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新型車両10000系車両撮影会 [汽車旅2006番外編]

2006年9月30日(土曜日)の12時20分過ぎ、東京地下鉄有楽町線新木場(Y24)に到着した。隣りは東京臨海高速鉄道臨海副都心線、頭上には先日、変電所のボヤで国土交通省に大目玉をくらったJR東日本京葉線があり、ジャンクション的な役割がある。

東京都交通局の都営バス木11新木場循環へ。この日、新木場検車区で『新型車両10000系車両撮影会』が行なわれており、応援の職員を配置して、臨時便も走っていた。

普段、路線バスには乗らないが、近年はノンステップバスが標準となっているようで、長蛇の列となっている新木場循環臨時便はちょうど、私のところで乗車客を区切ることになった。ただ、運賃前払いで、なおかつ、職員が応援に駆けつけているのだから、下車専用の中ドアでも運賃徴収ができたと思うが、詰め込み過ぎで事故を起こされてはたまったものではないのだろう。

バスは安全運転で、新木場検車区最寄り停留所の東千石橋に到着。ここでは運転士が前ドアでも降りれるようフレキシブルな対応。普段は終点以外、こういうことはやらず、途中の停留所では異例なのだ。また、ここから乗ってくるお客も多い。臨時便がボコボコ走っているようなので、“「時間通りの運行」という名の宿命”にしばられることもないだろう。

最寄り停留所と言っても、ここから更に7分歩くが、無事に新木場検車区に到着。ここでも列があるが、事前にスタンプラリーを行なっており、指定の6駅でスタンプを押せば、先着10,000名様に景品がもらえるのであった。ちなみに私はスケジュールの都合でできず景品はもらっていない。

中へ入ると、進行方向左側から7000系、07系、10000系の順に並んでいる。しかも、トップナンバー勢ぞろいという配慮ぶりで、撮影会場はこの先なのに、心がうずいて待ちきれないレールファンの面々はシャッターを切りまくる。ちなみにデジカメ全盛の世の中でも、一眼レフカメラで撮影した方の多くは意外にもフイルム式だった。

13時10分、長蛇の列に並ぶ。係員は待ち人を数えるが、なんと110人だった。てっきり、撮影会場かと思って並んだ私だが、のちに弁当を求めている人の長蛇の列と判明。あえなく離脱する。

弁当は『13号線10000系車両導入記念特別弁当』だけで、ほかはお茶とジュース系のみ。

『13号線10000系車両導入記念特別弁当』は10000系のハーフカットの容器に焼きそば、チキンピラフ、からあげのどちらかが入っているだけで、お値段は600円。3種類とも欲しければ1,800円を投資しなければならず、高過ぎる。

翌日発売の10000系のSFメトロカードを先行販売。迷わず購入し、もれなく東京地下鉄各線の車両シールがもらえる。私は迷わず銀座線01系をGET!!

10000系は東京地下鉄初の新型車両で、6000系以降は先頭車のデザインを左右非対称にして、運転台を広くとって、ゆとりを持たせていたが、5000系以前のような中央に貫通扉があるタイプに戻し、時代に反してボルスタレスじゃない台車をはいたり、電気笛ではなく空気笛を採用するなど、“東京レトロ” というような車両である。ちなみに阪急電鉄9000系もボルスタレスではない台車をはいているが、よく揺れて利用客には不評なのだろう。

車体の側面を見て気になったのは、号車札がないことである。“東京地下鉄の標準設備だというのに、ないとは思い切ったことをしたものだな”と思った矢先、意外なところに号車札があった。

それは行先LEDに「和光市」と「x号車」が交互に表示していたのである。これは東武鉄道50000系・50050系と同じ方式なのである。個人的にこのようなやり方は気に食わず、やるのであればJR西日本221系みたいに行先と号車のLEDは別個にすべきである。そのほうがわかりやすい。

撮影会場を並行して、チビッコ向けのミニ電車が好評だ。先頭車は10000系、最後尾は7000系という組み合わせ。07系がないのが残念かな。

ミニ電車の隣りの建物は検車場で、7000系第29編成が検査を受けていたが、イベントが終わるまではお休みのようである。

ようやく、撮影会場に着いた。10000系は和光市行き、07系は新線池袋行き、7000系は新木場行きとなっており、意外にもゆとりを持って、撮影することができた。その隣りには東武鉄道9000系と西武鉄道6000系が“友情出演”していた。

さて、ケータイからアクセスしている方にはもれなく、撮影会の主役3車種の待ち受け画像をプレゼント!!(但し、写真コンテストなどの応募で、「私が撮りました」と言わないように。また、プリントすると、画像が粗くなるので、御注意下さい)

 7000系トップナンバー車の6・8号車はシュミレーション大会となっていて、『電車でGo!!』の実写版が子供たちにウケているようだが、待ち時間40分から1時間待ちなので、回避。不法侵入防止の壁のつもりなのか、7000系第19編成の豊洲行きも6・8号車ではDVD鑑賞会が行なわれ、最前部は家族連れで占拠。8号車では銀座線の前面展望映像が流れていたが、窓は黒いカバーで覆っていたせいか、立ちんぼだったため、発車すると、ついつり革を握りそうになってしまった。これは普段、ラッシュの電車に乗っている“習慣病”あるいは“職業病”ということなのだろう?!

14時01分、10号車の運転席ではスタッフが10000系のウリとしている空気笛を鳴らすサービス。10000系は2006年9月1日(金曜日)にデビューしているので、聞いたことがある方がいるかもしれないが、いい音色。ただ、何回も聞かないと覚えられない(その点、大阪市交通局の御堂筋線は駅の到着時と発車時はタイフォンを鳴らしているので、覚えられる?!)。

10000系を見た印象は7000系・07系に比べると、先頭車が進化したなと感心する。アルミやステンレスはデザインの柔軟性が鋼製車に劣ると言われているが、そんなことを払拭させる技術の進化を肌で感じる。アルミ車体でも丸みのある先頭車が作れ、“21世紀のカタチ”としていきたいところだ。

先ほども述べたように、10000系は2006年9月1日(金曜日)にデビューしたが、これにより、一部の07系が東西線にコンバートするという。これには納得がいかないが、どうして05系にこだわらなかったのだろう?

10000系の帯は有楽町線新線と同じ茶色を主体としているので、東京急行電鉄東横線に直通することを前提としている、地下鉄13号線(有楽町線新線も路線名が改称されるだろう)の専用車両と見ていい。東武鉄道も50000系量産車は地下鉄13号線に乗り入れることを前提にしているだろうし、9000系・9050系は乗り入れないものと考えていいが、西武鉄道はどうなるのかは予測がつかない。

7000系や07系は有楽町線として引き続きの活躍となるだろう。ただ、7000系が老朽化して置き換える場合は07系の増備にこだわって欲しい。

なお、地下鉄13号線は2008年6月の開業を目指している。


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2006年の汽車旅8-後編- [汽車旅2006]



2006年8月27日(日曜日)、JR東海名古屋9番線から中央本線の臨時快速〈ナイスホリデー木曽路〉塩尻行き(4号車自由席クモハ311-2)に乗る(なお、通常は快速中津川行きとなっている)。

311系は平成元年(1989年)に入団。東海道本線の新快速として、近郊形電車初の120㎞/h運転を開始した車両だが、4両編成がタマにキズ。そして、平成11年(1999年)には313系シリーズの入団により、普通電車の運用が主体となっている。現在の311系は臨時快速〈ナイスホリデー木曽路〉が“花形”の運用になっているようだ。全盛期には号車札がついていたが、313系シリーズ入団で抜かれており、普段は“号車なし”で運行している。

8時18分に名古屋を発車すると、進行方向左側から東海道線、名古屋鉄道名古屋本線、中央本線の順だが、金山に着く頃には東海道本線と中央本線の位置が入れ替わっている。ところが、金山は名古屋鉄道とは連絡改札を通らないと、カンタンに乗り換えられない構造となっており、摩訶不思議である。関西本線の桑名みたいに近畿日本鉄道とダイレクトで乗り換えられるようにすればいいような気もするが…

普段は快速中津川行きのため、レジャーのお客よりも、普段着が多い。そして、すれ違う快速名古屋行きは増結でお客を運んでいるが、勝川(Kachigawa)ですれ違った時は213系5000番台、313系3000番台、313系1500番台という“3人そろって文殊の知恵”のような感じだった。213系5000番台は関西本線用に投入したのに、今や主役の座を奪われた313系3000番台と混結するのだから、面白い。

太多線(Taita Line)“太多ニック号”乗り換えの多治見から山間部をゆき、中津川でもハイキングの熟年が乗ってきた。ちなみに中津川10時16分発の普通電車松本行きはJR東日本115系3両編成で運行するので、“乗りドク”であろう(中津川-塩尻間の普通電車は313系3000番台が主流で、青春18きっぷシーズンだと大変な混雑をする)。

車内は1号車のみ指定席となっているが、JR北海道の快速〈エアポート〉のようなuシートではなく、転換クロスシート。座席を確実に確保するなら指定席がいいに決まっているが、自由席となんの遜色もないのでは抵抗を感じる。また、車内のLEDによる情報案内装置はまったく作動していない。

南木曽でエル特急〈(ワイドビュー)しなの5号〉長野行きの通過待ちをするが、ここから先はカーブが多くて、持ち味の俊足を発揮することができない。振子の近郊形車両を開発してもらいたいところだが、特急と違い、確実に着席することを前提としていないため、難しいようである(JR東日本の“中央線”の次世代電車はカーブが多いので、“振子通勤車”になると想像していたが、その願いは通じなかった)。

十二兼-倉本間は単線で、スピードがホントに出ないほどのカーブに悩まされるが、複線に戻ると、息を吹き返す。

原野からまた単線に戻り、宮ノ越で再度の複線へ。それも長く続かず、奈良井でまたも単線に逆戻りして、木曽平沢に到着。313系3000番台の普通電車中津川行きワンマンカーとエル特急〈(ワイドビュー)しなの8号〉名古屋行きと行き違う。そのため、しばらく停車となるが、利用客にとってはありがたい“ゆとり”であった。

まず、トイレは1号車しかなく、4人ほど並んでいたが、木曽平沢には男女兼用のトイレがあるものの、全員男性が利用していたようだ。そして、森林浴。なかには煙草をふかすお客もいたが、新緑には似合わない。

エル特急〈(ワイドビュー)しなの8号〉名古屋行きが遅れていたため、この電車も4分遅れで発車。車内をひとまわりすると、指定席の入りが意外とよく、カバーをかけたチャリンコを乗せたところもある。

贄川(Niekawa)で再びの複線となり、走りが格段によくなる。カーブも少なく、120㎞/hとはいかないまでも、快走。車掌は車内を巡回し、半透明のゴミ袋でゴミを回収するものの、量は少ない。みんな木曽平沢のゴミ入れに捨てたか、車内に自販機がないのがわかっているので、あらかじめペットボトルを用意したのであろう。

塩尻到着目前で、JR東日本の中央本線にワープする分岐線を目撃。営業列車で、ここを通ることはないものの、東京発着の夜行列車の迂回ルートに使えそうな気がする。しかし、編成の順序が変わってしまうので、気軽に使えそうもない。そういえば、JR西日本加古川線の電化の背景には福知山線でアクシデントが生じた時の迂回ルート的な役割があるというウワサ話を耳にしたことがあるものの、2005年4月25日(月曜日)から55日間、尼崎-宝塚間が不通になったにもかかわらず、エル特急〈北近畿〉は加古川線ルートを迂回しなかった。

11時23分、定刻より3分遅れで終点塩尻4番線に到着。お客を降ろすと、中津川方へ引き上げていったが、きっとあのワープルートで、しばらく休むのであろう。

JR東日本篠ノ井線に乗り換えるが、特急〈あずさ7号〉松本行きが遅れたため、普通電車長野行き(クモハ115-1565)は7分遅れの11時34分に発車。臨時快速〈ナイスホリデー木曽路〉からの乗り換え客も多く、3両編成とあいまって、坐れない。

広岡を発車すると、EPSONの工場が目を引き、村井-南松本間では新駅設置工事が行なわれていた。その近辺には大きな建物の郵便局があるので、平日なら旅行貯金ができる。

松本に到着。松本電気鉄道上高地線に乗り換えるが、連絡改札はなく、ダイレクトで進むことができる。それもそのはずで、上高地線は7番線、向かいの6番線は大糸線のりばなのである。



7番線に各駅停車新島々行き(3003:ワンマン)が入線。整理券が発行されていないことに不安を覚えるが、青春18きっぷを見せれば“正等乗車”であることが証明されるだろうと信じて、乗り込む。

松本では車両基地からホームへ行こうとしているのか、E257系第3編成がウロチョロ。配線がかなり複雑なようである。

松本電気鉄道は元京王電鉄3000系を使用。新天地でも3000系となっているが、ステンレス車体は白をベースに5色の帯を身にまとった、さわやかなカラーとなった。

12時10分に発車。右にカーブすると、JR東日本の車両基地が見え、お別れすると、西松本。渚は近くに松本渚郵便局がある。

車内では先頭車中間とうしろのドアが乗車口、降車口は前のドアとなっている。乗りやすいように配慮したのはいい。そして、携帯電話の使用は御遠慮願っており、混雑時は電源OFFと数年前までは当たり前のように流れていた案内となっている。

いつも言っていることだが、車内の携帯電話は電源OFFにして、なおかつ、電波を受信しない車両を開発したら、マナーの向上につながるはずだ。航空機で電源OFFができて、鉄道ではできないのはおかしく、交通機関における“ケータイルール”を電源OFFかつ電波遮断車両をつくることに統一すべきだろう。

北新松本大学前(Kitanii-Matsumoto Univ)は、ものぐさ太郎伝承の地だという。そして、新村(Niimura)は車両基地があり、先代車両、元東京急行電鉄5000系(これも東京急行電鉄の先代車両)がボロボロの状態で留置されていた。これでは予備車にもならない。静態保存のつもりなのかもしれないが、それならば公園に上屋をつけて大切にして欲しい。

のどかな道をゆっくり走り、山が近くなってゆく。曇り空となるが、人の心は晴れやかだ。

ギター侍のいない波田は全ドア開閉。有人駅ということなのだが、発車すると、雨が降ってきた。しかし、山がだんだん近づき、ガイドブックを持つ観光客の心は躍る。

渕東(Endoh)を発車し、ラストスパートして、終点新島々に到着。かつて、線路は島々まで延びていたが、昭和58年(1983年)に発生した台風による大規模災害により昭和59年(1984年)に復旧を断念したという。今でも復旧することを信じているのか、車止めはなく、線路は果てしなく続いていた。きっとどこかで途切れているのだろうが。

JR線からの乗り継ぎ客が多く、きっぷを見せて運賃精算。大半は上高地行きのバスに乗り換えるが、電車と同じカラーとなっていて、一体感を強調していた(自社のバスだから)。

13時28分発の各駅停車松本行き(3708:ワンマン)に乗るが、駅の女性係員は電車から降りない男性客に気づき、若手の男性駅員に指示。尋ねてみると、往復乗車の模様だが、車内精算で運賃を払った(往復分)。レールファンなのかどうかは知らないが、困った行為である。キセルと判断されれば、通常運賃の3倍を支払わなければならない。

車内の運転台の隣りに自転車置き場があり、何人かはカバーをかけたチャリンコを置いていた。2005年6月20日(月曜日)夏から“サイクルトレイン”を試験的に行なっているが、好評のようだ(くわしくはこちらへアクセスして下さい)。

終点松本で下車し、昼食を確保したあと、JR東日本篠ノ井線の普通電車高尾行き(6号車クハ115-1224)へ。

塩尻から中央本線に入るが、1分遅れの発車。JR東日本の中央本線は支線と岡谷から上諏訪-茅野間の途中まで単線である。

茅野で特急〈あずさ24号〉新宿行きと待ち合わせたが、遅れていたため、普通電車高尾行きは3分遅れで発車し、小淵沢2番線に到着。意外にも待ち時間30分ほど、同じ2番線から発車する臨時快速〈ホリデー快速ビューやまなし〉新宿行きに乗り換えるお客が多かった。

特急〈あずさ26号〉新宿行きは指定席満席で発車し、ほどなくして到着した185系200番台の臨時特急〈はまかいじ号〉横浜行きは空席も見られたが、この先から乗ってくるお客も多いだろう。なんせ、特急〈あずさ26号〉新宿行きの指定席は満席で、八王子までは臨時特急〈はまかいじ号〉横浜行きでカバーすることができるのだから。

臨時特急〈はまかいじ号〉は久々に見たが、かつては189系を使用して1日2往復体制だったことがある。方向幕は「特急 LIMITED EXPRESS はまかいじ」と簡素なのが残念。これでは185系シリーズ使用の〈湘南ライナー〉とまったく変わらない。

ようやく2番線に臨時快速〈ホリデー快速ビューやまなし〉新宿行き(3号車自由席サハ215-201:2階席に乗車)が入線。さっそく2階席に乗り込むが、もうチャイムが鳴って発車。以前なら、ホームで車番をとる“ゆとり”があったのだが…

発車すると、2階建てで、電動車がないせいか、静か。カーブは多いが、滑るような感じで進んでゆく。

韮崎(Nirasaki)を発車すると、183系100番台と思われる(189系混結かもしれない)団体を抜く。特急〈スーパーあずさ23号〉松本行きとすれ違ったので、まずらしい顔合わせだ。

小淵沢から坂を下ってきたが、竜王で一段落。天気は曇ってきた。にわか雨の予感がしていたが、甲府到着時にポツリ。

通過の酒折(Sakaori)は箱根駅伝で有名になった山梨学院大学がある。ちなみに箱根駅伝の正式名称は「東京箱根間往復駅伝競走」で、関東地方の大学しか出場できない決まりになっているが、山梨県は中部地方である。三重県は関西地方だが、中部地方と誤解する人もいるようで、山梨県もそうなっている雰囲気がある。山梨学院大学には申し訳ないが、定義のあいまいさが気になってしょうがない。連盟もここはハッキリすべきだろう。

車窓は、ぶどう畑が一面に広がったが、登り勾配となり、長いトンネルを抜けたら、霧。軽快に走っていた215系だが、苦戦をしいられている。そして、笹子を通過すると、下り坂のゆるやかなカーブを走り、雨の大月に到着する。

大月では特急〈スーパーあずさ28号〉新宿行きの通過待ちをする。ちょっとひと休みといったところだが、私が乗っている3号車はトイレと洗面所がついており、近郊形電車でグリーン車以外で、こういう設備がついているのはグレードは高い。ただ、座席は定員を重視したボックスシートなのが残念で、転換クロスシートにして欲しかった。ちなみに指定席も入りはいいものの、ボックスシートでは4人利用時以外、使う気にはなれない。

雨は強いが、甲府寄りの一角だけ、なぜか上屋があり、レールファンはラクに撮影。ホーム全体に上屋がないのが気に食わないが、普段は長い編成でやって来ることは特急以外、少ないということであろう。

車内に戻り、発車すると、四方津(Shiotsu)で松本-小淵沢間で利用した普通電車高尾行きを抜く。これは意外だった。以前のダイヤなら、終点高尾まで先に到着していたのである。

臨時快速〈ホリデー快速ビューやまなし〉は2002年8月以来の利用。以前は運転停車をしては当時のエル特急〈スーパーあずさ〉〈あずさ〉〈かいじ〉の通過待ちをして、イライラ感を持っていたが、4年ぶりの利用はダイヤを見直していた。運転停車をなくし、所要時間を短縮したのである。更に先行の普通電車高尾行きを抜くことにより、臨時快速の面目を保っていたのである。

雨もやみ、高尾に到着。いよいよ、フィナーレが近づいてきた。

この先、八王子、立川、三鷹に停まるが、特別快速(中央特快と青梅特快のこと)は立川までの各駅と国分寺、三鷹、中野、新宿、四ツ谷、御茶ノ水、神田に停まるので、種別の定義がわからなくなる。

こちらでまとめると、“中央線(高尾-東京間)”の種別は上位順に並べると、①特急②臨時快速③通勤特別快速(「通勤特快」と案内している)④特別快速⑤快速⑥各駅停車となる。

日野を通過し、多摩川を渡るが、遠目に照明が煌々(Kohkoh)と輝く多摩都市モノレール多摩都市モノレール線が“流れ星”と化していた。前回の那覇では19時頃が日の入りだったが、東京は18時10分頃には、もう日が落ちていたことにビックリする。

東小金井でスピードが落ちる。進行方向右側には中央線高架工事が見えるが、何度も言うようだが、複々線にしなかったのが大いに理解できない。踏切はなくなっても、朝ラッシュのノロノロぶりは変わらないだろう。

三鷹で快速東京行きと待ち合わせ。この日は休日ダイヤのため、快速は西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺を通過するが、これを終日通過にして、速達性を高めて欲しいところである。

18時53分、終点新宿5番線に到着。中央本線はこの先、ブツ切れとなっていて、新宿-代々木間は山手線、神田-東京間は東北本線となっている。JR東日本は平成10年(1998年)7月2日(木曜日)に二重路線区間を一本化したが、利用客にはなんの影響はないものの、そこまでする必要があったのだろうか?

なお、JR東日本は2006年秋にE233系が入団し、“中央線”に投入。わずか1年あまりで201系を置き換える。ってことはあの高架区間に201系が走ることはないのである。投入はあと5年待って欲しかったと思うのであった。

※中央線は2007年6月に下り線のみ三鷹-国分寺間が高架化され、201系はかろうじて間に合ったことになる。


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2006年の汽車旅8-中編- [汽車旅2006]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

JR西日本富山から北陸本線の普通電車金沢行き(クハ412-3:弱冷車)に乗り、高岡で万葉線株式会社高岡軌道線〔高岡駅前電停〕の越ノ潟行き(7062:ワンマン運転。非冷房車)に乗り換え。

万葉線株式会社は2002年4月1日、加越能鉄道から引き継いだ第3セクターで、“万葉線”という路線愛称が定着していたことから、新会社もそのようになった。

実は加越能鉄道の時代に1度、乗っているが体調不良の中、強行で出かけたため、全区間フラフラで、車窓は全然と言っていいほど、覚えていない。

前乗りには意表をつかれるが、整理券を取ったあと、運賃箱がどこだかわからない。14時15分の発車後、進行方向左側にあることがわかった。

今どき珍しい非冷房車だが、暑いというのは感じない。窓を全部開けているからだろうが、自然の風のほうが体調を崩すことはないし、路面電車のつりかけ駆動の音を楽しもう。

本丸会館前の直前で、高岡駅前行き(ワンマン運転)と行き違いをするが、広小路から複線となる。

車内の運賃表を見たら、終点越ノ潟まで350円。財布を見たら、10円玉は4枚しかなく、50円玉がないことがわかった。ここで両替をしないといけないのだが、両替機のやり方がよくわからない。古い電車なので、カタも古いのだ。

「ここへ入れればいいの」

とベテランの運転士が言うので、100円玉をポットみたいなところに入れる。すると、運転士はボタンを押し、50円玉1枚と10円玉5枚が登場。地元の人でなければ、わからない世界だ。

米島口-能町口間は道路を離れ、合わせて単線になる。能町口からは軌道になるが、クルマの交通量も少なく、スイスイだ。

新吉久でMLRV1000系“アイトラム”の高岡駅前行き(ワンマン運転)と行き違うが、どう見ても富山ライトレール“ポートラム”と同じ車両だった。

吉久を過ぎ、しばらく走ってから再び道路を離れる。踏切はブリキの音で、北陸鉄道石川線を思い出す。

六渡寺(Rokudohji)は進行方向左側にある木材工場の木のニオイがプーンプン。運転士はなにもしゃべらず、電車は停まりっぱなし。ドアを閉めたら、高岡駅前行き(ワンマン運転)と行き違い、発車。ここから新湊港線へ。左右に揺れつつ、無事に庄川を渡る。風が強いと転落するんじゃないかとヒヤヒヤになる。

中新湊でも高岡駅前行き(ワンマン運転)と行き違い、乗客は私を含め、たった3人で終点越ノ潟に到着。万葉線株式会社完全制覇を達成した。

越ノ潟に“アイトラム”の運行時刻があるのを見つけ、しばらく散策。ようやく、お目当ての高岡駅前行き(MLRV1002-B:ワンマン運転)“アイトラム”が入線した。

2人しか待っていなかったので、確実に席にありつけ、先頭車の最前列へ。前面展望はムリで、車椅子スペースのあるところだが、さいわいなのか、優先席ではない。また、私が坐った進行方向右側最前列の前には補助椅子がある。

乗ってまっさきに感じるのは涼しいこと。冷暖房完備なので、快適。そして、15時45分に発車する。

アイトラムはポートラムと同じ車両だが、前者は白熱灯とグレーとブルーを基調とした座席で、“さわやか感”を演出し、後者は黒を基調とした座席なので、“落ち着き感”がある。

踏切はあっても、遮断機のないところがあり、幼児の女の子がなぜか飛び出していたが、スピードが出ていない分、止まるのは早い。そこは女の子も熟知しているのかもしれないが、はねられたら命を落とす可能性が高いだけに気をつけてもらわないと困る。

両替機、運賃箱は最新の電車なので、わかりやすい。運転士は運転席のひよけにひと苦労。なんせ、窓が大きいのだ。

米島口は万葉線株式会社の所在地で、運転士をChange。旭ヶ丘ではアイトラム同士の行き違いがあった。

前面展望は立たない限り、古い車両のほうが勝るが、走行音は釣り掛け駆動とは比べものにならないほど静か。ノンステップで乗降しやすいことや両替機や運賃箱が現代タイプなので、できれば全車をアイトラム化することを願うのみである。

終点高岡駅前に到着するが、16時25分発の普通電車金沢行きには間に合わず、仕方なく17時02分発の普通電車福井行き(①石動〔Isurugu〕までクハ412-7。②石動からクハ412-6:弱冷車)へ。

ボックスシートが埋まり、仕方なくロングシートに坐るが、車番をチェックしていたら、なんと、ボックスシートがまるまる空いていたので、移動した。しかし、疲労は蓄積し、もうろうとしていた。

福井で一旦下車し、再びホームにあがり、普通電車長浜行き(クモハ413-101)へ。

北陸本線敦賀-長浜間及び湖西線近江塩津-永原間は2006年9月24日(日曜日)に直流電化にChangeし、10月21日(土曜日)にダイヤ改正を行なうが、交流電化としては最後の利用となる。

近江塩津を過ぎると、工事をする駅が多い。新快速が8両編成で運行するようで、ホームの延伸がほとんど。10月21日(土曜日)になると、新快速米原方面近江塩津行き(または敦賀行き)は高槻(東海道本線)と高月(北陸本線)という“同じ読みがなの駅”に停まるので、レールファンの注目も集まるだろう。



終点長浜は新しく新設した4番のりばに到着。年内には521系が発着するだろう。

長浜3・4番のりばは行き止まり式となり、3番のりばは姫路・大阪・米原方面からの折り返しとして、今後も継続使用するが、ここで新快速大阪行き終電(1号車クハ222-1005:弱冷車)に乗り換え。ちなみに長浜と米原は半自動ドア扱いとなっているが、ボタンを押しても開けづらい模様。

できれば、終点大阪まで乗りたかったが、うしろ髪ひかれる思いで、米原でJR東海の東海道本線の普通電車大垣行き(サハ313-14)に乗り換える。

普通電車大垣行きは新快速大阪行き終電のほか、221系の普通電車、223系2000番台の新快速長浜行き、関空特急〈はるか54号〉からの乗り継ぎ客で集結した。

頭にきたのは隣席のオッサン。見ただけでウサンくさい男は「すいません」と言いながら、通路側の席に坐るやいなや、いきなりクツとクツシタを脱ぎ出し、足を前の転換クロスシートの背もたれへ。そこに坐っている茶髪で音楽を聴く若者の男はムッとして、にらみつけていた。

「すいません」

と謝っていたが、それは当たり前だ。そして、終点大垣に到着する頃、ウサンくさいオッサンはクツシタのニオイをかぎながらはいた。人間として、最低だ。ちなみに、だいたひかるさんもそういうお客はイヤだという(ここにクリックすればわかります)。

普通電車岡崎行き(クモハ211-5011:ロングシート。女性車掌乗務)に乗り換え。先ほどより1両少ない3両編成だが、快速〈ムーンライトながら〉東京行きに乗り換えるお客のおかげでラクに坐れた。

岐阜で盛況するものの、地ベタの坐り込み、車内通話など、若者のマナー(さっきのオッサンもそうだけど)の低下にあきれるばかりだ。大人というものは、“常に社会の模範”にならなければならない存在であることを知らないようでは困ったものだ。

名古屋1番線に到着し、この日は名古屋のインターネットカフェに泊まった。

★備考

新快速の敦賀行きは京都方面湖西線経由だと近江塩津、米原方面だと米原で切り離し、そこから先は4両編成で運行する。また、米原方面近江塩津行きも米原で切り離し、そこから先は4両編成で運行する。できることなら、8両編成にして、“乗ったら確実に坐れる”態勢にしていただきたいところである。


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INDEX 2006年8月 [INDEX]

今回は2006年8月に掲載した記事を御紹介します。

◆8月3日(土曜日)

INDEX 2006年7月

(INDEX)

 

◆8月9日(水曜日)

2006年の汽車旅6-前編-

(汽車旅2006)

 

◆8月13日(日曜日)

2006年の汽車旅6-中編-

(汽車旅2006)

 

◆8月17日(木曜日)

2006年の汽車旅6-後編-

(汽車旅2006)

 

◆8月29日(火曜日)

2006年の汽車旅7-1

(汽車旅2006)


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2006年の汽車旅7-最終回 [汽車旅2006]

2006年8月24日(木曜日)、宿泊先をチェックアウトし、国際通りを半分ほど名残を惜しむかのように歩き、沖縄都市モノレール沖縄都市モノレール線“ゆいレール”牧志から、9時04分発の首里行き(1202:ワンマン)へ。乗車している量産車となるのだろう、第2編成は2002年に新製されている。そして、展望席をGETし、気分がいい。

終点首里に到着。2番線のみを使用し、1番線にはホームゲートは設置されていない。2004年の時にはあったような気がするが、ウロ覚えなので、確信したことは言えない。

首里駅周辺は相変わらず、タクシーの勧誘があり、気に食わないが、歩いて首里城公園へ。ここも更にパワーアップしようと一部では2006年10月31日(火曜日)まで工事を行なっていた。また、守礼門では9月20日(水曜日)まで発掘調査をしていた。この先には『ちゅらさん』の家があり、そこにも足を伸ばした。

首里郵便局で旅行貯金したあと、タクシーの初乗り料金450円で首里駅まで運んでもらい、那覇空港行き(1107:ワンマン)に乗り、おもろまちへ。

おもろまちは那覇新都心を散策。まだまだ開発途上にあるようで、2007年秋には“実りのオータム”を迎えていることだろう。

おもろまちに戻り、那覇空港行き(1108:ワンマン)に乗るが、乗車は相変わらず多いものの、ほかの駅とは違い、ホームゲートには人が並んでいる。

実はゆいレールの駅はホームゲートに並んで席を奪取しようとするせっかちなお客はいないというところで、東京では考えられない光景なのだ。ゴルフは猛チャージでも、クルマはのんびり走るところだから、急ぐ必要性はないらしい。“ウチナンチュー”はあわてず、騒がずらしい。

さて、おもろまちではハプニングがあった。

それは一部のお客がホームゲートを含めた安全サクに身を乗り出すような感じだったようで、運転士は慎重になり、「サクから離れて下さーい」とマイクを持って、車外スピーカーで注意喚起をしていた。

車内は大型の旅行カバンを持つお客が多く、ロングシートさえも坐れないありさまだが、展望席のうしろに陣取り、小禄で再びGETすることができた。

発車すると、東シナ海がちょっぴり見え、終点那覇空港までいい気分を味わうことができる。ちなみに那覇空港のホームには2,000円札対応の自販機がある。

2年ぶりのゆいレールは、おもろまちの利用客が大幅に増加した印象を受ける。ダイヤも2004年では日中12分おきだったのが、10分おきになっているものの、今後は4両編成にパワーアップして、少なくとも昼間は“必ず坐れる”ような態勢が必要だろう。バスは必ず坐れるほどガラガラだったから、そう言うのかもしれないが、観光客の利用も多いのだし、御検討をお願いしたい。ホームも3~4両分あるようなので、すぐにでもできそうな気がするのだが…

JAL1922便の東京国際空港(羽田空港)行きに乗り、帰京。東京モノレールの東京モノレール羽田線(実際の路線名です)では羽田空港第1ビルが最寄り駅となるが、中間駅のため、坐れないことを嫌った私は羽田空港第2ビルへ遠回りし、JR東日本のSuicaイオカードで普通電車浜松町行き(5号車1083:ワンマン運転)に乗る。

案の定、羽田空港第1ビルですべての席が埋まったが、大井競馬場前で大幅なオーバーランが発生。台車の上に坐っているビジネスマンは2005年4月25日(月曜日)に発生したJR西日本福知山線の脱線事故を思い出すようなことを苦笑しながら言っていたが、こっちは冷や汗をかき、終点浜松町に到着した。


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2006年の汽車旅7-5 [汽車旅2006]

2006年8月23日(水曜日)、第1牧志公設市場や農連市場などを見学したあと、与儀公園へ。そこにはD51 222が静態保存されている。昭和13年(1938年)に小倉工場で新製されたものだが、台風を何度も受けているせいか、ボディーの傷みが激しいような気がした。

 古波蔵郵便局と那覇国場郵便局で旅行貯金したあと、樋川停留所(Higawa Bus Stop)へ。沖縄バス運行番号39番、那覇バスターミナル行きに乗る。冷房は天国のように快適だ。

終点那覇バスターミナルからは待ってました、ゆいレール。那覇空港行き(1102:ワンマン)に乗り、小禄(Oroku)で下車。昼食はジャスコのタコライスをとって、美空ひばりの記念碑がある、がじゃんびら公園へ行く。丘の上だが、東シナ海を見ることができる。

小禄に戻り、首里行き(1201:ワンマン)へ。1000系の試作車に乗るが、この車両は2001年に入団した。開業前に車両を用意するのは当然のことだが、ずいぶん、長いこと試運転をしたのだろうと想像する。展望席の化粧板が黄色いのは強烈だが、子供に大人気でなかなか坐れない。

おもろまちは那覇新都心で利用客が増加の傾向にあるようだ。無料で駅に置いてあるゆいレールマガジン『Synca! Vol.36』によると、2006年4月から6月まで、1日平均の乗客利用数の第1位は県庁前(1日平均5,191人)、第2位におもろまち(1日平均4,030人)、第3位は那覇空港(1日平均3,799人)である。

おもろまちで下車するも、駅の地図では次の古島の近くに郵便局があることが判明。しかも、那覇市ではなく浦添市だという。那覇新都心は翌日にまわし、再び首里行き(1211:ワンマン)に乗る。

古島で下車し、浦添内間郵便局で旅行貯金。終わったら、ドバーッとスコールに見舞われる。

那覇空港行き(1108:ワンマン)に乗り、美栄橋へ。宿泊地に戻り、コインランドリーでお洗濯。19時近くに再び外出し、那覇空港行き(1111:ワンマン)に乗り、終点で下車。食事と@stationの12分100円インターネットを楽しみ、首里行き(1205:ワンマン)で宿泊地の美栄橋に戻った。


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2006年の汽車旅7-4 [汽車旅2006]

2006年8月22日(火曜日)、沖縄都市モノレール沖縄都市モノレール線“ゆいレール”の美栄橋へ。2004年来訪時に比べると、運賃表は“地元名所下車駅”のシールがペタペタ貼ってあり、なんか落ち着かない印象を受ける。

 

有人改札で3日乗車券を購入したあと、那覇空港行き(1111:ワンマン)へ。旭橋で下車し、那覇バスターミナルへ急ぐ。

那覇バスターミナルと旭橋について思うのは名称が統一されていないのが気になる。那覇バスターミナルという停留所を「旭橋駅」に改めるか、旭橋という駅名を「那覇」にすべきだったかのどちらかであろう。

沖縄バス運行番号34番、東風平線(Kochinda Line)の糸満バスターミナル行きに乗る。JR北海道のワンマン列車と同様、前乗り前降り式である。

終点糸満バスターミナルに到着。那覇バスターミナルに比べると、規模は小さく、営業所のような感じを受ける(実際はそうなんだろうが)。

ここから琉球バス運行番号82番、玉泉洞行き(Gyokusendoh)に乗り換え、平和祈念堂入口で下車する。

平和祈念公園というところへ。ここは平和の礎(Ishiji)があるところで有名。日本とは思えないような景色と雰囲気を味わう。その先には綺麗な太平洋が人々の心をなごませていた。

琉球バス運行番号82番、糸満バスターミナル行きへ。少々遅れていたが、車内はガラガラ。姫百合の塔前で下車。今度はひめゆりの塔へゆく。

この日、対馬丸が撃墜されて61年が経過。フシメの日ということもあってか、観光客などが多かった。また、初めて防空壕(Bohkugoh)というものを見たが、痛々しい穴である。

米須簡易郵便局で旅行貯金したあと、またも琉球バス運行番号82番、糸満バスターミナル行きに乗り、糸満郵便局前で下車。当然のことながら、糸満郵便局で旅行貯金。そこから歩いて糸満新島郵便局でも旅行貯金をした。

糸満市役所で涼み、太平洋を眺めたあとは琉球バス89番、航空隊前経由那覇バスターミナル行きに乗る。途中、ゆいレールが見え、どうやら赤嶺駅の近くに第二ゲートという停留所があったものの、“「次は赤嶺駅」だろう”と思ったら、なんとちょっと先の航空隊前だった。さいわい、上にはゆいレールの線路だったからよかったが、思わぬ遠回りとなってしまった。バスとゆいレールの“連係プレー”は進んでいないようで、第二ゲートは「赤嶺駅入口」に改称すべきではないか。

赤嶺駅は御存知、日本最南端の駅で、記念撮影後、那覇空港行き(1210:ワンマン)に乗る。

次は終点の那覇空港だが、英語では「Final Station」と案内している。ちなみに東京地下鉄は「The Last Stop」、JR東日本は「ターミナル」と案内している。

晩メシを那覇空港でとり、首里行き(1210:ワンマン)に乗って、宿泊先の美栄橋へ。

「客室からの光が反射するため、カーテンを下ろさせてもらってもよろしいでしょうか?」

と運転士は展望席に坐るお客に理解を求めた。かつて、JR西日本221系がそうだったので、私は「ハイ」と答えた。前面展望は夜になると、すべてシャットダウンという“不自由席”となるのである。2004年は左側のみ開いていたが…

余談だが、221系の今は223系シリーズに合わせ、進行方向右側のガラスを“サングラス化”したので、夜の前面展望も可能になっている。


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2006年の汽車旅7-3 [汽車旅2006]

2006年8月21日(月曜日)、北九州高速鉄道小倉線小倉へ。JR九州の小倉駅にスッポリ収まっているというか、吸い込まれているような感じを受ける。

街頭の地図ではモノレールは駅とは言わずに「停留場」と案内している。鉄道を「停留場」と案内するのは初めて目にしたが、違和感がある。ワンマン運転といえども、バスではないのだから。

券売機で小倉-企救丘(Kikugaoka)間の往復乗車券を購入し、2番線の企救丘行き(4号車1405:ワンマン)に乗る。ピンクのロングシートが印象的である。



8時52分に発車。目と鼻の先に平和通(魚町商店街前)があり、右側通行のまま到着。発車すると、ポイントを渡って、通常の日本の鉄道の複線と同様、左側通行となる。次の旦過(Tanga)も目と鼻の先。

ここから先は距離があり、香春口三萩野(Kawaraguchi-Mihagino)へ。小倉線は相対式ホームが多く、ホーム全体を見ると、丸みのある柔らかな構造だ。

JR九州日豊本線をくぐり、城野へ(日豊本線乗り換え駅ではない)。ここから北方までは都市高速の下を通り、その後は山々が見えてきた。北九州市という都会的なところでありながら、山もあるとは広島市や神戸市みたいだ。

どうやら、小倉線は山間部を通っているようで、徳力嵐山口を発車すると、左へ大きく曲がり、クルマ共々、険しい山道をゆく。

そして、「山頂はごめん」と言いたげに9時11分、終点企救丘に到着し、全線完乗車達成!! ちなみにその先にもレールは延びているが、北九州モノレール総合基地へ向かうルートで、本社も兼ねている。また、企救丘の近くにはJR九州日田彦山線の志井公園駅がある。

企救丘の手前の志井から徒歩1分のところにある小倉志井郵便局で旅行貯金。志井で降りたとしても、小倉からの運賃は企救丘まで同額なので、復路の乗車券を自動改札に入れる。暑くて企救丘まで戻る気力はないし、必ず坐れると確信していた。

小倉行き(1号車1109:ワンマン。グリーン帯の車両)に乗り、平和通(魚沼商店街前)の下車が多いのは意外だったが、発車すると、次の終点小倉までのあいだ、ポイントがないことがわかった。

終点小倉で下車し、小倉駅前郵便局で旅行貯金。ここからはJR九州となるが、日豊本線で踏切事故が発生した影響で、鹿児島本線もダイヤが乱れていた。エル特急〈ソニック〉〈にちりんシーガイア〉が通るからである。

快速鳥栖行き(クハ813-2)は定刻よりも7分遅れの10時43分に発車。乗車している813系第2編成の中間車はあとから増結したサハ813-402で、内装は若干異なるものの、タダでさえド派手な車両なので、初期車でも充分満足する。

香椎で香椎線の各駅停車宇美行きワンマン列車(キハ47 9048)に乗り換え。ワンマン列車ではあるが、運賃箱、運賃表、整理券発行機はない。

車内は高校生、ジーサン、バーサン主体。JR西日本山陽新幹線をくぐると、土井での下車客が多く、少し車内に空席が見られたため、ボックスシート相席から単独に切り替える(つまり、移動)。

少々ウトウトと眠気はあったが、終点宇美に到着。すでに西戸崎(Saitozaki)-香椎間は乗車済みなので、香椎線全線完乗を達成した。

下車して、宇美本町郵便局で旅行貯金したあと、大急ぎで折り返し、各駅停車雁ノ巣行きワンマン列車(For Gan-nosu。キハ47 9048)に乗り、長者原(Chojabaru)で篠栗線(Sasaguri Line)の快速博多行きワンマン電車(クハ817-1009)に乗り換え。

817系1000番台は初乗車。坐れなかったので、特に見分けはつかないものの、“福北ゆたか線”という路線愛称(鹿児島本線黒崎-折尾間と吉塚-博多間、筑豊本線折尾-桂川〔Keisen〕間、篠栗線全線)のところで運行。また、車内は運賃表、運賃箱、整理券発行機は稼動していないが、2006年3月18日(土曜日)のダイヤ改正で、福北ゆたか線内は全ドア開閉のワンマン電車に改めたため、整理券の発行はなくなった。それだけ利用客が多いということで、実感をしているところだが、これを4両編成に増結できないものだろうか。

単線だが、特急〈かいおう〉の運転に備えてか、一線スルーの駅があり、快速博多行きワンマン電車も快走。

吉塚から鹿児島本線に入るが、青い883系のエル特急〈ソニック20号〉博多行きに抜かれ、追撃するも追いつくことはなく、終点博多9番のりばに1分遅れで到着した。

下車して、博多郵便局で旅行貯金。そのあと、福岡市交通局(福岡市営地下鉄)空港線の福岡空港行き(2号車モハ303-101:JR九州車)へ。

終点福岡空港で下車し、ヒコーキへ。早めに済ませないと乗れないので、腕時計とにらめっこしていたが、JAL3611便の那覇空港行きに乗り、2年ぶりの上陸する。

晩メシ後、沖縄都市モノレール沖縄都市モノレール線(通称、“ゆいレール”)の首里行き(1212:ワンマン)に乗り、宿泊地の美栄橋(Miebashi)まで乗る。

2年ぶりのゆいレールは心地よく、久しぶりに乗ったというような感じはしなかった。


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2006年の汽車旅7-2 [汽車旅2006]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。



 JR西日本福山から福塩線の普通電車府中行きワンマン列車(クモハ105-31)に乗る。発車前には井原鉄道からの気動車が到着したが、レトロ調の車両、『夢やすらぎ』だった。



乗車している105系は非冷房で国鉄時代に入団したが、昭和59年(1984年)から冷房改造工事を受けている。

車端部の一角に冷房機があり、架線から給電している。そのため、一部の網棚は空調吹き出し口となっており、荷物を載せることはできない。また、扇風機もフル稼働しないと“涼”が保てない状態である。

横尾で105系体質改善車の普通電車福山行きワンマン列車と行き違うが、冷房機は車内から屋根に移動。冷房の快適性が向上しているだろう。

発車すると、高尾川と別れ、神辺(Kan-nabe)へ。しばらくは井原鉄道井原線と並走し、田舎道をゆく。速からず、遅からずのマイペースで進み、終点府中1番のりばに到着。電車専用の行き止まり式である。

一旦下車。府中の夏はやっぱり暑い。ちなみに車両基地ではなぜか和歌山線などで活躍する105系500番台がいた。方向幕に「福山」などあるはずがなく、カンバンで対応していた。

ホームに戻り、2番のりばから発車する普通列車三次行きワンマンカー(キハ120 6:ロングシート。トイレつき)へ。電車は「ワンマン列車」で、気動車は「ワンマンカー」とは面白いものだ。

車内は夏休みなのに通学なのか、地元の高校生が主体で、旅行者はわずか。そして、折り返し、普通電車福山行きワンマン列車が到着すると、乗り換え客が思ったほど多く、立客が発生した。

発車すると、架線が消え、停まるごとにお客は減り、備後矢野で立客は消えた。

上下というヘンな駅名で更に下車し、空席が多くなった。

梶田-備後安田間は20㎞/h制限があり、山の中を慎重に進む。大きな山場を抜けると、さっそうとした走りを見せる。

備後安田-吉舎(Kisa)間でも15㎞/h制限があるものの、はいあがるようにように進む。夏の稲は台風10号の影響か、一部はなぎ倒されていた。

塩町に到着し、福塩線全線完乗達成!! そして、普通列車府中行きワンマンカーと行き違い、ここから芸備線に入る。

神杉で普通列車備後西城行きワンマンカーと行き違い、終点三次2番のりばに到着。向かいの3番のりばでは1分しか接続しない普通列車広島行きワンマンカー(キハ120 323:セミクロスシート。トイレつき。志和口までワンマンカーも車掌乗務)に乗り換え。

西三次発車後、若者の車掌はきっぷを拝見!!

「御協力、ありがとうございます」

1両分の車内検札を終えると、車掌は脱帽して、協力のお礼をした。

車掌は最後部ではなく、先頭車の進行方向右側にあるドア開閉ボタンのそばに立っている。志和口までワンマンカーなので、ここは“ガマン”といったところなのだろう。

志和地で行き違い。てっきり、急行〈みよし〉かと思ったら、その車両を使った普通列車三次行きだった。

「発車しますよーっ!!」

車掌は行き違い停車を利用し、ホームで喫煙していた50代の男性を呼んでいた(少し、トーンをアップしたぐらいだが…)。

甲立(Kohtachi)で快速〈みよしライナー〉三次行きと行き違い、向原では停車中に虫が入り、右往左往。車掌が見事に追っ払う。そして、普通列車三次行きと行き違ったが、行き違った普通列車はすべてキハ47系(一部は体質改善車)。ボックスシート主体なので、できればそれに乗りたかった。

志和口で急行〈みよし6号〉(三次から普通列車)備後落合行きと行き違い、車掌はここから最後部へ移り、ドア扱いや車内放送を堂々と行なう。ちなみに運転士は「ワンマン」表示をそのまま続けていた。

下深川は停車時間が長く、普通列車狩留家行き(For Karuga)と快速〈通勤ライナー〉三次行きと行き違う。

安芸矢口から宅地が増え、広島までもうすぐのはずが、普通列車三次行きと行き違い。矢賀でも普通列車下深川行きと行き違った。

18時57分、終点広島9番のりばに到着。福山からのロングシート乗車に終止符を打った。特に苦痛とは感じなかったが…

一旦下車して、『Herat-in』で晩メシを購入し、1番のりばから発車する山陽本線の快速(岩国から普通電車)〈通勤ライナー〉新山口行き(クハ115-3016:体質改善車。弱冷車)に乗る。隣りの2番のりばには臨時快速〈瀬戸内マリンビュー4号〉の回送が止まっている。呉線は電化しているのに気動車というのはヘンだが、非電化区間の運用も視野に入れているのだろう。

広島発車時点では立客がいたものの、宮内串戸からは“1座席に1人”がほとんど。

下松-櫛ヶ浜(Kushigahama)間で、寝台特急〈はやぶさ・富士〉東京行きとすれ違うが、14系客車の並結運転になろうとは誰が想像していただろうか。客車に映る115系3000番台の方向幕は「新山口」となっていて、すっかり普通電車に化していた。

防府(Hohfu)で空席が見られるようになり、終点新山口へ。普通電車下関行き(クハ104-24:体質改善車。トイレつき)に乗り換えるが、105系とは意表をついた。

終点下関でJR九州の普通電車福間行き(クハ411-205:ロングシート改造車)に乗り換え。JR九州の415系鋼製車はすべてロングシートに改造されており、415系1500番台に歩調を合わせている。

23時16分、関門トンネルに入り、23時19分に九州へ上陸。すると、電流が直流から交流に変わり、あかりは一旦、消灯した。

門司から鹿児島本線に入り、小倉へ。ここで下車し、一夜を明かす。


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