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INDEX 2006年11月 [INDEX]
◆11月2日(木曜日)
INDEX 2006年10月
(INDEX)
◆11月3日(金曜日・文化の日)
JR東日本301系フォーエヴァー
(汽車旅2003番外編)
◆11月4日(土曜日)
臨時急行<ファンタジー号>新木場行き
(汽車旅2003番外編)
◆11月5日(日曜日)
多摩モノレール車両基地見学会2006
(汽車旅2006番外編)
◆11月11日(土曜日)
2003年の汽車旅6-1
(汽車旅2003)
◆11月12日(日曜日)
2003年の汽車旅6-2
(汽車旅2003)
◆11月14日(火曜日)
2003年の汽車旅6-3
(汽車旅2003)
◆11月15日(水曜日)
2003年の汽車旅6-4
(汽車旅2003)
◆11月16日(木曜日)
2003年の汽車旅6-5
(汽車旅2003)
◆11月17日(金曜日)
2003年の汽車旅6-最終回
(汽車旅2003)
◆11月20日(月曜日)
東武ファンフェスタ2006
(汽車旅2006番外編)
◆11月21日(火曜日)
2003年の汽車旅7-前編-
(汽車旅2003)
◆11月22日(水曜日)
2003年の汽車旅7-後編-(JR東日本165系フォーエヴァー)
(汽車旅2003)
◆11月23日(木曜日・勤労感謝の日)
臨時特急<懐かしの特急そよかぜ号>横川行き
(プラットホーム2003)
◆11月24日(金曜日)
臨時快速<ムーンライト東京>仙台行き
(プラットホーム2003)
◆11月25日(土曜日)
東海道新幹線100系フォーエヴァー③
(プラットホーム2003)
◆11月26日(日曜日)
東海道新幹線100系フォーエヴァー④
(プラットホーム2003)
◆11月30日(木曜日)
INDEX 2006年11月
(INDEX)
東海道新幹線100系フォーエヴァー④ [プラットホーム2003]
①2003年9月13日(土曜日)
JR東海の東海道新幹線東京へ。すでに東海道新幹線で定期運行を終えた100系だが、もうひと暴れするするということで、〈こだま〉運行時よりもレールファンは多く集結したものの、0系フォーエヴァーほどの数ではない。JR西日本山陽新幹線で継続運行する安心感がそうさせているのだろうか?
秋晴れに恵まれ、14番線に臨時〈ひかり319号〉新大阪行きが入線した。停車駅は名古屋・京都のみで、全盛期をほうふつさせる“夢の超特急”の復活だ。
東海道新幹線は品川をプラスすることに合わせて、駅の案内表示も“『ザ・ベストテン』方式”からフルカラーLEDにチェンジしていた。今まで、LEDは緑、オレンジ、赤の3色だったが、フルカラーLEDは黄色、青、白も表示できるようになり、その輝きは綺麗だ。
これに合わせて、乗車口にもフルカラーLEDを新設することになったが、まだまだテスト段階のようで、「調整中」の貼り紙がはがれない状況だ。
100系の醍醐味は2階建て車両で、すでに食堂車つきの編成はないが、レールファンでなくても、“夢の人気車両”であることに変わりはない。
11時30分、青空のもと、定刻通りに発車した。
②2003年9月15日(月曜日・敬老の日)
東海道新幹線が開業した昭和39年(1964年)、100系がデビューした昭和60年(1985年)に共通することがある。
それは阪神タイガースが優勝していることだ。また、大雪になる傾向もあるようだ(2003・2004年は関東地方の大雪なし)。
この日、阪神タイガースがセリーグ優勝を達成。もしかしたら、2003年9月13日(土曜日)、臨時〈ひかり319号〉新大阪行きに乗って、甲子園球場へ向かったレールファンやトラ吉もいるだろう。“100系で甲子園球場に乗り込み、阪神タイガース優勝”という劇的な幕切れを期待するとは“メークドラマ”を夢見ているしあわせな方でうらやましい。
大相撲秋場所があるものの、すっぽかしてでも100系を撮りに再び東京へ。
1
5番線に臨時〈ひかり330号〉が到着。この電車は折り返し、回送となる。私は16号車で待ち構えたが、100系の姿に武者震いがする。
回送の発車を見届けたあと、16番線に移動。今度は臨時〈ひかり332号〉が到着。折り返し、臨時〈ひかり343号〉新大阪行きとなる。
思ったほどレールファンは多くないものの、“東京ナイト100系”の目に焼きつけようと思い思いにシャッターを切る。発車を待つ100系のホームは“テーマパーク”と化しているようだ。
私は14・15番線新横浜寄りにまわり、臨時〈ひかり343号〉新大阪行きの発車を見送る。夜のテールライトはまぶしく輝き、姿が消えるまでの1分以上、レールファンの多くはしっかりと見届けていた。まるで彼女が遠く、果てしないところへ行くかのように…
2003年9月16日(火曜日)、100系が東海道新幹線から姿を消す。いったい、どんな日になるのだろう?
※次回の「東海道新幹線100系フォーエヴァーTHE LAST RUN」はこちらにクリックして下さい。
★お知らせ
当ブログの御利用のお客様はもう41,000人に到達しました。すごいペースです。ありがとうございます。
★備考今回の動画はこちらにクリック!!
★おまけ
東海道新幹線100系フォーエヴァー③ [プラットホーム2003]
2003年8月31日(日曜日)、JR東海の東海道新幹線東京へ。ちなみに東京駅の駅長は3人いる。
この日を持って、100系は東海道新幹線での定期運行は千秋楽となり、残るは東京-新大阪間の臨時〈ひかり〉で花道を飾ることになっている。100系は〈ひかり〉がよく似合う。
前日より、レールファンは多かったが〈こだま464号〉が到着。折り返し、〈こだま425号〉新大阪行きとなり、東海道新幹線100系定期便の終電となる。
東海道新幹線のホームは不思議な空間だ。電車はひっきりなしに来ないし、1号車寄りにいると、隣りのJR東日本東海道本線有楽町が見えるのだから。
ついに〈こだま425号〉新大阪行きが発車。感慨深けに見送る。100系の姿が消えるまで、ずーっと眺めていた。それはレールファンの多くが同じだ。100系は心に残る名車なのだから。
★備考
①次回の「東海道新幹線100系フォーエヴァー④」はこちらにクリックして下さい。
②今回の動画はこちらにクリック!!
★おことわり
掲載している画像は前日に撮影したものです。これは当日、動画を撮っていたこともあります。ちなみに撮影したのはドコモの携帯電話、P2102Vで、画像は載せられても、動画はMP4タイプではないため、載せられないのが残念です。
臨時快速<ムーンライト東京>仙台行き [プラットホーム2003]
2003年8月30日(土曜日)、JR東日本京葉線東京へ。
2002年は秋から年末にかけて大暴れした583系だが、JR東日本所有車はたった2編成15両(9両編成と6両編成グリーン車なし)と絶滅に近い状況。しかも、1編成しか残さない予定だったそうだが、仙台支社が戦力と判断し、廃車はまぬがれ、郡山工場で“大手術”を受けた。
2002年暮れに郡山-仙台間で運行した臨時快速<SENDAI光のページェント>で登板した時はボロボロで、見るも無残の状態。念願のオリジナルカラーの583系に初乗車する嬉しさと、ボディーの傷みが激しい悲しさもあった。
臨時快速<ムーンライト東京>は東京-仙台間を京葉線経由で結ぶ。東京ディズニーランド下車駅の舞浜にも停まるので、仙台方面からだと1日中遊べるようなダイヤとなっている。
市販の時刻表に臨時快速<ムーンライト東京>は全車指定席で、なおかつ、ゴロンとシート(寝台はセットされるものの、寝具類は用意されないため、寝台車の扱いにならないのがウリ)で運行するという。583系の寝台経験がないだけに、“乗りたい”と思った。
ところが、翌月号では「ゴロンとシート」の表示はなく、全車ボックスシートで運行すると訂正され、多くのレールファンはガッカリしただろう。
さて、京葉線ホームは思ったほどレールファンは少なかったものの、1番線に臨時快速<ムーンライト東京>仙台行きが入線した。
ヘッドマークや方向幕は同一デザインの表示で、国鉄時代のような硬さがなく、親しみやすい。「ムーンライト」だけの表示なので、<ムーンライト東京>だけにはこだわらないようだ。
意外と空席が多かったものの、22時15分に発車。轟音と今まで違う583系の“姿の消し方”が新鮮だった。
なお、2004年から東京行きは臨時快速<ムーンライト東京>、仙台行きは臨時快速<ムーンライト仙台>に改めている。
★お知らせ
2006年11月24日(金曜日)で、御利用のお客様は40,000人を突破いたしました。1年間でこれほどの御利用があるとは想像もしていませんでしたが、ここまでやってこれたのは皆様のおかげです。
今後とも、よろしくお願いします。
岸田法眼
臨時特急<懐かしの特急そよかぜ号>横川行き [プラットホーム2003]
2003年8月30日(土曜日)、JR東日本上野へ。臨時特急<懐かしの特急そよかぜ号>横川行きを見る。この日と次の日に運転しているせいか、意外とレールファンは少なかった。
臨時特急<そよかぜ>は上野-中軽井沢間を運行する不定期電車で、エル特急<あさま>を補完するような役割を持っていたが、北陸新幹線開業を待たずして、姿を消した(北陸新幹線は当初、北陸地方へ向かわないため、「長野行新幹線」と案内していたが、マスコミは開業当初から「長野新幹線」と伝え、いつのまにかJR東日本もそのように改めた)。
先頭6号車を見ると、クハ189-9。見覚えがあったので、調べてみたら、2003年8月24日(日曜日)に「2003年の汽車旅7-後編」で乗った各駅停車<妙高1号>直江津行きと同じ編成だった(前回の記事参照)。
絵入りヘッドマークと方向幕はシール式。現役時代は489系で運行しているイメージが強かったが、189系でも運行されている。ちなみにJR東日本は489系を所有していたが、すでに全滅也。
余談だが、この日乗った、常磐線の車掌は上越・長野新幹線(正式名称は「北陸新幹線」)を「上信越新幹線」と案内していた。
★御案内
当ブログは今回で150回を迎えることができました。今後とも、よろしくお願いします。
2003年の汽車旅7-後編-(JR東日本165系フォーエヴァー) [汽車旅2003]
2003年8月24日(日曜日)、臨時快速〈ムーンライト信州81号〉白馬行き(7号車指定席モハ183-27)は松本から大糸線に入り、終点に白馬に到着し、下車。夏のアルプスはまだ残雪がある。
普通電車信濃大町行きワンマンカー(クモハE127-110)、快速塩尻行き(クモハE127-111)で松本へ引き返し、篠ノ井線の普通電車長野行き(モハ114-1070:リニューアル車)に乗り換え。
この日は数パターンを用意。夜も明けぬ松本で、松本電気鉄道上高地線に乗り換えることを考えていたが、①隣席女性が終点白馬まで利用すること②寝たい③大糸線の車窓を楽しみたいなどから見送り。
この日は某列車に乗るため、時刻表とにらめっこをしたら、弥彦線のダイヤが悪く、乗車見送り。 坂北で快速松本行きと行き違うが、なっなんとE257系!!
「こんなのアリ?!」
って感じ。ちなみに下りは松本19時30分発が該当するようだ(この記事を掲載している2006年11月22日も変わらない)。
終点長野で下車し、川中島バス若槻循環に乗って、善光寺大門へ。ここまで100円!!
善光寺で参拝し、長野電鉄で戻ることを考えたが、ダイヤがよくなく、川中島バス長野駅行き『びんずる1号』で折り返し。オバサンが運転していたが、サンダルをはいており、道路交通法に引っ掛かるのでは?
長野駅に戻り、信越本線の各駅停車〈妙高1号〉直江津行き(3号車自由席モハ189-40)へ。
ここではFOMAのフル充電にあて、165系・167系が長野の車両基地で無残にも解体。また、豊野付近で、遠目から長野新幹線の車両基地が見えた。
終点直江津で普通電車長岡行き(クモハ115-1561)に乗り換え。たった2両しかなく、全員坐れない。
柿崎まで長い直線で、そこから柏崎まで“日本海オーシャンショー”だが、複線なのに、すれ違う列車が1本だけという光景は異様だった。
終点長岡目前で停止信号が長引き、上越新幹線新潟行きに乗れず(きっぷを買っていなかった)、特急〈北越3号〉新潟行き(6号車自由席クハ481-332)へ。
6号車自由席はリクライニングシート、4・5号車自由席は1段高いデラックスタイプ、指定席は座面も動かせる“ファミコンシート”で、どっちがトクなのか?(半室グリーン車と答える人もいるだろう)
ここで誤算が発生!!
私は新潟で快速〈くびき野2号〉新井行きで折り返すつもりでだったが、なんと新津-新潟間ですれ違うことが判明。やむなく新津まで利用(乗車後の利用区間短縮はできない)。
新津で快速〈くびき野2号〉新井行き(1号車自由席クハ481-1507)へ。ちなみに4号車自由席以外は1段高いデラックスタイプである。
長岡で臨時快速〈こころ〉越後湯沢行き(1号車自由席クハ165-203)に乗り換え。ってことは“165系フォーエヴァー”。
宮内から上越線に入り、車内は“『こころ』づくし”で、レールファンと地元視聴者が半々だが、共通していたのはロケ地車窓に興味がないことである。
終点越後湯沢に到着。大半のレールファンは“居残り”で撮影に励み、ベテラン運転士もケータイカメラでナイスショットするシーンもあった(私は1度下車して晩メシ購入)。
普通電車水上行き終電(1号車クハ115-1055:リニューアル車)は満席!! これに乗り遅れると、青春18きっぷで関東地方へ進めない。
終点水上で普通電車高崎行き(クハ115-1022)に乗り換え、激しい雷雨に。
雷雨の痕跡すらない終点高崎で高崎線の普通電車上野行き(10号車クハE231-6003:近郊形タイプ)に乗り換え、帰京。今回は平穏無事に終わった。
※備考:「暴れん坊165系2003(プラットホーム2003)」も合わせて御覧下さい。
2003年の汽車旅7-前編- [汽車旅2003]
2003年8月22日(金曜日)、出掛けた時にヘッドホンステレオ(カセットテープ)の片方のローラーが外れるアクシデントはあったが、奇跡的に聴ける!! aiwaはスゴイ!!(その後、しばらくは大丈夫だったが、やっぱりこわれた)
JR東日本品川から三たび、東海道本線の臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行き(7号車指定席モハ189-26)で旅立ち。今回は初めてリクライニングシートに坐ったが、3回とも同じ編成だった(10号車指定席はデラックス車)。
2003年8月23日(土曜日)、JR東海に入ると、悪い夢にうなされ、隣席の男(落ち着きのないヤツだった)にヒジテツしてしまった。
終点大垣に到着し、普通電車豊橋行き(クハ310-5)で岐阜へ。
名古屋鉄道新岐阜駅へ移動し、各務原線(Kakamigahara Line)の普通電車(新鵜沼から急行)内海行き(1号車3113:新鵜沼から5号車)へ。ちなみに新岐阜は現在、「名鉄岐阜」に改称している(次からは「名鉄」と略す)。
高田橋からJR東海高山本線と並走し、新鵜沼に到着。各務原線全線完乗達成!!
新鵜沼で4両増結し、3113は1号車から5号車に変わり、ここからは犬山線へ。犬山で小牧線の普通電車平安通行き(311:ワンマン)に乗り換え。
2003年春に利用した時は車掌乗務の肉声放送だったが、現在はワンマン運転の自動放送(英語つき)に変わった。
小牧原で桃花台新交通桃花台線“ピーチライナー”の桃花台東行き(№1 115:ワンマン運転)に乗り換え。ちなみに№4(4号車のこと)は弱冷房車で、新交通と言えども運転士が乗務している。
東名高速をまたぎ、すぐのところが終点桃花台東。付近には高速バスの桃花台停留所がある。
Uターンシーン(「nターン」「Ωターン」が適切かも)を見届け、小牧行き(№1 111)へ。終点小牧まで乗り、全線完乗達成!! しかし、2006年9月30日(土曜日)でフォーエヴァー。
下車して、小牧駅前のオブジェを少し眺め、名鉄小牧線に戻り、普通電車平安通行き(335:ワンマン運転)へ。ロングシートより、転換クロスシートに人気集中!!
牛山で日航ジャンボ機が離陸。このあたりに小牧空港があるようだ。
味鋺(Ajima)発車後、地下へ入り、上飯田に到着すると、ホームドアがあり、ここから名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)上飯田線へ。
わずか1区間で終点平安通に到着し、全線完乗達成!!
普通電車犬山行き(333:ワンマン運転。名鉄車)に乗り、地上へ登ると、廃線区間は駐車場にチェンジ!!
上飯田から名鉄小牧線に戻り、終点犬山で犬山線の急行内海行き(6460)に乗り換え、上小田井で名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)鶴舞線へ。
名鉄車2本を見送り、“3度目の正直”で、地下鉄車が到着。豊田市行き(3123)へ。
赤池で全線完乗を果たし、名鉄豊田線へ。
梅坪で全線完乗を達成し、三河線に入り、終点豊田市に到着。普通電車知立行き(6243:ワンマン運転)に乗り換え。
名鉄のドアチャイムは帝都高速度交通営団(2004年4月1日、「東京地下鉄」に改称)のパクリで、この電車はアレンジしていた。
若林-三河八橋間で第2東名高速らしき道路が大々的に建設され、終点知立に到着。すぐさま普通電車碧南行き(For Hekinan.7714)に乗り換え。ちなみに転換クロスシート主体で、ロングシートは“ペアシート”といったところ。
終点碧南で普通列車吉良吉田行き(32:ワンマン)に乗り換え。 2000年夏に利用しようとした時、寝過ごしによる乗り遅れでアウト(1時間に1本しかない)だったが、今回はセーフ。
客層は60代以上が占め、終点吉良吉田に到着。なお、西中金-猿投(Sanage)間と碧南-吉良吉田間は2004年3月31日(水曜日)でフォーエヴァー。
大半は蒲郡線の普通電車蒲郡行き(6013:ワンマン運転)に乗り換え、途中で“三河湾オーシャンショー”、蒲郡競艇場前で大量下車があり、終点で全線完乗達成&下車(やっと昼食)。
JR東海、東海道本線の新快速浜松行き(クモハ313-12)に乗り、終点で遠州鉄道〔新浜松駅〕鉄道線の西鹿島行き(1502)に乗り換え、全線完乗達成!!
1002で折り返し、浜松駅ビル探訪後、JR東海、東海道本線の普通電車静岡行き(クハ111-747)へ。
終点静岡で下車し、晩メシ購入後、普通電車東京行き(7号車自由席クハ372-4:熱海まで女性車掌乗務)へ。
いつも“しめくくり”として、利用しているが、今回は初めての“中継ぎ”利用である。
熱海からJR東日本に入り、終点東京に到着し、“中央線(東京-神田間は東北本線、神田-代々木間は中央本線、代々木-新宿間は山手線、新宿から先は中央本線)”の快速(吉祥寺から各駅停車)高尾行き(10号車クハ200-129)に乗り換え。 新宿に到着すると、快速〈ムーンライトえちご〉新潟行きを発見!!
485系にチェンジ後、初めて見るが、内装は整備され、国鉄色でも逆三角形の特急マークがあるから貫禄充分!!(臨時快速〈ムーンライトながら91・92号〉はなし)
発車すると、7・8番線は消灯され、私は中央本線の臨時快速〈ムーンライト信州81号〉白馬行き(7号車指定席モハ183-27)へ。
指定席券は2003年8月19日(火曜日)に購入したが、満席というところをみると、私は滑り込みセーフだったようである。
2003年の汽車旅6-最終回 [汽車旅2003]
2003年8月17日(日曜日)、前日、東京発着の夜行列車は起終点変更や運休など、大混乱だった。
金山のインターネットカフェで一夜を明かし、旅行代理店がOPENするまで時間があるので、名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)名城線へ。
新瑞橋行き(For Aramata-Bashi.2121)に乗り、名城線全線完乗達成!!(但し、2004年全通するので、白紙に戻るが、すでに乗っている)
桜通線野並行き(6301:ワンマン)に乗り換え、終点で折り返し、中村区役所行き(6101:ワンマン)へ。ちなみに桜通線は日本の鉄道では珍しい右ハンドルで、あとから増結した車両は妻面に窓がある。また、吹上ではFOMAのアンテナがたっていた。
今池(名古屋までは地下でもFOMAはOKで、電話を着信。また、近畿日本鉄道の近鉄名古屋でも大丈夫)で東山線藤ケ丘行き(5351:夢塗装車)に乗り換え。ちなみに夢塗装車はビジュアルを重視した松坂屋の宣伝。
一社を発車すると、地上へ。地下鉄が地上を走る景色はいつみても新鮮。
終点藤ケ丘に到着。折り返し、高畑行き(5151:夢塗装車)に乗り、池下ではコカコーラの夢塗装車と遭遇!!
再び今池で桜通線中村区役所行き(6819)に乗り換え。名古屋でモヌケのカラとなり、終点中村区役所に到着し、桜通線全線完乗達成!!
野並行き(6814)で折り返し、名古屋で東山線の高畑行き(5164)に乗り換え。
ホームが改装された東山線名古屋駅は撮影禁止だそうだが、のちに全駅全面禁止と知る(昔、テレビ局の撮影機材がお客と接触して、ケガをしたらしい)。
終点高畑に到着。未乗車区間の栄‐今池間はコカコーラの夢塗装車に乗ると決め、意外と待ったが、到着。折り返し、藤ケ丘行き(5163:夢塗装車)である。
今池で東山線全線完乗達成!!
高畑行き(5351:松坂屋夢塗装車。女性車掌乗務)で折り返し、名古屋で下車。
なお、名古屋市交通局の地下鉄は現在、地上以外は携帯電話の電波は圏外になっている。
そのあと、旅行代理店を探すが、VIEWカードでJRきっぷが買えるところがなく、フラフラ歩いていたら、JR東海ツアーズを見つけた。
JR東海の東海道新幹線東京行きの〈ひかり〉〈のぞみ〉指定席・グリーン車は満席。〈ひかり〉〈こだま〉で自由席を利用しても、坐れる可能性0%だろう。 JR東海ツアーズは「2003年の汽車旅5-3・最終回(東海道新幹線100系フォーエヴァー②)」で利用しており、分割払いはできないが、VIEWカードは使える。
時期が時期なので、JR東海ツアーズの社員は汗ダクだったが、〈こだま468号〉東京行き(9号車グリーン車319-32)が取れた。おまけに東京からの乗車券を発券してもらい、私は何から何まで恐縮しきりだった(JR東海とJR東海ツアーズの接客態度がこれほど違い過ぎるのはなぜだろう?)。
時間まで近鉄名古屋駅で見学。12時00分発の名阪ノンストップ特急難波行き『アーバンライナーnext』と12時30分発の特急難波行き『アーバンライナー』をダブルで拝見し、1日遅れの帰京である。
2003年の汽車旅6-5 [汽車旅2003]
2003年8月16日(土曜日)、臨時快速〈ムーンライト松山〉京都行き(9号車指定席オハ14 48)は運転停車の多度津で、臨時快速〈ムーンライト高知〉京都行きと合体。宇多津で本四備讃線に入り、児島からJR西日本へ。茶屋町で宇野線に入り、岡山で臨時快速〈ムーンライト山陽〉京都行きと合体し、山陽本線をゆく。
神戸から東海道本線を走っているが、6時12分頃、山崎-長岡京間で、思いがけない光景を目にした。
それは寝台特急〈あさかぜ〉下関行きとすれ違ったのである。前日、東京は豪雨だったらしいが、その影響なのだろうか?
臨時快速〈ムーンライト山陽・ムーンライト高知・ムーンライト松山〉京都行きは終点目前で、長い停止信号にあい、なんと寝台特急〈サンライズ瀬戸・サンライズ出雲〉松山・出雲市行きとすれ違う!!
結局、定刻より2分遅れて終点京都に到着。2番のりばには寝台特急〈出雲〉出雲市行きの姿が…
折り返して、快速(明石から普通電車)姫路行き(1号車クハ221‐57:弱冷車)へ。
沿線では撮影隊が見られたが、目玉の臨時列車でも走るのだろうか? ちなみにこの日は曇ったり、晴れたりとスッキリしない天気である。
大阪で大阪環状線の関空快速関西空港行き&紀州路快速和歌山行き(8号車クモハ223‐104:紀州路快速に乗車)に乗り換え。天王寺から阪和線に入り、堺市までドア上LEDの駅名案内が誤表示で、阪和線一部区間では高架工事を行なっていた(2006年に工事は完了している)。
日根野で、熊取で抜かれた各駅停車が終点に到着。MAX110㎞/hの205系1000番台だが、方向幕のコマにデカデカと新快速(種別のみ)があることに驚く。出番はあるのだろうか?
終点和歌山で下車し、和歌山バス和歌山市駅行きシャトルバスへ。10分おきの運行で、徳川吉宗の故郷(和歌山城)を通るせいか、そこそこの利用はあり、所要時間13分ほど。一方、JR西日本紀勢本線は近道・早道にもかかわらず、本数が少なく不便。
終点和歌山市駅に到着し、南海電気鉄道南海本線の急行なんば行き(7019)へ。こちらも女性専用車を設けている。関東の京王電鉄が導入し、あとからつけた関西が加熱していたが、2005年5月以降、首都圏が加熱している。
みさき公園で多奈川線の多奈川行き(2251:ワンマン)に乗り換え。途中駅は深日町・深日港と“FUKEづくし”で全線完乗達成!!
残るは高野線と鋼索線だけとなり、“特急〈こうや〉利用で完全制覇”という青写真が現実味を帯びてきた(ちなみにそれについては2006年1月に実現した)。
2201で折り返し、南海本線の特急〈サザン10号〉なんば行き(自由席7181:女性車掌乗務)に乗り換え。発車すると、“紀伊水道オーシャンショー”で、大阪府南部の海は紀州に近いこともあってか、綺麗である。
泉佐野で空港線の空港急行関西空港行き(1503:夢塗装車)、りんくうタウンで、JR西日本関西空港線の関空快速大阪経由京橋行き(2号車サハ223-101)、日根野で阪和線の快速天王寺行き(1号車クハ221-22:弱冷車)で軌道修正完了!!(本来は和歌山で221系快速に乗るつもりでいた)
終点天王寺で関西本線の大和路快速(大阪から各駅停車)天王寺行き(6号車クモハ221-29)に乗り換え、新今宮から大阪環状線に入り、大阪で軍資金補強と昼食補給で下車。
大阪から東海道本線の快速(高槻から普通電車)米原行き(8号車クモハ221-75)へ。乗車時点から空席があり、ホームで並んでいる人たちは新快速米原方面長浜行きに乗る。ちなみにこの日の新快速は12両運行が多く、各駅停車も207系2000番台の“足ならし運行”が多かったように思える。
東淀川では特急〈オーシャンアロー17号〉新宮行き、221系の快速(明石から普通電車)神戸方面加古川行き、臨時特急〈サンダーバード86号〉大阪行きと“トリプルすれ違い”は圧巻!! また、京都発車時に485系旧〈しらさぎ〉塗装(パノラマグリーン車含む)の団体とすれ違った。
終点米原で東海道本線三島-小田原間が豪雨で運転見合わせの一報が入り、不安を抱え、JR東海の普通電車大垣行き(クモハ211-5041:女性車掌乗務)に乗り換え。
終点大垣で特別快速浜松行き(クモハ313-12)に乗り換え。
尾張一宮の留置線でJR東日本189系が休息し、寝台特急〈さくら・はやぶさ〉長崎・熊本行きが12時間以上も遅れて通過!!(その後、回送と判明)
更に金山と新居町以降は乗り切れないほどの大混雑で、積み残し発生!! だいたい4両しかなく、いつも混雑しているにもかかわらず、ラッシュ以外、増結せず新幹線ばかりに力を注いでいるからこうなるのだ(2006年10月にようやく改善)。
おまけに浜松で足止めを食い、JR東海の心ない応対ぶりに激昂!!(帰京・上京したい人間が多いのだから、当然のことだが、ヤリ過ぎたか…)
東海道新幹線が運行しているにもかかわらず、物事を杓子定規にしか見ない姿勢は問題だ。
所持金が少ないため、みどりの窓口でVIEWカード分割払いで、東海道新幹線を使おうとしたが、JRカードではないことを理由に拒否!!(JR西日本は使えた。のちにJR東海みどりの窓口でも、大半のクレジットカードが使えるようになる)
浜松駅前で詩を書きまくる男女とシロートバンドのノンキな路上ライブで少し落ち着き、特別快速大垣行き(クハ312-21)で金山へ。
この日はインターネットカフェで宿泊した。
2003年の汽車旅6-4 [汽車旅2003]
2003年8月15日(金曜日)、この日も雨の高松市からスタート!!
JR四国高徳線栗林(Ritsurin)から各駅停車高松行き(1024)に乗り、終点で予讃線のエル特急〈いしづち5号〉松山行き(1号車グリーン車・指定席8002:グリーン車利用)に乗り換え。ちなみに8000系の進行方向左側の前寄り(すぐデッキ)はパソコン電源(コンセント)とパソコンテーブル(5㎏以内対応)がある(リニューアル以前の話)。
余談だが、快速〈マリンライナー8号〉岡山行きのグリーン車はジョイフルトレイン『スーパーサルーンゆめじ』1両を連結!!(クロ210-1001) この場合、サハ213形を脱車する。また、この日の寝台特急〈サンライズ瀬戸〉は松山行きである。
高松を発車すると、車内検札。特急はいつもベージュの制服なのに、普通の列車で着ているものだったが、車掌は多度津まで乗務するらしい。
宇多津で、先に到着していたエル特急〈しおかぜ1号〉松山行きとドッキング!! ここからはエル特急〈しおかぜ1号・いしづち5号〉松山行きとなる。
多度津でエル特急〈南風2号〉岡山行き“アンパンマン列車”が遅れていたため、3分遅れで発車。単線となり、ところところで、瀬戸内海オーシャンショーを展開。雨もあがり、快晴といきたいところだが、晴れない…
8000系グリーン車は2000系と同様に半室だが、読書灯がついていることや、床がカーペット敷きではない。また、進行方向が松山寄りだと左側は8000系2人掛け、2000系1人掛け。右側はその逆という大きな違いがある。共通しているのはひざかけ毛布が少ないことだろう。
川之江から車販が乗り込み、エル特急〈しおかぜ1号・いしづち5号〉松山行きは山間部へ。ここまでハイスピードで突っ走ってきたが、少し落ちた。新居浜が近づくと、天気は晴れたり、曇ったりとハッキリしない。
今治を発車し、“瀬戸内海オーシャンショー”になると、天気もP-KAN!!(今回の四国滞在で初めて) また、オバサンが乗り込み、ゴミ回収。折り返し時間が短いため、手際よく次のお客様を迎えなければならないようである。
終点松山でエル特急〈宇和海5号〉宇和島行き(5号車指定席2151)に乗り換え。念願だった内子線の昼間の車窓を味わう(山ばっかりで、ムチャクチャ速い!!)
終点宇和島で下車し、徒歩15分のところにある宇和島愛宕町郵便局で旅行貯金。途中、『麺処菊屋』という“行列のできるお店”を通った。
宇和島駅に戻ると、改札横に携帯電話ボックスがあることを御存知だろうか?
これは2001年に『秘密の爆笑大問題』で取り上げたのだが、ヤッパリ使っている人はいない。
宇和島駅にある『コンビニエンス エルスター』宇和島駅店で、とり丼(300円)を購入。ウマカッタ。
エル特急〈しおかぜ22号〉岡山行き“アンパンマン列車”(1号車グリーン車・指定席2004:グリーン車利用)へ。普通車の天井にアンパンマンキャラがあるものの、グリーン車はない。ちなみに私はJR四国のエル特急乗車を完全制覇!!
宇和島発車後、留置線で前日、徳島で見たジョイフルトレイン『アイランドエクスプレスⅡ』を見た。
松山に到着。利用はここまでだが、ここで3両増結。そして、隣りの2番のりばではエル特急〈しおかぜ9号〉宇和島行き“アンパンマン列車”が登場!! ここで3両を切り離し、それをさっきまで乗っていたヤツにつなげるという“荒ワザ”で増結。まさに“暴れん坊アンパンマン”年中無休の活躍ぶり。
下車して、伊予鉄道完全制覇チャレンジ!! まずは2番松山市駅行き(76:ワンマン)へ。
そのあと、雑用をすませ、〈坊っちゃん列車〉道後温泉行きで、NHK松山放送局が取材をしていた。
非冷房客車の車番は不明だが、機関車は14。タテに揺れ、ゴツゴツした不思議な乗り心地だった。
終点道後温泉で3番松山市駅行き(2102:ワンマン)へ。ハヤリの超低床式電車だが、乗り心地はよく、運転席すぐうしろの“特等席”は気に入った。
上一万で2番(環状線)松山市駅行き(2104:ワンマン)に乗り換え。 平和通1丁目-宮田町間はちゃんとした軌道があることに驚いた。
西堀端で6番本町六丁目行き(74:ワンマン)に乗り換え、終点に到着し、伊予鉄道路面電車(花園線、大手町線、城北線、本町線、城南線)をまず制覇(花園線は2000年12月27日に全線完乗済み)。
2番松山市駅行き(2104:ワンマン)に乗り換え、古町(KOMACHI)で、高浜線高浜行き(822)へ。
港山-高浜間は“瀬戸内海オーシャンショー”で、夕日が近いせいか、若者はロマンティックムードがサクレツ?!
折り返し、横河原行きで高浜線・横河原線全線完乗を達成!! しかし、郡中線は日没により、次回へ持ち越し(基本的にお初の路線はやむをえない場合を除き、地下鉄以外、車窓を満喫したい主義)。これには高浜駅すぐに郵便局がありながら、時間切れで旅行貯金ができなかったこともある。
大手町で下車し、松山駅へ。
晩メシと携帯電話の充電後、特急〈ミッドナイトEXP松山〉伊予西条行き(2号車自由席8306)に乗り、終点で下車。きっぷをチェンジし、臨時快速〈ムーンライト松山〉京都行き(9号車指定席オハ14 48)へ。いよいよ帰京である。
2003年の汽車旅6-3(JR四国完全制覇達成!!) [汽車旅2003]
2003年8月14日(木曜日)、雨降りしきるJR四国予讃線香西から各駅停車高松行き(クモハ120-16)へ。
終点高松でエル特急〈しまんと1号〉高知行き(1号車指定席・自由席2463:N2000系指定席利用)へ。ちなみに1号車1番A・B席と13番C・D席にコンセントあり!! おそらく、2000系は各車両2か所にあるのではないだろうか? ちなみにエル特急〈しまんと1号〉高知行きはたった2両編成である。わざわざ指定席を取らずとも、充分な乗車数で、10人も乗っていないありさまだが、旅人なゆえ、いちおー、万一に備えた。
台車の上に坐っているせいか、よく揺れる。揺れというより、振動がスゴイ。背面テーブルでは何度、ノートが落ちそうになったことか…
多度津から土讃線に入り、琴平を発車すると、いよいよ登り坂。カーブや勾配がキツく、周囲は田畑以外、ほとんどない。
2000系はここぞと言わんばかりに車体をクネクネ曲げている。果敢に登り坂へアタック!!
1つのヤマを抜け、宅地が多くなってきた。進行方向左側には高知自動車道がそびえ立ち、JR四国にとってはなによりの強敵である。
阿波池田で下車し、初めて徳島県に足を踏み入れた。残るは沖縄県だけ(翌年、足を踏み入れた)。
「♪池高、池高、おぉーおぉー、我らが池高(だったと思う)♪」
激しさを増した雨の中、まっさきに向かったのは池田高校。20年ほど前は“やまびこ打線”で、名をはせたが…
山間部のせいか、8月だというのに長袖を着ても肌寒く、私は特急〈剣山4号〉(牟岐から普通列車)海部行き(For Kaifu.1号車自由席キハ185-26)へ。方向幕はなぜか「特急剣山牟岐(英文省略)」だった。
あわただしく入線し、折り返しの車内清掃もなく、座席の向きを変えただけであわただしく発車する。
私は1号車自由席の最前列(15番A・B席)をGET!! 佃を通過すると、徳島線に入る。
阿波加茂に到着し、2人乗車。発車すると、直線を心地よく走るが、乗務員室のスピードメーターをのぞくと、80㎞/hしか出ておらず、特急としては物足りない。
徳島線もカーブが多く、振子機能のないキハ185系は減速を余儀なくされるが、その分、先ほどのエル特急〈しまんと1号〉高知行きみたいにテーブルが震動するほどの揺れはなく、2000系より快適と言える。
貞光を発車すると車内検札。車窓はところどころで、“吉野川リバーショー”を繰り広げるので、さすがは“吉野川ブルーライン”という路線愛称をつけるだけのことはある。
穴吹では普通列車阿波池田行きと行き違い。車掌は先頭1号車からドアを開けた。
鴨島で保線係が下車し、普通列車阿波池田行きと行き違う。発車すると、100㎞/h近くまで飛ばし、前面展望を心地よく楽しむ。
石井で普通列車徳島行きを抜き、府中(Koh)で特急〈剣山3号〉阿波池田行きと行き違い、蔵本は無人駅で、車掌はきっぷを自主回収。
佐古は通過し、徳島線全線完乗達成!! それと共に高徳線の普通列車徳島行きも抜く。
高徳線に入り、徳島で私以外は総入れ替えとなって、ここから牟岐線(Mugi Line)“阿波室戸シーサイドライン”へ。この列車の全区間乗車は私だけらしい。
南小松島で数人下車し、発車するとカーブ、カーブ。JR四国は本四備讃線以外、カーブがキツイようだ。
徳島線、牟岐線に2000系を導入しないのは軌道強化をしていないことやクルマの影響を大きく受けていないからだと推測する。
羽ノ浦では若干下車し、発車すると那賀川を渡った。
阿南を発車すると、スピードが鈍り始め、カーブと勾配が続く。キハ185系の弱点だ。
キハ185系は昭和61年(1986年)、当時の国鉄に入団。四国に投入した特急形気動車で、ステンレス製が印象に残るものの、部品の一部は廃車した急行形気動車を再利用するという、国鉄の財政を物語る一面もあった。
当時は電車の185系と同じグリーンの帯を締めていたが、JR四国として増備した車両は瀬戸大橋の開業を控え、自社のイメージカラーである水色に変更。すべての国鉄車を塗り替えるほど、積極的だった。
しかし、キハ185系の全盛期は短く、平成元年(1989年)に世界初の振子気動車、2000系が入団し、平成2年(1990年)に量産車の投入で看板車両の座を奪われ、平成4年(1992年)に一部車両がJR九州に移籍。平成10年(1998年)には一部車両を一般型に格下げ、更にはジョイフルトレイン『アイランドエクスプレスⅡ』に改造される車両も出てくるなど、波瀾万丈。また、JR四国所属車の方向幕は国鉄時代と変わらないことも記しておきたい。
由岐は木造のシャレた駅舎が目に付き、数人下車。木岐(Kiki)から下り坂に入り、少し軽快に走り、日和佐に到着。
発車すると、車掌は自由席特急券を回収するが、キハ185系のあえぎっぱなしの苦戦は相変わらずだ。
牟岐1番のりばに到着し、大量下車。ここからは鈍行。方向幕も「普通」にチェンジ!!
牟岐を発車すると、淺川まで紀伊水道オーシャンショーがあり、終点海部に到着し、牟岐線全線完乗を達成!!
そのあとは第3セクター、阿佐海岸鉄道阿佐東線の甲浦行きワンマン列車“風鈴列車”(For Kan-noura.ASA-201)に乗り換え。海部-宍喰(Shishikui)間は“紀伊水道オーシャンショー”であるが、風鈴の音色はなし。
終点甲浦に到着し、全線完乗達成!! そして、“阿波室戸シーサイドライン”もここがゴール。
降水確率70%の甲浦駅から徒歩15分のところにある甲浦郵便局で旅行貯金。近くには川があり、コイを放流している模様。また、私はビショヌレ!! 汽車旅遊史上、最大の雨だろう。
駅舎で休憩し、海部行きワンマン列車“風鈴列車”(ASA-201)へ。ここではアメリカ人軍団が大半で、中央のロビーカー的なソファでくつろぎ、風鈴が珍しい様子。
終点海部で下車(なんと無人駅だった)し、徒歩5分のところにある海部郵便局で旅行貯金。
しばらく休み、牟岐線の普通列車(牟岐から特急〈むろと2号〉)徳島行き(1号車指定席・自由席キハ185-18:指定席利用)へ。ちなみにキハ185系の特急利用は2000年12月の特急〈あそ〉以来で、この時はある理由で自由席の喫煙車に乗っているが、座席は快適でも、空気がね…
余談だが、特急〈むろと2号〉徳島行き1号車の自由席は1~11番席、指定席は12~15番席である。
終点徳島で高徳線の各駅停車高松行き(キハ47 115)、池谷(Ikenotani)で鳴門線の各駅停車鳴門行き(キハ47 1132)に乗り換え。ホームが離れており、雨だから大変!!
池谷を発車すると、ドロ水と化した川を渡り、グリーンの畑をゆく。傘になりそうな、すげぇー葉だ。JR西日本山陽本線南岩国あたりもそんな感じ。
終点鳴門に到着し、鳴門線全線完乗を達成!! これでJR四国完全制覇に王手!!
折り返し、各駅停車阿南行き(キハ47 1087)に乗り、高徳線徳島へ。ちなみにこの日の阿波踊りは中止。
徳島ターミナルビル内郵便局でミラクル旅行貯金?!(実は時間外だが、ある手を使い、成立)
徳島ターミナルビル内で食事。ここでJR四国の阿波踊り軍団が乱入し、お店は営業にならない?! だけど、楽しそう。
高徳線のエル特急〈うずしお26号〉高松行き(3号車自由席2428:N2000系)へ。ちなみに1号車指定席はTSE(2000系試作車)。
車内では2代目快速〈マリンライナー〉デザインのアサヒスーパードライで前祝い?! デビュー日のグリーン車は完売間違いナシだろう。
列車は志度に到着!! ここである出来事が発生!!
それは1998年4月、初めて四国へ上陸してから、5年4か月の月日が流れ、JR四国完全制覇を成し遂げた!!(JRでは2社目)
終点高松に到着し、ひと仕事をやり終え、充実感にあふれている私は再び高徳線のエル特急〈うずしお27号〉徳島行き(1号車自由席キハ185-22)へ。
次の栗林(Ritsurin)で下車し、この日は某ホテルで宿泊。経営者は女性中心で、かなりのコストパフォーマンスらしいとは知っていたが、その徹底ぶり(キーを差し込まないと電気がつかなかったり、冷蔵庫の中は何もなし)に驚いた。
2003年の汽車旅6-2 [汽車旅2003]
2003年8月14日(水曜日)、臨時快速〈ムーンライト山陽・ムーンライト高知・ムーンライト松山〉下関・高知・松山行きは山陽本線の岡山に到着。ここで臨時快速〈ムーンライト山陽〉下関行きと切り離し、先に発車。臨時快速〈ムーンライト高知・ムーンライト松山〉高知・松山行きは引き続き、“お手々をつなぐ”ことになっている。
ノドがかわき、たまらずホームの自販機へ。ポカリスエットを購入すると、一気に飲み干した。
隣りのホームには臨時快速〈ムーンライト山陽・ムーンライト高知・ムーンライト松山〉京都行きが停まっており、先に発車。俺の推測だが、岡山まで牽引したディーゼル機関車は休むヒマもなく、すぐに折り返し、臨時快速〈ムーンライト高知・ムーンライト松山〉高知・松山行きの任務に就くと思われる。
DE10 1094が連結され、発車。宇野線へ進む。なお、途中の多度津で、臨時快速〈ムーンライト松山〉松山行きと切り離し、別のディーゼル機関車をつけることになっているが、時刻表では通過扱いの運転停車となっている。
快速〈マリンライナー〉とすれ違うことはないから、意外と早く進み(それでもMAX95㎞/hだが…)、茶屋町から本四備讃線に入り、児島で運転停車。ホームにあかりは灯っておらず、乗務員はJR西日本からJR四国にチェンジ。こんな時間に起きてしまうと、瀬戸大橋を渡りきるまでは寝られないという心境におちいってしまう。
児島を発車すると、ガタッとスピードが落ち、瀬戸大橋に突入!! ゆっくり走っているのは騒音対策である。
瀬戸大橋の夜景を見ている者はそうそういるワケもなく、みんな夢の中だ。
瀬戸大橋を渡り終えたところで、予讃線に入り、再び眠りにつき、気がついたら、土讃線の土佐北川に止まっていた。ここでエル特急〈南風2号〉岡山行き“アンパンマン列車”と行き違った。
7時19分、臨時快速〈ムーンライト高知〉は定刻通り、終点高知に到着した。
休憩後、前回の汽車旅で大阪駅のワーププラザ(JR四国の旅行代理店)で購入したバースデイきっぷを使い、エル特急〈あしずり1号〉宿毛行き(1号車グリーン車・指定席2011:グリーン車に乗車。窪川から女性車掌乗務)へ。4両の車内は満員御礼で、入線前の自由席のりばは長蛇の列だったが、よく収まったものである(ちなみに4号車はN2000系)。
8時19分に発車。私は1号車グリーン車の最前列に坐るが、うしろ1列以外、埋まった。
最前列で前面展望ができるかと思いきや、そうでもない。
3人の男性がデッキで、仁王立ちして前面展望をするものの、伊野到着前、車掌が現れ、座席に坐るよう、指示を出したようである。ちなみに3人の男性はあえなく退散したが、グリーン券は持っていなかった模様。
伊野発車後、グリーン車では車内検札。ベージュのさわやかな制服を身にまとった車掌がおしぼりを配る。スーツのポケットに無造作に入れているのはいかがと思うが、業務上、やむをえないところか。ちなみに乗務員室にはバスケットがあったが、すべての車両にまわる都合上、効率の悪いことはしたくないのかもしれない。
前面展望は2人掛けの1A・B席がよく、夫婦が楽しんでいる様子。こちらは1人掛けで、乗務員室の左側の窓が小さいため、運転士の動作を見るのみだが、気ままに過ごせるのはいい。しかし、禁煙車なのに、ひじかけの灰皿が開くのはもってのほかだが、こういうのはJR四国以外にもあるため、困り果てている。
ひじかけにテーブルがないというのは意外だが、背面のテーブルでこと足りるのであろう。向かい合わせにした時は食事の面で苦労するに違いない。
ひじかけは革張り。床はカーペットが敷いてあり、高級感を演出。坐り心地は申し分なしにいい。また、背もたれが高い。
カーブでもスピードは落ちず、ダイナミックに進むも、このルポをする前の週の台風で、稲はかなり曲がっていて、見ていて気の毒だ。農家の人たちが汗水たらし、心を込めてはぐくませた稲を収穫まで、あと少しのところで、自然の猛威でダメにしちゃったのだから、ムゴい。
須崎を発車すると、子供の兄妹が展望デッキへ。グリーン車利用の家族連れは2組いて、1組は指定席が取れなかったとグチをこぼしていた。たいてい、親子連れだとうるさくてしょうがないところが多いのだが、グチはこぼしても、静かに過ごしていた。ちなみにグリーン車は大人・子供同額なので、子供が乗る車両ではない。報酬を得た大人が乗る車両ではないだろうか。
しばらくして、進行方向左側に土佐湾が見えた。“土佐湾オーシャンショー”で、鈍行ならば徐行して、サービスをしたかもしれないが、先を急ぐ特急はそうもいかない。
土佐久礼(Tosa-Kure)を発車すると、トンネル連発!! それでも運転士はカーテンを下ろさず、前面展望を楽しませるが、振子車両に強い体質ではないせいか、少し気分が悪くなる。目が回りそうな感じで、のりもの酔い止めのクスリを用意すべきだったかもしれない。
窪川に到着。ここから第3セクター、土佐くろしお鉄道中村線に入り、乗務員もチェンジ。運転士と車掌、各2名が乗り込む。
チャイムは同じだが、自動放送から女性車掌(感じは今風の子っぽかったが、キビキビしていた)のナマ声に代わった(自動放送もあるが)。ちなみに控え運転士と男性車掌はなぜかセミログヘアー。
いつのまにかJR四国予土線と分岐し、女性車掌も車内巡回。気がつけば、1号車の乗務員室は“トサクロだよ! 全員集合”となり、数分後、男性車掌は4号車へ移動した。
土佐佐賀を発車すると、土佐湾オーシャンショーで、トンネルへ。この日はあいにくの曇り空なのが残念だが、社名通り、くろしおの海が楽しめる。
土佐上川口は行き違いのない無人駅で、土佐湾オーシャンショーは終わりを告げ、土佐入野へ。ここも行き違い設備はない。
土佐入野を発車し、女性車掌は4号車へ移動。JR西日本の車掌のように、一礼をして車内を通る。
中村1番のりばに到着。足摺岬(Ashizuri a cape)へ向かうバスと接続しているせいかどうかは定かではないが、下車客が多く、まずは中村線全線完乗を達成。ここから宿毛線に入る。
中村を発車すると、ベラボーに速くなり、カーブも少なく、直線主体。隣りの1A・B席が空いていたので、前面展望を兼ねて移動するが、ここにはコンセントがあり、とっさに携帯電話を充電をする。
終点宿毛に到着し、宿毛線全線完乗達成。
下車して、旅行貯金を志すものの、2キロでは折り返し、エル特急〈南風14号〉岡山行きに間に合わないと判断し、断念。ちなみに先ほどと同じ車両に乗った。
JR四国土讃線に戻り、高知から車販のお姉ちゃんが乗車。ちなみに現在では車販とテレホンカードの公衆電話は採算が合わないことを理由になくなっている。
後免で下車し、昼食。近くに郵便局さえもなく、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線へ。ちなみに乗れなかったが、展望デッキ車両に遭遇した。
快速奈半利行きワンマン列車(For Nahari.9640-8)に乗ると、転換クロスシートは背もたれが高く、高架から“土佐湾オーシャンショー”。おまけに駅名にギャグを添えるなど、“トサクロはSHOW by ショーバイ!!” or “経営も一生けんめい”のどちらかだろう。
安芸では阪神タイガースを身にまとった9640系夢塗装車が留置。
終点奈半利に到着し、土佐くろしお鉄道完全制覇達成!!
終点奈半利で下車して、徒歩3分30秒のところにある奈半利郵便局で旅行貯金。そのあと、甲浦行き(For Kan-noura)の路線バスを見送り、先ほどと同じ車両の快速高知行きワンマン列車で後免町へ向かうはずが、安芸から疲労による爆睡により、乗り越すヘマをしてしまった。後免町で土佐電氣鐵道後免線に乗り換えるつもりだったのだ。
しかし、終点高知に到着すると、後免線・伊野線ごめん町-いの間は500円75分かかることが発覚!! どっちみち、制限時間内での完全制覇はムリと判明し、今回は桟橋線全線完乗にとどめる。
高知駅前から桟橋通5丁目行き(617:ワンマン)を利用し、桟橋線全線完乗達成。そのあと、高知駅前行き(801:ワンマン)に乗って、はりまや橋で下車。高知市最大の都市とみた。
はりまや橋から高知駅前行き(208:ワンマン)に乗り、終点で下車。徒歩3分17秒のところにある高知中央郵便局で旅行貯金。高知のKioskで『一本釣、漁師のお弁当 土佐のかつおごはん(500円)』を購入し、エル特急〈南風24号〉岡山行き(1号車グリーン車・指定席2009:グリーン車に乗車)に乗り込む。
多度津から予讃線、宇多津から本四備讃線をゆき、特急利用では初めて、瀬戸大橋を渡り、児島で下車。ちなみに2000系グリーン車は定員18人で、毛布が2つしかないのが難点(冷え性でピンクの毛布を使う)。また、半室指定席10C・Dにもコンセントあり!!
児島から快速〈マリンライナー63号〉高松行き(1号車グリーン車クロ212-1)へ。世代交代直前で、グリーン車に乗ることができた。
カーテンを下ろさず発車し、瀬戸大橋はライトアップされており、“夜も一生けんめい”ぶりをアピール。ロマンティックぶりはパールブリッジ(明石海峡大橋)に負けず劣らずであろう。
快速〈マリンライナー63号〉高松行きは瀬戸大橋を80㎞/h台で走り、離島の騒音に配慮。軽やかに進み、私が坐る1番席は広々としている。
荷棚は小さいモノしか載せられないが、座席上にあるライトは夜のロマンティックぶりを演出。グリーン車は意外と利用客が多く、瀬戸大橋はカーブが多いような気がした。
予讃線内は気兼ねなく110㎞/hで走り、ワイドな窓でグリーン車の乗り心地を楽しみ、終点高松に到着した。
このあと、各駅停車多度津行き(キハ65 27:近郊仕様改造車)に乗り、次の香西で下車。インターネットカフェで一夜を明かす。
◆土佐くろしお鉄道ホームページ…http://www.tosakuro.co.jp/
◆土佐電氣鐵道ホームページ…http://www.tosaden.co.jp/top/index.html
2003年の汽車旅6-1 [汽車旅2003]
2003年8月11日(月曜日)、JR東日本品川7・8番線の階段では待ち合わせや指定席券を持ってなさそうな人々が坐りこみという新現象があった。
さぁー、東海道本線の臨時快速〈ムーンライトながら91号〉大垣行き(3号車指定席モハ189-34:簡易リクライニングシート)に乗り、京浜東北線の遅れで3分延発!! 発車後、♪汽笛一声新橋を♪が流れた。
2003年8月12日(火曜日)、JR東海に入った臨時快速〈ムーンライトながら91号〉は雨の中、終点大垣に到着し、普通電車(高槻-明石間は快速)姫路方面網干行き(モハ112-5139:弱冷車)に乗り換え。途中の近江長岡では“旧azusaカラー”の団体(照明消灯)に遭遇。どうやら、高校野球の甲子園輸送のようだ。
米原でJR西日本の新快速姫路方面網干行き(10号車サハ223-2093:姫路止まり。姫路まで女性車掌乗務)に乗り換え。
めったに乗らない平日朝の新快速は新鮮で、複々線はオール外側。各駅停車は尼崎行きが多く、貨物線では臨時特急〈ふるさと雷鳥〉新潟行きの回送を見たが、なんと新潟方先頭車は国鉄色パノラマグリーン車!!
快速も外側運転で、日中以外は通過の芦屋で、221系の快速(明石から普通電車)姫路方面網干行きを抜いた(現在、新快速は芦屋を通過することはない)。
神戸から山陽本線に入り、雨がやんだ姫路で、普通電車上郡行き(モハ112-5334:体質改善車)に乗り換え、終点で下車。徒歩2分の上郡郵便局で旅行貯金をするも、窓口の女性はATMのやり方がわからない人とカン違いされた。そのあと、第3セクター智頭急行智頭線智頭行きワンマンカー(HOT3504)へ。今回の旅では乗る予定はなかったが、前日のやりとりでこうなった。その詳細を御紹介しよう。
「まず、どこへ行くんだい?」
「新見ですけど」
「ダメだよ、新見は。佐用(Sayo)だよ、佐用!! そこは俺の田舎なんだ!! そこで智頭急行に乗ると、平福があって、宮本武蔵の母の田舎の地だよ」
なかば“業務命令”で、お世話様の言うことに従い、乗ることになるが、ビックリしたことに上製の紙で『智頭線満喫一日乗り放題きっぷ(1,000円。特急利用不可)』があり、迷わず購入。
とりあえず、智頭急行智頭線全線完乗を果たし、終点で下車。徒歩3分39秒の智頭郵便局で旅行貯金。昼食は『A・COOP TOSCちづ店』で、鳥取大山(Tottori-Daisen)産の牛乳を購入。ウチで飲んでいるものに比べると、少々濃い目だったかどうか…
智頭に戻り、特急<いなば4号>岡山行きの発車を見送る。ちなみに特急〈いなば〉は2003年9月30日(火曜日)でフォーエヴァー。翌日から特急〈スーパーいなば〉に衣替えをした。
上郡行きワンマンカー(HOT3504)が発車。乗り放題きっぷの特典を生かし、宮本武蔵で下車。観光客主体で、宮本武蔵に関するYAKATAはすべて500円ということでパス。郵便局もないありさまで、上郡行きワンマンカー(HOT3505)に乗って、平福で下車。
ここは宮本武蔵、初決闘の地で、1VS1が好きなアイツらしく、コジンマリとしたところ。佐用川が綺麗で、子供たちが川遊びをしていた。
下車して、正面に道の駅『宿場町ひらふく』があり、近辺に平福郵便局を発見!! 旅行貯金をする。上郡行きワンマンカー(HOT3503)に乗り、終点でJR西日本山陽本線の普通電車姫路行き(クハ115-406:弱冷車)へ。
終点姫路で山陽電気鉄道本線の特急〈大阪ライナー〉梅田行き(阪神電気鉄道の梅田。6号車5633)に乗り換え、飾磨(Shikama)で網干線網干行き(3号車3605:ワンマン運転)へ。これにより、山陽電鉄完全制覇を達成した。
徒歩45分、3.5キロ歩いて、JR西日本山陽本線網干駅へ。
新快速米原行き(2号車モハ223-2017:弱冷車)へ。神戸から東海道本線に戻り、大阪では急行〈きたぐに〉新潟行き、急行〈ちくま〉長野行きの自由席のりばは早くも列ができていた。
京都で下車。銭湯で身を清め(銭湯のワリには肩や腰に血が上った)、『京都餃子の王将』で遅い晩メシをとり、臨時快速〈ムーンライト山陽・ムーンライト高知・ムーンライト松山〉下関・高知・松山行き(7号車指定席オハフ15 42:臨時快速〈ムーンライト高知〉高知行きに乗車)に乗るが、寝台特急〈富士〉大分行きがJR東海エリアの人身事故により、20分遅れで到着し、すぐさま発車。臨時快速〈ムーンライト山陽・ムーンライト高知・ムーンライト松山〉下関・高知・松山行きも20分遅れで発車した。
多摩モノレール基地見学会2006 [汽車旅2006番外編]
2006年11月5日(日曜日)、JR東日本東京2番線から11時21分発の特別快速高尾行き(10号車クハ200-100)に乗る。久しぶりに乗った“中央線”の201系は心地よかった。ボディーは少々傷んでいたが、まだまだ活躍できるはずの車両だ。ちなみに201系は2005年12月から廃車が始まっており、2006年10月18日(水曜日)には中央線用にも飛び火し、E233系の世代交代は急速に進んでゆくだろう。JR西日本はまだまだ活躍するだけに残念だ(ぜーんぶJR西日本に譲渡して、体質改善車以外の103系を廃車したほうがいいように思える)。
中野を発車すると、E231系試作車(旧209系950番台)の各駅停車中野行きを抜く。この日は休日ダイヤなので、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪は終日通過となってはいるものの、荻窪-西荻窪間でE231系の各駅停車三鷹行きに抜かれるヘマをおかした。先行電車に接近するため、ノロノロ運転になっている。
西荻窪で抜き返し、三鷹から快走!! 進行方向左側には高架工事区間を走るが、完成すると東京-立川間は踏切が1つもないことになるものの、三鷹-立川間が複々線にならないのは疑問だ。
立川で下車して、昼食をとったあと、多摩都市モノレール(多摩都市モノレール線)[立川北駅]へ。上北台行き(1407:ワンマン)に乗るが、シートモケットは青から紅葉色に変わっていた。開業から8年しかたっていないが、次の高松(JR四国にも同じ駅があるので、まぎわらしい)を降りた時に中間車はセミクロスシート(ボックスシート&ロングシート)ロングシートに改造されていたことに気づいた。もったいない。
多摩都市モノレールの1000系は平成9年(1997年)に入団。モノレール初のVVVFインバータ制御を採用し、自動運転ができる。また、平成の東京を走る鉄道では“異例”ともいえるセミクロスシートを採用した。ちなみに第2・3・16編成はイベント対応車となっている。
平成10年(1998年)11月27日(金曜日)、立川北-上北台間が開業し、平成11年(1999年)4月28日(木曜日・みどりの日)に皇太子御夫妻がお乗りになった。
2000年1月10日(月曜日・成人の日)に多摩センター-立川北間が延伸し、全通。そのお祝いに“お染ブラザーズ”が営業に現れ、いつもの「おめでとうございまーす」で祝福した。ちなみに私は開業日に乗っており、今回の利用は2000年1月10日(月曜日・成人の日)以来、6年ぶりとなる。
2000年7月31日(月曜日)に乗客2000万人、2004年11月15日(月曜日)には1億人を突破。立川南で記念式典が行なわれている。
しかし、2004年8月5日(木曜日)から一部車両のロングシート化を開始。現在、展望席以外、ロングシートの車両は第2・3・11~13・16編成(第16編成は新製時からで、行先表示もLEDに変更)。中間車のみロングシートは第1・4~10編成。オリジナルのセミクロスシートは第14・15編成のみで、シートモケットはオリジナルの青である。これは今回、初めて知った。
歩いて10分ほどのところにある多摩都市モノレール運営基地へ。この日は『多摩モノレール基地見学会』が行なわれ、家族連れやレールファンでにぎわっていた。特に小学生以下のお子様向けのアトラクション(整理券が必要とするモノ、スタンプラリー、塗り絵など)が多く、レールファンはターゲットにしていないような雰囲気がある。レールファン以外の人にも乗ってもらいたいという意気込みがあるのだろう。ちなみに運営基地の一部はトミンハイム立川泉町の下にあるが、そこに在住している方の多くは“車両基地を駅にしてもいいじゃん”と思っているのではないだろうか。
多摩都市モノレールの制服で記念撮影をするアトラクションは人気のマトで、子供用を用意する周到ぶり。バックとなる車両は3種類用意され、レールファン向けの車両撮影会も兼ねている。そのトップバッターは第5編成“夢塗装車”である。
付近ではポイントの転換実演が行なわれる。モノレールはコンクリートの太いヤツが命綱。その動きを食い入るようにギャラリーは見ていた。私はモノレールの前面展望席に坐って、何度か見ているが、かなり大掛かりな作業で、クネクネ曲がるのが不思議なぐらいだ。初めて見た時、スプーン曲げを思い出した。
検修庫では車両の展示及び、床下機器の公開が行なわれた。特に台車の構造には関心があり、サイズは違えどタイヤを10本も使っていた。どれかパンクをしたら致命的なことを招くわけで、一般的な鉄道よりもかなりデリケートであることを実感する。ちなみに沖縄都市モノレールの運営基地には東京モノレールで廃車になった台車をケースに入れたうえで、屋外展示。その先を進むと、ゆいレール記念館がある。
本社棟へ移動。1階は物品販売が行なわれ、吊り革500円や案内板を販売。意外と吊り革や案内板は寿命が短いようである。また、大型商品は代金着払いの宅配便で送るサービスもあった。ちなみに私は自社制作のDVDを購入。普段、鉄道DVDは買わないが、500円というお安いお値段だから買った。ちなみに吊り革を見て、「どこへ飾ればいいんだろう?」と悩む保護者がいた。レールファンでもわかりません(洗濯ロープに吊るして、“おうち電車でGo!!”をする方法もあるんだろうが…)。
5階は資料見学、塗り絵、ビデオ鑑賞など。資料見学ではホームドアの実演が行なわれたが、小さな子供が大騒ぎしてうるさい。また、資料見学の入口ではロングシート化にともない、撤去されたボックスシートやサイン色紙5枚を展示していた。ちなみにサイン色紙は平成10年(1998年)8月8日(土曜日)に間寛平(サイン色紙の右端)、9月に「ひとりよりふたり」と書いた中村さんという方だが、誰なのかはわからない(左から4つ目)。左側3つは2003年12月28日(日曜日)に大河ドラマ『新撰組』に出演した土方歳三、お琴、井上源三郎の役を演じた役者さんのサインである。
本社棟を出て、自販機へ。DyDoの自販機は面白く、ジュース(100円)、ペットボトル(WATER MIUは100円、それ以外は130円)のほかにChip Star(120円)やKit Kat(150円)も販売していた。また、この自販機で買うと、プレステ2が抽選で当たると言うクジ引きにもチャレンジすることができ、買ってやってみるが、ハズレ。爆笑問題田中裕二の大好物といわれる、うまい棒1個をもらう。ちなみに、うまい棒は株式会社やおきんの商品である。
車両撮影会、2番目の車両は第10編成。通常の車両で、しんがりは第15編成“夢塗装車”である。
撮影終了後、運営基地をあとにするが、出口では社員が記念の硬券をプレゼント。近代的なシステムを取り入れている鉄道の思わぬ“かくしダマ”であった。ちなみに多摩都市モノレール線の駅では使えない。
多摩都市モノレールは延伸の構想はあるというが、“夢”で終わる可能性もある。新たな“顧客”確保のためにも、2005年から始まったこのイベントを毎年開催し、延伸の構想を実現してもらいたいものである。
◆多摩都市モノレールホームページ…http://www.tama-monorail.co.jp/
◆株式会社やおきんホームページ…http://www.yaokin.com
臨時急行<ファンタジー号>新木場行き [汽車旅2003番外編]
2003年8月10日(日曜日)、この日は沖縄都市モノレール“ゆいレール”が開業。私は東京急行電鉄東横線日吉にいたが、前日の台風がウソのようなP-KANである。
臨時急行<ファンタジー号>新木場行きが入線。車両は帝都高速度交通営団(次からは「営団地下鉄」と略すが、2004年4月1日、「東京地下鉄」に改称)9000系(6号車9819:目黒から女性車掌乗務)で、行先とドア上の情報案内装置のLEDはまったく機能しておらず、メリットを生かしていない。特製ヘッドマークだけというのは花火見物客は気にしないだろうが、レールファンはさびしい。なので、私がブログ上で作るしかない。
1・6号車はレールファン主体(乗務員室付近はあふれていた)、2~5号車は花火見物客という極端な顔ぶれで15時53分に発車!!
元住吉は通過し、武蔵小杉-市ヶ谷間は各駅に停まる。
目黒から営団地下鉄南北線に入り、女性車掌が乗務。ちなみに白金高輪まで東京都交通局(都営地下鉄)都営三田線と共用している。
南北線の駅ではなぜか「市ヶ谷行き」と案内し、白金高輪を発車すると、誤って冷房機のスピーカーから放送を流した。普段はワンマン運転なので、“不慣れ”ということなのだろう。ちなみに女性車掌は南北線の解説が多かった。
市ヶ谷で進行方向をチェンジ!! 6号車が先頭となり、アプローチの途中、再び1号車が先頭となる。有楽町線ホームを抜け、飯田橋方面へ少し進んだあと、再び6号車が先頭へ。10分前後で有楽町線にワープした(有楽町線市ヶ谷は運転停車で、通過扱い)。ちなみに通常の乗り換えは10分どころか、最短でも3分もかからない(南北線の1号車に乗っている場合。但し、有楽町線は運が悪いと少々待つことになる)。
このワープゾーンは9000系の検査のため、有楽町線の新木場検車区へ向かうために作られたもので、定期便で使われることはまずない。
ホームは違えど、永田町を2度通り、有楽町に停車。このあと、月島と豊洲にも停車し、後者で大量下車が発生し、車内にいるのはたまたま乗ったお客とレールファンだけになった(レールファンは全区間乗っていない人もいる)。
17時07分、終点新木場に到着。ちなみに小田急電鉄多摩線唐木田からの臨時急行<ドラゴン号>は06系、埼玉高速鉄道(埼玉高速線)浦和美園からの臨時急行<レインボー号>は9000系(第16編成)だった。
INDEX 2006年10月 [INDEX]
今回は2006年10月に掲載した記事を御紹介します。
◆10月1日(日曜日)
ゆりかもめ豊洲延伸
(汽車旅2006番外編)
◆10月2日(月曜日)
INDEX 2006年9月
(INDEX)
◆10月3日(火曜日)
3万人突破!!
(INFOMATION)
◆10月8日(日曜日)
急行武蔵小杉行き
(汽車旅2006番外編)
◆10月9日(月曜日・体育の日)
イーハー東武半ZONE門線NOBORU
(汽車旅2003番外編)
◆10月10日(火曜日)
各駅停車(二子玉川から臨時急行)中央林間行き
(汽車旅2003番外編)
◆10月13日(金曜日)
2003年の汽車旅4
(汽車旅2003)
◆10月14日(土曜日・鉄道の日)
<中央ライナー1号>高尾行き
(汽車旅2003番外編)
◆10月15日(日曜日)
暴れん坊165系2003
(プラットホーム2003)
◆10月20日(金曜日)
東海道新幹線100系フォーエヴァー①
(汽車旅2003番外編)
◆10月21日(土曜日)
2003年の汽車旅5-1
(汽車旅2003)
◆10月22日(日曜日)
2003年の汽車旅5-2
(汽車旅2003)
◆10月28日(土曜日)
2003年の汽車旅5-3(東海道新幹線100系フォーエヴァー②前編)
(汽車旅2003)
◆10月29日(日曜日)
2003年の汽車旅5-最終回(東海道新幹線100系フォーエヴァー②後編)
(汽車旅2003)