。

・「2008年の汽車旅4-1~24」の目次
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2008-11-06 

・2008年の汽車旅4-25(JR西日本の電化路線、すべて制す!!)
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2008-11-07

・2008年の汽車旅4-26(正雀工場近辺を歩く)
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2008-11-09


◆レールレジェンド-伝説の高速車両を眺める-  

P1350250.JPG

大阪8番のりばから13時00分発の新快速米原方面長浜行き(12号車クモハ223-3024:米原から8号車)に乗り、ここからはいよいよ、“帰京の方程式”となるが、大阪-高槻間では2度も非常灯以外、消えるハプニングがあった。
 
新快速米原方面長浜行き編成表
乗車区間号車車両番号禁煙備考
米原12クモハ223-3024米原から8号車
 11サ ハ223-2051米原から7号車
 10サ ハ223-2052米原から6号車
 9モ ハ222-2010米原から5号車
 8サ ハ223-2053米原から4号車
 7サ ハ223-2054米原から3号車
 6モ ハ223-2010米原から2号車、弱冷車
 5ク ハ222-2024米原から1号車、弱冷車
 4クモハ223-2065米原止まり
 3サ ハ223-2153米原止まり
 2モ ハ223-2158米原止まり
大阪1ク ハ222-2065米原止まり、弱冷車

高槻付近で停止信号。先行の電車が高槻に停まっており、2分遅れで到着。そのあとは回復運転に努めている。ちなみに複々線区間の最高速度は新快速と特急が130㎞/h、快速は120㎞/h、各駅停車は110㎞/hである。

P1350252.JPG

 
山崎を通過すると、223系2000番台の普通電車米原行きをキャッチ!! この電車も高槻は新快速と同じ1番のりばから発車する。どうやら、この電車の乗降に手間取ったようである。

 

向日町-西大路間に新駅、桂川(Katsuragawa)を通過。2008年10月18日(土曜日)に誕生したが、Liverの桂川が近いため、この名がつけられ、離れたところに阪急京都線の洛西口駅(Rakusaiguchi Sta)があり、競合することになる。また、「桂川」という漢字はJR九州筑豊本線と篠栗線に桂川駅(Keisen Sta)があることもあってか、サブ駅名が用意されており、JR西日本では「桂川(久世)」と名乗る。これはJR北海道函館本線に桂川駅があるため、明確にする必要性があったからであろう。  

13時31分、2分遅れで京都2番のりばに到着。2000年3月11日(土曜日)のダイヤ改正で、大阪-京都間は27分に短縮されたが、2006年3月18日(土曜日)から28分、そして、2007年3月18日(日曜日)からは元通りの29分となった。

 

P1350255次は守山.JPG

京都を発車し、トンネルを抜けると、雲行きがあやしくなり、南草津を通過すると、雨に追いついてしまった。そして、草津を発車すると、草津線113系5000番台の湘南色を見る。今や湘南色はステンレス車体にオレンジとグリーンの帯を巻くタイプが主流になっており、なつかしさを感じる人も多いだろう。

P1350259まもなく守山.JPG


※守山到着時に撮影

車窓は激しい雨に見舞われ、野洲でズバッとやんだ。そして、近江八幡では雨が降った痕跡すらなかったが、それもほんのちょっとだけである。  

彦根で天気は回復し、定刻より2分遅れのまま、14時23分、米原5番のりばに到着した。ここで1~4号車を切り離し、前8両が5~12号車から、1~8号車に改め、ドアが閉まる。すると、若い女性が半自動ボタンを押して開けようとするものの、この便はドアの半自動設定をしておらず、無情にも動いた。このあとの北陸本線長浜方面は15時03分発の新快速近江塩津行きまで待たなければならない(14時59分発のエル特急〈しらさぎ9号〉富山行きは米原-敦賀間、無停車)。  

8番のりばにはJR東海の普通電車大垣行きが発車を待っているが、坐れない電車に乗ってもしょうがないので、ここはゆとりを持って下車。財団法人鉄道総合技術研究所風洞技術センターで鎮座している20世紀末の高速試験車両を間近で見ることにしよう。

P1350263.JPG

 
徒歩10分ほどで到着。“伝説の高速試験車両”は左から順にJR東海に在籍していた955形(通称、『300X』)、JR東日本に在籍していた952・953形(通称、『STRA21』)、JR西日本に在籍していた500系試作車である。

P1350269.JPG


『300X』は平成6年(1994年)に入団。6両編成で、全車アルミ車体であるが、構造は号車によって異なっており、1号車(955-1)はジュラルミンリベット方式、2・4号車(955-2・4)はアルミ中空大型押出形材連続溶接方式、3号車(955-3)はアルミ大型押出形材スポット溶接方式、5・6号車(955-5・6)はろうづけアルミハニカムパネル連続溶接方式を採用。当時、量産が進んでいた300系に比べ、上背は低く、横幅は若干、スリムになった。また、重量もすべて40トンを切り、軽量化に貢献している。  

フェイスは1号車がカスプ(和訳すると「とがった先」)で、6号車がウェッジ(和訳すると「クサビ」)となっており、乗務員室ドア横に「300X」のロゴマークをつけている。また、車体側面は青い帯を2本巻いているが、窓下の帯が異様に太くなっている。

平成7年(1995年)から高速試験が始まり、平成8年(1996年)7月26日(金曜日)、東海道新幹線米原-京都間で443.0km/hを記録。2002年1月に運行を終了し、1・6号車は解体をまぬがれ、ウェッジは浜松工場、カスプはここへ保存。カスプの号車ステッカーは1号車から6号車に貼り替えているが、フェイスは700系に取り入れられていることがよくわかる。また、台車はボルスタレス台車を採用しているが、『300X』の3・6号車の台車に車体傾斜装置が搭載されており、これはN700系で実用化されることになる。『300X』は700系とN700系の原点ともいえる。

P1350270.JPG

  
『STRA21』は「Superior Train for the Advanced Railway toward the 21 Century」の略で、和訳すると「21世紀の進んだ鉄道のすぐれた列車」で、平成4年(1992年)に入団。東京寄り前4両は952形、うしろ5両は953形で連接台車を採用している。  

車体は952-1~3は薄肉タイプ大型中空形材、952-4と953-1はローつきアルミハアムパネルを使った軽量高剛性の車体構造。953-2~5は超ジュラルミン、超々ジュラルミンを使用している。これにより、大幅な軽量化を達成し、9両編成中、30トン台は2両、20トン台は6両、10トン台は1両となっている。また、くさび型のフェイスはどちらの先頭車も共通しているが、フェイスや塗装は異なっている。  

200系に比べ、上背は低く、横幅も若干スリムになっているが、高速試験車両とは異例といえる座席が設置されている。車体幅の都合で、952-1~3と953形全車はすべて2人掛けの普通車、952-4は2人掛けと1人掛けのグリーン車となっている。

平成4年(1992年)3月27日(金曜日)、東北新幹線仙台-北上間で走行試験を開始。平成5年(1993年)には952-1・4を電動車化して、“最強の車両”を目指した結果、平成5年(1993年)12月21日(火曜日)、上越新幹線越後湯沢-新潟間で試験を行ない、燕三条付近で最高速度425km/hを記録!! 文字通りのSuper Starとなった。しかし、営業運転に就くことはなく、平成10年(1998年)2月17日(火曜日)で御役御免となった。

その後、952-1は財団法人鉄道総合技術研究所風洞技術センター、953-5と953-1はJR東日本新幹線総合車両センターで、静かに翼を休めている。

P1350271.JPG

  
500系試作車は平成4年(1992年)に入団。通称、『WIN350』で、「West Japan Railway’s Innovation for operation at 350㎞/h」の略称。和訳すると、「時速350㎞/h運転のためのJR西日本の革新的な技術開発」である。  

アルミ車体を採用し、高さは330センチと低く、パンタグラフカバーが異様に目立つ。4号車には普通車とグリーン車の座席を設置していた。スピードを出すためには座席も軽量化しなければならないという思想があったのは、どこも共通している。  

平成4年(1992年)5月から動き出し、6月からは小郡(現在の「新山口」)-新下関間で高速走行試験を始め、8月8日(土曜日)、350.4km/hを記録。『WIN350』の名はウソではなかったことを証明したのである。  

しかし、パンタグラフから発生する風切り音が騒音基準をクリアできず、JR西日本が目指していた営業速度350㎞/hを断念し、平成7年(1995年)に試験が終了。平成8年(1996年)に量産車第1号が登場するとバトンタッチするかの如く、5月31日(金曜日)で御役御免となった。  

その後、1号車500-901は財団法人鉄道総合技術研究所風洞技術センター、6号車500-906は博多総合車両所で眠っている。

新幹線の速度向上に貢献した伝説の車両、955-1、952-1、500-901は毎日、過ぎ去る東海道新幹線を見つめているが、いずれもボディーに傷みがあるところを見ると、走行試験が壮絶だったことを物語る(特に『WIN350』は損傷が激しい)。

★備考

①今回の動画はこちらにクリック!!



②参考文献として、鉄道ジャーナル社刊行、『鉄道ジャーナル』1992年3・7月号、1995年4月号を使用。

③フリー百科事典『Wikipedia「新幹線955形電車」』は
こちらにクリック!!

④フリー百科事典『Wikipedia「新幹線952形・953形電車」』はこちらにクリック!!

⑤フリー百科事典『Wikipedia「新幹線500系電車900番台」』は
こちらにクリック!!

⑥フリー百科事典『Wikipedia「桂川駅(京都府)」』は
こちらにクリック!!

⑦岸田法眼のRailway Blog.「世界遺産にしたい車両-JR西日本500系-」はこちらにクリック!! 


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★お知らせ

2008年11月も2者択一サイト、『Unow?』で、「アノ人はなぜハマル?(モハよう著者からの20の質問)」が公開されており、質問28・33・39・43で私の画像と解説が掲載されております。ぜひ、アクセスしてみて下さい。

なお、質問を回答するには会員登録が必要となりますので、あらかじめ御了承下さい。

①『Unow?』は
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②『Unow?「モハよう著者からの20の質問」』はこちらにクリック!!

③『Unow?「モハよう著者からの20の質問」』の質問28は
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④『Unow?「モハよう著者からの20の質問」』の質問33はこちらにクリック!!

⑤『Unow?「モハよう著者からの20の質問」』の質問39は旧式はこちらにクリック!! そして、新式はこちらにクリック!!



⑥『Unow?「アノ人はなぜハマル?」』の質問43はこちらにクリック!!



※②~⑥は2008年11月30日(日曜日)まで公開予定です(翌日以降は削除されている可能性がありますので、あらかじめ御了承下さい)。



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コメント 4

makoto

このたびは、RSS登録していただきありがとうございます。


300X、STRA21、そしてWIN350。

とても懐かしいです。

これらは幼少時代によく乗り物絵本で見た「めずらしいでんしゃ」でした。
by makoto (2008-11-10 16:47) 

岸田法眼

makotoクン、どうもありがとうございます。

この3つをセリーグに例えると、STRA21は巨人、300Xは中日、WIN350は中日のような存在でしたね。激しい火花を散らしてスピードの限界に挑みました。

私は絵本を20年以上も見てませんが、あったんですねぇー。
by 岸田法眼 (2008-11-10 19:50) 

しおつ

試験車両は試験終了後どうなっているのかなあと
疑問に思っていたのですが、こうやって一部は保存されていたのですね。
by しおつ (2008-11-10 21:49) 

岸田法眼

しおつさん、どうもありがとうございます。

試験車両の大半は解体されていますが、ほとんどは先頭車ですが、永久保存されております。以前から車窓を見て行きたいと思っていたのですが、ようやく実現しました。鉄道車両の保存は“伝説”を意味していると思っていますので、間近で見ることができてよかったです。
by 岸田法眼 (2008-11-10 23:03) 

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