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Twitterダイジェスト 2011/06/26 [Twitter]
- wanderwriter30京葉線205系フェイスチェンジ車フォーエヴァー | http://bit.ly/lc07lj06/25 09:43
- wanderwriter30京葉線205系フェイスチェンジ車フォーエヴァー - 岸田法眼のRailway Blog.Season 7 http://bit.ly/jkw1LI #twitbackr06/25 09:44
- wanderwriter30電車の中で「がんぱっぺ福島!」ステッカーの赤いケータイを持つ男性を発見なう。おそらく、ふるさとなのでしょう。06/25 15:35
- wanderwriter30千代田線6000系5号車6716なう。6000系の編成組み替えが進んでいる模様。#railway #tokyometro #chiyoda06/25 15:54
- wanderwriter30初めてE2系1000番代フルカラーLED車を見たなう。#railway #JR #EAST #E206/25 16:26
- wanderwriter30本屋で某作家さんのローカル線本を購入なう。“読み待ち”の本がまた増えてしまう。これから読みまーす。06/25 17:37
- wanderwriter30列車内の読書はロングシートが一番いい。なぜならば、クロスシートは車窓に目がいくから。ちなみに旅先で読書することはありません。06/25 17:40
- wanderwriter30今年の父の日は、母の誕生日だった人はいますか? #1_100 #questionnaire06/25 19:31
- wanderwriter30メダカとエビを飼っているそうですが、種類はなんですか? #shitsumon06/25 19:31
- wanderwriter30スペインのアンダルシアに行ったとき、街路樹の葉はオレンジ色でしたか? #1_100 #questionnaire #spain #Andalusia06/25 19:36
- wanderwriter30スペインのアンダルシアに行ったことがある人はいますか? #1_100 #questionnaire #spain #Andalusia06/25 19:38
- wanderwriter30得意のモノマネを披露してください。#shitsumon #monomane06/25 19:39
- wanderwriter30インターネットを使ったことがない人はいますか? #1_100 #questionnaire06/25 19:39
- wanderwriter303人とも夏に備えて鍛えているそうですが、一番自信がある筋肉はどこですか? #shitsumon06/25 19:42
- wanderwriter30路上ライブをしたことがある人はいますか? #1_100 #questionnaire06/25 19:42
- wanderwriter30今年、普通自動車、自動二輪の免許を更新しましたが、金帯から青帯に戻った人はいますか? #1_100 #questionnaire #menkyo06/25 19:43
- wanderwriter30JR東日本201系フォーエヴァー - 岸田法眼のRailway Blog.Season 7 http://bit.ly/ifAJQJ #twitbackr #railway #jr #east #keiyo #forever http://twitpic.com/5gl2t406/25 19:46
- wanderwriter30京葉線205系フェイスチェンジ車フォーエヴァー - 岸田法眼のRailway Blog.Season 7 http://bit.ly/jkw1LI #twitbackr #railway #jr #east #keiyo #f http://twitpic.com/5gl4gy06/25 19:50
- wanderwriter30ラーメン食べてぇー!! http://bit.ly/lhcFBe06/25 19:58
- wanderwriter30ラーメン食いてぇー!! http://bit.ly/lHwkKX06/25 20:00
- wanderwriter30@kokurasaya こんばんワム。mixiボイスとの連携は、Twitterとは違った楽しみがあります。06/25 20:04
- wanderwriter30東京都蝶 #tokyo http://twitpic.com/5glbf306/25 20:06
- wanderwriter30「汽車」という言葉はひとつの文化です。その言葉を使うのは、お年寄りだけとは限りません。 RT @Kossun_E38: 年寄りだけでなく普通に使ってるのを知ってるから非公式RT @mosihama: いまだにお年寄りが電車を「汽車」と呼ぶのを聞いたことある人公式RT06/25 20:08
- wanderwriter30@kokurasaya 最近、諸事情によりTwitterの利用を減らしていますが、複数SNSの両立は難しいですね。片方向のほうが時間の節約になりますから。ハハハ(と苦笑い)。06/25 20:12
- wanderwriter30今日は、昨日とはうって変わって涼しかったぁー。宮脇氏の壮大な著書も終盤まで進みました(電車の中でしか読んでないけど)。#book #miyawaki06/25 20:16
- wanderwriter30@kokurasaya 無理すると、救急車のお世話になってしまいますので、ほどほどがいいですね(実際、無理して徹夜したため、倒れてしまった経験があります)。私は昔から神経質な性格なので……06/25 20:20
- wanderwriter30@windofdawn 実際、「汽車」という言葉は2000年3月、快速〈海峡〉の車内で若い女性が発していました。間近でその言葉を聞いたときは衝撃を受けましたが、“昔ながら”をカタクナに継承する人々の心を感じました。06/25 20:22
- wanderwriter30@kokurasaya 連携については、時間がかかりますので、30分あるいは1時間後にmixiへログインしてみてはいかがでしょうか。ちなみに、リプライはmixiボイスには連携されません。06/25 20:26
- wanderwriter3017時37分以降にツイートしたものは、いまもmixiボイスに転送されていません。最近のmixiは、ゴタゴタ続きだからなぁー。#mixi06/25 20:32
- wanderwriter30@kokurasaya よかったですね。御成功おめでとうございます。06/25 21:07
- wanderwriter30うらやましいです。 RT @tetsuani: 今日は一日中寝て酒飲んでDVD見て寝て。たまにはこんな日も必要です06/25 21:09
- wanderwriter30明日は1日中打ちっぱなしをします。06/25 21:13
- wanderwriter30早速拝見します。 RT @yoshidakiha: 【鉄道ブログ『モハよう de キハキハ』】更新しました! 下館駅の駅舎は心が落ち着く・・・ http://mohayo.blog50.fc2.com/blog-entry-215.html06/25 22:33
- wanderwriter30さようなら、首都圏最後の201系:四季・上野原&鉄道写真撮影記:So-netブログ http://t.co/oR16hmP06/25 22:44
京葉線205系フェイスチェンジ車フォーエヴァー [汽車旅2011番外編]
◆E331系を初めて見る
2011年6月11日(土曜日)15時38分、JR東日本京葉線海浜幕張3番線に各駅停車東京行き(8号車モハ204-317)が入線した。車両は急速に数を減らした205系フェイスチェンジ車である。この地に配属され、わずか22年でこうなってしまうとは想像もしていなかった。軽量ステンレス車体を見ると、腐食は見られないが、湾岸沿いを走る京葉線は、潮風や強風との闘いが壮絶なのだろう。
201系の乗車を終え、快速蘇我行きに乗って帰宅するつもりでいたが、まさかの展開に予定を変更する。これは京葉線地下区間の大半が単線シールドトンネルのため、すれ違ったことに気づかなかったからである。
1年ぶりに205系フェイスチェンジ車へ。シートモケットは優先席を除き、ブラウン系からベイエリアを意識したかのような色調に変わっている。ロングシートはバケットタイプではないが、着席区分をさりげなく表示しており、坐り心地はいい。着席区分が明確なバケットタイプを採用したものの、椅子のような坐り心地の209系が決して好評ではなかったことが、なんとなくわかる。
JR東日本所属の201系は、シートモケットを味気ない水色に変えてしまい、がっかりしたが、205系フェイスチェンジ車ならば、納得がいく色合いだ。ただ、後継車となるE233系5000番代のシートモケットは、209系と同じ色調だ。E233系は中央線用の暖色系シートモケットがいいだけに、なぜE233系1000番代以降は、ブルー系を選んだのだろうか?(E233系3000番代グリーン車のシートモケットは、赤と青の2種類)
さて、4番線にE233系5000番代の快速東京行きが到着。若干、各駅停車東京行きに乗り換える乗客がいたものの、多くは乗り続ける。車内は消灯されており、暗くて読書するには苦労しそうだ。また、曇天の空模様なのでLCDの明るさが目立つ。一方、各駅停車東京行きは車内灯をつけている。これは乗務員の判断によるもので、各駅停車東京行きの車掌は女性である。これは女性ならではの優しさなのだろうか。205系フェイスチェンジ車に、女性の乗務員は良く似合っている。
15時50分に発車。側扉の開閉音(チャイムではない)と発車時の音は201系と同一。そこから先は微妙に異なる。201系はカン高い感じだが、205系はトーンを少し抑えている。
高架を走り、京葉車両センターを眺める。遠くにはE331系の姿が見える。これは地平の下り線では確認することができず、高架ならではの発見だ。
実物のE331系を見るのは初めてだが、京葉車両センターで休んでいる日のほうが圧倒的に多い模様だ。E331系は14両連接車体という意欲的な車両で、E993系『ACトレイン』を営業用に発展させた感じを受けていた。将来は京葉線の主力車両として活躍するものと思われていたが、E233系5000番代が登場した以上、量産車は出ない可能性が高いだろう。できることなら、短命廃車にせず、京葉線内の団体輸送やイベント電車として、走らせるわけにはいかないだろうか。
◆増備終盤に登場したフェイスチェンジ車
205系は昭和60年(1985年)1月31日(木曜日)に落成し、国鉄初の軽量ステンレス車体、界磁添加励磁制御、ボルスタレス台車、在来線車両初の全電気指令式空気ブレーキシステムで登場した。205系はコスト高により採算があわず、増備を打ち切った201系の後継車として注目を集め、平成6年(1994年)まで1729両を新製した。これは201系(1018両)の約1.7倍である。
205系は山手線を皮切りに、東海道・山陽本線、阪和線、横浜線、埼京線など、順次投入路線を拡大していった。特にJR東日本は、分割民営化初期のイメージリーダーカーのような役目を担っていた。そして、京葉線にも投入されるわけだが、その前に同線の生い立ちを振り返ってみたい。
京葉線は、神奈川県川崎市塩浜から東京港、千葉臨海部の埋立地を経由し、千葉県木更津市へ向かう貨物線という青写真を描いていた。武蔵野線をつなげることによって、首都圏の貨物輸送円滑化を図り、東京都と千葉臨海工業地帯を結ぶバイパスルートというものだ。
昭和50年(1975年)5月10日(土曜日)、千葉貨物ターミナル(2000年3月31日で終了)―蘇我間が開業。ここから西へ延びることになるが、貨物の需要が低下し、沿線の埋立地は工業中心から、商業、住宅地、公園緑地といった“街”を中心としたものに方針転換をした。また、国鉄は総武本線東京・御茶ノ水―千葉間の輸送力に限界が近づいていたことを重く見て、京葉線を新たなバイパスルートに活用することを決断。昭和53年(1978年)9月、京葉線の旅客線変更及び、西船橋―蘇我間の認可を受けた。昭和58年(1983年)7月には品川埠頭―西船橋間の旅客線化が認可されているが、一部区間は東京臨海高速鉄道臨海副都心線に転用されている。
昭和61年(1986年)3月3日(月曜日)、京葉線西船橋―千葉貨物ターミナル間の延伸及び、西船橋―千葉港(現・千葉みなと)間の旅客輸送をスタートさせた。初代の旅客車両はスカイブルーの103系が務めた。
昭和63年(1988年)12月1日(木曜日)、新木場―南船橋間、市川塩浜―西船橋間が開業、千葉港―蘇我間は旅客化された。これにより、新木場―蘇我間は本線、市川塩浜・南船橋―西船橋間は支線という位置づけとなった。また、旅客輸送では武蔵野線との直通運転を開始している。それと同時に、JRグループでは初めてとなるATS-P型を京葉線に導入した。
新木場は同年6月8日(水曜日)、帝都高速度交通営団(以下、「営団地下鉄」。現・東京地下鉄)有楽町線が延伸開業(新富町―新木場間)しており、都心への新しいルートも誕生した。また、舞浜は東京ディズニーランド最寄り駅(当時、東京ディズニーシーはなかった)となり、営団地下鉄東西線浦安に比べ、利便性が格段に向上。併せて、167系の車内外をリニューアルした臨時快速〈メルヘン〉を大宮・立川―舞浜間で運行を開始するなど、“夢、希望、未来”が一体化した京葉線の延伸開業だった。
平成元年(1989年)11月、京葉線に205系が投入された。205系は201系よりもコストは優れていたものの、愛嬌のない素っ気ない顔立ちが難点だった。JR東日本は京葉線全通を控えていることもあり、フェイスチェンジのほか、側窓のバランサー方式の変更、モーターの点検蓋を省略、ATC非搭載もあって、乗務員室と客室の仕切り窓を若干拡大するなどの変更点を持つ。ちなみに京葉線用205系フェイスチェンジ車は、平成2年(1990年)2月まで12編成120両が一気に投入されたため、1度も増備されることはなかった。
平成2年(1990年)3月10日(土曜日)、京葉線は東京―新木場間の延伸開業により、全通した。また、全通のシンボルである205系フェイスチェンジ車も併せてデビューした。そして、濃厚なピンクの帯を採用し、京葉線のラインカラーとなる。ただし、京葉線の初代車両、103系はスカイブルーを貫き、2011年6月20日(月曜日)に201系が退役するまで、25年間にわたり、“昭和の京葉線”であることを強調した。もし、鋼製車体濃厚ピンク1色(赤14号)の103系や201系が存在していたら、どういうふうに映っていただろうか。
平成3年(1991年)3月16日(土曜日)のダイヤ改正で、エル特急(現・特急)〈さざなみ〉〈わかしお〉が京葉線経由に変更。これは3日後にデビューした特急〈成田エクスプレス〉の運転によるもので、バイパスとしての効果を発揮した。ただし、現在も東京ディズニーリゾート最寄り駅の舞浜を通過しているのが難点だ。ダイヤ上、停めるのが難しいのだろうか。また、同年12月1日(日曜日)には武蔵野線用205系フェイスチェンジ車がデビューし、編成単位の増備が終了した。ちなみに、最終増備車は横浜線増結用の6ドア車、サハ204形100番代だった(1994年11月に投入)。
205系フェイスチェンジ車は“京葉線の顔”に君臨したが、E233系5000番代の登場により、2010年度から廃車が発生している。まさか205系の中では、車齢が比較的若い京葉線用が先に廃車が発生し、進行するとは想像もつかなかっただろう。先述しているが、軽量ステンレス車体でも塩害には勝てないのだろうか? 海浜幕張で見る限り、軽量ステンレス車体が傷んでいるようには見えないのだが。
なお、相模線用205系500番代及び先頭車化改造車、JR西日本阪和線用205系1000番代は顔つきが異なるが、ここでいう「フェイスチェンジ車」は基本番代のみとさせていただく。
◆上り線の日中は快速待ち合わせなし
※次は新浦安
各駅停車東京行きは快走を続ける。進行方向左側は東京湾が見えるものの、ロングシートに坐ったままだと見づらい。特急〈さざなみ〉〈わかしお〉に乗るならば、進行方向左側の座席の窓側に坐って楽しみたいところだ。
新浦安は4番線ではなく、3番線に到着。日中の下り線はここで各駅停車と快速が顔を合わせるが、上り線はそれがない(ただし、特急の通過待ちを行なう場合がある)。このため、日中の各駅停車は、所要時間に大きなバラつきが生じている。
舞浜で東京ディズニーリゾートからの帰宅客だろうか、多く乗って車内は満員御礼となる。
※次は新木場
葛西臨海公園を発車すると、荒川を渡る。京葉線で1番お気に入りの車窓だ。初めて京葉線を利用したとき、この区間の車窓に衝撃を受けた。遠くの東京湾を眺め、果てしない大海原を見ると心がやすらぐし、“このまま航海をすると、どこへ行くのだろう?”という好奇心が生まれてくる。「まさか」と言っては失礼だが、東京23区内で、素敵な車窓にめぐり合うことができるとは。
荒川を渡り終えると、進行方向左側に東京地下鉄新木場車両基地があり、千代田線6000系を発見。リニューアル工事を受けるのか、あるいは16000系フェイスチェンジ車(運転台を広く取る地下鉄電車ならではのスタイルに戻っている。また、前頭部の方向LEDを大型化し、種別と行先を別々から一体表示に変えている)投入に伴う廃車のいずれかであろう。
※コンデジで撮影
※デジイチで撮影
潮見を発車すると、地下へもぐり、16時26分、終点東京地下京葉線3番線に到着した。この電車は折り返し、快速蘇我行きとなり、16時32分に発車。地下に響き渡る轟音を耳に焼きつけた。ちなみに京葉線千葉みなと―蘇我間は、「電車特定区間」に認定されていない。これは、“千葉みなとは「千葉」に等しい”ことや、外房線千葉―蘇我間は電車特定区間ではないことが考えられる。
★備考
①eyeVio「中央線201系フォーエヴァー THE MOVIE」
②鉄道ニュース「E233系5000番台が営業運転を開始」
③参考資料として、イカロス出版刊行、『国鉄型車両の系譜シリーズ10 形式205系』を使用。
④参考資料として、鉄道ジャーナル社刊行、『鉄道ジャーナル』1985年12月号、1990年3・5月号、1992年2月号をそれぞれ使用。
⑤参考資料として、鉄道ジャーナル社刊行、『年鑑日本の鉄道』1989年版を使用。
⑥参考資料として、鉄道ジャーナル社刊行、『日本の鉄道全路線3 JR東京圏』を使用。
⑦You Tube「Every Little Thing - Face the change」
⑧岸田法眼のRailway Blog.「JR東日本201系フォーエヴァー」
⑨岸田法眼のRailway Voice.「京葉線205系フェイスチェンジ車フォーエヴァー Voice Version.」
2011年6月11日(土曜日)15時38分、JR東日本京葉線海浜幕張3番線に各駅停車東京行き(8号車モハ204-317)が入線した。車両は急速に数を減らした205系フェイスチェンジ車である。この地に配属され、わずか22年でこうなってしまうとは想像もしていなかった。軽量ステンレス車体を見ると、腐食は見られないが、湾岸沿いを走る京葉線は、潮風や強風との闘いが壮絶なのだろう。
各駅停車東京行き編成表 | |||||
乗車区間 | 号車 | 車両番号 | 禁煙 | 備考 | |
東京 | 1 | クハ204- | 117 | ○ | なし |
2 | モハ204- | 319 | ○ | なし | |
3 | モハ205- | 319 | ○ | なし | |
4 | サハ205- | 195 | ○ | 弱冷房車 | |
5 | モハ204- | 318 | ○ | なし | |
6 | モハ205- | 318 | ○ | なし | |
7 | サハ205- | 194 | ○ | なし | |
8 | モハ204- | 317 | ○ | なし | |
9 | モハ205- | 317 | ○ | なし | |
海浜幕張 | 10 | クハ205- | 117 | ○ | なし |
201系の乗車を終え、快速蘇我行きに乗って帰宅するつもりでいたが、まさかの展開に予定を変更する。これは京葉線地下区間の大半が単線シールドトンネルのため、すれ違ったことに気づかなかったからである。
1年ぶりに205系フェイスチェンジ車へ。シートモケットは優先席を除き、ブラウン系からベイエリアを意識したかのような色調に変わっている。ロングシートはバケットタイプではないが、着席区分をさりげなく表示しており、坐り心地はいい。着席区分が明確なバケットタイプを採用したものの、椅子のような坐り心地の209系が決して好評ではなかったことが、なんとなくわかる。
JR東日本所属の201系は、シートモケットを味気ない水色に変えてしまい、がっかりしたが、205系フェイスチェンジ車ならば、納得がいく色合いだ。ただ、後継車となるE233系5000番代のシートモケットは、209系と同じ色調だ。E233系は中央線用の暖色系シートモケットがいいだけに、なぜE233系1000番代以降は、ブルー系を選んだのだろうか?(E233系3000番代グリーン車のシートモケットは、赤と青の2種類)
さて、4番線にE233系5000番代の快速東京行きが到着。若干、各駅停車東京行きに乗り換える乗客がいたものの、多くは乗り続ける。車内は消灯されており、暗くて読書するには苦労しそうだ。また、曇天の空模様なのでLCDの明るさが目立つ。一方、各駅停車東京行きは車内灯をつけている。これは乗務員の判断によるもので、各駅停車東京行きの車掌は女性である。これは女性ならではの優しさなのだろうか。205系フェイスチェンジ車に、女性の乗務員は良く似合っている。
15時50分に発車。側扉の開閉音(チャイムではない)と発車時の音は201系と同一。そこから先は微妙に異なる。201系はカン高い感じだが、205系はトーンを少し抑えている。
高架を走り、京葉車両センターを眺める。遠くにはE331系の姿が見える。これは地平の下り線では確認することができず、高架ならではの発見だ。
実物のE331系を見るのは初めてだが、京葉車両センターで休んでいる日のほうが圧倒的に多い模様だ。E331系は14両連接車体という意欲的な車両で、E993系『ACトレイン』を営業用に発展させた感じを受けていた。将来は京葉線の主力車両として活躍するものと思われていたが、E233系5000番代が登場した以上、量産車は出ない可能性が高いだろう。できることなら、短命廃車にせず、京葉線内の団体輸送やイベント電車として、走らせるわけにはいかないだろうか。
◆増備終盤に登場したフェイスチェンジ車
205系は昭和60年(1985年)1月31日(木曜日)に落成し、国鉄初の軽量ステンレス車体、界磁添加励磁制御、ボルスタレス台車、在来線車両初の全電気指令式空気ブレーキシステムで登場した。205系はコスト高により採算があわず、増備を打ち切った201系の後継車として注目を集め、平成6年(1994年)まで1729両を新製した。これは201系(1018両)の約1.7倍である。
205系は山手線を皮切りに、東海道・山陽本線、阪和線、横浜線、埼京線など、順次投入路線を拡大していった。特にJR東日本は、分割民営化初期のイメージリーダーカーのような役目を担っていた。そして、京葉線にも投入されるわけだが、その前に同線の生い立ちを振り返ってみたい。
京葉線は、神奈川県川崎市塩浜から東京港、千葉臨海部の埋立地を経由し、千葉県木更津市へ向かう貨物線という青写真を描いていた。武蔵野線をつなげることによって、首都圏の貨物輸送円滑化を図り、東京都と千葉臨海工業地帯を結ぶバイパスルートというものだ。
昭和50年(1975年)5月10日(土曜日)、千葉貨物ターミナル(2000年3月31日で終了)―蘇我間が開業。ここから西へ延びることになるが、貨物の需要が低下し、沿線の埋立地は工業中心から、商業、住宅地、公園緑地といった“街”を中心としたものに方針転換をした。また、国鉄は総武本線東京・御茶ノ水―千葉間の輸送力に限界が近づいていたことを重く見て、京葉線を新たなバイパスルートに活用することを決断。昭和53年(1978年)9月、京葉線の旅客線変更及び、西船橋―蘇我間の認可を受けた。昭和58年(1983年)7月には品川埠頭―西船橋間の旅客線化が認可されているが、一部区間は東京臨海高速鉄道臨海副都心線に転用されている。
昭和61年(1986年)3月3日(月曜日)、京葉線西船橋―千葉貨物ターミナル間の延伸及び、西船橋―千葉港(現・千葉みなと)間の旅客輸送をスタートさせた。初代の旅客車両はスカイブルーの103系が務めた。
昭和63年(1988年)12月1日(木曜日)、新木場―南船橋間、市川塩浜―西船橋間が開業、千葉港―蘇我間は旅客化された。これにより、新木場―蘇我間は本線、市川塩浜・南船橋―西船橋間は支線という位置づけとなった。また、旅客輸送では武蔵野線との直通運転を開始している。それと同時に、JRグループでは初めてとなるATS-P型を京葉線に導入した。
新木場は同年6月8日(水曜日)、帝都高速度交通営団(以下、「営団地下鉄」。現・東京地下鉄)有楽町線が延伸開業(新富町―新木場間)しており、都心への新しいルートも誕生した。また、舞浜は東京ディズニーランド最寄り駅(当時、東京ディズニーシーはなかった)となり、営団地下鉄東西線浦安に比べ、利便性が格段に向上。併せて、167系の車内外をリニューアルした臨時快速〈メルヘン〉を大宮・立川―舞浜間で運行を開始するなど、“夢、希望、未来”が一体化した京葉線の延伸開業だった。
平成元年(1989年)11月、京葉線に205系が投入された。205系は201系よりもコストは優れていたものの、愛嬌のない素っ気ない顔立ちが難点だった。JR東日本は京葉線全通を控えていることもあり、フェイスチェンジのほか、側窓のバランサー方式の変更、モーターの点検蓋を省略、ATC非搭載もあって、乗務員室と客室の仕切り窓を若干拡大するなどの変更点を持つ。ちなみに京葉線用205系フェイスチェンジ車は、平成2年(1990年)2月まで12編成120両が一気に投入されたため、1度も増備されることはなかった。
平成2年(1990年)3月10日(土曜日)、京葉線は東京―新木場間の延伸開業により、全通した。また、全通のシンボルである205系フェイスチェンジ車も併せてデビューした。そして、濃厚なピンクの帯を採用し、京葉線のラインカラーとなる。ただし、京葉線の初代車両、103系はスカイブルーを貫き、2011年6月20日(月曜日)に201系が退役するまで、25年間にわたり、“昭和の京葉線”であることを強調した。もし、鋼製車体濃厚ピンク1色(赤14号)の103系や201系が存在していたら、どういうふうに映っていただろうか。
平成3年(1991年)3月16日(土曜日)のダイヤ改正で、エル特急(現・特急)〈さざなみ〉〈わかしお〉が京葉線経由に変更。これは3日後にデビューした特急〈成田エクスプレス〉の運転によるもので、バイパスとしての効果を発揮した。ただし、現在も東京ディズニーリゾート最寄り駅の舞浜を通過しているのが難点だ。ダイヤ上、停めるのが難しいのだろうか。また、同年12月1日(日曜日)には武蔵野線用205系フェイスチェンジ車がデビューし、編成単位の増備が終了した。ちなみに、最終増備車は横浜線増結用の6ドア車、サハ204形100番代だった(1994年11月に投入)。
205系フェイスチェンジ車は“京葉線の顔”に君臨したが、E233系5000番代の登場により、2010年度から廃車が発生している。まさか205系の中では、車齢が比較的若い京葉線用が先に廃車が発生し、進行するとは想像もつかなかっただろう。先述しているが、軽量ステンレス車体でも塩害には勝てないのだろうか? 海浜幕張で見る限り、軽量ステンレス車体が傷んでいるようには見えないのだが。
なお、相模線用205系500番代及び先頭車化改造車、JR西日本阪和線用205系1000番代は顔つきが異なるが、ここでいう「フェイスチェンジ車」は基本番代のみとさせていただく。
◆上り線の日中は快速待ち合わせなし
※次は新浦安
各駅停車東京行きは快走を続ける。進行方向左側は東京湾が見えるものの、ロングシートに坐ったままだと見づらい。特急〈さざなみ〉〈わかしお〉に乗るならば、進行方向左側の座席の窓側に坐って楽しみたいところだ。
新浦安は4番線ではなく、3番線に到着。日中の下り線はここで各駅停車と快速が顔を合わせるが、上り線はそれがない(ただし、特急の通過待ちを行なう場合がある)。このため、日中の各駅停車は、所要時間に大きなバラつきが生じている。
舞浜で東京ディズニーリゾートからの帰宅客だろうか、多く乗って車内は満員御礼となる。
※次は新木場
葛西臨海公園を発車すると、荒川を渡る。京葉線で1番お気に入りの車窓だ。初めて京葉線を利用したとき、この区間の車窓に衝撃を受けた。遠くの東京湾を眺め、果てしない大海原を見ると心がやすらぐし、“このまま航海をすると、どこへ行くのだろう?”という好奇心が生まれてくる。「まさか」と言っては失礼だが、東京23区内で、素敵な車窓にめぐり合うことができるとは。
荒川を渡り終えると、進行方向左側に東京地下鉄新木場車両基地があり、千代田線6000系を発見。リニューアル工事を受けるのか、あるいは16000系フェイスチェンジ車(運転台を広く取る地下鉄電車ならではのスタイルに戻っている。また、前頭部の方向LEDを大型化し、種別と行先を別々から一体表示に変えている)投入に伴う廃車のいずれかであろう。
※コンデジで撮影
※デジイチで撮影
潮見を発車すると、地下へもぐり、16時26分、終点東京地下京葉線3番線に到着した。この電車は折り返し、快速蘇我行きとなり、16時32分に発車。地下に響き渡る轟音を耳に焼きつけた。ちなみに京葉線千葉みなと―蘇我間は、「電車特定区間」に認定されていない。これは、“千葉みなとは「千葉」に等しい”ことや、外房線千葉―蘇我間は電車特定区間ではないことが考えられる。
★備考
①eyeVio「中央線201系フォーエヴァー THE MOVIE」
②鉄道ニュース「E233系5000番台が営業運転を開始」
③参考資料として、イカロス出版刊行、『国鉄型車両の系譜シリーズ10 形式205系』を使用。
④参考資料として、鉄道ジャーナル社刊行、『鉄道ジャーナル』1985年12月号、1990年3・5月号、1992年2月号をそれぞれ使用。
⑤参考資料として、鉄道ジャーナル社刊行、『年鑑日本の鉄道』1989年版を使用。
⑥参考資料として、鉄道ジャーナル社刊行、『日本の鉄道全路線3 JR東京圏』を使用。
⑦You Tube「Every Little Thing - Face the change」
⑧岸田法眼のRailway Blog.「JR東日本201系フォーエヴァー」
⑨岸田法眼のRailway Voice.「京葉線205系フェイスチェンジ車フォーエヴァー Voice Version.」
観客動員数385萬人突破記念!! さぁー、みんなで『鉄道のテクノロジーVol.11』を買いに行こう!! [公式執筆記録-私の作品-]
毎度、御利用いただきまして、ありがとうございます。
2005年11月11日(金曜日)に開幕したRailway Blogは、2011年6月19日(日曜日)23時台に観客動員数385萬人を突破しました。どうもありがとうございます。
本日、『鉄道のテクノロジーVol.11』(三栄書房刊行)の発売日です。私の執筆記事は次の通りです。
◆126ページ
「岸田法眼の鉄道徒然草
第6回 栃木~東京を結ぶ“ふるさとのロマンスカー”
-急行『りょうもう』は1800系がよく似合う-」
実は前号から特集に合わせなくてもいいことになり、そのときは編集部の御提案でJR西日本419系を執筆しましたが、今回は色々と協議の末、東武鉄道1800系を取り上げています。ちなみに、意外と思われるかもしれませんが、メディアで私鉄記事を執筆するのは3年ぶりです。
雑誌は多くのスタッフの皆様の総力を結集して作られております。御購入いただきますよう、お願い申し上げます。
さぁー、みんなで買いに行こう!!
完売の際は御容赦ください。また、「nice!」を押される方、コメントやトラックバックをされる方は、お買い求めいただきますよう、重ねてお願い申し上げます。
★今回、御紹介した商品のおさらい
『鉄道のテクノロジーVol.11』
(三栄書房刊行)
定価:本体2,000円(プラス消費税)
雑誌コード:61690-44
ISBN:978-4-7796-1252-7
※表紙の画像は、出版社の許諾を得ています。また、掲載の記事本文や写真など、一切の無断転載を禁じます(Railway Blogの記事も含みます)。
★備考
①三栄書房ホームページ
②書泉ホームページ
③岸田法眼のRailway Blog.「1800系備考一覧」
◆観客動員数383萬人から385萬人までのあしあと
・2011年6月15日(水曜日)…383萬1000人突破
・2011年6月15日(水曜日)…383萬2000人突破
・2011年6月15日(水曜日)…383萬3000人突破
・2011年6月16日(木曜日)…383萬4000人突破
・2011年6月16日(木曜日)…383萬5000人突破
・2011年6月16日(木曜日)…383萬6000人突破
・2011年6月16日(木曜日)…383萬7000人突破
・2011年6月17日(金曜日)…383萬8000人突破
・2011年6月17日(金曜日)…383萬9000人突破
・2011年6月17日(金曜日)…384萬人突破!!
・2011年6月17日(金曜日)…384萬1000人突破
・2011年6月17日(金曜日)…384萬2000人突破
・2011年6月17日(金曜日)…384萬3000人突破
・2011年6月18日(土曜日)…384萬4000人突破
・2011年6月18日(土曜日)…384萬5000人突破
・2011年6月18日(土曜日)…384萬6000人突破
・2011年6月18日(土曜日)…384萬7000人突破
・2011年6月19日(日曜日)…384萬8000人突破
・2011年6月19日(日曜日)…384萬9000人突破
・2011年6月19日(日曜日)…385萬人突破!!
Twitterダイジェスト 2011/06/20 [Twitter]
- wanderwriter30グータァーッチ!! RT @jotenbrave: ありがとう!RT @yumi1623kk: o('・ω・')o!! RT @jotenbrave: 乗り遅れたー。グータッチo(`・ω・´)oo(`・ω・´)o #kyojin #giants06/19 17:56
- wanderwriter30グータァーッチ!! RT @masukonnoti: o(`・ω・´)oぐーたっち RT @momo_g_love o(`・ω・´)o RT @HgWindoww: o(`・ω・´)o RT @yoshikiy810: 現地から喜びのグータッチ!o(`・ω・´)o #giants06/19 17:56
- wanderwriter30グーターッチRT @lovekame9:もう一丁o(^-^)o RT @_eijikun:オイラもo(`・ω・´)o RT @yumi1623kk: o('・ω・')o!! RT @jotenbrave:乗り遅れたー。グータッチo(`・ω・´)oo(`・ω・´)o #giants06/19 17:57
- wanderwriter30今は「巨人、白鵬、道場六三郎の店」といったところ。#giants #npb #baseball06/19 17:59
- wanderwriter30Twitterダイジェスト 2011/06/19 - 岸田法眼のRailway Blog.Season 7 http://bit.ly/lE78NK #twitbackr06/19 18:08
- wanderwriter30三鉄全面復旧へ 国補助率4分の3に http://t.co/9Y08rvB←本当にホッとしました。#railway #iwate #sanriku06/19 18:12
- wanderwriter30現在、心身の不調により、体調はかんばしくありませんが、追い詰められない範囲で頑張ります。ベランダに出ると、下見ちゃんだよなぁー。06/19 18:21
- wanderwriter30そうですね。そうします。 RT @snow_makeup: うつ病(鬱病、気分障害)の簡単な対処法いろいろ / 自分のことを第一に考えましょう http://p.tl/nnjW / 18:3606/19 18:37
- wanderwriter30屋代線ですか?(クルマの中でしたら失礼しました) RT @ebitks: ただ今屋代。下道もノロノロ…(汗)。06/19 18:42
- wanderwriter30なりゆきを決然と生きる。06/19 19:37
- wanderwriter30「JR北海道 特急でまた白煙騒ぎ」 http://t.co/yweSJbn #yjfc_japan_railway (JRグループ)←どうして次から次へとトラブルが発生するのだろうか? #railway #jr #hokkaido06/19 22:14
- wanderwriter30そのとおりです。 RT @HIROKI1111dtuni: 今季1番いい試合 #giants06/19 22:43
- wanderwriter30味わい深いですね。特に右側の時計が「昭和」という時代を語っていますね。 RT @fuzzy_studio: 昭和49年11月23日特急「日本海」大阪定時到着 http://bit.ly/mvniFt http://bit.ly/lNC8VB06/19 22:51
- wanderwriter30お疲れ様です。 RT @ebitks: ただ今川越。目が覚めたら鶴ヶ島を過ぎていた。この先三芳PAで再び運転交替。06/19 23:07
Twitterダイジェスト 2011/06/19 [Twitter]
- wanderwriter30Twitterダイジェスト 2011/06/18 - 岸田法眼のRailway Blog.Season 7 http://bit.ly/ifjXNq #twitbackr06/18 07:39
- wanderwriter30青梅特快青梅行きなう。長年、中央線に乗っているが、車掌の自己紹介を初めて聞いた。06/18 13:11
- wanderwriter30男性です。ちなみに、千葉支社は自己紹介をする車掌さんが多いですねぇー。 RT @jazzorgan2000: へえー。どんな人でしたかー? “@wanderwriter30: 青梅特快青梅行きなう。長年、中央線に乗っているが、車掌の自己紹介を初めて聞いた。”06/18 16:16
- wanderwriter30入場券は客室内に立ち入ってはいけない規則なので、おかしな放送ですね。 RT @eearthwormm: 「車内でお見送りのお客様、そろそろホームへお願いします」とな。これもはじめて聞いたよ。06/18 16:54
- wanderwriter30@eearthwormm ただし、乗車券はいいのですが、駅員さんはどういう意味で案内したのかが謎といったところです。06/18 16:56
- wanderwriter30予報どおりです。 RT @yasuireiko: がーん、雨ー。06/18 17:18
- wanderwriter30揖保の糸のCMキャラは京野ことみが引き継いだ模様。#somen #ibonoito06/18 17:46
- wanderwriter30ただいま関東地方で地震が発生しました。#jishin06/18 18:58
- wanderwriter30また地震…… #jishin06/18 20:34
- wanderwriter30やったぁー!! 巨人圧勝!! 爆勝だぁー!! #baseball #npb #giants06/18 20:40
- wanderwriter30やっぱり野球は先発完投です。#baseball #npb #giants06/18 21:21
Twitterダイジェスト 2011/06/18 [Twitter]
- wanderwriter30不本意だとは思いますが、受け入れざるを得ないでしょう。 RT @tamatama2: 関電 JR西に運転本数削減など要請 - MSN産経ニュース http://bit.ly/ltfK7k06/17 21:14
- wanderwriter30JR北海道、JR九州、西鉄の各社は心配です。正直、悲しいです。#railway #jr #hokkaido #kyushu #nishitetsu06/17 21:18
- wanderwriter30お疲れ様です。 RT @sonical405: そろそろ帰りますかね06/17 21:19
- wanderwriter30北海道名寄市に行ったことがある人はいますか? #1_100 #questionnaire #hokkaido #nayoro06/17 21:20
- wanderwriter30はまっている食べ物や調味料はありますか? #shitsumon06/17 21:21
- wanderwriter30チャーハンにソースをかけて食べる人はいますか? #1_100 #questionnaire06/17 21:21
- wanderwriter30休みの日は、なにをして過ごしていますか? #1_100 #questionnaire06/17 21:21
- wanderwriter30あなたは4人兄弟の長女ですか? #1_100 #questionnaire06/17 21:22
- wanderwriter30プライベートのタモリさんを見たことがある人はいますか? #1_100 #questionnaire #tamori06/17 21:23
- wanderwriter30三陸鉄道の3カ月<上> 3年で復旧させたい - 毎日jp(毎日新聞) http://t.co/GC0ZuvC via @mainichijpnews←国が支援するかどうかはわかりませんが、早期復旧を願っています。#railway #sanriku #iwate06/17 21:29
- wanderwriter30玄海原発:佐賀知事、再開に前向き発言…慎重姿勢から一転 - 毎日jp(毎日新聞) http://t.co/qe69K5A via @mainichijpnews←私は原発について、賛成も反対もしていません。原発について、もっと知る必要があるからです。あと疑問もあるけど。06/17 21:32
- wanderwriter30お疲れ様です。あと27分で22時です。予定通りの終了をお祈りいたします。 RT @kokurasaya: この仕事は22時までに終わらせる!06/17 21:33
- wanderwriter30それでは、このへんで失礼いたします。明日、あさっては野球でツイートするかもしれないけど。#baseball #npb #giants06/17 21:46
- wanderwriter30おかえりなさいませ。 RT @sonical405: 帰宅なう06/17 21:46
観客動員数383萬人突破!! [鉄道評論]
毎度、御利用いただきまして、ありがとうございます。
2005年11月11日(金曜日)に開幕したRailway Blogは、2011年6月14日(火曜日)に観客動員数383萬人を突破しました。どうもありがとうございます。
◆さすらいの諸国漫遊記57シリーズ目次一覧
・さすらいの諸国漫遊記57-初日・2日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-20
・さすらいの諸国漫遊記57-3日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-27
・さすらいの諸国漫遊記57-4日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-29
・さすらいの諸国漫遊記57-5日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-05
・さすらいの諸国漫遊記57-6日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-09
・さすらいの諸国漫遊記57-千秋楽
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-12
・ちゅらさん
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-14
◆2011年6月10日(金曜日)から6月14日(火曜日)までのmixi日記
■6月10日(金曜日)
きかんしゃトーマス
●「きかんしゃトーマス」実写版の企画が進行中!! 「シュレック」スタッフも参加
(mixiニュースより)
“きかんしゃトーマス”こと、815系。車内は“ザブトングシート”です。
このザブトングシートについて、詳細は割愛しますが、実際に乗ってみればわかると思います。ちなみに、ザブトングシートは815系のほか、303系や813系篠栗線・筑豊本線用の中間車にもあります。
■6月13日(月曜日)
あしあと機能を変えるべきではない!!
mixiのあしあと機能が変わりました。わかりにくくなりましたねぇー。リアルタイムあしあとのままでよかったと思うんだけどなぁー。
■6月13日(月曜日)
mixi自虐ネタ?!
●mixi、「足あと」機能を「先週の訪問者」に変更
(mixiニュースより)
mixiは自信を持って、プレスリリースを出しているようですが、改悪反対コミュが多数発生しているので、“ユーザーの声”を真摯に受け止めてほしいですね。以前、あらゆる機能をつけたらクレームの嵐で見直しをしていた時期があるのだから。
リアルタイムで訪問者が掲示されないのは、ストレスがたまります。これではトラブルや刑事事件が発生しても不思議ではない。
■6月14日(火曜日)
ニッキーマウス
2011年6月11日(土曜日)、オータム葉原のヨドバシカメラ2階へ。そこはパソコン周辺機器を置いてある。
ここ数か月ほど、マウスの調子が悪い。中央にあるガラガラ回すヤツに不具合が生じ、下へ行かないのだ。これだとストレスはたまるし、効率の悪さにもつながる。本当はテレ朝の『雑学王』で見たノートパソコンの熱を逃がすスノコのようなものを買いたかったのだが、置いていないみたい。
最近のマウスは、小型化やコードレスタイプがあり、「隔世の感」や「浦島太郎」という言葉が当てはまるが、私が選んだのはマウスパッド不要のタイプである。色は思い切ってゴールドを選んだ。
帰宅して早速つけ替える。ちっちゃいので慣れるのに少し苦労したが、操作が格段に向上し、ストレスがたまらなくなった。
◆観客動員数381萬人から383萬人までのあしあと
・2011年6月7日(火曜日)…381萬1000人突破
・2011年6月8日(水曜日)…381萬2000人突破
・2011年6月8日(水曜日)…381萬3000人突破
・2011年6月8日(水曜日)…381萬4000人突破
・2011年6月9日(木曜日)…381萬5000人突破
・2011年6月9日(木曜日)…381萬6000人突破
・2011年6月9日(木曜日)…381萬7000人突破
・2011年6月10日(金曜日)…381萬8000人突破
・2011年6月10日(金曜日)…381萬9000人突破
・2011年6月10日(金曜日)…382萬人突破!!
・2011年6月11日(土曜日)…382萬1000人突破
・2011年6月11日(土曜日)…382萬2000人突破
・2011年6月12日(日曜日)…382萬3000人突破
・2011年6月12日(日曜日)…382萬4000人突破
・2011年6月12日(日曜日)…382萬5000人突破
・2011年6月13日(月曜日)…382萬6000人突破
・2011年6月13日(月曜日)…382萬7000人突破
・2011年6月14日(火曜日)…382萬8000人突破
・2011年6月14日(火曜日)…382萬9000人突破
・2011年6月14日(火曜日)…383萬人突破!!
さすらいの諸国漫遊記57-千秋楽 [汽車旅2004]
◆下記の記事をまだ御覧になっていない方は、下記のURLをクリックしてください。
・さすらいの諸国漫遊記57-初日~5日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-08
・さすらいの諸国漫遊記57-6日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-09
2004年8月25日(水曜日)、“日本完全制覇の旅”は、ついに千秋楽を迎えた。夏のメイン旅は3年連続6泊7日となったが、今回に関しては“このまま離れるのが惜しいな”という気分だ。
琉球上陸後はパッとした快晴に恵まれず、常に台風情報と隣り合わせの日々が続いた。御存知の通り、2004年は幾度も琉球に台風が上陸し、観光客の数は過去最高記録を更新したものの、目標の525萬人には届かなかった。
そういう不安を抱えつつも、大雨が降らなかったのはさいわいで、この日は私が待ち望んでいたP-KAN!! 「台風」という言葉を忘れさせるほどのイイ天気で、ついに琉球の“てぃだ”が、この目で見られる。
3連泊した宿をチェックアウトする。カード払いができないため、現金で支払う。このため、前日、那覇中央郵便局でおろしたワケだが、1泊3,500円ながら、冷蔵庫がない以外はビジネスホテルのシングルと遜色がないほどイイ宿だ。シングルではあるが、トリプルルームにあてられ、広々と過ごした。那覇市内は泊まれるインターネットカフェをまったく見かけなかったので、お泊り場所は必ず確保しないと悲惨な思いをする。
泊ふ頭郵便局で、この旅最後の旅行貯金。建物の後方には、泊大橋が美しく見える。待ち望んでいた琉球の青空は、私の心を充実させる。
笑顔でいられるのはここまで。宿の最寄り駅からはゆいレールに乗って、終点那覇空港へ向かう。
この旅、最後の大難関は、普段から“天敵”としているヒコーキ。某プロ野球解説者は、琉球と外国以外は絶対に鉄道移動する主義で、私もそれと同じワケだ。ちなみに2005年2月の巨人キャンプ取材で、日テレのスタッフはわざわざ新八代駅で待ち構えたが、某プロ野球解説者は九州新幹線経由で宮崎へ向かったためである。九州新幹線開業により、小倉で乗り換えるより、こちらのルートが早く着くのだろうか?(現在は新八代で、高速バス〈B&Sみやざき〉に乗り換えると、宮崎に早く着く)
私がヒコーキを嫌う理由は、根っからの高所恐怖症であることや、昭和60年(1985年)8月に発生した日航機の墜落事故で、信用しなくなったからだ。あとは離着陸の傾斜が心臓に悪く、コワイのりものだ。周囲には、「①墜落する。②ハイジャックされる。③ニアミスが起こる。④テロの道具に使われる」などと言っており、“ヒコーキ嫌い”というイメージが定着しているようだ。
今回、ヒコーキ嫌いの私は平成元年(1989年)7月以来、15年ぶりに乗ることになった。と言うより、「乗らざるを得ない」と言ったほうが正しいだろう。ちなみに、自分の意志でヒコーキに乗るのは初めてである。
ヒコーキを選ばざるを得なかった理由は、本州へ向かう定期航路は1本もなく、週1日程度の運航であることや、復路も同じルートで帰るとなると時間がかかってしまう。それに遅れてしまえば、スケジュールがゴチャゴチャになってしまう。
さて、ヒコーキの発車まで、ずいぶん時間があるというのに、“乗り方”がまったくわからない私は、とりあえず搭乗手続きを行なう。これをやらないことには乗れないワケだが、すでにヒコーキ代は銀行に振り込んでいる。実を言うと、振込先支店を見た時、“オレオレサギ”じゃないかと不安になったが、インターネットで確認すると、ちゃんと支払済みであることが証明され、ホッとした。ちなみに、私は8月生まれなので、バースデー早割12,050円というバーゲン価格で乗れた。但し、ノーマル座席なのに先着何人という方式は気に入らない。バースデー早割はすべての座席に適用すべきではないか。これはよそのヒコーキ会社にも言えることだ。
ところが、正規の料金というワケではないため、自動搭乗手続き機で手続きができず、窓口でやってもらうなど、四苦八苦。
「窓側にしますか? 通路側にしますか?」
と窓口のお姉ちゃんにきかれ、私の頭は混乱する。だいたい、乗る便は決まっても、席が決まっていないとは、ヒコーキは“考えられない世界”だ。ちなみに、私は迷わず窓側を選び、なんとか搭乗手続きを済ませることに成功した。
時間はまだあるので、搭乗に向けて、空港見物。前日、石垣島への便は全便欠航していたそうで、この日は臨時便を出すなど、“那覇空港に取り残された人たち”を救済。石垣島に行けなければ、行きたかった小浜島には行けないワケで、予算の都合で断念したのが“不幸中のさいわい”となった。
ということは、この日は台風による欠航は1便もなく、よほどのことがない限り、無事に帰京できることは確実となったが、「東京行き」の案内に戸惑う。行先は羽田空港であることは誰でもわかることだろうが、「羽田行き」にしないのはなぜなのか疑問だった。これについては、数時間後に解けたが、これはのちほど明かすことにする。
10時を過ぎると、本州からのヒコーキが到着したので、観光客らでいっぱいになる。多くはリムジンバスを利用しているようだ。ゆいレールを利用する人もいるが、思ったほど多くない。しかし、琉球新報ホームページによると、ここ数か月の利用は安定(3萬人以上)しているそうで、赤字ではないらしい。
私は那覇空港内のおみやげ屋に寄る。お世話様になっている方が多いので、同じ品物をいくつも買わなければならない。実家へ買うのは当たり前で、お世話様になっている方へ贈るのはゴマスリや業務命令ではなく、日頃の感謝の気持ちである。そういう“マメな性格”と思われているせいか、血液型をA型とカン違いされるが、私はO型である。O型は“忠義の心”を持っているようで、義理堅く、おせっかいが大好きな性分らしい。
おみやげは迷う。なるべく、“安くてイイモノ”を買うように心掛けているが、ゆいレールの売店で琉球限定販売CD、『ちゅらSUN』を購入したため、予算はさらに縮小するハメになった。本当はちんすこうを買いたかったが、アメに変更。「ケチ」とか「ガッカリ」と言われるのではないかと懸念したが、さいわい、好評だった。
一旦、那覇空港を出る。本当にイイ天気なので、てぃだが見たかった。普通のフイルムカメラで撮影すると、現像されない場合があり、ケータイのカメラで撮影。思ったほど綺麗に写っていない感じだが、後日、説明書を見たら、「直射日光の撮影はカメラが故障する可能性があります」と書かれていた。確かに、まぶしかったから、直射日光を撮影したことになるのだろう。
那覇空港に戻り、昼メシ。“琉球4大食”のトリを飾るのはタコライス。私自身、今まで東京でも食べたことがあり、琉球食の中では1番大好きだ。
タコライスはタコス、レタス、チーズ、トマト、ポテトチップス、ケチャップが入っており、魚介類のタコは入っていない。
チーズとライスの相性はバツグンで、そのうち、どこぞのファーストフード店で“タコライスバーガー”を開発し、発売するのではないかと予想しているが、ライスはパンになるだろうから、ネーミングは難しいかも。
食後、2階のゆいレール連絡口付近に、100円を入れれば10分間はインターネットができるパソコンを見つけた。今や、インターネットは“生活必需品”となっているが、この旅ではインターネットカフェに寄ることはなく、久しぶりに楽しもう。
いよいよ、最後の大難関、ヒコーキだが、搭乗検査で見事に引っ掛かった。ベルトの金属が原因のようだが、セキュリティーチェックは厳しく、携帯電話や財布はカゴの中に入れなければならない。私は通話するのが嫌いなくせに携帯電話を3個(1個は目覚まし時計用で通話不可能。もう1個は簡易的なビデオカメラと目覚まし時計兼用で、帰京後に再度、FOMA契約したため、電話機として再び使えるようになった)も持っており、出すのが気恥ずかしい。
厳重な検査の結果、当たり前のことだが、不審者でないことが証明され、ゲートを突破!! ヒコーキに搭乗するまでは電子機器類が使えるので、携帯電話の電源を入れて、林家ペーみたいに那覇空港のいたるところを撮る。見るものすべてがもの珍しいのだ。
いよいよANA128便に乗る。緊張するが、座席は3人掛け-4人掛け-3人掛けで、機内では前日の長嶋JAPANがオーストラリアに負けた試合を放映していた。
座席はリクライニングをしなくてもいいぐらい、ちょうどイイ角度。誰もリクライニング機能を使うことはないものの、シートピッチがせまいのは難点だ。
驚いたのは、スチュワーデスは死語になっており、今は「客室乗務員」に改称していた。看護婦も今や「看護師」に改めており、呼び慣れた名が呼べないのは残念である。
本来は14時50分に発車するはずが、15時10分に変更。発車したとたん、いきなりバックするので、「なんじゃこりゃ?!」と言いたくなるほどだ。そして、止まるとまったく動かない。
窓は新幹線より小さく、奥に見える東シナ海は青い。すると、「ウィーン」という音がして、羽が伸びてゆく。どうやら、空を飛ぶ準備ができたようである。
JAL便の離陸後に発車し、右折するも、JTA便が到着するため、停止。通せんぼされてしまった。
15時23分、左折したら、ようやく滑走路を走り、急激にスピードをあげて、離陸。マリンブルーオーシャンは綺麗さぁー。
思ったより、離陸は急激な角度ではなかったが、オーシャンはスカイブルーからブルーへ。波は凍っているような感じだ。離陸して、数分たてば、鹿児島県に入っているに違いない。
とうとう雲の上へ。遠くから見ると、雲は氷山のように映る。
機内ではスチュワーデスいや、客室乗務員からドリンクサービス。ジュースとお茶のどちらかを選ぶことができる。私はジュースをリクエストした。ちなみに隣に坐っているカップルは“ヒコーキはへっちゃら”の様子で、その強心臓ぶりがうらやましい。
そのあと、機長みずから運転中に放送。日本語のあと、英訳。台本なしであれだけの放送ができるのはスゴイことだが、そんなパフォーマンスは必要なく、「安全運転してくれ」と言いたくなる。
イヤホンをひじかけに差し込み、『高樹沙耶のハワイラジオ』を聞く。機内専用ラジオとのことで、高樹沙耶(現・益戸育江)はハワイに精通しているほか、素もぐりの世界記録保持者だという。
そのラジオで流れたKONISHIKIの歌は“子守唄”となり、気づいたら17時をまわっていた。
17時10分過ぎ、シートベルト装着警報が鳴り、着陸の態勢に入るが、どこを飛んでいるのかサッパリわからない。
ヒコーキの禁止事項として、飛行中は携帯電話、トランシーバー、画面にタッチする電子機器が使えず、離着陸では先ほどの3点のほか、カメラ、電卓、パソコン、ヘッドフォンストレオ、ゲーム機が追加される。自由度の低いのりものだが、飛行中に携帯電話の電源を入れたとしても、圏外であることは確実である。
客室乗務員は巡回し、ハットラックをチェック。完全に閉めていないと荷物が落下する危険性があるためだ。
下を見ると、伊豆あたりのような気がするも、しばらくたつと、お台場のフジテレビ、レインボーブリッジの上を通過し、左へ旋回。ゆるやかに下り、滑走路の地面につくと、激しく揺れて、急ブレーキをかけているように思える。
定刻より13分遅れの17時33分、終点羽田空港に到着した。窓から見えるターミナルには「東京国際空港」というネオンが。そうか、羽田空港は“世をしのぶ仮の姿”で、正式名称は「東京国際空港」なのだ。だから、「東京行き」となっていたワケだ。
ヒコーキで気づいたのは、すれ違うことはなかったことで、あとでそれを話したら、「それを“ニアミス”って言うんだよ」と言われてしまった。
到着後はベルトコンベヤーから流れる大型荷物を取る。同じメーカーなどのバッグなどが数回流れることが予想されるため、“取り違いに御注意”という感じだ。
思ったほど早く、私の荷物がドンブラコと流れ、必死の思いで取り、ゲートを出る。新幹線はそのまま座席上の荷棚に乗っければいいので、ラクだ。話はそれるが、東京―広島間は、ヒコーキと新幹線が拮抗しているそうで、〈のぞみ〉の守備範囲であることがよくわかる。
帰京して、本当にホッとしたが、久しぶりに戻る我が家の近辺にシーサーがなく、“逆カルチャーショック”を受けてしまった。
こうして、“日本完全制覇の旅”はようやく終わった。心に残る旅だった。今度、琉球へ向かう時は小浜島へ行きたい。そういう想いを強くさせるのだった。
★備考
①今回の記事は2005年2・3月に執筆したものです。掲載に際し、一部加筆・修正しています。
②“日本完全制覇の旅”は、これにて完結です。御覧いただいた皆様、本当にありがとうございました。
③岸田法眼のRailway Blog.「2004年の汽車旅5-最終回」
・さすらいの諸国漫遊記57-初日~5日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-08
・さすらいの諸国漫遊記57-6日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-09
2004年8月25日(水曜日)、“日本完全制覇の旅”は、ついに千秋楽を迎えた。夏のメイン旅は3年連続6泊7日となったが、今回に関しては“このまま離れるのが惜しいな”という気分だ。
琉球上陸後はパッとした快晴に恵まれず、常に台風情報と隣り合わせの日々が続いた。御存知の通り、2004年は幾度も琉球に台風が上陸し、観光客の数は過去最高記録を更新したものの、目標の525萬人には届かなかった。
そういう不安を抱えつつも、大雨が降らなかったのはさいわいで、この日は私が待ち望んでいたP-KAN!! 「台風」という言葉を忘れさせるほどのイイ天気で、ついに琉球の“てぃだ”が、この目で見られる。
3連泊した宿をチェックアウトする。カード払いができないため、現金で支払う。このため、前日、那覇中央郵便局でおろしたワケだが、1泊3,500円ながら、冷蔵庫がない以外はビジネスホテルのシングルと遜色がないほどイイ宿だ。シングルではあるが、トリプルルームにあてられ、広々と過ごした。那覇市内は泊まれるインターネットカフェをまったく見かけなかったので、お泊り場所は必ず確保しないと悲惨な思いをする。
泊ふ頭郵便局で、この旅最後の旅行貯金。建物の後方には、泊大橋が美しく見える。待ち望んでいた琉球の青空は、私の心を充実させる。
笑顔でいられるのはここまで。宿の最寄り駅からはゆいレールに乗って、終点那覇空港へ向かう。
この旅、最後の大難関は、普段から“天敵”としているヒコーキ。某プロ野球解説者は、琉球と外国以外は絶対に鉄道移動する主義で、私もそれと同じワケだ。ちなみに2005年2月の巨人キャンプ取材で、日テレのスタッフはわざわざ新八代駅で待ち構えたが、某プロ野球解説者は九州新幹線経由で宮崎へ向かったためである。九州新幹線開業により、小倉で乗り換えるより、こちらのルートが早く着くのだろうか?(現在は新八代で、高速バス〈B&Sみやざき〉に乗り換えると、宮崎に早く着く)
私がヒコーキを嫌う理由は、根っからの高所恐怖症であることや、昭和60年(1985年)8月に発生した日航機の墜落事故で、信用しなくなったからだ。あとは離着陸の傾斜が心臓に悪く、コワイのりものだ。周囲には、「①墜落する。②ハイジャックされる。③ニアミスが起こる。④テロの道具に使われる」などと言っており、“ヒコーキ嫌い”というイメージが定着しているようだ。
今回、ヒコーキ嫌いの私は平成元年(1989年)7月以来、15年ぶりに乗ることになった。と言うより、「乗らざるを得ない」と言ったほうが正しいだろう。ちなみに、自分の意志でヒコーキに乗るのは初めてである。
ヒコーキを選ばざるを得なかった理由は、本州へ向かう定期航路は1本もなく、週1日程度の運航であることや、復路も同じルートで帰るとなると時間がかかってしまう。それに遅れてしまえば、スケジュールがゴチャゴチャになってしまう。
さて、ヒコーキの発車まで、ずいぶん時間があるというのに、“乗り方”がまったくわからない私は、とりあえず搭乗手続きを行なう。これをやらないことには乗れないワケだが、すでにヒコーキ代は銀行に振り込んでいる。実を言うと、振込先支店を見た時、“オレオレサギ”じゃないかと不安になったが、インターネットで確認すると、ちゃんと支払済みであることが証明され、ホッとした。ちなみに、私は8月生まれなので、バースデー早割12,050円というバーゲン価格で乗れた。但し、ノーマル座席なのに先着何人という方式は気に入らない。バースデー早割はすべての座席に適用すべきではないか。これはよそのヒコーキ会社にも言えることだ。
ところが、正規の料金というワケではないため、自動搭乗手続き機で手続きができず、窓口でやってもらうなど、四苦八苦。
「窓側にしますか? 通路側にしますか?」
と窓口のお姉ちゃんにきかれ、私の頭は混乱する。だいたい、乗る便は決まっても、席が決まっていないとは、ヒコーキは“考えられない世界”だ。ちなみに、私は迷わず窓側を選び、なんとか搭乗手続きを済ませることに成功した。
時間はまだあるので、搭乗に向けて、空港見物。前日、石垣島への便は全便欠航していたそうで、この日は臨時便を出すなど、“那覇空港に取り残された人たち”を救済。石垣島に行けなければ、行きたかった小浜島には行けないワケで、予算の都合で断念したのが“不幸中のさいわい”となった。
ということは、この日は台風による欠航は1便もなく、よほどのことがない限り、無事に帰京できることは確実となったが、「東京行き」の案内に戸惑う。行先は羽田空港であることは誰でもわかることだろうが、「羽田行き」にしないのはなぜなのか疑問だった。これについては、数時間後に解けたが、これはのちほど明かすことにする。
10時を過ぎると、本州からのヒコーキが到着したので、観光客らでいっぱいになる。多くはリムジンバスを利用しているようだ。ゆいレールを利用する人もいるが、思ったほど多くない。しかし、琉球新報ホームページによると、ここ数か月の利用は安定(3萬人以上)しているそうで、赤字ではないらしい。
私は那覇空港内のおみやげ屋に寄る。お世話様になっている方が多いので、同じ品物をいくつも買わなければならない。実家へ買うのは当たり前で、お世話様になっている方へ贈るのはゴマスリや業務命令ではなく、日頃の感謝の気持ちである。そういう“マメな性格”と思われているせいか、血液型をA型とカン違いされるが、私はO型である。O型は“忠義の心”を持っているようで、義理堅く、おせっかいが大好きな性分らしい。
おみやげは迷う。なるべく、“安くてイイモノ”を買うように心掛けているが、ゆいレールの売店で琉球限定販売CD、『ちゅらSUN』を購入したため、予算はさらに縮小するハメになった。本当はちんすこうを買いたかったが、アメに変更。「ケチ」とか「ガッカリ」と言われるのではないかと懸念したが、さいわい、好評だった。
一旦、那覇空港を出る。本当にイイ天気なので、てぃだが見たかった。普通のフイルムカメラで撮影すると、現像されない場合があり、ケータイのカメラで撮影。思ったほど綺麗に写っていない感じだが、後日、説明書を見たら、「直射日光の撮影はカメラが故障する可能性があります」と書かれていた。確かに、まぶしかったから、直射日光を撮影したことになるのだろう。
那覇空港に戻り、昼メシ。“琉球4大食”のトリを飾るのはタコライス。私自身、今まで東京でも食べたことがあり、琉球食の中では1番大好きだ。
タコライスはタコス、レタス、チーズ、トマト、ポテトチップス、ケチャップが入っており、魚介類のタコは入っていない。
チーズとライスの相性はバツグンで、そのうち、どこぞのファーストフード店で“タコライスバーガー”を開発し、発売するのではないかと予想しているが、ライスはパンになるだろうから、ネーミングは難しいかも。
食後、2階のゆいレール連絡口付近に、100円を入れれば10分間はインターネットができるパソコンを見つけた。今や、インターネットは“生活必需品”となっているが、この旅ではインターネットカフェに寄ることはなく、久しぶりに楽しもう。
いよいよ、最後の大難関、ヒコーキだが、搭乗検査で見事に引っ掛かった。ベルトの金属が原因のようだが、セキュリティーチェックは厳しく、携帯電話や財布はカゴの中に入れなければならない。私は通話するのが嫌いなくせに携帯電話を3個(1個は目覚まし時計用で通話不可能。もう1個は簡易的なビデオカメラと目覚まし時計兼用で、帰京後に再度、FOMA契約したため、電話機として再び使えるようになった)も持っており、出すのが気恥ずかしい。
厳重な検査の結果、当たり前のことだが、不審者でないことが証明され、ゲートを突破!! ヒコーキに搭乗するまでは電子機器類が使えるので、携帯電話の電源を入れて、林家ペーみたいに那覇空港のいたるところを撮る。見るものすべてがもの珍しいのだ。
いよいよANA128便に乗る。緊張するが、座席は3人掛け-4人掛け-3人掛けで、機内では前日の長嶋JAPANがオーストラリアに負けた試合を放映していた。
座席はリクライニングをしなくてもいいぐらい、ちょうどイイ角度。誰もリクライニング機能を使うことはないものの、シートピッチがせまいのは難点だ。
驚いたのは、スチュワーデスは死語になっており、今は「客室乗務員」に改称していた。看護婦も今や「看護師」に改めており、呼び慣れた名が呼べないのは残念である。
本来は14時50分に発車するはずが、15時10分に変更。発車したとたん、いきなりバックするので、「なんじゃこりゃ?!」と言いたくなるほどだ。そして、止まるとまったく動かない。
窓は新幹線より小さく、奥に見える東シナ海は青い。すると、「ウィーン」という音がして、羽が伸びてゆく。どうやら、空を飛ぶ準備ができたようである。
JAL便の離陸後に発車し、右折するも、JTA便が到着するため、停止。通せんぼされてしまった。
15時23分、左折したら、ようやく滑走路を走り、急激にスピードをあげて、離陸。マリンブルーオーシャンは綺麗さぁー。
思ったより、離陸は急激な角度ではなかったが、オーシャンはスカイブルーからブルーへ。波は凍っているような感じだ。離陸して、数分たてば、鹿児島県に入っているに違いない。
とうとう雲の上へ。遠くから見ると、雲は氷山のように映る。
機内ではスチュワーデスいや、客室乗務員からドリンクサービス。ジュースとお茶のどちらかを選ぶことができる。私はジュースをリクエストした。ちなみに隣に坐っているカップルは“ヒコーキはへっちゃら”の様子で、その強心臓ぶりがうらやましい。
そのあと、機長みずから運転中に放送。日本語のあと、英訳。台本なしであれだけの放送ができるのはスゴイことだが、そんなパフォーマンスは必要なく、「安全運転してくれ」と言いたくなる。
イヤホンをひじかけに差し込み、『高樹沙耶のハワイラジオ』を聞く。機内専用ラジオとのことで、高樹沙耶(現・益戸育江)はハワイに精通しているほか、素もぐりの世界記録保持者だという。
そのラジオで流れたKONISHIKIの歌は“子守唄”となり、気づいたら17時をまわっていた。
17時10分過ぎ、シートベルト装着警報が鳴り、着陸の態勢に入るが、どこを飛んでいるのかサッパリわからない。
ヒコーキの禁止事項として、飛行中は携帯電話、トランシーバー、画面にタッチする電子機器が使えず、離着陸では先ほどの3点のほか、カメラ、電卓、パソコン、ヘッドフォンストレオ、ゲーム機が追加される。自由度の低いのりものだが、飛行中に携帯電話の電源を入れたとしても、圏外であることは確実である。
客室乗務員は巡回し、ハットラックをチェック。完全に閉めていないと荷物が落下する危険性があるためだ。
下を見ると、伊豆あたりのような気がするも、しばらくたつと、お台場のフジテレビ、レインボーブリッジの上を通過し、左へ旋回。ゆるやかに下り、滑走路の地面につくと、激しく揺れて、急ブレーキをかけているように思える。
定刻より13分遅れの17時33分、終点羽田空港に到着した。窓から見えるターミナルには「東京国際空港」というネオンが。そうか、羽田空港は“世をしのぶ仮の姿”で、正式名称は「東京国際空港」なのだ。だから、「東京行き」となっていたワケだ。
ヒコーキで気づいたのは、すれ違うことはなかったことで、あとでそれを話したら、「それを“ニアミス”って言うんだよ」と言われてしまった。
到着後はベルトコンベヤーから流れる大型荷物を取る。同じメーカーなどのバッグなどが数回流れることが予想されるため、“取り違いに御注意”という感じだ。
思ったほど早く、私の荷物がドンブラコと流れ、必死の思いで取り、ゲートを出る。新幹線はそのまま座席上の荷棚に乗っければいいので、ラクだ。話はそれるが、東京―広島間は、ヒコーキと新幹線が拮抗しているそうで、〈のぞみ〉の守備範囲であることがよくわかる。
帰京して、本当にホッとしたが、久しぶりに戻る我が家の近辺にシーサーがなく、“逆カルチャーショック”を受けてしまった。
こうして、“日本完全制覇の旅”はようやく終わった。心に残る旅だった。今度、琉球へ向かう時は小浜島へ行きたい。そういう想いを強くさせるのだった。
★備考
①今回の記事は2005年2・3月に執筆したものです。掲載に際し、一部加筆・修正しています。
②“日本完全制覇の旅”は、これにて完結です。御覧いただいた皆様、本当にありがとうございました。
③岸田法眼のRailway Blog.「2004年の汽車旅5-最終回」
Twitterダイジェスト 2011/06/11 [Twitter]
- wanderwriter3030系はある意味、色々な歴史を築いた車両なので、もう1回乗れたらいいなと思います。 RT @kokurasaya: 駅を降りたら、今度は対向に波板の30系が!めっちゃ幸せ〜(*^_^*) http://p.twipple.jp/RTnDD06/10 22:10
- wanderwriter30心まで打て、巨人!! #giants #npb #baseball06/10 22:12
- wanderwriter30人気のブログパーツ⇒http://bit.ly/mOXjG1 #blog06/10 22:28
- wanderwriter30東京03の東京ライブを見に行った人はいますか? #1_100 #questionnaire06/10 22:40
- wanderwriter30血縁関係で、芸能活動をしている人はいますか? #1_100 #questionnaire06/10 22:40
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- wanderwriter30デートをするならば、どこへ行きますか? #shitsumon #date06/10 22:41
- wanderwriter30デートで7時間待った人はいますか? #1_100 #questionnaire #date06/10 22:41
- wanderwriter30最新のモノマネが見たい!! #shitsumon #monomane06/10 22:41
- wanderwriter30トーカ堂で商品を購入したことがある人はいますか? #1_100 #questionnaire #tokado http://bit.ly/buIFxf06/10 22:42
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- wanderwriter30映画『さや侍』に出演している野見隆明氏とお付き合いをしたい人はいますか? #1_100 #questionnaire #sayazamurai http://bit.ly/eLTims06/10 22:43
- wanderwriter30当面のあいだ、ツイートは週1回程度にする予定です(Railway Blogの更新案内を除く)。色々と忙しいもので。06/10 22:46
- wanderwriter30ここ数日のJR北海道はどうしちゃったんだろう? 取り返しのつかない出来事が起こらないことを願うのみです。#jr #hokkaido #railway06/10 23:39
さすらいの諸国漫遊記57-6日目 [汽車旅2004]
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・さすらいの諸国漫遊記57-初日~5日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-08
2004年8月24日(火曜日)、同一宿3連泊なので、諸国漫遊では珍しく、ゆっくり寝ることができた。平日で8時頃まで寝るなんて、失業時代以来ではないだろうか。当時の私は休日でさえも、ゆとりが失われている。
この日も台風16号の不安を感じながら、宿を出る。
コンビニのローソンでミルクティーを購入するが、UCCの霧の紅茶がなんと500ミリリットル缶でありながら、84円で販売していたので、迷わず購入。トクした気分になる。
宿の最寄り駅、美栄橋からゆいレールに乗って、終点那覇空港へ。まずは那覇空港を下見する。今回はヒコーキで帰京するので、しっかり予習しておきたかった。そして、おみやげ屋へ行き、じっくり見る。どれを購入するか、考えておきたかった。
いくつか候補を見つけ、那覇空港を離れ、赤嶺方面へ歩くが、タクシーがものすごい行列を作って、お客様を待っている。
那覇空港周辺に止まっているタクシーの数は100台以上で、半分以上は専用駐車場で待機していた。こんなに沢山のタクシーを見るのは初めてで、東京駅でもタクシーが待機しているのは、那覇空港の半分以下だ。
琉球のタクシーは、『ちゅらさん』シリーズの古波蔵恵文のように、サボって昼寝をしているイメージがあるものの、実際もそのようである。ヒマをもてあそんでいるかのような感じで、睡眠するドライバーもいた。ゆいレールの開業で、タクシー利用客が減っているように思えるが、乗車時間が長い観光客には定額料金にしてもいいだろう。渋滞に引っかからなければ、クルマのほうが機動力では上なのだから。
さて、私が向かったのは、ゆいレール本社である。
本社は入口で、諸手続きをキッチリやっておかないと入れないイメージを持つが、ここに関してはスンナリ入れた。玄関にはシーサーがいるから、言わば門番とガードマンの役割をしている。鉄道会社といえども、ゆいレールの職員はマイカー通勤が主流のようだ。
あまりにもカンタンに入れたので、職員に見つかったら、注意されるのかなとヒヤヒヤしながら歩く。警備がユルユルなので、気になってしょうがない。殺伐とした東京の生活になれている者にとって、琉球との“温度差”を感じる。
本社内に、ゆいレール展示館がある。2004年8月10日(火曜日)にオープンしたばかりで、タダで入れる。出入口付近には、モノレールの台車を展示している。上屋を設けるか、アクリルの箱に入れて、保存状態をキッチリしたほうがいいのではないかと思うものの、この台車は東京モノレールから取り寄せたらしく、中古品のようだ。
ゆいレール展示館に入ると、女性職員がにこやかに迎える。来客名簿を記入する決まりになっているが、1日10人前後しか入ってこない。今後は多くの人々に見てもらうよう、大々的な宣伝をしたらどうだろう。タダで入れるのが魅力なのだから。
入って目につくのは、ゆいレール工事のVTR。全駅、身障者でも利用できるよう、万全の設備を備えているが、エスカレーターはあらかじめ骨組みを作っており、それをくっつけることに驚いた。てっきり、徐々につないでから、やるものだと思っていた。
ゆいレールの工事により、一部の道路は車線変更を余儀なくされたようだが、順調にことが運び、当初は2003年12月の開業を4か月早めた。観光客がもっとも多くやって来るシーズンの真っ只中に開業し、ウチナンチュはなれない鉄道の利用に戸惑っていたそうだが、観光客は普通に乗っていたようだ。ちなみに、開業から1年間の利用客は1102萬3921人で、1日平均3萬120人。目標数を少し下回ったという(琉球新報ホームページによる)。ウチナンチュのマイカー社会が依存しているのは仕方のないことだが、新規開業で赤字に悩まされているところに比べれば、健闘しているほうだろう。
琉球は“バス王国”だが、中古バスを購入しているため、近代化が遅れているのは明らかで、当面はゆいレールとバスの連携プレーで模索しながら、新規路線の開拓をする可能性があるだろう。できれば、プロ野球のキャンプ地を鉄道で結べば、革命的な所要時間の短縮が実現するが、定期的な利用客がいなければ、赤字となり、路線の存続があやぶまれる。
実はゆいレールが開業するまで、鉄道は存在していたが、第2次世界大戦で焼失。戦後27年間はアメリカと化したためか、鉄道の再建を断念し、バスへ移行した。しかし、道路渋滞の慢性化により、日本復帰後、ゆいレールの建設が決定したワケである。
さて、2階には鉄道のコレクションが集結。エッセイストで元東京高等裁判所長官、ゆたかはじめ氏のコレクションが数多く展示されている。おエライさんがカンタンに手に入らないグッズをGETして、展示できるのは人脈の広さを物語る。ちなみに退官後、琉球に移住しているが、“里帰り”ではないとのこと。年齢は76歳(当時)だというが、現地ではまだ“若い”そうだ。さすがは長寿国、琉球。
興味深いのは『マイ ゆいレール・デザイナー』で、オリジナルデコレーションのゆいレールが作れるというもの。ペーパークラフトなので、機械で色をつけてもらったあとは自分で作らなければならないが、子供の頃からプラモデル等を組み立てたことがなく、とりあえずデコレーションだけはしてみる。
車体のカラーは数種類用意されており、私の好みの図柄を選び、「日本完全制覇達成-2004.8.22-」の文字を入れる。「来訪記念」とかが一般的なのかもしれないが、私にとっては思いもよらぬ“歴史的快挙”なので、最初からそう決めていたし、ほかに思いつく言葉もなかった。
2種類製作し、クリアフォルダに入れる。海外旅行のH.I.S.とかが、まれに街頭配布しているので、ものすごく重宝する。紙がシワクチャになって、折り曲げることもないから、保管状態も万全。諸国漫遊では欠かせない重要なアイテムである。
ほかに『ゆいレールデジタル図鑑』というのも目につき、タッチパネル式の画面に指タッチすれば、いろんなことが学べるというもの。クイズに挑戦したが、上級編はサッパリ当たらず、これからの人生も勉強は続く。
ゆいレール展示館は自社の紹介はもちろん、ウチナンチュにヤマトンチュが利用する鉄道を知ってもらい、親しんでもらいたい意図があるのだろう。スペースはこぢんまりとしているが、中身はギッシリ。おそらく、鉄道の好きな人や、そうでない人でも楽しめるだろう。
ゆいレール展示館の開館時間は9時30分から16時30分までで、土休と年末年始は休みだが、休館日を見直す必要があるだろう。ちなみに団体利用の場合は事前に電話連絡してから“めんそーれ”とのこと。
ゆいレール展示館を出る。本社と車両基地を兼ねているところなので、検査中の車両を眺めることができたが、付近には新品のタイヤが何本も置いていた。モノレールはタイヤで動くという意外なのりものである。ゆいレールなだけに、地元出身のタレント、上原多香子がCM出演していたデジタイヤを使っているのだろうか?
那覇空港駅に戻り、ゆいレールへ。
展望席で“空中散歩”を楽しんでいたら、優先席で耳の不自由な女性とサラリーマンがケンカをしていた。ケンカの原因はわからないが、サラリーマンはなにを言いたいのか、わからない様子。耳を澄まして聞いてみると、サラリーマンは女性のサイフをスリしようとしていたらしい。本当かどうか?
車内は空席が目立ってきたので、怒鳴り声がよく聞こえるが、車掌が乗務していないため、運転士が仲裁をするワケにはいかず、業務に専念せざるを得ない。
ケンカの収拾がつかぬうちに、私は市立病院前で下車。体調が悪くて直行したワケではなく、旅行貯金をするために降りた。その前に琉球へ渡ってから、ゆいレールの駅や派出所などで目につくポスターを紹介したい。
それは『ちゅらうちなー安全なまちづくり条例』というポスターで、2004年4月1日(木曜日)に施行。「県・事業者・県民が横の連携を強化し、安全なまちづくりに関する取組を促進して、犯罪のない安全・安心な沖縄県を目指します」とPRしている。1つの都道府県で、こういった人間一体の活動は画期的なことである。
『ちゅらうちなー安全なまちづくり条例』の概要は次の通り。
①推進会議を設置して、この条例を推進する。
②道路・公園・駐車場・共同生活の防犯性の向上をはかる。
③学校や通学路等での安全対策を促進する。
④観光客の安全対策を促進する。
⑤犯罪被害者等が平穏生活できるように支援する。
また、『ちゅらうちなー安全なまちづくり条例』と併せて、『ちゅらさん運動』も推進しており、次はスローガンを紹介しよう。
①ちゅらびとづくり
これは地域防犯リーダーの育成、地域あいさつ運動の励行、少年の健全育成、少年が被害に遭わないための活動、少年の居場所づくりを推進。琉球の将来を担う、子供たちの健全な育成をはかることが目的である。
②ちゅらまちづくり
学校、通学路、道路、公園、駐車場、共同住宅、特定小売店舗における防犯対策を強化し、安全・安心な環境を確保するのが目的。
③ちゅらゆいづくり
推進体制の整備、犯罪情報の提供、安全マップの作成、防犯パトロールの実施、犯罪被害者等に対する支援をはかり、地域の連帯とユイマールを取り戻すのが目的。ちなみに「ユイマール」の意味は“人々の結びつき”である。
全盛期の『暴れん坊将軍』は、江戸庶民のユイマールが描かれているように思う。今の時代、私もそうだが、近所付き合いが消滅の方向に向かっており、犯罪の凶悪化や未成年者の逮捕増加などで、危機感を感じているのだろう。
沖縄県教育委員会のホームページによると、『ちゅらうちなー安全なまちづくり条例』、『ちゅらさん運動』の一環として、2004年9月3日(金曜日)、琉球すべての小学校において、“親子ふれあい下校”を実施。世に言う“集団下校”の1種だと思うが(その現場に立ち会っていないので、推測せざるを得ない)、“子供を守るのは大人の務め”ということを再認識する意味でやったものと私は受け止めている。
残念なことに2005年1月10日(月曜日・成人の日)、新成人が大暴れして警察ザタになってしまい、数日後には子供の虐待で母親がパクられる出来事があった。浸透するまで、まだまだ時間がかかりそうであるが、私はこの取り組みに賛同し、応援してゆきたい。もし、私が居住地の自治会長に就任したら、この運動を呼びかけ、浸透させるよう、努力する。
余談だが、『ちゅらうちなー安全なまちづくり条例』のポスターには国仲涼子、ボブ・サップ、BEGINを起用していた。
さて、市立病院前を下車した私は駅の地図で郵便局を見つけ、道路の坂を下るが、そのぶん、ゆいレールがどんどんどんどん高くなってゆく。
下から見るゆいレールは、スーッと鳥が飛んでいるような感じだが、タイヤが丸見えなので、それを使って走っていることがよーくわかる。モノレールは鉄道なのに車輪ではなく、タイヤで走るとは本当に不思議なのりものである。
市民病院前から徒歩4分の首里末吉郵便局で、この日最初の旅行貯金。そのあと、市民病院前駅に戻るが、あまりの勾配で階段を登る気がせず、エレベーターを使った。
ゆいレール首里行きに乗り、次の儀保で下車。徒歩5分のところにある首里平良郵便局で旅行貯金。すでに正午をまわっているため、おなかがすいているが、前日と同様、コンビニで“旅人の昼食”、菓子パンを買う気はなく、ガマン。この日はゴーヤーチャンプルーを食べたい。
ゆいレールに戻り、ホームに立つと、すっげぇー高い。前日、立ち寄った首里城公園が見えるし、那覇空港寄りは遠くにオーシャンが見える。
実は今回の旅、琉球のシンボルとも言える、マリンブルーオーシャンを見ることはなかったが、泳ぎが苦手なので、次回来訪の時は白い砂浜を歩いてみたいと思う。
ゆいレールは終点首里に到着。前日も立ち寄ってはいるが、16時を過ぎていたことや、ほかに立ち寄りたいところがあるため、2日連続の来訪となった。
まずは首里駅から徒歩3分のところにある首里汀良郵便局(Shuri-Tera Postoffice)で旅行貯金。ゆいレールのホーム先端からよーく見えるので、わかりやすい位置にある。また、ゆいレールのレールは、ホームをはみ出し、首里汀良郵便局付近で途切れているが、将来は沖縄自動車道西原インターまで路線を延ばす計画があるという(2005年1月の琉球新報ホームページによる)。
「ここにハンコ、押しましょうね」
と貯金手続きをしているあいだ、窓口で応対する女性局員がおばぁーに言った。このしゃべり口調、『ちゅらさん』シリーズと変わらない。“『ちゅらさん』シリーズは、琉球文化を忠実に描いていたんだなぁー”と実感する。
お次は首里城公園へ向かう時に見つけた首里当蔵郵便局で旅行貯金。首里駅から徒歩8分のところにあり、立ち寄った大半の郵便局は『ちゅらさん』の再放送ポスターと共に、ゴーヤーマンファミリーを使ってNHK受信料の自動払い込みを案内している。ちなみに、私は『ちゅらさん』、大相撲、『NHK紅白歌合戦』以外、NHKの番組を見ることはほとんどなく、巨人戦を中継しても、音声はニッポン放送(またはラジオ日本)を選んでいる。
ガイドブックに従って、道を進むと、『瑞泉』という泡盛業者を見つけ、そこへ入る。首里第2の目的は泡盛で、ゲコの私でも胃に収めたい。
この『瑞泉』はタダで泡盛見学ができるというので、大いなる興味があった。時間等はガイドブックに書かれていなかったが、女性従業員によると、30分おきにやるとのこと。しばらくのあいだ、待つことにする。すると、女性従業員は四角形のコーヒーカップを持ってきた。当然、中には泡盛ではなく、コーヒーが入っており、ミルクを入れて飲む(コーヒーはミルクを入れないと飲めない)。
女性従業員は“待たせているお客に不快感を与えない”とビデオ上映。待つことにはなれているので(銀行のATMや郵便局の窓口で待たされていることが多い)、そこまで気をつかわれると恐縮するが、泡盛の作業工程を紹介。ビデオ上映中に男子中学生2人組や中年の夫婦が現れた。こうして13時30分、私を含めた5人で泡盛見学が始まる。
まず入ると、ツーンと米のニオイがジューマンする。泡盛はタイ米を使用しており、日本の米ではダメだという。ちなみに平成5年(1993年)、異常気象による米の不作で、急きょ、タイ米などが緊急輸入されたが、普通に炊いて食べると、本当にまずかったことを思い出す。パエリアといった“味つけライス”でないと、おいしく食べられないかもしれない。
泡盛は素焼きのカメに入れて保存する。見学コースのしょっぱなから素焼きのカメが大量に置いてある。通気性がいいため、泡盛の味を保ち、それを向上させるには、これが1番なのだという。また、3年以上ねかせたものを「クースー(古酒)」というが、これは親酒を準備し、年代順に2~5番酒と新酒をそろえる。そして、親酒から汲み出した量を2番酒で補い、“2番酒は3番酒から”というふうに順次補うという。それを聞いていると、テレビで見た記憶があるラーメン屋のスープやカレー屋と同じようなやり方を思い出す。
2階へ上がり、ここからはビデオ鑑賞となる。
「先ほどと同じビデオですけど、いいですか?」
と女性従業員は私にそっと耳打ちをするかのように言った。周囲のお客を配慮してのことだろう。私はもう1度見たかったので、問題はないが、これほど繊細に気をつかう姿勢には恐縮する。
ビデオが終了し、受付に戻り、泡盛の試飲。但し、未成年とドライバーは飲酒禁止となっており、男子中学生2人組と中年夫婦の御亭主は、残念ながら舐めることもできない。
外国人女性の従業員に試飲の泡盛を入れてもらう。ほんの少しだけで、「ケチ」と言いたくなる人もいるだろうが、タダで飲ましてくれるのだから、ありがたく思うべきだろう。ちなみに試飲は、私と中年夫婦の御婦人だけ。
まずは25度の泡盛を試飲。うん、うまい。そして、43度の泡盛を飲むと、すぐさま衝撃が走った。
口にしたとたん、脳が一気に“洗浄”された。43度のアルコールなんか、今まで口にしたことがなく、普段から寝不足に悩まされている私は、目が覚めたのだ。煙が出そうな感じだが、このくらいの量なら、朝、起きた時に“気つけ薬”として飲んでみたい。
脳が“大炎上”している私は、もろみ酢を試飲。しょうゆ系の色と味で、すっぱく、ツンとくる味だ。酢ではあるが、飲料にもなるので、スーパーマーケットでも売られており、健康にもいいという。
私は泡盛1本を購入し、実家へのおみやげとする(見学しておきながら、買わないのは失礼にあたる)。と言うより、私がじきじきに戻って、親と共に飲んだ。さすがにストレートはキツイので、水割りで飲んだが、サイダー割りでもいけそうな気がする。
『瑞泉』を出て、前日、道を間違えて裏口にたどり着いてしまった首里高校へ。今回は行きたかった正門へ行くものの、意外と距離があって、時間がかかった。
首里高校は『ちゅらさん』で、“那覇北高校”のロケ地に使われたところ。古波蔵恵里は卒業したものの、古波蔵恵達は中退して、ロックミュージシャンを目指すこととなる。その引き金を作る女子生徒役を演じたのは、なんとベッキーだった。『ちゅらさん』はいろんな芸能人が出演しており、ほかにBEGIN、桜金造、佐藤江梨子など。
校門はレンガ作りで、建物へはゆるやかなカーブ坂を登ってゆく。学校関係者ではないので、そこまでは行かなかったが、校舎を出たらすぐ道路になるため、撮影も大変だっただろう。ちなみに、那覇北高校(首里高校)から古波蔵邸までは、裏門を出たほうがはるかに近く、“てーげー精神”はここでも健在なり!!
首里高校の近くに水の自販機があり、『パイウォーター』というミネラルウォーターとみていいだろう。
残念ながら、パイウォーターの購入者をみかけることはなかったが、大型のボトルを持参して、“給水”するのであろう。長寿の水であることを私は信じているが、海が綺麗なところでも、水道の水はアテにならないことを知った思いがする。ミネラルウォーターは全国区になっているのだ。
ゆいレール首里駅に戻り、牧志まで利用。次は国際通りを起点から終点まで歩きたい。前日はちょこっとだけの“顔見せ”程度だった。
時刻は15時30分近くとなり、まだ昼メシをとっていない。第1牧志公設市場2階にある食堂で、ゴーヤーチャンプルーを食べたい野望があるものの、国際通りの牧志駅近くにある、なか家安里店に「ごはん・味噌汁つき」と書いてあったので、たまらず入る。ちなみに、ゴーヤーチャンプルーは単品のため、ごはんと味噌汁は別注文扱いのお店が多く、見つけた私は運がよかった。
さっそく、ゴーヤーチャンプルーを注文。
「ゴーヤーは苦い、まずい」
という周囲の意見をまったく気にせず注文したが、ごはんと味噌汁に市販のふりかけがついていたことには驚いた。
ゴーヤーチャンプルーはゴーヤー、卵、豆腐のいためもの。食べてみると、苦さはほとんど感じず、ごはんによく合うおかずの1品。意外とボリュームがあって、満足した。ほかにもソーミンチャンプルーなどがあるけど、それはまたの機会にしよう。
食後、国際通りの起点を見つけた。安里2丁目にある突き当たりの交差点で、15時58分にスタート!!
起点の交通量は思ったほど多くないものの、安里2丁目から県庁方面の7時から9時までは、クルマの通行を禁止(タクシー、指定車、許可車は除く)され、バス専用となる(土休と1月2・3日を除く)。また、県庁から安里2丁目方面も17時30分から19時30分までは、バス専用(タクシー、指定車、許可車は除く)となる。琉球のバス王国時代はまだまだ続く。
牧志駅の交差点を渡り、『ちゅらさん』のロケに使われた本屋、球陽堂書店を見つけるも、すでに移転していた。また、国際通り沿いには、ゴーヤーマンの販売ロケに使われたお店の情報を入手しているので、どこにあるのか、目をこらしてみよう。
牧志駅の交差点あたりから、クルマの量が増えてきた。交通標識を見ると、国際通りは最高速度30㎞/hで、追い越し禁止の一般道路にしては低い数字。しかし、日々、慢性的に混んでいるので、30㎞/h以上のスピードが出せない。
クルマも増えりゃー、歩行者も増えた。人ごみをかきわけるほどではないが、国際通りを東京にたとえると、原宿の竹下通りというような感じだろう。んまぁー、人の数は原宿が多いんだけども。
三越デパートに入ってみるが、ほとんど婦人服しか置いておらず、すぐさま退散。東京みたいに品物の数は豊富ではなく、平日で、なおかつ、多くの一般企業の翌日は、給料日になるせいなのか、にぎわっていない。
国際通りに戻り、県庁方面へ歩くと、ポンコツの路線バスがゆっくりと進んでいる。昭和50年代(1975年~1984年)に製造されたような感じの古びたバスで、おそらく、大都市から譲渡されたのだろう。事故防止のためか、明るいこの時間帯でも前照灯とフォグランプを点灯させている。
そういえば、平成に入ってから、終日前照灯を点灯させる電車が増えてきた。事故防止の一環といえども、東京の中央線は前照灯つけっぱなしでも人身事故があとを絶たないので、役に立っているとは言いがたい。電車なら電気代、クルマだったらバッテリーがあがるので、エネルギーを浪費して、地球温暖化にひと役買っているのではないだろうか?
「国際通り」という名は当時、道路沿いにあった国際劇場(別名、「アニー・パイル劇場」)の名にちなんだもので、戦後、急速に発展したところから、「奇跡の1マイル」と呼ばれた。但し、戦後といえども、昭和47年(1972年)5月14日(日曜日)までは、“「アメリカ」という名の外国”だったから、ウチナンチューは本土復帰を必死の思いで願っていたに違いない。だから、わずか1600メートルの道を急速に発展させて、琉球のメインストリートに成長したのであろう。
ちょっと寄り道をしたが、16時38分、県庁の交差点に到着し、国際通りを全線完歩した。その近くの反対側に金環堂という店があり、『ちゅらさん』で古波蔵恵尚考案のゴーヤーマンを最初に売り出したところで、早い話がロケ地である。
“当然、ゴーヤーマンを売っているはずだ”と確信し、お店に入ってみたら、ありました。思ったより、少し高い感じだが、前々から欲しかった“琉球みやげの1品”なので、迷わず購入。
『ちゅらさん』のストーリーでは、平成2年(1990年)にゴーヤーマンの発売を開始。当初は売れず、考案者の古波蔵恵尚が失踪(?!)する始末だったが、古波蔵恵達がバンドの小道具として何気なく身につけたら、たちまち人気沸騰で完売したということになっている。ちなみに、発売が現実になったゴーヤーマンは、飛ぶように売れたという。
その後、ゴーヤーマンハニー、ゴーヤーマンベイビーを開発。このうち、ゴーヤーマンベイビーは『ちゅらさん2』で開発され、ある事情により、発売が中止になったという話になっているが、実際は店頭に置いてあり、買える。そのあと、“NTTドコモと提携して、「ゴーヤーマンフォン」という携帯電話が出たらいいなぁー”と勝手に期待している。
余談だが、ゴーヤーマンシリーズを購入したのは、おみやげにしたかったのが理由である。私は男なので、それをどこかに身につけるのは恥ずかしい。
金環堂近辺はにぎやか。ベンチにはマクドナルドのイメージキャラクター、ドナルドが坐っているものの、肝心のお店は道路を横断したところにあり、仕事をサボッている?!
隣にはケンタッキーフライドチキンのイメージキャラクター、カーネル・サンダースが、なぜか他店のエプロンをつけて、右手には他店の紙袋を持っている。おまけにサングラスをかけており、自分の店は従業員に任せっきりで、他店の集客に一生けんめい?!
このほか、ファミリーマートには麦わら帽子をかぶった梅宮辰夫人形が笑顔の直立。あと、雑貨屋に鉄腕アトムと、薬局に佐藤製薬のサトちゃんがいるなど、“オールスターそろい踏み”という感じで、さすが国際通りだ。
ゆいレールに乗って、那覇中央郵便局へ。前日、旅行貯金をしているが、持ち合わせが不足する誤算が発生したため、おろすことになった。こんなことは初めてであるが、銀行の場合、その地に支店はなく、おカネの出し入れができない難点があるので、全国共通の郵便局はありがたい存在だ。加えて、「中央郵便局」というのは18時まで貯金や振替ができる(窓口の場合)。
那覇中央郵便局近辺にある国場川は、今回の旅で1番印象に残る。東シナ海に直結していることもあって、潮の香りがするし、歩行者しか通れないワリには、幅がメチャンコ広い北明治橋を渡ってみる。2003年に架けた橋だが、平日ということもあるのか、渡る人はほとんど見かけない。んで、スナップ撮影をしたあと、すぐに戻って、安里へ向かった。
次の目的地は農連市場で、少々時間がかかった。
農連市場は『ちゅらさん』シリーズのロケに使われているところで、古波蔵勝子の勤務地だ。私がやって来た時間は夕方だったため、すでに店じまいをしていた。ここは昭和28年(1953年)に開設され、50年以上の歴史を持つ。
地図を見たら、近くに第1牧志公設市場があることがわかり、歩いて向かう。ゆいレールで農連市場へ向かうには、美栄橋で下車したほうがよかったのかもしれないが、まぁーいいや。
商店街の中に第1牧志公設市場があり、寄ってみる。晩メシどきということもあってか、にぎわっているものの、2階の食堂は思ったより値段が高い。汁モノでも1,000円前後はするのだから、いい食材を使っているのだろう。
1階には豚の顔の皮を展示しており、観光客のド肝をぬく。売りモノではないため、下に氷を敷いて、鮮度を保っている。ウチナンチュかヤマトンチュかはわからないが、男子高校生たちはポークフェイスをさわって興奮気味。
鮮魚コーナーもイキのイイ魚がせいぞろい。ちなみに、どちらもここで食材を購入すれば、2階の食堂で調理費を払えば調理してくれるという。味は格別であることに“間っ違いない!!”だろう。
第1牧志公設市場をあとにして、商店街内のお店で琉球の定番お菓子、サーターアンダギー2個を購入(1個50円)。さらにコンビニでマツタケ入りのおにぎりを買って、宿に戻る。昼メシはかなりボリュームがあったので、晩メシは少量で充分なのだ。
宿泊部屋のテレビをつけると、NHK総合テレビでは、アテネオリンピックで、長嶋JAPANはオーストラリアと戦っている。画面上段では台風情報がスクロール式でくり返し流しており、どちらも緊迫した雰囲気だ。
試合は阪神タイガースに在籍していたジェフ・ウィリアムス投手にキリキリ舞いされ、まさかの敗北。その後、3位決定戦で銅メダルを獲得し、プロ野球軍団のメンツは保たれた。
野球観戦中、晩メシを食し、サーターアンダギーを食べる。「サーター」は砂糖、「アンダギー」はあげものという意味で、おにぎりのような丸っこいお菓子である。これはどこの御家庭でもカンタンに作れるとのことで、“1番ウマイのは自分ちのヤツだ”というのが一般的らしい。
食後、宿のコインランドリーで洗濯。洗濯は30分で済んでも、乾燥機は3時間かかっても乾き切らず、やむなく、宿泊部屋で冷房つけっぱなしにして干した(そのほうが快眠できるという)。
翌日、いよいよ帰京。日本完全制覇の旅は終わりが近づいている。
★備考
①今回の記事は2004年12月及び、2005年1月に執筆したもので、一部、加筆・修正しています。
②沖縄都市モノレールホームページ
③沖縄都市モノレールは、2011年4月26日(火曜日)に乗客1億人を達成しました。
④ジェフ・ウィリアムス投手は、2003年から2009年まで、阪神タイガースで活躍していました。
⑤岸田法眼のRailway Blog.「2004年の汽車旅5-4」
★おまけ
・さすらいの諸国漫遊記57-初日~5日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-08
2004年8月24日(火曜日)、同一宿3連泊なので、諸国漫遊では珍しく、ゆっくり寝ることができた。平日で8時頃まで寝るなんて、失業時代以来ではないだろうか。当時の私は休日でさえも、ゆとりが失われている。
この日も台風16号の不安を感じながら、宿を出る。
コンビニのローソンでミルクティーを購入するが、UCCの霧の紅茶がなんと500ミリリットル缶でありながら、84円で販売していたので、迷わず購入。トクした気分になる。
宿の最寄り駅、美栄橋からゆいレールに乗って、終点那覇空港へ。まずは那覇空港を下見する。今回はヒコーキで帰京するので、しっかり予習しておきたかった。そして、おみやげ屋へ行き、じっくり見る。どれを購入するか、考えておきたかった。
いくつか候補を見つけ、那覇空港を離れ、赤嶺方面へ歩くが、タクシーがものすごい行列を作って、お客様を待っている。
那覇空港周辺に止まっているタクシーの数は100台以上で、半分以上は専用駐車場で待機していた。こんなに沢山のタクシーを見るのは初めてで、東京駅でもタクシーが待機しているのは、那覇空港の半分以下だ。
琉球のタクシーは、『ちゅらさん』シリーズの古波蔵恵文のように、サボって昼寝をしているイメージがあるものの、実際もそのようである。ヒマをもてあそんでいるかのような感じで、睡眠するドライバーもいた。ゆいレールの開業で、タクシー利用客が減っているように思えるが、乗車時間が長い観光客には定額料金にしてもいいだろう。渋滞に引っかからなければ、クルマのほうが機動力では上なのだから。
さて、私が向かったのは、ゆいレール本社である。
本社は入口で、諸手続きをキッチリやっておかないと入れないイメージを持つが、ここに関してはスンナリ入れた。玄関にはシーサーがいるから、言わば門番とガードマンの役割をしている。鉄道会社といえども、ゆいレールの職員はマイカー通勤が主流のようだ。
あまりにもカンタンに入れたので、職員に見つかったら、注意されるのかなとヒヤヒヤしながら歩く。警備がユルユルなので、気になってしょうがない。殺伐とした東京の生活になれている者にとって、琉球との“温度差”を感じる。
本社内に、ゆいレール展示館がある。2004年8月10日(火曜日)にオープンしたばかりで、タダで入れる。出入口付近には、モノレールの台車を展示している。上屋を設けるか、アクリルの箱に入れて、保存状態をキッチリしたほうがいいのではないかと思うものの、この台車は東京モノレールから取り寄せたらしく、中古品のようだ。
ゆいレール展示館に入ると、女性職員がにこやかに迎える。来客名簿を記入する決まりになっているが、1日10人前後しか入ってこない。今後は多くの人々に見てもらうよう、大々的な宣伝をしたらどうだろう。タダで入れるのが魅力なのだから。
入って目につくのは、ゆいレール工事のVTR。全駅、身障者でも利用できるよう、万全の設備を備えているが、エスカレーターはあらかじめ骨組みを作っており、それをくっつけることに驚いた。てっきり、徐々につないでから、やるものだと思っていた。
ゆいレールの工事により、一部の道路は車線変更を余儀なくされたようだが、順調にことが運び、当初は2003年12月の開業を4か月早めた。観光客がもっとも多くやって来るシーズンの真っ只中に開業し、ウチナンチュはなれない鉄道の利用に戸惑っていたそうだが、観光客は普通に乗っていたようだ。ちなみに、開業から1年間の利用客は1102萬3921人で、1日平均3萬120人。目標数を少し下回ったという(琉球新報ホームページによる)。ウチナンチュのマイカー社会が依存しているのは仕方のないことだが、新規開業で赤字に悩まされているところに比べれば、健闘しているほうだろう。
琉球は“バス王国”だが、中古バスを購入しているため、近代化が遅れているのは明らかで、当面はゆいレールとバスの連携プレーで模索しながら、新規路線の開拓をする可能性があるだろう。できれば、プロ野球のキャンプ地を鉄道で結べば、革命的な所要時間の短縮が実現するが、定期的な利用客がいなければ、赤字となり、路線の存続があやぶまれる。
実はゆいレールが開業するまで、鉄道は存在していたが、第2次世界大戦で焼失。戦後27年間はアメリカと化したためか、鉄道の再建を断念し、バスへ移行した。しかし、道路渋滞の慢性化により、日本復帰後、ゆいレールの建設が決定したワケである。
さて、2階には鉄道のコレクションが集結。エッセイストで元東京高等裁判所長官、ゆたかはじめ氏のコレクションが数多く展示されている。おエライさんがカンタンに手に入らないグッズをGETして、展示できるのは人脈の広さを物語る。ちなみに退官後、琉球に移住しているが、“里帰り”ではないとのこと。年齢は76歳(当時)だというが、現地ではまだ“若い”そうだ。さすがは長寿国、琉球。
興味深いのは『マイ ゆいレール・デザイナー』で、オリジナルデコレーションのゆいレールが作れるというもの。ペーパークラフトなので、機械で色をつけてもらったあとは自分で作らなければならないが、子供の頃からプラモデル等を組み立てたことがなく、とりあえずデコレーションだけはしてみる。
車体のカラーは数種類用意されており、私の好みの図柄を選び、「日本完全制覇達成-2004.8.22-」の文字を入れる。「来訪記念」とかが一般的なのかもしれないが、私にとっては思いもよらぬ“歴史的快挙”なので、最初からそう決めていたし、ほかに思いつく言葉もなかった。
2種類製作し、クリアフォルダに入れる。海外旅行のH.I.S.とかが、まれに街頭配布しているので、ものすごく重宝する。紙がシワクチャになって、折り曲げることもないから、保管状態も万全。諸国漫遊では欠かせない重要なアイテムである。
ほかに『ゆいレールデジタル図鑑』というのも目につき、タッチパネル式の画面に指タッチすれば、いろんなことが学べるというもの。クイズに挑戦したが、上級編はサッパリ当たらず、これからの人生も勉強は続く。
ゆいレール展示館は自社の紹介はもちろん、ウチナンチュにヤマトンチュが利用する鉄道を知ってもらい、親しんでもらいたい意図があるのだろう。スペースはこぢんまりとしているが、中身はギッシリ。おそらく、鉄道の好きな人や、そうでない人でも楽しめるだろう。
ゆいレール展示館の開館時間は9時30分から16時30分までで、土休と年末年始は休みだが、休館日を見直す必要があるだろう。ちなみに団体利用の場合は事前に電話連絡してから“めんそーれ”とのこと。
ゆいレール展示館を出る。本社と車両基地を兼ねているところなので、検査中の車両を眺めることができたが、付近には新品のタイヤが何本も置いていた。モノレールはタイヤで動くという意外なのりものである。ゆいレールなだけに、地元出身のタレント、上原多香子がCM出演していたデジタイヤを使っているのだろうか?
那覇空港駅に戻り、ゆいレールへ。
展望席で“空中散歩”を楽しんでいたら、優先席で耳の不自由な女性とサラリーマンがケンカをしていた。ケンカの原因はわからないが、サラリーマンはなにを言いたいのか、わからない様子。耳を澄まして聞いてみると、サラリーマンは女性のサイフをスリしようとしていたらしい。本当かどうか?
車内は空席が目立ってきたので、怒鳴り声がよく聞こえるが、車掌が乗務していないため、運転士が仲裁をするワケにはいかず、業務に専念せざるを得ない。
ケンカの収拾がつかぬうちに、私は市立病院前で下車。体調が悪くて直行したワケではなく、旅行貯金をするために降りた。その前に琉球へ渡ってから、ゆいレールの駅や派出所などで目につくポスターを紹介したい。
それは『ちゅらうちなー安全なまちづくり条例』というポスターで、2004年4月1日(木曜日)に施行。「県・事業者・県民が横の連携を強化し、安全なまちづくりに関する取組を促進して、犯罪のない安全・安心な沖縄県を目指します」とPRしている。1つの都道府県で、こういった人間一体の活動は画期的なことである。
『ちゅらうちなー安全なまちづくり条例』の概要は次の通り。
①推進会議を設置して、この条例を推進する。
②道路・公園・駐車場・共同生活の防犯性の向上をはかる。
③学校や通学路等での安全対策を促進する。
④観光客の安全対策を促進する。
⑤犯罪被害者等が平穏生活できるように支援する。
また、『ちゅらうちなー安全なまちづくり条例』と併せて、『ちゅらさん運動』も推進しており、次はスローガンを紹介しよう。
①ちゅらびとづくり
これは地域防犯リーダーの育成、地域あいさつ運動の励行、少年の健全育成、少年が被害に遭わないための活動、少年の居場所づくりを推進。琉球の将来を担う、子供たちの健全な育成をはかることが目的である。
②ちゅらまちづくり
学校、通学路、道路、公園、駐車場、共同住宅、特定小売店舗における防犯対策を強化し、安全・安心な環境を確保するのが目的。
③ちゅらゆいづくり
推進体制の整備、犯罪情報の提供、安全マップの作成、防犯パトロールの実施、犯罪被害者等に対する支援をはかり、地域の連帯とユイマールを取り戻すのが目的。ちなみに「ユイマール」の意味は“人々の結びつき”である。
全盛期の『暴れん坊将軍』は、江戸庶民のユイマールが描かれているように思う。今の時代、私もそうだが、近所付き合いが消滅の方向に向かっており、犯罪の凶悪化や未成年者の逮捕増加などで、危機感を感じているのだろう。
沖縄県教育委員会のホームページによると、『ちゅらうちなー安全なまちづくり条例』、『ちゅらさん運動』の一環として、2004年9月3日(金曜日)、琉球すべての小学校において、“親子ふれあい下校”を実施。世に言う“集団下校”の1種だと思うが(その現場に立ち会っていないので、推測せざるを得ない)、“子供を守るのは大人の務め”ということを再認識する意味でやったものと私は受け止めている。
残念なことに2005年1月10日(月曜日・成人の日)、新成人が大暴れして警察ザタになってしまい、数日後には子供の虐待で母親がパクられる出来事があった。浸透するまで、まだまだ時間がかかりそうであるが、私はこの取り組みに賛同し、応援してゆきたい。もし、私が居住地の自治会長に就任したら、この運動を呼びかけ、浸透させるよう、努力する。
余談だが、『ちゅらうちなー安全なまちづくり条例』のポスターには国仲涼子、ボブ・サップ、BEGINを起用していた。
さて、市立病院前を下車した私は駅の地図で郵便局を見つけ、道路の坂を下るが、そのぶん、ゆいレールがどんどんどんどん高くなってゆく。
下から見るゆいレールは、スーッと鳥が飛んでいるような感じだが、タイヤが丸見えなので、それを使って走っていることがよーくわかる。モノレールは鉄道なのに車輪ではなく、タイヤで走るとは本当に不思議なのりものである。
市民病院前から徒歩4分の首里末吉郵便局で、この日最初の旅行貯金。そのあと、市民病院前駅に戻るが、あまりの勾配で階段を登る気がせず、エレベーターを使った。
ゆいレール首里行きに乗り、次の儀保で下車。徒歩5分のところにある首里平良郵便局で旅行貯金。すでに正午をまわっているため、おなかがすいているが、前日と同様、コンビニで“旅人の昼食”、菓子パンを買う気はなく、ガマン。この日はゴーヤーチャンプルーを食べたい。
ゆいレールに戻り、ホームに立つと、すっげぇー高い。前日、立ち寄った首里城公園が見えるし、那覇空港寄りは遠くにオーシャンが見える。
実は今回の旅、琉球のシンボルとも言える、マリンブルーオーシャンを見ることはなかったが、泳ぎが苦手なので、次回来訪の時は白い砂浜を歩いてみたいと思う。
ゆいレールは終点首里に到着。前日も立ち寄ってはいるが、16時を過ぎていたことや、ほかに立ち寄りたいところがあるため、2日連続の来訪となった。
まずは首里駅から徒歩3分のところにある首里汀良郵便局(Shuri-Tera Postoffice)で旅行貯金。ゆいレールのホーム先端からよーく見えるので、わかりやすい位置にある。また、ゆいレールのレールは、ホームをはみ出し、首里汀良郵便局付近で途切れているが、将来は沖縄自動車道西原インターまで路線を延ばす計画があるという(2005年1月の琉球新報ホームページによる)。
「ここにハンコ、押しましょうね」
と貯金手続きをしているあいだ、窓口で応対する女性局員がおばぁーに言った。このしゃべり口調、『ちゅらさん』シリーズと変わらない。“『ちゅらさん』シリーズは、琉球文化を忠実に描いていたんだなぁー”と実感する。
お次は首里城公園へ向かう時に見つけた首里当蔵郵便局で旅行貯金。首里駅から徒歩8分のところにあり、立ち寄った大半の郵便局は『ちゅらさん』の再放送ポスターと共に、ゴーヤーマンファミリーを使ってNHK受信料の自動払い込みを案内している。ちなみに、私は『ちゅらさん』、大相撲、『NHK紅白歌合戦』以外、NHKの番組を見ることはほとんどなく、巨人戦を中継しても、音声はニッポン放送(またはラジオ日本)を選んでいる。
ガイドブックに従って、道を進むと、『瑞泉』という泡盛業者を見つけ、そこへ入る。首里第2の目的は泡盛で、ゲコの私でも胃に収めたい。
この『瑞泉』はタダで泡盛見学ができるというので、大いなる興味があった。時間等はガイドブックに書かれていなかったが、女性従業員によると、30分おきにやるとのこと。しばらくのあいだ、待つことにする。すると、女性従業員は四角形のコーヒーカップを持ってきた。当然、中には泡盛ではなく、コーヒーが入っており、ミルクを入れて飲む(コーヒーはミルクを入れないと飲めない)。
女性従業員は“待たせているお客に不快感を与えない”とビデオ上映。待つことにはなれているので(銀行のATMや郵便局の窓口で待たされていることが多い)、そこまで気をつかわれると恐縮するが、泡盛の作業工程を紹介。ビデオ上映中に男子中学生2人組や中年の夫婦が現れた。こうして13時30分、私を含めた5人で泡盛見学が始まる。
まず入ると、ツーンと米のニオイがジューマンする。泡盛はタイ米を使用しており、日本の米ではダメだという。ちなみに平成5年(1993年)、異常気象による米の不作で、急きょ、タイ米などが緊急輸入されたが、普通に炊いて食べると、本当にまずかったことを思い出す。パエリアといった“味つけライス”でないと、おいしく食べられないかもしれない。
泡盛は素焼きのカメに入れて保存する。見学コースのしょっぱなから素焼きのカメが大量に置いてある。通気性がいいため、泡盛の味を保ち、それを向上させるには、これが1番なのだという。また、3年以上ねかせたものを「クースー(古酒)」というが、これは親酒を準備し、年代順に2~5番酒と新酒をそろえる。そして、親酒から汲み出した量を2番酒で補い、“2番酒は3番酒から”というふうに順次補うという。それを聞いていると、テレビで見た記憶があるラーメン屋のスープやカレー屋と同じようなやり方を思い出す。
2階へ上がり、ここからはビデオ鑑賞となる。
「先ほどと同じビデオですけど、いいですか?」
と女性従業員は私にそっと耳打ちをするかのように言った。周囲のお客を配慮してのことだろう。私はもう1度見たかったので、問題はないが、これほど繊細に気をつかう姿勢には恐縮する。
ビデオが終了し、受付に戻り、泡盛の試飲。但し、未成年とドライバーは飲酒禁止となっており、男子中学生2人組と中年夫婦の御亭主は、残念ながら舐めることもできない。
外国人女性の従業員に試飲の泡盛を入れてもらう。ほんの少しだけで、「ケチ」と言いたくなる人もいるだろうが、タダで飲ましてくれるのだから、ありがたく思うべきだろう。ちなみに試飲は、私と中年夫婦の御婦人だけ。
まずは25度の泡盛を試飲。うん、うまい。そして、43度の泡盛を飲むと、すぐさま衝撃が走った。
口にしたとたん、脳が一気に“洗浄”された。43度のアルコールなんか、今まで口にしたことがなく、普段から寝不足に悩まされている私は、目が覚めたのだ。煙が出そうな感じだが、このくらいの量なら、朝、起きた時に“気つけ薬”として飲んでみたい。
脳が“大炎上”している私は、もろみ酢を試飲。しょうゆ系の色と味で、すっぱく、ツンとくる味だ。酢ではあるが、飲料にもなるので、スーパーマーケットでも売られており、健康にもいいという。
私は泡盛1本を購入し、実家へのおみやげとする(見学しておきながら、買わないのは失礼にあたる)。と言うより、私がじきじきに戻って、親と共に飲んだ。さすがにストレートはキツイので、水割りで飲んだが、サイダー割りでもいけそうな気がする。
『瑞泉』を出て、前日、道を間違えて裏口にたどり着いてしまった首里高校へ。今回は行きたかった正門へ行くものの、意外と距離があって、時間がかかった。
首里高校は『ちゅらさん』で、“那覇北高校”のロケ地に使われたところ。古波蔵恵里は卒業したものの、古波蔵恵達は中退して、ロックミュージシャンを目指すこととなる。その引き金を作る女子生徒役を演じたのは、なんとベッキーだった。『ちゅらさん』はいろんな芸能人が出演しており、ほかにBEGIN、桜金造、佐藤江梨子など。
校門はレンガ作りで、建物へはゆるやかなカーブ坂を登ってゆく。学校関係者ではないので、そこまでは行かなかったが、校舎を出たらすぐ道路になるため、撮影も大変だっただろう。ちなみに、那覇北高校(首里高校)から古波蔵邸までは、裏門を出たほうがはるかに近く、“てーげー精神”はここでも健在なり!!
首里高校の近くに水の自販機があり、『パイウォーター』というミネラルウォーターとみていいだろう。
残念ながら、パイウォーターの購入者をみかけることはなかったが、大型のボトルを持参して、“給水”するのであろう。長寿の水であることを私は信じているが、海が綺麗なところでも、水道の水はアテにならないことを知った思いがする。ミネラルウォーターは全国区になっているのだ。
ゆいレール首里駅に戻り、牧志まで利用。次は国際通りを起点から終点まで歩きたい。前日はちょこっとだけの“顔見せ”程度だった。
時刻は15時30分近くとなり、まだ昼メシをとっていない。第1牧志公設市場2階にある食堂で、ゴーヤーチャンプルーを食べたい野望があるものの、国際通りの牧志駅近くにある、なか家安里店に「ごはん・味噌汁つき」と書いてあったので、たまらず入る。ちなみに、ゴーヤーチャンプルーは単品のため、ごはんと味噌汁は別注文扱いのお店が多く、見つけた私は運がよかった。
さっそく、ゴーヤーチャンプルーを注文。
「ゴーヤーは苦い、まずい」
という周囲の意見をまったく気にせず注文したが、ごはんと味噌汁に市販のふりかけがついていたことには驚いた。
ゴーヤーチャンプルーはゴーヤー、卵、豆腐のいためもの。食べてみると、苦さはほとんど感じず、ごはんによく合うおかずの1品。意外とボリュームがあって、満足した。ほかにもソーミンチャンプルーなどがあるけど、それはまたの機会にしよう。
食後、国際通りの起点を見つけた。安里2丁目にある突き当たりの交差点で、15時58分にスタート!!
起点の交通量は思ったほど多くないものの、安里2丁目から県庁方面の7時から9時までは、クルマの通行を禁止(タクシー、指定車、許可車は除く)され、バス専用となる(土休と1月2・3日を除く)。また、県庁から安里2丁目方面も17時30分から19時30分までは、バス専用(タクシー、指定車、許可車は除く)となる。琉球のバス王国時代はまだまだ続く。
牧志駅の交差点を渡り、『ちゅらさん』のロケに使われた本屋、球陽堂書店を見つけるも、すでに移転していた。また、国際通り沿いには、ゴーヤーマンの販売ロケに使われたお店の情報を入手しているので、どこにあるのか、目をこらしてみよう。
牧志駅の交差点あたりから、クルマの量が増えてきた。交通標識を見ると、国際通りは最高速度30㎞/hで、追い越し禁止の一般道路にしては低い数字。しかし、日々、慢性的に混んでいるので、30㎞/h以上のスピードが出せない。
クルマも増えりゃー、歩行者も増えた。人ごみをかきわけるほどではないが、国際通りを東京にたとえると、原宿の竹下通りというような感じだろう。んまぁー、人の数は原宿が多いんだけども。
三越デパートに入ってみるが、ほとんど婦人服しか置いておらず、すぐさま退散。東京みたいに品物の数は豊富ではなく、平日で、なおかつ、多くの一般企業の翌日は、給料日になるせいなのか、にぎわっていない。
国際通りに戻り、県庁方面へ歩くと、ポンコツの路線バスがゆっくりと進んでいる。昭和50年代(1975年~1984年)に製造されたような感じの古びたバスで、おそらく、大都市から譲渡されたのだろう。事故防止のためか、明るいこの時間帯でも前照灯とフォグランプを点灯させている。
そういえば、平成に入ってから、終日前照灯を点灯させる電車が増えてきた。事故防止の一環といえども、東京の中央線は前照灯つけっぱなしでも人身事故があとを絶たないので、役に立っているとは言いがたい。電車なら電気代、クルマだったらバッテリーがあがるので、エネルギーを浪費して、地球温暖化にひと役買っているのではないだろうか?
「国際通り」という名は当時、道路沿いにあった国際劇場(別名、「アニー・パイル劇場」)の名にちなんだもので、戦後、急速に発展したところから、「奇跡の1マイル」と呼ばれた。但し、戦後といえども、昭和47年(1972年)5月14日(日曜日)までは、“「アメリカ」という名の外国”だったから、ウチナンチューは本土復帰を必死の思いで願っていたに違いない。だから、わずか1600メートルの道を急速に発展させて、琉球のメインストリートに成長したのであろう。
ちょっと寄り道をしたが、16時38分、県庁の交差点に到着し、国際通りを全線完歩した。その近くの反対側に金環堂という店があり、『ちゅらさん』で古波蔵恵尚考案のゴーヤーマンを最初に売り出したところで、早い話がロケ地である。
“当然、ゴーヤーマンを売っているはずだ”と確信し、お店に入ってみたら、ありました。思ったより、少し高い感じだが、前々から欲しかった“琉球みやげの1品”なので、迷わず購入。
『ちゅらさん』のストーリーでは、平成2年(1990年)にゴーヤーマンの発売を開始。当初は売れず、考案者の古波蔵恵尚が失踪(?!)する始末だったが、古波蔵恵達がバンドの小道具として何気なく身につけたら、たちまち人気沸騰で完売したということになっている。ちなみに、発売が現実になったゴーヤーマンは、飛ぶように売れたという。
その後、ゴーヤーマンハニー、ゴーヤーマンベイビーを開発。このうち、ゴーヤーマンベイビーは『ちゅらさん2』で開発され、ある事情により、発売が中止になったという話になっているが、実際は店頭に置いてあり、買える。そのあと、“NTTドコモと提携して、「ゴーヤーマンフォン」という携帯電話が出たらいいなぁー”と勝手に期待している。
余談だが、ゴーヤーマンシリーズを購入したのは、おみやげにしたかったのが理由である。私は男なので、それをどこかに身につけるのは恥ずかしい。
金環堂近辺はにぎやか。ベンチにはマクドナルドのイメージキャラクター、ドナルドが坐っているものの、肝心のお店は道路を横断したところにあり、仕事をサボッている?!
隣にはケンタッキーフライドチキンのイメージキャラクター、カーネル・サンダースが、なぜか他店のエプロンをつけて、右手には他店の紙袋を持っている。おまけにサングラスをかけており、自分の店は従業員に任せっきりで、他店の集客に一生けんめい?!
このほか、ファミリーマートには麦わら帽子をかぶった梅宮辰夫人形が笑顔の直立。あと、雑貨屋に鉄腕アトムと、薬局に佐藤製薬のサトちゃんがいるなど、“オールスターそろい踏み”という感じで、さすが国際通りだ。
ゆいレールに乗って、那覇中央郵便局へ。前日、旅行貯金をしているが、持ち合わせが不足する誤算が発生したため、おろすことになった。こんなことは初めてであるが、銀行の場合、その地に支店はなく、おカネの出し入れができない難点があるので、全国共通の郵便局はありがたい存在だ。加えて、「中央郵便局」というのは18時まで貯金や振替ができる(窓口の場合)。
那覇中央郵便局近辺にある国場川は、今回の旅で1番印象に残る。東シナ海に直結していることもあって、潮の香りがするし、歩行者しか通れないワリには、幅がメチャンコ広い北明治橋を渡ってみる。2003年に架けた橋だが、平日ということもあるのか、渡る人はほとんど見かけない。んで、スナップ撮影をしたあと、すぐに戻って、安里へ向かった。
次の目的地は農連市場で、少々時間がかかった。
農連市場は『ちゅらさん』シリーズのロケに使われているところで、古波蔵勝子の勤務地だ。私がやって来た時間は夕方だったため、すでに店じまいをしていた。ここは昭和28年(1953年)に開設され、50年以上の歴史を持つ。
地図を見たら、近くに第1牧志公設市場があることがわかり、歩いて向かう。ゆいレールで農連市場へ向かうには、美栄橋で下車したほうがよかったのかもしれないが、まぁーいいや。
商店街の中に第1牧志公設市場があり、寄ってみる。晩メシどきということもあってか、にぎわっているものの、2階の食堂は思ったより値段が高い。汁モノでも1,000円前後はするのだから、いい食材を使っているのだろう。
1階には豚の顔の皮を展示しており、観光客のド肝をぬく。売りモノではないため、下に氷を敷いて、鮮度を保っている。ウチナンチュかヤマトンチュかはわからないが、男子高校生たちはポークフェイスをさわって興奮気味。
鮮魚コーナーもイキのイイ魚がせいぞろい。ちなみに、どちらもここで食材を購入すれば、2階の食堂で調理費を払えば調理してくれるという。味は格別であることに“間っ違いない!!”だろう。
第1牧志公設市場をあとにして、商店街内のお店で琉球の定番お菓子、サーターアンダギー2個を購入(1個50円)。さらにコンビニでマツタケ入りのおにぎりを買って、宿に戻る。昼メシはかなりボリュームがあったので、晩メシは少量で充分なのだ。
宿泊部屋のテレビをつけると、NHK総合テレビでは、アテネオリンピックで、長嶋JAPANはオーストラリアと戦っている。画面上段では台風情報がスクロール式でくり返し流しており、どちらも緊迫した雰囲気だ。
試合は阪神タイガースに在籍していたジェフ・ウィリアムス投手にキリキリ舞いされ、まさかの敗北。その後、3位決定戦で銅メダルを獲得し、プロ野球軍団のメンツは保たれた。
野球観戦中、晩メシを食し、サーターアンダギーを食べる。「サーター」は砂糖、「アンダギー」はあげものという意味で、おにぎりのような丸っこいお菓子である。これはどこの御家庭でもカンタンに作れるとのことで、“1番ウマイのは自分ちのヤツだ”というのが一般的らしい。
食後、宿のコインランドリーで洗濯。洗濯は30分で済んでも、乾燥機は3時間かかっても乾き切らず、やむなく、宿泊部屋で冷房つけっぱなしにして干した(そのほうが快眠できるという)。
翌日、いよいよ帰京。日本完全制覇の旅は終わりが近づいている。
★備考
①今回の記事は2004年12月及び、2005年1月に執筆したもので、一部、加筆・修正しています。
②沖縄都市モノレールホームページ
③沖縄都市モノレールは、2011年4月26日(火曜日)に乗客1億人を達成しました。
④ジェフ・ウィリアムス投手は、2003年から2009年まで、阪神タイガースで活躍していました。
⑤岸田法眼のRailway Blog.「2004年の汽車旅5-4」
★おまけ
観客動員数381萬人突破!! [鉄道評論]
毎度、御利用いただきまして、ありがとうございます。
2005年11月11日(金曜日)に開幕したRailway Blogは、2011年6月7日(火曜日)に観客動員数381萬人を突破しました。どうもありがとうございます。
◆ここまでのさすらいの諸国漫遊記57シリーズ
・さすらいの諸国漫遊記57-初日・2日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-20
・さすらいの諸国漫遊記57-3日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-27
・さすらいの諸国漫遊記57-4日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-29
・さすらいの諸国漫遊記57-5日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-06-05
◆2011年5月28日(土曜日)から6月7日(火曜日)までのmixi日記
■5月28日(土曜日)
さすらい賞2011
ちょっと驚いたが、例年6月に発表される鉄道友の会ブルーリボン賞、ローレル賞は、なんと先日発表され、前者は予想通り京成電鉄2代目AE形、後者は東京地下鉄16000系に決まった。
5月発表の背景は不明だが、選定車種が年々減少していることが考えられるかもしれない。
さて、今年も私の独断で選ぶ“賞品賞金なし”の第3回さすらい賞を発表しよう(ブルーリボン賞、ローレル賞に選ばれなかった車両が対象)。
2011年のさすらい賞は、JR西日本キハ189系と、JR東日本HB-E300系に決定した。
選定理由として、フェイスはキハ181系の面影を残していること、2両編成だと130㎞/h運転ができないという不思議なところが理由である。
HB-E300系は、JRグループでは初と思われる“量産ジョイフルトレイン”である。車内レイアウトは、若干仕様が異なる車両があるものの、JRグループのジョイフルトレイン衰退が進む中、JR東日本は積極的に投入し、なおかつ、“鉄道ハイブリッド車本格化”を告げるかのようだ。次にハイブリッド車両が投入されるのは、どこの路線だろうか。
余談だが、HB-E300系は、JR北海道のキハ183系5200番代『ノースレインボーエクスプレス』以来の“新製ジョイフルトレイン”である。
■6月1日(水曜日)
実現せず
●高速休日1千円、19日で中止… 国交省方針
(読売新聞 - 06月01日 03:16)
以前、東京―鹿児島間高速1000円の旅を企画したことがある。おそらく、インターチェンジを出なければ、土・日・月曜祝日1000円で同区間を大縦断することができるだろう。
実はある出版社に企画を打ち明けたことがあるけど、企画書が完成しないまま、この政策も打ち切りとなる。
■6月2日(木曜日)
特急〈なつかぜ〉
間違えました。正しくは「夏風邪」です。
今年は5月下旬に梅雨入り。そして、朝晩の急激な冷え込みで、風邪をこじらせてしまいました。熱はないので、体調に問題はありませんが、皆様、お気をつけ下さいませ。
■6月4日(土曜日)
〈はやて〉が〈はやぶさ〉に抜かれる日
皆様、本日1時頃に地震がありました。大丈夫ですか? 元気ですか?
2011年6月3日(金曜日)、JR東日本は7月9日(土曜日)に東北新幹線の暫定ダイヤ改正を発表した。これは那須塩原―福島間、一ノ関―盛岡間の速度制限を解除するためで、最大32分短縮される。〈はやぶさ〉は3往復に戻り、〈つばさ〉は元のダイヤに戻る。
次回の暫定ダイヤで注目なのは、〈はやて178号〉東京行きで、八戸で〈はやぶさ406号〉東京行きに追い抜かれることだ。これは通常ダイヤになかったもので、衝撃を受ける人が多いのではないだろうか。
もうすぐ「JR東日本パス」が使えるようになるので、レールファンの利用が多いものと予想されるが、7月になると、もっと増えるだろう。〈はやぶさ〉の指定席にも乗れるため、すぐ満席になりそうな気がする。また、あえて〈はやて178号〉東京行きに乗るレールファンも多いことが予想される。“〈はやて〉王者完全陥落の姿を見よう”という人がいるのではないかと。もちろん、入場券利用客も多いだろう。
なんとか年内に“改めてJR旅客鉄道全路線完全制覇”を達成したい。民鉄等は乗っていない路線が多いので、世に言う“綺麗なカラダ”になるまでは、相当な時間を要するが……
★備考
・JR東日本ホームページ「東北新幹線の一部徐行解除に伴う『特別ダイヤ』運転計画について」
■6月5日(日曜日)
流行語大賞2011予想
今年はすでに半分過ぎてしまい、後半戦に入ってしまった。 気になるのは、半年後に発表される流行語大賞だが、「東日本大震災」が有力候補ではないかと思う。ほかに見当たる言葉がないからだ。ある人は「#edano_nero(枝野寝ろ)、#kan_okiro(菅起きろ)じゃない?」と言うが、どうだろうか。
ほかに、あるお寺で今年を象徴する漢字1文字も発表されるが、「災」しか思い浮かばない。東北地方太平洋沖地震の衝撃は、何年たっても消えることはないだろう。
■6月7日(火曜日)
ガ
・霞ヶ関駅
・関ヶ原駅
・鯵ヶ沢駅
例として、上記の3つを取り上げましたが、実はすべて誤字があります。 それは中央の部分。正しくは「霞ケ関駅」、「関ケ原駅」、「鯵ケ沢駅」と書きます。これは『JR時刻表』を見ていただくと、わかると思いますが、意外とひっかかるので、チェックに苦労します。「ケ」と「ヶ」はクセモノですね。
◆観客動員数376萬人から381萬人までのあしあと
・2011年5月22日(日曜日)…376萬1000人突破
・2011年5月22日(日曜日)…376萬2000人突破
・2011年5月22日(日曜日)…376萬3000人突破
・2011年5月23日(月曜日)…376萬4000人突破
・2011年5月23日(月曜日)…376萬5000人突破
・2011年5月23日(月曜日)…376萬6000人突破
・2011年5月24日(火曜日)…376萬7000人突破
・2011年5月24日(火曜日)…376萬8000人突破
・2011年5月24日(火曜日)…376萬9000人突破
・2011年5月25日(水曜日)…377萬人突破!!
・2011年5月25日(水曜日)…377萬1000人突破
・2011年5月25日(水曜日)…377萬2000人突破
・2011年5月26日(木曜日)…377萬3000人突破
・2011年5月26日(木曜日)…377萬4000人突破
・2011年5月27日(金曜日)…377萬5000人突破
・2011年5月27日(金曜日)…377萬6000人突破
・2011年5月27日(金曜日)…377萬7000人突破
・2011年5月28日(土曜日)…377萬8000人突破
・2011年5月28日(土曜日)…377萬9000人突破
・2011年5月28日(土曜日)…378萬人突破!!
・2011年5月28日(土曜日)…378萬1000人突破
・2011年5月29日(日曜日)…378萬2000人突破
・2011年5月29日(日曜日)…378萬3000人突破
・2011年5月29日(日曜日)…378萬4000人突破
・2011年5月30日(月曜日)…378萬5000人突破
・2011年5月30日(月曜日)…378萬6000人突破
・2011年5月30日(月曜日)…378萬7000人突破
・2011年5月31日(火曜日)…378萬8000人突破
・2011年5月31日(火曜日)…378萬9000人突破
・2011年5月31日(火曜日)…379萬人突破!!
・2011年6月1日(水曜日)…379萬1000人突破
・2011年6月1日(水曜日)…379萬2000人突破
・2011年6月1日(水曜日)…379萬3000人突破
・2011年6月2日(木曜日)…379萬4000人突破
・2011年6月2日(木曜日)…379萬5000人突破
・2011年6月2日(木曜日)…379萬6000人突破
・2011年6月3日(金曜日)…379萬7000人突破
・2011年6月3日(金曜日)…379萬8000人突破
・2011年6月4日(土曜日)…379萬9000人突破
・2011年6月4日(土曜日)…380萬人突破!!
・2011年6月4日(土曜日)…380萬1000人突破
・2011年6月4日(土曜日)…380萬2000人突破
・2011年6月5日(日曜日)…380萬3000人突破
・2011年6月5日(日曜日)…380萬4000人突破
・2011年6月5日(日曜日)…380萬5000人突破
・2011年6月6日(月曜日)…380萬6000人突破
・2011年6月6日(月曜日)…380萬7000人突破
・2011年6月6日(月曜日)…380萬8000人突破
・2011年6月6日(月曜日)…380萬9000人突破
・2011年6月7日(火曜日)…381萬人突破!!
さすらいの諸国漫遊記57-5日目 [汽車旅2004]
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・さすらいの諸国漫遊記57-初日・2日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-20
・さすらいの諸国漫遊記57-3日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-27
・さすらいの諸国漫遊記57-4日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-29
台風15号の影響で、8時間14分遅れで日本完全制覇を達成した翌日の2004年8月23日(月曜日)、天候は曇り気味。台風16号はすでに南の島へ猛威をふるっており、気にしながら宿を出る。諸国漫遊史上初の同一宿3連泊のため、ザックに必要最小限なモノを入れ、この日は那覇市内を散策することにする。
前島交差点で国道58号線に遭遇するが、クルマの量は都心と錯覚するほど、メチャクチャ多い。すぐそこには『とまりん』というフェリーターミナルがあり、いくつかの離島便のきっぷを売っている。泊港と直結しているものの、大半の便は休航だろう。ちなみに『とまりん』は『かりゆしアーバンリゾート那覇』というホテルも兼ねており、もちろん泊まれるが、宿泊料金はとびっきり高い。
前島交差点を渡り、ファミリーマートというコンビニで、モーニングのミルクティーを購入。朝はこれを飲まないと気分が落ち着かず、ホッとひと安心すると、雨が降ってきた。さいわい、折りたたみのカサをしのばせているが、自宅近くの100円ショップで購入したため、少々ヤワなのが難点である。
少々歩き、頭上注意のような感じで見上げると、沖縄都市モノレールが那覇空港に向けて、ヒューンと通る。国道58号線の交通量とは対照的に、たった2両で運行。まるで地方のローカル線みたいな感じだが、ほどなくして首里行きが滑るように通る。
宿最寄り駅となる美栄橋から沖縄都市モノレールに乗る。エスカレーターは1人乗りで、センサーが感知すると動く省エネ方式。1人乗りのエスカレーターは珍しいが、琉球の人は“あわてず、騒がず”なのか、建設費用抑制のためなのかどうかはわからない。ほかにエレベーターもあり、身障者が気軽に利用できるなど、万全だ。
それもそのはず、沖縄都市モノレールは2003年8月10日(日曜日)に開業。バリアフリー(もちろん、和製英語)はぬかりなしで、おまけに券売機は東京モノレールと京急線の乗車券も発売している。1日どのくらい利用するのかは知らないけど、東京近郊にお住まいや勤務している方には便利だ。ちなみに沖縄都市モノレールは、「ゆいレール」と呼ばれており、以後はそのように記す。
事前調査では1~3日乗車券を販売しているとのことで、3日乗車券を購入しようとするものの、券売機にそれがなく、有人改札で尋ねたところ、ここで発売していたので、買う。ちなみにお値段は1,500円(2日乗車券は1200円)。1日乗車券が800円なので、ウチナンチュ(琉球の人)は1日乗車券、“「ヤマトンチュ(琉球以外の人)」という名の観光客”は2・3日乗車券を使うといいだろう。
ゆいレールの職員はブルーの半そでシャツを着用し、夏とスーパークールビズを演出。さわやかで、すがすがしい。
雨は本降りになってしまい、ゆいレールで那覇空港へ向かう。“早くも帰京か?”と思う人もいるだろうが、那覇空港に郵便局がある情報を入手しているということ。それに今回の旅は15年ぶりに、“悪魔”のような存在であるヒコーキに乗ることもあり、予習をする必要性がある。ちなみに、たいていの空港に郵便局は存在する。
ゆいレールに乗ると、最前列が“「特等席」という名の展望席”になっており、あとは東京の通勤電車でおなじみの横並びシート。これは意外な気がするものの、長いこと鉄道がなかったので、“利用客が戸惑わない座席”を選んだのであろう。
県庁前に近づくと、土砂降りとなってしまう。展望席があいたので、さっそく坐ってみるが、電車の運転席にしては珍しく、右側にある。日本のクルマに例えると、後部座席に乗っているような感じだ。
美栄橋から乗った時は席に坐れなかったが、終点那覇空港に到着する頃にはガラガラ。意外な気もするが、朝早くの便で帰る人はいないのだろう。それにホームでも乗る人は少なく、本州便が到着する頃、にぎわうに違いない。また、土砂降りの雨もやんで、持ち直してきた。天気雨だったのはさいわいだが、風が強いので、予断が許されないことに変わりはない。
時刻はちょうど9時になり、那覇空港1階にある那覇空港内郵便局で、琉球初貯金をする。但し、長崎、佐賀、広島、新潟、福島、青森の6県は、まだ旅行貯金をしておらず、そちらの“日本完全制覇”はまだ先となる。
ゆいレールの首里行きに乗って、次の赤嶺で下車。階段を下りたところにある駅前広場に“日本最南端の駅”の記念碑があった。記念碑は那覇空港よりも誇らしげで、北緯26度11分36秒のところに、この駅を設けている。いずれの記念碑も2004年夏に設置したばかりで、琉球の石材、勝連トラバーチンを使用し、台風に耐えられる強度で作ったというが、建立早々、幾度も台風が訪れたので、早くも“試練”を味わったことになる?!
・さすらいの諸国漫遊記57-初日・2日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-20
・さすらいの諸国漫遊記57-3日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-27
・さすらいの諸国漫遊記57-4日目
http://railway583.blog.so-net.ne.jp/2011-05-29
台風15号の影響で、8時間14分遅れで日本完全制覇を達成した翌日の2004年8月23日(月曜日)、天候は曇り気味。台風16号はすでに南の島へ猛威をふるっており、気にしながら宿を出る。諸国漫遊史上初の同一宿3連泊のため、ザックに必要最小限なモノを入れ、この日は那覇市内を散策することにする。
前島交差点で国道58号線に遭遇するが、クルマの量は都心と錯覚するほど、メチャクチャ多い。すぐそこには『とまりん』というフェリーターミナルがあり、いくつかの離島便のきっぷを売っている。泊港と直結しているものの、大半の便は休航だろう。ちなみに『とまりん』は『かりゆしアーバンリゾート那覇』というホテルも兼ねており、もちろん泊まれるが、宿泊料金はとびっきり高い。
前島交差点を渡り、ファミリーマートというコンビニで、モーニングのミルクティーを購入。朝はこれを飲まないと気分が落ち着かず、ホッとひと安心すると、雨が降ってきた。さいわい、折りたたみのカサをしのばせているが、自宅近くの100円ショップで購入したため、少々ヤワなのが難点である。
少々歩き、頭上注意のような感じで見上げると、沖縄都市モノレールが那覇空港に向けて、ヒューンと通る。国道58号線の交通量とは対照的に、たった2両で運行。まるで地方のローカル線みたいな感じだが、ほどなくして首里行きが滑るように通る。
宿最寄り駅となる美栄橋から沖縄都市モノレールに乗る。エスカレーターは1人乗りで、センサーが感知すると動く省エネ方式。1人乗りのエスカレーターは珍しいが、琉球の人は“あわてず、騒がず”なのか、建設費用抑制のためなのかどうかはわからない。ほかにエレベーターもあり、身障者が気軽に利用できるなど、万全だ。
それもそのはず、沖縄都市モノレールは2003年8月10日(日曜日)に開業。バリアフリー(もちろん、和製英語)はぬかりなしで、おまけに券売機は東京モノレールと京急線の乗車券も発売している。1日どのくらい利用するのかは知らないけど、東京近郊にお住まいや勤務している方には便利だ。ちなみに沖縄都市モノレールは、「ゆいレール」と呼ばれており、以後はそのように記す。
事前調査では1~3日乗車券を販売しているとのことで、3日乗車券を購入しようとするものの、券売機にそれがなく、有人改札で尋ねたところ、ここで発売していたので、買う。ちなみにお値段は1,500円(2日乗車券は1200円)。1日乗車券が800円なので、ウチナンチュ(琉球の人)は1日乗車券、“「ヤマトンチュ(琉球以外の人)」という名の観光客”は2・3日乗車券を使うといいだろう。
ゆいレールの職員はブルーの半そでシャツを着用し、夏とスーパークールビズを演出。さわやかで、すがすがしい。
雨は本降りになってしまい、ゆいレールで那覇空港へ向かう。“早くも帰京か?”と思う人もいるだろうが、那覇空港に郵便局がある情報を入手しているということ。それに今回の旅は15年ぶりに、“悪魔”のような存在であるヒコーキに乗ることもあり、予習をする必要性がある。ちなみに、たいていの空港に郵便局は存在する。
ゆいレールに乗ると、最前列が“「特等席」という名の展望席”になっており、あとは東京の通勤電車でおなじみの横並びシート。これは意外な気がするものの、長いこと鉄道がなかったので、“利用客が戸惑わない座席”を選んだのであろう。
県庁前に近づくと、土砂降りとなってしまう。展望席があいたので、さっそく坐ってみるが、電車の運転席にしては珍しく、右側にある。日本のクルマに例えると、後部座席に乗っているような感じだ。
美栄橋から乗った時は席に坐れなかったが、終点那覇空港に到着する頃にはガラガラ。意外な気もするが、朝早くの便で帰る人はいないのだろう。それにホームでも乗る人は少なく、本州便が到着する頃、にぎわうに違いない。また、土砂降りの雨もやんで、持ち直してきた。天気雨だったのはさいわいだが、風が強いので、予断が許されないことに変わりはない。
時刻はちょうど9時になり、那覇空港1階にある那覇空港内郵便局で、琉球初貯金をする。但し、長崎、佐賀、広島、新潟、福島、青森の6県は、まだ旅行貯金をしておらず、そちらの“日本完全制覇”はまだ先となる。
ゆいレール那覇空港の自動改札前に“日本最西端の駅”という記念碑を見つけた。東経127度39分8秒のところに、この駅が設けられており、この記録を破られる可能性は低い。離島に鉄道を建設したとしても、人口は少ないので、採算が合わないのは確実だろう。
“日本最西端の駅”があるということは、“日本最南端の駅”もあるはず。3日乗車券なので、各駅に乗り降りして、旅行貯金をすることが、この日のテーマだ。
ゆいレールの首里行きに乗って、次の赤嶺で下車。階段を下りたところにある駅前広場に“日本最南端の駅”の記念碑があった。記念碑は那覇空港よりも誇らしげで、北緯26度11分36秒のところに、この駅を設けている。いずれの記念碑も2004年夏に設置したばかりで、琉球の石材、勝連トラバーチンを使用し、台風に耐えられる強度で作ったというが、建立早々、幾度も台風が訪れたので、早くも“試練”を味わったことになる?!
郵便局を探している途中、全国どこにでもあるライオンズマンションに遭遇。玄関にはビックなシーサーが待ち構えていた。ライオンズマンションにシーサーがあるのは琉球だけであろう。そこを過ぎて、すぐのところに小禄郵便局を見つけ、旅行貯金。カウンターの下にはNHK衛星第2放送で、2004年3月から半年間、再放送した『ちゅらさん』のポスターに出くわす。これは『ちゅらさん3』の宣伝もかねていたが、NHK沖縄放送局のオリジナルで、東京では見たことがない。
小禄郵便局を出て、赤嶺駅に戻る。交通量の少ない道路だが、クルマはゆっくり走っている。まさに安全運転で、歩行者にとってはありがたい。
ゆいレールに乗り、次の小禄で下車。駅の通路はジャスコと直結しており、周辺はマンションが多く、団地のようだ。建物はいささか古そうだが、つくりは琉球独特という感じを受ける。まるで、外国に来たような雰囲気のある建物なのだ。
ここでは小禄金城郵便局(Oroku-Kanagusuku Postoffice)で旅行貯金をする。実に難読な名前の郵便局である。
小禄郵便局を出て、赤嶺駅に戻る。交通量の少ない道路だが、クルマはゆっくり走っている。まさに安全運転で、歩行者にとってはありがたい。
ゆいレールに乗り、次の小禄で下車。駅の通路はジャスコと直結しており、周辺はマンションが多く、団地のようだ。建物はいささか古そうだが、つくりは琉球独特という感じを受ける。まるで、外国に来たような雰囲気のある建物なのだ。
ここでは小禄金城郵便局(Oroku-Kanagusuku Postoffice)で旅行貯金をする。実に難読な名前の郵便局である。
再び、ゆいレールに乗り、次の奥武山公園(Ohnoyama Park)で下車。これも難読だ。琉球と北海道は“あて字”に思えるような地名が多い。ここでは小禄鏡原郵便局で旅行貯金。通帳の切り替えが近づいていたので、局員は通帳の切り替えを勧めるが、まだ印字できるので、丁重に辞退したものの、ある不安がいよいよ現実になろうとしていた。それはのちほど述べる。
こちらもクルマのスピードはノロイが、路線バスの排気ガスがあまりにもひどく、黒い煙がモクモクと出ていた。関東地方のバス会社から移籍した中古車だと思われるが、新車を購入する余裕はないようだ。2002年9月に根室へ渡った時、横浜市営バスのおフルに出くわしたことを思い出す(シートモケットが横浜ベイブリッジの図柄だったため、すぐ見抜いた)。
奥武山公園は規模がデカい公園のようで、ゆいレールのホームからは野球場が見える。メジャーリーグスタイルのグラウンドだが、ナイター設備はない。
毎年2月、プロ野球のキャンプでにぎわう琉球だが、ナイター設備がほとんどない球場が多い。将来は琉球に那覇ドームをつくり、プロ野球やプロサッカーの誘致を働きかける日が来るかもしれない。
こちらもクルマのスピードはノロイが、路線バスの排気ガスがあまりにもひどく、黒い煙がモクモクと出ていた。関東地方のバス会社から移籍した中古車だと思われるが、新車を購入する余裕はないようだ。2002年9月に根室へ渡った時、横浜市営バスのおフルに出くわしたことを思い出す(シートモケットが横浜ベイブリッジの図柄だったため、すぐ見抜いた)。
奥武山公園は規模がデカい公園のようで、ゆいレールのホームからは野球場が見える。メジャーリーグスタイルのグラウンドだが、ナイター設備はない。
毎年2月、プロ野球のキャンプでにぎわう琉球だが、ナイター設備がほとんどない球場が多い。将来は琉球に那覇ドームをつくり、プロ野球やプロサッカーの誘致を働きかける日が来るかもしれない。
再び、ゆいレールに乗り、国場川を渡って、壺川に到着し、下車。那覇中央郵便局で旅行貯金をする。たいてい、「中央郵便局」の名がつくところは、18時まで貯金や振替を受け付けており、午前中に旅行貯金をする必要はないのだが、せっかく下車したのだから、する。ちなみに局名印はパイナップルつきで、南国の情緒をかもしだしていた。
那覇中央郵便局沿いの道路の案内板を見て驚いたが、左折すると、「古波蔵」という地名に行ける。興味のあるところだが、時間的な余裕はなく、今回の旅では地名の古波蔵来訪は見送った。古波蔵をわざわざカギカッコした意味は“わっかるかなぁー? わかんねぇーだろうなぁー?”とイミシンに書いておこうね(おしゃべりは琉球調になってるさぁー)。
壺川もマンションが多く、現代的なつくり。新興住宅街なのかもしれない。近年は年間25,000人がヤマト(琉球以外のこと)から移住していると言われるが、那覇市の人口は増加しておらず、現状維持のままだとか。これはウチナンチュも若者を中心にヤマトへ移住しているためだという。しかし、半数以上はなじめない、あるいはその地の学校を卒業したという理由で、どちらも元のサヤに戻っているという。もったいない話だ。
壺川駅沿いにある国場川は東シナ海に直結しており、水を見た感じでは川というより海の雰囲気があり、今回の旅で1番印象に残った。
再び、ゆいレールに乗り、いよいよ“真の那覇”と言うべき部分に突入し、次の旭橋で下車。交通量も大都市なみで、付近には那覇バスターミナルがある。道路は堂々たる片側3車線ずつで、クルマ社会を象徴する都道府県ナンバー1ではないだろうか。
那覇中央郵便局沿いの道路の案内板を見て驚いたが、左折すると、「古波蔵」という地名に行ける。興味のあるところだが、時間的な余裕はなく、今回の旅では地名の古波蔵来訪は見送った。古波蔵をわざわざカギカッコした意味は“わっかるかなぁー? わかんねぇーだろうなぁー?”とイミシンに書いておこうね(おしゃべりは琉球調になってるさぁー)。
壺川もマンションが多く、現代的なつくり。新興住宅街なのかもしれない。近年は年間25,000人がヤマト(琉球以外のこと)から移住していると言われるが、那覇市の人口は増加しておらず、現状維持のままだとか。これはウチナンチュも若者を中心にヤマトへ移住しているためだという。しかし、半数以上はなじめない、あるいはその地の学校を卒業したという理由で、どちらも元のサヤに戻っているという。もったいない話だ。
壺川駅沿いにある国場川は東シナ海に直結しており、水を見た感じでは川というより海の雰囲気があり、今回の旅で1番印象に残った。
再び、ゆいレールに乗り、いよいよ“真の那覇”と言うべき部分に突入し、次の旭橋で下車。交通量も大都市なみで、付近には那覇バスターミナルがある。道路は堂々たる片側3車線ずつで、クルマ社会を象徴する都道府県ナンバー1ではないだろうか。
東町郵便局で旅行貯金及び、通帳をチェンジするが、恐るべきことが起こった。
それは通帳。今までのゆうちょ通帳は主務者印を押す欄があったが、ATMが普及したことにともない、21世紀に入ってからか、銀行と同じ様式にチェンジしてしまった。これにより、主務者印を押す欄がなくなり、一部の郵便局では押印拒否をするなど、トラブルもあるという。私もそういうメにあい、一旦解約して、もう1度作り直すカタチで、この時は解決した。それが那覇中央郵便局まで使っていた通帳である。
今回はスムーズにいった。旅行貯金を続ける意志があることと、熟年女性局員が主務者印押印を確約したからだ。2003年4月から郵政公社となり、“真っ向サービス”をキャッチフレーズとしているだけに、旧式通帳の復活をお願いしたい。各郵便局に新式と旧式の通帳を置いて欲しい。これならば、トラブルを防ぐことはできるだろう。
通帳の切り替え作業を待っているあいだ、私は『ちゅらさん』ポスターを撮影。大半の郵便局はガクブチに入れており、保護しているが、撮影すると蛍光灯の光が反射した状態で写るため、“ナマポスター”でないとイイ写真が撮れず、うずうずしていた。
ゆいレールに戻り、次の県庁前で下車。那覇の中心地という感じで、人も多い。時刻は正午をまわったせいもあるだろう。
曇天となり、気温は生暖かいものの、風が強く、“台風16号の影響なのかなぁー”と気にする。昼メシにしたい時間帯で、私の場合、コンビニで菓子パンを買うのが一般的だが、せっかく琉球の地に足を踏み入れているのだから、有名料理を食べたい。ってことで、ガマンする。
それは通帳。今までのゆうちょ通帳は主務者印を押す欄があったが、ATMが普及したことにともない、21世紀に入ってからか、銀行と同じ様式にチェンジしてしまった。これにより、主務者印を押す欄がなくなり、一部の郵便局では押印拒否をするなど、トラブルもあるという。私もそういうメにあい、一旦解約して、もう1度作り直すカタチで、この時は解決した。それが那覇中央郵便局まで使っていた通帳である。
今回はスムーズにいった。旅行貯金を続ける意志があることと、熟年女性局員が主務者印押印を確約したからだ。2003年4月から郵政公社となり、“真っ向サービス”をキャッチフレーズとしているだけに、旧式通帳の復活をお願いしたい。各郵便局に新式と旧式の通帳を置いて欲しい。これならば、トラブルを防ぐことはできるだろう。
通帳の切り替え作業を待っているあいだ、私は『ちゅらさん』ポスターを撮影。大半の郵便局はガクブチに入れており、保護しているが、撮影すると蛍光灯の光が反射した状態で写るため、“ナマポスター”でないとイイ写真が撮れず、うずうずしていた。
ゆいレールに戻り、次の県庁前で下車。那覇の中心地という感じで、人も多い。時刻は正午をまわったせいもあるだろう。
曇天となり、気温は生暖かいものの、風が強く、“台風16号の影響なのかなぁー”と気にする。昼メシにしたい時間帯で、私の場合、コンビニで菓子パンを買うのが一般的だが、せっかく琉球の地に足を踏み入れているのだから、有名料理を食べたい。ってことで、ガマンする。
県庁前駅から徒歩15分のところにある、那覇久米郵便局で旅行貯金。局内にあるテレビはNHK総合テレビの『お昼ですよ! ふれあいホール』という番組を放送しているが、画面の上段は琉球の台風情報を流していた。離島へのヒコーキや船は終日欠航で、もう少し予算があったら、小浜島を目指していたが、足止めを食らい、野宿せざるをえなかっただろう。
さて、『お昼ですよ! ふれあいホール』で、ゲストのMEGUMIは小学生と格闘技対決。あっけなく負けたところを見届け、那覇久米郵便局をあとにする。
沖縄県庁へ向かう途中、創立100周年を向かえる那覇商業高校で足を止める。関係者ではないので、中へ入ることはなかったが、春夏連続で高校野球の甲子園出場を果たした名門校だった。校舎にはその記念碑がそびえたち、生徒を見守っている。ちなみに2005年10月8日(土曜日)、記念式典と祝賀会を開催している。
無数のシーサーがあちこちに散らばった沖縄県庁に到着。そこの1階にある沖縄県庁内郵便局で旅行貯金。少々わかりにくいところにあるが、都道府県庁で旅行貯金をするのは東京都と秋田県以来、3局目。局名印は「ハイサイ! 沖縄県庁内郵便局」と記していた。ちなみに「ハイサイ」は“こんにちは”という意味で、女性があいさつする場合は「ハイタイ」と言う。
さて、『お昼ですよ! ふれあいホール』で、ゲストのMEGUMIは小学生と格闘技対決。あっけなく負けたところを見届け、那覇久米郵便局をあとにする。
沖縄県庁へ向かう途中、創立100周年を向かえる那覇商業高校で足を止める。関係者ではないので、中へ入ることはなかったが、春夏連続で高校野球の甲子園出場を果たした名門校だった。校舎にはその記念碑がそびえたち、生徒を見守っている。ちなみに2005年10月8日(土曜日)、記念式典と祝賀会を開催している。
無数のシーサーがあちこちに散らばった沖縄県庁に到着。そこの1階にある沖縄県庁内郵便局で旅行貯金。少々わかりにくいところにあるが、都道府県庁で旅行貯金をするのは東京都と秋田県以来、3局目。局名印は「ハイサイ! 沖縄県庁内郵便局」と記していた。ちなみに「ハイサイ」は“こんにちは”という意味で、女性があいさつする場合は「ハイタイ」と言う。
さらに県庁前駅すぐのところに美栄橋郵便局を見つけ、もちろん、旅行貯金。県庁前の次の駅が美栄橋なので、違和感はあるが、先にできているのは郵便局なので仕方のないところ。お客様の要望が多ければ、「県庁前駅前郵便局」に改称するだろう。
宿最寄り駅の美栄橋に戻り、徒歩1分のところにある那覇久茂地郵便局で旅行貯金。そのあと、那覇のメインストリート、国際通りへ。『ちゅらさん』で見た通り、クルマの行列だ。
国際通り郵便局に入るが、郵便局という雰囲気はまったくない。玄関は『地酒横丁 泡盛蔵元直売店』の楷書のカンバンが強烈なインパクトを与え、右下のスミに『〒国際通り郵便局』と控えめ。郵便局と泡盛販売店、三線(Sanshin)店(三味線に似た弦楽器)が一体となっており、おそらく、その店で購入したおみやげをゆうパックで送ってもらおうという意図があるのだろう。2階はエフエム那覇で、もし、誰かが私の日本完全制覇を“密告”していたら、出演していた可能性があったかもしれない。
さぞ、にぎわっているかと思いきや、ガラガラ。おみやげ屋があちこちに点在していることや、郵便局が目立っていないこともある。でも、こういう“変わりダネ郵便局”は末永く、残して欲しい。ちなみに局名印は「奇跡の1マイル国際通り郵便局」である。
さて、ようやく昼メシ。美栄橋駅近くの食堂で、念願の沖縄そばを食べる。以前から食べたかった。大盛りの食券を店員に渡すと、この日はサービスデーだったようで、炊き込みごはんと汁モノがついた。
沖縄そばは、そば粉を使わないのが特長。以前、『どっちの料理ショー』で、沖縄ソーキそばが圧勝しているのだから、おいしいはず。まずはかつおだしのスープを飲む。かつおだしはあっさりしていて、うまい。そして、そばを食べると、味はしないものの、コシとボリュームはある。
ソーキはブタのあばら肉ことで、琉球の肉はポークが主流。コシがあり、プリプリ感がするほどやわらかく、骨まで食える。ほかに卵とカマボコが入っているが、かなりのボリュームとサービスの炊き込みごはんで、おなかパンパン。これなら、普通盛りで十分であるが、大満足して、店を出る。
ゆいレールに戻り、牧志へ。下車したら、そこは国際通りで、近くに牧志郵便局があり、旅行貯金。琉球の花、赤いハイビスカスのスタンプを押したあと、「南国沖縄 牧志郵便局」の局名印を押す。ちなみに主務者印はあいているスペースに押してもらっている。
そして、来訪記念なのか、黒糖をいただく。近年(2003年以前)、黒糖はミネラルやビタミンが豊富で、長寿食として、クローズアップされている。いただいた黒糖は加工品のお菓子で、さっそく食べてみるが、ほどよい甘さで、すぐ口に溶けた。
私が砂糖を使う時は自宅でアイスコーヒーを作るぐらいだが、“今後は黒糖を入れて、もっと健康管理に努めるべきかな”と思った。スーパーマーケットで売っている黒砂糖ではなく、琉球の黒糖だ。お値段が気になるところだが、不思議なことに砂糖や塩に賞味期限はない。
ゆいレールに戻り、安里(Asato)へ。ここも難読で、下車すると、道路はクルマで埋めつくされている。ちなみに琉球の人口は190萬人で、100萬人近くは本島に在住しているという(2004年当時)。
ここでは徒歩7分のところにある大道郵便局で旅行貯金。安里駅へ戻り、向かいのホームに回送電車が現れた。ところが、回送電車であるにもかかわらず、人が乗っている。なんかおかしい。その直後である。
「ウッ、ウソ?!」
と私は思わず、声をあげた。後部車両には、なっ、なっ、なんと、クッ、クッ、国仲涼子が乗っていたのである。どうやら、回送電車は“貸切電車”で、『ちゅらさん3』のロケをしていたのだ。
その隣には子役の女の子が乗っていた。このシーンは第3回に放送され、わずか5秒ほどのシーンだったが、撮影した地点には国場川が見えた。
実は8月に琉球でロケをやるというウワサ話を入手していたが、まさか遭遇するとは想像もしていなかった。
さて、『ちゅらさん3』のロケ電車は15秒ほど停車したあと、発車。わたしは、おもろまちへ向かい、那覇真嘉比郵便局で旅行貯金。探すのに苦労した。
ゆいレールに戻り、次の古島で下車するも、近辺に郵便局はなく、時刻も締め切りの16時になろうとしていたため、この日の旅行貯金は14局で終了。ゆいレール全駅に下車して、16時までに旅行貯金ができるだろうと思っていたが、郵便局以外にも寄っていたため、意外と時間がかかってしまった。
終点首里まで乗り、下車すると、2,000円札の利用促進を求める貼り紙が目につく。当初から“不評になるだろう”と懸念されていたが、その通りとなっている。銀行のATMでも入っていないようだし、琉球で2,000円札を使っている人を見ることは、今回の旅ではなかった。それどころか、2004年11月1日(月曜日)から登場した野口英世の1,000円札、樋口一葉の5,000円札は都内で早くも姿を見せており、2,000円札はますます影が薄くなっている。
それを打開するには、銀行や郵便局のATMは意図的に2,000円札を入れ、自販機(煙草、アルコール、公序良俗に反するモノは除く)も2,000円札対応に改造し、それを使用した人には品物1本無料サービスするなど、国が総力をあげてバックアップしないとダメだろう。コレクターにとっては、2,000円札が普及すると、値打ちがなくなり、“お宝”にもならないが……
さて、次なる目的地は首里城。ここから首里城公園までは1キロほどだが、首里駅前にはタクシーの列があり、観光客に利用を勧める。いわゆる1つの“客引き”だが、よくない行為だ。まだまだ若いモンには負けない自信と、歩くことが好きなので、前日みたいに緊急措置以外、タクシーを使うことはないが、100円均一なら、考えただろう。だが、客引きをするのではなく、運転席でじっと待つべきだ。“果報は寝て待て”で、お客様を迎えるのが基本精神ではないのか。
クネクネした坂道を登り、首里城公園へ。まずは歓会門をくぐる。1500年前後に創建し、昭和20年(1945年)の第2次世界大戦で焼失。昭和49年(1974年)に復元されている。
周囲は石垣となっているが、日本の城とはひと味もふた味も違う。「中国4000年の歴史」という言葉が当てはまるほど、日本的ではない。とりあえず、ケータイのカメラで撮ったあと、首里城正殿へと急ぐ。
余談だが、歓会門は別名、『あまへ御門(Ujoh)』と言う。「あまへ」は琉球の古い言葉で“喜んで迎える”を意味しており、「歓会」はその漢訳である。
試練を与えるかのように、石段を登り、瑞泉門へ。石門の上に櫓(Yagura)が乗っており、門前はシーサーが門番の如く、2つある。大相撲にたとえると、櫓が横綱、シーサーは太刀持ちと露払いである。
「瑞泉」とは、“立派な、めでたい泉”という意味で、瑞泉門は別名、『ひかわ御門』と言う。「ひ」は樋(Toi)のことで、「かわ」は琉球の井戸や泉をさす。ちなみに1470年頃に創建し、昭和20年(1945年)の第2次世界大戦で焼失。平成4年(1992年)に復元された。
続いて、漏刻門(Rohkokumon)をくぐる。「漏刻」とは中国語で“水時計”という意味。櫓の中に水で時間をはかる水槽が設置され、漏刻門を過ぎた広場に日影台(Nichikagedai)があり、そこの日時計の2つで時刻をはかり、たいこをたたいて、現在時刻を知らせたという。また、漏刻門は別名、『かご居せ御門』と言われ、駕籠で登城することを許されていた高貴な役人も、国王に敬意を表し、ここで下りたという。15世紀に創建され、昭和初期に老朽化で撤去。平成4年(1992年)に復元された。
漏刻門をくぐったあとは、先ほど述べた日影台。日時計で正午及び、その前後の時刻をはかり、漏刻でくわしい時刻をはかっていたという。カンタンに言えば、日時計は水時計の補助的な役割ってワケ。ちなみに昭和20年(1945年)の第2次世界大戦で破壊されたが、2000年に復元している。
石門2つをくぐったあとは、広福門(Kohfukumon)といって、木造の建物。首里城はすべて朱色となっているので、もし、琉球にプロ野球やJリーグの本拠地を置いた場合、チームカラーは朱色になるだろう。
それはともかく、「広福」は“福を行き渡らせる”という意味で、広福門を抜けると、ここから先は800円(30人以上の団体は640円)払わないとは入れない。ちなみに高校生は600円(30人以上の団体は480円)、小・中学生は300円(30人以上の団体は240円)で、6歳未満はタダである。また、年間パスポートもあり、大人1,600円、高校生1,200円、小・中学生600円である。首里城は言わば、“琉球のディズニーランド”なのであろう。
800円を払って、奉神門をくぐると、いよいよ、待ちに待った琉球のシンボル、首里城正殿である。
首里城正殿を見て、誰もが衝撃を受けている様子。子供以外は誰も近づくことはできない。優雅で、綺麗な建造物に圧倒されていることもあるが、大半は記念撮影で夢中になっている。
首里城は14世紀に創建され、2000年に世界遺産へ登録されたが、その歴史は波瀾万丈で、3度の焼失を乗り越え、平成4年(1992年)11月3日(火曜日・文化の日)に復元された(現在の首里城は4代目になる)。今も色あせていない様子だ。
首里城正殿は3階建ての木造建築物で、タイワンヒノキを使用。柱の数は1階101本、2階92本、3階60本で、瓦は57,900枚も使用している。
さて、観覧順序に従い、南殿・番所へ。ここは展示コーナーで、いよいよ首里城正殿へ。ここから先は土足現金となっており、靴を脱ぎ、巫女さんが1人1人にスーパーマーケットでよく見るレジ袋を渡す。世界遺産であることや、往時の面影を再現していることが理由(推測)のようだが、4代目の首里城正殿はハヤリのバリアフリー対応となっていて、車椅子昇降装置を設けていた。再建された現在の大阪城は鉄筋コンクリートで、エレベーターもついていた記憶があるので、“そっくりそのまま”の再現とはいかないようだ。
これは時代の流れなので、“進化した首里城”と思えばよく、周囲の人々に違和感のないよう、車椅子昇降装置も朱色が主体。首里城は中も外も朱色が主役だ。
首里城正殿の見学を終え、再び靴をはく。ちなみに首里城正殿は3階を見学することはできない。
北殿へ移動し、パネル展示や映像による首里城の解説を行なっている。売店やトイレもあり、見学コースはここで終わる。
似たような門ばかりで、この時は気に留めず、帰京してから気づいたが、“琉球の凱旋門”で、2,000円札のモデルとなった守礼門を通過。そのあと、琉装をしたお姉ちゃんが数人いて、記念撮影を売り込んでいるようだ。
道を間違え、首里高校の裏門へ。首里高校は翌日、正門へ寄ったので、この時の模様は別の機会で述べるとしよう。
軌道修正に成功し、金城町石畳道に。起点の交差点(信号機はない)にはマイクロバスが止まっている。ちょっと進むと(と言うより、下る)、どう見ても、ドラマのロケ隊としか考えられず、前方はスタッフが散らばっており、ハイビスカスのドライフラワーをかざりつけている。その家の表札を見ると、エッ、「古波蔵」だ(スタッフがマジックで記入)。
「ゆいレールの駅で国仲さん見ましたよ」
「どこの駅でですか?」
とNHKのスタッフに声をかけてみると、ビックリした様子。私はたまたま見かけただけだが……
「えーと、アサトだったかなぁー?」
私は答えるのに苦労した。駅名の漢字は覚えていたが、よみがなはすっかり忘れていた。完全に覚えたのは帰京してからだ。
そのあと、古波蔵邸から40代後半から50代前半であろう、男性1人が出てきた。
「ここにお住まいの方ですか?」
「いえ、違います」
とあっさり否定。古波蔵邸は現在、誰も住んでいないという。NHK沖縄放送局が買い取って、いつでもロケに使えるようにしたらどうだろうか。
私は首里駅を下車し、首里城を経由して、こちらにいるが、あることに気づいた。
それは、えりぃーが那覇北高校卒業後、実家を家出して、上京するため、那覇空港に向かった(であろう)というシーンがあったが、坂を下っている。そして、実家に戻る時は坂を登っていることになるのだか、これも“てーげー”だった。実際は登らないと那覇空港には行けないのである。但し、その当時、ゆいレールはなく、坂を下ったところに那覇空港へ向かう停留所があれば、“てーげー”にはならないだろう。
さて、金城町石畳道の坂を下るが、傾斜がきつかった。3往復すれば、足腰が鍛えられ、地面が石なので、“土ふまず”がより強化されるだろう。ちなみに私は1往復したが、時間の都合でロケシーンは見なかった。
首里駅に戻り、那覇空港へ向かう。日が暮れる頃に着いたが、夜はどのくらい観光客が来るかなと注目したところ、やっぱりいた。
そのあと、再び旭橋へ。那覇バスターミナルを視察した。翌日、糸満市の平和の礎(Ishiji)へ行こうかと思ったが、時刻表がない。また、1日では那覇市をまわり切れず、翌日も続行することに決めた。
そのあと、美栄橋へ戻り、第1牧志公設市場へ。時刻は20時を過ぎたせいか、店じまい。だが、国際通りはにぎわっていた。
私は宿へ戻り、晩メシを食って、休むとしよう。
★備考
①今回の記事は、2004年11月に執筆したもので、一部加筆・修正をしています。
②岸田法眼のRailway Blog.「2004年の汽車旅5-3」
③岸田法眼のRailway Blog.「2002年の汽車旅9-4」
④コメントで御指摘を受けた部分があり、本文の一部を修正しています。
★おまけ
『ちゅらさん』のおばぁー。
国際通り郵便局に入るが、郵便局という雰囲気はまったくない。玄関は『地酒横丁 泡盛蔵元直売店』の楷書のカンバンが強烈なインパクトを与え、右下のスミに『〒国際通り郵便局』と控えめ。郵便局と泡盛販売店、三線(Sanshin)店(三味線に似た弦楽器)が一体となっており、おそらく、その店で購入したおみやげをゆうパックで送ってもらおうという意図があるのだろう。2階はエフエム那覇で、もし、誰かが私の日本完全制覇を“密告”していたら、出演していた可能性があったかもしれない。
さぞ、にぎわっているかと思いきや、ガラガラ。おみやげ屋があちこちに点在していることや、郵便局が目立っていないこともある。でも、こういう“変わりダネ郵便局”は末永く、残して欲しい。ちなみに局名印は「奇跡の1マイル国際通り郵便局」である。
さて、ようやく昼メシ。美栄橋駅近くの食堂で、念願の沖縄そばを食べる。以前から食べたかった。大盛りの食券を店員に渡すと、この日はサービスデーだったようで、炊き込みごはんと汁モノがついた。
沖縄そばは、そば粉を使わないのが特長。以前、『どっちの料理ショー』で、沖縄ソーキそばが圧勝しているのだから、おいしいはず。まずはかつおだしのスープを飲む。かつおだしはあっさりしていて、うまい。そして、そばを食べると、味はしないものの、コシとボリュームはある。
ソーキはブタのあばら肉ことで、琉球の肉はポークが主流。コシがあり、プリプリ感がするほどやわらかく、骨まで食える。ほかに卵とカマボコが入っているが、かなりのボリュームとサービスの炊き込みごはんで、おなかパンパン。これなら、普通盛りで十分であるが、大満足して、店を出る。
ゆいレールに戻り、牧志へ。下車したら、そこは国際通りで、近くに牧志郵便局があり、旅行貯金。琉球の花、赤いハイビスカスのスタンプを押したあと、「南国沖縄 牧志郵便局」の局名印を押す。ちなみに主務者印はあいているスペースに押してもらっている。
そして、来訪記念なのか、黒糖をいただく。近年(2003年以前)、黒糖はミネラルやビタミンが豊富で、長寿食として、クローズアップされている。いただいた黒糖は加工品のお菓子で、さっそく食べてみるが、ほどよい甘さで、すぐ口に溶けた。
私が砂糖を使う時は自宅でアイスコーヒーを作るぐらいだが、“今後は黒糖を入れて、もっと健康管理に努めるべきかな”と思った。スーパーマーケットで売っている黒砂糖ではなく、琉球の黒糖だ。お値段が気になるところだが、不思議なことに砂糖や塩に賞味期限はない。
ゆいレールに戻り、安里(Asato)へ。ここも難読で、下車すると、道路はクルマで埋めつくされている。ちなみに琉球の人口は190萬人で、100萬人近くは本島に在住しているという(2004年当時)。
ここでは徒歩7分のところにある大道郵便局で旅行貯金。安里駅へ戻り、向かいのホームに回送電車が現れた。ところが、回送電車であるにもかかわらず、人が乗っている。なんかおかしい。その直後である。
「ウッ、ウソ?!」
と私は思わず、声をあげた。後部車両には、なっ、なっ、なんと、クッ、クッ、国仲涼子が乗っていたのである。どうやら、回送電車は“貸切電車”で、『ちゅらさん3』のロケをしていたのだ。
その隣には子役の女の子が乗っていた。このシーンは第3回に放送され、わずか5秒ほどのシーンだったが、撮影した地点には国場川が見えた。
実は8月に琉球でロケをやるというウワサ話を入手していたが、まさか遭遇するとは想像もしていなかった。
さて、『ちゅらさん3』のロケ電車は15秒ほど停車したあと、発車。わたしは、おもろまちへ向かい、那覇真嘉比郵便局で旅行貯金。探すのに苦労した。
ゆいレールに戻り、次の古島で下車するも、近辺に郵便局はなく、時刻も締め切りの16時になろうとしていたため、この日の旅行貯金は14局で終了。ゆいレール全駅に下車して、16時までに旅行貯金ができるだろうと思っていたが、郵便局以外にも寄っていたため、意外と時間がかかってしまった。
終点首里まで乗り、下車すると、2,000円札の利用促進を求める貼り紙が目につく。当初から“不評になるだろう”と懸念されていたが、その通りとなっている。銀行のATMでも入っていないようだし、琉球で2,000円札を使っている人を見ることは、今回の旅ではなかった。それどころか、2004年11月1日(月曜日)から登場した野口英世の1,000円札、樋口一葉の5,000円札は都内で早くも姿を見せており、2,000円札はますます影が薄くなっている。
それを打開するには、銀行や郵便局のATMは意図的に2,000円札を入れ、自販機(煙草、アルコール、公序良俗に反するモノは除く)も2,000円札対応に改造し、それを使用した人には品物1本無料サービスするなど、国が総力をあげてバックアップしないとダメだろう。コレクターにとっては、2,000円札が普及すると、値打ちがなくなり、“お宝”にもならないが……
さて、次なる目的地は首里城。ここから首里城公園までは1キロほどだが、首里駅前にはタクシーの列があり、観光客に利用を勧める。いわゆる1つの“客引き”だが、よくない行為だ。まだまだ若いモンには負けない自信と、歩くことが好きなので、前日みたいに緊急措置以外、タクシーを使うことはないが、100円均一なら、考えただろう。だが、客引きをするのではなく、運転席でじっと待つべきだ。“果報は寝て待て”で、お客様を迎えるのが基本精神ではないのか。
クネクネした坂道を登り、首里城公園へ。まずは歓会門をくぐる。1500年前後に創建し、昭和20年(1945年)の第2次世界大戦で焼失。昭和49年(1974年)に復元されている。
周囲は石垣となっているが、日本の城とはひと味もふた味も違う。「中国4000年の歴史」という言葉が当てはまるほど、日本的ではない。とりあえず、ケータイのカメラで撮ったあと、首里城正殿へと急ぐ。
余談だが、歓会門は別名、『あまへ御門(Ujoh)』と言う。「あまへ」は琉球の古い言葉で“喜んで迎える”を意味しており、「歓会」はその漢訳である。
試練を与えるかのように、石段を登り、瑞泉門へ。石門の上に櫓(Yagura)が乗っており、門前はシーサーが門番の如く、2つある。大相撲にたとえると、櫓が横綱、シーサーは太刀持ちと露払いである。
「瑞泉」とは、“立派な、めでたい泉”という意味で、瑞泉門は別名、『ひかわ御門』と言う。「ひ」は樋(Toi)のことで、「かわ」は琉球の井戸や泉をさす。ちなみに1470年頃に創建し、昭和20年(1945年)の第2次世界大戦で焼失。平成4年(1992年)に復元された。
続いて、漏刻門(Rohkokumon)をくぐる。「漏刻」とは中国語で“水時計”という意味。櫓の中に水で時間をはかる水槽が設置され、漏刻門を過ぎた広場に日影台(Nichikagedai)があり、そこの日時計の2つで時刻をはかり、たいこをたたいて、現在時刻を知らせたという。また、漏刻門は別名、『かご居せ御門』と言われ、駕籠で登城することを許されていた高貴な役人も、国王に敬意を表し、ここで下りたという。15世紀に創建され、昭和初期に老朽化で撤去。平成4年(1992年)に復元された。
漏刻門をくぐったあとは、先ほど述べた日影台。日時計で正午及び、その前後の時刻をはかり、漏刻でくわしい時刻をはかっていたという。カンタンに言えば、日時計は水時計の補助的な役割ってワケ。ちなみに昭和20年(1945年)の第2次世界大戦で破壊されたが、2000年に復元している。
石門2つをくぐったあとは、広福門(Kohfukumon)といって、木造の建物。首里城はすべて朱色となっているので、もし、琉球にプロ野球やJリーグの本拠地を置いた場合、チームカラーは朱色になるだろう。
それはともかく、「広福」は“福を行き渡らせる”という意味で、広福門を抜けると、ここから先は800円(30人以上の団体は640円)払わないとは入れない。ちなみに高校生は600円(30人以上の団体は480円)、小・中学生は300円(30人以上の団体は240円)で、6歳未満はタダである。また、年間パスポートもあり、大人1,600円、高校生1,200円、小・中学生600円である。首里城は言わば、“琉球のディズニーランド”なのであろう。
800円を払って、奉神門をくぐると、いよいよ、待ちに待った琉球のシンボル、首里城正殿である。
首里城正殿を見て、誰もが衝撃を受けている様子。子供以外は誰も近づくことはできない。優雅で、綺麗な建造物に圧倒されていることもあるが、大半は記念撮影で夢中になっている。
首里城は14世紀に創建され、2000年に世界遺産へ登録されたが、その歴史は波瀾万丈で、3度の焼失を乗り越え、平成4年(1992年)11月3日(火曜日・文化の日)に復元された(現在の首里城は4代目になる)。今も色あせていない様子だ。
首里城正殿は3階建ての木造建築物で、タイワンヒノキを使用。柱の数は1階101本、2階92本、3階60本で、瓦は57,900枚も使用している。
さて、観覧順序に従い、南殿・番所へ。ここは展示コーナーで、いよいよ首里城正殿へ。ここから先は土足現金となっており、靴を脱ぎ、巫女さんが1人1人にスーパーマーケットでよく見るレジ袋を渡す。世界遺産であることや、往時の面影を再現していることが理由(推測)のようだが、4代目の首里城正殿はハヤリのバリアフリー対応となっていて、車椅子昇降装置を設けていた。再建された現在の大阪城は鉄筋コンクリートで、エレベーターもついていた記憶があるので、“そっくりそのまま”の再現とはいかないようだ。
これは時代の流れなので、“進化した首里城”と思えばよく、周囲の人々に違和感のないよう、車椅子昇降装置も朱色が主体。首里城は中も外も朱色が主役だ。
首里城正殿の見学を終え、再び靴をはく。ちなみに首里城正殿は3階を見学することはできない。
北殿へ移動し、パネル展示や映像による首里城の解説を行なっている。売店やトイレもあり、見学コースはここで終わる。
似たような門ばかりで、この時は気に留めず、帰京してから気づいたが、“琉球の凱旋門”で、2,000円札のモデルとなった守礼門を通過。そのあと、琉装をしたお姉ちゃんが数人いて、記念撮影を売り込んでいるようだ。
道を間違え、首里高校の裏門へ。首里高校は翌日、正門へ寄ったので、この時の模様は別の機会で述べるとしよう。
軌道修正に成功し、金城町石畳道に。起点の交差点(信号機はない)にはマイクロバスが止まっている。ちょっと進むと(と言うより、下る)、どう見ても、ドラマのロケ隊としか考えられず、前方はスタッフが散らばっており、ハイビスカスのドライフラワーをかざりつけている。その家の表札を見ると、エッ、「古波蔵」だ(スタッフがマジックで記入)。
「ゆいレールの駅で国仲さん見ましたよ」
「どこの駅でですか?」
とNHKのスタッフに声をかけてみると、ビックリした様子。私はたまたま見かけただけだが……
「えーと、アサトだったかなぁー?」
私は答えるのに苦労した。駅名の漢字は覚えていたが、よみがなはすっかり忘れていた。完全に覚えたのは帰京してからだ。
そのあと、古波蔵邸から40代後半から50代前半であろう、男性1人が出てきた。
「ここにお住まいの方ですか?」
「いえ、違います」
とあっさり否定。古波蔵邸は現在、誰も住んでいないという。NHK沖縄放送局が買い取って、いつでもロケに使えるようにしたらどうだろうか。
私は首里駅を下車し、首里城を経由して、こちらにいるが、あることに気づいた。
それは、えりぃーが那覇北高校卒業後、実家を家出して、上京するため、那覇空港に向かった(であろう)というシーンがあったが、坂を下っている。そして、実家に戻る時は坂を登っていることになるのだか、これも“てーげー”だった。実際は登らないと那覇空港には行けないのである。但し、その当時、ゆいレールはなく、坂を下ったところに那覇空港へ向かう停留所があれば、“てーげー”にはならないだろう。
さて、金城町石畳道の坂を下るが、傾斜がきつかった。3往復すれば、足腰が鍛えられ、地面が石なので、“土ふまず”がより強化されるだろう。ちなみに私は1往復したが、時間の都合でロケシーンは見なかった。
首里駅に戻り、那覇空港へ向かう。日が暮れる頃に着いたが、夜はどのくらい観光客が来るかなと注目したところ、やっぱりいた。
そのあと、再び旭橋へ。那覇バスターミナルを視察した。翌日、糸満市の平和の礎(Ishiji)へ行こうかと思ったが、時刻表がない。また、1日では那覇市をまわり切れず、翌日も続行することに決めた。
そのあと、美栄橋へ戻り、第1牧志公設市場へ。時刻は20時を過ぎたせいか、店じまい。だが、国際通りはにぎわっていた。
私は宿へ戻り、晩メシを食って、休むとしよう。
★備考
①今回の記事は、2004年11月に執筆したもので、一部加筆・修正をしています。
②岸田法眼のRailway Blog.「2004年の汽車旅5-3」
③岸田法眼のRailway Blog.「2002年の汽車旅9-4」
④コメントで御指摘を受けた部分があり、本文の一部を修正しています。
★おまけ
『ちゅらさん』のおばぁー。
特急〈日光〉〈きぬがわ〉用485系300・1000番代、189系『彩野』フォーエヴァー [プラットホーム2011]
2011年6月3日(金曜日)、新宿18時32分着の特急〈日光8号〉をもって、東武鉄道(以下、「東武」)直通用の485系300・1000番代が特急〈日光〉〈きぬがわ〉の運用を終えた。
2006年3月18日(土曜日)、画期的かつ革命的なJR東日本と東武の特急による相互直通運転がスタート。東武は100系スペーシアを使い、特急〈スペーシアきぬがわ〉として運行。一方、JR東日本は新車を用意せず、既存の国鉄形車両を投入した。
東武直通用の485系300・1000番代は、2002年12月1日(日曜日)の東北新幹線八戸延伸により、青森運転所(現・青森車両センター)から仙台電車区(現・仙台車両センター)へ転属。郡山―会津若松・喜多方間の特急〈あいづ〉として9年ぶりに復活したが、土休は特急〈ホリデーあいづ〉に名を変えている(1993年12月1日から2002年11月30日まで、同区間は特急〈ビバあいづ〉として運行。また、2002年3月23日から土休については、特急〈ホリデービバあいづ〉として運行)。
しかし、2003年10月1日(水曜日)、車両はそのまま快速に格下げし、愛称も〈あいづライナー〉に改称。一時期、運行を休止していたが、現在は赤い485系1000番代に変わっており、車内はリニューアルされている。
一旦運行休止になった快速〈あいづライナー〉の485系300・1000番代は、郡山総合車両センターで大規模なリニューアル改造を受け、2005年6月17日(金曜日)にお目見えした。塗装は当初から100系スペーシアに準じていた。
同年7月1日(金曜日)、9月30日(金曜日)まで行なわれる「福島県あいづデスティネーションキャンペーン」の目玉として、郡山始発の臨時特急〈あいづオープニング〉会津若松行きでリニューアルデビュー。以後、平日は臨時特急〈アクセスあいづ〉(郡山―会津若松間)、土休は臨時特急〈あいづ〉(新宿―喜多方間)で運行した。
同キャンペーンが終了すると、485系300・1000番代リニューアル車は“整形手術”を受け、前頭部はヘッドマークを撤去し、運転台はFRP製ブロックとなり、柔和な顔立ちとなった。また、東武用保安装置などを取りつけた。さらに予備車として、小山車両センターに所属していた189系『彩野』を抜擢した。こちらも東武用保安装置などを取りつけたほか、車体塗装はウルトラマンっぽいものから、485系300・1000番代リニューアル車に合わせたが、車内はそのままとなっている。
485系300・1000番代リニューアル車は小山車両センター、189系『彩野』は大宮総合車両センター東大宮センターにそれぞれ転属し、2006年3月18日(土曜日)を迎えた。ちなみに189系『彩野』は、485系300・1000番代リニューアル車の代走運用が少なく、臨時便としての運行が多かった。これは485系300・1000番代リニューアル車の検査や故障等の代走は、100系スペーシアを優先していたからである。このため、特急〈スペーシア日光〉が走ることもあった。
私は特急〈日光〉〈きぬがわ〉を利用することはなかった。これはどう見ても100系スペーシアのほうが魅力的だからである。グリーン車と遜色がない普通車指定席、4人用個室(JR東日本はグリーン個室とみなしている)は、運行開始から21年たっても色あせることはない。また、485系300・1000番代リニューアル車は、座席と側窓の位置が合わないところもマイナスだった。100系スペーシアに充分対抗できる車両の投入を待つレールファンも少なくなかっただろう(ちなみに100系スペーシアは、2011年度からリニューアル工事を開始する予定)。
JR東日本は2011年6月4日(土曜日)、特急〈日光〉〈きぬがわ〉は253系1000番代にバトンタッチした。当初は同年4月16日(土曜日)の予定だったが、3月11日(金曜日)に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。東京電力福島第一原子力発電所の事故も重なり、節電を余儀なくされ、3月14日(月曜日)から4月28日(木曜日)まで、運休せざるを得なかった。
東日本大震災以後、栃木県日光市は観光客が減少していると聞く。ゴールデンウィークは、電力不足の影響で、東武の臨時特急や臨時快速が運行できなかったこともあり、思うほど回復しなかったという。253系1000番代は観光客復権の切札になることを願いたい。
★備考
①eyeVio「JR東日本E259系開幕戦&N'EX SPECIAL2010 THE MOVIE」
②参考資料として、鉄道ジャーナル社刊行、『鉄道ジャーナル』2003年11月号、2005年9月号、2006年4・6月号をそれぞれ使用。
③岸田法眼のRailway Blog.「近未来予測車両-JR東日本253系-」
④岸田法眼のRailway Blog.「N'EX SPECIAL 2010-前編-(特急〈成田エクスプレス〉初代車両、253系フォーエヴァー)」
⑤岸田法眼のRailway Blog.「JR東日本E259系開幕戦」
⑥岸田法眼のRailway Blog.「どうなる? 253系200番代」
⑦岸田法眼のRailway Blog.「特急〈スペーシアきぬがわ3号〉鬼怒川温泉行き」
⑧岸田法眼のRailway Blog.「JR東日本253系1000番代車両展示会 in 品川」
★おまけ
東京臨海高速鉄道70-000系の各駅停車新木場行き
253系1000番代の特徴の1つといえる、スーパーバットラックシート。