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2002年の汽車旅2-後編- [汽車旅2002]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

山形6番線へまわり、各駅停車左沢行きワンマンカー(For Aterazawa.キハ101-13)に乗り換え、11時30分に発車する。

キハ101系はロングシートで、トイレのない通勤形気動車である。電車の101系より30年近くたってから誕生したので、雰囲気が全然違う。

山形-北山形間が複線並列の単線。進行方向左側は左沢線と仙山線直通列車の線路、進行方向右側は奥羽本線専用の線路で、〈つばさ〉は「山形新幹線(列車種別として使われることもある)」、普通電車は「山形線」の路線愛称を持つ。

北山形から左沢線に入り、下校の高校生がポコポコ乗車。ちなみにキハ101系の優先席は『思いやりの席』と表現を変え、地域により密着し、高齢者の多いエリアならではの優しさを感じる。また、左沢線は“フルーツライン左沢線”という路線愛称を持っている。

平坦な道を通り、沿線は水田とビニールハウスの骨組みが多い。

駅名盤がリンゴのカタチをした羽前山辺に到着し、大量下車。発車すると、残雪が見えた。東北の春はまだ遠いようだが、これ以上、降って積もることもなさそうだ。

車内では相変わらず、メールピコピコのお客が多く、日本共通の光景のようだが、寒河江(Sagae)で雨が降ってきた。

さて、車中では中年の男性が私に声をかける。私を“Railway Writer”と間違えられた。以前、道後温泉ではルポライターと思われていたこともあったが、頑張らなくちゃ!!

さて、この中年の男性は米坂線、奥羽本線と同じ車両に乗っていたらしく、「気動車は好き」「ロングシートは旅情がない」と述べていた。

12時11分、終点左沢に到着し、左沢線全線完乗を達成!! 駅名盤は洋梨をデザインしていたものだった。さすがは“フルーツライン左沢線”である。

折り返し、12時24分発の各駅停車山形行きワンマンカー(①左沢-寒河江間はキハ101-7、②寒河江-山形間はキハ101-9。ワンマンカーは寒河江まで)へ。発車すると、雪が少々積もった町を走る。

羽前高松でけっこう乗り、西寒河江では高校生だけが乗車。男子は学生服だが、女子はブレザー(普通はセーラー服だろう)。この日は地元の高校の卒業式だったようで、卒業生はケーキとアルバムを持って帰った。粗品がケーキだとは豪勢なもので、うらやましいものを感じる。ちなみにケーキは3種類ほどだったようであるが、どこの卒業生も第2ボタンがかけている生徒は1人もいなかった。「第2ボタン」はもう死語になってしまったのであろうか?

寒河江で前2両増結し、車掌が乗務。増結してくれたおかげで、混雑は一気に緩和された。まさか増結するとは思ってもみなかったが、下校対策なのだろう。

最上川を渡り、羽前長崎へ。以前は行き違いできる駅だった。ブツ切りにされたレールが歯がゆい。

“残雪景色”が消え、羽前山辺へ。下校高校生の大半が下車した。

北山形で各駅停車左沢行きワンマンカーと行き違い、奥羽本線に入り、13時15分、終点山形6番線に到着した。向かいの7番線で発車を待っている快速〈ホリデー仙山18号〉仙台行き(クモハ719-27)に乗り換える。

13時32分に発車し、羽前千歳で奥羽本線と別れ、仙山線に入る。雲ゆきはあやしく、楯山(Tateyama)で快速〈ホリデー仙山13号〉山形行きと行き違う。

楯山を発車すると、粉雪から吹雪へ発展。山奥へ入り、面白山高原へ。標高440メートルの駅は雪に埋もれちゃいそう。

山奥を行く快速〈ホリデー仙山18号〉仙台行きは作並に到着し、こけしがお出迎え。そして、快速〈ホリデー仙山15号〉山形行きと行き違う。

峠を下りると、雪はやみ、積もらなくなった。“あれれーっ!!”という感じ。それにしても、作並という山奥の駅の所在地が宮城県仙台市であることに違和感を感じるが、“杜の都”というゆえんであろう。

愛子(Ayashi)はちょっとした話題の駅で、快速〈ホリデー仙山18号〉仙台行きの利用客で、注目をしていたのは私だけのようだ。

勾配を下り、快速らしい走りっぷり。北仙台で普通電車愛子行きと行き違った。

ラストスパートも飛ばし、東北本線、東北新幹線をまたぎ、右へ曲がって合流すると、14時44分、終点仙台6番線に到着した。

4番線にまわり、東北本線の各駅停車黒磯行き(クモハ719-6)へ。「普通電車」というのが正当だろうが、車掌がそう案内していたので、各駅停車にした。

快速〈ホリデー仙山18号〉仙台行きで気づいたが、719系は車体側面の方向LEDをJR西日本221系と同じタイプから、JR東日本標準タイプにチェンジされている編成が多かった。どっちが見やすい?(画像上段は719系入団時のモノ。画像下段はチェンジしたモノ)

719系は“前向き座席”が1両につき、8か所しかなく、あせるが、うしろの車両はそれほど並んでおらず、カンタンにGET!! 荷物を座席に置いて陣地を確保したあと、一旦下車して、愛子駅のオレンジカード(2種類)を貴重な2000円札をポーンと出して、購入した。

15時00分に発車すると、勢いよく、俊敏に走るが、停まるごとにお客が減ってゆく。これほど速く走れるのは東北新幹線開業前、東北本線が“特急街道”だったからである。

常磐線と分岐し、車内は閑散になった。車中の人は無口になってしまい、眠くなってくる。

貝田付近で東北自動車道と合流し、東北本線と共に勾配を下りてゆく。

再び、東北新幹線と共に走るが、桑折(Kohri)付近で、いっしょに地平へ。東北新幹線も地平に下りてくるとは思ってもみなかったが、驚くやいなや、E4系の〈Maxやまびこ136号〉東京行きがバッサリ抜いた。

予想通り、福島で大量に乗ってきた。仙台以来の盛況ぶりだ。

いつしか下り線と別れていることに気づき、合流すると、あずき色のお座敷電車、『宴』とすれ違った。JR東日本はジョイフルトレインの電車化を進めているようで、485系改造を基本としている。

金谷川でまた上下線が別れる。今度は“下り線がどこへ行ってしまったんだろう?”という状況である。

外も暗くなり、18時24分、終点黒磯5番線に到着。2番線にまわり、快速〈ラビット〉上野行き(クハ210-3055:ロングシート)に乗り換え。

211系3000番台はロングシートだが、クハ210形3000番台だけ、トイレの隣りになぜか前向きになれば、うしろ向きにもなる座席があり、そこへ坐ることにする。

ロングシートの不快感を晴らしたいところだが、すぐ前にロングシート(優先席)があり、そこへ坐っているお客を見つめなければならないレイアウトに中途半端さを感じた。はじめからロングシートにするか、車椅子スペースにすればよかったのだ。

宇都宮の停車時間が長く、一旦下車して晩メシを購入。快速〈ラビット〉上野行きに戻り、帰京した。

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③2007年2月17日(土曜日)で観客動員数は71,000人を突破しました。ありがとうございます(今年に入ってから、観客動員数は2萬人以上!!)。


2002年の汽車旅2-前編-(Railway Blog通算200回) [汽車旅2002]

2002年3月1日(金曜日)、JR東日本新宿へ。快速〈ムーンライトえちご〉村上行き(3号車指定席クモハ165-76)に乗る。

快速〈ムーンライトえちご〉は209系シリーズ、E217系、E501系、E231系シリーズについているコンセントはないものの、気にもしない若者らはさっそく席につくやいなや、メールピコピコ。

私が坐るのは3号車指定席12D窓側。すぐ前がデッキで足のせがあるので、“スペシャルシート”のように思えるが、テーブルと窓かまちがないなど、欠点が多い(上りの場合、1A~D席もそう)。戸袋窓をのぞくと、サビているところがあり、老体にムチを打っている。

23時09分に発車し、湘南新宿ライン(山手線と東北本線)、高崎線、上越線、信越本線、白新線を通り、2002年3月2日(土曜日)5時48分、羽越本線の坂町に到着。そろそろ夜が明けることで、外は寒い。

下車して町を歩き、待合室にはオバちゃん数人がだんらんしており、米坂線に乗るようだ。キヨスクは開店している。

1番線に普通列車米坂行き(キハ52-120:非冷房車)が入線。車内の98パーセントは高校生で占めていたが、半分ほどは降りない。折り返し乗車ということはありえないが、羽越本線新発田方面の電車が来るのを待っているのだろう。ちなみにエル特急〈いなほ2号〉新潟行きにも目もくれず、おしゃべりとメールをピコピコ。

普通電車新潟行きが到着すると、いっせいに撤収。一瞬にして、空席がドドドーン!!

7時20分に発車。右へ曲がり、羽越本線と別れる。すると、進行方向左側に川が見えた。雄大っつーか、こういうのって好きなのよね。

進んでゆくごとに雪国らしくなってゆく。豪雪地帯を走る路線ならでは。春の旅と言いつつも、冬に逆戻りしたかのようだ。水田は氷ができていた。子供の頃は石を投げて割るのが楽しみだったことを思い出す。

越後大島では高校生が乗車し、次の越後下関で降りたが、この先、「越後x」という駅はいくつも続く。

車両は先頭がキハ47系、最後部がキハ52系。キハ47系は旅先でよく乗るし、シートは国鉄のまま。キハ52系は見かけることが少なく、車内はシートモケットはレッドにチェンジするなど、リニューアルしていた。

普通列車米坂行きは適当な速度で進んでゆくが、勾配やカーブなどで苦しむ。おまけにクルマに抜かれ、交通量も多い。米坂線の本数が少ないから、こうなってしまうのだろうか?

越後金丸(Echigo-Kanamaru)で普通列車坂町行きと行き違い。発車すると、国道113号線と共に進み、山形県に入るとトンネル。更に雪深くなってくるが、視界が悪く、モヤッっつーか、キリっつーか、そういうのね。

雪は1メートル以上は積もっており、標識や柱のほとんどが埋もれ、信号機等の半分は雪に使っている。

積雪の多さを想定してか、古びたアパートは高床式ある。

小国で8分停車。道路に雪はないものの、除雪をしていないところでは2メートルは積もっていた。“チリと積もれば山となる”という感じだ。

下車すると、近くに小国郵便局があり、土曜日で旅行貯金ができないことにくやしい思いをする。

8時10分に発車し、並行する国道113号線の制限速度は50㎞/hで、列車もそれを準じているような感じで走る。

「次は羽前松岡。失礼しました、次は羽前沼沢です」

この当時、車掌が次の駅名を間違えることが多く、困ったものである。ワンマン運転や自動放送装置の普及がそうさせているのだろうか。ちなみに米坂線は「羽前y」という駅は3つある。

普通列車米沢行きは積もりに積もった雪道を通るが、もし、なだれが直撃するようなことがあったら、恐ろしい。また、踏んだらズボーッと底なし沼のようにハマッてしまいそうだ。これだけの量があると、“紅白雪合戦”ができそうだ。

山間部を抜け、降雪量も少なくなり、羽前椿に到着しようという頃、なぜか停止信号。久しぶりに行き違いのできるホームに到着したが、行き違い列車はなく、8分停車するというので個人的に下車駅を増やす。この世の中、JR全駅下車を果たしたという話を聞いたことがあるけど、そこまでやろうとは思っていない。

雪原をひた走り、第3セクター、山形鉄道フラワー長井線と合流し、9時14分、今泉3番線に到着。10分停車するというので、またも下車駅を増やす。ちなみに今泉は山形県長井市にあり、赤湯・山形方面はフラワー長い線に乗り換えたほうが早く着く。

9時24分に発車。フラワー長井線と別れたら、たちまち濃い霧に。視界はほぼ見えない状態だ。目がまぶしいという感覚になってしまう。

運転士も、このような霧では大変だと思うが、犬川が近づくと、少し晴れてきた。よって、オーバーランや急停車はなし!! ちなみに犬川と言うと、“テッパンの犬川”を思い出す(フジテレビで放送していた『うまなりクン』を見ていない人にはわからないだろう)。

西米沢、南米沢といった「π米沢」が続き、10時00分、終点米沢4番線に到着し、全線完乗を達成した。米坂線は「越後x」、「羽前y」、「π米沢」といった駅が多い。ちなみに只見線は「会津r」という駅が多い。

3番線にまわり、奥羽本線の普通電車山形行き(クモハ719-5007)に乗り換え。719系5000番台の一部はワンマンカー対応に改造され、ドアチャイム、運賃表、運賃箱、整理券発行機を取り付けていた。また、パンタグラフもシングルアームにチェンジしていた。

400系の〈つばさ120号〉東京行きが2番線に到着したものの、遅れている。また、単線のため、定時運行をしている400系の〈つばさ101号〉山形行きと行き違わなければならず、苦しい。

米沢で見た400系の〈つばさ120号〉は車内がリニューアルされており、指定席は『桃色片想い』、自由席はグリーンで、いずれも“ファミコンシート”にチェンジしていた。

改札付近では狂牛病や偽装牛肉に負けず、駅弁を販売。米沢の肉はうまいよー。

普通電車山形行きは10時40分に発車。なんと110㎞/hで駆け抜ける。JR東日本の普通電車は100㎞/hぐらいしか走らないイメージがある。

高畠には温泉があり、発車すると進行方向右側には追い越し禁止の高速道路なのだろうか、高規格な高架道路がある。

赤湯はフラワー長井線の乗り換え駅で、乗車客は多かった。

赤湯から複線となり、勾配を登る。ひるまず、力強く進んでゆく。信号所で単線に戻るも、快走ぶりは変わらない。

中川で701系5500番台の普通電車米沢行きと行き違う。719系5000番台は奥羽本線の標準軌全区間(福島-新庄間)対応だが、701系5500番台は福島-米沢間の運用はない。

雪がとけ、羽前中山で複線に戻り、かみのやま温泉でまとまったお客が乗り、400系の<つばさ126号>東京行きも停車した。

11時25分、終点山形4番線に到着した。

★備考

①JR東日本所属のエル特急は2002年12月1日(日曜日)のダイヤ改正で、「特急」に種別を統合した。

②松本典久著、並木書房刊行の『今しか乗れない国鉄型名車ガイド』では米坂線キハ52系のルポがあります(2001年に発売)。

③桜井寛著、東京書籍刊行の『絶景冬列車の旅』にも米坂線のルポがあります(20世紀に発売)。

④「ファミコンシート」というのは、リクライニングだけではく、座面が前へ動かせる座席のこと。ひじかけの下にあるボタンが任天堂、ファミリーコンピューターのA・Bボタンに似ていることから命名した。

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③今回の記事で200回目となります。今後ともよろしくお願いします。


2002年の汽車旅1-4 [汽車旅2002]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

JR西日本岩国で下車して、気分転換をしたあと、6番のりばへ行き、岩徳線(Gantoku Line)の普通列車徳山行きワンマンカー(キハ40 2035:体質改善車)に乗る。

14時21分に発車。1両でも空席が見られるほどの乗車率で、すぐに右へ曲がり、山陽本線と別れる。

最初は飛ばしていたが、だんだんだんだん勢いが落ち、もうへばってしまったのか? いえいえ、まもなく西岩国に到着するのであります。

川西は第3セクター、錦川鉄道錦川清流線の乗り換え駅だが、全便、岩国発着で利便性を国鉄岩日線(Gan-nichi Line)時代と同様、維持している。

長いトンネルへ入る。早く抜けないと、逃げ出せないような感じで突き進む。そして、トンネルを抜けると、山間部。山陽本線は“陽(Hi)の道”だが、岩徳線は“影の道”を進んでゆく。岩徳線は開業時、山陽本線と名乗っていたからである。

柱野を発車すると、長いトンネルが続き、眠たくなってくる。地下鉄に乗っていると、疲れている時以外はそんな気分にならないから、世の中、不思議なものである。

欽明路(Kinmeiji)は高校生らが多く下車するも、入口から降りる不心得者の男子高校生が3人いた。どっちみち、駅の出入り口はワンマンカーの出口ドア付近だから、運転士は席を外して、きっぷを確認していたことは言うまでもない。

玖珂(Kuga)で多くの下車客があり、普通列車岩国行きワンマンカーと行き違う。2両編成中、先頭車は体質改善車だった。

発車すると、車窓は田園へ。周防高森(Suoh-Takamori)でも多く下車して、空席がだいぶ目立ってきた。また、冬なのにまぶしく、カーテンを半分下ろす。

意外とは失礼だが、走りのほうは健闘している。思ったより速い。さすがは“元山陽本線”を感じさせる。

米川を発車すると、ロングトンネルへ。抜けても360度、山なのだからしょうがない。

周防久保で普通列車岩国行きワンマンカーと行き違い、発車すると勾配を下り、山陽新幹線と合流。ちなみに山陽新幹線は山沿いのルートが多く、山陽本線に比べ、距離が短いものの、運賃計算は在来線に合わせている。

山陽新幹線の高架橋はちょいと傷んでおり、補強工事の最中である。

東海道新幹線(JR東海)より開業が遅いのに、こんな展開になっているのは平成11年(1999年)6月27日(日曜日)、山陽新幹線の福岡トンネルで、コンクリートのカタマリが〈ひかり351号〉博多行き(ウエストひかり)に直撃したからである、運輸省(現在の「国土交通省」)は鉄道トンネルの総点検を各鉄道会社に指示を出すほどであった。

原因は工事中、機械トラブルの多発による施工不良や強度不足、海砂を使ったため、山砂に比べると劣化が早いと専門家は指摘している。また、JR産の新幹線電車のほとんどは空調装置が床下にあるため、トンネルのコンクリートが落下すれば、天井を貫通して客室に直撃する可能性が高いそうだ。

周防花岡で山陽新幹線と別れ、発車すると軽やかに駆け抜け、山陽本線に合流すると、櫛ヶ浜(Kushigahama)に到着。岩徳線全線完乗を達成した。

山陽本線に戻り、再び山陽新幹線に合流すると、終点徳山3番のりばに到着した。

さて、JR西日本、気動車の体質改善車だが、ボックスシート&ロングシートのセミクロスシートであることに変わりはないものの、目立つのは一部のボックスシートがロングシートにチェンジされたことや、化粧板と窓をチェンジしている程度。電車ほどの斬新さがないのは残念なところである(画像上段はオリジナル、画像下段は体質改善車)。

4番のりばから普通電車小郡行き(クハ115-2126:体質改善車。岩国まで快速〈山陽シティライナー〉だった)に乗り換え、発車。しばらくたつと、“周防灘オーシャンショー”となり、人々はみなクギづけ。

富海(Tonomi)を過ぎると、周防灘オーシャンショーは終わり、日は日本海に傾き、“夕焼けニャンニャン”となり、終点小郡に到着した。ちなみに2003年10月1日(水曜日)、小郡は「新山口」に改称している。

「普通列車下関行き」と案内している気動車が発車を待っており、乗り込むが、うしろ2両の急行形気動車は関門海峡を越え、文字へ向かう。サボは4両編成すべて、「小郡⇔下関」となっている。市販の時刻表では下関で列車番号が変わるので、そうしているのであろう。ここでは普通列車門司行き(キハ28 2430:リニューアル車)と案内する。

全区間電化されているのに、気動車で運行しているのは下関-門司間で直流電化から交流電化に変わるためである。JR九州は交直流近郊形電車、415系シリーズを持っているので、本州に直通運転しているが、北陸本線しか交流電化されていないJR西日本は広島支社に交直流電車を配置するのはカネのムダづかいと判断しているからであろう。そして、2005年10月1日(土曜日)から本州・九州双方からの鈍行はすべて下関止まりとなった。

さて、小郡を発車した普通列車門司行きは西日がまぶしく、瞳に直撃!! 昔から広島市民球場の1塁側ベンチは西日がまぶしく見づらいというが、まさか夏でもないのに、こんなメにあうとは…

急行形気動車に乗っているからではないだろうが、静かでイイ。ただ、スピーカーの具合が悪く、放送が聞き取りにくい。もしかしたら、最後部のマイクなのかもしれないが…

電車運行のほうがちょっと速いかなと思うが、快走。空がトワイライトとなり、もうすぐ、暗闇を迎えようとしていた。

厚狭(Asa)を発車すると、次の埴生(Habu)まで長かった。その埴生は駅前にオートレース場があり、発車すると、チラッと“周防灘オーシャンショー”だ。

小月(Ozuki)を発車し、進行方向右側には一般道路。クルマの前照灯が灯っている。昔は電球色が当たり前だったのが、近年(乗車した2002年1月5日に執筆)はパールホワイトタイプを見かける。綺麗だし、光の届く距離が拡大されているという。マイカーや交通機関の前照灯もこれに統一して欲しいね。

埴生から乗車率が増し、青春18きっぷのお客がいなければ、ラクチンに坐れていただろう。

新下関を発車すると、なんと廃車された0系4両編成が留置されていた。更に検車用のハウスではフリーゲージトレインが整備されていた。フリーゲージトレインが実用化する日は来るのだろうか?

中央から山陰本線のレールが割り込み、幡生へ。そして、発車すると、なぜか紀勢本線カラーの113系普通電車とすれ違った。

列車は下関4番のりばに到着し、前2両を切り離し、うしろ2両が終点門司へ。新たなお客を乗せて、18時07分に発車。ここからはJR九州に入る。

初めて気動車で関門海峡を渡るが、関門トンネルに入ると、青白い蛍光灯に目を奪われる。“九州の道先案内人”と化しているのだ。

関門トンネルを抜けると、そこは九州。ほどなくして、終点門司に到着した。

さて、門司では特急〈いそかぜ〉の回送を見かけた。

運行開始当初は米子-博多間の運転だったが、のちに小倉まで短縮され、更に米子-益田間から追いやられ、2005年2月28日(月曜日)でフォーエヴァー。ちなみにこの日は寝台特急〈さくら〉〈あさかぜ〉も最後の旅立ちだった。

1番のりばから、18時33分に発車する鹿児島本線の快速荒尾行きに乗り換えるが、7両編成だというので、811系と813系シリーズの混結であることに間違いない。“シンプル811系、ド派出813系シリーズ”なら、後者を利用しているところだが、あいにく、813系200番台はうしろ3両(南福岡止まり)に連結されて、満席の状態。やむなく、811系に乗り込む(クハ810-3に乗車:自由席)。

811系のタイフォンは機関車と同じことに驚いたが、久々に乗ったら、意外にも座席と窓の位置が合わないところがあるわ、走行中、窓はバタバタ動くわで、まいった、まいった。また、シートモケットはチェンジされておらず、「自由席」「指定席」を表示するプレートは撤去されていなかった。

近年(乗車した2002年1月5日に執筆)はドアの窓上にシール広告を貼るところがあり、目ざわりでしょうがないのだが、JR九州の近郊形電車(415系シリーズ、815系、817系シリーズは未確認)はこともあろうか、ドアとドアのあいだにある3枚ガラスの中央に長方形のデカいシールを貼っているのである。あまりのデカさなのか、いいかげんに貼っているところもある。

乗車している車両は小倉以外、乗降はほとんどなく、窓のバタつき以外は静かに過ごせ、博多に到着した。下車して、うまい博多ラーメンを食べて、久しぶりにホテルへ向かった。

 ★備考

①岩徳線について、くわしくお知りになりたい方はこちらにクリックして下さい。

②特急〈いそかぜ〉について、くわしくお知りになりたい方はこちらにクリックして下さい。

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2002年の汽車旅1-2 [汽車旅2002]

オマタセ、ベイベー。イッツ・ショータイム。

新所原郵便局で旅行貯金したあと、JR東海の東海道本線の新快速米原行き(モハ313-10)へ。4両編成の車内は大入りで坐れそうもない。普通電車じゃないから、なおさらだ。

予想通り、豊橋で降りる人は少なく、乗る人が多かった。6両編成なら、全員着席できただろう。昭和61年(1986年)11月1日(土曜日)、国鉄最後のダイヤ改正で6両編成から4両編成に減車されたが、増発だけでカバーするにはムリがあろう(長年の不満は2006年10月1日、6両編成となった313系5000番台の投入で、ほぼ解消された)。

東海地方の雪はすっかりとけていた。前日(2002年1月3日)は激務だったのか、乗車している車両のガラスは汚れている部分があった。特にステンレス車体は。

蒲郡で下車し、郵便局を探そう。快速系電車が停まる駅なのだから、近くに郵便局があるはず。

ところが、下車したところは名古屋鉄道蒲郡線側の出口。地図はどっこにもない!! やむなく、地下道を通って、北口へまわると、地図はあった、あった。

近くにあることがわかったものの、今度は探すのに難航してしまい、時間をくったが、蒲郡駅前郵便局で旅行貯金をすることができた。

旅行貯金難航のおかげで、快速米原行きには乗れず、新快速米原行きに。ところが、米原行きの新快速は2本続くことが判明。あきらめていた名古屋のきしめんが食える。15分以内にズズズとづづれるもーん。

新快速米原行き(モハ313-14)は黄昏になりつつある東海道本線をブッ飛ばす。坐れないので、ドア付近にあるクッションパネルにもたれるが、当て心地はJR西日本221系・223系シリーズよりイイ。位置が腰の部分に直接当たるからだ。

安城を発車すると、前日の大雪は完全にとけ切っておらず、残雪。学校のグラウンドは除雪作業をしていないから、銀世界。

愛知県名古屋の雪景色は見ていて新鮮。まさか、今回の旅で白銀の世界を体験するとは思っても見なかった。

金山では、お客のけっこうな入れ替えがあり、新快速米原行きは名古屋6番線に到着し、降りる。もちろん、きっしめーん!! それ以外になにがあるの?

「ミソカツ、きしめんパイ」

と返す人もいるんだろうねぇー。

金山寄りの『名代きしめん』へ。正月ということもあってか、もち入りきしめんを注文。もちは電子レンジで2~3分温めたものだが、うまい。新春の時期は“お雑煮”の代わりにもなるだろう。

食後、新快速米原行き(クハ310-15)へ。311系なのは意外である。

けっこう混んでいて、尾張一宮まで身動きがとれない状況。

その尾張一宮に到着すると、向かいのホームにキハ85系が停まっていた。なんと、エル特急<(ワイドビュー)ひだ15号>高山行きは、鷹山本線で倒木があった影響で、ストップされているのだ。更に大垣では通過するはずのエル特急<(ワイドビュー)しなの18号>大阪行きが隣りのホームで足止め。この先、なんかイヤな予感。

それがドンピシャに当たり、関ケ原で付近で足止めをくらい、定刻より、9分遅れで到着。“関ケ原の戦い”はまだ続いている。ここでは除雪車がお出迎え。

関ケ原を慎重に発車し、スピード控えめみたいな感じで走る。

醒ヶ井(Samegai)を発車して、ラストスパート!! 雪道を蹴散らしながら、ブーンブン。9分遅れはすぐには回復しないが、かつては新快速として、名をはせていた311系の意地を見せないと。

結局、遅れは回復することなく、18時16分、終点米原2番のりばに到着した。

向かいの3番のりばにはJR西日本の新快速姫路方面播州赤穂行きが4両で止まっている。4両編成で京都・大阪へ向かうはずがなく、ほどなくして、長浜からの新快速が8両で到着し、ここでドッキングする。

8両編成は長浜発車時、1~8号車、姫路方面播州赤穂行きと表示されていたが、米原から5~12号車、姫路止まりに変わる。起点の長浜から、5~12号車、姫路止まりにすればいいのに。

2番のりばでは先ほど乗った311系の新快速が大垣方にある留置線へ引き上げたあと、遅れていたエル特急<(ワイドビュー)しなの18号>大阪行きが到着。先に発車させたいところだが、ここから先はJR西日本。アーバンネットワーク、力の象徴(アメリカだと、「国防総省」に相当する)、新快速姫路方面播州赤穂行き(1号車クハ222-2003:弱冷車)を定刻通りに発車させ、エル特急<(ワイドビュー)しなの18号>大阪行きはあとから発車することになった。

新快速の主力、223系2000番台は平成11年(1999年)の入団時、カーテンはついていなかったが、2001年夏の猛暑で、苦情が殺到したため、急きょ取りつけた。

能登川を発車すると、いつのまにか雪が消えたものの、一部のドア上にある情報案内装置の誤表記が気になる。

「この電車は、新快速、1号車から4号車は播州赤穂行き、5号車から12号車までは播州赤穂行き お乗り間違いのないよう、ご注意ください。」

なんとかならないか!!(その後、修正)

草津を発車すると、複々線の内側に入る。普段もこの便は京都まで内側走行なのかは知らないが、石山に到着すると、エル特急<(ワイドビュー)しなの18号>大阪行きに抜かれた。新快速がエル特急に抜かれるのは妙な感じを受ける。

ところが、京都を目前に新快速姫路方面播州赤穂行きはエル特急<(ワイドビュー)しなの18号>大阪行きを抜き去ったのである。リベンジは予想もしていなかった。よって、新快速姫路方面播州赤穂行きが京都へ先着したことになる。

京都を発車するのは19時17分だが、信号が青にならない!! 今度はエル特急<(ワイドビュー)しなの18号>大阪行きが先に発車。特急料金全額払い戻しを避けたいらしい。

定刻より2分遅れて、19時19分に発車。さぁー、遅れを取り戻したいところだが、進行方向左側から東海道新幹線300系の<ひかり>新大阪行きがあれよあれよのうちに新快速姫路方面播州赤穂行きを抜いていた。この日の東海道新幹線は正常ダイヤでもなかった模様(なので、<ひかり>何号なのかはわからない)。

進行方向右側から、関空特急<はるか55号>関西空港行きをバッサリ抜いて、回復運転に努める。

京都から複々線の外側に入り、猛追する新快速姫路方面播州赤穂行きだが、飛ばし過ぎてまさかの失速。進行方向右側からやって来た阪急電鉄京都本線の快速急行梅田行きに抜かれそうになる不覚をとった。

山崎-高槻間は本来の力が出せずじまいになるのかと思ったら、最後は意地を見せた。ダイヤが遅れていなければ、221系の快速(明石から普通電車。どこ行きなのかは失念)を止まらせることはなかった。

19時32分に高槻を発車し、かつてない激走ぶり。新大阪には19時42分に到着し19時43分に発車。大阪3番のりばに着いたのは19時47分で、19時48分にあわただしく発車したものの、遅れを回復することはできなかった(当時、余裕時分なしのダイヤ構成だったと思われる)。ちなみに向かいの4番のりばにはエル特急<(ワイドビュー)しなの18号>の回送が止まっていた。

大阪で下車。食後、大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線梅田へゆき、天王寺行き(1805:リニューアル車)に乗る。

大阪きっての過密通勤路線だが、カーブの多さは改めて、驚く。ちなみにどちらとも、梅田-なんば間はいつもにぎわっている。

なんばを過ぎ、大国町は四つ橋線住之江公園行きと同時に到着。同一ホームで乗り換えられる地下鉄の駅は帝都高速度交通営団(2004年4月1日から「東京地下鉄」に改称)の赤坂見附、中野坂上ぐらいだろう。

終点天王寺で谷町線大日行き(For Dainichi.2933)に乗り換え。

20系のロングシートはオリジナルの金茶色を保っていたので、オールドファンにとっては嬉しかろう(シートモケットは2005年にChangeした可能性が高い)。但し、車体側面の帯がオリジナルではない。

なお、谷町線20系は2005年に中央線へ移籍。代わりに24系7編成と大阪港トランスポートシステムのOTS系全車が転入し、いずれも22系に編入された。また、大阪港トランスポートシステムは2005年7月1日(金曜日)から大阪市交通局に路線を譲渡している。

谷町九丁目で千日前線南巽行き(For South Tatsumi.25605)に乗り換え。ホームは8両編成に対応しているが、実際は4両編成で運行。ワンマン運転の対象にされかねない路線だ。また、増結用ホームにはサクを立てて、立ち入り禁止となっている。もったいないような気もするが、これ以上の輸送力は見込めないということでもある。

電車は終点南巽に到着し、千日前線全線完乗を達成した。地下鉄は地上を走る路線が限られているので、車窓にこだわる方にとっては、夜でも妥協できる。

折り返し、野田阪神行き(25105)に乗り、鶴橋でJR西日本大阪環状線の各駅停車ユニバーサルシティ方面桜島行き(サハ102-3:リニューアル車)に乗り換える。

大阪に到着すると、東海道本線221系の快速(京都から普通電車)米原行き(①大阪-新大阪間は5号車モハ221-59②新大阪-京都間は6号車クモハ221-59)が到着していた。大急ぎで乗り換える(画像は茨木停車中に撮影)。

京都に到着。下りホームにまわり、臨時快速<ムーンライト山陽・ムーンライト高知・ムーンライト松山>下関・高知・松山行き(1号車指定席オハフ15 202:臨時快速<ムーンライト山陽>下関行きに乗車。一部サロン室)へ。

臨時快速<ムーンライト山陽>はシュプール用の客車を使っており、明るい塗装が目立つが、ほかは寝台車のないブルーの車体で、見た目の落差が激しかった。

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2002年の汽車旅1-1 [汽車旅2002]

2002年1月4日(金曜日)、JR東日本東京へ。

東海道本線9番線では寝台急行<銀河>、寝台特急<サンライズ瀬戸・サンライズ出雲>が定刻通り、終点東京に到着した。

前日、東海地方の大雪で、交通機関が大幅に混乱し、帰省で自宅へ帰宅する人の多くはできないというアクシデントに見舞われたが、この日はヒコーキと東海道・山陽新幹線(JR東海とJR西日本)以外は定時運行が可能なようだ。

7番線から7時24分に発車する普通電車伊東行きが入線(1号車自由席クハ185-204)。2ドア車両のため、乗車口吊り下げ札を設けている。185系シリーズの普通電車は東京-伊東間下り1本のみの運行。東京-静岡間にも373系の普通電車が1往復しているが、違う会社の車両のせいか、乗車口吊り下げ札は設けていない。

お客はビジネスマンが多く、向かい合わせにしてグループ旅行をするところも。背面のテーブルで、朝メシをとる人もおり、身支度をするにはうってつけだ。また、<湘南ライナー>と違い、ライナー券500円を投資する必要がなく(グリーン車はグリーン券がいる)、私はコレを“ウラ湘南ライナー”と呼んでいる。

7時24分に発車。12両すべてリニューアル車だが、客室と塗装を変えただけで、トイレと洗面所はそのまま。リニューアルが完全に行き届いていない。

この日は雲1つない快晴で、多摩川を渡る時も富士山が見えた。

ポカポカ陽気でウトウト。普通電車伊東行きは箱根駅伝の熱気を持続させるかのようだ。特に大磯を発車して、進行方向左側に相模灘がチラッと見えると、なおさらだ。

国府津(Kohzu)で私は進行方向左側の座席に移動。普通電車の自由席だから、どこでも坐っていいのだ。ここから熱海までは“ニューイヤーオーシャン相模灘”を楽しみたい。小田原までは序章といった感じだ。

2ドアのためか、停車時間は1~2分とっている。通常は3ドアだから、ゆったりしている感じだ。時間にせかされるより、ゆとりを持った生活がしたい。コレは日本人の永遠の願いであろう。

小田原を発車すると、いよいよ、“ニューイヤーオーシャン相模灘”の幕開けだ。

有料道路はコッたデザインのコンクリート橋は瀬戸大橋に見せたがる悪戯っ子ぶり?! いつも夜しかお目にかかれないので、新鮮なんだよなぁー。このオーシャンを見ていると、“伊豆は近いんだねぇー”と実感。また、トンネルも多く、川端康成はないけど、“トンネルを抜けたら、そこは伊豆だった”と思いたくもなる。

広い大海原は不況日本の苦しさをブッ飛ばしてくれる。働き過ぎのビジネスマン、余暇は電車に乗ってやすらごう!!(画像は早川-根府川間にて)

“ニューイヤーオーシャン相模灘”は熱海付近でTHE END。普通電車熱海行きは3番線に到着した。この電車は1~7号車と11~15号車をつないだ12両編成で、後者はここで切り離す。

1番線には伊東線の普通電車伊豆急下田行きが発車を待っているが、車両は伊豆急行200系。JR東日本で余剰となった113系を使用しているが、どう見ても、伊豆急行の車両という雰囲気がどこにもない。『リゾート21』に車種統一したほうがよっぽどいいように思えるが、そうもいかないらしい。

普通電車伊東行き発車後、3番線にはJR東海の普通電車豊橋行き(クハ111-2004)が入線し、乗り換える。車両は113系2000番台で、6両全車がボックスシート&ロングシートのセミクロスシートだが、うしろ3両は浜松止まりである。

9時39分に発車すると、チラッと、“ニューイヤーオーシャン相模灘”であるが、引き続き、進行方向左側に坐り、、“ニューイヤーオーシャン駿河湾”を見るつもりでいる。

熱海を発車しても、トンネルは続き、三島付近まで続いた。東海道本線の“静岡セクション”は熱海-新所原間まで177.8キロもあり、JR東海エリアの東海道本線では半分以上を占める。

沼津を発車し、進行方向右側には富士山。てっぺんの美白は相変わらずで、夏はガングロ。やはり、富士山は冬の季節がよく似合う。

普通電車豊橋行きは原に到着。ジャパンマウンテン№1の富士山を見て、巨人の原監督は日本一を誓う?! ちなみに2002年は巨人が日本一に輝いたが、それ以降は低迷が続いている(画像の富士山は東田子の浦付近で撮影)。

「コレ、読みますか?」

と突然、隣席に坐っている男性が声をかけてきた。その人は先ほど乗った普通電車伊東行きに乗っていたようで、JR東日本の月刊誌、『トランヴェール』を差し出す。

「いただきます」

と遠慮なくいただく。普通電車伊東行きではグリーン車に乗っていたのだろう。そうでなければ、まず持たない(本屋に売っていないため)。

吉原でドカーッと乗ってくる。ボックスシートは“4議席すべて獲得”ってワケだが、坐っててキュークツだ。113系2000番台は2001年夏の“臨時大垣夜行”こと、品川始発の普通電車(小田原から臨時快速)大垣行きに使われ、話題となったが、とても夜汽車には向いていない。

富士川を渡る。進行方向左側には東海道新幹線の鉄橋もあり、照りつく太陽の富士川はさざなみである。ちなみに東海道新幹線の鉄橋は70年耐用という設計で建設したというが、本数の増加にともない、それもあやういらしい。

普通電車豊橋行きは利用客が増えるばかりで、3両編成だったら、もっとひどい混雑になっていただろう。

由比(Yui)-興津(Okitsu)間は撮影しまくりで、まず逆向きに坐っている熟年の男性は富士山を撮り、そのあと私は“ニューイヤーオーシャン駿河湾”を撮影。そのあと、熟年の男性は再度、富士山を撮る具合だった。

“ニューイヤーオーシャン駿河湾”は清水を発車した直後で終了。進行方向左側には静岡鉄道静岡清水線が寄り添ってきた。ほぼ並行して走っており、“速達はJR東海、御近所輸送は静岡鉄道”という具合。地方私鉄ながら、全線複線は珍しい。

静岡でお客は入れ替わりの状態。ただ、乗車率はさっきより増した。

用宗(Mochimune)を発車すると、再び“ニューイヤーオーシャン駿河湾”。それもつかのまで、すぐさまトンネルへ。そこを抜けると、田畑が多くなる。やはり、静岡県はお茶どころだ。

焼津に到着し、焼津駅前郵便局があることに気づく。“降りたい”という気持ちが沸いているも、んー…

普通電車豊橋行きは山間部をゆき、昔は川越え人足がいないと渡れなかった大井川を渡る。下を眺めると、川越え人足の必要がないほど、川幅は狭い。増水したら、広いのだろうが…

大井川を越え、茶畑を通る。静岡県といえば、やっぱりお茶だ。

金谷は大井川鐵道大井川本線の乗り換え駅。ホームでは元近畿日本鉄道の特急車両が発車を待っている。

普通電車豊橋行きは掛川に到着し、下車。掛川郵便局で2002年最初の旅行貯金をしたあと、第3セクター、天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線へ。窓口で、みちくさきっぷ(片道のみの乗り降り自由の乗車券)を購入し、12時30分発の新所原行きワンマンカー(TH211:TH1形)に乗る。ちなみに車内に速度計がついていたが、作動しなかった。

発車して、しばらくは進行方向左側の東海道本線と並走し、右に曲がる。

車内はほどよく埋まり、ボックスシートは各1人お客がいたので、やむなくロングシートへ。西掛川でボックスシートが空いたので、移動するも、次の桜木で空席が少し目立つ。

すっかり田園地帯に入り、完全に田舎だ。そして、原谷でTH1形の掛川行きワンマンカーと行き違う。

乗車している車両はボックスシート&ロングシートのセミクロスシートで、エンジ色のシートモケット。ボックスシートはシートカバーがついている。

新所原行きワンマンカーはのんびりしたペースで走り、原田では一般道路の青信号と共に発車。クルマに抜かれてしまうものの、それほど速くはなく、ゆったりしたペースで進んでいる。車内はガラガラに近い状況になってきた。

遠州森は清水の次郎長に出てくる、森の石松の出身地らしい。清水の次郎長の家とはずいぶん、遠いところにある。ちなみに清水の次郎長は松方弘樹、森の石松は水谷豊が演じていたことがある。

森へさまようかのように走る新所原行きワンマンカーは遠江一宮(To-tohmi-Ichinomiya)に到着。TH3000形の掛川行きワンマンカーと行き違う。車椅子スペースやトイレがついた次世代車両である。

駅に着くごとに思うのは、木造の古い駅舎だということ。国鉄二俣線時代から有人駅だろうが、引き続き、使用されている。円熟味と年輪が増したと思うが、老朽化していないどうかが気になる。

天竜二俣で運転士が交代。私も進行方向右側のボックスシートから、左側へ移動。天候も曇ってしまった。

予想通り、遠州鉄道(鉄道線)乗り換え駅の西鹿島(West Kajima)ではお客の8割が入れ替わる。この時、とある一家3人はボックスシートに陣取るも、次の岩水寺(Gansuiji)でなぜかロングシートへ移動。旅をしているワケじゃないから、まぁーいいか。

宮口でTH1形の掛川行きワンマンカーと行き違い、発車すると、勾配を登ってゆき、次はフルーツパーク。ところが、想像とはウラハラにトンネルを抜けると、すぐ下り坂。目をこらして車窓を見ても、パークらしからぬ風景で、フルーツパークに到着。駅とその周辺は綺麗に整備されていた。田舎ステーションだが、浜松市都田町(Miyakoda Town)に所在する。

都田は駅舎内に薬屋があり、発車すると、みかん畑があるものの、実は落下していた。

金指(Kanasashi)で7分停車。行き違いはないものの、一部のお客は一服。ここから先の停車時間は短い。

乗車率は掛川発車時よりも盛況していたが、気賀で少し下車。ゆったり速度の新所原行きワンマンカーもフルスピードで駆け抜けると、神秘の泉、浜名湖が見えた。

西気賀は駅舎内にレストランがあるものの、クルマの利用が多いようだ。ドライブインにもなっているようである。また、都筑(Tsuzuki)は駅舎内にパン屋がある。

新所原行きワンマンカーは一旦、浜名湖を離れていたが、都筑を発車すると、レイクショー再開。Oh ビューティフル!! この“浜名湖レイクショー”が天竜浜名湖鉄道の武器である(画像は都筑-三ケ日間)。

東名高速のインターチェンジがある三ケ日(Mikkabi)で、TH1形の掛川行きワンマンカーと行き違い、発車すると、“浜名湖レイクショー”は終わりを告げた。

アスモ前を発車すると、東海道本線に合流し、終点新所原に到着した。

 ※天竜浜名湖鉄道ホームページ・・・http://www.tenhama.co.jp/

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